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魏志倭人伝の記述に一番則した邪馬台国の場所って結局どこなの?

1 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 14:28:16.90 .net
おれは徳島だと思う

2 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 19:52:20.21 .net
阿波では古来より、県西部の剣山系山岳集落を指して「空・ソラ」と呼ぶ。
まさに、高天原「空・ソラ」の地である。

神社でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
青石でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。

3 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 21:56:19.06 .net
どこにもない

4 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 22:41:04.19 .net
糸島

5 :日本@名無史さん:2016/08/04(木) 22:49:46.29 .net
糸島ですね
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1465728707/l50
全て矛盾なく説明できます。

6 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 06:34:42.08 .net
糸島ってどこ?

7 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 08:16:11.09 .net
倭人伝は解釈次第でどうとでも転ぶもの。

九州だとしたら、糸島、福岡市西部らへん。
畿内だとしたら、巻向以外の所。近畿のどこか。
まだまだ発掘待ち。

8 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 09:00:14.81 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

9 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 11:02:13.81 .net
>>8
>◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか

その文章だと”稲作が長江江南ではありえない”という意味になってしまうっつのw
長江江南は稲作の本場だろうが、馬鹿たれw

10 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 11:12:59.30 .net
↑日本語能力の極めて低い台湾ブタ広鼻ハノイハノイ原人

11 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 13:07:13.39 .net
“水田稲作農耕技術”が菜畑や曲り田など西北九州へ伝播したが、それは朝鮮半島南部からの伝播であった可能性が、極めて高いことを確認した。

稲作の発祥地(長江江南)→山東半島→朝鮮半島南部→北部九州への伝播(いわゆる第2ルート)  

そのルート上から“渡来人”がやって来たかもしれない、その可能性が十分ある。

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_03suidenninasaku_no_jitunenndai.html

12 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 15:34:52.49 .net
当時の100以上の国が大いに乱れた倭国において、漢の後ろ盾で統治しやすいのは九州に限る。

大和朝廷はそれと別に距離のある畿内でないと安定政権が出来ないから、邪馬台国とは別にあった。

13 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 16:03:59.17 .net
>>12 :
>大和朝廷はそれと別に距離のある畿内でないと安定政権が出来ないから、邪馬台国とは別にあった。

だれか訳して

14 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 16:22:20.80 .net
>>11
ところが、最古水田の人々はなぜか朝鮮土器も中国土器も作りませんでした。

朝鮮無文土器の壺が一点出土しただけ。

彼らが作っていた土器は沿海州南西部の或る時代の土器文化と土器の文様が
一致する刻目突帯文土器と呼ばれる土器だけだったのです。

15 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 17:03:55.81 .net
>>14
縄文時代の話がどーしたって??

16 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 17:53:03.96 .net
徐福は朝鮮半島経由できたんじゃないぞ。

17 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 17:54:55.47 .net
吉野ヶ里が邪馬台国の始まりだ。

18 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 18:08:09.24 .net
>>17
>吉野ヶ里が邪馬台国の始まりだ。

縄文時代ってか

19 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 18:28:55.08 .net
やまたいこく=やまとこく

20 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 18:33:32.14 .net
やまたいこく=やまとこく=倭国(阿波)

21 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 18:34:50.27 .net
やまたいこく=やまとこく=倭国(阿波)→大倭国(奈良)

22 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 18:51:18.44 .net
徐福はBC219年にきて吉野ヶ里の基礎を築いた。

23 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 19:14:48.75 .net
紀元前の話がしたいのか?

24 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 19:18:05.66 .net
BC3C末、徐福一団の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く原始的な穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器も
さっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

25 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 21:19:00.63 .net
>>24
しつこい奴やなーそこまでしてバカさらけ出したいのか

26 :日本@名無史さん:2016/08/05(金) 22:32:15.22 .net
30国なら九州110国なら畿内

27 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 07:29:57.18 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

28 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 08:18:24.57 .net
大和朝廷に間違われたことをいいことに知らないヤマト国までを説明したから辿りつけない

29 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 08:25:47.99 .net
大和朝廷は7世紀末持統朝から始まる。

30 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 08:54:46.93 .net
邪馬台朝廷に間違われたことをいいことに知らないヤマト国までを説明したから辿りつけない

31 :日本@名無史さん:2016/08/06(土) 15:57:24.46 .net
徳島は古事記神話の神名がつく延喜式内社の数が他の県に比べると圧倒的に多いことがわかります。
例えば、徳島県の式内社50社のうち19社に古事記神話の神名がついているのに対して、
奈良県は286社のうち3社、島根県の出雲は187社のうち0社です。

式内社以外でも、徳島県の神社の祭神はほとんどが古事記神話の神です。
この事実から、古事記神話は徳島で起きたことを記した記録なのです。

32 :日本@名無史さん:2016/08/07(日) 19:48:00.12 ID:J5HMKauDX
日本書紀の景行天皇紀を読んでいたら卑弥呼が分かった
神夏磯姫だと思う

33 :日本@名無史さん:2016/08/14(日) 14:35:45.38 .net
卑弥呼と名称になってるが

姫と呼ばれていたひとがいたという意味で名称ではない

まずそこから

34 :日本@名無史さん:2016/08/17(水) 18:45:27.05 .net
火の国の巫女さんやろ

35 :日本@名無史さん:2016/08/17(水) 21:46:24.64 .net
火(ほ)の国の巫女ねえ

36 :日本@名無史さん:2016/08/21(日) 22:02:25.64 .net
ひとほは別の単語。
日御子または姫と呼ばれた、のどちらか。

37 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 00:58:43.48 .net
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。

38 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 20:06:43.17 .net
女王国は豊国、現在の九州豊前・豊後。豊国の豊はヨロズハタトヨアキツシヒメの豊。

39 :日本@名無史さん:2016/08/22(月) 22:22:54.80 .net
三十カ国の内訳に豊国が含まれない。
卑弥呼の時代の倭国は筑前筑後だけ。
壹與の時代に肥前肥後が組み込まれる。豊前はもう少し後、豊後はずっと後。

40 :日本@名無史さん:2016/08/24(水) 19:51:41.84 .net
奴国が女王国であり
邪馬台国は卑弥呼支配下の三十ヵ国の総称

41 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 07:44:47.19 .net
奴国はないな。あそこは王がいなくなって久しい世俗の地。
読み方次第で糸島か筑後平野、筑後平野。

42 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 07:48:04.08 .net
筑後平野押しですか

43 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 08:21:09.72 .net
>>38-42
根拠なしでは、誰も読まないよ。

44 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 09:12:11.49 .net
徳島
邪馬台国=ヤマト豪族連合とか邪馬台国→ヤマト豪族連合といった固定観念から脱却してパラレルに存在して居た国と考えた方がシンプルに説明できる

45 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 12:32:55.30 .net
衛星国。
1番目の斯馬国は嶋(志摩)、福岡県糸島市
5番目の彌奴国は嶺(三根)、佐賀県神埼郡三根村にある吉野ヶ里遺跡
8番目の姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番目の對蘇国は鳥栖の安永田遺跡(佐賀県鳥栖市柚比町)
16番目の邪馬国は八女の室岡・亀ノ甲遺跡(福岡県八女市)
17番目の躬臣國は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番目の巴利国は杷木(福岡県朝倉市)
19番目の支惟國は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番目の烏奴國は大野城趾(福岡県大野城市)
21番目の奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

46 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 13:43:06.35 .net
>>45
根拠なしでは、誰も読まないよ。

47 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 18:44:31.55 .net
魏志倭人伝では邪馬台国は七万戸
晋書に魏の時代に至って、三十国が通好してきた戸数は七万とある
ここから邪馬台国は三十国の総称だと分かる

48 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 18:50:30.36 .net
>>47
倭国全体で7万戸だろうね

49 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 19:31:41.87 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルは稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

50 :日本@名無史さん:2016/08/25(木) 21:59:02.94 .net
>>47
愛知県のことを名古屋って呼んじゃうようなもんだよな

51 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 18:05:04.24 .net
邪馬台国が卑弥呼支配下の三十ヵ国の総称となると
郡より女王国まで一万二千里はどこかということになる
帯方郡から対馬と壱岐の半周分足した一万二千里は奴国なので
女王国は奴国だと分かる

52 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 18:43:18.85 .net
>>51
>帯方郡から対馬と壱岐の半周分足した一万二千里は奴国なので

なんでそうなるの?

53 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 19:15:38.41 .net
>>51
奴国に向かう理由はない。
伊都国なら郡使が駐まるところだからわかる。

54 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 20:54:48.76 .net
>>51
だから愛知県を名古屋と呼ぶこともあれば名古屋を名古屋と呼ぶこともあるだろ

55 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 22:58:57.78 .net
>>54
ないな。

56 :日本@名無史さん:2016/08/26(金) 23:22:02.30 .net
>>55
神奈川を横浜と呼ぶこともあれば横浜を横浜と呼ぶこともあるだろ

57 :日本@名無史さん:2016/08/27(土) 00:35:55.01 .net
ないな。

58 :日本@名無史さん:2016/08/27(土) 00:36:54.51 .net
あるだろ

59 :日本@名無史さん:2016/08/27(土) 00:40:18.58 .net
渋谷を新宿と呼ぶようなものだから、ない。

60 :日本@名無史さん:2016/08/27(土) 00:43:30.21 .net
それは違うだろ

61 :日本@名無史さん:2016/08/27(土) 03:20:03.78 .net
埼玉だって東京と呼ぶことがあるわ

62 :日本@名無史さん:2016/08/29(月) 05:22:05.54 .net
それは僭称

63 :日本@名無史さん:2016/08/29(月) 09:25:11.59 .net
愛知県を名古屋と呼ぶこともあるしな

64 :日本@名無史さん:2016/08/29(月) 13:15:36.61 .net
千葉だって東京と(ry

65 :日本@名無史さん:2016/08/29(月) 18:49:37.66 .net
茨城も。

66 :日本@名無史さん:2016/08/29(月) 18:54:06.73 .net
東京の方から来ました

67 :日本@名無史さん:2016/08/29(月) 19:10:18.16 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

68 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 13:55:12.08 .net
仮に徳島でも吉野ケ里でも奈良でもよいから、
これまでにある資料との矛盾点をそれぞれ書き出してみたらどうか?
たぶん・・・

69 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 19:35:16.12 .net
安本が最近の著作でそれをやって、ベイズ法で邪馬台国は99パーセント九州と言っている。

70 :日本@名無史さん:2016/08/30(火) 21:33:19.39 .net
>>68
矛盾点は、資料通りにすると場所が海の彼方になるって点だな

71 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 00:41:14.40 .net
>>70
まぁ、里数表記と日程表記を直線的に読む方が無理があるけどね。

72 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 02:10:23.49 .net
トータルで1万2000里だからねえ

73 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 02:16:17.63 .net
ベイズ推定持ち出すのは正しいわな
九州は間違いない

74 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 02:19:48.80 .net
魏の使節の奴らが、報奨金と自慢目当てで
俺ら凄い旅をしたんだぜって大袈裟に吹いて回っただけだからな

75 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 08:25:48.45 .net
12000里では畿内に届かないから、むしろすごくない。
それに彼らは役人だから報奨金はない。
出張手当くらい。

76 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 10:27:50.63 .net
水行十日とか陸行一月とかいうのは地理上の最短距離じゃなく、川が増水して足止めくらったり、到着地での接待で何日か逗留したりという現実の旅程とは考えられないの?

77 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 10:42:11.29 .net
わざと遠回りしたんだよ

78 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 10:42:34.86 .net
水行10日陸行1月ってのは倭の案内人がわざと遠回りしたってことだよ

倭を広大な大国に見せるためにね

外交ってのは騙し合いなんだよ誰が本当のことなんか言うかっての

遠回りさせて遠回りさせてクタクタになったところで
卑弥呼が「ようこそ」ってそっと冷たいビールを出す

魏の使者は「卑弥呼さまー!」ってなるだろ

これが卑弥呼が使った「鬼道」だよ

わかる?わからない?

79 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 16:19:09.34 .net
>>75
魏の政府は畿内とか知らないからいいんだよ

80 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 17:05:00.60 .net
邪馬臺國とは、東南大海之中で最初に出くわす大きな島で現在の九州島のことです。
本州、四国、九州といった島々に百餘國あるなかで大倭王が居住する所が臺國

81 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 19:23:46.61 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

82 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 22:21:14.88 .net
>>76
それなら、そう言うだろよ
海外出張費目当てで適当ぶっこいたんだ
洋の東西問わず、いつの世も同じだぞ
それにバレっこないだろって大胆不敵な事するヤツはいるもんな
どうせ水増しした日数分、女の家にしけこんでたんだろ

83 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 22:23:45.37 .net
各地で官官接待は当然やるだろな

84 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 22:24:15.99 .net
>>78
それ朝鮮通信使のネタでしょ
で、確か今では、その説も通説から落ちそうなんだろ?
俺が若い頃に聞いてた話と最近の説でズレがあるから、ついてけない事あるわ
俗説どころか、割と固いと教科書ネタにまでなってたのが変わるからな

85 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 23:02:01.99 .net
倭を広大な大国に見せたかったのは魏の方だよ

86 :面へらコンプゆとりの性格の悪さ異常 しつこい:2016/08/31(水) 23:04:42.91 .net
けんかかったかまけたかどうだかしらないがー
きにしてたさんぱくがんをまるめにせいけいまんまと
そしてそして ひがいしゃにふんして 

事故整形真似してんの? あったまおかしい でんとうにあンぐら @@

87 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 23:16:08.90 .net
>>76
>水行十日とか陸行一月とかいうのは地理上の最短距離じゃなく、
>川が増水して足止めくらったり、到着地での接待で何日か逗留したりという
>現実の旅程とは考えられないの?

「水行十日」とか「陸行一月」は、旅程距離(道程距離)。

水行一日≒1000里(1日=24時間00分)

陸行一月=海行一月≒80km≒1000里(1月=24時間50分)
「陸」「海」は、移動している場所を示す。

88 :日本@名無史さん:2016/08/31(水) 23:40:20.16 .net
水行一日、陸行一日は距離の単位だな
水行十日=陸行一月=千二百里になる

89 :日本@名無史さん:2016/09/03(土) 16:24:21.88 .net
卑弥呼は天照大神であり
天照大神の神霊である八咫鏡が
出土した平原が邪馬台国だ

90 :日本@名無史さん:2016/09/03(土) 22:50:25.08 .net
正直、どこ地域の設定であれ
アマテラス=卑弥呼説ってのは
どうも安直すぎて行けない。

ぶっちゃけ、卑弥呼の記録が残ってるのは
偶然にしか過ぎない訳だ。
それが、のちの記録にある神話の女神になったって
…なんつーの?昔の冒険小説・少年漫画とかラノベみたい

主人公がタイムワープして行った世界の王女様が
後世よく知られた女神様だったって。
そして、それが判明するのは物語終盤だね。
主人公が現代帰る直前で。見送りに来た王女様の
つけてる衣装見て、唐突に序盤の女神像を
思い出すようなシーン。
(あるいは、あれだ。博物館なんかで流す子供向けのアニメで。
タイムワープした少年たちが現地のお姫様と仲良くなって
当時の暮らしの様子なんかを紹介してもらって、帰り際に
お姫様の名前を聞いたら博物館の放送で流してた
お姫様の名前でした…的な)

知ってる名前と知ってる名前を
くっつけてるだけと言うか……
読み切りなら、それでも良いけど。
連載漫画なら、テンプレすぎて
没くらいそうな設定に思える。

91 :日本@名無史さん:2016/09/04(日) 01:36:06.27 .net
アマテラスは鏡をニニギに与えたので、鏡が出た平原はニニギ王家の日向三代の都です。
アマテラス自身は海の向こうの高天原にいました。
卑弥呼はニニギ王家の一員かも知れませんが、アマテラスとは別人です。
歴史上の人物をまとめて同一視するのは良くありません。

92 :日本@名無史さん:2016/09/04(日) 03:12:27.08 .net
ニニギは天孫降臨するときに「ここは韓国を臨むいい土地だなあ」といってるから
宮崎はありえない

あるとすれば平原に派遣されたあと宮崎に派遣されたかだよ
ニニギは転勤族だった
エリートほど転勤が多いのは今といっしょだよね

93 :日本@名無史さん:2016/09/04(日) 10:09:54.16 .net
八咫鏡の出た平原一号墓の被葬者は女性だ
卑弥呼本人の墓だよ

94 :日本@名無史さん:2016/09/04(日) 14:14:26.64 .net
ニニギは朝日と夕日が照らすとも言っている。
福岡県の高祖山からは東は古い王都奴国がある福岡平野、西は新しい王都がある糸島平野が望める。
高祖山、すなわち高千穂峰の麓に高千穂宮、現在の高祖神社がある。
平原の王墓は高祖神社と同じ糸島平野にあり、ニニギがアマテラスから授かったという八咫の鏡と同じ大型内行花文鏡が出土した。
その平原の王墓の推定年代は、卑弥呼の治世のど真ん中であり、その被葬者は女性と考えられている。
魏志には伊都国に王がいると記載されている。

95 :日本@名無史さん:2016/09/04(日) 19:32:51.70 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

96 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 18:26:11.65 .net
郡より女王国まで一万二千里
帯方郡から一万二千里は奴国
よって女王国は奴国

魏志倭人伝では邪馬台国は七万戸
晋書に魏の時代に至って、三十国が通好してきた戸数は七万。とある
よって邪馬台国は対馬から奴国及びその周辺の三十国の総称

水行10日=陸行1月=1200里=誇大里数12000里
これも帯方郡から奴国までの距離

97 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 18:38:13.09 .net
コジツケ

98 :九州王:2016/09/05(月) 19:02:56.54 .net
>>96
俺の説をまねるのは良いが
>水行10日=陸行1月=1200里=誇大里数12000里
>これも帯方郡から奴国までの距離
は何?
水行20日+水行10日+陸行1日=12000里だよ。

99 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 19:26:10.91 .net
>>98
孫栄健の説だよ

100 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 22:31:03.62 .net
水行20日+水行10日+陸行1日
唐六典から水行一日百里として56km
水行30日では1680km
帯方郡から奴国までの距離には遠すぎる

101 :日本@名無史さん:2016/09/05(月) 22:32:09.64 .net
5倍誇張説もあるよ

102 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 18:25:07.28 .net
魏志韓伝、倭人伝で里数が誇大里数になっているのは
三国志、魏志、国淵伝に「破賊文書は、旧、一を以って十と為す」とあり
報告の数字を10倍にする慣例があったからです
5倍とかではありません、10倍です

103 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 19:37:43.40 .net
つまり短里だったんですね。
わかります。

104 :日本@名無史さん:2016/09/06(火) 22:54:50.39 .net
倭人伝に囚われるものは、歴史を語るに及ばず。死すべし死すべし

105 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 07:49:57.18 .net
魏志倭人伝は、倭国(阿波)の事象を詳しく、分かりやすく記述してくれている。

106 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:11:59.02 .net
大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。
これも慣例で10倍されていると考えれば
径100歩=径10歩=14.5mになる、奴婢百余人は10数人になる
径は、さしわたし、という意味で円の直径でなくても使われる
これなら平原で間違いないだろう

107 :日本@名無史さん:2016/09/07(水) 20:20:02.96 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

108 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 09:40:32.54 .net
卑弥呼が天照大神なのだが
それは皇祖の天照大神が
魏に朝貢して臣下になっていたと言うことなので
記紀はそれを認めたくなかった

109 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 10:03:56.97 .net
卑弥呼よりも平原遺跡の女王のほうが天照大神にふさわしいだろ
46センチの鏡も出てくる
平原遺跡の年代は2世紀で卑弥呼よりも100年前

110 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 10:14:49.08 .net
帯方郡から一万二千里。伊都国まで一万五百里余。残り千五里余になる。行けても九州中部ぐらい。邪馬台国は熊本あたり。狗奴国は球磨以南。

111 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 10:20:42.98 .net
平原が卑弥呼の墓で間違いない
年代も出土品から見て問題ない

112 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 10:28:09.66 .net
平原遺跡は2世紀でしょ
卑弥呼とは時代がずれてる

北部九州では女王はめずらしくない
女王は卑弥呼だけじゃない

113 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 10:34:51.36 .net
卑弥呼論争で大きく2つに分かれるのは
卑弥呼=モモソ姫と考える穏健派と
卑弥呼=アマテラスと考えるロマン派で
どちらにも当然弱点はあるが

114 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 10:40:14.73 .net
卑弥呼=神功皇后と卑弥呼=山門土蜘蛛の田油津姫もあるよ。ワイは倭姫命派だけどね。

115 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 11:26:24.59 .net
平原1号墓は弥生時代後期の中頃(西暦 100年前)とする説と
弥生時代後期後半から終末(西暦200年前後〜250年前後)とする説がある
後者なら卑弥呼の時代だ

116 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 11:53:15.38 .net
>>112
九州は女王がいっぱい。だからこそ邪馬台国の王は女王なのかもしれんね。

117 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 12:27:09.21 .net
アマテラスじゃなくてアマゾネスや

118 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 17:15:10.59 .net
注意  以下のスレ主は自分以外のスレ荒らすから
    すでにこのスレもターゲットにされている

http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1473345401/

119 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 17:55:38.81 .net
>>115
最近は後者がほぼ確定状態。

120 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 19:15:51.43 .net
スレタイに沿って

たぶん今のところ邪馬台国は九州から出雲あたりまでだと思います。
邪馬台国論争の始まりは、魏志倭人伝が火付け役は周知のことです。
倭人伝の記述と発掘物からいけば九州から出雲までにあったと思います。

箸墓が3世紀と確定しても、現状、邪馬台国と結びつけるには無理があります。
3世紀に箸墓が造られたとしても、邪馬台国に結びつけるまで難しいでしょう。
三輪山伝説やモモソで卑弥呼に結びつけようとしてる研究者も多いですが、
神話と事実との境が曖昧です。

邪馬台国論争は、倭人伝に沿う新たな発見が無い限り進展がないでしょう

121 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 19:28:53.79 .net
>>120
魏志倭人伝は倭国(阿波)の事象を分かりやすく、記述してくれています。

122 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 19:34:22.44 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

123 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 20:47:06.02 .net
>>121さん
阿波も倭人伝の解読、遺物から候補地の一つに入ると思います。
研究者は四国に目を向ける必要があります。
畿内VS九州で論争を進めるのはいかがでしょうかと思います。
それほど、今の邪馬台国論争には材料が無いのです。
四国が一矢になればよいのですが。

124 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 20:58:14.55 .net
貼り付けですがおおかた納得。九州か四国に邪馬台国はあったと。

魏志倭人伝によると、邪馬台国について「その山には丹がある」と書いてある。
丹とは水銀のことで、邪馬台国に中には水銀丹(朱)の出る山があると、
書き残している。邪馬台国時代の水銀鉱山跡というのは、
徳島阿南市の若杉山遺跡でしか見つかっていない。水銀を生産している遺跡は、
他の場所から発見されていないので、ここだけらしい。よって「丹がある」という
一文からすれば、四国説はかなり有力となる。

125 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 21:00:38.69 .net
今、縄文〜弥生〜古墳時代の考古学やるなら、阿波ですね。

地元の研究者、張り切ってます。
 

126 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 21:20:32.85 .net
>>125
頑張ってください。倭人伝に基づく事実が大事だと思います。
四国は邪馬台国の文献が少ないですが、事実は多いと思います。
私は九州説ですが、まず九州優先で研究します。(四国についてはあなたより浅学ですの悪しからず・独学のサラリーマンです。)
他説批判は愚の骨頂です。・・・私も息詰まると他説批判に走りました(反省してます)

127 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 21:30:44.36 .net
畿内以外ありえない。
箸墓以外の物的証拠出してくれ。

128 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 21:39:47.44 .net
>>127さん
これが現代では正解かも。書き方がヘタですが(ごめん)
畿内説は畿内説で独自に探求すればよいと思います。


>>120
箸墓が3世紀と確定しても、現状、邪馬台国と結びつけるには無理があります。
3世紀に箸墓が造られたとしても、邪馬台国に結びつけるまで難しいでしょう。

129 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 22:22:43.15 .net
畿内は鉄不足、銅不足
集落の銅鐸を没収しようとするまで銅原料に困窮してる

伊都国で諸国を監視してる姿とはまったく合わない

九州北部沿岸部を強権支配してたら銅不足に陥らないでしょ

130 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 22:32:40.83 .net
あまり急ぐ必要はありません。
ゆるりと書き込みしましょう。

131 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 22:42:30.69 .net
丹には水銀系と鉄系の二つある。魏志倭人伝の丹は山に丹ありだから赤い鉄分を含むの土ベンガラだと思う。阿蘇山の阿蘇黄土は焼いたらベンガラになる。

132 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 22:49:07.62 .net
九州も大分から熊本南部にかけては
中央構造線に属しますので、
水銀鉱山はいくつかあります。

古代の水銀採取の名残とされる
丹生神社もありますよ。

ただ、由緒はどうしても文字が入ってくる時期以降になりますので
6世紀より古い文献はありません。

というより、それより古い文献があれば、
それはそれで大発見かも。

133 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 23:04:35.54 .net
>>131-132
卑弥呼の時代に採掘していた物証があるのかな?

無ければ、論外。

134 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 23:17:34.98 .net
伊都国の古墳からでる水銀朱は大陸からの輸入が多い。鉛丹も魏の皇帝から送られてる。倭王が魏の皇帝に送った丹はベンガラだと思う。

135 :日本@名無史さん:2016/09/10(土) 23:36:22.16 .net
>>134
>倭王が魏の皇帝に送った丹はベンガラだと思う。

そう思いたい気持ちは分かるが・・・  採掘していなくてはw

136 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 08:38:33.78 .net
弥生時代の畿内では、朱丹を使った遺跡は
二箇所しかなく、そのうちの一箇所は
粉のまま柩に敷き詰めるという
わけのわからない使用法になっている。

畿内では朱丹を使う文化はまだなかった
と考えて良い。

九州では弥生時代の朱丹を使用した遺跡は
24ヶ所あり、鉄丹、水銀朱など様々である。
中国からの輸入が多いと考えられているが
朝鮮半島まですでに鉄を取りに行っていた
わけなので、四国や紀伊にまで
朱丹を取りに行った可能性もある。

137 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 09:18:38.95 .net
採掘跡が丹生神社だろうね。特に紀伊に多い。丹生都比売神社 - 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野鎮座

138 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 09:40:21.17 .net
>>137
その丹生神社は、倭国(阿波)の丹生神社(丹生都比売神を祀る神社 徳島県那賀郡鷲敷町大字仁宇字学原)の勧請社だろう。

丹生橋を渡ると仁宇。この辺り一帯は中世まで、有数の水銀鉱山。水井水銀鉱山(若杉山遺跡等)があった。

139 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 09:41:00.17 .net
奈良県吉野郡の丹生川上神社上社境内地の宮の平遺跡から
水銀朱の精製に使った縄文時代中期の石皿が出土しているからな

140 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 09:50:43.09 .net
>>139
4000年前か。鉄器よりずいぶん前だな。すげー

141 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 09:54:40.70 .net
>>139
>水銀朱の精製に使った縄文時代中期の石皿が出土しているからな
 
気持ちは分かるが、捏造は感心しない。

「石器類では、磨石・凹石・石皿・切目石錘の出土量が多い。とくに、切目石錘の出土量は300点以上にのぼる。
磨石・凹石類の出土量も200点は下らない。前者は漁労具、後者は堅果類の加工具として用いられたと考えられているものである。」

142 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 10:12:08.12 .net
>>141

捏造? 橿考研or奈良新聞?

