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♪邪馬台国ドンと来い!♪135

1 :日本@名無史さん:2018/01/31(水) 23:37:15.40 .net
       ,..-─‐-..、     
            /.: : : : : : : .ヽ   
          R: : : :. : pq: :i}
           |:.i} : : : :_{: :.レ′
          ノr┴-<」: :j|    <ソースを書きなさい!
        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕)  コツン
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩`Д´)
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ   < ヤダヤダー!!
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄) )
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
 出来るだけソースを出して後はお好きに!
 *良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。

前スレ
♪邪馬台国ドンと来い!♪134[転載禁止]©2ch.net・ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1512648703/l50

499 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 21:37:57.39 .net
諏訪信仰とかでは、
冬は狩猟で春〜夏は神が山から下りてくる
お田植、しようよ。

だけど、これって当たり前だろ?
保存、越冬可能な米だの豆や木の実に、徴税とかの貨幣価値は見出した。

これが、縄文の古代共産制から、古代資本主義への転換であって
縄文〜弥生の意味だと思うよ。

アタシは、数万年続いた縄文の原始共産制は理解できるけど
崩壊の理由も解明しないで、再興した共産党って馬鹿なんだと思うけどね。
特に最後の帝国主義の中共。 だよな。

古代史って、単に経済学で見た方が合理的なんじゃね?

ネトウヨと呼ばれるbアタシは
邪馬台国論争が、反共なら何でもいいけどwww

500 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 21:59:22.27 .net
こういうことが言えない、学会とか学問が有って良いのか?

501 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:01:03.45 .net
こういうことって?

502 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:04:23.30 .net
アタシ? 質問に意味があるか?
何を答えてもらいたいの?

503 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:19:53.71 .net
質問に質問で答えるって手法は、討論の敗北回避には案外いいんだよ。
で、他スレによくある頓珍漢の方向に持ってって結論を遠ざけるんだろwww

アタシには詐欺師が見えるから、
君らが、ミスリードでどうしたいのか知ってるし・・・
普通に聞いてくれれば ホントの事言っちゃうんだよ。
良いのかな?

504 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:22:24.71 .net
良いよ  ぜひ言ってくれ

505 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:28:35.93 .net
ありがとね。 で?

506 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:30:46.29 .net
で?じゃねーよ
ホントの事さっさとぬかせ!

507 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:33:19.96 .net
何のホントの事?

508 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:35:10.93 .net
497

509 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:39:21.05 .net
言葉尻をとらえてああいえばこういうみたいのは
唯の馬鹿かと思うけど、単にアラシと思えばいいのかな?

510 :日本@名無史さん:2018/03/02(金) 22:47:31.92 .net
また、やっちゃいました。

アラシ、に反応するアタシが 馬鹿 で良いです。
皆様にお詫びします。

ご意見ご質問には、見て時間がある限り、お答えしたいと思います。

511 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 10:01:28.38 .net
元々、海洋民だった原日本人が列島へ到着する経路は時代に依って東へ進んで来たんやろ。
南西諸島(現在の奄美諸島)→九州南部、台湾→九州中部、対馬、半島→九州北部、、、そして畿内へ。
その各地の経緯で南西諸島→台湾、半島、九州北部→山陽地方→山陰地方
四国南部→淡路島→畿内、などなど各地で合流と抗争を繰り返し

それぞれのルートが最終的に畿内で合流したんと違うの。
四国南部から阿波の時代にはかなり熟練した社会になってたと思う。

古代豪族葛城氏はその先陣をかなり直線的に畿内入りしたグループか。
葛(かつ/くず)国栖(くず/土蜘蛛)、と国家としての礎を築いた先行グループやったと思う。城(しろ/ぎ/ぐすく)ぐすくのぐからぎは転訛の範疇と違うのか。

邪馬台国、名称はともかく其の時々で中心(都)となった土地はあった筈。
だから九州説、畿内説と論じるのに矛盾が生じるんやと考えるのが筋じゃないのか。

古代史はロマンがあるね、ついいろいろ妄想してしまうわ。

512 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 10:15:11.18 .net
>>511
其の九州南部から中部まで熊襲/隼人という部族と国栖も元々は同じかかなり近い部族やったんと違うの。土蜘蛛や手長足長らも。
今に伝わる隼人の吠え声や国栖の喉歌?口鼓とか習俗的にも共通点と思ってしまう。

まつろわぬ、さえぎる、と言ってもほぼ同じ民族やったと思うねんけど。

513 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 10:32:26.05 .net
>>511
>四国南部から阿波の時代にはかなり熟練した社会になってたと思う。

その阿波の時代の「熟練した社会」を築いたのが忌部一族(海人族)。

>古代豪族葛城氏はその先陣をかなり直線的に畿内入りしたグループか。

その古代豪族葛城氏も元々は忌部一族(海人族)。  
葛城氏や物部氏などの氏姓は後の時代のよる忌部一族(海人族の細分化。

>だから九州説、畿内説と論じるのに矛盾が生じるんやと考えるのが筋じゃないのか。

だから、忌部一族(海人族)の全国進出と捉えれば、なんの矛盾も起こらないんですよ。  @阿波
 

514 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 11:16:34.78 .net
>>513
海洋民が阿波を拠点にしてた事は阿波と安房そして其の真ん中?辺りに位置する神津島の阿波神社やね。
黒潮の潮流を熟知する海洋民がいかに広範囲に移動してたのか彷彿するわ。

