2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

♪邪馬台国ドンと来い!♪135

1 :日本@名無史さん:2018/01/31(水) 23:37:15.40 .net
       ,..-─‐-..、     
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´)
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ   < ヤダヤダー!!
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄) )
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
 出来るだけソースを出して後はお好きに!
 *良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

前スレ
♪邪馬台国ドンと来い!♪134[転載禁止]©2ch.net・ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1512648703/l50

258 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 06:22:07.87 .net
>>257
根拠のまったくない、たのしい妄想話。

>東松浦半島の先端に寄港しているのは、

たのしい妄想話。 魏使はおろか、元寇・朝鮮通信使も一度たりとも「東松浦半島の先端」に寄港していない。 推して知るべし。

東松浦半島以西は、大陸への帰りの出航地。  @阿波



>つまり長崎方面への海運が行われて女王国の範囲に収める・・ かと。

259 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 09:06:07.81 .net
>>258
朝鮮の使節は、名護屋浦の秀吉の城を見ているわ。
一度たりともとか言うあわはやっぱりあほ。

260 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 09:16:53.33 .net
江戸時代の少し前の「日本往還日記」

船を発し、晩に名護屋〔佐賀県東末浦郡鎮西町〕に至る。倭に言う浪耶地方(帰路では浪古耶と記す)なり。
この処は、関伯(関白=秀吉)調兵せし時の館宇有り、山に因り城を為す。甚だ峻にして固。その城を環
(めぐ)りて壕を鑿(うが)ち、水を引き之を貯ふ。城中の四面は石を累(かさ)ねて階と為し、上は
五層楼為り。
此は一岐(壱岐島)一百三十余里をへ距て、飛蘭島〔平戸〕・五島と相望む。・・・地方頗る広潤、人居
極めて稠盛、その市塵楼店鱗次して村を成す。対馬、一岐の比にあらず。○此より以東は、則(すなわ)ち
陸に縁(よ)つて行船し、更に大洋に渉(わた)らずと云う。

行きも帰りも東松浦半島経由。@阿波は妄想ばかり主張するうえに他人の説を攻撃する認知症そのもの。

261 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 09:35:06.73 .net
名護屋浦に到着して

>此は一岐(壱岐島)一百三十余里をへ距て、飛蘭島〔平戸〕・五島と相望む。

まっさきに平戸のことを述べていることから(伊万里はそうでもない)、
西方面の平戸は重要地点らしい。
傍国の20カ国のうち巳百支國は平戸という説はわからんでもない。

262 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 10:18:17.30 .net
>>261
>まっさきに平戸のことを述べていることから(伊万里はそうでもない)、
>西方面の平戸は重要地点らしい。

西方面の平戸は、大陸への帰りの出航地だからね。  @阿波

263 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 10:31:07.98 .net
>>260
>行きも帰りも東松浦半島経由。@阿波は妄想ばかり主張するうえに他人の説を攻撃する認知症そのもの。

もし古代より、東松浦半島やその周辺が大陸との文化流入の玄関口であれば、 宗像地方に替わって東松浦半島周辺が世界文化遺産になっている。 
これに、明確に反論できなくて、他人の説を攻撃する認知症そのものの九州説  @阿波

264 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 11:07:11.12 .net
名護屋城は基本的に防戦よりも、秀吉好みの威厳を誇示する城だろ?
呼子も出港には都合良いだろうが、市街が成立する伊万里や唐津で良いわけで
海戦になるなら五島、壱岐、平戸、糸島広域からも出船する。

平戸は要所じゃなくて、あえて僻地に上陸させることで
民間の密貿易などをなくすのが目的の港。

265 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 11:10:57.60 .net
>>264
違うね。
地図を見ると、九州西岸の要所だよ。
江戸時代を基準に考えるなよ。

266 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 11:27:38.45 .net
>>26

古代は、西方面の平戸は、大陸への帰りの出航地だからね。  @阿波

267 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 11:28:57.86 .net
>>265

古代は、西方面の平戸は、大陸への帰りの出航地だからね。  @阿波

268 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 12:23:37.83 .net
>>265
400年以降、宗像から五島、済州島、建康に渡った倭の五王時代に
寄港地だった可能性はあっても、邪馬台国時代は縄文土人国だったと思うね。
 
BC100〜200年辺りの平戸に韓四郡との外洋交通の遺跡でもあんの?

