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♪邪馬台国ドンと来い!♪135

1 :日本@名無史さん:2018/01/31(水) 23:37:15.40 .net
       ,..-─‐-..、     
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
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九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
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前スレ
♪邪馬台国ドンと来い!♪134[転載禁止]©2ch.net・ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1512648703/l50

30 :日本@名無史さん:2018/02/03(土) 08:16:25.35 .net
>>24 変わったテンプレだな。注釈をつけているつもりらしい。

31 :日本@名無史さん:2018/02/03(土) 11:32:41.13 .net
>>3
このデータは素晴らしいですね。
私のイメージでも 周旋可五千餘里 はその位の範囲だろうと考えていました。
出元が判りませんが、公開されてるようなら勉強したいので教えてください、エロい人。

>>25 の女王諸国に当て嵌められると思います。
九州知らんし、アースで見てますが、おおむねで推測可能が↓
上陸は糸島半島西岸付け根に、倭人船母港の末羅国
伊都千戸南東500里福岡西陵高周辺 不彌国千戸福岡市動物園辺り
奴国2万戸油山山麓広域 邪馬國八女南麓

あとは、データを頼りに周旋で奴国周辺から時計回りで周回します。
私の判断は東北域の宗像、飯塚。 唐津以西は ご都合主義ですが入りません。
王名が判る奴国王 難升米 都支國王 都市牛利 躬臣國王 載斯烏越 巳百支國王 伊聲耆掖邪拘
は、そこそこの有力地域と思います。
今日は、これで遊べるネ! 師匠ちら裏、お借りします。

32 :日本@名無史さん:2018/02/03(土) 11:45:51.13 .net
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は九十九島(長崎県佐世保市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県神埼郡三根村)の吉野ヶ里遺跡
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は?
12番 華奴蘇奴国は?
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣國は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)
19番 支惟國は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴國は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。

狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)

33 :日本@名無史さん:2018/02/03(土) 12:31:12.81 .net
>>32
>肥国から肥後狗奴国を除いた範囲、おおむねそう思います。 
長崎佐世保っていうか
私は唐津〜佐賀ライン以西は縄文人国として、
渡来人卑弥呼国とは異文化の可能性を見ています。

時計回りの意味として、梯儁がまず丸を書いて 倭人に伊都はここ奴国はここを図示、
で、次は何?次はどの辺? で、周旋して聞いたデータをイメージしてます。

その、時計回りの根拠は 邪馬国を八女で梯儁も既知、帰路が5国は
佐賀、武雄、伊万里(入海で縄文国かも?)唐津、糸島しか道がないと思います。
福岡博多大宰府久留米平野佐賀平野は一筆書きじゃなく、ジグザグで
だいたいの順番になっちゃいますwww
貴説、ご教示、感謝です。

34 :日本@名無史さん:2018/02/03(土) 12:33:42.32 .net
筑前・豊前・豊後は大陸から倭国(阿波)への往路で発展し、

肥前・筑後は倭国(阿波)から大陸への復路で発展したんだろう。  @阿波

35 :日本@名無史さん:2018/02/03(土) 12:44:18.84 .net
時計回りにしては八女が出てくるのが遅い。

36 :日本@名無史さん:2018/02/03(土) 15:31:51.38 .net
>>35
そう思うけど? 八女=邪馬国やめ。 
邪馬国はもっと南でみやま。
こじつけは無意味だけどなんか見つかるかと思って
梯儁聞き取りの和音も参考に入れて表にした。
何もなしw

37 :日本@名無史さん:2018/02/03(土) 16:09:34.67 .net
適当に書いていたが、二つのスレで同じ話をしているな。

38 :日本海ルート論者:2018/02/04(日) 04:17:35.01 .net
前スレ970の続き。
【ヒメヒコ仮説】概論 8) 母家を継承する弟(ト)、共同体に出向する兄(エ)

「復立卑彌呼宗女壹與,年十三為王,國中遂定。」
卑彌呼死後、宗女(男系の女子)壹與が立つ。卑彌呼の母家から継承者が出なかったのは、卑彌呼自身母家を継承するヒメではなかったからだ。

@母系社会は、子を上手く産み育て男系相続に良くある相続争いを避けながら長期安定社会を目指す。故にその相続は【末子相続】である。
Aつまり、ヒメヒコは死ぬまでが任期であり、次の代のヒメヒコは神事が行える1番若い子(孫や曾孫でも可)から選ぶ。当然代替わりの回数が減り長期安定化する。
Bつまり、兄(エ)はヒメヒコになれず、弟(ト)がヒメヒコになる。当然傍系の弟(ト)は駄目。つまり、継承できるのは親も祖父も先祖代々弟(ト)であった直系の弟(ト)のみ。
C尚、「〜根(ネ)」は「〜の兄(エ)」のこと。「〜のウシ」が詰まって「〜主(ヌシ)」と同じ。また弟(ト)は(オト、ド)でもあり「トメ」「トベ」は「弟(ト)女(メ、べ)」。
D例えば。安寧天皇(シキツヒコタマテミ)は自家の従妹に妻問し、常津彦某兄(長男)、懿徳天皇(次男)、シキツヒコ(末子)を生む。中兄の懿徳天皇はシキツヒコを継げない。
E孝霊の時もシキ家やその傍系と改めて血固めしているようで当時シキ家が主家とも想像できる。見換えれば懿徳以降はシキ家の傍系=兄(エ)とも見える。
Fそして懿徳以降の事績や婚姻相手、和名号等を眺めると、開拓地に都市を建設して治め、新たな交易先を開拓して政略結婚を進める事が兄(エ)の役割と見える。
Gつまり、継承者の弟(ト)は母家に残ってヒメヒコとなり、祖霊崇拝をしながら先祖から受け継いだ土地に引きこもる。こうした母家が各地に存在する。
H時代が進み各母家が合同するようになると、各母家から共同体の運営に直接従事する者が出向してくる。この大役を担うのが兄(エ)である。
Iこのように考えると、卑彌呼が「各地のヒコ達と神的婚姻関係を結ぶ」ことができたのは共同体に出向した兄(エ)であるからだと解る。
J更に卑彌呼と男弟は共同体内ではヒメヒコ(邪馬壹ヒメと邪馬壹ヒコ)だと解る。更に壹與が卑彌呼の宗女なら卑彌呼と男弟は同父系異母家の親戚で壹與は男弟の実子だと解る。
*尚、邪馬壹ヒコの筈の男弟はヒコミコと呼ばれず、狗奴の男王を卑彌弓呼(ヒコミコ)と呼ぶ謎は、今後別途解説する。