其の航海技術を支えたのが舟、丸木をくり抜いた舟と其れを造る道具の開発やろね、黒潮の沿岸部で発掘される丸のみ石器を拵える技術。

その道具を開発する技術を持って山に登り四国山地を掘削し鉱石を採取したんやろ。
奄美のあまと阿波のあわも転訛の範疇やと思うわ。
奄美、阿波、は海洋民の重要な拠点やったんやろな。

515 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 11:29:29.75 .net
>>514
>その道具を開発する技術を持って山に登り四国山地を掘削し鉱石を採取したんやろ。

その「山に登り四国山地」を開発していった、海人族の「別れ」が所謂、高天原の「天孫族」。

これが後に「天孫族」と「葦原の中つ国」の覇権争いに繋がっていくんですね。  @阿波

516 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 12:05:10.02 .net
今ふと思ったけど葛城かつらぎもグスクの転訛じゃないのか。

517 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 15:10:56.77 .net
時代的に、其の掘削採取形成する道具は邪馬台国云々より、更に古い石器時代に遡ると思う。掘削した山肌で鉱石を採取する際に出た粘土層から土器作りに適した土を掘り出したんと違うのか。(神津島の黒曜石しかり)
そのぐらい海洋民は広範囲に高度な技術を発揮していってたんじゃないのかと思えて仕方ない。
そう考えると阿波忌部氏葛城氏などは相当な古来(ふるき)から列島を縦横無尽に活動してたんやろな。

518 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 15:29:01.95 .net
>>517
>そう考えると阿波忌部氏葛城氏などは相当な古来(ふるき)から列島を縦横無尽に活動してたんやろな。

阿波から西日本各地に文化発信が始まったのは、卑弥呼の時代より遥か昔の縄文時代晩期末から弥生時代前期初頭である。

「石棒」は縄文時代を代表する石器である。実用品ではなく儀礼に用いられたと考えられている。

縄文晩期末から弥生時代前期初頭に、島根県・愛媛県・高知県から東は京都府・滋賀県・奈良県・和歌山県 にいたるまでの今までになく広い範囲で泥質片岩製の石棒が出土する。

この石材はすべて銀色を呈する泥質片岩製であり、石棒の素材産出地で、製作遺跡でもある徳島市三谷遺跡が、その一大製作遺跡であると考えられている。   @阿波

519 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 15:43:23.65 .net
後年の学者がラインを引いただけで、各種道具、舟、石器、土器、、、。
等など倭の国は連綿と濃密な日々を送っていたのだろう。
日本人に生まれてホンマに良かったと思える。
己れも感謝の日々を過ごしたいと思う。

@阿波さん有難う。

520 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 15:48:17.23 .net
石棒の素材産出地で、製作遺跡でもある徳島市三谷遺跡・名東遺跡付近に接してそびえる眉山には、紅簾片岩の露頭が確認でき、

この紅簾片岩製石棒と神戸市戎町遺跡・同市大開遺跡・八尾南遺跡・滋賀県米原町磯山城遺跡の出土資料とを比較検討すると、それぞれが非常に類似している。

また、各地に分布する石棒の時期が、ほぼ縄文時代晩期末〜弥生時代前期初頭の土器型式で2型式間にも満たない短期間に集中することが明らかになり、三谷遺跡・名東遺跡の存続期間とほぼ一致することが確認された。

さらに、石棒が近畿地方最古の環濠集落である神戸市大開遺跡をはじめとする初期の弥生集落でも出土することをうけ、近畿・東部瀬戸内地域における「弥生集落」の形成は、「渡来人」「移住者」のみならず、在地の人々による積極的な関与があったと考察される。

521 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 19:06:49.23 .net
>>518
石棒、画像検索して…これはまさに国産みの伊邪那岐命の矛やね。
こをろこをろと、、、天の浮橋、奄美、阿波、淡路島、畿内と天の浮橋を渡ったんやろね。
天の浮橋、つうのはまぎわう褥的な艀板様の物やったんかも。
木製の遺物は酸性土にやられてしまったそうやけど石棒は…。

522 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 19:59:38.93 .net
しかしこのスレでは畿内説がほとんど語られていない

523 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 20:02:58.80 .net
九州説も

524 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 20:09:14.41 .net
ラノベばかり

525 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 22:30:45.03 .net
ここでは海洋民という言い方をされているけど、特に海洋民という言い方をしなくても、国内の広域流通に関わる民は多かったと思う

