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会津プロパガンダ4
- 644 :日本@名無史さん:2016/04/16(土) 20:57:49.63 .net
- >>636
なぜ閏4月15日としてるのか自分に聞かれても困るが。
考えられるのは世良の大山宛書簡では白河に来たのは15日とあること。
九条総督は13日にさっそく参謀に使者を発して世良にも知らせてることが分かるから、
14日には世良に諮問してる。ただ、同書簡では世良は「大いに困った」と言ってるから
14日に受け取った書簡を見て、15日に決定した時系列を考えてるのかも知れない。
あるいは醍醐参謀から世良に回覧させた場合は15日説も成り立つが、
事情が事情だから13日に使者を送ったと見ていいだろう。
しかし、使者を迎えて「激怒」した場合は読んだ瞬間に分かるはずなので、
その点を15日と解釈してるのは疑問が残る。
あと、容保書状が「15日付」だと考えた場合、下参謀の世良に直接送るわけがないので、
まず12日嘆願書と同じく総督府に送られ、総督府から白河に回送されたはず。
12日に総督が見た嘆願書を世良が見たのが15日であるなら、
15日付だと世良が目にするのは早くて18日、坂本・遠藤が説得にかかった時と言うことになる。
坂本・遠藤は17日に但木の許可を得て出発し、18日に白河に到着してるのでお察し。
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