39 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 10:21:30.10 .net
九州北部 『周旋可五千餘里』 のイメージ(伊都発時計回り)

伊都/城南 不彌/博多 奴/那珂川 斯馬/志免 巳百支/香椎
伊邪/糟屋 都支/須恵 彌奴/春日 好古都/大野城 不呼/宇美
姐奴/筑紫野 對蘇/筑前 蘇奴/朝倉 呼邑/うきは 華奴蘇奴/鳥栖
鬼/吉野ヶ里 為吾/久留米 鬼奴/八女 邪馬/みやま 躬臣/佐賀
巴利/武雄 支惟/唐津 烏奴/今津

で、伊都〜奴に戻り、女王国周回五千里
ちら裏の私事だが、邪馬の王宮(臺)を八女説はアースで検討したら やめ。
最南じゃないので みやま にした。←これはひどいwww

40 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 11:20:44.14 .net
で、わし が女王国30国を周回した所見を記す。(使大倭監之w 梯儁風、アースでw)

1、往復で4千里を5千里で周回する中、2千戸程度の30国を繋ぐ。 案外細かい。
2、国名はひらがな一字一音の二字が主で濁音は希少。 弥生渡来人に中国語の影響がない。
故に、逆に巳百支、好古都等は後期の移民国っぽい。
(↑日本海ルート先生のレスも参考になりました、感謝です)
3、倭人名、奴国王升米しょうみ 都支國王牛利にうり 躬臣國王烏越うえつ、
他官名も漢字起源っぽくない? (略して読んでたので、検証不十分です。m(__)m)
中国人が長い和名を略してる可能性や、古代九州語データを知らないので単なる印象です。
逆に巳百支國王 伊聲耆掖邪拘やなく? は漢字用法に外来語(北方系?)ムードが有るかも?

完全な私見だが
九州地理に疎いので >>3 とかの、遺跡データと照合すれば楽しそうかと思う。
集落遺跡と遺品宝物の出る墳墓とが同じ場合、縄文的なのかと思う。
後期古墳の豪華さは、諸豪族が王権継承で王家の経済的強勢を削ぐ意味しか感じない。
始皇帝は元祖馬鹿であり、薄葬令時代に日本の古墳時代開始は頓珍漢である。←(略)www

41 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 13:24:17.51 .net
兄ウカシ、弟ウカシはどうなの?

42 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 13:56:17.68 .net
香椎を入れるなら支惟国っしょどう見ても
あと、宗像とか遠賀とか入れたのを見かけないけど、どういうこと?
九州説なら、女王国から東は海なんだからきっちり海まで到達しなさい
畿内説なら、たとえば投馬国が宮崎なら、九州東岸までは行かないと南へ水行できないでしょ

43 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 15:02:19.00 .net
>>42
現代地名は基本的に古くて律令古墳時代以降の命名、
神社成立の600年以降、むしろ戦国等の領主にちなむと推定してます。

香椎は梯儁が時計回りで聞き取りした前提で奴国の右側から選考です。
また、周回5千里的に長崎、平戸同様
香椎はこれ以北、以東の宗像遠賀、海進縄文以来国との国境とし
巳百支國王 伊聲耆掖邪拘を志賀島海神、国境の有力王として巳百支國を選びました。

ご意見ありがとうございます。

44 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 15:09:14.81 .net
東は海について、 東の倭種については聞き取りで
魏使は二人とも瀬戸内海を見ていないと判断します。
特に特徴的な関門海峡は見たら東へ渡海千里とは言わないと思います。

45 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 15:24:25.82 .net
だから、倭人伝にある通り、不弥国より以遠は伝聞でしょ。
そりゃ関門海峡なんて見てないでしょうよ。

女王国の領域を説明しているのだから、
関門海峡までの地域が国々の中に入ってないと
東が海にならない。

46 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 15:26:41.48 .net
香椎は不弥国。
宗像より東は豊国なので倭の中でも別の氏族。
卑弥呼の支配は筑紫と肥国。
ただし反抗した肥後を除く。

47 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 16:12:27.58 .net
>>45
変則テンプレだけど
>>14 女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
女王国の東に海が有る可能性はここだけだが、

郡使は女王国、倭人国、倭国、邪馬台国の用法を恣意的に混同している。
ちなみに、東夷伝において、倭人国の北は海ではなく韓である。
混同した国名で語られる地理には懐疑が必要だと思う。

混同の理由 >>28
郡は景初二年六月 (238年) 公孫氏討伐が終わっていない
郡を訪れた卑弥呼の使 難升米 を郡の安定に有意とみて
倭王の使者として皇帝に引き合わせた。 大歓迎である。

だがしかし、2年後に金印紫綬を届けに来た梯儁は周回5千里の小国の事実を見た。
郡はもはや間違いでした・・・ とは言えなかったのであるwww
倭人伝の齟齬の根本原因はここにある。

48 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 16:42:00.90 .net
違うな

49 :くまモン論者:2018/02/04(日) 17:04:03.91 .net
なんでだよwww

カラカミ遺跡
弥生後期の土器に漢字 国内最古級、中国製か 長崎・壱岐

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/193630

50 :くまモン論者:2018/02/04(日) 17:23:49.99 .net
阿波さんやったね!

http://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20180201/8020001148.html

51 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 22:36:06.08 .net
https://i.imgur.com/hgGoTIM.jpg
試し

52 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 22:45:52.18 .net
>>49
この記事大丈夫かよ?
弥生時代後期(1〜3世紀ごろ)中国・遼東半島で作られた弥生土器って何?
1〜3世紀なら公孫氏の漢四郡が遼東文化なのは当たり前だろ?
弥生時代の人々が文字を理解していたかどうか?
倭人伝では倭人が洛陽や漢四郡と金印で交流してるって書いてあって、弥生人中国渡来説が有るのに何で倭人に文字が無かった必要があるんだ?

>>40の 九州の弥生人が漢字系の名前とか固有名詞を知らないみたいなのは
昔の渡来系の土器、農具厨の豚レイシストアラシ君が言うように
弥生渡来人が中国固有文化の集団で一時期に渡来してる可能性はないんじゃなねーの?
邪馬台国が九州なら、海外知らない畿内が文字を知らないのは当然としても
邪馬台国が九州だとモモタロウや河童が出てきちゃう日本の歴史学がおかしいだろ?