川上村迫の「宮の平遺跡」で、水銀朱の精製に使った縄文時代中期の石皿が出土していたことが26日分かった。
県立橿原考古学研究所がこのほどまとめた報告書で明らかにした。
水銀朱としては国内最古の確認例。
同遺跡の発掘を担当した橿原考古学研究所の橋本裕行さんは「古代の朱は酸化鉄から精製したものが主流で、
何のために水銀朱を精製していたのか今の段階では分からない」と話している。
宮の平遺跡では平成12年、縄文時代早期(約9000年前から8000年前)の竪穴住居跡がまとまって見つかったほか、
自然石を半円形に並べた縄文時代中期末から後期初頭ごろ(約4000年前)の環状列石(ストーンサークル)も見つかっている。
同所は現在、大滝ダムの底に沈んでいる丹生川上神社上社の旧境内。
(2005.5.27 奈良新聞)

143 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 10:15:21.55 .net
丹生神社、あるいはその前身が
縄文時代からあるとなれば、
日本中の丹生神社が少なくとも
弥生時代には存在する可能性はあるな。

144 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 10:42:30.40 .net
吉野川(紀伊半島)は丹の産出地域

倭人伝『その山に丹あり』

邪馬台国連合30ヵ国の『支惟国』=紀伊国

丹ありに合致


○発展○
神武東征神話で神武は大阪湾を上陸するも河内で攻撃され紀伊半島から再上陸
神武の出自=邪馬台国王朝
邪馬台国王朝と畿内王朝の合併=大和朝廷

145 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 11:19:06.76 .net
>>142
縄文時代かwww

146 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 11:21:22.72 .net
>>142
磨石・凹石類の出土量も200点は下らない。

前者は漁労具、後者は堅果類の加工具として用いられたと考えられているものである。

147 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 19:38:34.65 .net
>>141 >>146は2000年10月22日の現地説明会資料
>>142は2005.5.27 奈良新聞

148 :日本@名無史さん:2016/09/11(日) 20:17:14.82 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

149 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 00:41:05.82 .net
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ZrF544o6njU

150 :日本@名無史さん:2016/09/12(月) 01:16:01.58 .net
  ttps://www.youtube.com/watch?v=RPYvAFCc3QA

151 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 18:27:50.27 .net
徳島は銅鐸文化圏だから邪馬台国ではないよ

152 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 18:29:57.42 .net
なんで?

153 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 18:35:05.71 .net
銅鐸文化圏こそ、邪馬台国圏だろ?

154 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 19:07:56.76 .net
卑弥呼の鬼道は鏡と剣を祭祀に使うから

155 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 19:17:15.65 .net
>>154
銅鐸を鏡に作り変えて、鬼道祭祀に使ったんだから、銅鐸文化圏こそ、邪馬台国圏

よく、勉強しなさい。 勉強が足りない!!

156 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 19:37:43.37 .net
邪馬台国が銅鐸文化圏を征服したから
銅鐸を鏡に作り変えたのですよ

157 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 19:52:41.26 .net
>>156
だって、邪馬台国が銅鐸文化圏なんだから。

158 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 20:25:43.36 .net
銅鐸から鏡と剣への移行は、畿内での出来事。
邪馬台国は九州北部にあり、はじめから鏡と剣の世界。
九州北部では卑弥呼が即位するより200年も前から鏡と剣が使われていた。
鏡と剣を使った神事が中国人の目には鬼道と映った。

159 :日本@名無史さん:2016/09/14(水) 20:27:40.46 .net
>>158
丹山のない九州は論外。 残念!

160 :日本@名無史さん:2016/09/15(木) 20:15:13.32 .net
丹は需要のある北部九州に山師が各地から運んだのだろう
丹山が九州にある必要はない

161 :日本@名無史さん:2016/09/15(木) 22:31:24.77 .net
>>160
>丹山が九州にある必要はない

丹山のない九州は論外。 残念!

162 :日本@名無史さん:2016/09/15(木) 23:21:25.22 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

163 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 03:31:10.68 .net
丹山が九州にない?え!

164 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 09:41:38.88 .net
>>159
丹山のない九州=北部九州ではなく
丹山のある九州=中部九州と言いたいのですね

165 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 10:00:49.55 ID:QHh0uwfEK
 紀元前の日本には、イスラエルから古代アメリカに移住しマヤ文明などを築いていた民がアメリカから渡来して移住しました。
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1054370710.html

 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1059796599.html

 その後、紀元前に秦からユダヤ教徒の徐福たちが集団で西日本に渡来してました。
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1059998993.html

 邪馬台国の文字は、当時の中国人が付けた文字で発音でいえば「ヤマト国」です。
 「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ(エホバ)」の短縮形で、「マト」は「分家」の意味があります。
 したがって「ヤマト」とは「ヤハウェの民の分家」です。
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1060019603.html

 その後、紀元後の3世紀末、朝鮮半島を経由して、原始キリスト教徒集団が渡来しました。
 初代天皇陛下は、原始キリスト教徒集団の長です。
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1058536292.html

 日本人のルーツと神道、仏教の真実
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1025769358.html

 天照大神の正体
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1058533143.html

166 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 09:58:23.73 .net
>>164
辰砂採掘跡のない九州は論外。 残念!

167 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 10:27:03.95 .net
この山に丹有り、だから
丹があればいいんだよ。

168 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 10:28:01.89 .net
北部九州だと佐賀嬉野に丹山があるね。

169 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 10:37:06.31 .net
今の技術で
丹がない証明はある程度可能だが
採掘跡がない証明は無理や

元より両方とも完全証明は無理

170 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 10:53:30.79 .net
>>169

辰砂採掘跡を見つけてから、論に参加しましょう!

辰砂採掘跡のない九州は論外。 残念!

171 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 11:31:45.37 .net
論外残念しかいえんのかアホ

172 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 11:33:17.63 .net
江南詐欺に反駁一つできない奴は知能が低い

173 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 11:42:31.08 .net
これだけ説明されてなぜ論外残念なのかさっぱり分からない

174 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 11:50:09.15 .net
>>173

辰砂採掘跡を見つけてから、論に参加しましょう!

175 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 11:58:00.99 .net
>>174
お前が残念論外だ

176 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 11:59:46.98 .net
>>175

辰砂採掘跡を見つけてから、論に参加しましょう!

177 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 12:00:53.75 .net
>>176
そりゃ、永久に無理だわ

178 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 12:06:04.75 .net
お前はもうスルーにする

179 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 12:11:54.68 .net
九州説 ゴメン

180 :日本@名無史さん:2016/09/17(土) 20:38:22.11 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

181 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 00:31:16.98 .net
丹跡はどうでもええわ
粘着馬鹿ばかり

182 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 06:07:49.15 .net
>>181
丹は旧説にとって禁句!!  九州説 ごめん。

183 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 06:48:24.86 .net
鉄も朱丹も北部九州を中心に出土しており
北部九州が中心の交易圏を形成していることがわかる。

184 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 12:45:20.00 .net
2世紀
九州王朝=金印倭奴国、帥升王国から続く王朝
出雲王朝=出雲を中心とし、中国地方・九州宗像・畿内・諏訪・東海までにおよぶ王朝
スサノオ祭祀によりまとまる
畿内は出雲の属国

倭国大乱
出雲王の死によりパワーバランスが崩れ畿内吉備阿波東海が畿内王朝として独立
出雲王朝の領域は出雲、越のみに縮小化
旧出雲領は九州王朝と畿内王朝で分け合う

3世紀
邪馬台国王朝=九州、韓国南部、本州の一部(遠絶の21ヵ国)
畿内王朝=畿内吉備阿波東海、三輪山祭祀
狗奴国=九州西部に陣取り朝鮮半島を経由せずに直接中国南朝と交易

185 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 12:45:50.72 .net
倭国大乱により瀬戸内海の旧出雲地を領地にした九州王朝は都を伊都国から宇佐に遷都し宇佐の卑弥呼を女王に立てた

理由は2つ
1旧出雲地住民には強いスサノオ信仰があったため、統治するにはスサノオの血を引く人間を王にする必要があった
(宇佐のもともとの神はスサノオ)
2瀬戸内海に領地を持ったことで瀬戸内海交易が盛んになり、宇佐が瀬戸内海交易に有利な場所であった

186 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 13:35:09.36 .net
どう考えても九州北部の東海岸沿い
女王国の東には海があると、アホでもわかる位置が示してある
これで畿内説を主張してる奴はキチガイw

187 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 13:36:41.77 .net
あと、伊都国が北九州沿岸なのに、なんで邪馬台国が遠く離れた近畿にあるわけないだろ
そんなことも分からんバカはとっとと死んでほしいですw

188 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 14:29:59.73 .net
倭人伝による邪馬台国の条件
「方向:南」「距離:水行10日陸行1月」「戸数:七万戸」「東が海」

巻向 方向× 距離○ 戸数× 東が海× 評価D
宇佐 方向○ 距離○ 戸数× 東が海○ 評価B
筑後 方向○ 距離× 戸数○ 東が海× 評価C

(4つ一致=A評価 〜 一致0=E評価)

189 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 14:32:07.91 .net
邪馬台国は畿内しかないだろ、今更何言ってんだ?

190 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 14:32:19.31 .net
倭人伝による卑弥呼の墓の条件
「棺あって郭なし」「殉葬者あり」「径百歩」「前方後円墳の記載なし(円墳が想定)」

箸墓(畿内) 郭× 殉葬× 径百歩× 円墳× 評価E
原口(筑後) 郭△ 殉葬○ 径百歩○ 円墳△ 評価B
亀山(宇佐) 郭○ 殉葬○ 径百歩不明 円墳○ 評価B+

191 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 14:41:23.29 .net
九州説は妄想全開すぎてちょっとあついてゆけないなぁ。
宇佐なんて年代全くあわないし。

192 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 14:47:21.65 .net
何の年代が合わないの?

193 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 14:48:55.28 .net
畿内 位置D 墓E
宇佐 位置B 墓B+
筑後 位置C 墓B

194 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 14:49:45.20 .net
まとめ
>>188
>>190
>>193


阿波説とか他説に詳しい奴いたら追加してくれ

195 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 15:34:04.53 .net
銅鐸文明の説明ができんとな

196 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 15:45:42.10 .net
マイト レーヤが出てくる!

嘘じゃない!

バカにはわからない!

株式市場が大暴落したらテレビに張り付いてろ!

日本語を話す長身の物静かな外人男性を探せ!

空にも気を配れ!

UFOが姿を現すぞ!!

安倍と親米ポチのせいで日本から世界経済が崩壊する!

株式市場と原発は閉鎖される!

フクシマ安全論者も、株トレーダーも、安保必要論者もオシマイだ!

このホラ吹き、守銭奴、売国奴!

危険なのはオマエラだカス!

山本太郎にひれ伏せゲスども!

マイト レーヤのテレパシー世界演説のあとは生き地獄を覚悟しろこの人でなし!

197 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 15:49:00.57 .net
阿波はオラが町の町おこしなんだから
事実なんかどうでもいいんだ

198 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 15:50:06.12 .net
>>194
お前が始めたのか?
小学生の夏休みの課題でももう少しまともな事やるぞw

199 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 15:56:31.59 .net
>>198
なんか都合悪いことでもあんの?

200 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 16:43:05.11 .net
畿内説では巻向が邪馬台国ではなく巻向は邪馬台国の
祭祀場に過ぎない事位理解できないとな。
当然巻向に七万戸は入らない、畿内一帯は必要。宇佐も全然ダメ。

勿論北部九州に七万、それに投馬五万も入れるとか
最低限の考古学の知識すらない奴と思われるぞ。

201 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 16:50:20.25 .net
まとめ
>>188
>>190
>>193


阿波説、宮崎説、吉備説くわしいやつ書き込んでくれ

202 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 17:02:22.39 .net
恥ずかしい、お遊戯パズルかよw

203 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 17:46:56.05 .net
なんか都合悪いことでもあんの?

204 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:24:14.75 .net
水行20日+水行10日+陸行1月だから普通に畿内でしょ?

205 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:31:59.71 .net
>>204
でも畿内説は方角があってないし東が海じゃない
つまりぴったり合致する場所は畿内にも九州にもなくて
どこ説も一長一短だからそれぞれの要素の正誤をまとめてるんだよ

206 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:32:47.96 .net
>>204
うんにゃ

207 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:34:52.54 .net
「ぴったり合致する場所はない」という前提で各論の正誤をまとめてるんだから
まずそこを理解してくれな

208 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:39:03.97 .net
畿内説では伊勢湾を東の海とする人が多いぞ。

説の比較するなら内容をきちんと理解しろ、ということ。
だから小学生の夏休みの課題レベルという事だ。

209 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:39:18.83 .net
宇佐は方角を調整しただけでぴったりになるよね

210 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:41:26.44 .net
宇佐に七万戸とか草生えるわ。
主張するなら遺跡を示してからにすれば?

211 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:44:34.17 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

212 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:45:07.20 .net
>>210
だから一長一短あるって言ってるわけ

すべてぴったり合致する場所はないってのが前提

なぜ理解できないの?

213 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:45:32.74 .net
ちっちゃいテントみたいな住居だつたら中津平野に七万戸は十分可能だし

214 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:50:43.62 .net
だから畿内説は巻向を邪馬台国とはしてないよ、という話。
邪馬台国の祭祀場が巻向遺跡というのが畿内説。
いい加減その辺り理解して欲しいもんだ。

215 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:50:50.29 .net
>>208こいつとか
>>213こいつとか

そういうことじゃないんだよ

○○と考えればあり得る!ってことは○○と考えなければあり得ないってことだからな?

そういうむちゃな仮定をしなきゃ合致しない時点で合致してないってことなんだよ

で、それを踏まえて、
完全に合致する場所はないなりに
「相対的な正解」を見付けるべきでしょって言ってるわけ

216 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:52:08.87 .net
>>214
別にそれでもいいけど奈良盆地としても七万戸は無理

217 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:54:09.59 .net
>>215
宇佐のどこが無茶な仮定なのか説明してみ

218 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 19:57:41.16 .net
>>216
いや、畿内説では石野氏をはじめ河内平野を含む人のが多いんだよ。
そういう事前提にしての畿内説だから
あんな○×比較なんて日本史板とすれば
ガキ騙しにしかみてもらえないよ。

219 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:01:24.42 .net
>>217
農業生産な
人口は農業生産に規定される
そして農業生産は平野面積と川に規定されるんだよ
「平野、川、山」の組み合わせでしか国は成立しないんだから
七万戸を真面目に考えるなら筑後平野しかないでしょ


お前勘違いすんなよ?筑後説が正しいって言ってるんじゃないからな?

220 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:08:20.11 .net
奴国二万戸、投馬五万戸だしな。
当時高句麗でさえ三万戸の時代に14万戸以上も北部九州に
どうやって収めんだ?バカ言うなという話。

221 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:08:37.26 .net
>>219
なんで自給自足していたと考える
周辺国から租税を徴収していたとしたら?

222 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:09:38.48 .net
>>218
弥生時代は湖だろ

七万戸に合わせるために後から付け足したってダメだよ

223 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:11:27.23 .net
>>220
だから一長一短だっていってんの

いつになったら理解するんだ?

「すべてぴったり合致する場所はない」ことをそろそろ理解しろよ

224 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:12:50.99 .net
すべてぴったり合致する場所があったら論争になってないだろ?

すべてぴったり合致する場所がないから論争になってるんだろ?

まずその前提を理解してくれ

それが理解できないって相当頭悪いのか?

225 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:17:26.94 .net
>>221
そういう特別な仮定をしなきゃいけない時点で合致してないってこと

226 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:19:53.65 .net
>>222
アホ、遺跡や出土品の状況等を考察しての話だろ。
大体箸墓は阿波や吉備の様式だし、
巻向は東海地方の土器が一番多く出る。
畿内説はそういう点を考慮して説を組み立ててるだけだろ。
単なる村興し的な説じゃないだけの話だ。

227 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:20:12.84 .net
>>225
むしろ属国から徴収していないと仮定するほうが不自然だろ

228 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:21:39.49 .net
>>223
基準を比較する奴が何もわかってないんじゃ話にならんだろw

229 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:22:13.01 .net
最初南に進んだが途中進路を東に変えたと考えたら畿内で辻褄があう。
7万戸も邪馬台国全体の人口だし、当時は大月氏国に匹敵する大国だからそのくらいの人口があってもおかしくない。

230 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:22:18.85 .net
>>226
反論になってない
今は畿内に七万戸が当てはまるかどうかの話だろ?
関係ない話したってダメだよ

231 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:22:45.67 .net
>>229
特別な仮定をしなきゃいけない時点で合致してないってこと

232 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:24:43.02 .net
ほら頭悪いなお前ら
自説を正当化するための無理矢理解釈はナシ
「○○と考えれば合致する」ってのは合致してないってことだから
何回言ったらわかるんだ?

233 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:27:44.91 .net
>>230
現に畿内説の学者は河内辺りを含めてるのだから仕方ない。
現実を認識しろという事だからw

それに当時奈良盆地だけでも南部と北部の西日本最大級の
大規模な水田跡は確認済みだよ。
そらゃ宇佐に比べると充分収まる。

234 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:29:01.53 .net
>>232
お前も相当頭悪いな

235 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:30:33.58 .net
特別の仮定ではないよ。
普通、航路を南に進む場合、真南ではない。
海岸線に沿って蛇行する。

236 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:32:25.92 .net
奈良盆地は九州の人吉盆地くらいしか
ないんだから、大阪平野まで入れないと
まともな勢力にはならん。

237 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:33:19.80 .net
ダメだお前ら頭悪すぎて話にならん
なんでバカってこうなんだ?
俺は「阿波説、吉備説、宮崎説のやつ書き込んでくれ」って言ってんだぞ?

畿内説、宇佐説、筑後説のつまんない文句は受け付けてないから

238 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:33:32.58 .net
僕の知ってる「〜説」で話されてもね。
そいつの資質にダメ出しされてるのいい加減気付けよ、○×厨もw

239 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:34:14.96 .net
>>236
大阪平野は弥生時代大半海だからな
海水混じりじゃ稲作できないから

240 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:35:21.77 .net
水行10日陸行1月って部分のみにすがる機内説は惨めだな

241 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:38:21.80 .net
魏志倭人伝をどう読むかは知能テストとしてはかなり低いレベル

242 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:39:33.44 .net
インドからイギリスに船で行く場合、南に水行3ヶ月だから、イギリスは南極にあるのかって話だよな。

243 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:41:26.17 .net
阿波、吉備、宮崎にAD250〜280あたりの古墳があるのか俺は知らないから書けないってだけで

だから知ってるやつ書き込んでくれって言ってるわけ

244 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:42:26.01 .net
ジャッジする奴はボンクラじゃ試合が成立しない見本だなw

245 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:43:48.63 .net
負けそうになると審判に文句いうやつ

一発退場だからな

246 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:52:51.12 .net
審判の資格ない奴がやっちゃダメだなw

247 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 20:58:29.57 .net
水行20+水行10+陸行1月
これで九州は100%ないでしょ?

248 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:00:34.53 .net
>>247
九州の周りをぐるぐる廻ってたんだよ
そんぐらいすぐわかんだろ

249 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:03:46.44 .net
2ヶ月もかけて九州何周してるんだ?

250 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:04:52.10 .net
日本の南北3月
ゆっくり行くとしたら水行一月陸行一月で100キロくらいか

251 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:07:21.09 .net
>>247
何回言ったらわかるんだ?
すべてぴったり合致する場所はない
それを理解しろ

252 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:08:04.69 .net
宇佐の起源はよくわからないくらい古いが、取り敢えず邪馬台国ではないと思う。
しかし畿内はもっとありえない。
どちらも7万戸は無理。
九州北西部は福岡平野、筑紫平野、筑後平野をあわせればいけるか。
弥生稲作文化の先進地域だからね。
奈良盆地よりはずっと広い。
そもそも奈良が交易の中間地点なのはわかるが、卑弥呼の時代にそれ以上の意義を見出せない。
西日本をまとめた宗教的中心を想定するのはかなり無理がある。

253 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:09:21.58 .net
畿内は方角が違う
九州は距離が違う

だから場所を特定することができない

↑これが邪馬台国論争の小学校の教科書にも載ってる基本だからな

「ぴったり合致する場所はない」という前提をまず理解しろ

254 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:10:00.92 .net
>>253
九州は距離がぴったりですよ

255 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:10:15.61 .net
>>249
3週

256 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:14:25.59 .net
畿内は距離も方角も合っている。
南回り航路だから。

257 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:16:30.73 .net
>>252
福岡平野は奴国だ

邪馬台国筑後説の想定領域は大宰府以南の平野だろう
筑後説のおける卑弥呼の墓と仮定した原口古墳も大宰府の少し南にある

258 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:17:23.13 .net
>>254
>>256
子供の駄々
だったら社会科の教科書に文句いってこいや

259 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:23:21.71 .net
九州は距離と所要時間の二つが書かれているだけ。
距離は伊都国までで帯方郡からの距離の12,000里のうち少なくとも10,500里は費やしている。
残り千里余りでは九州を出ることはない。
ここまで全て一里が80メートルほどで書かれており、せいぜい残り100キロ余りで、福岡県を出るか出ないか。
九州北西部は距離がピッタリ。

260 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:23:29.80 .net
原本がなく改竄されたものを部分読みしたらダメだろ
移動の単位が変わってるんだからどこが書き直されたかすぐ分かるはず

261 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:23:58.34 .net
合っている場所がひとつだけあるのに(宇佐)
どうしてどこの場所も合わないことにしたいわけ?

262 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:25:27.92 .net
>>243
我こそはと思うやついないのか?
阿波、吉備、宮崎のやつはへたればっかりか?

263 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:28:24.68 .net
九州内の移動は3日で十分。
九州は100%ない。

264 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:28:32.24 .net
明治時代の日本兵が邪馬台国を大和朝廷だと勘違いして書き直したんだろwww

265 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:31:28.52 .net
>>262
阿波が一人いるくらいで、あとはみんな畿内か九州なんだろう。

266 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:34:47.30 .net
>>263
九州説では水行を川で想定してんだよ

しかも下流から上流へ川を逆行する行程だな
で、陸行も山越えルートを想定してる
馬のない時代に整備されてない山を草むら掻き分けながら荷物持って進むんだぞ?
お前いまの整備された道路進む感覚で考えちゃダメだよ

それが俺が宇佐説の距離を○にした理由な

267 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:38:11.41 .net
>>263
未開の土地を日中だけ草むらをかき分けながら進むんですよ
一月だと九州を横断できるほどすすまないと思います

268 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:40:55.93 .net
古代の宇佐って、今の宇佐と場所が違うらしいよ。
もっと北九州市に近い方。
関門海峡の迂回路で、遠賀川の流域。

269 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:43:56.57 .net
畿内説では日本海ルートを想定した
兵庫県あたりから上陸して陸行で1月なら奈良盆地に到着する
瀬戸内海ルートだと陸行1月と合致しない

270 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:45:13.57 .net
九州における倭人伝の官名と記紀の人物の対応

対馬国の官「ヒク」=アマテラスの息子「アマツヒコ」
壱岐国の官「ヒク」=アマテラスの息子「イキツヒコ」←これなんかまんまだよね
伊都国の官「ニキ」=アマテラスの孫「ニニギ」
投馬国の官「ミミ」=アマテラスの息子「オシホミミ」
不弥国の官「タモ」=アマテラスの孫「ホアカリ(別名クシタマ)」

271 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:45:44.03 .net
邪馬台国の周辺の国はみな九州北部。

1番目の斯馬国は嶋(志摩)、福岡県糸島市
5番目の彌奴国は嶺(三根)、佐賀県神埼郡三根村にある吉野ヶ里遺跡
8番目の姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番目の對蘇国は鳥栖の安永田遺跡(佐賀県鳥栖市柚比町)
16番目の邪馬国は八女の室岡・亀ノ甲遺跡(福岡県八女市)
17番目の躬臣國は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番目の巴利国は杷木(福岡県朝倉市)
19番目の支惟國は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番目の烏奴國は大野城趾(福岡県大野城市)
21番目の奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

272 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 21:49:56.19 .net
>>271
奴国は二つあるんだよ
そのまま解釈しろ

安曇氏の国だろ?奴国=博多湾の東側ってのは
安曇氏ってのは日本各地に飛び回ってそれぞれで国を築いてんだよ
代表的なのが安曇野じゃん

だから安曇氏の国=奴国が二つあってもぜんぜんおかしくないわけ

再掲説はちゃんちゃらおかしい
奴国ってのは伊都国と不弥国に挟まれた国なのになぜ不弥国や伊都国は再掲されないの?って話じゃん

273 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 22:07:24.06 .net
一理あるけれど、では最後の奴国はどこ?

274 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 22:19:42.63 .net
>一理あるけれど、では最後の奴国はどこ?

其餘傍國の21ヶ国の位置は全て判りません。

推定するに、福岡平野とその周辺の全域と筑紫平野周辺盆地。

275 :272:2016/09/18(日) 22:24:54.90 .net
伊都國、奴國と不彌國は佐賀平野な

276 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 23:00:03.18 .net
>>272
伊都国=女王国だったら、奴国は南に入るから、より分かり易くする為の再掲載なのは納得できる。

やはり、世有王は卑弥呼らの事だと私的には思ってるがね。

277 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 23:07:10.19 .net
では、伊都国が卑弥呼の居城、卑弥呼はニニギ王統でFA?

278 :日本@名無史さん:2016/09/18(日) 23:23:35.75 .net
なぜ九州説はみんな水行20日+水行10日+陸行1月を無視するんだ?
北九州から南回りで四国をぐるっと回って徳島あたりがトウマ国。
そこからまた南回りで紀伊半島をぐるっと回って伊勢志摩あたりに上陸して陸路1ヶ月で畿内じゃないか。
紀伊半島南部は敵対勢力のクナ国、瀬戸内海は吉備国があるので四国の南回り航路で奈良盆地まで来たのですよ。

279 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 00:13:21.92 .net
どう考えても邪馬台国は畿内だよな、今更の話だぞ。

280 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 00:32:04.24 .net
どう考えてんだよ、そんな事言ってんのもうお前だけだぞ。

281 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 00:46:26.08 .net
>>278
アルプス山脈から長崎までで5月の距離なのに
そんなに進まないよ

282 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 01:32:09.77 .net
投馬国はクレタ島

283 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 02:15:22.50 .net
>>274
俺はそうは想定しない

仮に邪馬台国が九州だとしても邪馬台国連合の30ヵ国すべてが九州に入るとは限らない

「邪馬台国九州説」の名前に引っ張られてすべてが九州内に入ると考えるのはミスリード

倭人伝には30ヵ国のうち後半21ヵ国については「遠絶のため不可得詳」と前置きして国名が挙げられてる

遠絶って言ってるんだからこれは九州から見て山脈を越えた南九州か、または四国・本州が想定されるでしょ

筑後平野から見て佐賀平野は遠絶にならない
隣じゃん

284 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 07:20:45.46 .net
魏志倭人伝は倭国(阿波)の事象を大変分かりやすく記述してくれている。
・帯方郡の東南の大海の中に在る
・男子は大人、子供の別なく、みな顔面と身体にいれずみをしている。
・倭の水人は、好んで水中にもぐって魚や蛤を捕る。
・稲や貯麻を植え、桑で蚕を飼って紡績をおこない、麻糸・きぬ・綿を産出する。
・倭の土地は温暖である。
・中国で白粉を用いるように、朱や丹を身体に塗る。
・その葬儀には、「棺」はあるが、「槨」はない。盛り土をして「冢」をつくる。
・真珠、青玉を産出する。
・山には「丹」を産出する。
・生姜、橘、山椒、茗荷が採れる
・東に海が在る
・その海を渡り、1000里行くと倭国(阿波)とは別の国が在る
・倭の地は周囲5000里
・銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を与えられた
・倭王は丹を献上した
・卑弥呼が死んだ時、倭人は直径百余歩の塚を盛大に作った

285 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 07:22:49.46 .net
>>271
これ中部地方の地名でも当て嵌まるだろ

286 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 07:27:53.60 .net
倭人伝による邪馬台国の条件
「方向:南」「距離:水行10日陸行1月」「戸数:七万戸」「東が海」

阿波 方向○ 距離○ 戸数○ 東が海○ 評価A
巻向 方向× 距離○ 戸数? 東が海× 評価D
宇佐 方向× 距離× 戸数? 東が海○ 評価B
筑後 方向× 距離× 戸数? 東が海× 評価C

(4つ一致=A評価 〜 一致0=E評価)

287 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 07:33:26.41 .net
倭人伝による卑弥呼の墓の条件
「棺あって郭なし」「殉葬者あり」「径百歩」「前方後円墳の記載なし(円墳が想定)」

天石門別八倉比賣神社(阿波) 郭○ 殉葬? 径百歩○ 円墳○ 評価A
箸墓(畿内) 郭× 殉葬× 径百歩× 円墳× 評価E
原口(筑後) 郭△ 殉葬○ 径百歩○ 円墳△ 評価B
亀山(宇佐) 郭○ 殉葬○ 径百歩不明 円墳○ 評価B+

288 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 08:05:39.44 .net
なんだ、結局箸墓が卑弥呼の墓なんだな。

289 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 08:20:49.02 .net
○×厨の評価:判定不可

担任からの父兄への連絡
普段から言動に虚言癖があり、他人に迷惑をかける事が見受けられます。
また自己主張が激しい為、他人の意見を聞く努力をさせましょう。
情緒不安定な面もあるので、小動物等を飼育させたりせるのも良いでしょう。

290 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 11:22:10.18 .net
ww

291 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 11:33:36.18 .net
阿波説、罪のない徳島人が迷惑している
言動を慎みなさい

292 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 11:40:57.87 .net
>>286
>>287
なるほど阿波説の人ありがとう

293 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 11:42:18.48 .net
自演臭いなw

294 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 13:18:25.88 .net
>>283
>倭人伝には30ヵ国のうち後半21ヵ国については
>「遠絶のため不可得詳」と前置きして国名が挙げられてる

「遠絶」の意味。
遠方であったり、交流が途絶えている。

「遠絶」の基点は、對馬國から邪馬台国までのルート上の国々。
即ち、対馬―壱岐―唐津―佐賀平野ー北野地域筑後平野のルート地域上である。

上記ルート地域から「遠絶」なのは、
@佐賀平野の西方にある白石平野、武雄盆地、多久盆地
A北野地域の東方にある日田盆地
B筑後平野の東方にある黒木盆地
C唐津の北東、佐賀平野の北方、北野地域の北西にある福岡平野(糸島市-福岡市-宗像市)
以上の4地域である。

295 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 13:31:09.49 .net
>>294
もちろんそのへんを含めても構わない
否定材料はない
同様に九州説であっても本州・四国に領域が広がっていたことを否定する材料もない

296 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 14:14:27.34 .net
何も決まらない、意味がない

297 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 15:27:44.67 .net
矢倉姫古墳が250〜280年のものだとした理由は?