269 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 12:26:55.25 .net
>>268
どれだけ邪馬台国を狭くするんだよ。
九州北部すら治めていなかった?

270 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 13:33:39.55 .net
>>269
女王国は九州上陸から南北2千里で周回5千里の国々で構成する。
北岸、島領を除くと熊本以北の26国が、往復で4千里である。

平戸〜国東半島は東西で3千里となるので、5千里での周回は不能であり
遺跡によっても北部の宗像、北九州、及び 西部の長崎、佐世保、平戸、
五島方面の島は含まないと判断できる。

九州の小国を戦中の帯方郡が援軍となり得る倭王と間違えて、皇帝に紹介し、
周辺有力構成国がずに乗って外交を重ねたのが、倭人伝に描かれた倭国である。

郡は2度の遣使で実態を把握しているし、張政以降の外交記録はない。
推して知るべし、である。 

271 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 14:08:00.47 .net
>>270
国東半島まで含める必要がないんとちゃうか?
筑後平野を主体とした連合国が邪馬台国だろ多分。
国東半島方面をカットすれば、東西3千里もない。

翰苑 という資料に、
倭 西南海行一日 有伊那分國
とあるので、国東半島よりは長崎方面の方が
関係が深いぞ。

272 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 14:08:25.39 .net
>>270
東を入れすぎなんじゃないか?
宗像から東は卑弥呼の時代は含まないだろう。
関門海峡が認知されていた形跡もない。
邪馬台国は筑前筑後と肥前でいい。
肥後は狗奴国ね。

273 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 14:20:44.13 .net
>>236
ご指摘ありがとうございます。 感謝です。
おっしゃる通りかと思います。

>>13 使大倭監之
では明らかに後節の主語と気が付きましたが
倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國漢時有朝見者
ー 改行 −
今使譯所通三十國 從郡至倭
循海岸水行歴韓国 乍南乍東到其北岸狗邪韓國 七千餘里
である方が、誤読が無いかと思います。

経典などの訳文は 400年辺りからの、鳩摩羅什以降だと思いますが
文節や改行が見られますが、三国志はどう読まれたのでしょう?
文節不明のこれが、後世の文語のお手本になるのか疑問もありますが、
多言語で文法や熟語が少ない時代に、文語を音で読んでいたか?
倭人伝でも門前の小僧ですが、律詩や科挙以前の漢文語法にも興味があります。

274 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 14:42:40.43 .net
>>271 >>272
>>14 女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種 ですから
確かに中国人は、関門海峡を知らない。

でも、倭人が里程を知らないのであれば
宇佐以北のどっかでも、周防灘は知っているように思う。
>>3 の出土図にも、東岸は無いから壱岐との比較で伝聞だけが濃厚ですが・・・

でもまあ、
又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至
になると、もはや奇譚でしかない。 船行一年って、漂流?可至?

275 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 15:03:24.54 .net
>女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種

東に海を渡ると書いてあるのだから(関門)海峡の存在は知ってるだろ。
頭おかしいんじゃないのか?

276 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 15:06:15.09 .net
>>275
紀伊水道ですね。 「東渡海千餘里」だから。  @阿波 

277 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 15:12:48.49 .net
九州東岸まで魏使は行ってないから伝聞であることは明らか

278 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 15:17:40.77 .net
伝聞で聞いていれば認知してるだろが。
馬鹿じゃね?

279 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 15:27:28.50 .net
>>277

倭国(阿波)まで、魏使 はきっちり来ていますよ。 

下賜された真朱を萩原2号墓で使っているから。  @阿波

280 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 16:33:33.84 .net
>>278
狭いところがあるとは書いてないから、とりあえず陸は終わる程度にしか認識していなかったと思われる。

281 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 16:46:36.51 .net
その先に国があると書かれているだろが。
ご丁寧に何カ国も書かれている。
その先にも陸、つまり本州があることは認識されていた。

自説の結論ありきだから奇譚とか妙な言葉を持ち出す羽目になる。

282 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 16:57:46.39 .net
>>278
伝聞で聞いたのは倭人伝に書いてある内容だけに決まってんだろ
馬鹿じゃねw

283 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 17:00:43.73 .net
>>268
>BC100〜200年辺りの平戸に韓四郡との外洋交通の遺跡でもあんの?

