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邪馬壹國は北部九州に在ったpart6

988 :日本@名無史さん:2017/07/25(火) 15:25:08.43.net
狗邪韓国が任那の前身と想定すると
一大率は畿内朝廷が伊都に置いた進駐軍であった可能性も強い。

どう考えても、軍事政治に無能と思える九州諸国には半島進出可能な水軍は無さそうなのだ。
おそらく、奈良、出雲の連合軍は筑紫を平定し、卑弥呼は神長官としての政をとったのではないか?

大和朝廷の初期九州支配は、百済、新羅同様、軍事的保護下にある
海外の蝙蝠国家として中国への朝貢を容認していた節が有る。

無能な邪馬台国に代えて筑紫の君が繁栄し、新羅と結んだため磐井の乱になった。
しかし、白村江以降は、神話の歴史も作り変えて九州は日本国固有の領土とした。

関東を制している畿内朝廷じゃなきゃ400年までに、高句麗馬の国内生産化を終えて
百済、新羅を守って、高句麗と戦える国にはならんでしょ。

倭人伝は所詮政張の九州旅行記だが、朝廷の存在は感づいていたかな?
政張にかまわれてるような、弱小国には半島進出は不可能。
邪馬台国論争の原点は半島配慮だろwww もう無理。

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