298 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 15:40:29.04 .net
魏志倭人伝の文を見ると
投馬國、邪馬壹國の部分だけ他と書き方が違うことがわかる
複数の文書を織り交ぜた可能性もあるし、伝聞と実測を含めた可能性もあるし
すべて実測だった可能性もある

現状で奴国、伊都国がほぼ決まってることにより
方角は正確とは言えなく、不彌國までは日の出の場所を東にしているだろうと言える
それ以後の2国は日の出の方角を東とした方角なのか、正確な方角なのか、その他なのかは不明である

同様に距離も不彌國までは支那の長里とは違って、1/5ぐらいであることがわかっている
しかし、萬二千餘里がその短い里なのかは確実ではない

日数は倭の距離の測り方だった可能性があり、この場合4q程度が1日らしい
水行二十日が、80qぐらいの意味なのか、実際かかった日数なのかは不明

要は、方向、距離の部分では九州説も畿内説も他の説も説明できてしまうから
これでは特定は無理なんだな

299 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:15:01.15 .net
邪馬台国の周辺の国はみな九州北部。

1番目の斯馬国は嶋(志摩)、福岡県糸島市
5番目の彌奴国は嶺(三根)、佐賀県神埼郡三根村にある吉野ヶ里遺跡
8番目の姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番目の對蘇国は鳥栖の安永田遺跡(佐賀県鳥栖市柚比町)
16番目の邪馬国は八女の室岡・亀ノ甲遺跡(福岡県八女市)
17番目の躬臣國は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番目の巴利国は杷木(福岡県朝倉市)
19番目の支惟國は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番目の烏奴國は大野城趾(福岡県大野城市)
21番目の奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

300 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:15:43.16 .net
九州北部地域内を水陸合わせて2ヶ月も移動するなんてありえないでしょう(笑)

301 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:19:01.29 .net
2ヶ月も移動したら日本列島から出てしまうな
カムチャッカ辺りかなw

302 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:23:10.98 .net
>>297
害児の妄想

303 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:28:17.35 .net
>>299
アホ、そんな場所に14万戸もはいるかよw
当時は高句麗で三万戸の時代だ。
だから九州説なんて誰にも相手されないんだぞ。

304 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:32:34.29 .net
>>303
何回言ったらわかるんだ?
すべてぴったり合致する場所はない
どこも一長一短だ
それを前提に考えろ

305 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:35:32.19 .net
八倉ヒメ神社の年代がわからないため阿波説は保留

まとめ
>>188
>>190
>>193


宮崎説、吉備説くわしいやつ書き込んでくれ

306 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:36:34.04 .net
吉備は楯築古墳かな?
書き込みよろしく

307 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 16:49:25.63 .net
>>304
最低限の知識を持ってから書き込め。それが前提だろ。

308 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:00:51.40 .net
奴国も投馬国も成立しての邪馬台国だからな。
北部九州は最初から比較対象のスタートにすら
立てない事を理解できないのかな?
倭人伝を完全否定しない限り、九州説なら
九州南部位しか成立する場所はないんだよ。

309 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:01:21.45 .net
水銀が採れる徳島一択

310 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:05:56.83 .net
>>308
いや、全然根拠になってないから。
南九州なんて、北部以上に有り得ない。
そんなところに魏まで交渉できた勢力の痕跡はない。

311 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:10:22.31 .net
>>297
矢倉姫古墳など存在しない。

一般的な古墳ではなく、いわゆる「冢」か。

山自体が天石門別八倉比賣神社のご神体のため、調査不可。

創建の年代は不詳であるが、社伝には天照大神の葬儀の様子が記されている。

日本唯一の御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%80%89%E6%AF%94%E5%A3%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

312 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:17:25.20 .net
>>310
未発掘の可能性を指摘したまでの事。でも北部九州はダメだろ、
遺跡が出れば出る程ダメ。既に伊都や奴国があるのは誰も否定しないし。
そこにさらに投馬国をも無視してどうやって邪馬台国を比定するの?
倭人伝を最初から否定しない限り無理だろう。

313 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:30:14.60 .net
>>308こいつとかほんとわかってないな

畿内は方角が違う
九州は距離が違う

だから場所を特定することができない

↑これが邪馬台国論争の小学校の教科書にも載ってる基本だからな

「ぴったり合致する場所はない」という前提をまず理解しろ

314 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:32:25.21 .net
水銀が取れるのは必要条件ではない

邪馬台国30ヵ国の内に水銀が取れる場所があればいいだけ

つまり何説も否定されない

315 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:37:47.63 .net
米も租を徴収したと考えれば、七万戸が入る広さの平野があればよい

316 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:39:24.72 .net
>>314
>邪馬台国30ヵ国の内に水銀が取れる場所があればいいだけ

水銀が取れるのは、女王国。

だから女王国は徳島一択

317 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:41:09.41 .net
さらに陸行一月の距離に5万戸が入る広さの平野がある

318 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:45:42.01 .net
投馬国=つま=妻
邪馬台国と投馬国は夫婦の関係
九州北部の米はこの2か国に集まっていた

319 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 17:58:43.63 .net
>>303
高句麗が三万戸なのは歴史と地理、そして魏書を読めばわかるだろうに

320 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 18:01:01.59 .net
筑後川流域にあった多数の小さな国々は
もっぱら邪馬台国と投馬国の搾取の対象であり
倭人伝でもその他扱いされている

321 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 18:02:53.41 .net
特定出来ないと言う前提など無い

322 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 18:08:01.81 .net
稲作の発達によって人口が膨大に増えた
半島や瀬戸内・近畿よりも格段に人口が多かった
人口が増えすぎてぎゅうぎゅうになり
押し出されるようにして半島や近畿に進出するようになる

323 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 18:18:05.68 .net
>>322
>稲作の発達によって人口が膨大に増えた

弥生時代の大洪水で、稲作は激減した。

324 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 18:18:06.41 .net
筑後川流域の国々がみな小国にとどまったのは当時治水技術がなかったからだ
当然に邪馬台国や投馬国はそこには存在しえない

325 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 18:54:56.36 .net
>>316
辰砂水銀が大規模にとれてたのは徳島だけ
他、豊後や大和や三重でも取れてたと推測されている

ただ、大規模に取れていたことがかなり徳島説を消す
理由は邪馬台国は辰砂を大陸から輸入してたからね

326 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 18:57:41.86 .net
>>323
それが倭国大乱

327 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:04:34.10 .net
>>325
>ただ、大規模に取れていたことがかなり徳島説を消す
 理由は邪馬台国は辰砂を大陸から輸入してたからね

辰砂を大陸から輸入してのは、弥生時代中期までの九州勢・山陰勢だけ

328 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:11:41.65 .net
>>325
畿内説の場合は纏向のすぐ背後が宇陀鉱山なのが有利だろ。
それに3世紀後半の奈良の古墳からは大量に水銀朱が使われてるのも
無視できないからな。
阿波じゃ誰が採取してたかまで特定できない。

329 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:14:10.92 .net
卑弥呼の死因は水銀中毒か

330 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:16:27.51 .net
>>313
本当にわかってないのはお前。
小学生レベルの話をしたいのかよw

戸数と距離はセットで考えないと意味ないだろ
二万、五万の国がどれだけの広さが必要なんだ?
入る場所のない北部九州は最初から候補ですらない。
高句麗が三万戸だと何度も出てるだろ。

331 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:18:05.23 .net
卑弥呼は魏からも辰砂をもらったしな

332 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:22:34.01 .net
>>328
宇陀鉱山も阿波の採掘工人が採掘していた。

333 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:26:39.36 .net
戸数も距離も信じても答えが出ないんだからでたらめなんだよ

334 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:35:38.12 .net
>>330
南九州に時代の合致する古墳があるなら挙げてみ

335 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:36:35.48 .net
>>333
何もかもでたらめで卑弥呼なんかいなかったってことだな

っていう結論を導きたいのか?

336 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:37:17.77 .net
高句麗は魏にボロボロにされた上に水田作れる場所がない不毛地だからな
この時代より後に大成する

337 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 19:46:42.77 .net
>>332
宇陀には弥生集落も存在するし阿波に関する
痕跡がないからそれはさすがにないよw

338 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 20:02:46.69 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

339 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 20:03:45.59 .net
>>328
>阿波じゃ誰が採取してたかまで特定できない。

宇陀じゃ誰が採取してたかまで特定できない。

340 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 20:05:37.98 .net
>>337
>宇陀には弥生集落も存在するし阿波に関する
  痕跡がないからそれはさすがにないよw

宇陀じゃ誰が採取してたかまで特定できない。

341 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 20:20:59.47 .net
まあ、わかることは、朱丹、鉄、銅ともに、
北部九州が出土の中心であり
これらの交易も北部九州が
中心になっていたということだな。

342 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 20:53:20.54 .net
>>340
宇陀の集落に住んでる連中は何をしてたんだよw
対して阿波の鉱山の近所には集落はないからな。
外部から来ていた可能性が高い。

343 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 21:28:46.78 .net
>>342
>宇陀の集落に住んでる連中は何をしてたんだよw

阿波の採掘工人が採掘していた。

>対して阿波の鉱山の近所には集落はないからな。

鮎喰川下流域集落群・那賀川下流域集落群

想定される生産形態
・土器以外の生活用具が少ないが、生活用具のほとんどが揃っている
・籾痕の付いた土器や鹿・猪・貝類=一定期間生活
・岩盤直上に営まれる→近くの集落の人間が農閑期に行う特産的生産レベルのものではなく、
 分業化された専門工人集団の生産
・ハマグリ・オキアサリの成長線分析→採取時期は夏期後半から秋期後半

 若杉山遺跡の採掘作業は、夏季後半から秋季後半に行われていた可能性
              (徳島県立博物館1997・岡山1998)

朱の近畿や吉備への移出
 集落の水銀朱精製遺跡、水銀朱を多用する墳墓、古墳の時期および集落の同一遺構における石臼、石杵、朱容器のセットでの出土確認により、
 若杉山遺跡(阿南市)で辰砂採掘→鮎喰川下流域(徳島市)で叩き潰し・すり潰し→黒谷川郡頭遺跡(板野町)で叩き潰し・すり潰し→近畿や吉備

344 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 21:45:51.79 .net
奈良は阿波の人たちの勝手切取り御免の地。

345 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 21:55:29.73 .net
高句麗は九州よりはるか北にあり、耕作に適さない土地ばかり。
現代でも飢餓に襲われているらしいからな。
温暖で、稲作文化の先進地域であった九州北部は筑後川の恵みで大きな人口を支えることができる。

346 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 21:58:07.93 .net
>>345
>温暖で、稲作文化の先進地域であった九州北部は筑後川の恵みで大きな人口を支えることができる。

九州北部が温暖???

347 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 22:04:39.05 .net
弥生時代は寒冷な時代だからな

348 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 22:06:08.06 .net
高句麗よりははるかにね。
少なくとも、稲作ができるくらいには。

349 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 22:10:06.73 .net
>>343
水銀朱精製跡は吉野や伊勢のが古いからな。
むしろ紀伊半島から阿波へ人が移っていったんだよなw

350 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 22:11:17.93 .net
やっぱ、高温多雨の太平洋側四国だな。

351 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 22:14:03.40 .net
>>349
>水銀朱精製跡は吉野や伊勢のが古いからな。

古くから、吉野や伊勢は阿波の人たちの勝手切取り御免の地。

352 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 22:17:48.71 .net
>>351
吉野や伊勢の支店長=紀伊忌部氏

353 :日本@名無史さん:2016/09/19(月) 23:52:45.70 .net
扶余の満州平原と倭の筑紫平野では、穀物の収穫量は全く異なる。

低湿地の筑紫平野では、小面積水田に短粒種を植えれば、
単位面積当りの米収量は江戸初期と変わらない。

乾燥小雨の満州平原で粗放栽培の高粱を植えても、
面積当りの収量は、短粒種水稲の1/20以下の収量。

扶余「方可二千里 戸八萬」=2万戸/方可千里
倭14万戸筑紫平野「方可五百里推定」=50万戸/方可千里

扶余も倭もその国土に於ける目いっぱいの人口を擁している。

354 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 00:13:06.78 .net
現代でなくて弥生で
筑後川の低湿地を水田に使えたかってところが怪しいな

14万戸、筑紫国と豊国とかならわからなくはないし
投馬国を除いた9万戸なら余裕だろうな

355 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 00:29:47.88 .net
大川にも弥生遺跡があるからな。
場所にもよるだろうが

その頃から大川付近では耕作が可能で、
感慨技術が進むに連れ、
田畑も増えてきたということだろう

356 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 02:27:11.56 .net
>>330
南九州に時代の合致する古墳があるなら挙げてみ

まだですか?

357 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 10:34:42.72 .net
南部九州は、古墳時代中期(5世紀)からだね。 狗奴国だから、文化到達が遅れた。

358 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 17:32:28.48 .net
>>354
筑紫に14万戸も無理やりぶちこんだら行程距離をも
完全否定しないとダメだけどな。
それに遠くて詳細が判らないとする内容にも矛盾している。

359 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 19:53:57.85 .net
晋書に魏の時代に至って、三十国が通好してきた戸数は七万とあるから
北部九州で七万戸じゃないかな

360 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 20:01:50.65 .net
吉備や畿内で貨泉が出てるのにそれは無理だな。

361 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 20:29:18.29 .net
>>360
その吉備や畿内の貨泉 阿波からもたらされたものだろう。

地表面から30cmの深さで備前焼の系統の大甕が見つかり、その中から81種・7万88枚、県内最多の古銭が発見された。銭は甕の底部10cmほどがひもでまとめられ、その他はバラバラの状態で入れられていた。

銭のほとんどは、中国から輸入されたもの。その中で最古のものは紀元14年につくられた「貨泉(かせん)」

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%B3%A4%CD%DB%C4%AE%2F%C2%E7%CE%A4%BD%D0%C5%DA%C1%AC

362 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 20:34:06.62 .net
貨泉に限らず、
通貨は想像を絶するくらい
長く流通するもので、
18世紀までローマ帝国の金貨が
北欧で使われていたそうな。

363 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 20:37:44.38 .net
あと、貨泉に関しては、
少なくとも10種類以上の違うデザインがあり、
かなり広い期間と地域で作られた
形跡がある。

364 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 20:48:40.51 .net
矢倉姫神社古墳と称する古墳はありません
この神社(神社格式:正一位)が鎮座する気延山の一画・杉尾山自体が御神体とされており
現在判明している範囲でも約300の古墳が密集していますし、その周辺にも白鳥古墳群などが
集積し気延山の周囲にある古墳の数は詳細には調査されていません
この神社の奥の院とされている場所はあるTV局の非破壊調査では長方形の構造物が埋まっておりますが
発掘調査は許可されていません
延久2年、阿波の国司が当神社の祈念月次祭に奉幣を怠ったことを、太政官符にて「この神社の祈念月次祭は
邦国の大典也」と叱責しています、歴史が好きな方なら太政官符の重要性は理解できますよね
この神社には阿波古代文字にて書かれた文書が伝わっており、その内容は古事記に書かれた
国生みの次第から天照大神の葬儀まで詳細に記録されています
延喜式に記録された阿波の式内社の一つです
阿波の縁起式内社の一つに和多都美豊玉比売神社がありますが、この方、どのような方か
ご存じですよね・・・・神武天皇の祖母ですよね
豊玉比売の尊称を冠する神社は徳島にだけしか無いですよ
阿波の古代の古墳については後日お知らせしましょうね
(古墳時代以前に造られた初期前方後円墳なので、お馬鹿な学者たちはこれらを古墳として認定せず、
 墳墓として扱っていますね、多分自分たちの説に合わないからでしょうね)

365 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:11:27.13 .net
>>361
出土品の環境は阿波より吉備や河内の遺跡の方が古いぞw
それに阿波で弥生中期の鏡なんてのも出てないしな。

366 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:16:07.04 .net
結局阿波へも人は丹波から畿内経由で人が入っていったんだよ。
で、そこから九州南部へ渡ったのが天孫降臨。

367 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:23:03.24 .net
阿波はスルーで

368 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:23:53.71 .net
>>365
>出土品の環境は阿波より吉備や河内の遺跡の方が古いぞw

なんという遺跡?

369 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:26:02.94 .net
弥生時代、貨泉の出土した遺跡で調べたら?
阿波のは色々時代が混じってるので参考にはならないからな。

370 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:27:31.00 .net
>>366
>結局阿波へも人は丹波から畿内経由で人が入っていったんだよ。

丹波から阿波へ人が入ってきた証拠は? 丹波発祥のもので全国に拡散したものってなに?

371 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:29:37.69 .net
海部氏系図ではまず丹波に天孫降臨があった事になるからな。

372 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:34:31.52 .net
>>371
>海部氏系図ではまず丹波に天孫降臨があった事になるからな。

考古学の裏付けは? その丹波ってどこ?  

373 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:41:47.75 .net
考古学の裏付けを言い出したら高千穂への天孫降臨もないよなw
海部氏系図と言えば籠神社で、鏡もずっと所蔵してただろう。

374 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:42:58.62 .net
丹波あたりは水銀鉱床があるんだよな。九州北部の倭人にとっては喉から手が出るほど欲しい丹がたくさん取れるね。http://kamnavi.jp/ny/kouzou.gif

375 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:47:38.51 .net
>>373
>考古学の裏付けを言い出したら高千穂への天孫降臨もないよなw

だから、トンデモだろ?

376 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:49:29.48 .net
丹波は弥生後期には鉄も多いしな
南下すればそのままヤマト入り。

377 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 21:50:56.75 .net
>>373
>海部氏系図と言えば籠神社で、鏡もずっと所蔵してただろう。

籠神社ってどこの?

378 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 22:02:39.67 .net
>>377

阿波国美馬郡の「美都波迺売(みつはのめ)神社」

379 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 22:11:22.26 .net
九州北部の倭人が日本海側から丹波を通り三輪王朝を作り、次は九州南部の倭人が瀬戸内海を通り河内王朝を作った。最後は高志の継体天皇だなー。

380 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 22:27:32.88 .net
貨泉は弥生時代の遺跡から阿波からは発見されてないんだな、じゃダメじゃんw

北部九州、吉備、出雲、河内までは確認出来るのにな。

381 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 22:33:34.67 .net
海部氏本系図には日本得魂命とか出てくるからなー。そんなに古くなさげ。海部氏はもともと葛城高尾張出身の尾張氏の末だろう。籠神社はもともと葛城高尾張にある葛木坐火雷神社が発祥だろう。主祭神は火雷大神と天香山命。あと大日霊貴尊。

382 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 22:45:32.20 .net
まあ丹波辺りがが投馬国だろう。
その南側に邪馬台国が広がっている。
投馬の丹波地方は葛城地方にある当麻辺りと関係が深いのはその証拠だな。

383 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 22:47:43.52 .net
>>381
>海部氏はもともと葛城高尾張出身の尾張氏の末だろう。

海部氏本系図は名の通り、阿波の海部一族(海洋有力者)の系図

籠神社は、阿波国美馬郡の「美都波迺売(みつはのめ)神社」が勧請元

384 :日本@名無史さん:2016/09/20(火) 23:08:36.51 .net
>>383
丹生川上神社と同じ水の神様だな、阿波は。しかし今は彦火明命 だからねー。もともとは籠神社は蛟を祀ってたのかもしれんね。

385 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 00:11:44.76 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

386 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 00:12:51.62 .net
まあ阿波より葛城の方が古いと思うけどね。

387 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 00:50:49.29 .net
>>383
まさかの阿波説の台頭
(゚Д゚)

388 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 01:34:22.29 .net
阿波はないよw

389 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 01:59:10.19 ID:KxJzinq1e
アワと消えた

390 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 04:59:56.73 .net
阿波で間違いないな
九州から畿内への権力移行の過渡期が3世紀だから
位置的にも間の阿波が都に選ばれた

391 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 06:49:09.51 .net
>>390
>位置的にも間の阿波が都に選ばれた

弥生人にとって、阿波は理想の土地。温暖な気候・大河の恵み・大海の恵み・森林の恵み・鉱物の恵み

阿波に人が集まり、文化が発祥・全国展開したのは、当然といえば当然。

392 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 07:11:04.08 .net
弥生中期に貨泉も鏡も出てないなら阿波は候補から脱落だな

393 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 07:17:35.13 .net
>>392
貨泉が命の綱? 他は?

394 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 08:33:25.52 .net
水行十日陸行一月とかありえんよね。陸行一日の間違いだろ。帯方郡から一万二千里だからねー。

395 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 09:24:14.62 .net
>>393
逆、少なくとも漢代から交易してた倭の主要な都なら出ないとダメでしょ。
更に遠方の河内の八尾付近なんて結構確認されてるのに。
しかも河内の大県からは鏡も出てるんだしな。

396 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 09:44:36.38 .net
>>395
貨泉に限らず、
通貨は想像を絶するくらい
長く流通するもので、
18世紀までローマ帝国の金貨が
北欧で使われていたそうな。

あと、貨泉に関しては、
少なくとも10種類以上の違うデザインがあり、
かなり広い期間と地域で作られた
形跡がある。

397 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 09:48:29.26 .net
>>394
>水行十日陸行一月とかありえんよね。陸行一日の間違いだろ。帯方郡から一万二千里だからねー。

デタラメ説だから、有り得ない。 デタラメ説ならでは。

398 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 09:54:39.14 .net
井沢元彦に聞くのが良い

399 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 09:55:59.48 .net
>>395
>しかも河内の大県からは鏡も出てるんだしな。

すごい、スゴイ

400 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:04:11.53 .net
弥生から古墳時代の貨泉は九州から瀬戸内海沿岸が多いね。交易してたのかもしれんね。

401 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:11:25.32 .net
九州から瀬戸内海沿岸で産する交易品てなに? 

402 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:12:00.59 .net
>>396
だから新しい貨幣と混ざって出土した阿波を除外してるんだろ。
河内平野の遺跡は弥生中期〜後期の物から出土している。
また吉備の弥生中期と目される高塚古墳では日本最多数の出土があるぞ。

403 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:12:22.63 .net
文書として残っているものを
どちらともとれる事を議論するのは良いが
根拠なく間違いと言うのはどうなんだろ

それでしかなしえない説は除外すべきだよな

404 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:15:25.02 .net
>>402
貨泉が命の綱? 他は?

405 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:18:06.86 .net
畿内への方角間違い説は既に根拠もあるしな。

406 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:18:52.74 .net
>>404
河内の大県の鏡なんだって!

407 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:20:02.96 .net
>>405

すごい、スゴイ

408 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:21:51.24 .net
>>406
御所の葛城山麓から出土品した同型の多紐文鏡出てるだろう。

409 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:22:44.12 .net
>>405
おー発表してくれ
今のところ朝鮮人が間違えたぐらいしか
説がなくて根拠がないんだ

410 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:30:20.48 .net
沖縄位に位置している国とあるなら南に向かうのは当然だろう。

411 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:37:06.02 .net
会稽の東って奴か
南に向かうって奴の起点が韓国や帯方郡ならその説も良いんだけどな

412 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:45:17.17 .net
15世紀?あたりのチョンが作った地図だ。3世紀の陳寿も同じくらいの認識だろうな。しかし倭に行った魏使もいるのも確か。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/ea/b014f9989122dedd841e6117b1de724e.jpg

413 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:55:40.02 .net
あと倭人伝にある丹山の存在な。
実際の沖縄には丹山はないが、中国の南方に丹山が多いというのは
当時の常識なんだよ。だから丹山があるなら南という思い込み。

414 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 10:57:18.25 .net
>>412
つーか、倭人伝あたりをもとに書いたと思われ。

415 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 11:26:17.94 .net
>>401
女王国(阿波)は魏に丹を献上しているね。

416 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 11:55:21.96 .net
>>401
そして、女王国(阿波)は魏から真朱を下賜されている。

417 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 11:56:51.96 .net
でも鏡は無し、ダメじゃんw

418 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 12:12:25.92 ID:KxJzinq1e
阿波が諸国の中心を勤めることは不可能。
諸国がサヌカイトを取りに集まるぐらいの賑わいしかない。

419 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 12:01:31.97 .net
水銀朱を送り鉛丹をもらったわけだな。山にある丹はベンガラだなー。

420 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 12:05:18.08 .net
>>417
鏡?

中国朱が検出された萩原墳墓群・天河別神社古墳群のある地域を支配していた有力者は
当時、魏と交流していたことがうかがえます。
その、魏の水銀朱が使われた萩原古墳群から出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群から出土の斜縁二神二獣鏡

魏から下賜された鏡は、この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかの可能性が高い。 

421 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 12:25:10.36 .net
畿内より少ないのは論外。
また鏡でも弥生中期の物がないとね。

422 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 12:32:21.07 .net
>>421
>畿内より少ないのは論外。

すごい、スゴイ

423 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 12:34:21.18 .net
>>419
魏からもらったのは真朱=水銀朱=辰砂だよ

424 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 12:46:24.01 .net
>>421
>また鏡でも弥生中期の物がないとね。
弥生中期の物?

魏や卑弥呼は弥生中期だったっけ?

425 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 12:56:12.16 .net
なんか、弾き飛ばされっぱなしって感じ。

426 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 13:53:11.72 .net
末盧国から伊都国まで陸行するのが謎だなー。今ですらトンネルだらけなのに。草木が茂った暑い盛りに500里も陸行するとはご苦労なこって。

427 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 14:24:02.54 .net
>>426
末盧も伊都も比定地が違うか、実は陸行してなかったとかだろうな

428 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 14:34:35.43 .net
>>424
それで七万戸もの国の都として相応しいかな?
普通は弥生中期から半島や大陸と古くから交易してるだろ。
現在阿波にはそれが無いのが致命傷だね。

429 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 14:42:11.08 .net
鏡や貨泉の他、水銀朱精製跡や水田跡も
現状では阿波より畿内のが古いしね。
先入観を捨ててみれば考古学的には阿波へは
畿内から人が渡っていった事になる。

430 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 14:45:02.59 .net
>>428
>普通は弥生中期から半島や大陸と古くから交易してるだろ。

女王国(阿波)は、現に魏や卑弥呼の時代に半島や大陸と交易している。

女王国(阿波)は、七万戸もの国の都として相応しかったということ。

431 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 14:48:49.66 .net
>>429
>鏡や貨泉の他、水銀朱精製跡や水田跡も
  現状では阿波より畿内のが古いしね。

妄想  根拠なし

432 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 14:53:42.60 .net
>>429
>先入観を捨ててみれば考古学的には阿波へは
  畿内から人が渡っていった事になる。

先入観を捨ててみれば考古学的(石棒・薄型土器・辰砂・積石墓等)には畿内へは

倭国(阿波)から人が渡っていった事になる。

433 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 14:55:59.37 .net
しっかりした根拠あるだろうw

畿内ですらあるのに弥生中期の阿波には貨泉も鏡もない。
それで終了だなw

434 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 14:59:04.65 .net
>>432
まぁ丹生の精製跡も紀伊半島吉野のがずっと古いしね。
まぁ阿波は所詮畿内から人が渡って開いた国なんだろう。

435 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 15:06:12.82 .net
>>433
>しっかりした根拠あるだろうw

これ? (石棒・薄型土器・辰砂・積石墓等)?

