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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part13
- 1 :九州王:2018/05/08(火) 23:37:02.50 .net
- https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1517445904/-100
邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)
魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たとの記述が2か所あり、その一つが 「世有王皆統屬女王國」である。
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」こと指すと結論される。
- 813 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:26:52.77 .net
- >>811
よって、投馬国のように郡使が通過しなかった土地は倭人からの伝聞のみ。
邪馬台国は、日程と里程の両方が記載されている。
- 814 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:20:00.27 .net
- >>813
>よって、投馬国のように郡使が通過しなかった土地
基本的に認識がおかしい。
- 815 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:46:12.38 .net
- >>813
>邪馬台国は、日程と里程の両方が記載されている。
邪馬台国行きの里程がどこに記載されているんだ?
南至投馬國 水行二十日。
官曰彌彌、副曰彌彌那利。 可五萬餘戸。
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
官有伊支馬 次曰彌馬 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸
投馬国の旅程記事と、邪馬台国の旅程記事は、
完全に構造が同じで対応関係がはっきりしている
この二つについて、異なる読み方をする人は、インチキ読みだと思えばいい
- 816 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:52:22.59 .net
- >>812
>根拠はなんだね?君の思い込みだろ。
ほらよ
三國志卷三十/魏書三十/烏丸鮮卑東夷傳第三十
韓条 弁辰
大國四五千家、小國六七百家
半島南部に当たる弁辰諸国は、大きくても四五千家だ
少し広げて韓全体で見ても
大國萬餘家、小國數千家
で、数万の大国はない
九州説は、九州説の身内の文章しか読まないから、知識が足りないんだよ
朝鮮半島に、五万戸の大国はないと烏丸鮮卑東夷傳そのものに書いてある
- 817 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:55:24.14 .net
- >>815
>南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月。
>自郡至女王国万二千余里。
普通は、この2文を以て、郡から邪馬台国の都までの日程及び里程と解釈するんだがなあ。
- 818 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:06:55.25 .net
- 普通は、 ×
特殊な人は、 ○
- 819 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:23:15.44 .net
- 女王国と邪馬台国は一致しないからね
北海道=札幌じゃないのと一緒
- 820 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:27:44.03 .net
- 東京から北海道まで900キロ
東京から函館まで680キロとあるからといって、
東京から札幌まで900キロじゃないし、
函館から札幌まで、220キロでもない
東京から札幌までは830キロだし、
函館から札幌までは150キロ
- 821 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:45:29.30 .net
- 女王国と邪馬台国は一致すると考えれば、万事めでたく解決するんだがなあ。
- 822 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:49:03.76 .net
- >>815
>邪馬台国行きの里程がどこに記載されているんだ?
お前は魏志倭人伝のどこを読んでいるんだ?
- 823 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:50:23.61 .net
- >>816
>半島南部に当たる弁辰諸国は、大きくても四五千家だ
それは同意するけど、
>九州説は、九州説の身内の文章しか読まないから、知識が足りないんだよ
投馬国が半島だなどと言っているのは、九州説のごく一部だ。
一緒にされると迷惑だ。
- 824 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:51:34.40 .net
- >>819
道都=札幌
くらいの意味だよ。
- 825 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:53:09.14 .net
- もちろん、一万二千里はぼんやりとした「倭国の真ん中」などではなく、女王が都する邪馬台国までの距離だよ。
つまり邪馬台国は九州にあった。
- 826 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:49:43.81 .net
- >>825
>もちろん、一万二千里はぼんやりとした「倭国の真ん中」などではなく、女王が都する邪馬台国までの距離だよ。
そんなことはどこにも書いてない
そして、仮定の話として短里があったとして、短里が76メートルとすると
九州上陸まで10000里で残り2000里は150キロほどになる
末慮国や博多湾沿岸から筑紫平野の有明海沿岸まで50キロしかない
伊都国、奴国に邪馬台国を持ってくるのは無理な数字しか出ないよ
萬二千里は女王国までであって、邪馬台国までではない
まずそこをきちんと把握しよう
魏志倭人伝「自郡至女王國萬二千餘里」
魏略 「自帯方至女國万二千余里」
後漢書 「樂浪郡徼去其國萬二千里」
梁書 「去帶方萬二千餘里」
隋書 「古云去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」
旧唐書 「去京師一萬四千里」
新唐書 「去京師萬四千里」
邪馬台国までと書いてあるのは一つもないし、かなりざっくりした表現なのが分かる
隋書で「『古云』去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」という書き方になっている
『昔はこう云っていた』というのは、「今は違うことが分かっているけど」ということを
意味している
隋書では、裴世清の記録でこの萬二千里が間違っていることが把握されたから、
『古云』が付いている訳だ
- 827 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:09:06.16 .net
- 隋の時代には短里をやめたからだよ。
- 828 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:22:12.49 .net
- >>827
>隋の時代には短里をやめたからだよ。
短里をやめたら、萬二千里が萬四千里になるのか?
