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(みやま市)邪馬台国九州説(筑紫筑後糸島)

1 :日本@名無史さん:2018/06/22(金) 15:14:48.30 .net
資料の宝庫、九州
邪馬台国、卑弥呼、倭人について語りましょう

2 :日本@名無史さん:2018/06/22(金) 15:25:27.27 .net
みやま市瀬高町こうやの宮の色彩像
これ見たら衝撃受けてしまいました
何か似たような像って日本にあるのでしょうか?

3 :日本@名無史さん:2018/06/22(金) 18:06:08.44 .net
>>2
あなたが思う魏の遣いの経路を現在に置き換えて教えて

4 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 00:55:46.65 .net
帯方郡がなあ

5 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 07:14:53.56 .net
始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 
所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 
有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴

「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。
その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。
居する所は絶島、方四百余里ばかり。
土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。
千余戸有り。良田無く、海物を食し自活す。
船に乗り、南北に市糴す。」

 始めて一海を渡り、千余里で対海国に至る。
その大官はヒコウといい、副官はヒドボリという。
居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。
土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。
千余戸の家がある。
良田はなく海産物を食べて自活している。
船に乗って南や北(九州や韓国)へ行き、商いして米を買い入れている。

6 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 07:42:11.90 .net
又南渡一海 千餘里 名日瀚海 
至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 
方可三百里 多竹木叢林 有三千許家
 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
「又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。
一大国に至る。官は亦た卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。
方三百里ばかり。竹木叢林多し。
三千ばかりの家有り。やや田地有り。
田を耕すも、なお食するに足らず。亦、南北に市糴す。」

 また(さらに)、南に一海を渡る。千余里。
名はカン海という。一大国に至る。
官は、また(対海国と同じく)、ヒコウといい、副はヒドボリという。
およそ三百里四。竹、木、草むら、林が多い。
三千ばかりの家がある。いくらかの田地がある。
田を耕しても、やはり、住民を養うには足りないので、
また(対海国と同じく)、南北に行き、商いして米を買い入れている。

7 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 07:47:09.39 .net
又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸
 濱山海居 草木茂盛行不見前人 
好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之
「又、一海を渡る。千余里。
末盧国に至る。四千余戸有り。
山海に浜して居す。草木茂盛し、行くに前人を見ず。
魚鰒を捕るを好み、水、深浅無く、皆、沈没してこれを取る。」

 また、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。
四千余戸があり、山と海すれすれに沿って住んでいる
草木が盛んに茂り、行く時、
前の人が(草木に隠されて)見えない。
魚やアワビを捕ることが好きで、水の深浅にかかわらず、
みな、水に潜ってこれを取っている。

8 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 12:27:59.36 .net
東南陸行 五百里 到伊都國 
官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國
 郡使往來常所駐

「東南陸行。五百里。伊都国に到る。
官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。
千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。
郡使往来し常に駐する所。」

 (末盧国から)東南に陸上を五百里行くと伊都国に到着する。
官はジシといい、副はエイボコ、ヘイキョコという。千余戸が有る。
代々、王が有り、みな女王国に従属している。
(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。

9 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 12:34:07.47 .net
東南至奴国 百里
 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸

「東南、奴国に至る。百里。
官は兕馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。
二万余戸有り。」
 
 (伊都国から)東南、奴国に至る。百里。
官はシバコといい、副はヒドボリという。
二万余戸が有る。

10 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 12:42:53.64 .net
東行至不彌國 
百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家
「東行、不弥国に至る。
百里。官は多摸と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有り。」

 (奴国から)東に行き不弥国に至る。
百里。官はタボといい、副官はヒドボリという。千余りの家がある。
   

11 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 12:46:05.11 .net
南至投馬國
 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 
可五萬餘戸
「南、投馬国に至る。
水行二十日。官は弥弥と曰い、副は弥弥那利と曰う。
五万余戸ばかり。」

 (不弥国から)南、投馬国に至る。
水行二十日。官はビビといい、副はビビダリという。
およそ五万余戸。

12 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 13:44:24.95 .net
BとMは言語学的に交換が可能な音であり、記紀の表記に従うなら、耳と耳垂とするべき。
典型的な九州の支配層の呼称となる。

13 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 14:59:16.20 .net
南至邪馬壹國
 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬
 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸

「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。
水行十日、陸行一月。官は伊支馬有り。
次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。
次は奴佳鞮と曰う。七万余戸ばかり。」

 (投馬国から)南、邪馬壱(ヤバヰ)国に至る。
女王の都である。
水行十日、陸行ひと月。官にイシバがある。
次はビバショウといい、次はビバクワシといい、
次はドカテイという。およそ七万余戸。

14 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:16:04.03 .net
バイク屋か‥

15 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:19:44.95 .net
ヤメイは女王の都するところ
官はイキマ、次はミマス、ミマクシ、ナカティ

16 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:20:47.39 .net
@阿波は四国説スレだと閑古鳥だから
九州説を騙って人を集めようとするなどプライドも何もない奴だな

17 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:24:25.60 .net
ドゥカッティ、ドカテイのことか
佳テイとは何だろ。
鱗のない魚、蛙の皮膚みたいな魚だとおもうんだが..
鱧とか鰻とか鯰とか

そんなこと言う学者はいないけど
@東京

18 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:24:25.97 .net
ドゥカッティ、ドカテイのことか
佳テイとは何だろ。
鱗のない魚、蛙の皮膚みたいな魚だとおもうんだが..
鱧とか鰻とか鯰とか

そんなこと言う学者はいないけど
@東京

19 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:31:23.58 .net
鯰は肥国王家のトーテムですよ。
特に肥前河上の淀姫(壹與)が有名です。
まあ、魏志倭人伝ではただの当て字だと思いますが。

ちなみに鰐は豊国王家のトーテム。
筑紫天孫族は鷹、出雲王家は鷲、登美王家は鴨、大和王家は鴉。

20 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:33:59.78 .net
「初めて直立歩行したのは阿波人」とか
「初めて火を使ったのは阿波人」とか
「初めて言葉を使ったのは阿波人」とか
「アダムもイブも阿波人だった」とか
「神武も卑弥呼も阿波人だった」とか
いつも阿波ウリナラ説で自爆するのが哀れだったな。

21 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 15:34:15.52 .net
>>16
>九州説を騙って人を集めようとするなどプライドも何もない奴だな

そんな泣き言言う前に、さっさと叩き潰せばいいんですよ。 倭国(阿波)説ごとき。  @阿波 

22 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 17:28:21.08 .net
阿波説なんて始めから潰れてる。

23 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 17:43:01.29 .net
>>16何度も言うようで、これっきりにしますけど
このスレは私が立てました
阿波さんは関係ありません
@東京

24 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 17:43:52.42 .net
>>22
>阿波説なんて始めから潰れてる。

そんなつまらんことしか言えないようじゃ、100年経っても潰せないよ。  倭国(阿波)説ごとき。  @阿波  

25 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 18:12:27.14 .net
何も言わなくとも、阿波ウリナラ説自体が妄想

26 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 19:13:19.24 .net
狗奴国って、どこですか
山口か徳島?

