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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part13
- 1 :九州王:2018/05/08(火) 23:37:02.50 .net
- https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1517445904/-100
邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)
魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たとの記述が2か所あり、その一つが 「世有王皆統屬女王國」である。
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」こと指すと結論される。
- 779 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 17:25:05.71 .net
- >>778
妄想がすごいな
世有王、皆統屬女王國。を言いたいのだろうが、松本清張以来、『A統属B』を
「AがBを従えている」、ここでは伊都国王が女王国を支配していると解釈する人がいるが、
三国志においてそのような用例は無いということが解っている。
伊都国王は女王国に従っているという解釈以外はない。
- 780 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 18:12:03.74 .net
- >>779
>伊都国王が女王国を支配していると解釈する人がいるが
違いますよ
魏の世、倭の国々は皆女王国に従っていた。
です、女王国が伊都国です。
- 781 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 18:15:17.58 .net
- >>750
明らかに間違っているのは
不彌国 福岡市東区(香椎宮) と投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
倭人伝の記述通りに進むと不彌国は那珂川町、春日市、大野城市方面だし
投馬国は朝鮮半島です。
- 782 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 18:33:01.12 .net
- >>781
>不彌国は那珂川町、春日市、大野城市方面
そこまでは100里ではとおすぐる
- 783 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 19:06:52.54 .net
- 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。
治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。
では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。
女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。
- 784 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 19:08:43.70 .net
- >>780
魏略に添えばそうなるよな
- 785 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 19:11:44.70 .net
- >>781
ご意見ありがとうございます。
不弥国へは、魏志倭人伝の方角が若干間違っているという解釈です。
ただし、香椎宮が当時にあったかどうかがそもそも不明なので、あくまでも暫定的なものです。
あと、投馬国はすでに何度も説明していますので省略しますね。
- 786 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 19:21:59.98 .net
- >>785
自作自演、おっかれさん
- 787 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 22:43:45.96 .net
- >>780
>女王国が伊都国です。
それが二重帳簿詐欺
伊都国は女王国の端っこの方の一部で、一大率を派遣される遠地
- 788 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 22:46:05.47 .net
- で、高祖山の語源が「託杜 」、「宅蘇」だってのはいいな
- 789 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 23:06:16.28 .net
- ずっと後世の不確かな情報で強弁するつもり?
- 790 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 23:09:29.35 .net
- 託杜が存在していた時代以前には高祖が存在していた証拠ない
歴史オンチには理解できないだろうが歴史学的にはこれで決まり
- 791 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 23:33:14.79 .net
- まあ、上古における名称は日向山や久慈古山なんだろうからな。
- 792 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 23:49:57.97 .net
- >>791