53 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 23:11:37.91 .net
弥生文化には中国系の生活土器も、中国系の耕作用農具もないのはもちろん、
中国系の服飾文化も、当時の中国の中粒種のイネすらない。

しかも、中国系の住居さえもない。

中国は6000年前から木骨泥墻という土壁の住居。

4000年前から既に土壁の戸建ての時代。

中国から渡来人なんてあり得ないね。

あほです。 

54 :日本@名無史さん:2018/02/04(日) 23:15:55.96 .net
河童やオニ?テング・・・など

当時の一般(不明)の人々では、
見たことのない人々のことだという説があったような

55 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 07:40:31.41 .net
時計周りの説だが、伊都国の南には山地がある。
https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=635x10000:format=jpg/path/s693a965aef69b319/image/i7accac250c8d104e/version/1465632678/image.jpg
その山裾に国々が並んでいるのだから、円周状に国々があって、
時計周りに説明していくのは妥当なんだよ。
だから、次に○国あり、次に○国あり、となる。シマ国からはじまって一周して
奴国に戻る。
ちんじゅが見た資料には、地図があったんだよ。それを文字にしたから、
次に○国あり、次に○国あり、となる。
筑後川の北岸に国々がある。吉野ヶ里もそのひとつ。
一周して、最後に、きい城、うの城があって、奴国に戻る。反時計周りだが。
山塊があるから一周せざるをえない。

56 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 08:12:15.28 .net
支惟国は肥前国基肄郡、次の烏奴国は大野城もある筑前国御笠郡、その次に有るのが奴国。
香椎は筑前国糟屋郡に広がっていた不弥国の中心地、もしくは重要拠点。

宗像は古墳時代も博多湾沿岸や有明海沿岸とはまた違った文化を持っていたように
そこだけ独立した強力な海人族の集団もしくは国家。

神功皇后の集団が岡の湊に来襲したときに降参してきた熊鰐(嘉麻大王)は筑豊の嘉麻盆地に本拠を置き
当時は関門海峡まで支配下に置いていた豪族、同じく降参してきたイ・トデは伊都国王族の末裔か。

57 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 08:37:52.41 .net
>>55
はじめから反時計回りと書いてくれないか。

58 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 08:38:37.37 .net
【邪馬台国の終焉】

八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮のそれぞれの王(五十迹手、熊鰐)が出迎えているが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。

倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。

仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じ景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にする。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは、王朝の始祖神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。

59 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 08:39:23.46 .net
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は九十九島(長崎県佐世保市)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)の吉野ヶ里遺跡
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/hgGoTIM.jpg

60 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 10:12:27.18 .net
>>55 時計回り説で邪馬台王宮=みやまと推定しましたが
陳寿がこれを往復した後に、地図?概念図を作っていると思います。
方法論として、九州島の概念は有ったようなのでまず丸を書く。
(倭人相手は砂上でも良いけど多分、筆と板)
そこに、自分の方角、距離感で、まつら、いと、な、女王宮 の位置を記す。
余談ですが一月行の単位は一般が知らない宮廷独自の世界地図系表記用単位の可能性を感じます。

経路は大宰府越えと思われるので、順次宿営地、其餘旁國の距離方角を聞き記す。
これが、女王宮までの概念であって、皇帝軍の宿営を張りながら行軍したはずで
その過程も記録での詳細聴取による後述で周辺の国を記したと思います。 
この、九州概念図は梯儁が初めて作った、はずです。

みやま〜唐津への経路に佐賀、武雄が有るので徒歩の可能性を聞き
周回5千里とした と推測しました。


>>56 記紀以前の資料は文字以前の考古学になるので
古代地名の同定が可能と考えてはいないのですが、ほぼ同意です。
神功皇后は倭人伝以降の史書同調説や、実存に壮大な無理があるので、
大和朝廷と九州の関係はヤマトタケルでの方がシンプルで好きです←これはひどい

61 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 14:39:33.34 .net
女王所属国30国については、梯儁が王宮往復で倭人聞き取りで地図を作った推測と
奴国王 難升米 都支國王 都市牛利 躬臣國王 載斯烏越 巳百支國王 伊聲耆掖邪拘
の国(郡または洛陽での聞き取りで別字)が、梯儁の漢字国名の音と一致したことで、
比定する推測に意味を持ったと思います。
場所の詳細は、九州の地誌遺跡に詳しい先生方の紹介が既にあるだろうと思いますので・・・

卑弥呼王宮みやま説について
原典の万二千里と国境南限と狗奴国国境から久留米南麓八女を邪馬国と想定してましたが
実際に行ってみると、アースでw みやまが国境ですね。 
ググってると山門説ありました。 地名とは関係なく南限国境はここでしょ?

きわめて理想的な古代荘園向きの山間の谷戸地形が多数あって
天木公園〜東側山麓は古代城(徒歩戦?)適地に見えます。
汽水域や海じゃない大牟田の山麓や南関も理想都市向きですが、
熊本平定しないと戦場化しそうです。
三池炭鉱で遺跡好適地じゃないかもですが、両陣営はゴルフ場で対峙してましたw
ビューで赤土丹採掘地を見た? 気がする。

私としては、みやまが卑弥呼の王宮最優先地としました。
♪ドン来いテンプレにあった倭人伝や後漢書にも、そう書いてあったし・・・
地形の検討は、学校の地図よりアースが良いですw

62 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 19:05:28.29 .net
方角や道里が大まかにはわかる伊都国までの記述があって、
その南には傍国が約20カ国ある。(筑後川の北側)
さらに其の南に大きな女王国があって(筑後川の南側とくに河口の広い平野部)
またその南にはクナ国がある。(熊本県)
という構図だろ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7c/Tsukushi_Plain_Relief_Map%2C_SRTM-1.jpg

反時計周り説の人のサイトから
https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/77735/795584100795442a41ebf4937633d5ec_1e3e38d30b0cf39772ebf9af991fa52f.png
国名は、タテ書きにしなければならない。山地沿いに国が東西に並んでいるのだから。
伊都の駐在する使節からは、南の山脈の向こうを想像しながら倭人が言う
国名を筆記するわけだ。倭人は当時、文字は少し書けたが、その国名と魏志倭人伝の国名は
漢字が全く一致しない!から、倭人は国名を文字で書けなかったことになる。ただの口頭説明。