そういう汎列島的な動きは弥生時代も途絶えていないし、日本海も越えて物流が広がっている

その中で弥生末期になって、巨大墳丘墓を作るような地域王権の発達ののちに、そうした地域首長による共立によって卑弥呼が倭王になったというのは、特に不合理はないと思う

526 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 22:42:53.01 .net
>>525
>国内の広域流通に関わる民は多かったと思う

なんという「広域流通に関わる民」?  忌部のような?  @阿波  

527 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 22:50:28.56 .net
>>525
>巨大墳丘墓を作るような地域王権の発達ののちに、そうした地域首長による共立によって卑弥呼が倭王になった

卑弥呼が共立される以前に「巨大墳丘墓」がどこにあったの?  @阿波

528 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 23:16:18.80 .net
海洋民、沿岸部の近くの海だけじゃなく、黒潮の民はその九州、四国、近畿を通り越すかに北海道、東北、関東に縄文の貝塚がみられ其の丸木舟は約90%が千葉県から出土してる事から外洋を航行してたんじゃ無いのか。日本海側は余りにも少ない。

四国、瀬戸内、畿内には関東と比べると圧倒的に貝塚が少ないのは弥生時代に中心になった可能性が高い証拠かも。

529 :日本@名無史さん:2018/03/03(土) 23:19:50.82 .net
ここでは畿内説九州説に絞るスレなの?ドンと行くスレなんでしょ。

530 :日本海ルート論者:2018/03/04(日) 23:09:58.41 .net
久々。
ヒメヒコ仮説の続きも書かなきゃなんだが。
しばらく適当に過ごそうかと。

>>525
いいね。同意。海洋民に限らず通商は成立するし。
ただまあ海洋民の役割は極めて高く通商連合としての倭國は彼ら抜きでは生まれなかっただろうと思うけど。

>>528
丸木舟は条件的に出土し難かったと思うなあ。
逆言うと千葉に集中するのは条件が揃っているから。

531 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 07:13:26.20 .net
>>530
>国内の広域流通に関わる民は多かったと思う

なんという「広域流通に関わる民」?  忌部のような?  @阿波  

532 :日本海ルート論者:2018/03/05(月) 08:10:04.21 .net
いや、忌部とかそういう話ではないですよ。もっと単純。

食べなきゃ生きていけない訳で、物々交換して得をしようとした人々全てが「広域流通に関わる民」ですよね。
黒曜石なんて陸海問わず古代から相当広い範囲で流通している訳ですから。

533 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 08:37:21.66 .net
>>532日本海ルート論者
>いや、忌部とかそういう話ではないですよ。もっと単純。

古代、朝鮮半島まで進出できる航海術を持っていたのは、「広域流通に関わる民」である、「阿波の忌部一族(海人族)」だけ。  

今日まで、各地に伝承・痕跡を数多く残した「広域流通に関わる民」である、阿波の「忌部一族」のように、

畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波

534 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 14:04:06.40 .net
弥生人の半島進出はBC400年位からだから国内での部族化より早くないか?

535 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 15:46:19.63 .net
>>534
>国内での部族化より早くないか?

当然です。

ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。

忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波

536 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 16:29:58.08 .net
その弥生人と呼ばれてる人たちも、南西諸島から出た人たちが越辺りから台湾なんかを経由して、代替わりを繰り返しながら帰って来ただけと違うの。

537 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 16:49:49.71 .net
>>536
縄文人じゃなくて、縄文文化時代人。

弥生人じゃなくて、弥生文化時代人でしょ。  どちらも渡来人。  @阿波  

538 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 17:56:04.65 .net
麻植←忌部氏→神事 
麻のいろんな扱い方に長けてたんやろな。

忌部氏と言うとユダヤがどうとか出て来るけど、その航海技術やらルーツはポリネシアに有りそうな気がする。

539 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 18:01:58.86 .net
忌部氏でも何でも良いけど、
そんなもの(真偽不明の伝承)は通用しないだろう
と言っている人がいた

本当の渡来系の人々がいるでしょ

540 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 18:05:17.99 .net
デタラメなことばかりしないほうが良いぞ

とか

もれ(仮)の書き込みだったかな

541 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 20:38:13.80 .net
ドンと行こう!

542 :日本@名無史さん:2018/03/05(月) 23:15:38.26 .net
>>536



で、弥生人が越から台湾経由で渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系生活土器と中国系耕作用農具と中国系住居と中粒種のイネは?


.

543 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 00:08:10.33 .net
>>538
ポリネシアから渡来定着したなら、アウトリガーカヌーが伝わっているばずだろうがカス。 

544 :日本海ルート論者:2018/03/06(火) 00:12:41.80 .net
>>533
>古代、朝鮮半島まで進出できる航海術を持っていたのは、「広域流通に関わる民」である、「阿波の忌部一族(海人族)」だけ。  
>畿内や九州から全国へ進出した「忌部一族」に代わるような部族は認められない。  @阿波

いかにもヒロイックですが、いかにも現実味がないですねえ。なにせまあ排他的なのが残念。
雑多で多様な人々が繋いだ道の果てに邪馬壹と洛陽の臺とが「通ずる」。そこに烏丸鮮卑東夷伝の儚き美しさと真実味がある訳で。そういう重みが余りにもない。