どこの山が?
- 793 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 00:30:29.38 .net
- >>779
>伊都国王が女王国を支配していると解釈する人がいるが
違いますよ
魏の世、倭の国々は皆女王国に従っていた。
女王国は、奴國 不彌國 馬投國 邪馬壹國の4ヶ国連合体(卑弥呼女王を共立した国々)。
女王の都(環濠城柵)が置かれたのが、邪馬壹國の国内。(邪馬壹國の環濠城柵とは別の場所)
- 794 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 00:34:16.77 .net
- 修正
>>779
>伊都国王が女王国を支配していると解釈する人がいるが
その通りですね。
魏の世、倭の国々は皆女王国に従っていた。
女王国は、奴國 不彌國 馬投國 邪馬壹國の4ヶ国連合体(卑弥呼女王を共立した国々)。
女王の都(環濠城柵)が置かれたのが、邪馬壹國の国内。(邪馬壹國の環濠城柵とは別の場所)
- 795 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 00:42:00.97 .net
- 馬投國w 相変らずのチョンボジジイ
- 796 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 00:44:18.27 .net
- 対案
>伊都国王が女王国を支配していると解釈する人がいるが
その通りですね。
魏の世、倭の国々は皆女王国に従っていた。
女王国(邪馬壹國)は、伊都国 奴国 不弥国の連合体(卑弥呼女王を共立した国々)。
女王の宮城が置かれたのが、邪馬壹國の国内。
- 797 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 00:52:32.51 .net
- 女王國の位置(奴國 不彌國 馬投國 邪馬壹國の4ヶ国)
筑後平野ほゞ全域
奴國
佐賀平野中部西部
不彌國
佐賀平野東部(吉野ヶ里近辺)
馬投國
有明海沿岸部筑後平野(大牟田以北)
邪馬壹國
有明海内陸部筑後平野と筑後川中流平野(北野地域)
参考
伊都國
佐賀平野中北部(嘉瀬川扇状地の北部)
- 798 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 00:55:26.32 .net
- 修正
× 筑後平野ほゞ全域
◎ 筑紫平野ほゞ全域
- 799 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 07:02:03.16 .net
- >>789
>筑紫平野ほゞ全域
九州は「其山有丹」で、最初っから落選! @阿波
- 800 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:24:38.36 .net
- >>787
邪馬壹國は北部九州地域全体の名称で、投馬國は朝鮮半島南岸地域
邪馬壹國中最大の国邑が奴國で女王国卑弥呼の都が伊都国
邪馬壹國側に卑弥呼の都が在ったから「邪馬壹國 女王之所都」と記された
投馬國には女王国の都がないってこと。
女王国とは伊都國と奴國のことである
一大率を朝鮮海峡付近の国々に置いて支配していた。
- 801 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:30:31.42 .net
- >>800
>邪馬壹國は北部九州地域全体の名称で、投馬國は朝鮮半島南岸地域
九州は「其山有丹」で、最初っから落選! @阿波
- 802 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 12:05:54.79 .net
- >>800
>邪馬壹國は北部九州地域全体の名称で、投馬國は朝鮮半島南岸地域
これが通ると思ってるところがすごいな
朝鮮半島南岸地域に、戸数5萬戸の大国はないよ
のっけからおかしいし、最後までおかしい
コメ番もちょうど800だし、嘘八百でちょうどいいってか?
- 803 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:11:12.88 .net
- 朝鮮海峡って、対馬海峡のことか?
投馬国半島説の背景が透けて見えるよ。
やはり投馬国は宮崎県、邪馬台国は福岡県、狗奴国は熊本県でいいだろう。
- 804 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:20:38.28 .net
- >>803
>やはり投馬国は宮崎県、邪馬台国は福岡県、狗奴国は熊本県でいいだろう。
そんな妄想、いいわけないだろ。 九州は「其山有丹」で、最初っから落選! @阿波
- 805 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 14:22:01.24 .net
- >>803
>投馬国は宮崎県、邪馬台国は福岡県、狗奴国は熊本県
よそのスレでの確定事項だが、
日数も道里の表現として普通に使われている
つまり、投馬国の
南至投馬國水行二十日。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。
も、道里、戸数が略載されている、女王国以北の国ということになる
投馬国が宮崎都万だと、北部九州説と矛盾するよ
道里が日数でもよい例示
《九章算術》[西漢 - 新] 紀元前120年-20年
《均輸》
今有均輸粟:甲縣一萬戶,行道八日;
乙縣九千五百戶,行道十日;
丙縣一萬二千三百五十戶,行道十三日;
丁縣一萬二千二百戶,行道二十日,各到輸所。
凡四縣賦,當輸二十五萬斛,用車一萬乘。欲以「道里」遠近,戶數多少,衰出之。問粟、車各幾何?