27 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 19:19:36.43 .net
>>26
>狗奴国って、どこですか
山口か徳島?

狗奴国は倭国(阿波)の長国(那賀川流域)です。
因みに、邪馬台国は倭国(阿波)の粟国(吉野川流域)ですね。  @阿波

28 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 19:36:07.27 .net
火星や金星より可能性のない阿波だけは対象外

29 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 19:46:47.67 .net
>>28

いつもの、そんなつまらんことしか言えないようじゃ、100年経っても潰せないよ。  倭国(阿波)説ごとき。  @阿波  

30 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 20:08:30.04 .net
一億年経っても、阿波説はお笑い妄想

31 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 20:58:03.18 .net
邪馬台国と狗奴国は仲が悪かったらしい
狗奴国が邪馬台国連合と戦えたのは、
何処かの国の後ろ楯があったからだろうと思う
玉壁のでた宮崎の古墳辺りとか怪しく思う 

32 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 21:39:38.02 .net
>>31
>何処かの国の後ろ楯があったからだろうと思う

そんなもの必要、全然ないよ。  だって、宝の山「辰砂鉱山」をもってるもの。  @阿波   

33 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 22:07:56.70 .net
>>26
鹿児島、宮崎でしょうね。

34 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 22:08:50.66 .net
九州説を騙らないと相手してもらえない@阿波

35 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 22:17:05.35 .net
>>33
>鹿児島、宮崎でしょうね。

宝の山「辰砂鉱山」のようなものがないと、狗奴国みたいな一大勢力にはなれないよ。  @阿波

36 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 22:28:56.69 .net
>>35
言ってることが意味不明だなw

37 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 22:32:46.64 .net
しょうがないさ。
@阿波本人も意味がわかってないしw

38 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 22:45:30.55 .net
>>36
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力・旧吉野川流域南岸勢力・鮎喰川下流域勢力)
南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力・海部川勢力)

こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波

39 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 22:53:32.25 .net
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡

40 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 22:54:22.61 .net
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡

【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡          

【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡

41 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 23:02:42.10 .net
>>36
>言ってることが意味不明だなw

言っていることが理解できたかな?  トンデモ頭には無理かな?  @阿波

42 :日本@名無史さん:2018/06/23(土) 23:05:35.39 .net
>>41
関係ない話を長々と書き込んでるだけだな
バカじゃないw

43 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 01:32:17.93 .net
阿波だのアンドロメダだのは、邪馬台国とは無関係。

44 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 06:53:24.21 .net
>>42
>関係ない話を長々と書き込んでるだけだな

いつもの、そんなつまらんことしか言えないようじゃ、100年経っても潰せないよ。  倭国(阿波)説ごときさえも。   
はやく、「真っ当な反論」で、叩き潰してほしいものだ。  無理を承知で言ってみたw  @阿波

45 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 10:54:19.85 .net
阿波説は畿内説の亜流に過ぎない
畿内説が死んでしまったんだから阿波説も死んでることに気づけよ。

46 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 10:55:32.49 .net
鯨さんが死んじゃってるのに気づいてないコバンザメってことか

47 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 10:57:08.26 .net
だから@阿波は九州説を騙って宿主を乗り換えようとしてるんだろw

48 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 11:02:07.56 .net
>>46
>鯨さんが死んじゃってるのに気づいてないコバンザメってことか

クジラも黒潮の太平洋。
ここでも、北部九州や奈良は脱落。  なんてね。  @阿波

49 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 11:20:52.41 .net
阿波説、水泡に帰す

50 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 11:23:41.58 .net
邪馬台国南極説は、まだ南極を発掘していないから可能性はあるが、
阿波説は100%ありえないので、だれも相手にしないし、取り上げる必要性もない。

51 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 11:33:22.50 .net
>>50
>だれも相手にしないし、取り上げる必要性もない。

あなたが一番相手してくれてるんだけど?  違う?  阿波が気になって仕方ないんだろうけど。 @阿波  

52 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 15:33:35.63 .net
「豊国文字」
高千穂の岩戸の蓋石に書かれていた文字
ヤタ鏡を石で囲って隠したとある

岩戸は間違いなく高千穂だ
@東京

53 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 16:17:48.90 .net
>>51

荒唐無稽な阿波説を、皆んなとともに断固拒否して相手にしてないんだけど・・・

54 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 17:19:02.87 .net
ただまあ、阿波はザラコクさんたちと比べれば、話はできる
話は通じないけどw

55 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 17:25:08.31 .net
>>53
ほらね。 あなたが一番相手してくれてるんだけど?  違う?  阿波が気になって仕方ないんだろうけど。 @阿波

56 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 17:43:34.06 .net
>>48
鯨は北部九州も該当する。明治まで鯨は北部まで来ていた。今でも鯨を獲った石碑が残っている。

57 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 17:56:34.78 .net
>>56
>今でも鯨を獲った石碑が残っている。

それだけ、稀有ってことでしょ。  やっぱり、クジラは黒潮の太平洋ですよ。  @阿波

58 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 18:05:44.62 .net
>>57
あっ、もちろん亀卜の「アオウミガメ」も黒潮の太平洋ね。  北部九州や奈良は論外  @阿波

59 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 18:18:29.06 .net
>>58アオウミカメは宮崎県も有名ですよ
青島や鵜ト神宮は素晴らしい景色でしたよ@東京


話変わりますが古い新聞より

東大寺の大仏の金メッキは、
アマルガムを加熱すると水銀だけが気化する
という性質を利用しました。
「東大寺大仏記」によれば、
水銀5万8620両(約50トン)、金1万446両(約9トン)
を用いたとあります。
膨大な量の水銀が蒸気になって奈良盆地を覆った
かもしれません。
日本化学会編「化学防災指針」によると
水銀蒸気の吸入は気管支炎や肺炎を引き起こし、
腎細尿管障害、むくみ、場合によって尿毒症も発生し、
全身のだるさ、手のふるえ、運動失調などをひき起こします。
環境科学が専門の白須賀公平氏は、
そのときの水銀蒸気で平城京の人々は水銀中毒になり、
平城京は遷都せざるを得なかったのではないか
と述べています
(日本経済新聞2004年5月7日〈文化欄〉