大陸への渡航出航地として考えられるのは度島(浦小川遺跡)・的場大島(朝鮮井戸海岸遺跡)など。  @阿波

284 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 17:39:41.66 .net
女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至

については伝聞ではなく、陳寿による別ソースが有る、だな。
倭人は里程を知らない、使は実際に行ってもいない、信頼に足る情報ではない。
軍事情報官でもある郡使であれば、これは報告できない。

書き出しの
倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國漢時有朝見者

の 倭人在帶方東南大海之中 という説明と
郡から南に1万2千里の九州北部と倭人在の国との位置が違う、
という事実に整合性を示した。
である。

つまり、女王国は九州北部の小国であり、本土とは無関係。

285 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 18:03:15.60 .net
本土て九州も本土でしょうに
本州の間違い?

286 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 18:04:01.73 .net
本州は魏の視野の中にはない。

287 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 18:04:17.63 .net
>>284
いくら、そんなことを一生懸命主張しても、誰も納得しないよ。

288 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 18:08:44.11 .net
>>287
国民の過半数は信じているよ。

289 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 18:12:34.30 .net
>>288
九州説でさえ、分かんないよ

290 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 18:13:00.88 .net
妄想だな

291 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 19:26:07.02 .net
>>284
>倭人在帶方東南大海之中 という説明と
>郡から南に1万2千里の九州北部と倭人在の国との位置が違う、
>という事実に整合性を示した。

なるほどうまい説明だ。284は優秀。それがわからない>>287は阿呆

292 :日本@名無史さん:2018/02/18(日) 21:37:32.44 .net
日本国における天然真珠の産地は長崎県の大村湾のみ。
イホツミスマルのタマが真珠やったとすると、已百支国(五百木国)は大村湾沿岸に有ったとせねばなりませんのことです。
卑弥呼が魏に献上したいう真珠もおそらく大村湾産ね。

293 :くまモン論者:2018/02/19(月) 00:04:40.73 .net
以朱丹塗其身體如中國用粉也だから倭人が体に塗りたくっていたのは阿蘇山のベンガラだな。
真珠鉛丹は明帝曹叡から各五十斤づつ褒美にもらったんだっけね。

294 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 10:01:56.11 .net
産出品と皇帝の下賜品が真珠と書かれて、最後の朝貢品が白珠なら普通は別のもんだろ。
ちゃんと読んでるか? 漢字っていうのは、表意文字だよ。 南=東は無いwww

295 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 18:35:32.72 .net
>>285
アタシは九州説ではあるけれど、実は邪馬台国当時の九州は
大和朝廷が 日本=倭国 に含めていない
と判断している。

57年漢の倭奴国、107年の師升の朝貢当時はもちろん
200年に至っても、銅鐸文化圏になっていないのである。
250年に突然古墳時代になる。 
ただし、東遷説はアホの極致w

筑紫の君時代も磐井の乱の500年代まで
実際は公孫氏の帯方郡みたいなもんだったと推測する。
白村江敗戦で九州は紀元以来日本固有の領土として、九州起源説を捏造したwww
おいおい、やりすぎんなよ ←これはひどい

記紀は完全な神話であり、九州起源は国家形成ではなく
弥生渡来人の繁殖がBC千年〜五百年の九州〜非中華圏の半島南岸に有り、
出雲〜青森、に分家したと推測する。

296 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 18:42:35.65 .net
>>295
妄想はたのしい

297 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 18:53:06.66 .net
>>296
縄文人〜弥生人への移行に関するDNA調査が進んでいるようだが
朝鮮渡来や江南渡来や沿海州渡来という頓珍漢な推論をベースにして研究しても
我田引水の結果を導くことにしかならないと考える。

纏向みたいに、後でおまえら予算使って何やってんの?
皇室侮辱したいだけか? 馬鹿なのか?
 