各県から輸所までの日数が書かれているのを、「道里」と表現している
- 806 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 14:59:44.59 .net
- 「夷人は里数を知らず、但だ日を以て計るのみ」
- 807 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 15:08:22.78 .net
- >>805
>よそのスレでの確定事項だが、
お前の頭の中ではそうなんだろうよ。
- 808 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 15:55:04.15 .net
- 九州説に漢文は無理
- 809 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:18:25.48 .net
- 日数しか問題文に書かれていない
その上で「道里遠近」を考えろとしている
日数が、道里と表現されていることは、漢文を習いたての中学生でも分かるぞ
- 810 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:19:58.83 .net
- >>806
>「夷人は里数を知らず、但だ日を以て計るのみ」
《九章算術》は、大陸の国内向け文書で、夷人は出てこないよ
>>805に対するレスじゃないのかもしれないけれど、念のため
- 811 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:36:23.09 .net
- 「倭人も里数を知らず、但だ日を以て計るのみ」
- 812 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:22:39.74 .net
- >>802
>朝鮮半島南岸地域に、戸数5萬戸の大国はないよ
根拠はなんだね?君の思い込みだろ。
- 813 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:26:52.77 .net
- >>811
よって、投馬国のように郡使が通過しなかった土地は倭人からの伝聞のみ。
邪馬台国は、日程と里程の両方が記載されている。
- 814 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:20:00.27 .net
- >>813
>よって、投馬国のように郡使が通過しなかった土地
基本的に認識がおかしい。
- 815 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:46:12.38 .net
- >>813
>邪馬台国は、日程と里程の両方が記載されている。
邪馬台国行きの里程がどこに記載されているんだ?
南至投馬國 水行二十日。
官曰彌彌、副曰彌彌那利。 可五萬餘戸。
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
官有伊支馬 次曰彌馬 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸
投馬国の旅程記事と、邪馬台国の旅程記事は、
完全に構造が同じで対応関係がはっきりしている
この二つについて、異なる読み方をする人は、インチキ読みだと思えばいい
- 816 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:52:22.59 .net
- >>812
>根拠はなんだね?君の思い込みだろ。
ほらよ
三國志卷三十/魏書三十/烏丸鮮卑東夷傳第三十
韓条 弁辰
大國四五千家、小國六七百家
半島南部に当たる弁辰諸国は、大きくても四五千家だ
少し広げて韓全体で見ても
大國萬餘家、小國數千家
で、数万の大国はない
九州説は、九州説の身内の文章しか読まないから、知識が足りないんだよ
朝鮮半島に、五万戸の大国はないと烏丸鮮卑東夷傳そのものに書いてある
- 817 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:55:24.14 .net
- >>815
>南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月。
>自郡至女王国万二千余里。
普通は、この2文を以て、郡から邪馬台国の都までの日程及び里程と解釈するんだがなあ。
- 818 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:06:55.25 .net
- 普通は、 ×
特殊な人は、 ○
- 819 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:23:15.44 .net
- 女王国と邪馬台国は一致しないからね
北海道=札幌じゃないのと一緒
- 820 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:27:44.03 .net
- 東京から北海道まで900キロ
東京から函館まで680キロとあるからといって、
東京から札幌まで900キロじゃないし、
函館から札幌まで、220キロでもない
東京から札幌までは830キロだし、
函館から札幌までは150キロ
- 821 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:45:29.30 .net
- 女王国と邪馬台国は一致すると考えれば、万事めでたく解決するんだがなあ。
- 822 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:49:03.76 .net
- >>815
>邪馬台国行きの里程がどこに記載されているんだ?
お前は魏志倭人伝のどこを読んでいるんだ?
