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なんで元寇って過小評価されてるの??

272 :日本@名無史さん:2019/03/25(月) 14:58:24.50 .net
>>264
それが、どうも「硫黄貿易」がらみ臭いんだよな。

まず、北宋も南宋も、契丹遼やタングート大夏、女真金といった北方騎馬軍団への防衛力として
唐代に発明された黒色火薬を使ったロケット砲を大量配備して、対騎馬軍団体制を敷いていた。

この黒色火薬の原料は木炭、硝石、硫黄だが、当時の北宋、南宋の版図で硫黄だけが国産化できなかった。

当時の世界で硫黄の大産地と言ったら、紅海沿岸、ジャワ島、そして日本列島。

そういう理由で、宋代には九州の博多には民間貿易船や宋朝から直接派遣された特権商人の船団が、
大規模な硫黄買い付けに来ていた。これが、平安中期以降に日宋貿易が活性化した背景で、
当時の宋側の史料でも日本との貿易で真に国益となるのは木材と硫黄の交易だけだとはっきり書かれている。

南宋とモンゴルが対峙していた文永の役の段階では、貿易港博多を軍事占拠するだけでも南宋への硫黄供給を
遮断して南宋攻略を有利にする効果が見込めたし、南宋を滅ぼしてその国家機能を接収した後の弘安の役の
段階では、硫黄の大産地である日本列島自体を接収することで大元ウルス自体の火器軍備強化が見込めた。

実は、日宋貿易、日元貿易で硫黄が非常に大規模に交易されていたことを日本史研究者が認識するようになったのは
かなり新しく、やっと21世紀になってからの事。つまり、20世紀までに書かれた歴史学書や論文では硫黄交易はほぼ
黙殺に近い状態。というのも、研究者自身、硫黄が交易されていたといっても何の目的で宋が輸入していたのか、
その用途がピンとこなかったため、日本産の貿易対価で宋側がありがたがるものと言ったら砂金ぐらいしかないだろうと
決めつけていたんだな。硫黄なんて漢方薬の原料として少量が交易されていたんだろうぐらいに思われていた。

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