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♪邪馬台国ドンと来い!♪135

99 :日本海ルート論者:2018/02/07(水) 23:19:07.85 .net
>>80
もっと単純な話ですよ。

6世紀に仏教が本格的に取り入れられていくにつれ、漢字が日常的なものとなってきます。
勿論、倭の五王の時代から倭の遣使はしっかりとした漢語を使っている訳ですから、国際的な利用としては一部の人はバッチリ使えたんでしょうが、
それが国内向けに国家的に使えるようになったのは6世紀からだろうということができると思います。
そのことにより、様々な物語だけでなく学術書や政治書、思想、文学など多岐に渡って知識を深め広めることが、倭国内の至る所で同時多発的に行えるようになった訳です。
その中でも、自分達のルーツである倭國の歴史に関しては、皇族や中央官僚のみならず、各国の豪族・貴族たちも、非常に高い関心を持って読んだ筈です。

倭人伝で倭語と思われるものの内、高い関心を持たれただろうものとして、卑彌呼・卑彌弓呼の2語がある。
3世紀の邪馬壹國時代と300年しか違わない6世紀であれば、より単純に卑彌呼をヒメミコと読み、卑彌弓呼をヒコミコのことを指すと読む筈です。

倭人伝を読めば、ヒコミコは南九州におり、ヒメミコは大和にいるとわかる。
そこから、ヒコミコとヒメミコが結婚する神話が作られた。
つまり、それが南九州出身のカミヤマトイワレビコと大和出身のヒメタタライスケヨリヒメの結婚神話という訳です。

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