というより、推論の可能性は無視されたくないね。
まあ、批判すべき結果が出るから、見ててみwww

298 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 19:00:02.30 .net
ちょこっとぐらいは根拠つけろ  妄想ばっかじゃね〜か

299 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 19:10:55.23 .net
>>298
根拠付けろ? って、日本語ですか?
疑問が何で、なにを教えてさし上げればよろしいのでしょう?

倭人伝ちゃんと読めば?
このスレの 30までで良いと思うよ。 判るまで毎朝www
読了してから、お話し しましょうね。

⌒ ☆ <ソースを書きなさい!
 ∩`Д´) <♪ドン来いスレだい!!

300 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 20:02:08.50 .net
>>292は根拠不十分。創作がひどいぞ。
天然真珠の産地は鹿児島湾の方が大きく、
大村湾はそれほどでもない。他の産地はさらにしょぼいか無し。
已百支と五百木を、語呂が似てるというだけで
結びつけすぎる。もっと根拠を列記すれば信じてもいい。

301 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 20:41:30.69 .net
倭人伝を理解できる ♪ドン来いスレ の 皆様に質問が有ります。

>>9 張政の報告と推定できる
今使譯所通三十國從郡至倭
循海岸水行歴韓国 乍南乍東到其北岸狗邪韓國 七千餘里
始度一海千餘里 至對海國

の 始度一海
についてですが、これはまあ誤字の意味として、始度渡海 と理解可能と思いますが
なぜ、海に一が必要でしょう? 2海3海とか無いしw

>>10 の 梯儁による報告と推定できる 段落2 には 海に一は有りません。
漢字というのは表意文字なんです。 南が東は無い ←ひどすぎ

エロい人、ご教示ください。

302 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 20:56:56.56 .net
>>297
>皇室侮辱したいだけか? 馬鹿なのか?

皇室の起源を真っ向から否定しているのはどっちだ?

303 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 20:59:22.39 .net
>始度一海 千餘里 至對海國

>又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國

>又渡一海 千餘里 至末盧國

一海が3つも続いているから、渡海するべき海域って意味でしょうね。
半島南岸から九州まで、飛び石づたいに渡海していくことを強調しているんでしょう。

誤解してほしくなかったのは、
海を中心に島が別々に浮かんでて、
朝鮮半島→九州でも、半島→壱岐→九州でも、半島→対馬→九州でも、
九州に渡れる、という地形では無くて、

きちんと半島→対馬→壱岐→九州と、海を一つづつ渡海していかないといけない、
と伝えたかったのでしょう。

路程としては重要ですよね。

304 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 21:01:09.28 .net
九州倭国邪馬台国=高天原

神武

畿内ヤマト朝廷

考古学的にも整合性があるし
記紀にもそう書いてある。

305 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 21:14:51.68 .net
>>302
君だよwww 

失礼 って、知ってる?
皇室の起源を侮辱する必要は無いだろ?

中国史にある邪馬台国と当然のこととして並立してる、
倭の五王に繋がる本州の考古学的に証明されてる歴史をまじめに構築すべきだね。

邪馬台国が九州なのは新井白石や本居宣長で終ってるのに?
いや、有り得ない馬鹿が邪馬台国論争には、はびこってるよwww

東夷伝、ちゃんと読もうよ。

306 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 21:27:25.55 .net
>>303
戦国時代の文書の「一つ書き」みたいだな。
ひとつ、ふたつ、みーっつ、とは書かない。

307 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 21:49:43.47 .net
>始○度一海 千餘里        至對海國
>又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國
>又○渡一海 千餘里        至末盧國

308 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:04:14.24 .net
>>304
正確には、

高天原→出雲

筑紫

大和

というように政権が移動している。

309 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:12:56.85 .net
>>303
なんで、歴史理解に重要な普通の話をやっつけ仕事にする?
中国史、三国志で良いけど、対馬航路以外の渡海ってどんだけ有るんだろうね?