まず、唐津市から山道を通ってその先の国から説明することになる。
https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=635x10000:format=jpg/path/s693a965aef69b319/image/i7accac250c8d104e/version/1465632678/image.jpg
已百支國の位置は難解。あとまわしにする。
傍国20カ国のうち中間ぐらいに對蘇国(鳥栖市)、 呼邑国(おぎ=小城市)という
発音がぴったりの地名がある。山裾を左から右へとたどっていって
不明の国名がつづくが最後のあたりで、支惟國(キイ=基肄城)、烏奴國(うの=大野)
というまた地名がぴたりの箇所があって、奴国に戻る。反時計周りというが、単に地形に沿って
順番に説明しただけ。これらは筑後川の北岸に乱立する小国だが、南側は
女王国がまとめて大きなひとつの国になっている。
反時計周り説の特色として、投馬国は、サツマ国だという。サツマを漢字にあてると
卑字を使うとして、殺馬国。殺の字と投の字は似ているから、誤写したのだという。
ともあれ、そうするとまつら国の北端に船を付けて、右(東)に行けば、伊都国。
左に行けば殺馬国(投馬国)となり、長崎沿岸のいくつかの国は水行ルートの重要な
寄港地になり、傍国20カ国のうちついでに加えられることもありうる、
といったところか。

63 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 19:08:15.44 .net
邪馬台国鹿児島
https://ncode.syosetu.com/n2362di/

天照から神代三代は鹿児島

答え書いてた

種子島が侏儒国であると比定される動きが、一部に出ている。
これは、種子島から発掘 された弥生期から古墳時代にかけての人骨の調査結果で、
「極端な」短頭、低頭、低 身長特徴を持ち、魏志倭人伝に記述されている侏儒國の人類学的特徴と一致していると の見解による。
この特徴は同時期の人骨が発見されている沖縄や九州、
本州などには 見られない特徴で「小人並」の成人の人骨は種子島だけにしか見られないとのことである。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)


64 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 19:30:27.96 .net
>>62
投馬国は反時計回りの中に含まれない。
書き方からすると、別情報だ。

65 :日本@名無史さん:2018/02/05(月) 19:39:45.54 .net
>>64
投馬国のことなんか無くても、魏略と廣志の記述では
女王国にたどりつけるのだから(筑後平野)、
投馬国は別情報のおまけでついでに書き加えただけだろう。
おまけのついでなら、こだわる必要性はうすい。

66 :くまモン論者:2018/02/05(月) 21:54:57.20 .net
>>52
隋書倭国伝に 無文字唯刻木結繩 敬佛法於百濟求得佛經始有文字 って書いてありますしお寿司。
しかし漢字を理解できる奴はいただろうな。

それと弥生式土器とは書いてないぞ。

67 :くまモン論者:2018/02/05(月) 21:56:24.59 .net
ついに鹿児島説来たか胸熱w

68 :日本海ルート論者:2018/02/05(月) 23:06:38.87 .net
>>41 自分だよね?(笑)

兄宇迦斯・弟宇迦斯も、弟宇迦斯の方が弟(ト)なので継承者です。因みに、兄師木と弟師木も同じ。
ココらはパターン的で、弟は地位を約束されるので帰順に応じ易く、兄は帰順後の地位が危ういので反抗的。
或いは、弟は継承者でその母家の直系の先祖に当たるので賢く描き、兄は愚かに描く。

ヤマトタケルの熊襲タケル兄弟の討伐に出てくる兄建と弟建も同じ。ヤマトタケルの武勇を褒めヤマトタケルと名乗るよう言う名文句を言うのは弟健の方です。
日本書紀にある出雲降根の話も同じ。崇神から神宝の献上を命じられ、無断で献上した弟の飯入根を兄の出雲振根が殺す。弟にも根が付くので複雑そうですがコレも弟が継承者の筈です。

ココらはフィクションならば尚更兄・弟が明確に描き分けられているんだろうと思います。
神武の大和入りなんかは多分に倭人伝からの発想でしょうしね。

69 :日本@名無史さん:2018/02/06(火) 00:29:53.41 .net
ヤマトタケルが倭國王になれなかった理由は母親の血筋のおかげ
でも
女王家の娘とつがう機会が与えられたからでかした子は倭國王になれた

70 :日本@名無史さん:2018/02/06(火) 09:25:02.03 .net
>>66
文字は57年の金印時代の木簡でも、九州弥生人には入ってお升。お寿司。
壱岐で漢字記入の弥生土器出土ならともかく、中国土器に漢字が書かれていても
王にあてた木簡同様、学校もない倭人の漢字使用には関係ないです。
中国人渡来説の証拠にするにも、壱岐はこの時 差有田地耕田猶不足食亦南北市糴 です。

九州女王国での漢字使用は、倭人伝
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯
>傳送文書 これが語っています。
考古学者は歴史に対して、秋目蔵w なのです。

隋書倭国伝って、600余年、日出処の天子を見た皇帝の命で
遣隋使の小野妹子の帰国便で裴世清が来日、
新築法隆寺、斑鳩の天皇に謁見した報告の後成立でしょ?

で、 >無文字唯刻木結繩 / 敬佛法於百濟求得佛經 始有文字
この文、前半は250年まで、後半は仏教伝来の550年以降ですね。

北朝の隋はこの間、空白の4世紀、ま、南朝の倭の五王外交は暴露されますがw
記紀が隠蔽した半島放棄以前の百済、新羅、建国冊封、南朝外交、
人質の皇太子を送還した白村江海戦の事情の詳細、
半島進出400年までの、高句麗馬移入、富国強兵開拓期の日本を全く知らない証拠です。

邪馬台国論争をわざと頓珍漢にしてる目的が判る気瓦斯ます。(主語略)

71 :日本@名無史さん:2018/02/06(火) 10:19:41.76 .net
>>63
>種子島が侏儒国
>>14 又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
正解です。
邪馬台王宮は九州上陸後一月行二千里、九州島南北は三月行=約六千里

これは、侏儒國奇譚を聴取した中国人が
九州島南北三月行=6千里の概念を既に持っていたことを意味します。
南遥か、もう一つの邪馬台国がムー大陸上陸後、陸行一月でない限りwww
私訳は、実際に到達できていないと考えます。

三国志東夷伝にも 倭人国=九州の南端まで使訳した記録は有りませんが
漢以降、西域を使訳した記録、高句麗を追討して沿海州まで行った記録は有ります。
コツン ⌒☆∩`Д´) < ヤダヤダー!!  東夷伝序文参照

これは、梯儁の九州2千里の行軍や聴取記録同様、概念図化されてるはずですが、
国家の正規軍将軍でもなければ、図の書写で拡散は困難だと思います。 
これが史書の一月行単位の使用例希少の原因でしょう。

一月行、三月行五月行等の定義は、
公開はしているので軍事機密とまではいかないと思いますが
この中国王朝独自の地理概念=地図における座標にあると推測しています。

72 :日本@名無史さん:2018/02/06(火) 10:53:03.08 .net
>>70
>>無文字唯刻木結繩
>この文、前半は250年まで
>傳送文書 これが語っています。
なんじゃなかったの?