短里ってのは、15%くらい短いだけだっけ?
- 829 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:28:22.25 .net
- 一万四千里は長安からだね。
- 830 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:56:56.50 .net
- 帯方郡の海岸から女王国の中心地である伊都国と奴国の国境までのを距離(7000里+1000里+400里+400里+1000里+300里+300里+1000里+500里+100里)と
所要時間(20日+10日+1日(1日は1月の誤記))と
総距離(12,000里)とで3重に併記している。
旁國(奴国から奴国まで)を通過する21か国の国名と
総距離(5,000里)とで2重に併記している。
女王国から裸国、黒歯国までも同じ行程を距離(4,000里)と
時間(1年は12日を12月1と見間違えての誤記)とで2重に併記している。
陳寿は丁寧に説明している。
- 831 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 00:05:48.24 .net
- >>829
つまり、実測値ではない数値が使われ続けているってことだ
さすがに唐代に短里があったとは言わないだろ? 九州説でも?
- 832 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 00:08:03.90 .net
- >>830
>1日(1日は1月の誤記)
こういうご都合主義の捏造をしないと成りたたないのが九州説
末慮国から奴国まで1日で行けるのかい?
- 833 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 00:10:18.67 .net
- だから、唐代では記述が変わるんだろ。
- 834 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 01:08:59.03 .net
- 帯方郡起点が長安起点になって、2千里しか違わないってことは、
半島の付け根の方から萬二千里ってのは変わってない扱いだぞ
でも、唐代に短里や東夷伝里がないには認めるんだろ?
だったら同じ里程の魏志倭人伝でも短里なんてないんだよ
- 835 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 01:18:18.41 .net
- 意味わからん
勝手な謎論理を展開しても説得力ないよ
- 836 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 01:23:26.97 .net
- 「俀国在百済新羅東南水陸三千里於大海之中」(隋書)
だから唐代に書かれた隋書では変ってないな
- 837 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 10:55:16.29 .net
- それで、唐代にも東夷伝里あるいは短里があったと主張するのかしないのかどっちなんだ?
- 838 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 12:19:25.16 .net
- >>832
漢や三国時代は文書は木簡や竹簡に書かれていた
文字の染みなどで1日を1月と見誤る可能性は極めて高い
同じように一大國も一支國の誤記であろう
幾ら文字が染みても南を東とは見誤る可能性はないけどね。
- 839 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:00:21.71 .net
- >>838
>文字の染みなどで1日を1月と見誤る可能性は極めて高い
でもそうすると、北部九州説の行程論と合わないよ?
末慮国から伊都国、奴国、不彌国までの陸行七百里を、
1日で踏破したという主張をするのかい?
一大率のいる伊都国も足早に素通りして?
この辺も、ウソにウソを重ねている状態になっているのに早く気づくといいね
そもそもの短里が捏造なんだから
それで、唐代にも東夷伝里あるいは短里があったと主張するのかしないのかどっちなんだ?
- 840 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:08:03.25 .net
- 『三国史記』巻第四 新羅本紀 智證麻立干紀では
十三年夏六月 于山国帰服 歳以土宜為貢 于山国在溟州正東海島 或名欝陵島 地方一百里
普通の里なら欝陵島が40q四方(1600 km²)となってしまうが、短里なら約8q四方(約64km²)となり72.82 km²の現実の欝陵島と近い値になる。
- 841 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:14:25.29 .net
- >>839
宿泊地は伊都国だと書かれているから
末慮国から伊都国までの陸行五百里(40q)を、
1日で踏破したという主張ですけど?
時速4q/hで10時間
十分に1日で行けますよね
何か問題ありますか?