60 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 18:22:41.40 .net
>>55

荒唐無稽なオカルトを、排除してるだけなんですが。

61 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 18:30:00.72 .net
もし>>59の水銀の50トンが本当なら
熊本県の水俣病以上の信じられない数値だろ
水俣病は、プール1杯分の水銀を含む重金属で
汚れた水の廃棄だった記憶がある
水銀だけで50トンはヤバイ

62 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 18:30:37.84 .net
九州スレで「阿波阿波」叫んでもなあ。

63 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 18:34:34.67 .net
>>60
>荒唐無稽なオカルトを、排除してるだけなんですが。

ほらね。 あなたが一番相手してくれてるんだけど?  違う?  阿波が気になって仕方ないんだろうけど。  @阿波

64 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 20:40:25.26 .net
害虫は駆除が必要ですね

65 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 21:06:17.55 .net
>>64
>害虫は駆除が必要ですね

叫ぶだけではダメですよ。 早く駆除を実行しなきゃ。 駆除する実力ないけどw  @阿波

66 :日本@名無史さん:2018/06/24(日) 23:09:19.76 .net
>>59
でも、辰砂・硫化水銀は水に不溶性で、生体物質とは相互作用しないんだが?
つまり、強熱して硫黄を飛ばさない限りは無毒だよ

67 :日本@名無史さん:2018/06/25(月) 05:08:35.24 .net
>>66硫化水銀は結晶体で赤い石みたいな鉱物
アマルガムは水銀そのもの

奈良の大仏の金メッキ渡金技術は、
水銀蒸気を飛ばしていたんだよ

たくさんの人が死んだはず
水銀50トンなんて、テロと同じだから
 

68 :日本@名無史さん:2018/06/25(月) 06:01:03.54 .net
>>66
だから「以朱丹塗其身體如中國用粉也」  @阿波

69 :日本@名無史さん:2018/06/25(月) 07:29:45.04 .net
狗奴国は普通に熊本県でいいだろ。
宮崎県は投馬国。

70 :日本@名無史さん:2018/06/25(月) 07:36:14.95 .net
>>69
>狗奴国は普通に熊本県でいいだろ。
>宮崎県は投馬国。


その根拠となる遺跡群は? 示せる?  @阿波

71 :日本@名無史さん:2018/06/25(月) 13:37:05.22 .net
【狗奴国】

狗奴国王の名前は卑弥弓呼といい、卑弥呼と瓜二つである。
卑弥呼とはもとより不和であるとある。
倭国大乱は倭国の王位をめぐる争いのことである。

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。

このことから、狗奴国と邪馬台国は近縁関係であると推察される。
卑弥呼亡き後の争いは、狗奴国が筑紫に攻め上ったものであると考えられるが、壹與の共立によりこれが収まったということは、狗奴国も納得のいく人事であったということだ。
狗奴国熊襲は邪馬台国の南、熊本の勢力であるが、実質的には肥国の王家であり、肥前河上のヨド姫であれば熊襲の姫でもあるので狗奴国の納得のいく人事であった。
また、卑弥呼が筑後山門の出身であるならば、筑後も本来は肥国の一部に筑紫が膨張して張り出した部分であるので、卑弥呼とヨド姫も同属である。
壹與を邇邇芸の妃であり志賀島の海神の娘である豊玉姫に比定しないわけは、豊玉姫では狗奴国との争いを収める立場になれないからである。
後世には肥前のヨド姫は豊玉姫に習合されてしまうが、本来は別人である。

邇邇芸と神功皇后は天津神である筑紫王家、卑弥呼と卑弥弓呼と壹與は肥国王家、綿津見神と豊玉姫は豊国王家に属している。
いずれも連合国家である倭国を構成する中心的な王国である。

72 :日本@名無史さん:2018/06/25(月) 13:46:14.36 .net
>>71
>狗奴国は普通に熊本県でいいだろ。
>宮崎県は投馬国。


いや、だから、その根拠となる弥生集落遺跡群は? 示せないの?  妄想はもう腹いっぱい。  @阿波

73 :日本@名無史さん:2018/06/25(月) 15:42:50.77 .net
>>72
すぐ上に多数の遺跡が地図で載っているだろ。

74 :日本@名無史さん:2018/06/25(月) 16:01:20.73 .net
>>73

古墳の副葬品なんかどうでもいいからw
いや、だから、その根拠となる「弥生集落遺跡群」は? 示せないの?  妄想はもう腹いっぱい。  @阿波

75 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 01:54:37.16 .net
Google Earth見てて気付いたわ

福岡の山門ってとこが邪馬台国。確信した。

76 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 07:19:52.08 .net
>>75
でもそこ、弥生末期でも半分くらい海の底で、弥生時代には栄えてた様子が見られないんだよなぁ

77 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 08:13:22.09 .net
>>74
まぁ、実際「弥生集落遺跡群」なんて、倭国(阿波)にしか無いんだけどね。  @阿波

78 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 08:14:05.46 .net
狗奴国が熊本だと、目と鼻の先で不安。

79 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 10:45:47.21 .net
>>78
狗奴国は辰砂鉱山や黒潮太平洋に面した「阿波の長国」ですよ。  不安は不要。  @阿波

80 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 13:04:36.58 .net
>>79
狗奴国と辰砂鉱山や黒潮の関係は???

81 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 13:10:51.78 .net
>>80
>狗奴国と辰砂鉱山や黒潮の関係は???

以下の関係です。  @阿波
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力・旧吉野川流域南岸勢力・鮎喰川下流域勢力)

南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力・海部川勢力)

※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡

【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡          

【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡

82 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 15:22:08.76 .net
>>81
意味不明w

83 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 16:39:17.56 .net
>>82
「井の中の蛙大海を知らず」  @阿波

84 :日本@名無史さん:2018/06/26(火) 20:49:19.13 .net
「井の中の蛙阿波説に溺る」

85 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 05:07:21.05 .net
奈良の桃の種は、朱の取引所
徳島の洞窟の採掘場所は規模が小さい
あれでは地域レベルの話
あの程度の採掘なら、富山や奈良の方が規模が大きい

86 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 12:32:06.34 .net
奈良の桃の種は朱と翡翠の取引所
越国の翡翠伝説の始まりから
東遷されてからの翡翠伝説の終焉までを知れば
文化や風俗が一変したのだろうと想像できる
丹より翡翠のほうが価値があった

87 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 12:33:45.18 .net
テレビなどを観ていると犯罪者ばかり出てくるけど、
どういう事なんだと思う?