- 823 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:50:23.61 .net
- >>816
>半島南部に当たる弁辰諸国は、大きくても四五千家だ
それは同意するけど、
>九州説は、九州説の身内の文章しか読まないから、知識が足りないんだよ
投馬国が半島だなどと言っているのは、九州説のごく一部だ。
一緒にされると迷惑だ。
- 824 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:51:34.40 .net
- >>819
道都=札幌
くらいの意味だよ。
- 825 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:53:09.14 .net
- もちろん、一万二千里はぼんやりとした「倭国の真ん中」などではなく、女王が都する邪馬台国までの距離だよ。
つまり邪馬台国は九州にあった。
- 826 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:49:43.81 .net
- >>825
>もちろん、一万二千里はぼんやりとした「倭国の真ん中」などではなく、女王が都する邪馬台国までの距離だよ。
そんなことはどこにも書いてない
そして、仮定の話として短里があったとして、短里が76メートルとすると
九州上陸まで10000里で残り2000里は150キロほどになる
末慮国や博多湾沿岸から筑紫平野の有明海沿岸まで50キロしかない
伊都国、奴国に邪馬台国を持ってくるのは無理な数字しか出ないよ
萬二千里は女王国までであって、邪馬台国までではない
まずそこをきちんと把握しよう
魏志倭人伝「自郡至女王國萬二千餘里」
魏略 「自帯方至女國万二千余里」
後漢書 「樂浪郡徼去其國萬二千里」
梁書 「去帶方萬二千餘里」
隋書 「古云去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」
旧唐書 「去京師一萬四千里」
新唐書 「去京師萬四千里」
邪馬台国までと書いてあるのは一つもないし、かなりざっくりした表現なのが分かる
隋書で「『古云』去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」という書き方になっている
『昔はこう云っていた』というのは、「今は違うことが分かっているけど」ということを
意味している
隋書では、裴世清の記録でこの萬二千里が間違っていることが把握されたから、
『古云』が付いている訳だ
- 827 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:09:06.16 .net
- 隋の時代には短里をやめたからだよ。
- 828 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:22:12.49 .net
- >>827
>隋の時代には短里をやめたからだよ。
短里をやめたら、萬二千里が萬四千里になるのか?
短里ってのは、15%くらい短いだけだっけ?
- 829 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:28:22.25 .net
- 一万四千里は長安からだね。
- 830 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:56:56.50 .net
- 帯方郡の海岸から女王国の中心地である伊都国と奴国の国境までのを距離(7000里+1000里+400里+400里+1000里+300里+300里+1000里+500里+100里)と
所要時間(20日+10日+1日(1日は1月の誤記))と
総距離(12,000里)とで3重に併記している。
旁國(奴国から奴国まで)を通過する21か国の国名と
総距離(5,000里)とで2重に併記している。
女王国から裸国、黒歯国までも同じ行程を距離(4,000里)と
時間(1年は12日を12月1と見間違えての誤記)とで2重に併記している。
陳寿は丁寧に説明している。
- 831 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 00:05:48.24 .net
- >>829
つまり、実測値ではない数値が使われ続けているってことだ
さすがに唐代に短里があったとは言わないだろ? 九州説でも?
- 832 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 00:08:03.90 .net
- >>830
>1日(1日は1月の誤記)
こういうご都合主義の捏造をしないと成りたたないのが九州説
末慮国から奴国まで1日で行けるのかい?
- 833 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 00:10:18.67 .net
- だから、唐代では記述が変わるんだろ。
- 834 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 01:08:59.03 .net
- 帯方郡起点が長安起点になって、2千里しか違わないってことは、
半島の付け根の方から萬二千里ってのは変わってない扱いだぞ
でも、唐代に短里や東夷伝里がないには認めるんだろ?
だったら同じ里程の魏志倭人伝でも短里なんてないんだよ
- 835 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 01:18:18.41 .net
- 意味わからん
勝手な謎論理を展開しても説得力ないよ
- 836 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 01:23:26.97 .net
- 「俀国在百済新羅東南水陸三千里於大海之中」(隋書)
だから唐代に書かれた隋書では変ってないな
- 837 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 10:55:16.29 .net
- それで、唐代にも東夷伝里あるいは短里があったと主張するのかしないのかどっちなんだ?