436 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 15:31:48.50 .net
>>433

弥生中期の畿内には貨泉も鏡もあるって喜んでるけど、

魏朝や卑弥呼の時代には、なんもないの? 魏と交流したもの。

437 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 15:49:46.87 .net
なんか、弾き飛ばされっぱなしって感じ。

438 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 16:39:33.36 .net
>>427
末盧国の先端の港である呼子あたりから一大率のいる伊都国まではそれなりに道があったのかもしれんね。海がシケる事もあるだろうし。兵隊送るにも陸路の確保は必要だな。壱岐や対馬もあるしなー。

439 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:15:10.25 .net
>>436
畿内各地の神獣鏡に黒塚のU字型鉄器、巻向の背後の丹山、
沢山ありますね。

440 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:17:56.27 .net
>>435
調べても阿波には大した水田跡もないんだな。

441 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:18:52.48 .net
>>439
お粗末 へたくそ  ひっこめー

442 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:40:31.42 .net
>>438
唐津から伊都国までなら山道だけど古代道があるよ

>>426
海側の道は近代まで使えるものではないよ

443 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:43:52.49 .net
>>442

末盧国=唐津は対馬海流に流されて、有り得ない。   終わりw

444 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:45:52.98 .net
>>441
なんだ、アスペかよ

445 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:46:57.81 .net
>>440
阿波はずっと米じゃなくて粟を作ってたからな

446 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:47:00.07 .net
>>443
唐津呼子間は知らん

447 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:48:49.80 .net
>>446
意味分からん

448 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:50:20.09 .net
末盧国の住民が後の時代に今の松浦半島に移住した可能性もあるから
当時の末盧国は場所が違ったかもしれんね

449 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:50:36.28 .net
アスペ戦隊、アワレンジャーズ

450 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:51:43.63 .net
>>447
>>447=>>443か?

もっと東にあったと言いたいのか?

451 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:54:51.60 .net
>唐津呼子間は知らん

意味分からん なにを知らんの?

452 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 17:57:07.73 .net
>>451
古代道があったかだけど?

453 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:01:31.98 .net
>>452
呼子が末盧国で、唐津が伊都国?

454 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:07:40.16 .net
おまえらわざとやってんだろー。ワロタ。

455 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:08:55.69 .net
ばれた?

456 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:11:31.94 .net
そういや、阿波さんは潮が重要だったなー。確か呼子に辿りつけない案件だったっけ?

457 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:14:07.78 .net
>>453
呼子も唐津も末盧国
伊都国は三雲とかでしょ

458 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:14:55.10 .net
壱岐から阿波に流されるのかな

459 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:17:27.27 .net
>>457
呼子も唐津も末盧国では、有り得ない。

460 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:22:00.78 .net
>>459
そかそか。ありえないか

461 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:29:05.37 .net
元寇も博多湾だな。

やっぱ、呼子も唐津も末盧国では、有り得ない。 海流はんぱない。

462 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:34:13.35 .net
>>461
元寇は対馬→壱岐→松浦半島だよ

463 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:34:18.74 .net
>>461
いや、壱岐から二手に分かれた。伊万里湾と博多湾。秀吉は肥前名護屋を基地にしてたなー。

464 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:35:16.06 .net
魏使は何に乗って漂流してきたんですか

465 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:41:18.78 .net
>>463
伊万里湾は、出航地では?

466 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:44:00.65 .net
>>463
伊万里湾に防塁あるの?

467 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:49:25.30 .net
伊万里湾は2回めの弘安の役だよね
元々二手に分かれてた元寇が合流した場所で台風にあったって言われる場所

>>464
ジャンク船かその古代版の帆船

468 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:54:12.22 .net
ジャンク船とか当時の帆船をバカにするのが目的ですか

469 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:54:43.86 .net
>>467
訂正サンクス。

470 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 18:57:09.14 .net
>>467
逃げ帰るために伊万里湾に集結してて、台風にあったんじゃないの?

471 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:01:23.02 .net
最近、伊万里湾で船の竜骨が見つかったみたい。http://inoues.net/ruins2/imariwan.html

472 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:06:16.59 .net
>>470
二手のうち、別働隊側は
博多湾の北九州側に上陸しようとして失敗して
壱岐でもボロボロにされてからの合流だな

本体が無傷だったけど逃げ帰る予定だったのかはわからんな

>>468
んどした?

473 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:18:16.67 .net
>>472
>本体が無傷だったけど逃げ帰る予定だったのかはわからんな

逃げ帰るための伊万里湾合流だろう。博多湾からは朝鮮半島へ着けなかったから。

474 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:20:37.36 .net
>>473
本体は平戸から伊万里湾に来たところだよ

475 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:22:59.64 .net
>>474 :
>本体は平戸から伊万里湾に来たところだよ

本体の平戸へは、中国本土を出航したから。

476 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:31:29.11 .net
倭人伝では対馬も壱岐も「亦南北市糴」だからなー。呼子あたりに買い出しに来てたんだろうな。

477 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:38:41.68 .net
呼子を目指して、着いたのは福間だな

478 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:41:28.70 .net
>>475
そうだけど

479 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:43:32.19 .net
畿内に行きたいなら志賀島あたりを目指したいよな。しかし持衰にはなりたくないなー。

480 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:44:53.28 .net
阿波さん、お薬ちゃんと飲んで下さね。それではお大事に

481 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 19:56:37.27 .net
他にいいスレないし。阿波さんのスレ面白いと思うんだけどなー。

482 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 20:01:49.50 .net
邪馬台国畿内説 Part150 [無断転載禁止]©2ch.net



ここはスレ主が暴れる。スレ主が他スレ荒らす。

483 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 20:22:26.89 .net
>>478
>そうだけど

だから、日本を脱出して朝鮮半島に帰るには、伊万里湾以西からじゃないと無理だったんだよ。

484 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 20:34:57.23 .net
アワチューがアワアワ言ってパニクってると聞いて

485 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 20:39:28.39 .net
>>354
>現代でなくて弥生で 筑後川の低湿地を水田に使えたかってところが怪しいな

低湿地があるのは筑後川下流域中流域だけではない。
八女川、嘉瀬川、旧三潴郡(水沼)、背振山系南麓にもある。
筑紫平野はあらゆる場所が低湿地である。

>筑紫に14万戸も無理やりぶちこんだら行程距離をも
>完全否定しないとダメだけどな。

行程距離方向を正確に読むと、
伊都國、奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國、女王國になる。

>それに遠くて詳細が判らないとする内容にも矛盾している。

「遠絶不可得詳」の意味は、
「遠くて詳細が判らない」ではなく、
「遠距離であったり、交流が途絶していて、詳細がわからない」である。
隣の国でも「遠絶不可得詳」が有り得る。

486 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 20:40:01.92 .net
  
倭3ヶ国で14万戸の人数(人口)

蜀では、1戸の構成人数は、男女老6人。
呉では、1戸の構成人数は、男女5人。
以上から、三國志の1戸構成は、男2.5人女2.5人平均と推定できる。

一方倭では、「其俗、國大人皆四五婦、下戸或二三婦」であるから、
倭國乱が続き多くの男は戦死し、男は1戸に1人しかいない状態で、
倭の1戸構成は、男1.0人女2.5人平均と推定でき、1戸の成年男女は3.5人となる。

以上より、倭の14万戸の人数(人口)は、50万人である。
筑紫平野には、約50人が住んでいたのである。
筑紫平野(南北:筑紫野市〜大牟田市、東西:小城市〜うきは市)

487 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 20:46:59.49 .net
50人はすくないんじゃないかな

488 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 20:48:29.37 .net
>>485
>「遠距離であったり、交流が途絶していて、詳細がわからない」である。
  隣の国でも「遠絶不可得詳」が有り得る。

隣の国は、「遠距離であったり、交流が途絶していて、詳細がわからない」「遠絶不可得詳」が有り得る

が、わざわざそんなレアをここでは記述しない。

489 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 21:15:36.28 .net
まだやってたのかw
これ徳島で決まったよ

490 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 21:22:19.60 .net
50人w

491 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 21:31:31.53 .net
さあ、どれにする?
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=11IgH4m8Z53UUGbURTr4WSZuIEX0&hl=en_US

492 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 21:46:11.64 .net
邪馬台国の委(い)の国の話しだよね?

伊の国は阿波
距離・方角的にぴったり
出雲は徳島の伊津面(いずも)のことだよね
島根の出雲大社は杵築大社のことだよね

493 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 21:59:39.40 .net
誤 筑紫平野には、約50人が住んでいたのである。

正 筑紫平野には、約50万人が住んでいたのである。

494 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 22:03:42.44 .net
>>492
>邪馬台国の委(い)の国

委(い)の国、転じて倭の国

495 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 22:06:05.13 .net
語り継がれて、「阿波で千年、京で千年」  よくぞ、これまで。

496 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 23:14:16.41 .net
明治新政府が徳島藩(廃藩置県前)に、風土記の再編纂を命じました。
徳島にだけですよ。
その命により直ちに調査が開始されましたが数年後「軍備増強策による国家財政困窮」
を理由として事業打切りとなっております。
なぜ徳島にだけ調査依頼があったのか?
なぜ財政困窮を理由として急遽中止させられたのか?
なぜその時の調査資料が筑波大学に残されているのか?
古代朝廷に繋がる神々の事が断片的に記載されているようです
やはり表ざたにしてはいけない機微の事柄に触れてしまうのを恐れたのでしょうね
天孫降臨地が宮崎とか、出雲が島根とか、大衆が気持ちよく騙されている現状を
良しとしておく、統治上のメリットを優先したのでしょうね
阿波藩及び徳川家が所持していた「阿波風土記」は宮内庁書陵部に保管されているとの
話もあります
「明治の新阿波風土記」の下書きメモはネットでも閲覧できますよ
江戸時代に生きた方々の毛筆による手書資料のため相当崩し文字に熟練した
人でないと読解不能ですがね・・・

497 :日本@名無史さん:2016/09/21(水) 23:17:49.47 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

498 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 08:53:54.00 .net
>>494

漢委奴国王印を授かることになる
大日霊女命(オオヒルメノミコト)
のことですよね

499 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 09:22:56.28 .net
>>498
金印は「天石門別八倉比賣神社 御祭神は大日孁女命」の奥の院に埋納されているかも。

500 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 09:53:58.29 .net
親魏倭王の金印は一大率のいる伊都国にあったんだろうなー。糸島の細石神社にあったのかもね。

501 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 10:16:59.90 .net
糸島は伊都国じゃないから。 

502 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 10:46:54.88 .net
その様な重要な金印が田んぼの中から出てくる訳ないじゃないか
「盗人が盗んで埋めた」なんて話を信じるノーテンキな人達  哀れだね

503 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 10:54:46.64 .net
基地外はいと哀れ。

504 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 11:01:21.72 .net
「漢委奴国王」印の「委」の字について
委の字は倭の字を省略したものとくだらん学者どもが宣うが、国家間での
贈答品に省略行為など有りえないだろう
常識の範囲で考えてもらいたいものだ
かって委(イ)の国と称した「邪馬台(ヤマト)」に繋がる国家の存在が理解
出来ないんだろうね
国産み神話に出てくる「イヨの二名島」の「イ」ですよね

505 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 11:14:50.38 .net
阿波さん伊代説になったのか。(ガッカリ)

506 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 11:24:54.73 .net
伊代説ってなに?

507 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 11:31:14.54 .net
伊代はまだ16だから〜♪

508 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 11:36:58.67 .net
イヨの二名島
「イ」は阿波・讃岐を含む四国東部、「ヨ」は四国西部を指します
イは主として阿波を意味します
古事記では阿波はオオゲツヒメ(食物神)、讃岐は「飯依彦」と明記していますよね
読んで字の如く、飯依彦(イイヨリヒコ)は食物(飯)を阿波のオオゲツヒメに
頼っている国と理解できます
讃岐は当時阿波(イの国)の一部です
讃岐開拓には阿波忌部が関わっており、古代文書・神社由緒書に残されています
私は伊代説ではありません

509 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 11:52:04.91 .net
阿波と伊予が女神で讃岐と土佐は男神なんだな。四国の本当の名前は伊豫なのか。九州が筑紫島なら四国は伊予之二名島か。

510 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 12:30:34.05 .net
天皇即位の大嘗祭でお召しになる、儀式のための衣がなぜ
阿波で作成され祈祷された大麻なのか

511 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 12:37:50.25 .net
お遍路(四国八十八箇所巡り)とは何なのか

512 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 12:41:35.94 .net
四国に邪馬台国なんかないからな
変な事言い張って四国人に恥をかかすなよ

513 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 12:42:45.92 .net
古事記の国生み神話?で
なぜ最初が淡路島と四国なのか

514 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 12:51:26.57 .net
国産み神話では狭別嶋(淡路島)・伊予二名島(四国)・・・・最後に大倭豊秋津嶋(近畿)
ができますが、四国・対馬には別名として人格を示す彦・比売が付けられています
その他の国土は「別(ワケ)」・「根別(ネワケ)」表記となっています
別・根別は大本の国から派生した地域の事ですよね
九州・近畿などは大本の国の植民地なんですよ
古事記での表記の仕方からして、四国の存在の重要性が伺えます、扱いが異なります
因みに、国産神話では今の出雲(島根県)など国土に含まれていません

515 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 12:58:16.39 .net
>>512
ご参考までに
https://youtu.be/lWJRbf_jaWU?t=281

516 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:00:19.04 .net
阿波と伊予は別だろう。
ちょっと失望した。

517 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:05:30.29 .net
>>516
>阿波と伊予は別だろう。

阿波が「伊」  愛媛が「予」

518 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:16:08.00 .net
>>515
うどんダム対立の件より恥ずかしいな

519 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:22:16.72 .net
うどんダム対立の件ってなに?

520 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:32:40.29 .net
大宜都比売はスサノオに殺されたんだっけ。その後スサノオは出雲に行く。日本書紀ではウケモチはツクヨミに殺される。阿波は天孫族じゃなく、もっと古くからいる日本人のような気するなー。

521 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:42:32.28 .net
伊津面(いずも)=伊の国の
委の国の海岸に面したところ

522 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:43:26.95 .net
簏服(あらたえ)という大麻の織物を天皇の即位の都度
阿波(剣山周辺)から(委国から)(伊国)から持っていってる意味は?
さらにその剣山周辺を山の民、ソラの民と言っていた
その昔の住所の名前は・・・大字三ツ木字ソラノチ。
吉野川がら西を指してソラと言われていた。
そしてさらに遡ると・・アマ(海)の民と言われていた・・。

523 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 13:52:42.15 .net
オオゲツヒメは三度死にますね
正に再生を示します
食物神です、植物は年々再生をしますよね
践祚大嘗祭における、連綿と続く阿波忌部の役割を自分の頭で考えてごらん
阿波忌部の貢進するアラタエが無ければ、その時の天皇は半帝とみなされます
意味が解りますか?
朝廷の存在が阿波の山間部と深い関係があるからですよ
践祚大嘗祭が天皇家の秘儀である以上、マスコミの目に触れることもなく
大衆がその意味の重さを判断できないのも当然でしょうね

524 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:12:39.41 .net
人性嗜酒 人々は生来酒を好む。邪馬台国民は飲んべえだなー。酒好きなら南に多いね。

525 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:14:08.04 .net
大正天皇の践祚大嘗祭の時は特別列車を仕立てての輸送です
アラタエが搬送される道は掃き清められます
道中はもとより朝廷到着後も宮中神祇官と阿波忌部以外アラタエに触れることも
許されません   どのような高官も例外はありません
アラタエを単なる麻織物と捉えてはいけません
歴代の神世からの先祖天皇霊が宿った聖なる織物なのです
先祖天皇霊が阿波の山間部に存するからの神事です
阿波山間部が天皇家発祥の地、即ち高天原だからです

526 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:17:56.45 .net
>>519
早明浦ダム建設のときのいきさつの事だよ

527 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:28:28.47 .net
>>526
ダムは分かってるけど、うどんって何の関係?

528 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:34:55.97 .net
高天原は置いといて、根の国は出雲でいいのかな?

529 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:37:11.72 .net
>>527
スレチだから自分で調べてね

530 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:44:47.14 .net
>>528
彦根でしょ
彦=日子=太陽の子供=天孫

彦根=天孫にゆかりのある根の国

531 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:54:03.46 .net
>>530
なるほど。ちょっと調べたくなるな。

532 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 14:56:59.12 .net
天津彦根命だった。なんで名前に根がつくかなー。

533 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 15:11:07.60 .net
根の国は根之堅州國だから堅洲からなんかないもんだか。

534 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 15:20:43.06 .net
大和川の中流域に堅上、堅下ってとこあるなー。この辺に堅州國とかない?(適当)

535 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 15:31:51.51 .net
大半の日本の地名は律令制発布後、付けられたもの
古事記などに示される神世の地名を都合よく配置していった
古代の人々、特に藤原氏の策謀に乗せられてはいかんよ

536 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 15:49:28.86 .net
まーそう言わずに。藤原京あたりの堅州國はどこなんだろーなーと思って。死者を船上に置いてた?みたいだし。(隋書倭国伝)

537 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 15:58:11.72 .net
>>524
縄文人系の特徴だな

538 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 16:00:09.36 .net
どこが?

539 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 16:04:17.39 .net
ニライカナイです
海の彼方にある不思議な島
魏志倭人伝の記述とだいたい一致する

540 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 16:10:26.11 .net
海じゃなくて山岳ね。

阿波では古来より、県西部の剣山系山岳集落を指して「空・ソラ」と呼ぶ。
まさにそこは、高天原「空・ソラ」の地なのである。


http://www.shurakumachinami.natsu.gs/04rensai-page/rensai_tenkai.htm
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/02system-page/system_sangaku.htm

関東山地の奥秩父地方、赤石山脈と伊那山脈の間の長野県遠山郷から静岡県天龍川流域の水窪町周辺、紀伊山地の十津川郷、四国山地東部の剣山周辺、四国山地西部の石鎚山周辺、九州山地椎葉村・米良庄・五家荘などである。これらの地域はいわゆる秘境と呼ばれた地域である。

今も人々が暮らす、剣山系山岳集落
西祖谷集落(徳善集落・西岡集落・後山集落)・東祖谷集落(落合集落・大枝集落・阿佐集落・名頃集落)
・谷口集落・八千代集落・一宇集落・木屋平集落・神山集落など

四国東部、徳島県の南西部に連なる剣山系は、四国の尾根とも称され、
その最高峰が西日本第2の高さを誇る標高1,955mの剣山である。
剣山系一帯は、貴重な野生動物や生物、特異な陸産貝類などの生息が知られ、
日本における生態系の宝庫となっている。
また、剣山系は「四国の水瓶」としての機能を果たしている。
急峻な山間部の渓谷を縫うように各支流が吉野川に合流し、
どのような旱魃でも未だ水が枯れたことがない。
この地域は、日本を代表する地すべり地帯で、しかも日本最大の破砕帯が走っているため、
山上部に容易に畑地・棚田・集落を作ることができ、涵養林さえ残せば山上付近からでも水が湧き出るため、
土地生産性が高く、古代より農業生産の場として機能してきた。

541 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 16:31:32.47 .net
徳島吉野川の中流域、阿波町岩津を境としてその下流域は砂地ですが、上流域は
岩盤で出来ています
岩津の下流美馬町に伊射奈美神社がありますが、伊邪那美命を祭神とする
神社で、当然の如く延喜式に定められた式内社で、伊邪那美の名を冠する
日本で唯一の神社ですし、神紋は16菊花紋となっています
岩津の南岸、高越山山頂には伊邪那美の陵とされる場所があります
岩の字が付く地名は履いて捨てるほどありますが、付近の傍証も検討しなければなりません
この場所が堅洲国ですよ
ここから南東に進めば神山(高天原)、さらに東南東に進めばイザナギ命が禊祓いした
阿波岐原(現、阿南市)があります
天照大神が誕生した場所ですね
全て人力のみで移動できる動線にありますね
どなたかが書かれていた、イの国の水辺(津)に面した場所、イズモです

542 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 16:37:57.08 .net
>岩津の下流美馬町

美馬町は岩津の少し上流ですね  穴吹町も岩津のすぐ上流にあります。

543 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 16:39:04.30 .net
>>537
シャーマンいるし生贄ありの赤土塗りの飲んべえだからインディアンみたい。縄文系な感じするよなー。

544 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 16:40:42.46 .net
>>543
それがまさに、君のご先祖さんだよ。

545 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 16:46:57.50 .net
殉葬されんでよかた。

546 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 17:18:30.23 .net
天は海人、原は集落や国邑の意味だよ。
高は尊称だろう。

547 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 17:25:17.05 .net
高槻市の山間部、樫田でしょうJK

リアルでガチ

548 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 17:29:57.29 .net
高天原なら天の岩戸は必須。つ洞窟?

549 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 17:34:18.68 .net
四国の阿波には、一宇村に天磐戸神社 神山町に天岩戸立岩神社 2社が鎮座しています。

いずれも、いかにも高天原然とした山深い処です。

一宇村 天磐戸神社  http://ohara98jp.exblog.jp/23714547/

神山町 天岩戸立岩神社 http://yukitukihana.jimdo.com/%E3%81%94%E8%BF%91%E6%89%80%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8%E7%AB%8B%E5%B2%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

550 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 17:52:27.76 .net
高天原は神様の世界なんだが、山や川があり機織り小屋や田んぼや神殿みたいのもあるからな。天孫族初期の都(環濠集落)だなー。

551 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 17:57:58.86 .net
高天原は伽耶でしょ、馬もいただろうし

552 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 18:08:09.98 .net
伊邪那美神社は岩津の上流ですね   訂正ありがとうございます
地元の人間でないので徳島の土地には少々疎いです
天岩戸開きの故事は高天原での出来事ですよね
通説では、宮崎高千穂峡の川沿いにちんけな岩があり、ここが天岩戸であると宮崎県行政も
宣伝しています
高千穂は高天原から瓊瓊杵尊が天孫降臨する場所なのに、そこに天岩戸がある訳ないでしょ
理解力のある小学生でも疑問に思いますよ
日本の古代史研究が如何にいい加減であるかを示す例ですね
神山の岩戸は立派です、高さ20メートル超えています
さらに人の手による加工の跡もありますね

553 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 18:10:07.12 .net
>>552
ワロタ。

554 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 19:09:18.05 .net
高天原で
暮らしていた
高御産巣日神の子孫が今の天皇

その場所は現在の徳島県美馬市木屋平地区

そこは践祖大嘗祭(せんそだいじょうさい)で
天皇霊(すめらみことのみたま)を受け継ぐ儀式
に必要な大麻を産する場所
そこから山を降りて忌部神社て巫女さんが反物にする
その反物を再び高天原に上げ式典を執り行う。
この時、麻の反物が神御衣(かむみそ)=あらたえ
となる。それを儀式に必要な天皇の元へ運ぶ。
天皇は一晩この神御衣ともに過ごして即位の儀式に臨む。

555 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 19:20:33.76 .net
>>554
麻の反物を神御衣(かむみそ)=あらたえ
に縫製するのも、三木家でしょうか?

556 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 19:45:36.61 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

557 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 20:17:42.76 .net
忌部神社にて巫女さんの手で織られます
その後、山上の三木家に運ばれ三木家当主によるお祓いの儀式を経て
アラタエとなります
左翼の連中の妨害行為排除のため警察による厳重警護が行われます
東京都内での移動はパトカー先導が付きます
元となる麻は天皇家よりの貢進依頼により三木家所有山地を切り開いた
畑で育てられます
平成天皇の時の文書は表にでていませんが、鎌倉時代の太政大臣の依頼文などはは
ネットで見れますね

558 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 20:21:28.85 .net
>>557
よくわかりました。

559 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 21:26:43.19 .net
造化三神でも高産巣日が天津神で神産巣日が国津神になんのかな?

560 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 21:37:58.34 .net
ついでの話
三木家から谷を挟んで南方に東宮山が見えます
皇太子殿下が当地訪問の際、この山を指して「東宮山の名前の由来」を
県の職員に尋ねられたそうです
質疑応答は事前に宮内庁及び県担当者の間で打合せがされており回答が
出来ないなど有りえない事です
然しながら県職員は答えに窮しました
殿下はご自分でこの山の名をお知りになり質問されたそうですよ
「東宮」とは皇太子殿下のお住まいですよね
殿下はこの地の何かをご存じなのかも知れません
当時、お食事関係で携わっていた義弟の話でした

561 :日本@名無史さん:2016/09/22(木) 22:28:18.18 .net
三木家維持・存続のための宮内庁からの援助などはないものでしょうか?
子孫断絶の対策などはなされているのでしょうか?

562 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 12:47:11.81 .net
残念ながら無いようですね
戦後のGHQが定めた神道廃止令のなせる罪ですかね
政教分離を建前としているので、天皇家の私的行事に公的資金提供はできません
そのような事があれば、朝日・毎日などが大騒ぎをするでしょう
平成天皇の大嘗祭の時は、古代阿波から国土開発に従事し移住した阿波忌部の子孫の方々の
寄付が財政的に大きく貢献したようです
和歌山・三重・島根等関西圏から千葉・茨城・栃木など関東圏まで阿波忌部の子孫さんが広がっています
以前、織田信長が阿波忌部の子孫だったというTV番組が放映されました
織田家の出自は滋賀県織田神社の神官で、この方は忌部の子孫です
忌部族の話は歴史書でも取り上げられず国民一般は知識がないのが残念ですね
くだらん歴史学者が、阿波忌部は朝廷に使える俗にいう中央忌部の下位の人であると
説明しています
しかし、中央忌部の最高の位は「従5位下」です
阿波に居住する阿波忌部の長の位は「従5位上」です
通説とは真逆の現象ですよね
少し調べたら簡単に解ることです

563 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 13:27:14.81 .net
天皇家の存続は言うまでもありませんが、三木家の行く末が気がかりです。

564 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 19:33:30.93 .net
平安時代に編纂された「延喜式 践祚大嘗祭式 由加物条」に興味深い記述があります
由加物とは大嘗祭で神に供える聖なる食物で、@天津御膳・A長津御膳・B遠津御膳の3種があります
@は阿波山間部の山のもの、Aは阿波東南部の海のもの、Bは和歌山・淡路のものと定められています
その他に行事に使われる雑器具類の条がありますが、これらは河内・和泉・尾張・三河・備前以上5ヶ国と決められています
歴史学会はこの内容を黙殺、或いは延喜式自体が平安時代の制定であるとして重要視しません
畿内説を採る人達は、地元に重要性を与えていない制度に我慢できないのでしょうね
延喜式は、天皇家が歴代行ってきた儀式を集大成し国家の儀式として改めて定めたものですよ
三木家の構成は個人情報にて分かりませんが、息子さんがいらっしゃるようですね
皇室は毎年秋に新嘗祭を執り行います、護国豊穣を祈る日本国にとっても大切な祭儀です
践祚大嘗祭は新たに即位された天皇陛下が即位後初めて祭儀される新嘗祭とされています
大嘗祭は奥深い意味を持っていますが、初期の形態は前方後円墳に結びつきます

565 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 19:55:36.26 .net
>>564
>三木家の構成は個人情報にて分かりませんが、息子さんがいらっしゃるようですね

ひとまずは安心ですね。

>大嘗祭は奥深い意味を持っていますが、初期の形態は前方後円墳に結びつきます

興味深い話ですね。

566 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 20:47:11.36 .net
三木家の跡継ぎは人伝に聞いた話で私として確証はありません、すみません
阿波忌部の人達は同族分家が沢山有り、忌部五族として認識されています
たとえ後継者の方がいなくとも、男系の男子であれば本家相続すれば良いのではと思います
忌部五族の人達の今の名字がわかりません、本家も三木姓に代わっていますよ
忌部系統神社の宮司の方々は阿波を含めて忌部族の子孫の方が多いようです
大嘗祭と前方後円墳の関連は後日報告します・・・興味を持たれたらね

567 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 21:00:49.31 .net
阿波説を信じる気は毛頭ないけれども、畿内説より説得力はあるんだよな。
まるで天津国が阿波にあったように読める。

568 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 21:08:58.57 .net
>>566
例え三木家以外の分家に替わっても、麁布は木屋平で作られるんでしょうね。

大嘗祭と前方後円墳の関連、是非お願いします。

569 :日本@名無史さん:2016/09/23(金) 22:43:41.97 .net
天皇が教えているんだよね
日本の「原点」はここですよって
なぜなら、天皇とは日本の「原点」を引き継ぐ者に他ならないから

570 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 00:30:36.95 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

571 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 21:38:48.80 .net
延喜式は927年に成立した律令の施行細則ですが、この中で践祚大嘗祭のことが定められています。
「大嘗」は日本書紀(673年)にも記述されており儀式そのものは古代王権の歴史と同じく古くからあり、この宗教的儀礼が
延喜式にて正式に国王(天皇)即位の儀式に位置付けられたものと思います
「大嘗」とは先祖天皇霊と一体になる儀式であり、先祖天皇霊と「供饗供寝」するものです
延喜式は平安期になって定められたもので、古代史解明には歴史的な価値がないとみなす人もいますが暴論ですね
折口信雄氏は「大嘗宮の寝座で真床追衾にくるまれて新王が亡き王の天皇霊を継承する祭儀が大嘗祭の本質であり
それは前方後円墳の成立とともに完成した、また青銅器祭器にかわり、新王に先祖霊を継承させる一連の祭儀を考案し、
その祭儀に最大限の効果を与える巨大な装置として前方後円墳が創造された」と説いています
平成の世に入って徳島で新たな古墳が発掘されていますよね
萩原2号墳は2世紀中ごろの我国最古の前方後円墳ですよね
(古墳時代以前の墓だから墳墓である、古墳では無い・・・・畿内説を推す学者の見解ですが・・・)
前方後円墳は、新王が亡き大王霊を継承する舞台として創出され、後世(平安時代)にその斎場が大王墓(前方後円墳)から
現在の大嘗宮へと移されたとする説、如何でしょうか
このように考えれば、阿波で竪穴式石室が作られた理由となります
横穴式では困難ですよね
畿内にある古い竪穴式古墳は徳島の青石です
その様な舞台(表現が悪いかも)を作るには阿波の青石が最適です
コツさえ解れば平石に加工するのは簡単ですからね
今日、ゴルフに行ったので少々疲れています、文脈が変であればすみません

572 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 21:45:37.79 .net
>>571
>その祭儀に最大限の効果を与える巨大な装置として前方後円墳が創造された」と説いています

大嘗祭は古墳でやるわけではない。
時代もバラバラで論理性を欠いています。
竪穴式石室とどう関係するかも全く示されていません。

573 :日本@名無史さん:2016/09/24(土) 22:25:10.22 .net
ありがとうございました。
後日、ちょっと不明な点をおしえてください。

574 :日本@名無史さん:2016/09/25(日) 01:28:48.66 .net
東に海って琵琶湖の事じゃね・・・?