陳寿が一海と表現したのは張政の苦労話を尊重したんじゃないかな?
日程にしちゃった梯儁の記録は案外クール。

この段落、理解できなきゃ話にならんのよ。
てか、倭人伝はどう読んでも、陳寿は馬鹿じゃないよ?
新井白石で終ってるw

310 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:15:26.73 .net
>>305
>中国史にある邪馬台国と当然のこととして並立してる、
>倭の五王に繋がる本州の考古学的に証明されてる歴史をまじめに構築すべきだね。

よくわからんな。
九州の邪馬台国と本州は別だと言うこと?

311 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:16:16.04 .net
>>309
わかりにくい日本語を書こうよ。
意味不明。

312 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:16:38.94 .net
間違えた。
わかりやすい日本語を書こうよ。

313 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:18:05.93 .net
>>308
その場合の出雲とは考古学的にどの遺跡あるいは遺物?

314 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:19:17.09 .net
だから、何を教えてもらいたいのか?
ちゃんと、言ってください。

315 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:43:42.23 .net
すいません。 質問はアタシです。
一海 なぜ 一 ? 

倭人伝は、一字一句読了したつもりの門前の小僧ですが
はっきり言って、倭人伝 最後の謎です。

316 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 22:50:17.28 .net
>>315は保育園園長の御釜ちゃん

317 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 23:03:29.14 .net
キウス

318 :日本@名無史さん:2018/02/19(月) 23:09:43.38 .net
一字一句読了したといっても
お経を読んだのと同じで、意味もわからず読み上げただけ。

319 :日本@名無史さん:2018/02/20(火) 19:39:42.08 .net
一海 は
一大國
一大率
との絡みでいただくのがお薦め

320 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 15:56:05.73 .net
>>318
それです、それ! ピコーンw
一という字の持つ意味も、一字一句

無限にも見える、大海に対して、そこだけの一海
この場合は、一日で渡れる程度の千余里程度の海 ってことでしょう。
倭人船で来て、案内人 卑奴母離が居た 張政の場合だから知ってたってことかな?
卑奴母離「お役人さん、これ、一海、二海、三海わたりますよ」 っとwww
おそらく魏の軍船で渡ったであろう梯儁の船では、これをまとめて水行十日とした。 

>>319 みたいな感じで固有名詞と関連した方が面白かったけど、残念。
ありがとうございました。

321 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 18:33:38.23 .net
>>320
一海といってもかなりの難所だからな。
それこそお祈りを唱えて、生け贄も用意するほど。
半島と対馬、対馬と壱岐、の2カ所がとくに危ない。

二十五日、
この日晴。朝、船を発し、洋に出ず。風勢過猛、驚浪洶湧す。中洋に到るに、帆索風に勝へず、
幾たびか絶へんと欲す。船欹(ふねそばだ)ち幾たび覆る。檣竿〔帆柱と竿〕の上頭曲りて
鉤の如し。竿頭は海濤と相接し、浪沫の噴き濺(そそい)いで、船中は雨の如し。船行奔突し、
馬の如き有り。船中の人、色を失はざるなし。正使、乃ち海に誓う文を作り、以って海神に誓ひて
曰く、・・・四千里の行役、何ぞ敢えて一毫も憚労せんや・・・俄かにして風勢偶(たまたま)
稍(や)や定り、船行恙無(つつがな)し。夕、一岐島に到る。此れ対馬を距(へだて)る五百里。
周回比ぶるに対馬の半ばなり。居民を見る所、僅かに三百余戸なり。・・・

江戸時代には本当に難破してしまい100人近く死んだ事件もあった。

322 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 18:36:51.24 .net
>>281
おっしゃる通りです。
倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國の本州が有ることは認識されていた。
九州へは、今、郡使が一海を3回渡って到達しました。

>女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
女王國東渡海千餘里が本州なら、使は関門海峡を知らない。
また、本州と四国に区別が無い。 その、瀬戸内海の島々も知らない。 
つまり、瀬戸内海には踏み込んでいない。

又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
女王国は九州島上陸後、南2千里。 プラス4千里は鹿児島だが、
関門海峡や周防灘、瀬戸内海を知らずに本州の話をする理由は地図上での話と推定できる。
侏儒國人長三四尺の 南の離島、種子島 の奇譚は倭人からの伝聞で知っていた可能性は有る。