88 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 22:18:21.62 .net
ワールドカップ日本vsポーランド
1対1で引き分け 
当たれば邪馬台国は九州

89 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 22:23:07.82 .net
ワールドカップ北部九州邪馬台国vsポーランド
1対0で勝利
当たれば邪馬台国はオーバヘッドキック

90 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 22:26:31.43 .net
ワールドカップ北部九州邪馬台国vsポーランド
2対1で勝利
当たれば邪馬台国はドライブシュート

91 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 22:45:39.27 .net
ミナトが水門ならヤマトは山門
後付の大和ではなく語源そのままな地名の山門県が邪馬台国よ

92 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 23:20:48.70 .net
卑弥呼の出身地だな。
女王に共立されてからは伊都に移住して、死後は平原遺跡に葬られた。
出身地の名前がそのまま王国の名になった?

93 :日本@名無史さん:2018/06/28(木) 23:53:10.70 .net
妄想はたのしいな

94 :日本@名無史さん:2018/06/29(金) 09:54:50.46 .net
ワールドカップ日本vsポーランド
0対1で負け
・・・・・。

95 :日本@名無史さん:2018/06/29(金) 14:28:39.17 .net
>>94
サッカー日本代表「フェアプレーポイントの差」で、一次リーグ突破!
まあ、九州説の人にとっては、気分のよくないニュースなんだろうね

96 :日本@名無史さん:2018/06/29(金) 15:08:35.68 .net
確かに気分良くないわ
小細工でリーグ突破、これで喜ぶのは姑息に感じる
でも九州説以外を推す人ってこれで満足なんだ…
そういう気質の人が信奉してる説ってことだね

97 :日本@名無史さん:2018/06/29(金) 15:53:48.94 .net
畿内説同士でケンカか?
よかったな、一人ではないことが証明できて。

98 :日本@名無史さん:2018/06/29(金) 17:51:04.77 .net
>>95
ワールドカップは決勝トーナメントからが本番

日本代表は、やっとそこでの戦いを前提とした戦術を
考えられる位置まで来られたんだよ

これで、決勝トーナメント緒戦のイングランドまたはベルギーとの試合が
いい試合になれば、みんな手のひら返すんだから

昨日のミッションは一次リーグ突破が、第一優先順位
それが達成できればいいんだよ

99 :日本@名無史さん:2018/06/30(土) 04:39:06.60 .net
サッカーファンから見れば
「ヤター予選突破最高だあ」
サッカー興味ない嫌いな人
「恥さらし」「日本のイメージを台無しにした」
日本の代表としての意気込みプライドを持っているのか

これだけ世界中で話題になるから
外国人は日本にいいイメージ持っていたんだね

100 :日本@名無史さん:2018/06/30(土) 09:37:00.73 .net
そもそもサッカーのナショナルチームは、
ワールドカップの本戦に出てなんぼ
さらに、決勝トーナメントに進むことにこそ意義があり価値がある

ナショナルチームは国を背負って戦ってるんだから、無条件に応援でいいんだよ

某国のように、インチキいかさまをしない限り、だけどさ

101 :日本@名無史さん:2018/07/03(火) 10:45:58.52 .net
ベルギー戦、面白かっただろ?
45分間で5点入る試合ってのは、なかなか見られないぞ
敗戦は残念だったが、見ごたえのあるよい試合だった
ベルギーとのガチンコの勝負ができたのだから、決勝トーナメントに進んだかいが
あったというものだ。

予選リーグの最終戦は、決勝トーナメントに進むための戦術のぶつかり合いなんだから
それが面白くないとか言ってもしょうがない

102 :日本@名無史さん:2018/07/12(木) 14:06:52.52 .net
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

LF8

103 :日本@名無史さん:2018/07/19(木) 06:47:41.80 .net
ワールドカップも終わったし
そろそろいこうか

104 :日本@名無史さん:2018/07/20(金) 15:08:00.22 .net
何処に?

糸島に興味のある人なんて一握りなんだから、適当にやれば?

105 :日本@名無史さん:2018/07/20(金) 17:58:01.50 .net
糸島に行くの?
楽しそうだな。
いつかは行って見たいが、遠すぎる。

106 :日本@名無史さん:2018/07/21(土) 06:55:05.82 .net
田舎の阿波、都会妄想に取りつかれ @阿波

107 :日本@名無史さん:2018/07/21(土) 07:33:04.81 .net
九大に進学すれば嫌でも行くことになるけどね。

108 :日本@名無史さん:2018/07/21(土) 07:59:39.19 .net
>>106
>田舎の阿波、都会妄想に取りつかれ

今は全国有数のど田舎だけど、卑弥呼の時代は最先端最高文化国だけどね。  @阿波

109 :日本@名無史さん:2018/07/21(土) 08:22:08.96 .net
>今は全国有数のど田舎だけど、卑弥呼の時代は最先端最高文化国だけどね。

卑弥呼東征、最前線の危険地帯だったのも知らず、踊らにゃスンスンで日が暮れて、いまもかわらぬド田舎、アワアワ

110 :日本@名無史さん:2018/07/21(土) 08:56:01.72 .net
嘘ばかりついてすいません
これが私のホルホルなんで許して下さい @阿波

111 :日本@名無史さん:2018/07/21(土) 10:22:22.60 .net
>>109
>卑弥呼東征、最前線の危険地帯だったのも知らず、

なにそれ? またお得意の妄想かね?  @阿波

112 :日本@名無史さん:2018/07/21(土) 10:43:52.70 .net
といいつつ自分も妄想中 バカですまん @阿波

113 :日本@名無史さん:2018/07/21(土) 10:56:05.03 .net
>>112
>といいつつ自分も妄想中 バカですまん 

若杉山遺跡や加茂宮ノ前遺跡、黒川谷郡頭遺跡、矢野遺跡、芝遺跡 等々
こんな遺跡が九州にあれば、たぶん大騒ぎするんだろうね。
それにしても、九州も畿内も目ぼしい集落遺跡、ほんと無いねぇ。
無いから、妄想ばかり募るんだろうが。  @阿波

114 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 05:02:57.06 .net
だから邪馬台国は筑紫にあったから
卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから
和気清麻呂が神託を聞きに行ったのは古来ここが天皇家の総本山だったから

福岡県京都(みやこ)郡あたりを発掘調査徹底すれば、必ず卑弥呼の墓なり
邪馬台国の痕跡が見つかるはず

しかしそうしないのは、ヤマト王権による万世一系の正当性を失うから
だから今も古墳発掘禁止してんだよ

だいたいエジプト王家のことがここまでハッキリ分かってるのに
卑弥呼のことが分からないっておかしいことだからw

115 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 07:56:13.19 .net
宇佐は筑紫ではなく豊国
筑紫は博多湾沿岸

116 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 10:48:44.51 .net
>>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから

比売大神???  比売の前につく名前はないのかね?  変な御祭神だね。  
いかにもインチキ臭い。  倭国(阿波)の神社では考えられないね。  @阿波

117 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 17:30:14.14 .net
>>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから

だとしたら、宇佐神宮のあたりは魏志倭人伝でいうと、どの国に当たるんでしょうかね?
筑前筑後糸島とは、宇佐はかなり離れているというか、無関係でしょ?

