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邪馬壹國は北部九州に在ったpart6

394 :日本@名無史さん:2017/06/21(水) 20:34:20.70 .net
4世紀までの北部九州なら、三種の神器が副葬されている、
あるいは盗掘されていても三種の神器が副葬されていた形跡がある、
というのが王墓の最低条件でしょうね。

邪馬台国時代の北部九州は王墓が減少して弱体していると指摘したのは畿内説ですが、
九州説の解答としては、
そもそも邪馬台国と狗奴国に分裂して争っていたし、
邪馬台国は女王卑弥呼に権限集中して、しかも長期政権だったから、
ゆいいつ平原遺跡だけが突出して存在している、という解答でしたね。

>>392
そうですね。古墳は大きすぎますね。
墳丘墓である平原遺跡が卑弥呼の墓には最適ですね。

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