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邪馬台国畿内説 Part437

284 :日本@名無史さん:2018/01/27(土) 06:18:09.61 .net
>>1
漢時に百国あった倭国が大乱で分裂して、帯方郡にやって来た勢力は30国を従えてるに過ぎなかった。
高地性集落で分かる通り、倭国は瀬戸内海を挟んで南北に分裂して争ってたが、呉あるいは公孫氏の認識では北側が正規の倭奴国、南側が反乱軍の肥国って認識だったが、帯方郡にやってきたのは南側勢力。
草深き獣道を通って寂れた漁港で船を調達して呉や公孫氏という敵(北側勢力)の敵、魏の帯方郡にやって来ることに成功して形勢が逆転した。
陳寿は魏・呉・公孫氏が書き残した記録を編纂したに過ぎず、呉あるいは公孫氏の記録では北側勢力が正規の倭奴国(伊都国)、南側勢力は反乱軍という認識だったから、南側勢力には狗奴国の「狗」、卑弥呼の「卑」という蔑字が当てられてる。
卑弥呼ってのは、肥国の女王であり、後の大和王朝になったのは伊都国にいた天孫族の側。

バカたちは何故、卑弥呼が天孫族の女王だと思い込んでるんだろ?

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