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今だに邪馬台国畿内説を信じてる人っているの?
- 987 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 21:26:58.70 .net
- >>986
958は「あり得る」でいいんだ
何の論証もいらないね
雄略とのちに呼ばれる、畿内の磯城の地に泊瀬朝倉宮を置いた大王が、
大和朝廷のそのときの大王である可能性は、あり得るどころじゃないんだけどさ
結局、これに対する具体的な根拠のある反論、反証はないんだね
1.文献史学
宋書の倭王武の遣使記事と、日本書紀の雄略紀の遣使記事の対応関係が見て取れる
2.考古学的状況
倭の五王の時代は、畿内に巨大古墳が次々に作られる大和朝廷のある意味絶頂期
3.考古学的遺物
獲加多支鹵大王の金錯銘鉄剣が埼玉の稲荷山古墳から銀錯銘鉄剣が熊本の
江田船山古墳から出土している
4、考古学遺物と文献の一致
記紀では、雄略天皇を大泊瀬幼武天皇(雄略紀)、大長谷若建命(雄略記)としており
先の鉄剣銘と固有名詞が一致している
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