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なぜ古代天皇は100歳を超えるのか
- 1066 :太国 ◆yVAs7uaYlY:2020/01/17(金) 09:55:35.91 ID:gURd+dZGc
- 書紀が3倍年暦をも行使していた記述の表
【紀の欠史八代間の天皇崩御の日数統計表】
1日 0 11日 0 21日 0
2日 1 12日 0 22日 0
3日 0 13日 0 23日 0
4日 0 14日 0 24日 0
5日 1 15日 0 25日 0
6日 1 16日 0 26日 0
7日 0 17日 0 27日 0
8日 2 18日 0 28日 0
9日 2 19日 0 29日 0
10日 1 20日 0 30日 0
上表を見ると有効数字はみな左半三分に収まっている。11日以後の崩御
なされた天皇は誰一人としていない。天皇八人とも全部月上旬に死亡
しているということだ。およそ人間の死亡というものは志望でき
ず、例外として暗殺、自殺等特殊なことのない限り選択はできない。
いつ死ぬかはだれもが分からんのであるから、かように、中旬、下旬
に死亡してなかったなどと八人も続くわけがない。ということは
当時の或る時期は前表の2週間より狭小の、1ヶ月が10日しかなかっ
たということになるのだ。これは八代の一時期、朝廷は3倍暦を行使
していたという事である。隅田八幡鏡銘文「日十大王」はこれを裏づける。
上表は1日〜10日までと整然としている。
ということは、舎人親王らは原書群の選択にて、最も信頼おける記述を
選んだに違いないから、このように整然化されてるということは、紀の
八代間の原書群には2倍暦法での記載のものと3倍暦での記載のもの
があって、両者が交錯していたものもあったであろう。その中からこれ
が真であると舎人らが確信、選択をして紀の記述としたものであろう。
八代間の当時、互いに2倍暦、3倍暦を朝廷は使い分けしていたと
受け取れる。だから倍暦の変更は相当行われていたと観ていい。
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