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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part13
- 489 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 12:58:46.24 .net
- >>485
>笠沙の岬(笠紗之御前)はどうでしょう。
>筑紫の日向(伊都)から笠沙の岬までは真の道が通じている、
>つまり陸続きなわけですね。
笠沙の岬は志賀島でしょう。
博多湾に傘のように被っています。
天浮橋は海の中道です。
木花咲耶姫の実家は志賀島の海神神社でしょう。
この氏族は、天孫族と姻戚を結びながらも東の遠賀川にまで追いやられていきます。
これが筑紫岡田の宮の豊国王家、後の岡の県主です。
木花咲耶姫の父である大山祇は天照ではなくイザナギの子なので、天照の兄弟です。
出雲に降ったスサノヲも天照の兄弟です。
筑紫、豊国、出雲は同一の氏族の分家同士ですね。
考古学的にも、これら日本海沿岸が栄えていた地域であり、倭国の中心は福岡です。
後漢書は倭国を朝鮮半島南岸から九州北岸までの対馬海峡にあったと記録しています。
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