>邪馬台国論争をわざと頓珍漢にしてる目的が判る気瓦斯ます。(主語略)
???

>>71
>これが史書の一月行単位の使用例希少の原因でしょう。
???

>この中国王朝独自の地理概念=地図における座標にあると推測しています。
???

73 :日本@名無史さん:2018/02/06(火) 11:45:57.07 .net
>>72
>>無文字唯刻木結繩
>この文、前半は250年まで
>傳送文書 これが語っています。
なんじゃなかったの?

つまり、>>無文字唯刻木結繩 は倭人一般の話で
隋書倭国伝では、女王国が文字を使用していたことは考慮していないということです。
倭人伝の国は文字を使用してますが、倭人庶民は仏教伝来以降でも普通は文字を知りません。
これであれば、教育のゆきわたっていない近代の日本、中国人も文字は知りません。
中国史記の著者の中華礼賛 皇帝おだてw おごりかと思います。

刻木結繩が、意思疎通可能な言語に変わるものなら、
刻木結繩という文字列が何を意味するのかは興味があります。

推測的には固有名詞を表すのには、刻木 結繩という行為に
共有性を含有させるのは困難なので、単に土器の模様のようなことかと思います。
表現として砂に絵文字の方がましなので、著者がアホです。

ちら裏解説なんで、自己理解の上に、言葉が足りないのは判っているのですが
??? 何が欲しいの??? 
昔のエロい人は言いました。
触れないものはその手に得ることはできません。

74 :くまモン論者:2018/02/06(火) 12:42:10.22 .net
>>70
ヒント。アイヌ

75 :hage:2018/02/06(火) 15:10:22.99 .net
倭人伝解読に関する、日本語訳による恣意的ミスリードの存在について
その可能性の一例として、スレ主師匠の原文テンプレに段落を付けた
変形テンプレのほかに >>24 から >>29 を掲上しました。
ご迷惑な、おみやげです。

文節、改行、段落に関して、その行間にある時代状況の背景を読むべきなのです。
行程記はもちろん、記載30国の地理で、検証は試みますた。

陳寿の研ぎ過ぎた文体では、執筆過程でのデータの所在も想定して読まなければ、
段落や地図の存在の可能性や文の真意は想定できない。
猶、風俗、風物詩、外交史についても検討の必要は存在しています。
ご都合主義の介在できる翻訳ではなく、直読で意味を把握してから語り合うべきです。

>>74  師匠ありがとうございました。 
ホント―の事を書いちゃってネトウヨと呼ばれる、jc歴女の名無しに戻ります。
テンプラ揚げて語る窮屈さは、乙でゲソ天♪ドンと来いwww
相手してくれた皆さま、いじめっ子や、畿内系梅嵐の皆様にも感謝です。

吉備のモモタロウが犬猿雉と、巌流島で
卑弥呼の五尺刀を持った小次郎と戦い、船の櫂の木の棒で勝った、
九州征伐神話の九州説を信じます。
映画化決定!

倭人伝をちゃんと読みましょう。 ←おまいう

76 :あれ?:2018/02/06(火) 15:15:01.24 .net
【東夷伝 序文】
書 稱東漸於海 西被於流沙 其九服之制 可得而言也
然荒域之外 重譯(調査団を度々派遣した)而至 非足跡車軌所及 未有知其國俗殊方者也

自虞暨周 西戎有白環之獻 東夷有肅慎之貢 皆曠世而至其遐遠也如
此及漢氏 遣張騫使西域窮 河源經歷諸國 遂置都護以總領之
然後 西域之事具存故史官得詳載

焉魏興 西域雖不能盡 至其大國 龜茲 于ゥ 康居 烏孫 疏勒 月氏 鄯善 車師之屬
無歲不奉朝貢 畧如漢氏故事

而公孫淵 仍父祖三世有遼東 天子爲其絕域委 以海外之事遂隔斷 東夷不得通於諸夏
景初中 大興師旅誅淵 又潛軍浮海收樂浪帶方之郡 而後海表謐 然東夷屈服

其後高句麗背叛 又遣偏師致討窮追 極遠踰 烏丸 骨都 過沃沮 踐肅慎之庭 東臨大海
長老說有異面之人 近日之所出 遂周觀諸國 采其法俗 小大區別各有 名號可得詳紀

雖夷狄之邦而 俎豆之象存中國 失禮求之四夷猶信
故撰次其國 列其同異以接 前史之所未備焉

77 :くまモン論者:2018/02/06(火) 22:08:52.23 .net
>>75
バシィィィィン‼︎師匠を置いて出て行く奴があるかっ‼︎大事なことだから二回言いました。(みのもんた

御主に言い忘れていたことがあった。
倭人伝あたりの陳寿の資料は張華によってもたらされたのじゃ。

78 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 07:23:35.82 .net
卑弥呼亡きあとは台与などが登場したけれど九州内では紛争がつづいて、
そのうち小勢力の一派が近畿に東征に出発して、畿内の大勢力に加担して
うまく大きな勢力になることができた。
そのあとは西に東に征服戦争を起こして、九州方面には
神夏磯姫のエピソードが残った、ということでいいんじゃね?

79 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 07:31:06.92 .net
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)→邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg

80 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 09:59:22.67 .net
>>69
ヤマトタケルがクマソタケルを討つ場合,だけど
卑弥呼〜台与の女王国の頭越しで戦争は無いとして
九州女王国と本州の後の朝廷勢力が並立してるよね。

神功皇后は記紀のキャストで、倭人伝の実在の卑弥呼〜台与と同一として
血筋的にはヤマトタケルの子が仲哀天皇なら、嫁の神功皇后が台与にするには
卑弥呼の前にヤマトタケルが九州来てないと順番が違くネ。
>>68 日本海ルート論者さんのヤマトタケルがヒコで台与がヒメ?

卑弥呼と台与が同一ならヤマトタケルと仲哀天皇も同一かも?
これって、多分三国志読んで記紀の作者が帳尻合わせした場合、の筋書きだよね。
俺もw

実話で九州が弥生渡来人発祥の地として、記紀だと九州何回征伐されてる?
記紀でも皇統は応神天皇辺りからにしないと神話なんじゃない?
東遷じゃなくて、里帰り?