烏丸鮮卑東夷伝評
評曰:史、漢著朝鮮、兩越,東京撰錄西羗。魏世匈奴遂衰,更有烏丸、鮮卑,爰及東夷,使譯時通,記述隨事,豈常也哉!
評して曰く「史、漢(史記と漢書)は朝鮮、両越(東越と南越)を著(あらわ)し、東京(東観漢記:後漢の官撰史書)は西羗(西域諸国)を撰録す。
魏の世に匈奴は遂に衰え,代わりて烏丸、鮮卑有りてここに東夷に及び,使譯通ずる時,事(こと)に随(したがい)て記述す。
どうして常なるや、いや常にあらざるなり!(これが当然のことと言えるだろうか、いや破格の偉業である)

545 :日本海ルート論者:2018/03/06(火) 00:32:51.32 .net
渡海の操船をしたのは明らかに對海國の海人でしょう。
更に渡海を仕切ったのは一大國の海人です。
故に一大卒が伊都に常駐している。
そこから投馬國の道を借りながら20邑かけて妻木晩田まで。
更にそこから10邑かけて出石まで。
そして、山道を南下して30邑、遂に邪馬壹に至ると。
そこから邪馬壹の傍(かたわ)らに位置する20國を経て瀬戸内を経て奴國へ戻る。
これらの国々と邑には各々1対のヒメヒコたちがいる訳で。

546 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 05:15:51.16 .net
出来たのがいつかわからん起源未詳のアウトリガーがどうの言うてもなあ。
あちらでは時代が下がって後年に出来たのかも知れんしな。
しかも酸性土で木製品が遺り難い事とか考えたら、ひょっとして列島にもあったけど遺らんかったつうのも考えられるし。

また、ポリネシアでアウトリガーカヌーの名称がアマつうのも興味深い。

547 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 08:50:48.78 .net
帯方郡の南、一万二千里に女王の邪馬壹があって
以北の九州北部二千里、福岡平野と久留米平野に女王を共立した30の王国がある。
ってのが、魏志倭人伝だぞ。 
250年の日本には、まだ九州までの統一王権が成立してない証拠だろ。

南=東とか史料を否定したら邪馬台国なんて必要あるかよ?

そのうえで、247年に狗奴国が邪馬壹を滅ぼして
卑弥呼が死んで伊都に撤退して平原に墓が有るんだよ。

おまえらは、ミスリードで日本の歴史をどうしたいの?
頓珍漢すぎて、呆れたよ。

548 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 09:26:07.01 .net
縄文人、弥生人、とか学者が便宜上つけたものと邪馬台国は違うもんな。

ただ、邪馬台国という名称がいつからいつまで使われてたんかが知りたいわ。

549 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 09:51:46.80 .net
>>546
プッ


ポリネシア人はな、アウトリガーカヌーを開発したからこそ、
ポリネシアに渡る事が出来たんだぞ。

アウトリガーカヌーの開発がなければ、彼らはポリネシア人には
なれなかった。

しかも彼らは5C頃までラピタ土器という独自の土器文化を持っていたのだよ。



で、5C以前の日本のどこにアウトリガーカヌーやラピタ土器が伝わってるの?


.

550 :日本海ルート論者:2018/03/06(火) 10:11:10.49 .net
>>547
>南=東とか史料を否定したら邪馬台国なんて必要あるかよ?

そういうこと言ったら〜(笑)

>以北の九州北部二千里、福岡平野と久留米平野に女王を共立した30の王国がある。

1里=1800x1尺24,2cm=435,6m。
12000里=5227.2km先が久留米平野になる訳ないでしょう?(笑)

サッサと海中に落ちて頭を冷やし、日頃の疲れを癒して下さいな。
【お疲れ様でした。またどうぞお越し下さい】

551 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 10:21:53.69 .net
>>548
>>10
正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王
この、梯儁さんが中国人で初めて卑弥呼に謁見した人

この時、梯儁は独自に中国船で来日して
上陸後、徒歩2千里を行軍して女王国最南部の邪馬国に在った卑弥呼の砦
壹 に参詣し、邪馬壹国と名付けた。

この名称は、その後の後漢書等の中国史書でも使われ
卑弥呼は倭王と誤認されているが、
新井白石以来、ちゃんと読めば
190年から250年位まであった北九州の30国が共立した王で
周5千里の小国でしかない。

論争は、日本の古代史を明らかにしたくない昭和の学者の
飯のタネ、または陰謀だと思う。

552 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 10:27:19.43 .net
>>550
そこはパプア・ニューギニアですか?
それともマリアナ諸島?

南を東にしてベーリング海あたりでしょうか?