575 :日本@名無しさん:2016/09/25(日) 22:13:08.28 .net
践祚大嘗祭と前方後円墳の話、興味深いね
発掘された前方後円墳で一番古いのが徳島なんですか?
知りませんでした
践祚大嘗祭で徳島の方が役割を担っていたなんて、ニュースでも聞いた事がないです
時々、邪馬台国関連のスレを見るのですが、ここのスレ、勉強になりました

576 :日本@名無史さん:2016/09/25(日) 22:14:43.29 .net
海はショッペーぞ

577 :日本@名無史さん:2016/09/26(月) 18:18:41.32 .net
確かにピラミッドの石棺と比べると古墳の石室は幅が広いね
萩原2号墳の木棺跡写真をみると優に2人以上が横になれる幅がある
仮説の一つとして考えられる

578 :日本@名無史さん:2016/09/26(月) 19:24:32.05 .net
おそらく戦後、根本的に間違っていることがある
魏志倭人伝に大いに塚を作るという文があるが、
戦後の日本はそれを古墳だとイメージしたわけだ。
ところで、古墳って墓なの?
違うだろ

579 :日本@名無史さん:2016/09/26(月) 19:56:59.96 .net
>>578
大塚を作るじゃないから、墓域説もあるからね。

580 :日本@名無史さん:2016/09/26(月) 20:59:27.66 .net
魏志倭人伝では「其死有棺無槨 封土作冢」とあるので墓ですね
塚の字とは違います

581 :日本@名無史さん:2016/09/26(月) 22:34:13.11 .net
石室を作らず、棺を直接に埋めたことになる。
畿内の古墳ではなく、九州の古い墳墓の形式だね。

582 :日本@名無史さん:2016/09/26(月) 23:02:54.67 .net
>>579
失礼、間違いですね。
大作冢。
大いに冢を作る。

「墓」に置き換えれば、
大きい墓を作るではなく、
大いに墓を作る、の意味。

通常あるはずの高さの記述が無いのが疑問でね。
私はやはり墓域と見るかな。

583 :日本@名無史さん:2016/09/27(火) 00:45:35.08 .net
墓域が径100歩。
あり得なくはないけれども、ちょっと不自然かな。
低い墓で、上を歩けそうな程度の大きさだった?
本当に歩いたら怒られるだろうから、側を歩いた?
それなら周で測る方が自然か。

584 :日本@名無史さん:2016/09/27(火) 13:33:39.11 .net
>>583
そうですね…
後もう1つ

三国志には
「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」
という、孔明の遺言の記述もあるので、可能性的にはあるえるのかな?
と思ってます。

585 :日本@名無史さん:2016/09/27(火) 18:41:07.83 .net
践祚大嘗祭と前方後円墳の関係、気になって調べてみたら
国立歴史民族博物館の春成秀爾氏の論説がありました
要約すれば、「前方後円墳とは倭王権の大王霊継承儀礼の象徴墓であり、王墓に作られた竪穴式
石室とは後円部の頂上部に大きな墓穴を掘り、割竹形木棺を納めて遺骸を安置し、様々な副葬品
を納め、その後に棺の四方に板石を積み上げて四壁を形成するものである
その石室が意味するものは亡くなった前大王と新大王が同棺同衾して首長霊を継承するという
秘儀を執り行うための空間である」と述べられている
正に現代まで続く践祚大嘗祭の原型だと思われる
日本で一番古い前方後円墳が二世紀に築かれた徳島の古墳であることや、今も
その儀式に阿波忌部さんが関わりを持っていること、近畿の古い古墳には
徳島の青石が使われているなど、倭王権に繋がっている邪馬台国が
徳島発祥とする大きな根拠だね
恥ずかしながら阿波説に転向するかも

586 :日本@名無史さん:2016/09/27(火) 20:21:19.97 .net
おれの地元の代議士によると、国会議事堂内にある天皇陛下の御座所の
壁面は徳島の青石だそうだよ
京都の古い庭園も殆どが青石を使ってるようだ

587 :日本@名無史さん:2016/09/27(火) 21:24:48.46 .net
大和朝廷の起源の一つが阿波かもしれないけれど、前方後円墳だと槨ありになってしまうから、卑弥呼の墓の形式ではないな。

588 :日本@名無史さん:2016/09/27(火) 22:31:00.23 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

589 :日本@名無史さん:2016/09/27(火) 22:56:44.68 .net
>>587
阿波説は、卑弥呼の墓が前方後円墳なんて言っていないので勘違いしてはいけない。

卑弥呼の墓は「天石門別八倉比賣神社」奥の院(円墳?)

590 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 10:55:38.48 .net
>>571
数日、留守にして質問が遅れました。

>このように考えれば、阿波で竪穴式石室が作られた理由となります
    横穴式では困難ですよね

「横穴式では困難」とは、竪穴式との築造工法の相違による、亡き王の棺を安置し、「供饗供寝」するタイミング
が、横穴式ではずっと遅れるためと理解しましたが、どうでしょうか?

591 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 11:41:56.77 .net
倭人伝の伊都国の説明「世有王 皆統屬女王國」
=「その時代、(伊都国に)王がいたが、(倭の)皆は(伊都国王ではなく)女王国に従った」

伊都国は邪馬台国連合の一部でありながら女王卑弥呼とは別に王が存在

中央政権から半独立的な筑紫王の地位は6世紀の磐井の乱まで続く

592 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 12:23:24.71 .net
伊都国王=「一大率」長官

593 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 15:54:54.47 .net
横穴式は盛土の横からトンネルを掘って墓を作る為、当初から天井があります
その穴の中で祭儀を行うのは大変窮屈でしょう
竪穴式は盛土頂上から竪穴を掘り遺体安置後頂上部を塞げば完成です
遺体安置後、広い空間の中で祭儀を行うことは大変合理的だと思います
阿波の竪穴式古墳は理にかなった構造です
頂上部から掘り進んだ後四周に青石を積上げて壁とし、儀式終了後上部を更に
青石の板を敷き詰めた後、土を重ねれば完成です
青石は、板状に加工するには最適の石です、石の目が解ればある程度簡単に
板状にすることが可能です
萩原古墳など阿讃山脈裾野に集積している古墳は、其の地の形状を利用すれば
基底部の盛土も困難なものではないでしょう
墓構築に係る手間として考えれば竪穴式が早くできるでしょうね

594 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 21:34:44.66 .net
本当にそのように掘ったのでしょうか。
掘った穴の壁に石を置くより、石を立てて室を作ってから周りに盛り土をした方が安全で楽に思えます。
儀式をするなら、横穴式の方が分かりやすいようにも思えます。
まあ、竪穴式でも、石舞台みたいに石室に横から入って行ける場合はその限りではありませんが。
そもそも、古墳でそのような祭祀を行った確証もないと思います。
素人考えかもしれませんが。

595 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 21:38:34.73 .net
>>591
これまたどうにでも読めますね。
王の名がないのはおかしいから、この王は卑弥呼のことだとする人もいます。

一大卒=伊都国王に根拠がないのと同じくらいに、伊都国王=卑弥呼も根拠がなく、しかし否定もできないように思います。
後者であった場合は、独立性を保った九州北西部がそのまま邪馬台国になります。

596 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 22:10:47.57 .net
卑弥呼なら女王と書くだろうし、「皆」の中に「世有王」も入るんだろうから
卑弥呼が卑弥呼を統属してることになるぞ

597 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 22:43:34.36 .net
代々王が居た(今は居ない)

であれば名前が記載されないのは自然だと思う

598 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 22:50:05.93 .net
今はいない、ですか。
一般的にはいたことになっているのですが、その時はいなかったとも解釈できると?
それでは女王国に統属する主語がなくなってしまいます。
卑弥呼がその代の女王であったなら通じるかもしれませんが。

599 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 23:02:10.37 .net
>>597
「世有王」だから代々王と訳しても魏の治世には王がいたんだよ
卑弥呼の生きてた時には伊都国には王がいたのw

600 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 23:05:15.41 .net
「皆統屬女王國」
皆とは倭の国々のこと
女王国が倭の国々を統属していたの意味だ
女王国とは伊都国を首都とする国のことだ。

601 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 23:06:34.79 .net
その解釈だと王の名が記載されないのは不自然だよね

602 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 23:07:15.70 .net
郡治-狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国-伊都国-奴国(距離での説明)
七千里 + 千里 +(四百里×2)+ 千里 +(三百里×2)+ 千里 + 五百里 + 百里)

= 自郡-自女王國(総距離での説明)
萬二千餘里

奴国までで12000里

「自女王國以北」・・・つまり奴国以北の意味

「自女王國以北 特置一大率」・・・一大率が置かれたのは伊都国ではなく女王国の北の諸国
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐してる監察官
「常治伊都国」・・・女王国の北の各諸国の置かれた一大率を治め(統率)ていた
つまり
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」では
「女王国の北の各諸国には、特別に一大率を配置して検察させており、畏れ憚られている。
常に一大率は伊都国で統率されている。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で統率しているのと同じようだ。」
の意味となる。

603 :日本@名無史さん:2016/09/28(水) 23:08:32.25 .net
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の治世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の治世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」ことを指すと結論される。

伊都国が邪馬壹國の首都

「邪馬壹國 女王之所都」とは邪馬壹國の中に女王の都があるとの意味。

604 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 01:41:05.25 .net
O型=狩猟民族、縄文人(本当の日本人)

B型=遊牧民族

A型=農耕民族(弥生人)=免疫が弱い(身体障害者)


メガネ=メガネ障害者

体が左右非対称=ブサイク障害者

異性にもてないチビ=チビ障害者


髪の毛が曲がってる=縄文人(本当の日本人)

髪の毛がまっすぐ=弥生人


肌が黒い=先祖が南の暖かい地域に住んでいた人、縄文人(本当の日本人)

肌が白い=先祖が北の寒い地域に住んでいた人、弥生人

605 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 09:38:37.37 .net
>>603
>「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
>Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
>ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
>「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
> 「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
>「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
>「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
>「世(魏の治世)は王が居た」の意味なのである。

以上は全て良し。同意。

606 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 09:40:02.69 .net
>>603
>そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
>それは倭の国々のことである。
>「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。

「皆」は、先行するこの文の何かを指している。
先行する語彙で「皆」と呼べるものは、複数の「世有王」しかない。
倭の国々は3ヶ国しか先行して書かれていないので、×である。

>「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
>「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
>すると前文の「世(魏の治世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
>また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」ことを指すと結論される。

「皆」は魏代に伊都國いた複数王を指すから、上記全ては成り立たない。
「世有王」は、倭國乱以来倭都國(伊都國)にいた倭國王系統の王であろう。

>伊都国が邪馬壹國の首都

伊都國は、女王國成立以前の旧倭國の「倭都國」である。
同様例:「倭奴國」「委奴國」は「倭都國」を卑しんだ同音表現。

>「邪馬壹國 女王之所都」とは邪馬壹國の中に女王の都があるとの意味。

完全に同意。

607 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 10:02:55.82 .net
>倭の国々は3ヶ国しか先行して書かれていないので、×である。
理由になっていない

608 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 11:43:17.94 .net
『皆』は名前だろ
伊都国王『皆』が女王国に従っていた

王の名前が紹介されないのは不自然だから、皆が名前だと解釈するのが自然

609 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 20:25:25.91 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

610 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 20:37:33.68 .net
四国説が強力なところは
今も
践祖大嘗祭(せんそだいじょうさい)の原点を司る地だということ
現在も天皇のゆかりの地なのは確実なんだよな

611 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 21:00:15.93 .net
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
青石でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。

612 :日本@名無史さん:2016/09/29(木) 21:18:54.16 .net
竪穴式古墳の築造方式に疑問を呈する人たちへ
実際に萩原古墳等の発掘に携わった人達の見解ですよ
祭儀の方法は、現在皇室で行われている「アラタエ」を介した、即ち先祖天皇霊と
共寝をされる神事から推察される事柄です
目を覚ましなさい
崇神天皇の時代でしたかね、諸国に大国魂神社を建立させました
神社名に「ヤマト」を冠する式内大国魂神社は3社あります
日本大国魂神社・・・・淡路島
大倭大国魂神社・・・・奈良  今は大和神社に改名している
倭大国魂神社 ・・・・徳島
日本・大倭・倭の区別がつきますか

613 :日本@名無史さん:2016/09/30(金) 22:40:22.48 .net
やはり大和朝廷に続く倭国は阿波だと言うことでしょうね
邪馬台国所在地もも阿波となるね

614 :日本@名無史さん:2016/09/30(金) 23:27:25.87 .net
『日本唯一、阿波にだけ在る式内社「倭大国敷神社」「倭大国魂神社」』

徳島県美馬市美馬町には、「倭大国敷神社」「倭大国魂神社」と「倭」と付く神社があります。

「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とあります。

「大和」と付いています。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とあります。

阿波なのに「倭」です。

何故、阿波国であるにもかかわらず、「倭」と付く神社があるのでしょうか。

これは、阿波は「倭(やまと)」であり、一方、奈良は「大倭・大和(おおやまと)」ということが、はっきり示されているのです。

615 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 13:13:52.26 .net
紀元前〜紀元1世紀 出雲族(スサノオ、イタケル、大国主)の全国平定
領域 韓国南部〜九州〜中国


1〜2世紀 天孫族(アマテラス、タカギムスビ、オシホミミ、ニニギ)の九州統一、出雲族の排除
領域 韓国南部〜九州南端まで=金印倭奴国、帥升倭国
○補足○
・英彦山北側〜宗像〜遠賀川は出雲族の領域。英彦山の南北をオシホミミと大国主で分けあったという伝承が伝わっている
・上記の通りオシホミミは出雲族と接点があった。オシホミミと出雲族の女との子供がアメノホアカリで、ホアカリには「天照国照」という称号がついている。
天=天孫族(九州)と、国=出雲族(本州)の両方を照らす王子という意味。
・帥升が漢に莫大な貢ぎ物を送ったのに金印を貰えなかったのは、既に倭奴国として貰っていたから


一方本州では
1世紀 遠賀川出身のニギハヤヒが大国主と合流し共同で近畿開拓
2世紀 天孫族の神武が噂を聞き付けて畿内開拓に合流
○補足○
・ニギハヤヒはアメノホアカリと同一かまたは子孫
ニギハヤヒのフルネームは天照国照彦火明櫛玉饒速日命といいホアカリの名が付いている
・神武の東征ルートは宮崎→宇佐→北九州遠賀川→安芸→吉備→熊野→畿内
宇佐から東に向かわずわざわざ北九州に寄ったのはニギハヤヒの実家筋に挨拶するため


2世紀末〜3世紀 倭国大乱
九州の天孫族本家筋と近畿の天孫族神武系が出雲を挟み撃ち
巻向で崇神が即位し大和朝廷が成立

616 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 13:51:58.11 .net
愚かな馬鹿者じゃのう  お主は
寝言はあの世に行ってから言えよな

617 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 17:08:01.41 .net
>>615
あほくさ

618 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:05:39.18 .net
邪馬台国(高天原)が九州、高千穂が宮崎、出雲が島根とする人達
その様な日本発祥の地域で、何故、日本武尊が南九州の「クマソタケル」とか
出雲の「イズモタケル」などを征伐に行かなきゃいかんのかい?
景行天皇の時代だから大和朝廷成立からまだ時間が経過していないよ
天皇家の足元というべき地元の民は元来「反朝廷民族」なのかね?
地元で人気・人望の無い人達だったのかい?

反日朝鮮人の説だね、九州説は

619 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:16:23.41 .net
>>618
記紀でそうなってんだからしゃーないだろ
記紀の作者が反日朝鮮人ってことじゃねーの?

620 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:21:03.67 .net
>>619
>記紀でそうなってんだからしゃーないだろ

九州や島根と勘違いする単細胞

621 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:22:27.36 .net
紀元前〜紀元1世紀 出雲族(スサノオ、イタケル、大国主)の全国平定
領域 韓国南部〜九州〜中国


1〜2世紀 天孫族(アマテラス、タカギムスビ、オシホミミ、ニニギ)の九州統一、出雲族の排除
領域 韓国南部〜九州南端まで=金印倭奴国、帥升倭国
○補足○
・英彦山北側〜宗像〜遠賀川は出雲族の領域。英彦山の南北をオシホミミと大国主で分けあったという伝承が伝わっている
・上記の通りオシホミミは出雲族と接点があった。オシホミミと出雲族の女との子供がアメノホアカリで、ホアカリには「天照国照」という称号がついている。
天=天孫族(九州)と、国=出雲族(本州)の両方を照らす王子という意味。
・帥升が漢に莫大な貢ぎ物を送ったのに金印を貰えなかったのは、既に倭奴国として貰っていたから


一方本州では
1世紀 遠賀川出身のニギハヤヒが大国主と合流し共同で近畿開拓
2世紀 天孫族の神武が噂を聞き付けて畿内開拓に合流
○補足○
・ニギハヤヒはアメノホアカリと同一かまたは子孫
ニギハヤヒのフルネームは天照国照彦火明櫛玉饒速日命といいホアカリの名が付いている
・神武の東征ルートは宮崎→宇佐→北九州遠賀川→安芸→吉備→熊野→畿内
宇佐から東に向かわずわざわざ北九州に寄ったのはニギハヤヒの実家筋に挨拶するため


2世紀末〜3世紀 倭国大乱
九州の天孫族本家筋と近畿の天孫族神武系が出雲を挟み撃ち
巻向で崇神が即位し大和朝廷が成立

622 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:24:39.91 .net
>>621
あほくさ

623 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:30:41.34 .net
>>618
ヤマトタケルのやり口は酒の席での騙し討ちだろ?

相手に酒飲ませて不意討ちして殺すっていう

つまり「飲み会をする仲」ってことだよ

敵国の武将と飲み会なんかやらないだろ?

624 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:32:44.87 .net
ヤマトタケルは女装して宴席に紛れ込んだ。
一緒に飲んでいたわけではない。

625 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:42:59.17 .net
記紀の解釈に問題ありと何故気づかないのだろうね
安保法案を戦争法案と名付けて煽動するおばかさんに騙される
くだらん平民と同一の人達だ

626 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 18:46:09.15 .net
四国の阿波説
北九州の糸島平野説

この二つの説が出てきてから、日本の古代に興味を持つようになった
しかもどちらも日本の本質に迫るようなかなり強力な説で面白い。

627 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 19:01:12.31 .net
宮崎日向の地名は、日本武尊がクマソ征伐した後、父親景行天皇がその地を
訪問し「日向」と名付けたと日本書紀にある
神武東征時、宮崎には「日向」という地名はない
すなわち神武天皇の行動は九州では無いと言うことだよ
当然邪馬台国も然りである

もっと勉強しろよ
九州人のアホさを君は日本中に喧伝してんだよ

628 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 19:06:56.38 .net
薩摩の島津も朝鮮人の末裔(渡来人)と聞いた事があります
本当なのかなあ

629 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 19:23:51.61 .net
>>626
>北九州の糸島平野説

其山有丹で即、没でしょ。

630 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 19:34:32.75 .net
糸島 丹生神社

631 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 19:36:34.47 .net
なに、それ?

632 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 19:40:42.04 .net
「丹」の字を含む神社・遺跡など日本国中いくらでもある
倭人伝に書かれた時代を理解しろよ
日本の古代朱採掘場所の発掘調査は早稲田大学が行っている
時代に即す遺跡は阿波だけだ
愚か者め

633 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 20:54:18.26 .net
糸島って金印が出たという島じゃないの?
今で言う国宝級の印でしょ
そんなのが田んぼの中から出てくる訳ないだろう
この話も為政者に騙されてんだろね
信じる人は救われる、麻無阿弥陀仏 合掌

634 :日本@名無史さん:2016/10/01(土) 21:49:43.97 .net
>>627
おしい!
宮崎日向ではないのはその通り。
ではどこか。
筑紫の日向は福岡県の日向地区のこと。
ここに高祖山という山があり、その二番目の峰がクジフル岳という名前である。
高祖山の麓に高祖神社があり、当時は高千穂宮の名前だったと考えられる。
その場所が、魏志には王家のある伊都国として記されている。

漢の金印が出たのは近くにある志賀島であり、糸島ではない。
糸島は旧怡土郡と旧志摩郡が1896年に合併して糸島郡になったのが名前の由来。
実際には島ではない。
ただし、糸島半島については古代においては実際には島だった可能性がある。

635 :tomo:2016/10/02(日) 05:32:52.60 ID:ipva2wvdN
古代中国は世界一の海洋探索国でした。その様な技術集団が集団が往路で致命的なミスを犯しません。致命的なミスは犯しません。
なミスはしません。教理を間違えたから九州、方角を間違えたから畿内。
畿内説を取る東京大学の研究者に距離も方角も間違えていなければ、と聞いたところ。
「それは沖縄だよ、そんなところにあったらこまる」。卑弥呼は沖縄と同じ祈りで統治していました。
その気候風土は中国南部の海南島そのもの。中国語で国の名を問う「わ」(環業式住宅に住んでいたから)
沖縄の「わ」一人称としての「わ〜」2人称としての「わった〜」。

636 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 09:37:47.88 .net
近代につけた地名で古代を語るな
倭人伝に記されている距離感が全然一致しないぜ、福岡などは
自説に都合の良いように文献を勝手解釈するんじゃないよ

糸島、志賀島、針島、布島、島名なんかなんでもいいが
金印が田んぼの中から百姓が拾ったなんて話に縋る気がしれん
アホとしか思えん

637 :sage:2016/10/02(日) 09:59:03.77 .net
https://www.youtube.com/watch?v=NJYs5GTmdcg

https://www.youtube.com/watch?v=tY-xyCbzdqY

638 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 17:05:38.50 .net
>>636
筑紫と書くと、それは九州のことと曲解して議論を煙に巻く人がいる。
数字の単位である八咫を、単に大きいことだと曲解したり。
そんな俺様解釈が成り立ってしまえば、言語によるコミュニケーションが破綻する。

ところで、志賀島で農民が金印を発見した事実を否定するんですか?
明治以前の出土品は全て否定する派ですか?
意図がよくわかりません。

639 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 19:01:16.35 .net
発見されたのは事実です
否定していません
正確には、発見させた、ということです  誰かが何かを意図してね
私は、重要な印が田んぼの中にあったとされていることに疑惑を持ちます
各界からこの点について疑問が発せられました
すると、盗賊が盗んだ印を田んぼの中に埋めたと解釈を変更しました
田んぼ或は畑でも、当然農民の方はその土地を耕します
その盗人は考えもなくそこに埋めたんですかね
この盗人アホだと思いませんか、あなたは?  他に隠す場所いくらでもあるでしょうが

640 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 20:15:29.31 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

641 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 21:30:55.25 .net
埋められた経緯は不明ですが、埋められた当時は畑ではなかったのでしょう。
畑の真ん中に単独であったのではなく、巨石を使った岩組みのような物があったとされています。
糸島市の細石神社には、宝物として伝わっていたものが江戸時代に持ち出されたという伝承もあるそうです。

細石神社は伊都国の中心部の三雲南小路遺跡の拝殿と伝えられ、その祭神は磐長姫と木花佐久夜毘売です。
三雲南小路遺跡の甕棺墓は王と王妃の墓と考えられており、瓊瓊杵命と木花佐久夜毘売だろうと言われています。
伊都国は瓊瓊杵命が即位した筑紫の日向の高祖山の麓に位置しています。

642 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 22:13:29.92 .net
外国から贈られた国王印ですよ
贈与された国王、その後裔、後に展開する朝廷が保持すべきものです
細石神社がどのような神社か知りませんがなぜそのような印を
持っていたのですか?  持っていた経緯が不明です
いやしくも金印です
盗まれたというその神社は罰でも受けました?

盗人はその価値も知らず、ただ盗んで埋めてその後放置したのですか?
貴方ならそんな馬鹿な事します?
常識の範疇で考えましょう

瓊瓊杵尊と佐久夜比売が其の地で生活した具体的な伝承はどうですか?
阿波には履いて捨てるほどあります
阿波説を採る者に「ぐうの音も出なくなる」ような情報をくださいな

643 :日本@名無史さん:2016/10/02(日) 23:36:44.45 .net
旧唐書では日本国の使者が疑われている。
金印の封泥がなかったせいではないか?

隋書での倭の使者が疑われたという話はない

644 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 03:05:07.12 .net
旧唐書が書かれたのは阿倍仲麻呂以降だから日本は謎の国ではないからな

645 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 13:20:24.78 .net
細石神社は延喜式に定められた式内社では無いね
平安時代には、朝廷が我が国にとって重要な神社じゃないと判断していたんだ
そうだとしたら重要な金印をこの神社に保管させるなど有りえないね
自分は捏造説(?)を支持するよ

646 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 13:42:20.40 .net
畿内の朝廷にとって重要ではなくなっていただけでは?
古代の倭国の歴史を鍵を握る重要な宮が、後世にはただの村社程度の扱いとなっているのは、九州では珍しくありません。
もちろん金印の件は信憑性という点では疑問がないわけではないし、むしろ古代から志賀島に埋められたままであったと考える方が自然な状況でもありました。
ただし、細石神社は古くは広大な領地を持つ高い社格の宮であったとされ、瓊瓊杵命の宮であったなら納得のいく話でもあります。
延喜式は瓊瓊杵命よりずっとずっと後世の格付けに過ぎません。

647 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 13:49:22.73 .net
台湾に耶馬があります()

648 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 14:02:34.02 .net
>>646
>畿内の朝廷にとって重要ではなくなっていただけでは?

だろうね。

阿波に在る神社とは、大違いだね。

649 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 14:09:51.73 .net
耶馬台(湾)国ですね・・・w

650 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 16:00:26.04 .net
奈良時代に既に定められていた官社を798年に官幣社と国幣社に区分け整理したのが
延喜式式内社であり、簡略化して表現すると中央政府が関与するのが官幣社、地方政府が
関与するのが国幣社と区分しています。関与とは神祇官が祈年祭に幣帛を授与することであり
やはり国家として重要性を認めた神社だと思いますよ
平安時代の作と考えるのも早計でしょう
新嘗祭・祈年祭などは神道(国家祭儀)の根本であり、時代が下っても重要性に
変化はないと思います
仏教伝来以降朝廷では神道の重要性が薄れたなどと考える人達がいますが
仏教を守護したのは上皇などの地位に引かれた人達で、天皇は神道中心です
信仰の対象なので、やはり地元の住民の方の敬う気持ちが一番大切であり
その意味において式内社・式外社何れも尊いものですね
国幣・官幣の違いは、都との交通の便の差異から生じたもので格の違いはないようです
畿内には官幣社が多くありますが、畿内説の方は官幣社の多さを誇っています
邪馬台国・初期倭朝廷が発展・成長した後移した都の地ですから「交通の便」が良いのは当たり前です

是非とも下記の点について地元の痕跡を教えて頂きたいですね
瓊瓊杵尊に随伴した天孫降臨時の氏族の痕跡
咲久夜姫のご両親の痕跡
子供たち、孫たち始め一族に繋がる人達の痕跡
その他参考になるもの

651 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 18:37:59.03 .net
不思議な話だが、今まで歴史学会やらテレビなどで見たり聞いたりしていたこと
には全く興味が持てなかった。
というのも、九州説にせよ、近畿説にしろ余りにも根拠が乏しいだけでなく
全く表面的な話にしか思えなかったから。
ところが、最近になってはじめて興味を持った。
それは、日本の歴史学界とは無縁の人たちによる考察だったか
はるかに知的ではるかに本質に迫るものだった。
それが、阿波説と糸島平野説なんだけどね。
どちらも私は好きだよ。
そして、この二つの考察から少なくともいにしえの日本をより深く知れるようになった。
歴史学会の話にではそんなことは全く無かった。
これはいったいどういうことだろうね。

652 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 18:42:20.79 .net
糸島平野説も九州説なのでは??