- 842 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:38:35.12 .net
- >>841
だとすると、伊都国までで終着ということになるけれど、
合計は萬五百里にしかならないよ?
残りの千五百里は関係ないってことにするのかい?
それとも、最初から萬二千里は、邪馬台国の比定地を考えるのには
意味がないというのに同意するのかい
- 843 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:40:05.58 .net
- >>840
ごめん12世紀の成立の三国史記は考慮に入れてない
- 844 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:48:31.31 .net
- 文字の染みなどで1日を1月と見誤る可能性は極めて高かったら
画数が多い漢字は字が潰れまくりだな
行程で比定するのは無理だな
- 845 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 14:09:24.48 .net
- >>841
ひとつ取り繕うと、ひとつ以前の主張と矛盾するのが分かるかい?
九州説の行程パズルは、無理読みの寄木細工なんだよ
部分部分では尤もらしく言い繕っても、結局各部で矛盾する
- 846 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 14:20:50.34 .net
- 何も矛盾なんかないよ?
畿内説は矛盾を解決するために魏志倭人伝を無視しているみたいだけどねw
- 847 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 15:06:29.84 .net
- >>846
>何も矛盾なんかないよ?
これまでの九州説の主張まとめ
邪馬台国までの里程は魏志倭人伝には書いてないに対して
九「萬二千里が、邪馬台国までの里数、里数と日数が両方書いてある」
同じ旅程の里数と日数だとすると、陸行一月は北部九州ではおかしいに対して
九「一月は一日の間違いだから大丈夫」
一日の間違いだと、末慮国から不彌国まで一日で行くことになりおかしいに対して
九「伊都国までだから、一日で行ける」
伊都国までなら萬五百里、邪馬台国まで萬二千里と言っていたのと矛盾する
今のところこれには返答してないね
- 848 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 16:35:13.60 .net
- 思いっきり矛盾してるのを突きつけられたら黙っちゃったかな?
- 849 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 16:46:26.42 .net
- 予想される反論
「それ言ったのは俺じゃない。」
- 850 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 16:59:11.00 .net
- まあ、
「女王国の首都は伊都国」
「邪馬台国は伊都国奴国周辺」
「水行は帯方郡起点で、日数と里数は並列表記」
「邪馬台国までの里数は萬二千里で明記されてる」
って、さんざん言ってきてるからねぇ
「邪馬台国は伊都国奴国周辺」と
「邪馬台国までの里数は萬二千里で明記されてる」は
単純な足し算で、矛盾してるってことがすぐ分かる
これを解消するのが、島巡り仮説だけれど、
いまさら島巡り仮説を言うやつもいないだろ
- 851 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:26:04.14 .net
- >>842
帯方郡の海岸から女王国の中心地である伊都国と奴国の国境までの距離(7000里+1000里+400里+400里+1000里+300里+300里+1000里+500里+100里)
丁度12000里ですが。
- 852 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:27:00.28 .net
- >>850
島巡り仮説を否定する根拠は?
- 853 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:33:26.57 .net
- >>850
少なくとも、島の大きさの分は入ってないな
論じても正解は陳寿にしかわからんから、あんまり重視してないが…
陳寿は算数はできたと思うので九州説のが妥当とは思う
- 854 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:37:50.29 .net
- はいはい、自演乙
- 855 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:38:26.20 .net
- 島巡り仮説的なものが、他の地理旅程記事で見つけられたら教えてくれww
- 856 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:40:21.07 .net
- 島巡り仮説の欠点はね、島の大きさは、旅程としては書かれていないってことなんだ
それに、韓が方四千里と書かれているからといって、
韓を通過する旅程で書かれてもない8千里を足したりはしないだろ?