553 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 10:31:56.81 .net
>>550
里程に関する明瞭な事実誤認。

帯方郡から韓の南北は4千里、
乍南乍東して到る其北岸狗邪韓國 がプラス3千里で 七千餘里
対馬に千里、壱岐に千里、上陸地に千里である。

これは、中国正史が定める定義であり、南=東も無い。

554 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 11:49:19.55 .net
卑弥呼の時代から約1000年後であっても、例えば土佐〜京都は「水行一月」

555 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 12:33:15.96 .net
>>554
それって、なんのソース?
隋唐書だと東西5月行の半分くらいが高知に見えるけど。

唐以降には月行記述の地図は伝わってないんじゃないかな。

556 :日本@名無史さん:2018/03/06(火) 23:43:34.03 .net
たぶん土佐日記だろ。

557 :日本@名無史さん:2018/03/07(水) 07:37:44.85 .net
>>547
>そのうえで、247年に狗奴国が邪馬壹を滅ぼして

ここだけ違うだろ。
卑弥呼の後継者の壹與を告諭しているのだから、その時点で邪馬台国は存続している。

558 :日本@名無史さん:2018/03/07(水) 07:39:58.56 .net
>>551
>卑弥呼は倭王と誤認されているが、
>新井白石以来、ちゃんと読めば
>190年から250年位まであった北九州の30国が共立した王で
>周5千里の小国でしかない。

誤認というより、九州北部を倭国と呼んでいたということだ。

559 :日本海ルート論者:2018/03/07(水) 09:38:18.79 .net
>>553
>対馬に千里、壱岐に千里、上陸地に千里である。
>これは、中国正史が定める定義であり、南=東も無い。

まさか東夷伝のみ里の距離が違うとか都合の良いことを言わないですよね?(笑)

1里=1800x1尺24,2cm=435,6m
1000里=435.6km


「対馬に435.6km、壱岐に435.6km、上陸地に435.6kmである。」となれば海に落ちるだけです。

【お疲れ様でした。またどうぞお越し下さい】

560 :日本@名無史さん:2018/03/07(水) 15:28:14.19 .net
>>551
未だに稲作伝来ルート等、腐れ学者は国賊ぐらいに思ってる。

561 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 10:03:52.87 .net
>>557
帳政の到着時に卑弥呼が狗奴国に敗戦していたであろう根拠として
卑弥呼はすでに死んで王宮の奴婢であろう殉葬者100人と大量の中国鏡とともに埋葬された。

卑弥呼の後継者の壹與を告諭している。
女王は国土南限の狗奴国と対峙する邪馬国の砦の王宮、『壹』を居所とする。
郡に援軍要請した直後のこの時、壹與や統属国の将軍が伊都に撤退している可能性は
敗戦で城を放棄した、以外は無い。

狗奴国との終戦直後に追討もせず、伊都国で後継者争いは無い。
後継者を争ったのは、大夫を称する各国の王=将軍たちだ。

邪馬壹が滅びた、というのは女王国が滅亡ではなく
日本の戦国史的には、甲斐、信濃なら佐久が落ち、上田に引いた状態。

こいつらの主流派が、後に侵攻する大和朝廷に付けば筑紫の君になれる。
源氏というか信長以前の戦争なんて、調略や小競り合いばっかしだろ。

中国の三国志時代でイメージする絶滅戦争なんて無いし
魏でも司馬氏が立っても、競合した曹爽一族は滅亡するが、
卑弥呼を倭王として印綬し国交を持った間抜けの皇子曹芳は斉王に収まる。

562 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 12:03:25.50 .net
>>556
貫之は下手な歌詠み って印象はぬぐえませんが
土佐日記は2か月間くらいの徒歩旅行みたいですけど?
淡路島経由で大阪に渡るのは海行とか渡海っていうのかな?
行水一月だと、冬だしつらい、って話か?

563 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 12:26:36.62 .net
>>558
>誤認というより、九州北部を倭国と呼んでいたということだ。
呼んでないでしょ?

そもそもは、公孫氏から奪ったばっかしで、土地勘のない郡の太守が
たまたま、卑弥呼が帯方郡に遣使した使者の
倭国の30国を束ねる女王の国の使者だ、って説明したのを聞いて、
倭国の大王が朝貢に来たと、勘違いしたわけで
戦後の手柄になると思って、皇帝と謁見させちゃった って間違いがもと。

10年位で、二人の郡使が使譯した話を主とするのが、
倭国伝ではない倭人条であって、

参問したのは、倭の一部で、絶海の(九)洲島の中の周5千里ほどの倭地 です。
って、結語で訂正してるでしょwww

564 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 12:30:15.32 .net
>>563
>参問したのは、倭の一部で、絶海の(九)洲島の中の周5千里ほどの倭地 です。
って、結語で訂正してるでしょwww


まさに、四国の描写ですね。  @阿波

565 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 12:41:15.10 .net
「土佐日記」では高知から鳴門までは船で行ってるな。ひと月以上かかってる。

566 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 13:20:25.56 .net
>>563
つまり魏が倭と呼んでいたのは九州北部で、畿内は視野に入ってなかったんでしょ。

567 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 13:36:23.97 .net
>>565
はい、すいません。 読んできましたw
高知からの船旅というか、室戸周辺で遊んでた感じでしょうか?
古代文明発祥地と思ったら、淡路島は海賊出るんですね。