653 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 18:50:25.89 .net
>>652

アプローチが全く違う。
どちらも検索すれば出てくるから
ここでは詳しく述べないね。
ただ、調べてわかったことは京都大学派と東京大学派のつまらない
権威争いだったということ。ほんとくだらないよ。
糸島平野説も阿波説もそういう学閥の外からの考察なんだよ。
ここ数年のことだ。しかもどちらも今までの論よりはるかにレベルが
高い。

654 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:21:08.15 .net
九州説、畿内説供 無機質な議論だね
古代の人達の生活実感が伺えないんだよ
言葉遊びばかりで本当につまらない

655 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:24:03.28 .net
議論じゃない、意味の無い雑談だ

656 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:32:54.86 .net
学者とは事実や真実よりも自分の学者人生なんだよ。
その範疇に無いほとんどの人から見れば全くくだらないことだ。
それが、この卑弥呼問題で露になっている。
哲学者は世界を見る、哲学教授は哲学者の書いた本を読んで哲学を論じる。
この圧倒的な差は埋めようが無い。
同じことなんだよ。
だから、歴史学者は何にもわからない。
ただ、前例に従って踏襲しているだけだ。

657 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:38:56.18 .net
倭国大乱の首謀者は孝霊天皇
孝霊の子供が孝元天皇、モモソ姫、吉備津彦


孝霊が吉備を攻めたのが倭国大乱の発端

吉備は出雲の属国(銅剣祭祀圏)
畿内は出雲の友好国(大国主の息子事代主が葛城に鎮座)

当時は畿内政権の豪族の一つにすぎなかった天孫族の孝霊が吉備を攻めて我が物としまったから
出雲からは「何してくれてんだ舐めてんのかお前」
畿内政権からも「やっかいなことしてくれたなあ」となる

収集のつかない大乱の始まり


孝霊の死後、後を継いだモモソは吉備を弟の吉備津彦に任せ、弟の孝元と共に畿内入り

658 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:42:47.78 .net
どうだっていいような歴史なら歴史学者がどうであれどうだっていいだろう。
しかし、日本の本質や原点に関わることであれば
日本国民にとっては事は重大性をおびる。
たかが、歴史学者の人生こそどうだっていい。
日本国民の過去・現在・未来に関わることなのだから。
だかこそ、糸島平野説や阿波説が出るんだ。

659 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:46:45.56 .net
くだらん戯言垂らすな  (歴史)捏造は反日朝日新聞だけで結構

660 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:48:56.88 .net
随伴者として知られるのは、宗像大社に祀られる宗像三女神です。
咲耶姫の親はイザナギの子の一人である大山祇であり、それを祀る大山神社は全国に1000社近くあります。
邇邇芸と咲耶姫の子の彦火火出見は近くの高祖神社の祭神です。

661 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:56:55.18 .net
細石神社が瓊瓊杵に纏わる宮とする根拠はいくつかあります。
まず、記紀における邇邇芸の天孫降臨の地は筑紫の日向のクジフル峰とされていますが、細石神社や高祖神社がある糸島平野の東に高祖山という山があり、その中にクジフル峰という地名があり、その麓には日向峠、日向川などの地名があります。
記紀には邇邇芸がその上から国を眺め、西も東も開けて、韓国に真っ直ぐ向いたいい国だと言ったとあります。筑紫の日向が宮崎県だとすると何のことかさっぱりですが、
福岡県の日向地区なら、東は奴国の王墓がある福岡平野、西は伊都国の王墓がある糸島平野、北は博多湾を出てすぐに対馬海峡から朝鮮半島に渡れます。
さらに、隣の平原王墓からは、邇邇芸が持ってきたとされる八咫の鏡と思われる、円周が八咫の大きさの鏡が出土しています。
細石神社の周辺には、邇邇芸にまつわる伝承と遺物が数多く揃っています。

662 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 19:59:22.38 .net
まさか卑弥呼の話からこうなるとは思わなかった。
だが、つながるんだ。
マスメディア・法学部、そして歴史学科の歪み。
それが一つになる基点は、敗戦だとね
GHQ。
そう、あのGHQを今も引きずっているのが朝日新聞社であり
法学部であり、歴史学科だということがなぜかわかった。
だが、深い霧は徐々に散らされてきている。
それもほとんど同時に。

663 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 20:00:36.41 .net
考古学的には、福岡県は全国で最も早く水田稲作が開始され、最も古い高殿建築が確認され、最も古い王墓がある地域です。
中国の史書には、奴国、伊都国など、倭国を代表する王都が記録されています。
記紀においても、筑紫の日向として、伊邪那岐が禊を行ったり、邇邇芸が即位した地として登場すします。

664 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 20:15:45.94 .net
最も古い吉武高木遺跡は前2世紀、新しい平原遺跡は3世紀、これが記紀の上代の実年代です。
王墓の建設が福岡平野から高祖山を挟んだ糸島平野の三雲南小路遺跡に移動するのが前1世紀頃であり、邇邇芸の実年代です。
この場合、高祖神社がいわゆる高千穂宮と推定されます。
古代九州においては、現在我々が宗教施設として見ている神社が、王族の暮らす宮そのものでした。
王族の死後、彼らを祭神として祭り、神社は無人の建物になったのです。

665 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 20:20:50.31 .net
吉武高木遺跡の近所にある
飯盛神社を調査すべし。

このあたりの集落の中心的神社で、
高祖山の西の神社が高祖神社なら、
飯盛神社は東に位置するといえる。

666 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 20:21:21.57 .net
一連の筑紫王家の中でも最も豪華な副葬品が出るのが伊都国の平原王墓であり、史上最大の銅鏡である八咫の鏡が出土しました。
その推定年代は200〜250年頃であり、卑弥呼の治世である180〜247年と重なります。
平原王墓からは2000個の玉も出土しており、被葬者は女性であったと推定されています。
伊都国は魏志には王家があると記され、郡使がとどまる、倭国を代表する外交の場でもありました。

667 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 20:21:27.16 .net
>>664
九州はね。魏志倭人伝に合致しないのよ。丹山が無いから。

668 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 20:27:54.45 .net
紀元前から卑弥呼の時代まで、考古学的にも内外の文献的にも一貫して福岡県北西部が倭国と呼ばれた国の中心でした。
魏志には畿内の話は出てきません。
記紀にも、神武以前は畿内の話は出てきません。

669 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 20:35:08.41 .net
>>668
魏志倭人伝は倭国(阿波)の事象を大変分かりやすく記述してくれている。
・帯方郡の東南の大海の中に在る
・男子は大人、子供の別なく、みな顔面と身体にいれずみをしている。
・倭の水人は、好んで水中にもぐって魚や蛤を捕る。
・稲や貯麻を植え、桑で蚕を飼って紡績をおこない、麻糸・きぬ・綿を産出する。
・倭の土地は温暖である。
・中国で白粉を用いるように、朱や丹を身体に塗る。
・その葬儀には、「棺」はあるが、「槨」はない。盛り土をして「冢」をつくる。
・真珠、青玉を産出する。
・山には「丹」を産出する。
・生姜、橘、山椒、茗荷が採れる
・東に海が在る
・その海を渡り、1000里行くと倭国(阿波)とは別の国が在る
・倭の地は周囲5000里
・銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を与えられた
・倭王は丹を献上した
・卑弥呼が死んだ時、倭人は直径百余歩の塚を盛大に作った

670 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 21:22:00.14 .net
飯盛神社

祭神はイザナミ。
ただしこれはニニギが降臨した際に祭ったものだという。
本来の祭神はスサノオの子、五十猛とされる。
福岡平野側はニニギより古い時代なので、矛盾はない。
もともと福岡平野はスサノオ王家の領域であったが、ニニギが制服するにあたり、共通の祖先であるイザナミまで遡って祭ったものかもしれない。

大国主らスサノオ王家の土地は出雲ではないかって?
出雲は出雲でも、それが島根県であるとはわからない。
大国主が出雲の葦原の中つ国で降伏したのにニニギが降臨するのが筑紫である意味がよくわからなかったが、葦原の中つ国が福岡平野のことなら辻褄は合う。
葦原とは稲田のことであり、玄界灘周辺は最古の稲作地域である。

671 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 21:39:40.99 .net
>>670

福岡平野を挟んで反対側の糟屋郡には
イザナギの太祖神社もありますね。

672 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 21:42:38.39 .net
関西人と異なって貴方は一応整然と説明をされていますね
貴方の人柄が偲ばれます
何点か疑問が生じましたので質問させてください
貴方の説では高天原は何処をさしますか?
随伴者として宗像三女神を挙げていますが天児屋命・太刀玉命・鈿女命・天津久米命等の 
 の主役的な随伴者の方の痕跡はいかがですか?
上記の方々は天岩戸神事で活躍されていますが、同じく天岩戸神事で重要な役割を担った
 手力男命はどうでしょうか?
カササノミサキの先にカラクニが見えるとの事が古事記に記されていますが
 カササノミサキとは何処を指しますか?
カラクニを現在では韓国と表記しますが本当でしょうか?
 糸島から見えるのは対馬じゃないのですか?
 江戸期の人間が「韓国」と表記したのであって、異なる見解が考えられませんか
第一弾の質問は以上です
因みに阿波説では説明可能です
 

673 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 21:43:14.61 .net
>>642
>外国から贈られた国王印ですよ
>贈与された国王、その後裔、後に展開する朝廷が保持すべきものです

細石神社、高祖神社のいずれかが天孫降臨により築かれた高千穂宮であり、ニニギや神武、卑弥呼らの宮であったなら、金印を保有するのに十分な格と考えられます。
当時の王宮は、いわゆる宮造り、すなわち神社建築であったはずです。
そして、漢などと交渉していた倭国は、記紀にあるイザナミやニニギの筑紫の倭国であったのです。

いやまあ、そもそもどちらも倭国という名前なのですが。
多くの歴史学者は畿内の歴史しか興味がないので、そのルーツである九州北部には理解を示さず、ただの伝説として無視している。

674 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:08:16.52 .net
その他の随伴者についてはほとんど知られていません。
高天原も、海の向こうというだけしかわかりません。
対馬か朝鮮かもしれません。
から国は韓国です。
笠沙の岬は、博多湾を塞ぐ笠のような形の志賀島です。漢の金印が出たところです。
天橋立は、志賀島と九州本島との間にかかる海の中道です。
陸路で福岡平野を横切れば、降臨の地である筑紫の日向、高祖山のクジフル岳に着きます。
ここからは国見の詔にあるように、対馬、壱岐、韓国はほぼ一直線であり、古代の最も重要な航路です。
この航路を守護するのが、交通安全のお守りで知られる宗像大社の女神達です。
ニニギは産着に包まれて、船で福岡に赴任してきました。

675 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:17:10.94 .net
>>674
>その他の随伴者についてはほとんど知られていません。
>高天原も、海の向こうというだけしかわかりません。
>対馬か朝鮮かもしれません。

知られていない、わからないということは、糸島平野説ではないということ。

676 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:45:16.45 .net
いや、私が知らないだけ。

677 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 22:52:07.90 .net
紀元前〜紀元1世紀 出雲族(スサノオ、イタケル、大国主)の全国平定
領域 韓国南部〜九州〜中国


1〜2世紀 天孫族(アマテラス、タカギムスビ、オシホミミ、ニニギ)の九州統一、出雲族の排除
領域 韓国南部〜九州南端まで=金印倭奴国、帥升倭国
○補足○
・英彦山北側〜宗像〜遠賀川は出雲族の領域。英彦山の南北をオシホミミと大国主で分けあったという伝承が伝わっている
・上記の通りオシホミミは出雲族と接点があった。オシホミミと出雲族の女との子供がアメノホアカリで、ホアカリには「天照国照」という称号がついている。
天=天孫族(九州)と、国=出雲族(本州)の両方を照らす王子という意味。
・帥升が漢に莫大な貢ぎ物を送ったのに金印を貰えなかったのは、既に倭奴国として貰っていたから


一方本州では
1世紀 遠賀川出身のニギハヤヒが大国主と合流し共同で近畿開拓
2世紀 天孫族の神武が噂を聞き付けて畿内開拓に合流
○補足○
・ニギハヤヒはアメノホアカリと同一かまたは子孫
ニギハヤヒのフルネームは天照国照彦火明櫛玉饒速日命といいホアカリの名が付いている
・神武の東征ルートは宮崎→宇佐→北九州遠賀川→安芸→吉備→熊野→畿内
宇佐から東に向かわずわざわざ北九州に寄ったのはニギハヤヒの実家筋に挨拶するため
・神武系天孫族は地方官として畿内→新潟→阿波→吉備と移されて崇神の代に畿内に戻る(欠史八代)

678 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 23:17:24.78 .net
神武がいた高千穂宮は八咫の鏡があった糸島平野です。
そうしないと、難所である関門海峡を二度も通過しなくてはいけません。

679 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 23:18:29.10 .net
2世紀末 倭国大乱
倭国大乱の首謀者は孝霊天皇
孝霊の子供が孝元天皇、モモソ姫、吉備津彦
孝霊が吉備を攻めたのが倭国大乱の発端

吉備は出雲の属国(銅剣祭祀圏)
畿内は出雲の友好国(大国主の息子事代主が葛城に鎮座)

当時は畿内政権の豪族の一つにすぎなかった天孫族の孝霊が吉備を攻めて我が物としまったから
出雲からは「何してくれてんだ舐めてんのかお前」
畿内政権からも「やっかいなことしてくれたなあ」となる
収集のつかない大乱の始まり

孝霊の死後、神武系天孫族の後を継いだモモソは吉備を弟の吉備津彦に任せ、弟の孝元と共に畿内入り

モモソが大物主神と結婚(実態のない神との名目上の結婚)することで畿内勢・出雲勢を納得させ女王に即位(卑弥呼)
弟の孝元が補佐

モモソ即位に納得しなかったのがスサノオ・ニギハヤヒ祭祀を貫こうとした熊野・紀伊・河内=狗奴国
特に奈良盆地に接する河内の狗古智卑狗=コウチヒコとは強い緊張関係

3世紀頭 伊都国の女王死去と天孫大同盟
九州伊都国の女王が死に平原に埋葬される
天孫族の本家筋に当たる女王の葬儀には当然分家の神武系天孫族も参加
銅鏡祭祀を教えてもらい以後畿内の祭祀に取り入れる
同時に九州の天孫と畿内の天孫が同盟を結び九州から畿内に及ぶ大天孫政権が成立
伊都国の王は廃止されず地位は残る
(倭人伝『世有王・・・』)

680 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 23:18:54.89 .net
3世紀前半 魏に使者を送る
相変わらず狗奴国はモモソの王位に抵抗
北部九州の港を使えるようになったモモソは魏に使者を送ることにする

3世紀後半 卑弥呼死去と崇神即位
卑弥呼が死に再び畿内が紛糾する
天孫族当主崇神は狗奴国に属する紀伊国王の娘と電撃的に政略結婚し和平を結ぶ
崇神と紀伊国王の娘との子供が豊鍬入姫命(台与)
台与が13歳になるのを待ち女王に即位させやっと国中が治まる

681 :日本@名無史さん:2016/10/03(月) 23:35:49.38 .net
○補足○
・魏の使者の畿内へのルートは投馬国から水行10日+陸行1月
陸行1月かかるのは河内に狗奴国勢力がありそこを避けたため
兵庫あたりから上陸し陸路で奈良盆地へ

682 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 12:22:19.02 .net
銅鐸圏と銅矛圏の境界点は阿波
モモソ姫(卑弥呼)の伝承が残るのも阿波
九州と畿内を傘下に納めた邪馬台国の都は阿波

http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/img2011/%E9%9D%92%E9%8A%85%E5%99%A8%E3%81%AE%E5%88%86%E5%B8%83%EF%BC%88%E7%B4%80%E5%85%83%E5%BE%8C%E4%BA%8C%E4%B8%96%E7%B4%80%EF%BC%89.jpg

683 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 12:30:51.87 .net
卑弥呼=モモソ姫は正解
だが都は阿波
倭人伝『東に海』が当てはまるのも阿波
モモソ姫が住んでたと記紀に記されるのも阿波
神社伝承でも阿波の八倉比売神社
地名でも阿波(天香久山は阿波の天の元山が元祖。吉野川も阿波。)

684 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 12:36:04.54 .net
魏志『女王国(畿内)の南が狗奴国(熊野)』
後漢書『女王国(阿波)の東の海の先が拘奴国(熊野)』

モモソは阿波で即位→畿内へ移動し台与にバトンタッチ
記紀『モモソは戦乱を逃れて阿波に住んだ』記述の通り

685 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 15:30:08.54 .net
葦はイネ科の植物ではあるが、食べられる実など無く、僅かの人が新葉を
食用にする地域があるだけだ
葦原を稲田に見立てるなど気が知れんのー
川辺に茂る葦原を見たこと無いんだろうな
アンタの意見なのか、地域の人全体の意見なのか、とにかく意味不明
もっとも役立たず学者供もこね回した解釈をしてるがね
古代の地形・自然環境を思い起こさなきゃね

686 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 19:44:45.82 .net
役に立たない葦のことなんて書くわけない。
古代の文献の葦が稲のことを意味しているのは半ば常識だと思ったが。
無知をさらけ出してるんじゃねえよ。

687 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 20:31:27.50 .net
>>686
>役に立たない葦のことなんて書くわけない。
  古代の文献の葦が稲のことを意味しているのは半ば常識だと思ったが。

なら、葦じゃなく、「稲」と書けばいいだけ。葦は葦、稲は稲だろ?

688 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 20:51:35.08 .net
葦が稲であるのは半ば常識だとぬかすお主、
もしかしたらお主はゆとり教育時代の落とし子かい?
勤務先にもゆとり教育世代の子供たちが沢山いるが、まともな子は少ないね
社会人と表現するのがおこがましいので子供と評すよ

689 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 21:06:56.11 .net
豊葦原中国という言葉を知らないあなたがゆとり世代に見える。
言葉は知っていたけれど、本当に食べられない方の葦のことだと思っていた?
豊葦原中国は稲穂が豊かに実る平野の真ん中の国、という意味だよ。
具体的にどこなのかは諸説あるけれど。
それ以外の豊葦原中国の解釈があるなら教えてくれよ。

690 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 21:13:59.89 .net
>>689
それは
吉野川中流域の中州(舞中島、善入寺島)

691 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 21:29:12.54 .net
それは解釈ではなく、地名の比定。
アマテラスは、出雲大国主を倒して豊葦原中国を征服したから、邇邇芸を筑紫に送りましょうと言った。
豊葦原中国が吉野川では意味がまったく通じない。

692 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 21:44:57.91 .net
>>691
出雲は島根じゃないよ。筑紫は九州じゃないよ。

693 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 21:52:28.86 .net
単細胞は、後付け地名が頼みの綱だから。

694 :1 ◇q8leUXpsw:2016/10/04(火) 21:59:10.74 .net
うそ^^

695 :1 ◇q8leUXpsw:2016/10/04(火) 22:00:11.78 .net
なぜ

696 :1◇q8leUXpsw:2016/10/04(火) 22:04:06.46 .net


697 :1 ◇ q8leUXpsw:2016/10/04(火) 22:05:21.08 .net


698 :1 ◇ :2016/10/04(火) 22:06:56.17 .net
ウンガ

699 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 22:51:03.31 .net
逃げてきたの?

700 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 22:53:59.97 .net
九州説、畿内説に飽き足りないご様子で糸島説なるものを提示されていたので全体像を
知りたくて最初の質問をしましたが、瓊瓊杵尊の天孫降臨地と主張しているにも関わらず
降臨時の随伴神もご存じなく、随伴神の痕跡も示せず、挙句の果てに高天原所在地がが朝鮮などと
説明されるに至っては、感想の述べようもないね
君の説では、朝鮮人が葦原中津国の倭人から領土を奪ったとしか解釈できない
第2の吉田清治的作話で、これを朝鮮人が聞けば大喜びするだろう
宗像三神は天照大神と素戔嗚命の誓約時に誕生した女子であり天孫降臨と何ら関係なし
追加の質問をする意義もなし
完全に勉強不足である
本件を以て君或は糸島説を提唱する人のお里が知れたと結論あり

701 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 23:03:18.28 .net
はい、さいなら

702 :日本@名無史さん:2016/10/04(火) 23:30:14.70 .net
御説を伺いたい。
それから退出されたし。

なお、誓の件とか知らないわけではないが、歴史学的考察に必要がないので興味がないだけ。

703 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 15:39:18.25 .net
歴史学的考察に必要ないので興味がないにも関わらず随伴神に唯一宗像三神
をあげるのはなぜなんだよ、
興味があるから宗像三神を知ってるんだろ
地元ではみなさん宗像三神を随伴者と思ってんのかな

704 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 17:17:45.30 .net
宗像大社は現在も地元の信望が厚く、誓の下りは別としても、おそらくは地元の有力氏族と考えられています。
随伴神にも格差があり、宗像三女神は明らかに他の随伴神よりも格上の扱いを受けています。
現代でも宗像大社の札が交通安全の祈願として貼ってあるのは見たことありませんか?
猿田彦と並び、道案内人の代表として知られていると思います。

伊勢、住吉、宇佐などは時代により移動しますが、島がある宗像大社は移動しません。
この宗像大社があるところが邇邇芸の降臨ルートの一部のはずです。
壱岐や対馬から福岡に上陸した可能性が高く、高千穂=高須山説の根拠となりえます。

705 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 17:26:05.41 .net
そもそも宮崎県の山奥に邇邇芸が赴任する意味はありません。
アマテラスは邇邇芸を筑紫に派遣しており、それは筑紫の奴国などが古くから王都として栄えていたからに他なりません。
邇邇芸はアマテラスから数えて3台目であり、徳川三代家光のように生まれながらにして王となるべくして筑紫に下ったのです。
そして筑紫とは現在の福岡県北西部を意味します。

706 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 17:49:50.48 .net
>>705
>そして筑紫とは現在の福岡県北西部を意味します。

それは、勝手な決めつけ。後付け地名だから。

707 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 18:07:58.94 .net
古事記には「筑紫島」と天孫降臨の地「竺紫」とあるけどね

708 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 18:17:39.08 .net
>>707
だからなに?

709 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 18:24:51.85 .net
宗像三神は天孫降臨時の随伴神でないと何故解んないのかなー
古事記原文を読めよ

710 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 18:27:20.42 .net
「筑」と「竺」
原文で使い分けてるだろうに、意図が理解できないの?

711 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 18:48:40.09 .net
漢字の方が当て字にすぎない。

712 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 18:52:26.04 .net
OECD加盟国での国民の識字率・読解力の国民比較データーがある
韓国人は識字率トップクラス、一方読解力は最下位クラスなんだって
それは何故?
ハングルは日本で例えれば「ひらがな」に相当
漢字を捨てたので、文書は全てひらがな文のみ
同音異語が朝鮮語でも沢山あるが「ひらがなのみ表記」では読解が困難だってさ
漢字の使い分けも理解できないようでは、韓国を笑っている場合じゃない

713 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 20:58:14.11 .net
記紀の細かい表記とかに惑わされて、物語の本質を見失っているね。
記と紀の間でも内容に差異があるというのに。

714 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 21:30:21.53 .net
オレのイメージでは日本書紀で古事記と相違する部分はほぼ創作

715 :日本@名無史さん:2016/10/05(水) 22:53:04.38 .net
自分たちの説に該当しない、自分たちの地域の状況に合致しないと
「記紀の記述が違うんだよー」とすぐ泣きを入れる僕ちゃんたち
寂しいねー   畿内説を唱える連中と同類になってるね
哀れだねー
みっともないねー
不細工だねー
「真実は細部に宿る」という格言も知らないんだろうな

716 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 00:50:27.34 .net
記紀は一部行った人を変えてる
暦が普通の一年期とは違う
都合が悪い事は書いてない
って以外はほぼ事実

717 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 01:12:19.63 .net
日本書紀に出てくる会話文って違和感あるんだよなあ
誰が聞いてたの?

718 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 02:02:16.54 .net
周りにいた家来が聞いていて記録した。
彼らは常に周りにいたが、わざわざ記録されることはほとんどなかった。

719 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 05:01:25.98 .net
そうじゃないシチュエーションも一杯ある

720 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 08:41:00.75 .net
例外を上げればいくらでもあるだろうが、キリがなく意味もない。
揚げ足取りに過ぎない。
そんな話がしたかったのか?

721 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 08:50:29.05 .net
意味がないという意味が分からない

722 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 09:52:29.07 ID:fFa6gBu+s
 ☆★ 邪馬台国と天皇の秘密解明!! ★☆

 日本人のルーツと神道、仏教の真実
  http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1025769358.html

 紀元前に秦からユダヤ教徒の徐福たちが集団で西日本に渡来してました。
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1060051594.html

 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1059998993.html

 最新科学による邪馬台国解明!!
 http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1060019603.html

723 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 10:20:59.93 .net
  
魏志倭人伝の記述に一番則した邪馬台国の場所は、久留米南部である。

724 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 10:23:59.25 .net
  




魏志倭人伝の記述に一番則した邪馬台国の女王の都する所は、久留米南部である。

725 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 10:32:36.29 .net
  
魏志倭人伝の記述に一番則した邪馬台国の場所は、筑紫平野東部内陸である。

筑紫平野東部内陸とは、筑後平野内陸部と北野地域のことである。
邪馬台国は、長官1名と次官3名による旧4ヶ国連合国家。

726 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 10:40:25.21 .net
ごたくこくな あほ

727 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 10:48:12.10 .net
記紀は語り部からの口伝だからなぁ

728 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 10:53:48.47 .net
  
邪馬台国の旧4ヶ国連合地域とは、
@八女
A浮羽
B小郡
C甘木朝倉

久留米三潴は「男弟」による女王の直轄地。
大陸と窓口国として、末盧國も「一大率」による女王の直轄地。

729 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 10:56:57.58 .net
有視界距離って水平だと5km、100m高いところで見て38km
末廬、伊都、奴国までの方角は間違ってないとも言えんだよね
魏志倭人伝通りなら九州だと思うわ

邪馬台国は九州ではないと思ってっけどさ

730 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 11:01:34.25 .net
>>729
>魏志倭人伝通りなら九州だと思うわ

末廬、伊都、奴国、不弥国はね。

731 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 11:23:00.19 .net
  
不彌國の南に投馬國と邪馬台国が隣接していると書いてあるので、
邪馬台国も北部九州になる。

732 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 11:47:11.18 .net
>>731
>不彌國の南に投馬國と邪馬台国が隣接していると書いてあるので、
    邪馬台国も北部九州になる。

どんだけ、北部九州に詰めこみゃ、気が済むんだ?