- 838 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 12:19:25.16 .net
- >>832
漢や三国時代は文書は木簡や竹簡に書かれていた
文字の染みなどで1日を1月と見誤る可能性は極めて高い
同じように一大國も一支國の誤記であろう
幾ら文字が染みても南を東とは見誤る可能性はないけどね。
- 839 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:00:21.71 .net
- >>838
>文字の染みなどで1日を1月と見誤る可能性は極めて高い
でもそうすると、北部九州説の行程論と合わないよ?
末慮国から伊都国、奴国、不彌国までの陸行七百里を、
1日で踏破したという主張をするのかい?
一大率のいる伊都国も足早に素通りして?
この辺も、ウソにウソを重ねている状態になっているのに早く気づくといいね
そもそもの短里が捏造なんだから
それで、唐代にも東夷伝里あるいは短里があったと主張するのかしないのかどっちなんだ?
- 840 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:08:03.25 .net
- 『三国史記』巻第四 新羅本紀 智證麻立干紀では
十三年夏六月 于山国帰服 歳以土宜為貢 于山国在溟州正東海島 或名欝陵島 地方一百里
普通の里なら欝陵島が40q四方(1600 km²)となってしまうが、短里なら約8q四方(約64km²)となり72.82 km²の現実の欝陵島と近い値になる。
- 841 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:14:25.29 .net
- >>839
宿泊地は伊都国だと書かれているから
末慮国から伊都国までの陸行五百里(40q)を、
1日で踏破したという主張ですけど?
時速4q/hで10時間
十分に1日で行けますよね
何か問題ありますか?
- 842 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:38:35.12 .net
- >>841
だとすると、伊都国までで終着ということになるけれど、
合計は萬五百里にしかならないよ?
残りの千五百里は関係ないってことにするのかい?
それとも、最初から萬二千里は、邪馬台国の比定地を考えるのには
意味がないというのに同意するのかい
- 843 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:40:05.58 .net
- >>840
ごめん12世紀の成立の三国史記は考慮に入れてない
- 844 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:48:31.31 .net
- 文字の染みなどで1日を1月と見誤る可能性は極めて高かったら
画数が多い漢字は字が潰れまくりだな
行程で比定するのは無理だな
- 845 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 14:09:24.48 .net
- >>841
ひとつ取り繕うと、ひとつ以前の主張と矛盾するのが分かるかい?
九州説の行程パズルは、無理読みの寄木細工なんだよ
部分部分では尤もらしく言い繕っても、結局各部で矛盾する
- 846 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 14:20:50.34 .net
- 何も矛盾なんかないよ?
畿内説は矛盾を解決するために魏志倭人伝を無視しているみたいだけどねw
- 847 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 15:06:29.84 .net
- >>846
>何も矛盾なんかないよ?
これまでの九州説の主張まとめ
邪馬台国までの里程は魏志倭人伝には書いてないに対して
九「萬二千里が、邪馬台国までの里数、里数と日数が両方書いてある」
同じ旅程の里数と日数だとすると、陸行一月は北部九州ではおかしいに対して
九「一月は一日の間違いだから大丈夫」
一日の間違いだと、末慮国から不彌国まで一日で行くことになりおかしいに対して
九「伊都国までだから、一日で行ける」
伊都国までなら萬五百里、邪馬台国まで萬二千里と言っていたのと矛盾する
今のところこれには返答してないね
- 848 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 16:35:13.60 .net
- 思いっきり矛盾してるのを突きつけられたら黙っちゃったかな?
- 849 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 16:46:26.42 .net
- 予想される反論
「それ言ったのは俺じゃない。」
- 850 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 16:59:11.00 .net
- まあ、
「女王国の首都は伊都国」
「邪馬台国は伊都国奴国周辺」
「水行は帯方郡起点で、日数と里数は並列表記」
「邪馬台国までの里数は萬二千里で明記されてる」
って、さんざん言ってきてるからねぇ
「邪馬台国は伊都国奴国周辺」と
「邪馬台国までの里数は萬二千里で明記されてる」は
単純な足し算で、矛盾してるってことがすぐ分かる
これを解消するのが、島巡り仮説だけれど、
いまさら島巡り仮説を言うやつもいないだろ
- 851 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:26:04.14 .net
- >>842
帯方郡の海岸から女王国の中心地である伊都国と奴国の国境までの距離(7000里+1000里+400里+400里+1000里+300里+300里+1000里+500里+100里)
丁度12000里ですが。
- 852 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:27:00.28 .net
- >>850
島巡り仮説を否定する根拠は?