それでも淀川入って大阪抜けるのに山崎へ15日じゃ話も進みません。
下手な歌詠みってゆうか、こんなお釜野郎に仕事任せて成り立った時代に呆れる。
大宰府に追放すべきwww

568 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 13:47:57.00 .net
>>566

畿内は視野に入ってなかったんだけど、魏が倭と呼んでいたのは倭国(阿波)。  @阿波

569 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 13:56:28.86 .net
>>566
魏代の倭国認識に関しては >>467 王朝秘伝地図によって、明らかだけど

倭国の畿内は視野に入っていないというか、行ったことが無い。
知らない、とは、思えます。

ところが、帯方郡の南、韓の四千里四方の南の沿岸は倭人国なんです。
これは、通過しているはずなのに、東夷伝に記載されないで、
加羅任那時代まで、倭の本州同様に 不可知。

倭人伝の投馬国、5万戸がそれとは推測できますが、
何も記載しないのは、なぜでしょうか。

写本時削除の気配?

570 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 17:44:10.35 .net
朝鮮半島南岸の狗邪韓国は書いてあるじゃん。
地形を見ればわかるように、平地がほとんどないから特に細かく記されていないけどね。
あそこで奴国より大きい5万戸は無理。
投馬国は宮崎県都万。
日程からも邪馬台国(福岡)より遠い。

571 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 18:07:19.99 .net
韓伝には、帯方から4千里以遠の半島、半島南岸全部が倭と書いてある。
馬韓10万、韓全部で30万くらいだったか? そんなもんだけど

狗邪韓国は金海か、巨斉島として 奴国より小さいとしても、
南岸全部で5万戸は余裕 これが日本人が知らない謎の投馬国であって当時の常識。
きちんと記載され、考古学的実証のある、邪馬台国に謎は無い。

572 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 21:00:09.34 .net
キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。

573 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 21:01:13.93 .net
そりゃそうだ
3世紀に鉄器が無いし
住居すら無いからな
何にもない

574 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 22:51:23.50 .net
狗邪韓国は、ほぼ確実に巨済島だろうね。
韓伝には記されず、倭人条にのみ「其の(倭国の)北岸」として登場する倭人の国。
日本国はこの島の領有権を本気で主張して良い。

575 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 22:52:43.60 .net
巨済は韓国語でコジェ。

576 :日本@名無史さん:2018/03/08(木) 23:07:45.11 .net
韓が南は海ではなく倭に接していたというのだから、朝鮮半島南岸が倭地である狗邪韓国だよ。
倭とは対馬海峡の国だよ。
都は南岸の倭奴国。

577 :日本@名無史さん:2018/03/09(金) 09:46:42.85 ID:65PCE2CsA
>>574
  >日本国はこの島の領有権を本気で主張して良い。

  アホか それともボケか www 現実の占領状態がないのに領有権なんか主張できるわけねーだろ。韓国に行って言えよ。言えねーだろ www

578 :日本@名無史さん:2018/03/09(金) 10:43:42.41 .net
邪馬台国と命名したのは梯儁

女王の居所が上陸後2千里の邪馬国の砦に有り
そこまで行軍して、金印紫綬、他を 皇帝の使者として
240年に 奉詔書印綬 詣倭国 拝仮倭王 引き渡したのである。

邪馬国には別に王が有り、共立女王の出自は伊都である とかで
前線の城、邪馬台国との使い分けは有ってもいい。 
バチカンはローマ?イタリアではない、みたいな。

女王国は北部九州の30国首長国の意味であり 
邪馬台国は 梯儁が到達した女王宮をみて、この国の実質が倭国ではないことを知り
大倭王ではなかったことを暗に示して命名した名称。 

邪馬台国という名称は 未知の国を探検した梯儁によって、
この到達場面でしか知り得ず、他では使われていない。

狗邪韓国は、邪馬台国5万戸に対する、投馬国5万戸にある、出港地だろう。
また、梯儁は魏の軍船で渡航しているので、
到着港は、以降の行程に有利な博多近郊の港になるはずで
倭人船に便乗してきた政帳と同じとは限らない。

政帳について、この時の倭遣使は 載斯烏越 であり、
烏越は躬臣国の王と比定できるので末盧國はこの躬臣国近隣
もしくは、末盧國に官を置かなかったので
単に躬臣国の王船の母港を末盧國と命名した可能性もある。

帳政による命名と考えられる国名は末盧國、不彌國であるが
末盧國が到着港であれば、不彌國は博多付近の梯儁の到着港を紹介したとも推測できる。

579 :日本@名無史さん:2018/03/09(金) 19:28:40.55 .net
畿内説互助会

就職活動
天下り
税金泥棒
観光目当て

580 :日本@名無史さん:2018/03/09(金) 19:29:05.38 .net
畿内説互助会

就職活動
天下り
税金泥棒
観光目当て

581 :日本@名無史さん:2018/03/09(金) 19:29:24.99 .net
畿内説互助会

就職活動
天下り
税金泥棒
観光目当て

582 :日本@名無史さん:2018/03/09(金) 19:29:42.79 .net
畿内説互助会

就職活動
天下り
税金泥棒
観光目当て

583 :日本@名無史さん:2018/03/10(土) 22:22:41.02 .net
>>570
>投馬国は宮崎県都万。
たまに見るけど、これって、なに説なの?