81 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 10:06:20.80 .net
【邪馬台国の周辺の国】
それぞれの中心地は

1番 斯馬国は肥前国杵島郡(武雄)
2番 己百支国は肥前国彼杵郡(佐世保)
3番 伊邪国は肥前国松浦郡(伊万里湾沿岸)
4番 都支国は肥前国小城郡
5番 彌奴国は肥前国三根郡
6番 好古都国は肥後国八代郡?(女王国連合に属さぬ南方の芦北国、球磨国に睨みを利かせていた?)
7番 不呼国は肥後国宇土郡
8番 姐奴國は肥後国益城郡?(狭野尊の幼名を持つ神武天皇の本地?)
9番 對蘇国は日向国臼杵郡
10番 蘇奴国は肥後国阿蘇郡
11番 呼邑国は日向国児湯郡
12番 華奴蘇奴国は肥後国菊池郡?
13番 鬼国は肥後国合志郡?
14番 爲吾国は肥後国山鹿郡?
15番 鬼奴国は肥後国玉杵名郡
16番 邪馬国は筑後国八女郡
17番 躬臣国は豊後国玖珠郡
18番 巴利国は筑後国夜須郡?
19番 支惟国は肥前国基肄郡
20番 烏奴国は筑前国御笠郡
21番 奴国は筑前国那珂郡

82 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 12:39:36.66 .net
【邪馬台国の終焉】

八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮のそれぞれの王(五十迹手、熊鰐)が出迎えているが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。

倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。

仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じ景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にする。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは、王朝の始祖神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。

83 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 14:13:31.71 .net
>>76
序文だと陳寿データの漢籍には
邪馬台国以前の日本については何も書かれていないっぽい。

>景初中 大興師旅誅淵 又潛軍浮海收樂浪帶方之郡 而後海表謐 然東夷屈服
九州の卑弥呼が 大興師旅誅淵 の時に、多分公孫淵に朝貢に行って、
たまたま戦後進駐の郡太守によって皇帝に謁見させた感じ、運良く使が派遣できた。
なのに 然東夷屈服 は中華礼賛の大法螺っぽい。

>長老說有異面之人 近日之所出 遂周觀諸國
聖徳太子の発想これだろ、見っけ、パクパクwww

>重譯(調査団を度々派遣した)
まあ、この訳が通訳にのわけないのは判る。

それと倭人伝の最後にも
評曰
史漢著朝鮮兩越東京撰錄西羗魏世匈奴遂衰更有烏丸鮮卑爰及東夷
使譯時通記述隨事豈常也哉

もあるのに、なんで一緒に読まないんだ?
使譯時通記述隨事豈常也哉 
って、書いてあるんだけどね。 使って探検家じゃん? 譯は探検記。
帳政が来て、女王が倭国王じゃないのがバレて外交終わった でも良いかも。

84 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 14:44:03.92 .net
重譯っつうのは、
倭語→朝鮮語→中国語みたいに通訳が複数いたの

85 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 15:10:24.37 .net
重譯というのは、それだけ相手が遠隔の地にいたという常套句だよ
それほど言葉の通じない遠くまで中国皇帝の威光が届いているという

86 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 17:53:38.48 .net
常套句www 通訳?
トンチキ ってのは頓珍漢のことだったか?

87 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 18:50:52.45 .net
>>79
3番 伊邪国は平戸島なら、
そこから東南1日の島はどこよ?
伊邪と平戸では表音も全くあわない。
根拠不十分だぞ

88 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 19:02:46.35 .net
>>79
>4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)

早岐(はいき)に対し、都支は「とき」か?
都は「はい」と読むのか?
これまた根拠不十分。

広志に1番から3番までは載っていて
3番では西南に分国があるのだから3番の国は筑後川の河口あたりだろ。
次斯馬國 次巴百支國 次伊那國 安倭西南海行一日 有伊那分國
無布帛以草為衣盖伊耶國也

だから、2番 己百支国は
志摩と筑後川河口との中間あたりが予想されるわな。
しかし、それとは関係なく西の沿岸国の可能性もあるわけだ。次に有り、
だから隣接しているはずではある。
>5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)

投馬国の彌彌みみ と同じ漢字だから「み」がつく国名になる。
三根でいいかも
6番 好古都国は?ハカタという説もあるがさすがに無理。
7番 不呼国は? 不明。
このあとは佐賀県中央部の地名と一致する。
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)か、耶馬渓のあたりか。
太宰府に近づいていく。
>18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨
どちらにもとれる。
19番からは太宰府周辺の国名になり、21番で奴国に戻る。

89 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 19:57:49.58 .net
>>88
いやいや、志摩を起点に西南へ向かうなら、伊万里から平戸方面だよ。
筑後川には出ないだろ。

90 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 20:29:38.44 .net
>>89
女王国の傍国のほとんどは伊都付近から見て
南方にあるんだぞ。女王国の北には一大卒を置くからな。

伊万里から平戸方面などの西方の国を見てどうする。
つじつまあわせに、南を東どころか
今度は南を西にか?

91 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 20:40:22.01 .net
>>90
次斯馬國 次巴百支國 次伊那國 安倭西南海行一日 有伊那分國

西南だろ!
勝手に南に変えるな!

92 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 20:42:35.59 .net
https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=635x10000:format=jpg/path/s693a965aef69b319/image/i7accac250c8d104e/version/1465632678/image.jpg
魏の使節は、唐津から海岸沿いを通って伊都に駐在する。
しかし、唐津から南(南東)へ行くルートがあって、そちらに行くのは禁止されたかどうかは
知らないが、佐賀市のあたりにでて広い筑紫平野に出る。
筑紫平野の上部に、左右に通じる道路がある。それは現代の道路だが、
その道路沿いというか、山裾に小国がずらずらと並んでいるんだろ。
まさに次有○国、次有○国、次有○国、だ。
その小国の南(佐賀市の右下)に邪馬台国があって、さらにその南方には
クナ国がある。(熊本方面)
地図の平戸城のあたりは、国が隣接しているわりには西に突出しすぎている。
南どころか明らかに西である。
表音文字で、魏志倭人伝の傍国の読みがなと、現代に残る地名の発音が激似の
ところがあるというなら、オマイの意見も認めてやるわ。
現時点では、平戸の昔の地名にすらも傍の国名によく似たものは無い。

93 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 20:44:21.89 .net
>>91 あのな・・・
20カ国のうち最初の方のは反時計周りだから
3番目くらいの国は、西南なんだよ。10番目くらいは南の国ばっかりになる。

94 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 20:53:06.63 .net
>>93
それは92に言ってやれよ。

95 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 20:55:32.53 .net
>>94
92を書いたのもオイラだから。お前はカンも悪いな。

96 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 20:58:42.61 .net
志摩から平戸ならおおむね西南だろ。

97 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 21:07:41.37 .net
>>96 その主張を言うなら
これのつじつまあわせをしろよ。
次斯馬國 次巴百支國 次伊那國 安倭西南海行一日 有伊那分國

しま國がある。つぎは 巴百支國がある。次は伊那國がある。
西南海行一日には、伊那分國がある。
https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=635x10000:format=jpg/path/s693a965aef69b319/image/i7accac250c8d104e/version/1465632678/image.jpg
平戸から西南海行一日は、どこの土地が該当するんだよ?ああ?