- 857 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:02:12.66 .net
- そして、島巡り仮説の最大の欠点は、そう読む必然性がまったくないこと
- 858 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:03:02.51 .net
- 島巡り仮説の存在理由が、1500里を消費すること以外に何もないからね
- 859 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:04:18.65 .net
- それと、島巡り仮説を使っても、伊都国が邪馬台国の首都にはならない
島巡り仮説を使っても、100里余るから、奴国まで行くしかない
そうすると、邪馬台国の首都は伊都国というのと齟齬が出る
- 860 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:22:57.21 .net
- 途中の里程の表記に「余り」があるよ。
- 861 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 19:28:02.06 .net
- 古田史学の会のウェブページに書いてあった文章
「このうち伊都国から奴国までの100里は、直線行程(主線行程)ではない横道に逸れた、
つまり傍線行程であると位置付けたため、その結果1400里足りなくなりました。
この「足し落し」部分を「島めぐり・半周読法」により、対海国(対馬・下県郡)
800余里と一大国(壱岐)600里の計1400里を『見つける』ことが出来たのです。」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/masakisi/himika26.html
『 』は私が付けた
正直だよね
『見つけた』って書いてるww
つまり、普通に読んだらそうは読めないってこと
史書に限らず、多くの文書は読む人に情報を伝えるために書かれているのだから、
暗号書や判じ物でもない限り、普通に読んで内容が読み取れるように書かれている
見つけなきゃならないような読み方は、作者・編者の意図から外れている
島めぐり半周読法は、無理読みの代表
- 862 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 19:29:31.36 .net
- あと、島めぐり読法を「見つけた」古田史学の会の見解では、邪馬台国は
不彌国に距離0で接してすぐ南にあるらしいよ
伊都国・奴国とは重ねないww
- 863 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 21:53:18.82 .net
- >>855
中国は大陸国家なので海上の経路を説明した文事態がない。
>>859
島巡り仮説を使うと伊都国と奴国の間の国境までが12000里となる。
>>862
古田史学の会の島巡り仮説は中途半端で見解は明らかに誤りです
島巡り仮説が正しいと考えられる分け。
@倭人伝では帯方郡から女王国までを12000里と記しているので
行程を合計すれば12000里になるはずである
島巡り仮説を導入すれば帯方郡から伊都国・奴国までが12000里になる。
A島巡り仮説を導入すると末廬國への到着地点は呼子付近となり
「東南陸行五百里 到伊都國」がほぼ正しくなる。
B島巡り仮説でなく島の面積とすると現実の面積と著しく合わない。
- 864 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 22:13:17.49 .net
- https://donutsmagazine.com/interview/dj-masato/
- 865 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:29:42.16 .net
- >>863
>島巡り仮説を「使うと」伊都国と奴国の間の国境までが12000里となる。
語るに落ちてるねぇ
結論ありきの逆算でしかないってw
- 866 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:32:06.13 .net
- >>863
>中国は大陸国家なので海上の経路を説明した文事態がない。
ならば、島巡りを旅程に算入するなどという特殊事情がもしあるなら
必ずその旨明記されてるだろ?
他例からの類推や常識は通用しないんだから
つまり、注記も特記事項もない時点で、そんな読み方はないんだよ!
- 867 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:34:02.43 .net
- >>863
>古田史学の会の島巡り仮説は中途半端で見解は明らかに誤りです
どこがどう間違っているのか具体的に言わないなら、ただの難癖で意味なしだよ
島巡り仮説を教えてくれた恩人に対する礼儀がなってないなw
- 868 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:34:42.09 .net
- >>866
だから「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いたんだよ。
- 869 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:36:34.14 .net
- >>863
>?倭人伝では帯方郡から女王国までを12000里と記しているので
>行程を合計すれば12000里になるはずである
>島巡り仮説を導入すれば帯方郡から伊都国・奴国までが12000里になる。
これはただの循環論法で、結論を理由だと言い張ってるだけ
「答えが合うように計算したら、答えがあってるから計算が正しい」
これと同じことしか言ってない
意味ないだろ?
根拠にも理由にもなってない
- 870 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:36:53.03 .net
- 結論ありきで九州北部までを一万二千里と定義したんだよ。
それでいいじゃん。
それが魏志倭人伝の世界観なんだよ。
- 871 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:38:39.82 .net
- >>867
島巡り仮説に従えば壱岐の南端からは東松浦半島の北の端に着くことになる
更に次は末廬国と伊都国の国境までが500里となり
次の100里で伊都国と奴国の国境までとなる。
- 872 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:39:43.63 .net
- >>863
>?島巡り仮説を導入すると末廬國への到着地点は呼子付近となり
>「東南陸行五百里 到伊都國」がほぼ正しくなる。
これも大うそだねえ
島巡りをしようがしまいが、外洋航路には関係ない
島巡りをしたから到着地点が変わるなんてことはない
呼子にしたところで、伊都国は東南にはならないし、
呼子から東南方向に歩き出したらすぐに海だ
- 873 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:40:24.51 .net
- >>869
どこが循環論法なんだ?