- 853 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:33:26.57 .net
- >>850
少なくとも、島の大きさの分は入ってないな
論じても正解は陳寿にしかわからんから、あんまり重視してないが…
陳寿は算数はできたと思うので九州説のが妥当とは思う
- 854 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:37:50.29 .net
- はいはい、自演乙
- 855 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:38:26.20 .net
- 島巡り仮説的なものが、他の地理旅程記事で見つけられたら教えてくれww
- 856 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:40:21.07 .net
- 島巡り仮説の欠点はね、島の大きさは、旅程としては書かれていないってことなんだ
それに、韓が方四千里と書かれているからといって、
韓を通過する旅程で書かれてもない8千里を足したりはしないだろ?
- 857 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:02:12.66 .net
- そして、島巡り仮説の最大の欠点は、そう読む必然性がまったくないこと
- 858 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:03:02.51 .net
- 島巡り仮説の存在理由が、1500里を消費すること以外に何もないからね
- 859 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:04:18.65 .net
- それと、島巡り仮説を使っても、伊都国が邪馬台国の首都にはならない
島巡り仮説を使っても、100里余るから、奴国まで行くしかない
そうすると、邪馬台国の首都は伊都国というのと齟齬が出る
- 860 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:22:57.21 .net
- 途中の里程の表記に「余り」があるよ。
- 861 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 19:28:02.06 .net
- 古田史学の会のウェブページに書いてあった文章
「このうち伊都国から奴国までの100里は、直線行程(主線行程)ではない横道に逸れた、
つまり傍線行程であると位置付けたため、その結果1400里足りなくなりました。
この「足し落し」部分を「島めぐり・半周読法」により、対海国(対馬・下県郡)
800余里と一大国(壱岐)600里の計1400里を『見つける』ことが出来たのです。」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/masakisi/himika26.html
『 』は私が付けた
正直だよね
『見つけた』って書いてるww
つまり、普通に読んだらそうは読めないってこと
史書に限らず、多くの文書は読む人に情報を伝えるために書かれているのだから、
暗号書や判じ物でもない限り、普通に読んで内容が読み取れるように書かれている
見つけなきゃならないような読み方は、作者・編者の意図から外れている
島めぐり半周読法は、無理読みの代表
- 862 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 19:29:31.36 .net
- あと、島めぐり読法を「見つけた」古田史学の会の見解では、邪馬台国は
不彌国に距離0で接してすぐ南にあるらしいよ
伊都国・奴国とは重ねないww
- 863 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 21:53:18.82 .net
- >>855
中国は大陸国家なので海上の経路を説明した文事態がない。
>>859
島巡り仮説を使うと伊都国と奴国の間の国境までが12000里となる。
>>862
古田史学の会の島巡り仮説は中途半端で見解は明らかに誤りです
島巡り仮説が正しいと考えられる分け。
@倭人伝では帯方郡から女王国までを12000里と記しているので
行程を合計すれば12000里になるはずである
島巡り仮説を導入すれば帯方郡から伊都国・奴国までが12000里になる。
A島巡り仮説を導入すると末廬國への到着地点は呼子付近となり
「東南陸行五百里 到伊都國」がほぼ正しくなる。
B島巡り仮説でなく島の面積とすると現実の面積と著しく合わない。
- 864 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 22:13:17.49 .net
- https://donutsmagazine.com/interview/dj-masato/
- 865 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:29:42.16 .net
- >>863
>島巡り仮説を「使うと」伊都国と奴国の間の国境までが12000里となる。
語るに落ちてるねぇ
結論ありきの逆算でしかないってw
- 866 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:32:06.13 .net
- >>863
>中国は大陸国家なので海上の経路を説明した文事態がない。
ならば、島巡りを旅程に算入するなどという特殊事情がもしあるなら
必ずその旨明記されてるだろ?
