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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part13
- 508 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:13:18.90 .net
- >>503
>大国主=八千矛神=中広型銅矛祭祀の須久岡本有力者
>の活動範囲は、
>紀元前後の銅矛銅剣戦争の勝利領域=瀬戸内沿岸
>瀬戸内沿岸は淡路島までであって、
>大阪湾にはまだ上陸していません。
よくわからないけど、大山祇は伊予まで、その息子の三島神は摂津にいるのに反映されているのかもしれないですね。
彼ら瀬戸内や畿内の開拓の祖の実年代もなんとなくわかりますね。
その少し後に神武が畿内に入るので、平原遺跡の卑弥呼との前後関係も想像できるというもの。
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