何の為に「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いてあると思ってるんだ?
- 874 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:42:38.84 .net
- >>872
呼子からほぼ南方向に歩き
唐津付近でほぼ東に方向を変えて歩いたんだよ
だから東南。
- 875 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:45:05.73 .net
- >>868
>だから「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いたんだよ。
頭悪い人なのかな?
「だから」になってない
渡海経路に島巡りで距離に算入するという注記も注釈もない理由になってない
魏志倭人伝は《九章算術》のような「算書」じゃないんだから、
合計があるから計算しろという書き方はない
- 876 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:48:00.20 .net
- >>870
>結論ありきで九州北部までを一万二千里と定義したんだよ。
つまり、意味のない数字だって認めるんだな?
ならば、邪馬台国の比定地探しには使えない
九州説の唯一の拠り所の行程パズルに意味はないと認めるんだね!
九州説は成立しないってことで、終了!
お疲れ様でした
- 877 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:51:27.47 .net
- >>871
>島巡り仮説に従えば壱岐の南端からは東松浦半島の北の端に着くことになる
また適当なことを書いてるなw
むしろ島巡り仮説に忠実に従えば、壱岐の南岸を東の端まで航行しなきゃならないから
東松浦半島からは離れていくぞ
対馬海流でも東に流されるし、東松浦半島に着くためには思いっきり海流に逆らわないと行けない
無茶をさせるねぇ
- 878 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:54:36.14 .net
- >>876
魏志倭人伝は、九州が邪馬台国だという前提で書かれているんだよ。
畿内が出てくる余地はない。
- 879 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 00:10:48.57 .net
- >>874
>呼子からほぼ南方向に歩き
>唐津付近でほぼ東に方向を変えて歩いたんだよ
またデタラメ書いてる
唐津から東に行っても伊都国には着かない
その後、北に行かないとダメ
>だから東南。
だから、東南にはならないんだよ、どうやってもな
- 880 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 00:12:19.38 .net
- >>878
>九州が邪馬台国だという前提で書かれているんだよ。
その「前提」は、九州説の頭の中にしかない
まあ、言ってしまえば妄想の類いだよな
- 881 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 00:16:55.08 .net
- >>873
>どこが循環論法なんだ?
>何の為に「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いてあると思ってるんだ?
その萬二千里に合わせるための島巡り仮説だって白状してるじゃないか
そこで、理由と根拠が循環してるんだよ
実際、萬千三百里だったら、島の二辺じゃなくて、一辺を算入するって言うだけだろ?
結論に合わせて計算法を変えてるんだから、計算が合うから正しいなんてのは通らない
- 882 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 00:47:13.46 .net
- >>878
妄想ではないと思うよ
足し算ができれば、普通は九州説になるからね
- 883 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 01:29:42.98 .net
- 行程は九州説でも住んでるところによって読み方が違うからな
学問じゃないしお爺さんがパズルで遊ぶのはべつにいいと思う
- 884 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 04:16:01.92 .net
- >>882
足し算もできない九州じいちゃん痛ましい
- 885 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 07:09:00.33 .net
- ムサシは死んだ
フルタも死んだ
九州王朝説も、死んじまったのだ。。。
- 886 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 07:11:01.16 .net
- >>882
>足し算ができれば、普通は九州説になるからね
行程がどうこう言う前に、邪馬台国論争はとっくに決着済み。
そして、九州は「其山有丹」で邪馬台国論争の参加資格は端から無し。 @阿波
- 887 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 07:22:33.65 .net
- どう計算しても畿内にはならないからといって、ちゃぶ台を返そうとするなよ。
畿内説の負けは確定しているんだよ。
- 888 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 07:48:12.63 .net
- 当時、九州には
半島・大陸と交流できる強大な「倭国」があり、大勢の「倭人」が住んでいた。
かたや大和は片田舎の小国で、僅かばかりの倭種が細々と暮らしているに過ぎなかった。
にもかかわらず、フルタは、
畿内大和には、すでに強大な諸国が台頭して、一大帝国を形成していた。
その対抗軸として、九州福岡辺りに弱小の女酋国家があり、支援を売るべく大陸に媚を売っていた。
それが「九州王朝」の卑弥呼であった・・・。
このようなロジックで、倭人伝を講釈しようとしていたかのように読める。
内心は、あくまで畿内大和王朝が主、田舎九州王朝は従、にすぎなかったのであろう。
- 889 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 08:41:25.53 .net
- >>875
君の方が頭悪いんだよ
「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いている以上は行程きょりは12000里なんだよ
だから各行程距離を合計すれば12000里になる
計算の合わないことを陳寿は書かない
つまり島巡りで距離に算入するという注記が「自郡至女王國 萬二千餘里」なんだよ。
>>877
意味不明?ちゃんとした日本語でお願いします。
>>879
現地で確認してみてください
君の言ってることの方がデタラメだよ。
>>881
島の二辺ですよ?