98 :日本@名無史さん:2018/02/07(水) 21:23:47.54 .net
平戸島が南西に伸びているだろ。
その沿岸のどこかだよ。

99 :日本海ルート論者:2018/02/07(水) 23:19:07.85 .net
>>80
もっと単純な話ですよ。

6世紀に仏教が本格的に取り入れられていくにつれ、漢字が日常的なものとなってきます。
勿論、倭の五王の時代から倭の遣使はしっかりとした漢語を使っている訳ですから、国際的な利用としては一部の人はバッチリ使えたんでしょうが、
それが国内向けに国家的に使えるようになったのは6世紀からだろうということができると思います。
そのことにより、様々な物語だけでなく学術書や政治書、思想、文学など多岐に渡って知識を深め広めることが、倭国内の至る所で同時多発的に行えるようになった訳です。
その中でも、自分達のルーツである倭國の歴史に関しては、皇族や中央官僚のみならず、各国の豪族・貴族たちも、非常に高い関心を持って読んだ筈です。

倭人伝で倭語と思われるものの内、高い関心を持たれただろうものとして、卑彌呼・卑彌弓呼の2語がある。
3世紀の邪馬壹國時代と300年しか違わない6世紀であれば、より単純に卑彌呼をヒメミコと読み、卑彌弓呼をヒコミコのことを指すと読む筈です。

倭人伝を読めば、ヒコミコは南九州におり、ヒメミコは大和にいるとわかる。
そこから、ヒコミコとヒメミコが結婚する神話が作られた。
つまり、それが南九州出身のカミヤマトイワレビコと大和出身のヒメタタライスケヨリヒメの結婚神話という訳です。

100 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 07:23:35.43 .net
>>99
>卑彌呼をヒメミコと読み、卑彌弓呼をヒコミコ

ミは、彌彌(ミミ)でよく使われる言葉だろ。
卑彌弓呼をヒコミコって、読み違いにも限度がある。

>倭人伝を読めば、ヒコミコは南九州におり、ヒメミコは大和にいるとわかる。
>>99の話は前半はいいのに、後半はひどい。

101 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 08:39:05.01 .net
ミミは九州の王族の称号だよ。

102 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 08:40:04.03 .net
>>99
磐余彦の出自は筑紫の日向、すなわち魏志倭人伝における伊都国だよ。

103 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 09:32:12.39 .net
ミミ=海王、海洋部族の王

104 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 16:20:41.98 .net
景行天皇が九州を攻めた時、耳と耳垂という敵がいた。
神武は九州人なので、息子は手研耳など耳が付く名前ばかり。

105 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 19:48:28.81 .net
>>104
ミミは、出雲の人の説が有力だが、
九州の人の可能性も少なからずあるね。
その天皇の息子とか、宮崎の耳川とか。

106 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 21:00:24.03 .net
記紀では他所の土人酋長のこと
そこいらぢゅうから拾ってきて御先祖に仕立て上げてるんだから
彌のつくお名前で溢れ返っていても
なんら不思議ないしね

107 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 21:52:59.30 .net
ミマショ、ミマカキ、ミミ、ミミナリ、ミマキ入彦・・・

108 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 22:36:06.65 .net
大山祇とか綿津見とか三島溝杭耳とかも。

109 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 22:51:08.24 .net
投馬国20日は宮崎県か?。官の名前が彌彌だが、せめて日向の古い地名に
投馬があればいいのだが。

110 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 23:17:31.63 .net
宮崎県西都市妻の都万神社は、日向国一宮、すなわち古代における宮崎の中心地。

111 :日本@名無史さん:2018/02/08(木) 23:20:40.54 .net
おっと、一宮ではなく二宮だったようだ。

112 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 07:12:17.66 .net
西都原古墳群が投馬国5万戸にあてはまるかどうか。時代的にみて
西都原古墳群は卑弥呼の時代よりも後ろのようだが。

113 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 07:23:59.01 .net
7世紀の隋書は、対馬を「都斯麻」と書いている。
『8世紀初頭成立の日本書紀』は、都をことごとく「つ」と読ませる。
筑紫は地元では「つくし」と訛るが、地元の歴史書が「都久志」と書いている。
都を「と」と読むのは、唐音なるものが入ってきたあと、少なくとも8〜9世紀以降である。

次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國← 次有彌奴國 次有好古都國←

都支國←つき国? 好古都國←はこつ国?

114 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 08:31:26.26 .net
>>112
古墳の年代はあてにならないし、古墳の前に人が住まないと。

115 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 11:08:04.27 .net
【倭人伝に見る、諸国名、倭人名考察】
張政 記
對海/卑狗 卑奴母離 ・ 一支/卑狗 卑奴母離
伊都/爾支 泄謨觚 柄渠觚 ・ 奴/兕馬觚 卑奴母離
不彌/多模 卑奴母離 ・ 女王/壹與
張政は遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状に同行来日の査察
(卑奴母離は現地任命の官ではなく同行者の可能性有り)
帰国は壹與の遣使 掖邪拘等二十人 と 送政等還因詣臺

梯儁 記
投馬/彌彌 彌彌那利
邪馬壹/伊支馬 彌馬升 彌馬獲支 奴佳鞮
狗奴/狗古智卑狗
梯儁は郡史だが卑弥呼に金印紫綬の皇帝の使者
魏の正規軍として卑弥呼王宮まで行軍したと考える。

王名
左 梯儁の国名記/右 郡の聴取)
女王/卑弥呼 ・ 奴王/(難)升米
都支王/(都市)牛利 ・ 巳百支王/(伊聲耆)掖邪狗
躬臣王/(載斯)烏越 ・ 狗奴王/卑弥弓呼