118 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 17:36:52.43 .net
>>117
「筑前筑後糸島」も邪馬台国とは無関係だよ。  @阿波

119 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:11:09.00 .net
>>115
時代によって筑紫の範囲は違っていた

120 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:19:20.31 .net
>>114
>福岡県京都(みやこ)郡あたりを発掘調査徹底すれば、必ず卑弥呼の墓なり
邪馬台国の痕跡が見つかるはず

うだうだ言ってないで早く掘れや。
まぁなにも出るわけないのだがw

九州説というのは、邪馬台国が畿内に決定したら、大変困った事になる右翼さんたちが創った虚構だからね。
畿内に決定したら古代天皇の朝貢を認めることになる。
それはできない。
だから右翼さんたちが九州説を創作したのだよ。

まだ分からないのかい、馬鹿=九州説者はwww

121 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:32:01.06 .net
>>120
すでに発掘している。
あるいは古墳は宮内庁管轄で発掘できない所もあるから決定打に欠けるか。
いずれにせよ九州王朝を認めることは、ヤマト王権の継承国家である万世一系の今の皇室の歴史の正当性を
否定することにつながるから表に出さないだけ
それに唐との関係もあったから、古来から公にはできなかっただけだよ。

その理由は後述する。

122 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:33:33.04 .net
まず押さえておきたいのは、九州と近畿に大きな王朝があったということ。
九州王朝は邪馬台国、伊都国など後に倭国と呼ばれたところ。
畿内王朝は扶桑国(原ヤマト王権)など後にヤマト王権と呼ばれたところ。

旧唐書には、どちらが日本の使者かで九州王朝の使者と畿内王朝の使者が喧嘩したとある。
実際、日本と倭国は別種として、分けて記録されている。

現在の皇室はヤマト王権の継承国家であるというのが建前だから九州王朝を無視してきた。
あるいは九州王朝の歴史を巧みに畿内王朝に組み入れて歴史を作ってきた。
それは全て万世一系の建前を維持するため。

123 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:34:59.18 .net
白村江の戦いで九州王朝は百済を支援するために派兵した。
これは同盟国の百済の再興と同時に任那などの旧領の復活が目的にあった。
一方、畿内王朝は唐と友好を結んでいたので、派兵しなかった。

戦争は九州王朝と百済が敗れ、サチヤマ以下多くの九州王朝の人間が唐に抑留された。
これで九州王朝は衰退して、畿内王朝は九州王朝を吸収して、統一王朝として日本という国号を670年に名乗った。

そして唐も朝鮮出兵しなかった協力者である畿内王朝こそ日本の統治者であるべしと認めた。

邪馬台国は間違いなく北九州にあったし、それを認めることは、唐との関係を壊すことになるし、
万世一系を否定することになるから、古来より九州王朝を無視してきたのだ。

そもそも邪馬台国とヤマト王権は響きは似ているのに、
微妙に違うのは、そういう二つの異なる王朝があったことをにおわせるため。

正直、これは学者の間では常識になっているのだが、国民レベルでは認知されていないので、
邪馬台国は謎ということで落ち着かせているだけ。

北九州を発掘すれば、必ず卑弥呼の墓や邪馬台国の跡地は見つかるから。
ひょっとすれば、すでに分かっていて、隠しているのかもしれない。

とにかく宇佐神宮は伊勢神宮よりも出雲大社よりも日本で一番重要な場所なのは間違いないよ。

124 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:43:54.85 .net
旧唐書にはハッキリと倭国と日本は別種とある。

つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。
今もそうだが、九州の人間の平均身長は近畿の人間より低い。

唐は北朝系で、これは異民族が建てた王朝。

九州王朝は、伝統的に南朝系に朝貢してきた国。だから北朝系の唐とは対立していた。
そのため、南朝が衰退した時、九州王朝のタリシヒコは自らが南朝の後継者と言わんばかりに皇帝を名乗った。

一方、畿内王朝は唐と仲が良く、白村江の戦いには派兵しなかった。

つまり、九州王朝は南朝にシンパを持つ皇帝と畿内王朝は北朝にシンパを持つ天皇だったことが分かる。

日本書紀は、この九州王朝と畿内王朝の歴史を統合するために書かれたもの。
だから人工的に九州王朝の歴史が否定あるいは巧みに畿内王朝のモノへの組みこまれたのだよ。

だから今の人間が知らなくて当たり前。
知られたくなかった歴史なんだからw

125 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:45:28.83 .net
>>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから

比売大神???  比売の前につく名前はないのかね?  変な御祭神だね。  
いかにもインチキ臭い。  倭国(阿波)の神社では考えられないね。  @阿波

126 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:47:06.57 .net
>>124
>つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。

九州に倭国はない。  @阿波

127 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:51:19.13 .net
>>125
今もそうだけど、皇族には名字がない。
名字というものは、中国の物だから。

アイヌも名字がなかったように、元々日本人には名字はなかったのだよ。

128 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:54:43.15 .net
>>127
>今もそうだけど、皇族には名字がない。

苗字? 苗字なんて言ってないよ。  皇族にも名前はあるでしょ?  @阿波

129 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 18:55:37.07 .net
>>126
日本という国号は670年に統一国家として名乗った。

これは白村江の戦いで敗れ衰退した九州王朝すなわち倭国を畿内王朝であるヤマト王権が吸収して
統一国家として日本を名乗ったのだよ。

畿内王朝は北朝つまり唐に協力
九州王朝は南朝に協力

唐が白村江の戦いで勝ち、唐の協力者だった畿内王朝が九州王朝を吸収して統一国家の日本として
日本列島を君臨し、唐も認めた。そのため、日本は徹底的にミニ唐になるように律令制度など積極的に唐を見習った。

これが真実。

130 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 19:00:23.46 .net
>>128
名前はあるけど、苗字はなかった。

これは珍説だけど、ひょっとすると天皇は天(アマ)が苗字なのかもしれない。
元々、九州王朝は北九州と朝鮮半島南部を支配する海峡国家だった。
あの地域は釜山なんか今でも海女(アマ)さんで有名な地域。

アマテラスオオミカミもその海女さんから来たとかというトンデモ説があるw

131 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 19:01:08.81 .net
>>124
>つまり、倭国は九州王朝で日本は畿内王朝を指す。

九州に倭国に相応しい弥生後期集落遺跡群がない。  @阿波

132 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 19:07:02.51 .net
>>130
>アマテラスオオミカミもその海女さんから来たとかというトンデモ説があるw

トンデモ説じゃないよ。 倭国(阿波)の海人だから。  @阿波

133 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 19:08:04.21 .net
>>114
>卑弥呼を祭る場所は宇佐神宮の比売大神だから

比売大神???  比売の前につく名前はないのかね?  変な御祭神だね。  
いかにもインチキ臭い。  倭国(阿波)の神社では考えられないね。  @阿波

134 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 19:18:34.39 .net
>>122
>旧唐書には、どちらが日本の使者かで九州王朝の使者と畿内王朝の使者が喧嘩したとある。

これ、原文出して
旧唐書のどこにある?