他例からの類推や常識は通用しないんだから
つまり、注記も特記事項もない時点で、そんな読み方はないんだよ!
- 867 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:34:02.43 .net
- >>863
>古田史学の会の島巡り仮説は中途半端で見解は明らかに誤りです
どこがどう間違っているのか具体的に言わないなら、ただの難癖で意味なしだよ
島巡り仮説を教えてくれた恩人に対する礼儀がなってないなw
- 868 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:34:42.09 .net
- >>866
だから「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いたんだよ。
- 869 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:36:34.14 .net
- >>863
>?倭人伝では帯方郡から女王国までを12000里と記しているので
>行程を合計すれば12000里になるはずである
>島巡り仮説を導入すれば帯方郡から伊都国・奴国までが12000里になる。
これはただの循環論法で、結論を理由だと言い張ってるだけ
「答えが合うように計算したら、答えがあってるから計算が正しい」
これと同じことしか言ってない
意味ないだろ?
根拠にも理由にもなってない
- 870 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:36:53.03 .net
- 結論ありきで九州北部までを一万二千里と定義したんだよ。
それでいいじゃん。
それが魏志倭人伝の世界観なんだよ。
- 871 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:38:39.82 .net
- >>867
島巡り仮説に従えば壱岐の南端からは東松浦半島の北の端に着くことになる
更に次は末廬国と伊都国の国境までが500里となり
次の100里で伊都国と奴国の国境までとなる。
- 872 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:39:43.63 .net
- >>863
>?島巡り仮説を導入すると末廬國への到着地点は呼子付近となり
>「東南陸行五百里 到伊都國」がほぼ正しくなる。
これも大うそだねえ
島巡りをしようがしまいが、外洋航路には関係ない
島巡りをしたから到着地点が変わるなんてことはない
呼子にしたところで、伊都国は東南にはならないし、
呼子から東南方向に歩き出したらすぐに海だ
- 873 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:40:24.51 .net
- >>869
どこが循環論法なんだ?
何の為に「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いてあると思ってるんだ?
- 874 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:42:38.84 .net
- >>872
呼子からほぼ南方向に歩き
唐津付近でほぼ東に方向を変えて歩いたんだよ
だから東南。
- 875 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:45:05.73 .net
- >>868
>だから「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いたんだよ。
頭悪い人なのかな?
「だから」になってない
渡海経路に島巡りで距離に算入するという注記も注釈もない理由になってない
魏志倭人伝は《九章算術》のような「算書」じゃないんだから、
合計があるから計算しろという書き方はない
- 876 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:48:00.20 .net
- >>870
>結論ありきで九州北部までを一万二千里と定義したんだよ。
つまり、意味のない数字だって認めるんだな?
ならば、邪馬台国の比定地探しには使えない
九州説の唯一の拠り所の行程パズルに意味はないと認めるんだね!
九州説は成立しないってことで、終了!
お疲れ様でした
- 877 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:51:27.47 .net
- >>871
>島巡り仮説に従えば壱岐の南端からは東松浦半島の北の端に着くことになる
また適当なことを書いてるなw
むしろ島巡り仮説に忠実に従えば、壱岐の南岸を東の端まで航行しなきゃならないから
東松浦半島からは離れていくぞ
対馬海流でも東に流されるし、東松浦半島に着くためには思いっきり海流に逆らわないと行けない
無茶をさせるねぇ
- 878 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:54:36.14 .net
- >>876
魏志倭人伝は、九州が邪馬台国だという前提で書かれているんだよ。
畿内が出てくる余地はない。
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