>>883
パズルではなく倭人伝の正しい読み方の研究ですよ
倭人伝の研究を放棄したら邪馬台国論争にならない。
- 890 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 08:43:39.40 .net
- >つまり、唐代にいたっても、実測地と関係のない里程が書かれていたということで、
それを参考に比定地を探しても意味がないってことだ<
「唐代の実測」の記録はないんだから、唐代学者は、魏志の実測記録を参考にする。
当たり前の事。
大和説は、唐代の里記載の上でも、嘘つき騙しの行程パズル以外、何も根拠がない 。
- 891 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 11:26:10.18 .net
- >>889
韓国、北部九州は起源に関する個人研究は盛んだね
- 892 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 11:27:17.69 .net
- >>889
>「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いている以上は行程きょりは12000里なんだよ
>だから各行程距離を合計すれば12000里になる
これについては、>>870 が
>結論ありきで九州北部までを一万二千里と定義したんだよ。
って書いてるだろ
実測値でもないし意味のある数字じゃない
- 893 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 11:29:37.54 .net
- >>889
>意味不明?ちゃんとした日本語でお願いします。
島めぐり仮説では、島の二辺をたどらなくちゃいけないから、
壱岐の北西端について、西の辺を南下して南西端で東に向かって
南東端から南下しないといけないんだろ
- 894 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 11:32:33.57 .net
- >>889
>島の二辺ですよ?
それは、たまたま萬二千里と書いてあるから島の二辺としてるだけで
たまたま萬千三百里だったら、島の一辺を算入するって計算するだけだよって話
結論に合わせて二辺にしてるだけで、何の根拠もない
結論に合わせて計算してるのに、計算が合うから正しいと言い張るのはただの循環論法
- 895 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 11:34:49.08 .net
- >>889
>パズルではなく倭人伝の正しい読み方の研究ですよ
正しい読み方を「研究」する時点で、方法論として間違ってるんだよ
魏志倭人伝の「正しくないところを確認する」までならいいけれど、
「こう読んだら正しい」を言い出したら、それはただのパズル
根拠のないただのお遊びにしかならない
- 896 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 11:52:26.48 .net
- いやあ、今どき本気で島巡り仮説を主張するやつがいるとは思いもよらなかったよ
どうやっても正当性を示せない数字遊びしか、九州説の頼れるものはないんだな
改めて、九州説の追い込まれ具合が如実になったな
- 897 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:03:55.71 .net
- 「認知症の発症リスクを最も下げるものは何か」という大規模な実験が、
トロント大学のDr.Raza Naqvi率いる科学者たちによって行われて
成果を発揮したのが、パズルによる脳トレーニングだったということだから
行程パズルも悪くは無いけれども、どうしても1パターンになってしまうから
いろんなパズルをやったほうがいいと思う
- 898 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:21:12.06 .net
- >>892
どこが結論ありきなんだ
陳寿は「自郡至女王國 萬二千餘里」と書いておきながら
12000里の内訳を書いてないなんて有り得ないっですよ。
>>895
矛盾ない読み方が正しいんです。
>>896
結局島巡り仮説を否定する根拠は畿内説に都合が悪いからだけですね。
- 899 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:27:02.40 .net
- >>894
方可〇〇里は縦横の変が〇〇里の土地の意味ですから
縦横二辺じゃないといけませんよ
魏使が通過した距離。
- 900 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:33:02.55 .net
- >>899
>方可〇〇里は縦横の変が〇〇里の土地の意味ですから
>縦横二辺じゃないといけませんよ
いけませんよ、という言葉こそ、問うに落ちず語るに落ちたことの証明
- 901 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:36:08.93 .net
- >>900
何で?
