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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part13
- 493 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 13:42:07.39 .net
- 猿田彦は海と山をともに照らす(支配する)と書いてあるので、博多湾を守る将軍職です。
福岡市早良区にズバリ猿田彦神社があります。
彼は福岡の旧勢力の代表として邇邇芸を王として迎え、伊都まで案内し、新王の高祖宮建設に奉仕したのです。
こうして成立したのが卑弥呼の前の男王「日向三代」の伊都国の倭王家です。
その後、倭国大乱により天孫族は筑紫を離れて、親戚の饒速日が先に王国を建設しているという大和に落ち延びます。
代わりに倭王に共立されたのが卑弥呼になります。
卑弥呼と神武の年代が近いことは、鴨厨さんの考察のとおりですが、大和は邪馬台国と直接の関係はないのです。
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