さらに、>又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至
問題はこれ。 其東南船行一年可至 
船行一年という行程は不可能というか不可知。

以前に、三国志によって、陸行1月を2千里と定義されている、としたが
旅程の日数とは別のものとして、中国王朝独自の地図上の座標単位として
この、12月行を1年とするなら、デタラメな単位とまでは言えない。
東南海行1年は小笠原〜グアム辺りとなる。

この地図座標としては、中原を方可12月で囲み
八方に四夷諸国を方可12月の座標で置くとアジア全域図になると思う。 
三国志各国の領地や西域、ペルシャ、インド東南アジアを示す地図は絶対に作っていた。

難問解決への、ご意見感謝です。

323 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 19:11:10.28 .net
情報源という視点から考えてみてもいいかもね。

@見聞録から、魏使は伊都までしか来ていないのは確実。
考古学的にわかっている奴国の喧騒や工房群が全く書かれていないからね。
実際に、女王国以北はわかるけど、それより遠くは詳細不明と断っている。

A奴国から奴国までの数十カ国や、狗奴国の記載は、魏使の見聞ではなく、
伝聞。

B>>322の、女王國東渡海〜以降の段落は、別枠だから、
倭種の国々や、周旋可五千餘里などの情報は、また別の情報源かもしれない。


じゃあ、陳寿が得ることのできた情報源としては、
・漢代からの記録
・魏使の直接来訪
・魏使が倭人から聞いた伝聞(&魏人が倭使者から聞いた伝聞)
・倭から送られた生口たちからの情報
などがある。

それぞれを盛り込んで作られたのが倭人伝だろうね。

324 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 19:17:12.96 .net
>>323
妄想はたのしいね

325 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 19:31:16.85 .net
>>322
>又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至

魏志倭人伝の不思議な記述のところだね。
ポリネシアの大航海の人だろう・・ポリネシアの人の
起源は台湾あたりらしいから。
イースター島へいかだで渡ったハイエルダールの話は有名だが、
実際は、ポリネシアの人が南米に到達して、南米から帰ってきてイースターに
たどりついた模様。
船行一年という行程は不可能に見えるが、古代の時代には
すでに可能だった。

326 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 19:32:15.27 .net
>>322
船行一年かかる状況はありえますよ。

「裸國や黒齒國の生口」が北部九州邪馬台国へと連れてこられて、
さらに魏へ献上された場合です。

北部九州のお偉いさんや武人であれば、立派な船で各港を優先的に発着して
魏志倭人伝の難升米や魏使と同じ速度で船行するでしょうが、
身分の低い者達であれば、
粗末な船で各地を転々としながら、足止めもしょっちゅうくらいながら
北部九州へと送られたはずです。

そうなると、彼らの体験としては、1年近くかけて故郷の裸國や黒齒國から
北部九州邪馬台国へ辿り着いたことになります。
それを魏で直接陳寿に話した。

この場合であれば、船行一年かかることがありえますね。

327 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 19:34:51.78 .net
>>323
>陳寿が得ることのできた情報源としては、

倭の使節が、魏の宮殿にやってきて
その倭使節からの情報、というのが、
・倭から送られた生口たちからの情報
よりも情報としては上だな。

328 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 19:39:19.67 .net
>>327
情報の格としてはもちろんそうですが、
倭の使節は狗奴国との戦いを中心に話しただろうから、
九州内のことで話題がいっぱいだった可能性が高いですね。
東方のことは東方からの生口からの情報を
少しだけ紹介したのかもしれない。

329 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 19:45:30.50 .net
たしかに奈良時代の租庸調を自前で平城京へ運ぶのは九州からだと命懸けで1年くらいかかっていたらしいな

330 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 19:52:19.43 .net
防人(さきもり)は東国から送られて、九州に辿り着くまでに数ヶ月はかかって
生きて帰れない可能性も高かった。

331 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 20:06:25.84 .net
妄想は楽しいかい?
畿内なんて魏志倭人伝に出てこないところに無理矢理邪馬台国を持っていくために苦労しているね!