>実際、日本と倭国は別種として、分けて記録されている。

武則天のときに、日本に号を変えたというのが、唐会要でも確認できる
その国号変更以前のことが、倭國として、変更以降が日本として書いてあるだけ

日本に改号する前の倭国が大和王権そのものであるのは遣唐使の氏名からも確実
開成四年(838)正月、遣使薜原朝常嗣(藤原常嗣)等来朝貢。
固有名詞まで一致してる薜原朝常嗣(藤原常嗣)は、大和の朝廷の藤原氏
これが九州王朝だったら大笑い

135 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 19:26:28.85 .net
>>134
>その国号変更以前のことが、倭國として、変更以降が日本として書いてあるだけ

そして
遷都前が「倭国」
遷都後が「日本」  @阿波

136 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 20:09:04.74 .net
倭国女王卑弥呼の墓は墳ではなかった。。
尖がり帽子みたいな「塚」だったのだからな。
それがみたけりゃ、阿蘇高千穂神社の本殿ご神体山をよ〜く拝むこった。ここが卑弥呼の塚墓だ。。

137 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 21:11:26.21 .net
>>123
>北九州を発掘すれば、必ず卑弥呼の墓や邪馬台国の跡地は見つかるから。

平原遺跡

138 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 21:16:45.85 .net
>>130
隋書には倭王の姓はアマとある。
アマテラスは海を照らす(支配する)王という意味だろう。

139 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 21:18:54.94 .net
>>137


お墓では邪馬台国は見つからない。  @阿波

140 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 21:20:55.98 .net
>>138
>アマテラスは海を照らす(支配する)王という意味だろう。

倭国(阿波)の海人(あま)族だからね。  @阿波

141 :日本@名無史さん:2018/07/29(日) 23:10:02.52 .net
>>133
比売の前につく名前の意味が分からない

142 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 04:03:25.86 .net
>>123惜しい、最後の方の2〜3行は違う
まずは、これから見てくれ
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1049407327.html
福岡県田川の香春神社と大鏡神社が
日本始まりの大きな鍵を握っている 
久しぶりの書き込@東京

143 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 04:27:14.96 .net
>>123鏡山大神社はこちらを見て
https://www.google.co.jp/amp/s/lunabura.exblog.jp/amp/16767388/ 
誰か田川郡近辺の神社を徹底的に調べて頂けないだろうか
香春、鏡山、古宮、若宮...
@東京   

144 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 06:51:42.79 .net
それは卑弥呼の後継の田湯津姫の領土。

145 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 07:41:51.55 .net
それでは田油津姫の領土の鏡山大神社に神功皇后は
鏡を奉納したのかい?
なんかしっくり来ないなあ
鏡山大神社には何かあるはず

146 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 07:49:10.89 .net
>>142

田川辺りは上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「奴国」だね。  @阿波

147 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 08:14:15.95 .net
>>145
征服宣言ではないかな。
香春岳を手にして銅鏡の生産能力を手に入れたことで、自身を卑弥呼または天照になぞらえるだけの有力者として誇示できた。

148 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 08:15:48.34 .net
>>146
ちなみに、
大陸からの玄関口「末羅國」は 「田熊石畑遺跡」」「今川遺跡」「手光於緑遺跡」「新原・奴山古墳」などの福津市周辺

「伊都国」は千戸程度だから、「感田上原遺跡」や「帯田遺跡」などの直方辺り。 

「不弥国」は 「築城五反田遺跡」、「上別府沖代遺跡」、「安武・深田遺跡」、「安武・土井の内遺跡」、「赤幡森ヶ坪遺跡」などがある「築上町辺り」だね。  @阿波

149 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 09:14:13.24 .net
香春岳は、
記紀でいえば応神天皇の時代じゃろ。
銅で儲けた金で、あちこち神社を新改築したお人な。

150 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 11:39:48.28 .net
応神天皇が香春岳の銅を好きに使えたのは、母親の神功皇后が田油津姫を倒して香春岳を手に入れたからだよ。

151 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 12:06:55.46 .net
>>150
妄想披露はもうそれぐらいでいいからw  @阿波

152 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 13:01:21.73 .net
前にも書いたことあるけど
鏡山大神社そのものが円墳なんだよ
鏡山の山腹にも他の王様の古墳がある
王様を山腹に追いやるほどの人物の古墳が山頂の下にあるんだよ
神功皇后が自ら鏡を納める人物の古墳
誰なんだろう
卑弥呼か台与しか思い付かない

153 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 13:09:15.70 .net
円墳かどうかは知らんが、他にも倭王はいただろう。
博多湾からかなり離れているから、割と新しい時代の墓かもしれないよ?

154 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 17:41:42.94 .net
>>153んな事はない
神功皇后の御鎮座が西紀270年。1750年近く前
その前から、この円墳があったはず
どうよ?
卑弥呼か台与とピッタリ合わないですか?

155 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 18:14:19.65 .net
神功皇后の実年代は120年遅い4世紀後半だよ。

156 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 20:24:42.78 .net
>>155まじで?知らなかったよ

157 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 21:17:03.42 .net
海外の史書との比較から、神功皇后は4世紀後半と考えられている。
遡って、崇神や景行が4世紀のはじめ、神武が2世紀末から3世紀の初めくらい。
神武東征後に畿内は大変革を迎え、崇神や景行の頃に筑紫を脅かす(畿内説が邪馬台国を想定する変化は実はこれ)。
神武が去った後の倭の王都である筑紫で卑弥呼が即位(記紀に登場しない)。
1〜2世紀の倭奴国(伊都国)の男王達が神代の日向三代。

158 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 21:20:22.64 .net
神武と卑弥呼が同世代という誰かさんの主張も、年代観だけは一致する。
しかし神武は大和、卑弥呼は倭の王都である筑紫にいた。
神武達は大和に間借りした小勢力で、畿内の主はそれを迎えた饒速日ら物部氏である(記紀にあるとおり)。
初期の前方後円墳は物部氏の墓制。

159 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 21:21:39.66 .net
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

160 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 21:47:43.19 .net
>>158
>初期の前方後円墳は物部氏の墓制。