東夷伝各国の諸国名、官名、職名が
中国漢字由来のものが多いのに対し、
倭人伝における、倭人名、諸国名は
一字一音が多く漢字文明の影響を示すものは希少。
弥生渡来人は中国文化から遠いと考える。

116 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 14:22:09.55 .net
【倭人伝における有り得ない熟語について】
>使大倭監之 自女王國以北特置一大率 に関し

國國有市交易有無 使大倭 監之
『使大倭』 中国語ですし、倭に熟語は無理。 小日本は知ってるけど大倭は無い?
郡史が大いに倭を見た 〜後続文に掛かる でよろしいかと思います。

『一大率』
同様に熟語化するのはおかしい。
>自女王國以北 特置一大率 常治伊都國於國中有如刺史
特に置かれた一番大きな率(統治行政機関)が檢察諸國してて畏憚之
>常治伊都國 於國中有如刺史
刺史の如く伊都を常に収めている。

自女王國以北 に関し、宗像、北九州方面の不属女王国を認めるなら
既に大和朝廷の進駐軍がそこに侵攻している、という状況の方が合理的と思う。

梯儁も張政も、郡使であり、
奴国王升米を倭王卑弥呼の使者として、
皇帝に引き合わせてしまった手前
実際に来た倭国の報告で倭王と偽ってしまった事実を取り繕っている
ということで、良い。 
邪馬台国は倭人伝をどう読んでも九州の小国。
考古学が尊大無礼なだけ。

117 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 14:31:33.75 .net
訂正
嘘つき保身の帯方郡役人の梯儁や張政の言い訳に便乗してる
考古学者が尊大無礼な嘘を言って飯のタネにしてるだけなのが、邪馬台国論争の本質。

118 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 14:50:49.65 .net
新井白石で終ってたwww

119 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 15:38:46.32 .net
新井白石
 邪馬台国は九州
本居宣長
 邪馬台国は神功皇后の名を騙った九州の女酋長の国

結論
 九州

120 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 16:16:31.84 .net
新井白石と本居宣長の議論は、
大和朝廷が邪馬台国とつながりがあるかであって、
邪馬台国が九州という認識は同じ。

新井白石は九州から畿内の全体を邪馬台国に比定していたようだが
晩年には倭人伝の国はすべて九州としている。

121 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 18:16:37.89 .net
>>115
>>都支王/(都市)牛利 ・ 巳百支王/(伊聲耆)掖邪狗
>>躬臣王/(載斯)烏越 

ここの創作がひどいな。巳百支王の記述なんか
一切無いよ

122 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 18:37:41.88 .net
大夫 伊聲耆 掖邪狗
大夫 載斯 烏越
大夫 難 升米
大夫 都市 牛利

大夫は周代の領主、女王国統属30国は皆王を称する。
倭人伝 奴国 都支国 巳百支国 躬臣国 の王名を特定する十分な情報

123 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 21:11:31.07 .net
魏志倭人伝の原文を表示してみろよ。
都支国 巳百支国 躬臣国 の王名なんか無いぞ。
それらは国名ひとつの情報しかないというのに。
創作すんなボケ。

124 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 21:25:20.65 .net
>>123
>魏志倭人伝の原文を表示してみろよ。
??? 何言ってんだこいつ? ここって、倭人伝原文のドン来いスレだぞ? 

>>15 変なテンプレの
倭人の遣使が大夫を称する それらの国の王だ、って言ってる と思うよ。
完全に一致だろ?

125 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 21:40:55.21 .net
>>124 おまえのつまんない作り話なんか
聞くと馬鹿がうつる。いね。

126 :日本@名無史さん:2018/02/09(金) 23:53:43.19 .net
記紀に出て来る五百木入彦は已百支国の王だろうし、興台(ココト)ムスヒの神は好古都国の王だろうね。

127 :日本海ルート論者:2018/02/10(土) 00:45:35.38 .net
>>38の続き
【ヒメヒコ仮説】概論 9) ミコトとミミ

ミミはミコトに対応する倭語だろう。

まずミ(御、美)は神(カミ)或いは神的なものに対する美称。転じて目上の人などへの美称となる。
ここに出て来る神は、日本の各神話に描かれているように、死後その体はウジ虫だらけで朽ちるものの魂は生き続けるという不死永生の存在。

次にミコト(命、尊)は巫女などを依り代にして口寄せされた神。
実際の体は朽ち果て、生身の体を持たぬ神。言い換えれば言葉だけの存在。
「神の言葉」、つまり「御言(ミコト)」。

これに対応するミミ(彌彌、耳、毘毘)は「神の体」、つまり「御身(ミミ)」。コレには⑴と⑵の側面があるだろう。

⑴「御言(ミコト)」の依り代となる為の「入れ物」「仮の生身の体」としての「御身(ミミ)」。
また「御言(ミコト)」を聞く為の特別な「耳(ミミ)」となる。つまり、巫女や男巫のこと。
⑵体を持たぬ神である「御言(ミコト)」に対する生身の体を持つ神である「御身(ミミ)」。生きた神そのもの。現人神。

こうして見ると、御身を自称する者の素性は⑴の巫女や男巫であり、同時に御身の語感から浮かぶ⑵の「現人神」としての存在を誇示したがる者と判る。
なぜなら信仰者にとって「神がかっている【瞬間の】巫女や男巫」はそもそも「神そのものである人」であり、今更あえて「神の体」を名乗る必要がない。
故に御身の自称の意味は「御身の語感に潜む現人神としての含み」にこそあり、その目的が【瞬間的ではない永続的な神権】の誇示にあるとわかる。

128 :日本海ルート論者:2018/02/10(土) 01:04:54.93 .net
>>100
卑彌弓呼をヒコミコと読むのは問題ないですよ。
ヒコミコの発音のつっかえをヒミクコにすることぐらいは余裕であり得ることでしょう。
それはヒメミコという発音のつっかえをヒミコと縮めてしまったことと余り変わらないことですよ。

>>102
6世紀の倭人には倭人伝の中の奴國が北九州の那の津周辺と容易く推測できた。
だから狗奴國を南九州に比定できたのです。
但し、西の熊襲の土地は避け、東の日向にした。
日向の名称は後付けでも良いんです。
なによりも博多平野の南で熊襲の土地を避けた宮崎辺りの土地であれば良かったんですよ。

129 :日本@名無史さん:2018/02/10(土) 07:14:36.89 .net
>>128
なぜ熊襲の土地を避けるの?

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