332 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 20:56:20.62 .net
>>323
倭使からの情報が抜けとるな

333 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 21:15:06.07 .net
>>332
それはすでに>>327で指摘して、
>>328で返答をもらったぞい

334 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 21:22:14.51 .net
>>326
種子島から東南に一年間船を漕ぐっていう旅程が
方角の維持や海流、寄港地の特定と食料や人足の維持、で有り得ないって話だよ?
ポリネシア人の情報を地図にした、でいいけど ポリネシア人ってすごいねw
でもこれは、中国の船での話じゃなきゃ海図の意味ないし。
つまり、一月だの一年という図面上の距離でたどり着くのと現実の旅程は別。

335 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 23:14:26.30 .net
渤海使は、遣隋使や遣唐使なみに頻繁に行われたが(これは日本が受け入れる側)、
これのルートにしても、ウラジオストックのあたりから、冬期(!)の季節風に乗って
日本海を横断して日本海側の港を経由して京都に入った。
帰りは風も潮流も逆向きだから北上して北海道、樺太方面まで行ってから、リマン海流
の流れに乗ってそこから南西部に向かって、つまり日本海を一周するという大航海で
行われたんだぜ。古代の航海は予想以上。

336 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 23:39:01.41 .net
というか、弥生時代の末期は、中国は漢の時代だが、
シルクロードが作られた時期でもあるわけで、西欧との行き来は陸路を使っては
いたが、海路は中国から東南アジア、印度まで交易が行われていたから、
その船が沖縄および九州に寄港したとすれば航海1年とか普通にありえるんだわ。
1年といっても季節風が1年の季節で逆向きになるのを利用するので、風待ちの待機日数が長いけど。

337 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 23:48:34.47 .net
沿岸航行と渡海は全然違う
台湾にも行けなかったくらいだからな

338 :日本@名無史さん:2018/02/21(水) 23:58:59.68 .net
>>337
倭人はできなかったけど、東南アジアの人は
できたんだよ。漢帝国という大きな利益のあがる
国があったんだし。その脇っちょの先には倭人の未開地あり。

339 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 00:07:12.04 .net
ムリだよ

340 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 00:08:14.55 .net
弥生時代に帆船があったのか

341 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 00:10:32.80 .net
>>339
http://www.kobemantoman.jp/sub/SR.gif
当時の日本は未開地だったからムリだと思うのは仕方ないが、
印度でも中国でもとっくに文明国になっていたの。

342 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 00:13:06.84 .net
>>340
倭人の舟には帆船は無いかまたは原始的な帆しか
なかったが(のちの古墳の埴輪で帆柱の穴を再現したものが出土した
ものがあるが弥生時代を過ぎて古墳時代のもの)
漢の時代には漢には帆船はあったよ。兵士を陸送できるほどの大型船。

343 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 00:27:08.99 .net
>>341
時代がかなり違うんじゃね

>>342
渡海船じゃないよね

344 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 01:08:14.26 .net
魏志倭人伝を読む限り、対馬海峡を渡海する技術は倭人だけが持っていて、対馬海峡の両岸を支配していたのだろう。
筑紫倭国の天津神の財力の根源は、対馬海峡の権益だろうね。

345 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 06:34:09.07 .net
>>342
>>344
>渡海船じゃないよね
その通り。

阿保な連中は、穏やかな湖かなんかに船を浮かべるイメージなんだろうなあ。
帆船だろうが初見の木造船で渡れる海じゃない。
日を間違って出港したら木っ端微塵。

壱岐対馬の卜占の人たちも、案外気象や潮流の変化を読んで、
科学的に渡海方向を計算して、
それをありがたいお告げの形で暗示していたのかもしれないよね。

346 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 07:19:34.86 .net
計算というよりも、あっちの方角で出航したら酷い目にあった、
こっちの時期に出航したら遭難した、
という犠牲多数の体験から、ルートや時期が確定していったんだよ。

347 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 07:24:25.64 .net
とくに9月10月の秋は、東シナ海を台風がウロウロしているのを
天気予報でよく見かけるだろ。航海は春から夏がベストシーズンだが
秋はそれほどでもないのは、台風が来るから。
遣唐使らがよく遭難したのは、皇帝の正月の挨拶にいくため秋に出航したからだ。