さらに南に水行10日と陸行1月って? 
ムー大陸説にしては、案外九州から近くネw
種子島上陸から陸行1月じゃはみ出すと思うけど? 邪馬台国は?

584 :日本@名無史さん:2018/03/10(土) 23:15:39.02 .net
日程は帯方郡からのもの。
宮崎県には、福岡で上陸せずに直行した。
ただし魏の使いが来たのは福岡まで。
だから投馬国へは倭人からの伝聞の日数しかわからない。

585 :日本@名無史さん:2018/03/10(土) 23:45:42.14 .net
用もないのに宮崎まで?
新婚旅行?
あ、天孫降臨か?

586 :日本@名無史さん:2018/03/10(土) 23:47:54.65 .net
関係ないけど、新燃岳やばいね
降臨するのも命懸け

587 :日本@名無史さん:2018/03/11(日) 00:45:42.31 .net
あんなところに王が行くわけない。
宮崎に新婚旅行は龍馬だろう。
王がいるのは豊葦原中国、博多湾沿岸、筑紫の日向。

588 :日本@名無史さん:2018/03/11(日) 08:07:35.94 .net
>>574 半島の陸地の中に狗邪韓国があったと考えるよりも、
巨済島という島の中だけに倭人、というか、対馬と半島の住人の
婚姻関係がある住人たち、対馬との交易で関係が深い住人、が
住んでいたと考えるのは自然だわな。
領有権はいらんけど。

589 :日本@名無史さん:2018/03/11(日) 08:11:59.12 .net
>>547

帯方郡の南、一万二千里に女王の邪馬壹があって
以北の九州北部二千里、福岡平野と久留米平野に女王を共立した30の王国がある。
ってのが、魏志倭人伝だぞ。

というところに同意

590 :日本@名無史さん:2018/03/11(日) 12:35:27.17 .net
>>586
天の神が人間界に降臨で火山に下りちゃったら話が終わるか、孫悟空化だよね。
東遷するはずが、 GO WEST !

記紀程度の時系列や畿内説の方向違いで良いなら
神武は黒潮漂流でアメリカ大陸廻って、シベリアから廻ってきて
ジンギスカンになった、とかも有りかも・・・ 
神話時代的には檀君か? 関係ないけど、

591 :日本@名無史さん:2018/03/11(日) 13:16:07.76 .net
>>587
日向違いでしたか?
記紀は時系列が無理なのと詐欺臭が強くて熟読してませんが
北部九州スレで邪馬台国滅亡レス付けたら東遷説みたいなご講義いただきました。
実はアタシはくまモン論どころか、畿内説も東遷説も勉強してないんで
ばっかモ〜ンと言われても、対応に困っただけですがw

新井白石や本居宣長が邪馬台国は九州以外無い。
と、読んでいますが、 それでいいのだ! とは思いますが、
彼らは、記紀の時代背景から逸脱するのが難しいのか、
無理筋になって話は続きませんよね。

なんで昭和になって、九州畿内の嘘の塗り重ねの対立が復活できるんでしょう?
記紀との遭遇で何より悲惨なのは、神功皇后で倭人伝引用しちゃっての時系列崩壊。
これは、救いようがないかと・・・

弥生期が遡ると2600年紀元じゃ、もはや遅いとは思いますが
神武から欠史八台は、おもに過疎の関西縄文土人社会への親和的浸透 なはずだと思います。

BC200〜後400年位までで、漢代位からの銅鐸祭祀は朝廷主流じゃない前有力豪族。
倭の五王は北朝配慮で隠蔽って理由で許すとしても、
ここまでは記紀における創作の神話時代の修正期で、
仏教公伝から任那割譲、磐井の乱とかからが歴史の話になるかと思います。

どーせ、歴史、紀元神話が2つは困るからだろうと思うけど、
聖徳太子以前の焚書は、ひどすぎ。

592 :日本@名無史さん:2018/03/11(日) 14:24:21.90 .net
記紀の年代感がデタラメなのはその通りで、古い話ほど過去に引き伸ばされています。
神功皇后あたりは、実際には卑弥呼から120年後くらいみたいですね。
神武が卑弥呼と同じか少し古いくらい。
すると、倭国大乱で筑紫を去ったようです。
さらに逆算すると邇邇芸の即位が1世紀頃、伊都国の成立や倭国王帥升や金印の時代です。
さらに紀元前の奴国繁栄の時代が、イザナギや大ヤマツミでしょう。

593 :日本@名無史さん:2018/03/11(日) 15:31:59.97 .net
>>592
神武とか神功皇后という架空の個人名(ってか架空の諡号だし)をあてはめた部分は
もはや歴史として許容不可能であって、だれかがやった可能性がある。ってだけでは?

