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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part13
- 31 :日本@名無史さん:2018/05/12(土) 17:20:59.87 .net
- >>30
伊都の高祖神社も綿津見系で占められていますよ。
そもそも志賀島に綿津見が鎮座しています。
卑弥呼は肥国王家の女王なのではなく、
卑弥呼と、肥国王家=狗奴国王家は同族なのでしょう。
どちらも筑紫宗家ではないから、記紀には記されなかった。
筑紫宗家+綿津見に対して、
肥国王家=狗奴国王家+大山祇が挑戦したのが、倭国乱。
たまたま筑紫宗家に戦時指導者となる適齢男子がいなかったので、
分家の卑弥呼擁立。
卑弥呼の長期政権中に成人した筑紫宗家の男性が外交や東征で活躍した。
狗奴国滅亡によって邪馬台国の存在する必要が無くなり、
倭国再統一が成就して大政奉還したわけですね。
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