348 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 10:44:18.51 .net
age

349 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 12:25:28.46 .net
age

350 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 16:20:41.20 .net
日本に帆船の歴史が始まるきっかけが邪馬台国問題なんだけどね。

卑弥呼朝貢の238年は魏への、倭や韓、北方の朝貢が止まる原因となった公孫氏から、
半島への大量の軍船による奇襲によって楽浪帯方郡を奪った年。
遼東を挟んだ戦中であり、軍船は豊富にあった。

この時に卑弥呼の朝貢使が帯方郡に来たので
郡は軍事同盟に願ってもない、倭王の使者として洛陽に送り厚遇した。
ところが、245年の高句麗蜂起や韓の反乱の九州の屁タレ小国は援軍を送っていない。

247に卑弥呼の方が援助を要請したので、張政は檄をもって査察に来た。
倭国王と思わせぶりの卑弥呼は案の定九州の弱小国の王だったし、死んで国は乱れていた。 

この経緯が記されたのが、魏志倭人であり
ちゃんとそう、書いてある。 おわり。

日本の帆船はこのころ以降の半島進出活発化から始まって
外洋船として成功したのは黄海を渡った400年付近からだろうね。

351 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 17:03:46.02 .net
>>350
その200年前にも「漢委奴國王」なんて金印を贈ってるくらいですから
弱小国の王ってことは無いんじゃない?

352 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 18:07:28.46 .net
その奴国すらを屈服させたのが邪馬台国だから、
倭の国の代表としての格はあるだろう。
あらためて金印を贈ったぐらいだから。

353 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 18:44:31.45 .net
>>350

>倭国王と思わせぶりの卑弥呼は案の定九州の弱小国の王だったし、死んで国は乱れていた。 
根拠なし

>日本の帆船はこのころ以降の半島進出活発化から始まって
>外洋船として成功したのは黄海を渡った400年付近からだろうね。
根拠なし

354 :353:2018/02/22(木) 19:23:31.73 .net
全否定する天才の俺
ってカッコいいだろ?
=中2病

355 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 19:24:43.91 .net
要するに馬鹿ってことです。353が。

356 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 20:32:41.23 .net
>>353
根拠なし、って文言が間抜けなのは根拠が倭人伝原文である
♪ドン来いスレ だからです。

>倭国王と思わせぶりの卑弥呼は案の定 九州の弱小国の王だった

>日本の帆船はこのころ以降の半島進出活発化から始まって
>外洋船として成功したのは黄海を渡った400年付近から

根拠は示してないけどw 倭人伝ちゃんと読めば明らかだろ?
新井白石と本居宣長で終ってるもんを、ちゃぶ台返しした、根拠を言ってみ?

皇国史観の記紀や 近代史の大韓帝国の定義で
古代韓が日本の植民地だったことが都合悪いから、は無しだよwww

アタシの勘だとw 土器厨の広鼻先生がホントの事言えば良いだけじゃね?
ここに、明白な文献の有る、古代九州を古代史隠蔽に利用すんのって許せんね。
てか? どんだけ馬鹿なの???
倭人伝読めば?

357 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 21:24:16.98 .net
御釜

358 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 21:42:21.52 .net
>>351
邪馬台国以前に韓四郡の統治を失った漢
それを奪っていた公孫氏が一年以内に滅びる状況で
奇襲を仕掛けた魏が戦勝状態の帯方郡に朝貢した外洋の大国、
倭の大王を偽証した九州の一部、周回5千里だけの
小国の王が倭王卑弥呼という認識は基本だね。

中国人が見て現地語音訳で命名した邪馬台国の、
北部九州で共立の宗主国を
どっから、どう見ると、倭国統一期の大和王権の畿内説だよw

中国人の認識に瀬戸内海どころか
九州と四国の別も無いだろ?

邪馬台=大和の根拠なんて有るわけ無いだろ?
記紀と倭人伝は同時期の時系列で同時に有る、別の歴史だろ?

総レス数 1012
441 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200