733 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 12:12:10.05 .net
弥生時代の終わりの九州の人口は多く見積もっても80万
九州のかなりの範囲は含まないと無理や

734 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 12:38:52.97 .net
九州南部は未開の荒れ地だから、人口の大半は稲作の発達した北部。
そもそも九州北部の倭国が後の天皇家につながるため、記紀神話の大半は九州北部が舞台なのは当然。
狭い地域の歴史が日本全体の歴史として残った。
吉備や阿波、畿内など他の地域の古い歴史は伝承されずに消えた。

735 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 12:45:17.96 .net
ごめん、記紀のではなく魏志か。
でも、実質的に倭国の範囲が変わるわけではないので、同じこと。
この時代の畿内は文献に登場していない。

736 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 13:06:17.15 .net
記紀神話のどんだけの知識がオメーにあるんやな
糸島の子供の知識程度だろ
糸島説の子供にされた質問をアンタにもしよう
答えてみーな

737 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 13:11:06.37 .net
>>734
>そもそも九州北部の倭国が後の天皇家につながるため、記紀神話の大半は九州北部が舞台なのは当然。

そもそも、これが間違い 独りよがり

738 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 13:14:27.73 .net
神武、神功、天智と
九州から畿内に移動する話が多いな。

739 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 13:16:44.36 .net
福岡の遺跡を見ればわかるように
人口的に飽和していたような北部九州。

畿内に限らず、ちょくちょく
移住があったんじゃないかねえ

740 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 13:17:57.07 .net
>>738
この、「九州から」が、そもそもの間違い 独りよがり

741 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 13:38:17.53 .net
奈良時代のイメージから、畿内が栄えていたかのように思い込んでいるだけ。
稲作文化はどこに上陸した?
紀元前の王墓はどこにある?
記紀神話の舞台はどこだ?
全部九州北部。

742 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 13:46:04.79 .net
景行天皇の熊襲退治も
北九州から始まって南下し
大隅で戦いを終える。
肥後を巡幸して筑後に帰る。

九州内で完結している。

743 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 14:00:07.82 .net
>>742
>九州内で完結している。

その前に、
倭国(阿波)→@東瀬戸内→山陰→西瀬戸内→北部九州→西南部九州
      →A畿内→東海→中部→北陸
      →B関東

744 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 14:29:30.43 .net
記紀神話の最初の部分、高天原での登場人物の痕跡を出してみろよ
なにもないんだろ  九州には
宗像三神を懲りずに出してくるんじゃないよ
景行天皇のクマソ退治だと?
勝手解釈するんじゃない
やはり漢字が読めないんだろ  九州の愚民は

745 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 14:35:27.41 .net
その通り
漢字が読み書きできないから女王の名前を卑弥呼なんて卑しい文字で書かれたわけだ

746 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 14:37:49.48 .net
瓊瓊杵尊とその后を祀る神社は全国にある
その二人と宗像三神しか神社痕跡ないんだろ
高天原から天孫降臨までの登場人物どんだけあるんだ?
なにもないじゃないか
挙句が高天原が朝鮮だとよ   ボケ

747 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 15:52:53.97 .net
魏志倭人伝に曰く
「参問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里」
この文章に照らして九州の何処に合致するのかな?

魏志倭人伝は信頼置けないなどと逃げ打つんじゃないよ

748 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 16:09:41.74 .net
>>744
どこなら高天原の痕跡があるんだ?
何も示さず文句だけつけるのは簡単だな。
高天原は九州ではないから九州に高天原の痕跡がないのは当然。
九州に痕跡があるのは主に天孫降臨から。

749 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 16:55:46.54 .net
高天原の痕跡って、なんなんだろう?

750 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 18:25:24.05 .net
漢字読めない人に漢文の解釈を求めるのは矛盾してる
漢字読めない人を虐めたらいけません
おちょくるのはもうやめてあげよう
九州説が畿内説より劣っているのが判明しただけで良しとしなさい
でも高天原が朝鮮なんて「とんでもない説」、九州を代表する説として
拡散してあげなさい

751 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 19:07:31.64 .net
宮崎高千穂町、宮崎高原町、熊本山都町、熊本阿蘇山カルデラ台地など
九州を挙げて「高天原はオレンチだ」と宣伝してたのに
異端者が「高天原朝鮮説」を打ち出して、内部抗争が激化

752 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 19:13:50.10 .net
>>747
この文章は前の
郡治-狗邪韓国-対馬国-一支国-末盧国-伊都国-奴国から繋がり
奴国から不弥国へ、更に斯馬国と続き傍国を次々に巡り烏奴国を経て奴国へ戻る倭地一周
北部九州の有明海岸一周だな。

753 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 19:14:18.77 .net
>>751
もともとバラバラだから。

きっちり、まとまっている説は阿波だけ。

754 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 19:18:47.09 .net
>>731
不彌國の南に投馬國と邪馬壹國は無い
日数による行程は帯方郡からのもの
投馬國は狗邪韓國を含む朝鮮半島南岸の名称
邪馬壹國は伊都国や奴国等を含む北部九州の国邑の連合体の名称

755 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 19:49:07.89 .net
北部九州有明海岸一周だと?
これが、絶在海中洲島之上、周施可五千餘里の説明?
やはり漢字読めないんだ、君なのか、君たちなのかは知らんがのー

756 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 20:25:34.47 .net
周旋って意味間違える人多いよなぁ

757 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 20:53:56.64 .net
阿波説は一人しかいないから、そりゃまとまるよ。
でも、高天原が九州にあるとか言っているのは記紀を読まずに適当に言いふらしているだけだよ。

758 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 21:26:13.84 .net
高天原朝鮮説を吹聴する理由
きっと朝鮮渡来人の末裔で、おれの先祖が倭を征服したんだと言いたいんだろうね
彼らは何でも朝鮮が一番と世界中に喧伝してるよね
キリストも武士道もスパゲティも朝鮮関連だとね
売春婦の数がアメリカ・オーストラリア・日本などで一番多いのが朝鮮人であることは
隠すけど!

759 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 21:39:39.18 .net
南朝鮮は当時は倭国の一部なんだけどな

760 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 22:38:42.14 .net
当時というのはいつの事かな?
新羅と百済に挟まれた半島南部の一部が任那と呼ばれた倭人の居留地である
君の言質では南朝鮮の全部或は大部分が倭国のように解釈せざるをえない
この辺で発見された前方後円墳は5世紀後半から6世紀中ごろのものであり
この事実からしても、強大化した大和朝廷勢力の半島進出が事実となる
半島南部にいた輩が日本を侵略したのではない

761 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 22:51:44.28 .net
イチャモンだけつけて自説を書かないクズ。

762 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 23:08:59.96 .net
>>756の事ね

763 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 23:18:29.08 .net
>>744-746
のことだろ。

764 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 06:33:13.62 .net
「絶在海中洲島之上、周施可五千餘里」 四国に確定
「其山有丹」 四国に確定

たった、これだけで、十分。

765 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 09:10:44.15 .net
>>764
四国以外おさめてなかったならそれで良い

766 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 09:17:46.78 .net
>>765
もう、おなかパンパン!

・帯方郡の東南の大海の中に在る
・男子は大人、子供の別なく、みな顔面と身体にいれずみをしている。
・倭の水人は、好んで水中にもぐって魚や蛤を捕る。
・稲や貯麻を植え、桑で蚕を飼って紡績をおこない、麻糸・きぬ・綿を産出する。
・倭の土地は温暖である。
・中国で白粉を用いるように、朱や丹を身体に塗る。
・その葬儀には、「棺」はあるが、「槨」はない。盛り土をして「冢」をつくる。
・真珠、青玉を産出する。
・山には「丹」を産出する。
・生姜、橘、山椒、茗荷が採れる
・東に海が在る
・その海を渡り、1000里行くと倭国(阿波)とは別の国が在る
・倭の地は周囲5000里
・銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を与えられた
・倭王は丹を献上した
・卑弥呼が死んだ時、倭人は直径百余歩の塚を盛大に作った

767 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 13:38:41.58 .net
>>756
>周旋って意味間違える人多いよなぁ

「周旋」に一周の意味はないよ。

「旋」の出発点と終着点は、全く別の場所だよ。
端から端までの意味。

768 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 13:47:00.77 .net
>>767
>「周旋」に一周の意味はないよ。
  「旋」の出発点と終着点は、全く別の場所だよ。 端から端までの意味。

「周」は?

769 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 13:51:15.60 .net
周旋 zh?uxuan

(1) [socialize]?打交道;?酬
周旋于?官??之?

(2) [contend with]?相机?退,与?手追逐?量
若不?命,其左?鞭弭,右属?鞭,以与君周旋。??《左?・僖公二十三年》
在山区与日本侵略者周旋

(3) [circle]??旋;旋?  ***********
跨?地?,周旋天网。??唐・ 李白《大??》

770 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 14:28:52.22 .net
奴国をでて奴国へ戻る倭一周
北部九州有明海一周

あんたらが2度も「一周」と明確に記している
だが「一周」の意味は無いと否定する

思考能力が無いことを晒しているね
朝鮮族の末裔さんへ

771 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 14:29:03.86 .net
>>767
別の場所なのではない
同じ場所である必要がないだけ

772 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 14:29:58.95 .net
周旋って端から端までってわけでもなく
巡り巡ってって意味だからな

773 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 14:30:49.68 .net
>>767
>「周旋」に一周の意味はないよ。
  「旋」の出発点と終着点は、全く別の場所だよ。 端から端までの意味。

「周」は?

774 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 14:45:34.75 .net
周遊と意味は近いよな

775 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 14:51:47.28 .net
邪馬台国に行くときに
往復して若干寄り道したのを
周旋と表現したんだろう。

776 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 15:21:14.45 .net
書き込みする前に自分の意見に統一性をもたせろよ
都度変えるんじゃない
朝鮮渡来人の末裔さん
邪馬台国朝鮮説を唱える人

777 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 15:45:34.25 .net
同じ人が書き込んでるとでも思ってんのか>>776こいつ

778 :761:2016/10/07(金) 17:11:02.99 .net
>>773
>「周」は?

「周」は「まわり」

>>774
>周遊と意味は近いよな

そうだね。
意味の違いは「旋」と「遊」の違い。

>>775
>往復して若干寄り道したのを周旋と表現したんだろう。

往復していない。
「周」と「旋」を足しても、往復する意味はない。

寄り道しながら一端から他端まで進むこと。
「まわりめぐる」

>>776
「同じ人が書き込んでるとでも思ってんのか>>776こいつ」と同意見。

779 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 17:17:25.82 .net
>>778
>「周」は「まわり」

「周」に「旋」がくっつくと、ぐるっとまわって元の所へ帰ってくる意味となる。

780 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 17:30:12.22 .net
周旋の意味は辞書通りだよ

781 :761:2016/10/07(金) 17:40:08.20 .net
>>779-780
>「周」に「旋」がくっつくと、ぐるっとまわって元の所へ帰ってくる意味となる。

現代語辞書の「周旋」をそのまま引っ張って来てはだめだよ。

「ぐるっとまわって元の所へ帰ってくる意味」は「周匝」です。

782 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 17:44:11.53 .net
>>781
>>「周」に「旋」がくっつくと、ぐるっとまわって元の所へ帰ってくる意味となる。
>現代語辞書の「周旋」をそのまま引っ張って来てはだめだよ。
現代の辞書にもそんな意味ないですよ

「ぐるぐるまわる」「めぐりめぐる」「めぐりあるく」
他「世話」が絡む意味です

783 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 18:09:37.65 .net
>>781
「周旋」:「ぐるぐるまわること」
http://www.weblio.jp/content/%E5%91%A8%E6%97%8B

>「周旋」に一周の意味はないよ。
  「旋」の出発点と終着点は、全く別の場所だよ。 端から端までの意味。
    ↑
   デタラメ

784 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 18:31:21.51 .net
>>783
>>「周旋」に一周の意味はないよ。
>>「旋」の出発点と終着点は、全く別の場所だよ。 端から端までの意味。
    ↑
>    デタラメ

キミ、工作機械「旋盤」を知っているか。
「旋盤」は機械の機能を実に適切に表現している。
旋盤の回転しながらの削り始めと削り終りは違う場所だよ。

785 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 18:33:51.90 .net
ぐるぐるまわるって一周って意味ではないからな間違えんなよ

786 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 18:37:44.43 .net
>>785
「旋」って端から端までの意味ではないからな間違えんなよ

「旋」の出発点と終着点は、全く別の場所だよ。 端から端までの意味。
    ↑
   デタラメ

787 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 18:39:15.17 .net
どーでもいいわ、終了で

788 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 18:49:29.78 .net
>>787
どーでもいいけど、デタラメはやめな!

789 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 18:49:44.51 .net
>>786
それ俺じゃないし

790 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 18:53:34.80 .net
周旋は「端から端まで」って意味でも
「一周回って」って意味でもないから
ただ単に「めぐりめぐる」

791 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 19:15:58.55 .net
>>790
「周旋」:「めぐりめぐって、ぐるっとまわる」だな。

792 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 19:40:26.39 .net
何だかんだ言っても、高天原朝鮮説から始まる邪馬台国糸島説なんかは
この地の人間以外歯牙にもかけないから捨て置きなさい
日本は「言論の自由」が保障されていますから自由に発言させなさい
純粋日本人には何ら影響を与える事は無いと断言できますからね
なんたって我国が朝鮮人に占領されたとする説ですから笑っちゃいますよ

793 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 20:01:58.10 .net
南朝鮮は倭国

794 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 20:12:20.14 .net
高天原朝鮮説は別の話だろ。
混ぜるな危険。

邪馬台国糸島はここで書かれていた?
書かれたのは天孫降臨福岡説だろ。
混ぜるな危険。

795 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 20:27:26.23 .net
堂々と書いてあるだろ
宗像三神が天孫降臨時の随伴神とまで断言してんだろ
ドアホが!!!!

796 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 20:29:27.56 .net
そこは合っているだろ。
いろいろ混ぜるな危険。

797 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 21:17:48.78 .net
アホな人にドアホなんて言っちゃ駄目だ
学校でいじめは駄目だと教わったよね、バカ呼ばわりするのは
いじめ行為だよ
新たな発見がありました
宗像三神が随伴神だと思っている二人目が登場です

798 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 21:22:04.71 .net
>「周旋」に一周の意味はないよ。
  「旋」の出発点と終着点は、全く別の場所だよ。 端から端までの意味。
    ↑
   このデタラメ言ってる人は何人目?

799 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 21:23:35.70 .net
道案内と交通安全の神様です。

800 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 21:26:28.37 .net
>>799
道案内の神様は猿田彦。

801 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 22:14:05.33 .net
>>790
ぐるぐるって意味はあってもぐるっとって意味がない
回とかカイ系の文字が必要

802 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 09:48:41.60 .net
  

「周匝」:「めぐりめぐって、ぐるっとまわる」だな。一周するの意味がある。

「周旋」:「めぐりめぐる」だな。 一周するの意味はない。

803 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 10:05:04.54 .net
「周旋」は「めぐりめぐる」だから一周とは限らず何周でもよいが
一周も含まれるので一周だと分かる文章なら一周と訳しても構わない。

804 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 10:14:39.39 .net
遊山に来てるわけじゃないだろ
ほんまにドアホばかりだな
こいつらは
全国に恥さらしてるね 糸島の住民の恥おね
高天原朝鮮だってよ
宗像三神は天孫降臨瓊瓊杵尊の随伴神だってよ

805 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 11:45:41.71 .net
>>803
たまたま一周の場合は許されるけど
一周だとはわからんのだけど

806 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 13:00:01.59 .net
>>805
あほ、何度も回るか!!

807 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 13:18:08.16 .net
>>806
半分でも良いんだよ。それくらいは気付こうね

808 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 13:32:22.13 .net
>>793
>南朝鮮は倭国

正確には、韓南は倭である。

「韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接、方可四千里」魏志東夷伝韓条冒頭部

809 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 14:08:09.64 .net
倭国の天津国は朝鮮半島南岸から九州北岸にかけての対馬海峡に成立した交易国家。
後に国津神を倒して倭国全体の支配権を手に入れ、稲作が中心の国になった。

810 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 14:50:27.36 .net
任那が倭の植民地なんだよ
南朝鮮の狭い一部が任那で日本府が置かれた場所
高校歴史で習ったろーが、ボケ共
そんなに朝鮮族を持ちあげる理由はなんなんだ
ついに九州北岸まで朝鮮族の国にしてしまったな

811 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 15:06:11.65 .net
いつの時代の学校教育でしょう。
老害は困ったものですね。
せめて自説でも披露してみては?

812 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 16:16:20.95 .net
倭人の地=倭国ではないので気をつけよう

813 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 17:19:13.78 .net
>>807
半分だと「めぐりめぐる」じゃないな
一周以上ね。

814 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 17:30:29.86 .net
朝鮮半島南岸でも朝鮮族とは誰も言っていない。
あくまでも倭人。
そして、倭国の一部。
南九州や四国、本州は倭人のいた倭地だが、邪馬台国の時代にはまだ国家としての倭国には含まれていない。

815 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 17:56:04.76 .net
>>813
辞書自分で引いたら?
めぐりめぐるとぐるぐるまわるってそれぞれ別の用法だよ

816 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 18:03:14.74 .net
倭国の天津国は朝鮮半島南岸から九州北岸にかけての対馬海峡に成立した交易国家?
すごいね  新たに対馬海峡両岸に新たな国を作ってしまったよ 
天津国なんて初めての登場だね
海岸からどこへ降臨するんだろう
「降臨」の単語も通常されている意味以外がされるんだろうな
空想を働かす優れた頭脳だな
空想を真実と思いこむ朝鮮族の特質がここにも発揮されている
すごいね

817 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 18:42:14.43 .net
どうしても朝鮮族にしたいやかららしい

818 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 21:02:39.80 .net
魏志韓伝
韓は帯方の南に在り。東西は海をもって限りとなし、南は倭と接する。

朝鮮半島の南岸は倭であった。

819 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 21:08:38.22 .net
天照は稲作の発達した九州北岸を欲し、大国主を倒して孫の邇邇芸を筑紫の王とした。
邇邇芸は伊都を都として倭国を治めた。
伊都国は、その名の通りその都である。

820 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 21:17:10.96 .net
>>816
降臨って、空から降ってきたと思っていた?
ファンタジーがお好きなんですね。

821 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 21:39:35.76 .net
高千穂の湖の一つには、高天原から落下してきた
ときにできた大穴であるとの伝説がある。

さぞかし痛かったであろう。

822 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 22:54:41.71 .net
高千穂は、高い千の帆という意味ではないだろうか。
阿蘇の古名・別名は千帆という名前だったと聞いている。
火山が大量の白い噴煙を噴き上げ、天まで届く情景を古代人が高千帆と呼び、
高千穂に引き継がれている。当時、阿蘇山、霧島山、桜島が噴煙を上げる景色
と自らが乗っていた帆船から、天孫降臨を着想したのではないか?
帆船で日本に来た海神族ということを証明しているのではないだろうか?

823 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 23:02:39.19 .net
帆船? いつの時代の話だ

824 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 23:06:49.71 .net
支那には帆船があったな

825 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 09:27:49.30 .net
>>822
とても興味深い。阿蘇の古名と千帆の由来がわかるとこがあれば教えてください。わかるとこまででいいので。

826 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 10:24:28.08 .net
古事記には天孫降臨時海を渡ったなんてこと一切書いてない
糸島説は海を渡ったと解釈する
すごい頭の構造だね  このような展開を日本人は捏造・妄想と表現する

827 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 12:03:07.42 .net
船での降臨が記紀に書かれてるのはタケミカヅチの出雲上陸とニギハヤヒの近畿上陸だけだな
ニニギは船じゃなくてなんか布団にくるまれて落とされたんだろ?

828 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 12:31:27.77 .net
高天原には馬がいた
倭国には馬はいなかった

829 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 12:34:10.32 .net
じゃあ韓国じゃん

830 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 13:41:07.29 .net
子供用の産衣みたいなのに包まれて運ばれた。
降臨した時はまた子供で、生まれながらにして王となるべく育てられた坊ちゃんだ。
咲耶姫に何と言ったと思う?

831 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 13:44:35.16 .net
>>827
神武東征も

832 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 14:03:12.65 .net
>>827
では、高天原も九州なのか?
天孫降臨は九州内の移動に過ぎないと。
まあ、伊邪那岐の禊が筑紫の小戸=福岡市内だから、行ったり来たりが激しいなとは思ってた。
するとますます古代史の舞台は完全に九州北部で収まるな。
大国主がいた出雲が実は筑紫岡田の宮という説もあるしな。

833 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 14:15:01.13 .net
オタクラは高天原は朝鮮だとぬかしてんだろ?
コロコロ私見を買えるんじゃないよ

伊弉諾の禊の話がでたから質問
この禊の中で、天照大神はじめ三貴神が生まれる前に、他に十二神が
生まれているが九州に何か痕跡があるのかい?

834 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 15:00:55.29 .net
>>832
九州でいいんじゃない

835 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 15:06:23.21 .net
矛で建国したんだろ
書いてあるまんまじゃん

836 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 15:40:35.00 .net
前から思っているんだが
緑青に包まれて腐食しない銅製品と違って
出土する鉄製品ってボロボロじゃん

鉄剣とか刀子とか分類されてるけど
原型をとどめないボロボロの錆片だよな

元は鉄矛だったりするんじゃねーの?

837 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 16:07:31.23 .net
矛と剣は長さがかなり違うから、さすがに区別できるだろう。

838 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 16:08:39.88 .net
腐食しててもソケット状の形状は残ってることが多いから
見間違えることはないだろう

839 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 16:09:55.22 .net
鉄矛は九州からしか出土していないのだが
如何せん数が少なすぎる
鉄戈よりも少ない

九州で間違いはなかろうが

840 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 16:15:58.04 .net
鉄は希少品であり、鉄剣は支配階級の象徴。
銅矛は一般兵の武器。

841 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 16:35:39.65 .net
くだらんことグダグダやるな
質問に答えなさいよ
そんな神様知らないのかい?
金属製品の話の場ではないよ
九州説の真髄をお披露目しなさい

842 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 16:48:47.90 .net
イザナギ(伊耶那岐)
イザナミ(伊耶那美)

伊都と、奴国の那珂川かなと思ったのが3年前

843 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 17:14:56.54 .net
凪と波だから、一般名詞なんだよな。
いざは神に対する尊称、接頭語、呼びかけ。

844 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 17:19:54.93 .net
伊都にいる祭祀女王が語源となって
神に対する尊称、接頭語、呼びかけとなったのだろう

845 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 17:21:30.54 .net
凪と波か
やっぱり海なんだな

846 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 17:38:33.75 .net
海人族だからな。
もともとは海の国。
アマテラスは海洋の王だ。
照らす、は支配するの意味。
陸上の王である大国主を倒し、孫は海と国を同時に支配する王となった。

847 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 18:35:22.96 .net
宮中八神殿ご存じですか
天皇守護の八神を祀る神殿とされ、現在に至るまで祭儀が行われています
八神の一つが「事代主命」です
九州説は天皇系統のご先祖が大国主(一族)を征伐したように解釈するが
 ではなぜ大国主の子である事代主を今に至るも祭儀しているのでしょうか?
その他の八神で大宮売神、御膳神がいらっしゃいます
大宮売神は京都押小路家所蔵文書では「大宮売神は阿波にある天岩戸別矢倉比売神社の御祭神」と
 しるされ「天照大神の尊称」とも記されているようです
御膳神は伊勢神宮外宮の主祭神で、古事記国産みの条で「阿波の別称」として
 明示されているオオゲツヒメ(食物神)です
なぜ宮中八神に阿波と関係の深い二人の女神が祀られているんでしょうね
事代主と阿波との関係は長くなるので省略しますが、徳島県南にある
 事代主神社には皇太子殿下が行幸されています
 観光化された大きな神社と異なり、徳島の事代主神社はどこの田舎にでも見られる
 小さな神社ですから、わざわざ行幸された理由に興味が尽きません

848 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 18:40:34.62 .net
調伏した敵を神に祀り上げて守護させるのは東洋の伝統だが

849 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 18:50:50.62 .net
朝鮮 シナ人は そんなことしないだろ
ホント バカ 丸出し  九州人の恥をさらしてる
その他にも質問があったよ
答えてあげなさいよ

850 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 18:51:09.91 .net
そう考えると天照大神も・・・

851 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:04:21.42 .net
事代主は奈良盆地の葛城に鎮座してたんだから大和朝廷の祖のひとつでしょ

852 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:06:48.59 .net
大国主は息子を奈良盆地に常に派遣して駐在させてたんだよ
畿内と出雲は同盟国

それを吉備からの東征勢力が奈良盆地から出雲の影響を排除したわけだ

853 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:09:03.62 .net
事代主神は鴨族が信仰していた神だな

854 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:10:48.99 .net
国譲りときの事代主と葛城山の事代主は全くの別物だろうね。
祟りが怖いから、倒した相手も祭るのは当然のこと。
ていうか、蔑ろにしたらその部下が抵抗勢力になってしまうからね。
国をまとめるためには敗者も尊重すること。
これ大事。

855 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:14:07.27 .net
>>852
惜しいな

北部九州→銅矛→高地性集落→吉備→

856 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:14:18.59 .net
その時代の奈良盆地はわざわざ息子を派遣するような価値のあるところではない。
記紀神話は九州北部から、せいぜい山陰、北陸までの物語。
瀬戸内海沿岸や畿内のことは、上代においては内外いずれの史書にもほとんど記されていない。
そこは倭族が住んではいるが、いわゆる倭国ではない。

857 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:23:21.78 .net
いわゆるフロンティアだったんでしょうな

鉄器の無い銅鐸地域に
倭人の中の荒くれ者が侵略して
土地は切り取り放題

858 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:24:36.48 .net
>>856
大国主の国作りの項にあるだろ

光輝く神(大物主)が船でやってきて「私を三輪山に連れてけ」というから連れてったと

神武東征の項に「畿内は同じ九州出身のニギハヤヒがおさめてた」とあるからニギハヤヒ=大物主なわけじゃん

大国主と大物主(ニギハヤヒ)が共同で奈良盆地を開拓し
大物主は三輪山に鎮座し、大国主は息子の事代主を葛城に鎮座させた


こういうストーリーでしょ

天孫系の説話とは別
天孫族の九州統一と同時進行で起きてたことだろうよ

859 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:25:48.07 .net
相変わらず馬鹿ばかりだね
九州にはまともな人間おらんのかね?
二人の女神にはコメントもできんのか?

860 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:31:09.97 .net
朝鮮人末裔たちをいろべたらいかん
宮中八神も知らないんだから、無知な朝鮮人末裔は半島に帰ってもらおう

861 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:36:10.55 .net
>>858
稲作は先の時代に普及していたから
畿内にも人口はそれなりにいたわけで

そこに鉄戈をもって先行して侵入した倭人が大物主
畿内在来の唐古鍵と同盟

ほのぼのと未開の畿内を耕してたら収穫が上がってきて
天孫族に目をつけられて
倭国大乱で全部刈り取られたんでしょ

862 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:36:21.18 .net
これの一部が東遷説

http://up.gc-img.net/post_img/2013/04/vbQr85p3ZkwEYvg_gO5Ak_192.jpeg

863 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:41:19.00 .net
天孫降臨神話・国譲りが編纂されたのは初の律令制定と同じ時期だから
豪族が代々所有している土地を大和朝廷の天皇が統治する
正当性の根拠として創作したんだよ

864 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:45:39.17 .net
残念

硯が出土しちゃったからね
歴史書(帝紀・旧辞)が文字として残っていたことが確定

正確な記録が残っていたからには完全な創作は無理
後世の歴史書も
ある程度の正しいバックグラウンドを持っている

865 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:48:24.36 .net
硯が出たのは糸島だから、使ってたのが倭人とは限らない

866 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:51:12.90 .net
苦しすぎ・・・

自分で言ってて空しくならないのか可哀想になるレベル

867 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:57:58.75 .net
硯が出ただけでそこに歴史書(帝紀・旧辞)が云々とか妄想も甚だしい

868 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 19:59:41.76 .net
糸島で硯が出土

倭人は文字を使っていた

歴史書も文字で編纂されていた

869 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 20:00:46.86 .net
糸島で硯が出土

倭人は文字を使っていた

魏への朝貢使節は外交文書を携えていた
(決して公孫氏目的で行ったのが急遽魏に変更では決してない)

870 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 20:02:28.40 .net
糸島と島根で硯が出土
日本海の土器が博多湾へ流入

倭人倭種は文字を使っていた

倭人倭種は日本海沿岸を支配していた

871 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 20:02:57.68 .net
糸島は伊都国と呼ばれた倭国の都。
邇邇芸の一族が治め、卑弥呼が君臨した王都。
畿内は饒速日の子孫が治めた別の勢力。

872 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 20:03:55.54 .net
糸島と島根で硯が出土
日本海の土器が博多湾へ流入

倭人倭種は文字を使っていた

倭人倭種は日本海沿岸を支配していた

日本海沿岸からの年貢によって
北部九州邪馬台国
特に首都である伊都奴国が
多大な人口を養っていた可能性

873 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 21:22:39.74 .net
よくこれだけゴタクを並べられるね
「朝鮮人はいかにも本当のように嘘を吐くと」いわれているが
感心するわいね
神戸、京都界隈にも多いというね
住みたくない

874 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 21:36:07.84 .net
>>873
へー

で、狗邪韓国は何人の領土?

