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邪馬壹國は北部九州に在ったpart6
- 746 :日本@名無史さん:2017/07/11(火) 13:56:58.37 .net
- 記紀に否定するなら、仲哀天皇〜神功皇后。
魏使の紀行は、ほぼ >>739 と同様なはずで
卑弥呼は南端の八女の高台に砦を築いて住んだ。
世襲でない小国連合の共立王権で周辺国から、王権に干渉されすぎだし、
帯方郡の下級武官に応援されてるようじゃ持続可能な王権の訳は無い。
越使の無理解、または著者の混同で共立女王と、大和の女王が混ざってる。
倭国大乱が九州平定で、200年頃から狗那韓国(任那)が出来ている。
魏使の報告の邪馬台国じゃ、半島進出は無い。 傀儡と言うか支配下の国。
一大卒は中央官僚や部隊が派遣され貿易や税を管理していたんじゃないか。
伊都国は都市、奴国はかつての王権、宗像豊前、不彌國は小倉〜宇佐の港町、
投馬国〜やまと=別の女王の都 までの行程は、軍事機密じゃないのかな。
記紀は神功皇后って神話化しちゃってるし、自分で九州や半島行くわけ無いだろwww
世襲豪族でもない卑弥呼の墓は九州でもう出ないだろう。
誰が守る。
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