縦横の一辺の長さが〇〇里の土地の意味だから縦横二辺の長さでしょ???
- 902 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:49:39.01 .net
- 島を通過するのにわざわざ島の2辺に沿って進むのか?
バカじゃねーの?
- 903 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 13:01:56.98 .net
- 中国史書の、地理・旅程記事は、国の中心点と中心点の間の距離と方角で示すのが基本
まあ、古代のことや、長距離になるとそこまで正確でもないけれど、基本はそういう書き方になってる
九州説のいう、国の端に着くところまで、とか、出発方向、とか、島の二辺をめぐる、とか
いうのは全て、他例を一つも挙げることなく、結論ありきからの逆算を、こう読めば正しいと
言い張っているだけの循環論法
決して正しいことを客観的論理的に示すことのできない牽強付会の強弁に過ぎない
- 904 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 14:30:27.12 .net
- >>901
>縦横の一辺の長さが〇〇里の土地の意味だから縦横二辺の長さでしょ???
航路の途中の島の横を通るのだから、一辺の長さを加えるのが当然でしょ???
と何の差異もないんだよ
要するに、如何様にでも説明は付けられる
それを結論からの逆算で、二辺としているだけで合理的な理由は何もない
今余っているのが1500里だから、二辺と言っているだけで
余っているのが800里だったら、「それぞれの島の1辺を加える」っていうだけだよ
- 905 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 14:56:37.91 .net
- >>903
中国は大陸国家ですから島から島への旅程記事の例がないだけ。
>>904
今の航海なら島に近づかずいて航海する必要はないが
昔の航海は島から島へですから島の北岸に着いたら南岸まで島を半周する必要がある
数学に強ければ正確に距離を算出できるけど
計算できなかったので簡易的に二辺としているだけ。
- 906 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 15:02:52.48 .net
- >>905
>昔の航海は島から島へですから島の北岸に着いたら南岸まで島を半周する必要がある
こんなこと書いていて、恥ずかしくならないの?
- 907 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 15:09:20.59 .net
- 仮にも島と島の間を渡れる外洋船なのに、島を半周しなきゃいけないって
おかしいと思わないのかい?
渡海千里3回は、全て、南方向で書いてある(最後は明記はしてない)
朝鮮半島の海岸沿いのときは乍南乍東ときちんと、東にも行くことを明記している
島の二辺で、南側を東に行く行程が書いてないのはどうしてだ?
島に沿って南にいくなら、一辺分だけの方が筋が通ってるじゃないか?
どちらにしても、島めぐり仮説ってのは「九州説ってこんなバカなことを
根拠にしてるんだぜ」という文脈でしか、言及されないものだと
早く自覚できるといいね
島めぐり仮説で検索をかけてごらんw
- 908 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 15:11:59.32 .net
- >>907の補足
「仮にも島と島の間を渡れる外洋船なのに、島を半周しなきゃいけないって
おかしいと思わないのかい? 」
もう少し分かりやすく書こうか
外洋船なんだから、外洋から目的の港につけて、目的の港から出航するだけだよ
島を半周する必要はない
- 909 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:11:29.62 .net
- 島の2辺を加えた場合、海峡間水行は4400里になるんだけど、
里数と日数の重ね読み案では
水行を1日千里として「水行十日」を郡からスタートにして
1万里=10日で九州島上陸だったんじゃなかったの?
- 910 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:14:45.28 .net
- 「水行10日、陸行1月」っていうのは、水行の後に陸行したという意味じゃ無くて
水行したり、陸行したりした、それぞれの合計日数らしいよ
- 911 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:20:27.80 .net
- >>908
外洋船と言っても沿岸航海ですから
陸地の見える範囲内での航海
海峡の一番狭い所を渡り最寄りの港に入港して次の港へ
必然的に島の北の港に着き、南側の港に回る必要がある。
>>909
海峡間水行は4400里でここを10日で渡った
>1万里=10日で九州島上陸だったんじゃなかったの?
私は知りません、別の人が言ったことでは?
- 912 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:22:34.44 .net
- >>910
どこからどこまでを「水行十日陸行一月」したの?
九州説は人によって違うんだけど
- 913 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:27:02.16 .net
- >>911
水行二十日の投馬國を朝鮮半島な
九州説でも特殊な人間だけだよな
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