その物部氏も忌部一族。
その証拠に、「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が
日本で唯一、忌部の郷、阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社で祀られている。  @阿波

161 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 22:07:12.14 .net
>>160
『先代旧事本紀』によれば、伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。  @阿波

162 :日本@名無史さん:2018/07/30(月) 22:10:14.46 .net
伊加賀志(いかがし)神社
http://sueyasumas.exblog.jp/10039623/

163 :日本@名無史さん:2018/07/31(火) 20:58:36.34 .net
神武で思いだしたけど
カンヤマトイワレヒコのことで
神倭=カンヤマト
倭=ヤマトでいいんでしょうか?
神武は日向でなく天草って本当かな?
天草にも全く有名ではないけど相当古い神社が何か所かあるって
聞いたことあるんだよな

164 :日本@名無史さん:2018/07/31(火) 21:56:19.26 .net
神武の出身地は筑紫の日向、倭国の王都である伊都国高祖宮、またの名をクジフル山の高千穂宮。

165 :日本@名無史さん:2018/07/31(火) 22:03:15.61 .net
>>163
正解

166 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 02:58:27.00 .net
神武は実は地方長官クラスの人間だった

167 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 03:27:38.99 .net
ぜんぜん関係ない話だけど
阿波おどり中止になるのか?
何か揉めてるみたいだな徳島
いろいろ大変だなガンバレ徳島

168 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 07:14:26.45 .net
>>167
往古より阿波踊りは倭国(阿波)と共に不滅です。  @阿波

169 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 07:29:17.61 .net
往古より阿倭踊りは倭国(阿倭)と共に不滅です。  @阿倭

或る時、倭の字を好字に代えられたなどと、怪しからん
倭を差別しとんのか、@阿倭は。

170 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 17:16:10.79 .net
>>163ですけど、ちょっと調べた
天草に御所の裏って地名があります
景行天皇の時代位?に御所があったそうです
この周りの島には海人族って人達がすんでいたそうです

171 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 17:27:28.92 .net
よかったな

172 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 17:56:12.29 .net
それは、景行天皇の九州巡幸の時の宮だよ。

173 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 18:38:01.27 .net
景行天皇が熊襲を大隅で退治して
肥後国経由で帰る際に肥後国を巡幸している。

その時に天草にも滞在したと書かれているね。

174 :日本@名無史さん:2018/08/01(水) 18:59:28.90 .net
>その時に天草にも滞在したと書かれているね。

うそこけ

175 :日本@名無史さん:2018/08/02(木) 21:27:27.57 .net
万葉集から見ると四国地方の歌は、どうなんでしょう
歌の数も少ないし、はっきり言って重要視されてませんし、
華やかさや美しさも感じません
四国地方が重要な都市だったとは到底思えません
一度万葉集を読めば想像つくはずです

176 :日本@名無史さん:2018/08/02(木) 21:35:30.79 .net
四国といえば坂本くんやね?
やすくにはんまいらんとあかん

177 :日本@名無史さん:2018/08/07(火) 14:42:59.45 .net
菊池は元々、鞠智=久々知だったんだから、
狗奴国のククチヒコは菊池の豪族で間違いない。
熊本一国を従えるのに、
魏の威光を借りなければいけない勢力が、
大和から熊本に接するまで、
勢力を伸ばしている筈が無い訳で、
邪馬台国は北部九州で100%間違いない。

178 :日本@名無史さん:2018/08/07(火) 15:12:19.41 .net
鞠智=久々知族がそんなに強かったのなら、
魏の威光を借りなければいけない弱小勢力と大戦になることもなかったろう。

鉄製武器を携えて新規渡来してきた肥一族に、テキトーに南へ追っ払われたのが先住民の鞠智=久々知族
(事実、菊池一帯の発掘調査で、先住民は追っ払われているそうな)
だから素より不和と書かれたのだろうな
ただし、肥一族は、地震の多い熊本は捨て去り、奈良で大出世したというわけだ

179 :日本@名無史さん:2018/08/08(水) 07:09:39.45 .net
邪馬台国は漢字の当て字字体が正しいのか
疑問点も多いけど
初期ヤマト(やまと王朝)は福岡の京都、行橋、田川
辺りで間違いない

180 :日本@名無史さん:2018/08/08(水) 07:49:00.10 .net
>>178
追い払った肥国から卑弥呼も卑弥弓呼も出てきたのでは?
あと、追い払われたとかいう人たちが大和へたどり着くことは難しいだろうし、そうなった痕跡もない。
記紀では、大和にいたのは饒速日も神武も高天原の末裔であり、王族だ。

181 :日本@名無史さん:2018/08/08(水) 10:11:04.18 .net
弥生時代の北部九州の遺跡数は多すぎるので、
ちょいちょい他所に出ていく部族もあっただろうね。

それが饒速日や神武だったんだろう。

182 :日本@名無史さん:2018/08/08(水) 10:23:45.92 .net
>>181
>ちょいちょい他所に出ていく部族もあっただろうね。


悲しいかな、九州には「忌部一族」のような外に出ていく部族が存在しない。  @阿波

183 :日本@名無史さん:2018/08/08(水) 21:45:37.86 .net
>>178奈良は>>59だぞ
奈良の古墳の地層からの水銀調べてくれ

184 :日本@名無史さん:2018/08/09(木) 00:26:16.57 .net
奈良時代に古墳はないぞ

185 :日本@名無史さん:2018/08/09(木) 06:03:09.98 .net
あっ集落か
生活の跡地で

186 :日本@名無史さん:2018/08/09(木) 08:10:22.22 .net
奈良は集落すらまばら。
九州みたいに集落が無数に並んでいる状況ではなく、人口密度そのものが低い過疎の田舎。

187 :日本@名無史さん:2018/08/09(木) 10:21:40.04 .net
>>186
>九州みたいに集落が無数に並んでいる状況ではなく


だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。  @阿波

188 :日本@名無史さん:2018/08/09(木) 22:33:49.17 .net
九州だけ
金の耳飾りや王冠、金印、玉爾
阿波や畿内からは出ていない
海外との交流を示せるのは九州だけ 

189 :日本@名無史さん:2018/08/09(木) 22:57:18.52 .net
時代が滅茶苦茶

190 :日本@名無史さん:2018/08/09(木) 23:05:03.67 .net
平原遺跡より後も筑紫の繁栄は続いたんだよ。
畿内説では衰退したことにしたいらしいけどね。

191 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 10:33:36.19 .net
>>190

だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。  @阿波

192 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 11:18:31.63 .net
博多のように弥生時代から現代まで連続して繁栄してる場所もありますからね。

193 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 11:37:12.13 .net
>>192

だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。  @阿波

194 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 11:50:05.81 .net
阿波は何が言いたいのか意味が分からないな。