嘘を吐かないでね

875 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 22:10:47.28 .net
畿内説のスレ主が出張してきているんじゃない?
相手にしなくていいよ。

876 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 23:04:49.02 .net
卑弥呼の時代は崇神天皇から神功皇后の間だろう。時系列をいじるならもう少し説明が欲しいなー。わけがわからん。

877 :日本@名無史さん:2016/10/09(日) 23:15:54.17 .net
>>876
崇神の前から崇神の時だよ

878 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 00:04:28.91 .net
卑弥呼は崇神だったという説はあるかも

879 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 01:06:11.97 .net
日本書紀は神功皇后の年代を120年繰り上げてある。
半島などの記録との比較でわかる。
崇神もおそらく同じ。
卑弥呼の年代は一番信頼できる中国の史書によるもの。

880 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 10:25:59.76 .net
>>50
>>54
良い例えだな
あると思います

881 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 12:34:59.19 .net
平原遺跡の銅鏡は、同型の中国鏡と詳細に照らし合わせて
その9割以上が国産鏡と判断したんだろ?

じゃあ
同型鏡が中国で全く出土しない銅鏡なんて
はなから国産鏡で確定だよね

882 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 17:34:20.99 .net
卑弥呼とは役職名じゃないの?
本当の役職名は◯◯◯巫女じゃないの?
卑弥呼=一人と思うから結論が出ないんじゃない?
まあこの説もありきたりなんだが。

883 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 17:56:21.66 .net
役職名が固有名詞的に固定されたのでしょう。
別に複数人ということはない。
役職的には壹與が継いでいるし。
日御子とか日巫女とか、いくらでも日本語として読めてしまう。

884 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 18:26:23.86 .net
個人データが多いので役職ではないだろうな

885 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 18:29:18.87 .net
卑弥呼が女王になったのが180-190年
計算しやすいように、即位187年死去247年と仮定してみる

複数の文献に
卑弥呼はある程度年長となってから女王になったとある

187年に20歳で即位した仮定すると
247年に20+60=80歳で亡くなったことになる

187年に30歳で即位した仮定すると
247年に30+60=90歳で亡くなったことになる

886 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 18:31:34.41 .net
現代では装飾品は装飾品だけど
弥生時代の装飾品は呪術用具だぞ

ましてや卑弥呼は鬼道を行う巫女なんだから
卑弥呼に副葬される装飾品は呪術用具であって
流行でコロコロ変える類のものではない

887 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 18:33:53.83 .net
当時15歳以上生きた女性の平均寿命が30歳前後だったらしい

王族女性といえども出産は命懸けだっただろうし

卑弥呼と同年代の女性たちが
平均30歳前後で葬られたのなら

90歳で亡くなった卑弥呼の副葬品は
なんと60年の時代差を生じてしまうことに注目すべき

888 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 23:43:35.18 .net
出産年齢超えちゃうと
結構生きたんじゃないか?
80,90が他にもいたように倭人伝にかかれてんな

889 :日本@名無史さん:2016/10/10(月) 23:47:29.09 .net
平均寿命は短くても、長生きする人は確実に居るから。

890 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 23:10:40.03 .net
高天原朝鮮説信奉者はくたばったのかな?
九州の中でも妄想とされている糸島説はどうした?

891 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 23:30:41.77 .net
>>890
それはあんたの捏造、妄想。

892 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 23:51:35.53 .net
畿内説は
まともに論じることがないのと
言葉使いが汚らしいのとで
すぐに見分けがつく

893 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 23:54:21.78 .net
徳川家康の正室と側室

正室
築山殿(今川家)1542-1579 37歳没
朝日姫(秀吉の妹)1543-1590 47歳没

側室
長勝院(築山殿の奥女中)1548-1620 72歳没
西郷局(武家)1552-1589 37歳没
下山殿(武田家臣)1564-1591 27歳没
相応院(寺社)1573-1642 71歳没
養珠院(北条氏)1580-1653 73歳没
英勝院(里見家臣)1578-1642 65歳没
雲光院(武田家臣)1555-1637 83歳没
蓮華院(豊臣家臣)1586-1647 61歳没
養儼院(側室の侍女)1597-1625 29歳没
清雲院(北畠家臣)1580-1660 80歳没


信長が人生50年と謳った戦国時代で
40代以下が5人
60代超えが7人
たしかに成人になった武家女性はそれなりに長生きしてますね

894 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 00:24:58.84 .net
家康は徳川家発展のために
出産した実績のある未亡人を好んだから
そもそもの選択時点で健康な女性というバイアスがかかっている

895 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 00:27:32.77 .net
家康はマニアックな趣味だったんだな。
それはともかく、時代が違いすぎるだろう。

896 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 00:27:52.21 .net
女性天皇にしても
そもそも健康で優秀な女性だからこそ
他の男系皇族が見当たらない時に
女性天皇に選ばれたんだろうし
比較対象がなかなか難しいな

897 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 00:46:24.20 .net
徳川家の正室はいろいろ難しかったみたいだから
将軍の母親で調べてみた

家康から家慶までの生母一覧
(西洋医学の入る明治維新前に死去)

於大の方(1528-1602)74歳
西郷局(1552-1589) 37歳
江(1573-1626)   53歳
宝樹院(1621-1653)32歳
桂昌院(1627-1705)78歳
長昌院(1637-1664)27歳
月光院(1685-1752)67歳
浄円院(1655-1726)71歳
深徳院(1688-1713)25歳

25歳で出産として推定
至心院(不詳-1737家治出産-1748)35歳±?
お富の方(不詳-1773家斉出産-1817)44歳±?
香琳院(不詳-1793家慶出産-1810)43歳±?

898 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 00:50:15.20 .net
天下泰平江戸幕府で
夭折と長寿が五分五分だから
弥生倭国の妃だと
やっぱり50はなかなか超えられなかったのではなかろうか

となると>>885
卑弥呼が70代で死去だと通常の20−30年古い装飾品
卑弥呼が90代で死去だと通常の40−50年古い装飾品
となることを考慮しなければならない

899 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 21:49:16.70 .net
金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)が大分の日田で出土してるから北部九州。

900 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 23:10:53.81 .net
大型内行花文鏡、すなわち八咫の鏡が平原で出土しているから北部九州。

901 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 07:30:59.27 .net
>>899-900
それにしても、根拠が貧弱。  そんな動産、どこの代物やら。

902 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 07:58:49.57 .net
考古学を全否定ですか。

903 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 08:02:54.11 .net
>>902
動産のみで、考古学だと!?

904 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 10:32:33.43 .net
卑弥呼ヤマタノオロチ説
つまり邪馬台国は出雲国によって滅ぼされた
ヤマタノオロチに食べられた8人の女とは
邪馬台国に奪われた、もしくは奪った国の数と解釈 

905 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 10:37:43.47 .net
>>904
それにしても、根拠が貧弱。  そんな伝承、どこの代物やら。

906 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 11:05:14.68 .net
>>905
日本書紀
古事記

そして根拠があるものなどなにもないからな

907 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 11:26:03.73 .net
魏志倭人伝。

908 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 12:37:28.79 .net
>>903
どこかの蔵から出たならともかく、作られてしばらくして埋められたものがきちんと当時の状況で出てきたのに、それを無視するなら考古学なんてやめちまえ。

909 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 12:54:19.89 .net
>>908
だから、動産のみで、考古学だと!?

910 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 13:54:15.15 .net
九州だよなやっぱ。日本書記の神功皇后是歳条39年が西暦239年って・・・

北畠親房も神功皇后が唐に使いを送ったとか600年違うとかボケてんのかw。

捏造もいい加減にしろ。

911 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 13:59:04.12 .net
また馬鹿が調子にのってるな

912 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 14:05:39.62 .net
女山神籠石←いかにもそれっぽい名前=山門=やまと=やまと(たい)国。

畿内基地外説は明治以降のネトウヨ系思考。

913 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 15:45:49.87 .net
>>912
>女山神籠石←いかにもそれっぽい名前=山門=やまと=やまと(たい)国。

あんたも決して引けを取らんよ。

914 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 16:27:45.49 .net
>>842
イザナギのナギは蛇の古語

これ豆な( ゚ω^ )b

915 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 17:33:44.72 .net
邪馬台国は北九州から畿内纒向まで広がる大きな国だったのだよ。
邪馬台国にはけっこう簡単に行き着いたけど、そこから女王の都までは遠い。
実は魏の使者は纏向までは行っていない。
邪馬台国の中もたくさんの小国に分かれていた。
男王が立つと邪馬台国は乱れ、女王が立つと平和になった。
卑弥呼は姫巫女のことで、実は女王ではなかった。
天照大神(これは男神)に捧げられた人身御供である。
かんみそ(神御衣)を織る機織り姫である。
鬼道を行ったというが、それは中国人の想像。
後代の伊勢神宮の斎宮のようなものだった。

916 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 18:20:44.51 .net
倭国はいずこに

917 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 18:27:16.81 .net
阿波に決まっている

918 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 18:36:06.91 .net
考古学なんて虚妄・作り物の世界
金印が出たということ自体、誰かが意図して埋めたもの
間抜けな話に踊らされる哀れな愚民の構造
なんたって高天原が朝鮮にあったと思いこんでる愚民
妄想学者を信奉する愚かな愚民
朝鮮系血筋を誇る面白い愚民
あらゆる文献を自分たちの都合に合わせて解釈するノータリン愚民

919 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 19:27:56.44 .net
高天原には馬がいた

920 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 20:09:11.18 .net
何回も言うがチョウセン系と日本人は深いつながりが有る。言語はそうそう
変われない。インドヨーロッパ族が北はロシアから南はイタリアまでSVOの
しかも単語も殆ど似ているのにSOV系の我等は何故か中国語のSVO系と孤立
してここにいる。祖先とまでは言わないが何等かの繋がりが有る事は確か。

921 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 20:12:05.93 .net
古代は倭人語と支那人語とその方言しかなかったからな

922 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 20:14:19.46 .net
取り敢えず、百済王家は天皇家と姻戚関係にあった。
これは今上も認めていることだから、それを侮辱するつもり?

923 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 20:35:48.56 .net
どうした?

924 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 20:52:19.20 .net
鎌倉時代位〜室町まで備前辺りの鉄は関東の鉄と比較して良鉄とされていた。
たたらがそれで西日本は古来から東日本より鉄の産出で優れていた。
確か全然関係ない松前の武田館を書いた本から出てきた話だったが
作者は誰だっけ。

925 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 21:00:55.28 .net
30余国も奈良盆地に入れない。行った事が有るやつなら解るが魏史倭人伝東夷のように
30余国も有ったら吉野辺りまで入れないと無理。あんな平野で30余国も有ったら
たちまち戦争。適度な山が有るのが九州。で奴国はどこよ。東に海って一度
鈴鹿山系超えなきゃ伊勢湾に行かない。

926 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 21:19:08.15 .net
ボケ
百済が新羅に滅ぼされて百済人が退去日本に逃げてきた
それら百済人の中の王族が日本人と混血し、ぞの王族の末裔が皇室に
入ったんだよ
皇室に入った時点では既に日本人だよ
君たちのような純粋朝鮮人じゃない
其のご発言があったときの解説記事をよく読め
漢字が読めなきゃしょうがないけどな

927 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 21:21:02.95 .net
まあなオレも認めたくないが多分日本人の起源んはチョウセンか上のツングース系
のどっちか。

928 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 21:52:50.88 .net
>>924
そんなの嘘だ。鎌倉時代の五郎入道正宗の刀は日本刀史上最高の
刀だが、相州物。利刀で有名な村正は伊勢桑名の刀工。
別に東国の刀が西の刀に劣っていることはないと思う。

鎌倉武士団の使っていた刀が刀剣史上最も切れたんじゃなかろうか。
想像だけど。

929 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 22:58:00.14 .net
網野だったわ。

http://www.gakushikai.or.jp/magazine/archives/archives_819_2.html

また弓削島荘の文治5年(1189)桑検注目録という史料がありますが、
これによると、桑373本に対する桑代という税金を塩373籠で代替
しています。この荘園は製塩を主な生業としているので、何でも塩
で税金を納めていることがよく分かります。しかし、一方、同じ
ころ弓削島荘の百姓四郎太郎延永という人が、梶取、船頭として
生計を立てられるようになったので、使い物にならなくなった
塩釜や荒れて駄目になった桑に年貢をかけないで欲しいと訴え
ている申状も残っています。こういう事例からも推測できるように
、この島の百姓の生業は、主として製塩業ですから年貢として
当然塩を納めていますが、市庭で相場をみながら商売もしており
、百姓の中には牛10頭や絹小袖を持っている人や廻船を営む人も
いて、相当の資産を築いている百姓も多かったのです。従って、
この荘園の百姓がわずかな田畠を耕しているからといって、
これを農民と決めつけてしまっては、この百姓の本質を捉える
ことは決してできません。正確には製塩民兼漁民兼廻船人兼農民
というべきですが、彼らが生業としているものは、圧倒的に製塩
ですから、製塩民というのが適当でしょう。鉄を田地に賦課され、
専ら鉄をつくっている百姓は、農民というよりも製鉄民といった
ほうがいいのではないかと思います。では、専ら木材を生産して
いる百姓はどう呼ぶのかとなると、次第に言葉がなくなって表現
に窮してきます。これほど日本社会の百姓の生業が多様なのに、
学者の言葉はあまりにも農業に偏りすぎて貧困であり、庶民の
生活史を本当に語るためには、これから新しく用語をつくらざる
を得ないということになります。

930 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 22:59:55.87 .net
弓削島荘=伊予国

931 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:31:53.60 .net
心外だな

考古学の成果を基にした推察をしているのに

932 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:32:09.53 .net
江戸将軍の生母の平均年齢が
確実な9人で「52歳」
推定の3人も含めると「49歳」

50歳と仮定できるだろう


家康から家慶までの生母一覧
(西洋医学の入る明治維新前に死去)

於大の方(1528-1602)74歳
西郷局(1552-1589) 37歳
江(1573-1626)   53歳
宝樹院(1621-1653)32歳
桂昌院(1627-1705)78歳
長昌院(1637-1664)27歳
月光院(1685-1752)67歳
浄円院(1655-1726)71歳
深徳院(1688-1713)25歳

25歳で出産として推定
至心院(不詳-1737家治出産-1748)35歳±?
お富の方(不詳-1773家斉出産-1817)44歳±?
香琳院(不詳-1793家慶出産-1810)43歳±?

933 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:32:28.24 .net
一方で
卑弥呼の寿命がおそらく80−90歳
若くとって80歳とする


卑弥呼が女王になったのが180-190年
計算しやすいように、即位187年死去247年と仮定してみる

複数の文献に
卑弥呼はある程度年長となってから女王になったとある

187年に20歳で即位した仮定すると
247年に20+60=80歳で亡くなったことになる

187年に30歳で即位した仮定すると
247年に30+60=90歳で亡くなったことになる

934 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:32:54.82 .net
江戸時代で平均50歳だから
弥生時代だと平均40-45歳くらいに設定してみる

考古学の成果を尊重すると
弥生時代に平均40-50歳で亡くなっていた人の副葬品と考えると
年代が200-220年と推定される

だったら
被葬者が80-90歳で亡くなった
しかも鬼道を得意とするシャーマンだった場合
(副葬品は呪術用具であり、生涯にわたり大事に使い続ける)

同世代が死亡した平均年代の
約40年年後に死亡したことになる

935 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:33:52.69 .net
考古学の専門家:200-220年

考古学の無視する魏志倭人伝によると
卑弥呼は長寿なので+40してみる

240-260年

936 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:34:10.59 .net
240-260年

240-260年

240-260年

240-260年

240-260年 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


937 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:36:59.32 .net
今読んでるやつでマキムク遺跡のふいごの形がどちらかと言うと
九州の形に近いと書いてある。つまりマネじゃね、とか言ってる。

938 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:43:21.84 .net
今読んでるやつでマキムク遺跡の水路の形がどちらかと言うと
伊都の形に近いと書いてある。つまりマネじゃね、とか言ってる。

939 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:43:23.91 .net
>>931

心外とは?

http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kodai/saguru2-11.html

まずは奈良時代までの状況をみてみましょう。日本における鉄生産は、古墳時代
後期後半(6世紀後半)には始まっています。その中心は吉備で、製鉄遺跡は約
30遺跡、製鉄炉は100基以上が発掘されており、他地域とは格段の差があります。
特に備中の総社市域に集中しており、西団地内遺跡群・奥坂遺跡群の11遺跡で82
基の製鉄炉が見つかりました。多数の製鉄遺跡からみても、やはり奈良時代まで
は「まがね吹く 吉備」という状況だったようです。このような吉備の鉄生産を
支えた背景には、原料の豊富な存在が不可欠です。奈良時代以前には、製鉄原料
として鉄鉱石と砂鉄を使用していたことが、出土遺物の分析から明らかです。

網野は西の方が砂鉄の質が古来より良くて、東日本は鉄鉱石に頼らざるを得なくて
鉄鉱石溶かすの難しいんでそれで西のは重宝されてたとか言っていたな。

940 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:43:34.88 .net
昔は乳幼児死亡率が極端に高かっただけなんだけどね

941 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:44:19.84 .net
吉備は北部九州倭国が瀬戸内海を東に進んだ前線基地だからな

武器の消費も尋常ではなかっただろう

942 :日本@名無史さん:2016/10/13(木) 23:54:24.80 .net
>>940
乳幼児死亡率を除外するために
徳川将軍の生母を選んであるのだが

943 :日本@名無史さん:2016/10/14(金) 00:02:12.65 .net
徳川将軍の生母:平均年齢50歳
弥生時代の王の生母なら:平均年齢40歳くらい?

卑弥呼:70-90歳、80歳と考える

80-40=40


専門の考古学者による結論:200-220年の副葬品

平均年齢40歳の副葬品が200-220年

+40すると、240-260年

944 :日本@名無史さん:2016/10/14(金) 01:45:17.61 .net
乳幼児の死亡率を入れると弥生の終わりは平均寿命は15歳ぐらいになっちゃう
15歳以上生きた人だと30〜40

945 :日本@名無史さん:2016/10/17(月) 20:39:44.09 .net
ネット版のホストみたいなの発見。

イケメンなら稼げるんだろうけど。
話が上手けりゃ稼げるかな。

誰かレポ頼む。
メンガでググると出てくる。

946 :日本@名無史さん:2016/10/23(日) 01:48:35.67 .net
奈良は元々縄文人の大きな国だったが、大国主が出雲、吉備、尾張の勢力で
侵略して、饒速日を土蜘蛛の王の妹と結婚させて支配させていた。そこには
尾張・吉備・出雲の勢力も住み着き共同統治をしていた。そこに南九州から
神武が北九州、広島、愛媛の海神族を結集して攻め込んできた。一度は撃退
したが、和歌山の神宮方面から攻め込まれたときに負けて、饒速日は長髄彦
を殺し神武に従った。京都や伊勢・尾張から攻めなかったのは、そこが大国
主の勢力下にあったためではないか?縄文人の土蜘蛛としては大迷惑だった。

947 :便所スキー:2016/10/24(月) 22:28:47.63 ID:EW9rRejqx
私も阿波が邪馬台国だと思っています。

コングさんは北朝鮮だといってますけど(^_^;

948 :便所スキー:2016/10/24(月) 22:31:25.28 ID:H+ulqMGbX
あの人、

バカですからね。(^_^;

949 :日本@名無史さん:2016/10/28(金) 08:32:22.00 .net
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/jurisp/1451675951/265
        ↑  ↑  ↑ 

950 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 10:46:52.95 .net
四国

951 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 10:47:25.26 .net
博多説も

952 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 11:42:30.82 .net
饒速日が降臨=移住したとき乗ってたのが
「天の磐船」
amaはポリネシア語、ミクロネシア語でアウトリガーカヌーの
転覆防止用の浮き(フロート)の事
イワはハワイ語で軍艦鳥を意味する。
九州の古墳の壁画に櫂で漕ぐ船に鳥が止まってるのがあるだろう。
あれが饒速日が乗ってきたカヌーだ。

そもそも岩石の船が水に浮いて櫂で漕いで進むわけがない。
縄文人の祖先のひとつはポリネシア人、ミクロネシア人。

953 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 16:29:35.55 .net
>>952
そうだな、鉄の船も浮くわけないよな

954 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 19:41:34.68 .net
>>952
鉄の船は石より薄く加工できるからなw
今ブラタモリで大坂を取り上げてる。

955 :日本@名無史さん:2016/11/05(土) 21:18:49.37 .net
ミンダナオ島だと思う

956 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 00:02:32.98 .net
縄文時代にポリネシアンもミクロネシアンもまだ存在しない。

縄文晩期にその祖先のラピタ人が出現したばかり。

縄文土器にも弥生土器にめ

957 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 00:10:17.97 .net
台湾ブタ広鼻 広鼻ブラックの詐欺。

縄文時代にポリネシアンもミクロネシアンもまだ存在しない。

縄文晩期にようやくその祖先のラピタ人が出現したばかり。

だが、縄文土器にも弥生土器にもラピタ土器が伝わった痕跡はない。

ただの、江南江南!江南江南!江南江南!江南江南!江南江南!の
江南詐欺でお馴染みの台湾ブタ広鼻 黒人一歩手前土人の詐欺。

958 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 00:12:32.82 .net
江南って言ってんのお前だけだぞ

959 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 00:20:36.79 .net
↑台湾 淡褐色 短顔 ブタ広鼻 突顎 巨大タラコ唇 ブタ人間 ハノイハノイw 


江南江南!江南江南!江南江南!江南江南!江南江南!江南江南!江南江南!江南江南!


と、江南詐欺でお馴染みの 東南アジア華南ブタを祖先に持つ台湾のハノイひとw

960 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 00:53:23.15 .net
おまいらに質問なんだけど、
どうして、魏志倭人伝の記述をそこまで重要視するんだ?

晋の時代に編纂した役人にとっては、倭人なんて自分らには無関係なので
事実関係をまともに検証する気もなかったろうから
「デタラメです。史料価値ありません。」で終了でいいよね。

961 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 01:13:48.23 .net
晋の時代に台与から使者が来て金印渡してるのにか?

962 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 01:18:12.38 .net
金印は貰ってないだろ、爵命は受けたようだが。

963 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 01:22:40.13 .net
266年までは晋に朝貢してるんだから無関係ということはない

964 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 07:06:14.68 .net
肥の国の、肥の巫女さんに
豊の国の、豊の姫さん

965 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 11:41:07.38 .net
>>900
デカイのが出土した処は十中八九後発地域

966 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 11:47:23.94 .net
>>965

むしろ国産の最先端地域かも

967 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 13:26:55.64 .net
>>961
>>962
それは、晋の役人にとっては「超遠方の蛮族が陛下のご威光に従った。」ということを
自慢できれば十分で、場所を正確に記述する動機が無いんだよ。

三国志演義の兀突骨だかいう蛮族が面白おかしく描かれてるのと同レベル。

968 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 13:31:56.36 .net
>>967
演義(笑

969 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 13:50:48.41 .net
>>967
妄想乙

970 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 18:04:18.98 .net
>>964
新発見だ〜(棒)

971 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 18:33:20.83 .net
>>970
普通はそれが最初の発想だろうねえ

972 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 20:45:46.94 .net
肥国の肥は本来は火で、もちろん日と語源は同じだから、前者はまだ関係なくはないが。
後者は根拠が薄弱かな。

973 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 03:33:11.61 .net
>>968
魏志倭人伝なんて演義レベルの架空だってことなんだが。

実際、記述通りの場所には何もないmんだから

974 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 05:32:14.23 .net
>>973
で、記述通りの場所ってどこだったわけ?

975 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 06:45:26.49 .net
おれも徳島だと思う

976 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 07:57:27.48 .net
>>973
演義レベルの架空(笑

977 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 10:15:48.33 .net
>>974
太平洋上

>>976
太平洋上になぜか邪馬台国とやらがありますって記述を架空といって何が悪い?

978 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 10:23:58.96 .net
四国は太平洋上?

979 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 13:07:06.40 .net
>>978
記述通りの距離、方角、日数だと、
九州より南の太平洋上なので、四国は全然当てはまらない。

邪馬台国の○○説って、全て「魏志倭人伝のここが誤り」と
魏志倭人伝を否定するところからスタートしてる。
だったら、公平な結論は
「魏志倭人伝には正しくない記述が含まれているので史料として使えません」だよ。

980 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 13:33:31.09 .net
九州説は、読み方が違っていただけで、実は記述は正しかったですよ、というスタンス。

981 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 14:05:40.79 .net
>>979
>記述通りの距離、方角、日数だと、
それを聞いてんだよ

982 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 15:23:18.79 .net
>>977
演義レベルってところをわらってるの

983 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 15:48:19.86 .net
帯方郡から万二千里である、水行、陸行は気にしなくてよい。

984 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 18:22:58.93 .net
糸島平野の伊都国まで少なくとも10500里。
現在の地図と重ねるとわ1里はおよそ80メートル。
残り1500里以下なので、邪馬台国は福岡県内かせいぜい佐賀県の一部。

985 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 18:52:46.34 .net
>>984
だから、九州説は「其山有丹」に該当しないんだから、最初っから適用外なの!!

986 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 20:20:13.16 .net
>>981
原文そのまんま嫁

>>983
気にしろよwww
架空の水行、陸行が書かれてたら、邪馬台国とやらは捏造ってことだ。

987 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 20:24:18.12 .net
>>985
爺丹は今日もお狂い。

988 :日本@名無史さん:2016/11/07(月) 20:43:38.46 .net
>>986
具体的に
どうやったから太平洋のど真ん中に行ったんだ
邪馬台国が捏造だと思うならこのスレを覗く意味はないぞ

989 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 02:19:15.73 .net
>>988
ど真ん中とはいってない

990 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 02:30:33.21 .net
>>989
そういう話じゃあない
捏造のだという根拠を具体的に述べよと言ってる

991 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 02:36:32.21 .net
>>990
「東京は大阪から南に船で20日ほど行ったところにある」

この一文が捏造だと言うことはわかるよな?

992 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 04:06:28.49 .net
>>991
だから具体的に述べろよ

993 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 13:04:57.13 .net
深夜か

そんな人種なんだな

994 :日本@名無史さん:2016/11/09(水) 14:38:52.69 .net
>>975
徳島県は上古、北側をアワの国と言い。南側をナカ/ナガの国と言った。

ナガは金長たぬき大明神の長(大物主神とされる金比羅大権現の神紋を良くよく拝見すれば、金と長を混ぜ合わせたような意匠(デザイン))。富のナガスネヒコ(大和大国主/大物主)のナガ。

995 :日本@名無史さん:2016/11/09(水) 14:58:09.84 .net
>>991
丹波、丹後、但馬(どちらも元は大丹波国の一部)、若狭辺りもちょっと面白い地域。
朝鮮から日本海を海流に乗って漂着する地域情報一つ。
円山川、由良川ほかを遡上すると、日本一低い分水嶺(標高は、僅か100mクラス)の丹波の中央部を少し陸行するだけで加古川(氷上辺りでも水量豊かな大河川)や武庫川、神崎川に乗り換えて比較的容易に瀬戸内地方に(反対も)

丹波国風土記残欠の前文は格調高く、プライドも超特急。
この風土記の記述こそが中央(朝廷)の一連の間違いや落ち度、欠けたものを補い真実を伝えり云々。

996 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 03:26:42.76 .net
>>983
>帯方郡から万二千里
それはいいかげんな数字だから気にしなくてよい。

997 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 08:08:40.92 .net
距離と日程と二通りのデータを提示している。
距離からは伊都またはそのすぐ近くに邪馬台国があった。
または、伊都を中心とする周辺の国邑の集合が邪馬台国。
伊都の人口が少ないのは、アメリカのワシントンのような政治外交のための都市だったから。

998 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 08:49:37.62 .net
伊都は別資料で1万戸とあることは覚えとかなければいけない

999 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 08:57:57.97 .net
佐賀の小城が伊都なら一万戸は
可能かもしれない。

糸島は広がれないので難しい。

1000 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 10:52:44.53 .net
やっぱ、魏志倭人伝の記述に一番則した邪馬台国の場所は徳島なんだな。

1001 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 14:20:17.94 .net
>>996
三平方の定理で最短距離くらい計算したろ
東南に12000里だとどこ?

1002 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 14:35:33.21 .net
南九州だね

1003 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 14:55:04.52 .net
島根県ですね

1004 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 15:33:30.95 .net
>>1001
ぴったし纏向

1005 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 12:32:38.98 .net
草書体では投と殺はまったく同じですから
投馬国=殺馬国=薩摩国=鹿児島県

1006 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 17:33:15.01 .net
これは驚き。
でも違う字で読み方も違うけど、中国人が間違えたと?

次スレどうするの?

1007 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 18:00:41.92 .net
伊都でしょ

1008 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 18:02:26.17 .net
>自郡至女王國萬二千餘里

帯方郡から女王國まで一万二千里と明記されていますね。
邪馬台国は博多湾で確定です。

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