3000年前、農業中心集落が九州に発展して、2600年前位から
次男坊三男坊のような余剰人員が、優良農地の開拓の為、本州へと海を渡った。

外来者に比較的親和的だった1万5千年続いた原始共産制の、
縄文集落に溶け込みながら農園の開拓に成功した。
 
この状態は、王権成立期の倭人伝、邪馬台国時代とも大差なく
新興開拓地であった、吉備、出雲、越、畿内、近江、阿波の地域で
銅鐸祭祀のつながりに見るような、商業経済などの連携によって統一化に向かった。

開拓農地、穀物など資産化可能な経済社会、法、軍事背景を持つ国家化が
古墳時代の到来であって250年位までに成立した。
この時、邪馬台国が東遷したんじゃ手遅れ。
畿内説の考古学背景はそのままに、この時期に記紀でも九州へ侵攻している。

現代日本人の起源が神代の九州で良いし、これは神格化のママ東遷してから、
富国強兵でまた九州に戻ってる部分を 無秩序にこじつけてつなげると
頓珍漢の邪馬台国東遷説みたいになって、記紀信仰の、新井白石や本居宣長も匙を投げる。

昭和以降の邪馬台国論争は詐欺学者の飯のタネじゃないのかな?
もっと大事な、記紀に粉飾された、普通の古代史を整理するべきだと思う。
ホントの事を嫌がる人たちの存在は判るけどね。

どうせ、歴史学はこういうもん、とかね。 愚民化かよ。
武力背景無い学者じゃ、ネラーは騙せないと思うよ?
ネトウヨってリベラルだからwww

594 :日本@名無史さん:2018/03/11(日) 21:23:48.28 .net
僕たちが愛してやまなかった邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、どうやって生きて行けばよいのだろうか。。。

595 :日本@名無史さん:2018/03/12(月) 09:12:03.21 .net
>>544
阿波先生へのレスなので見落としてましたが横で失礼どす・・・

ちら裏には希少な名文に感じ入り候。
先生の評訳も文学的にて好感在り候へども、
持論に於いて若干の疑義有り候へば、ご教示戴ければとレス致し候。
吉之助ドンのお手紙風↑   ←これはひどい。 

評曰
史漢著 朝鮮兩越 東京撰錄 西羗
魏世 匈奴遂衰 更有烏丸鮮卑 爰及東夷
使譯 時通記述隨事 豈常也哉

評は陳寿自身が書いたものだと思いますが、評は自画自賛の自演乙なのでしょうか?
使譯が 時に(東夷に)通じ 随時記述した事、
つまり、陳寿の使ったソース資料や皇帝の遣わした使譯の業績を評価していると思います。

使譯時通 を通訳が通じた時 と訳すと相当な駄文となりますが
東夷伝をつうじて、使譯が職名であり、皇帝の命による使者による探検? 
のような役を担った官、使による報告 と読めることが大切だと思います。

596 :日本@名無史さん:2018/03/12(月) 09:48:13.09 .net
>>532日本海ルート論者
>食べなきゃ生きていけない訳で、物々交換して得をしようとした人々全てが「広域流通に関わる民」ですよね。
>黒曜石なんて陸海問わず古代から相当広い範囲で流通している訳ですから。

>>544日本海ルート論者
>いかにもヒロイックですが、いかにも現実味がないですねえ。

現実的でないと言うのであれば、忌部一族以外の「広域流通に関わる民」を、現実的に挙げてみてください。

>なにせまあ排他的なのが残念。

現実を示せば、そうなってしまうだけです。  @阿波

597 :日本@名無史さん:2018/03/14(水) 09:34:15.93 .net
>>594
畿内説は250年当時の日本の王朝形成が
吉備、出雲、丹後、能登、越、畿内、阿波等、
銅鐸圏に於いて成立したことを証明している。

倭人伝の記述の邪馬台国と無関係な事実は変わらないが
完全な記紀とのこじつけでしかない九州説の東遷説ほどの愚劣な馬鹿さは無い。

238年〜247年まで、倭王を騙り、魏を騙していた九州の女囚国が滅び
大和朝廷の成立期を担ったのは本州諸国であることは、畿内説の考古学が実証しているし
倭人伝で女王国とは別途に実在している、半島倭国に対し、
隠岐系、宗像系海神族が、北部九州と並立していた事実も解明する必要がある。

むしろ、400年以降の倭の五王の航海が、五島、済州島、南朝の建康に向かったこと
を思えば、沿海州〜東北、日本海を制していた、出雲=隠岐の海神が主流であったはずである。

598 :日本@名無史さん:2018/03/14(水) 10:53:16.98 .net
>>595
駄文乙

599 :日本@名無史さん:2018/03/14(水) 11:02:01.27 .net
>>597
>畿内説は250年当時の日本の王朝形成が
吉備、出雲、丹後、能登、越、畿内、阿波等、
銅鐸圏に於いて成立したことを証明している。

本当は銅鐸圏というより、忌部一族進出圏なんですけどね。  @阿波

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