195 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 11:57:05.10 .net
>>194

だろうね。  @阿波

196 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 12:29:21.42 .net
ただの、泡踊り中毒、5ちゃん中毒患者だろ

197 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 18:17:28.60 .net
九州の倭人王様の初代は誰なんだろう?
初代とおぼしき墓はどこなんだろう?
九州から出土した珍しい出土品は何を示すのだろうか?
誰か教えて下さい 

198 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 19:07:33.02 .net
初代アマテラスは吉武高木遺跡のだろうね。

199 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 20:10:59.24 .net
伊都で最初の王墓である三雲南小路が卑弥呼の前の男王の最初で、細石神社の伝承から考察するなら筑紫の日向三代になる。
年代的には倭奴国の金印をもらった頃だろう。
アマテラスはその祖父なので、紀元前後の王になる(高天原にいたので筑紫にいたのは大山祇の方かも)。
須玖岡本はもっと古いので、例えばイザナギとか高木神とかかな。

200 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 20:11:42.46 .net
間違えだ。

伊都で最初の王墓である三雲南小路が卑弥呼の前の男王の最初で、細石神社の伝承から考察するなら筑紫の日向三代になる。
年代的には倭奴国の金印をもらった頃だろう。
アマテラスはその祖父なので、紀元前後の王になる(高天原にいたので筑紫にいたのは大山祇の方かも)。
吉武高木はもっと古いので、例えばイザナギとか高木神とかかな。

201 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 20:15:26.74 .net
イザナギ(壱岐対馬伊都王)とイザナミ(豊国女王)が結婚して
アマテラス(北部九州倭王)だからね

吉武高木がアマテラス初代=高木神

202 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 20:47:20.08 .net
夏休み大企画
伊都国妖怪博物館!

203 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 21:38:50.41 .net
>>202
キナイコシ=朝鮮の人

狗邪韓国は倭人領土だよね?

204 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 23:41:24.05 .net
ちがう、おそらく同盟国ではあったろうけど

ヒナモリがいるのは対馬までだから
対馬までが版図だろう

205 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 23:51:09.50 .net
それでは輸出するときの港が確保できない。
半島南部に、どんなに小さくてもいいから、港が欲しい。
狗邪韓国に人口の記事がないのは、そういうことなのではないだろうか。

206 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 04:31:39.69 .net
意図がよくつかめない
なにかを輸出するなら相手は輸入する訳で
商売として成立してるなら港を確保する必要はない

というか当時としては
普通に韓国のが進んでいた時代だろう

倭国にはまだ馬もいない時代だ
戦争して勝てる相手じゃないよ

三韓で争っていたからこそ、後ろ盾に
狗邪韓国が倭国と同盟結んでいた状態だろう

207 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 07:02:26.11 .net
魏志を読むなら、倭の方が進んでいた印象だと思った。
貿易先の港が相手国だと関税とか面倒だが、そこに租界を確保してしまえば、そこから先は陸路で勝手にどうにでもなる。

208 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 13:06:51.62 .net
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gisi_kanden/gisi_kanden.htm#bakan
>「馬韓人の性格は強く勇敢である。

>その(馬韓の)北方は
>(中国の)郡諸国に近く、やや礼に通じているが、
>遠いところは囚人や奴隷が集まっているに等しい。」

魏志韓人伝でも、南の方をより野蛮扱いしてる訳で
それより南にある倭国は
鬼道なんかで政治をやってるような
さらなる蛮族って扱いな訳だ
(そう、はっきり書いてなくても認識として)

209 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:08:56.95 .net
もっと分かりやすく教えて下さい
九州一番目の王様と関係場所→九州2番目の王様と関係する場所→九州3番目
みたいに分かりやすくお願いします
宿題にしますから

210 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:15:26.82 .net
紀元前 吉武高木 高木神?イザナギ?
1世紀 三雲南小路 ニニギ?
3世紀 平原 卑弥呼

211 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:31:46.66 .net
新唐書日本伝

国王の姓は阿海(あめ)氏、彼が自ら言うには、初代の国王は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、
彦瀲(なぎさ)に至るにまですべて三十二代、いずれも「尊(みこと)」と呼ばれ、筑紫城(ちくしじょう)に住んでいた。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。

というわけで、紀元前2世紀頃の吉武高木から平原を除く筑紫の王墓は32世分あるはずだが、きちんと発掘されたのは一部のみ。
その間はおよそ500年分となる。
平原の直前に神武が筑紫を出て大和に向かった。
平原遺跡は倭国大乱後の最初の女王墓であり、卑弥呼や壹與の時代の記録は、大和のローカルの歴史書である記紀にはない。
新唐書は倭国滅亡後に大和側がまとめた日本書紀に準じた内容となっている。

212 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 16:41:32.44 .net
神武が大和に向かった動機はなんだろう?
筑紫の大王or将軍として攻め込んだのか。
九州説者の一部が言っているように敗者として落ちのびたのか。
それと
宮崎がからんでいるのかどうか。
考古学出土物からは大分は筑紫と密接に繋がっているけど
宮崎との関連は希薄。なのに突然前方後円墳が出現する。不思議。

213 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 17:59:05.43 .net
>>212
>神武が大和に向かった動機はなんだろう?


そんなこと、出来るわけないでしょ! 常識を働かせなさい。  @阿波

214 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:07:30.55 .net
済美強いな
面白い野球を見せてもらったわナイスゥ〜

215 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:24:58.81 .net
>>212
筑紫の大王の将軍として攻め込んだんでしょうね
そしてそのまま土着。

216 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:28:34.21 .net
>>215

そんなこと、出来るわけないでしょ! 常識を働かせなさい。  @阿波

217 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:35:41.03 .net
>>215
動機がわからないんだよね。

饒速日が先に攻め込んでいるのだから、北部九州倭国としたらそれでいいはず。
なのにまた攻め込む理由とすれば、
長髄彦と饒速日が組んで独立して、それをまた征服しに行ったのか。

いずれにせよ
出征するのはいいけれども、
その直後に倭国乱が起きるのも不可思議。

倭国乱の前兆となる派閥争い(海幸彦と山幸彦の争い)などがあれば
軍議を発動できないはず。

218 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:46:24.63 .net
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219 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:48:11.00 .net
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          /!、`ー─‐'" /ヽ、    \_____________
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     /       - 、  /  ヽ/   /~ヽ  l
     l             l   。l   /    |  |   ! キラーン
    |   |   。      ー´ノ /    |、|  |  -*-
     |   |__ `ー - ´    ヽ〈/    / (U/|  i
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     |、|  `ヽ   、   つ_/  |、└っ
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     |   |   /     ノヽ
    |  |   |     / l〈
    〈   ヽ  〈      ノU
     l_|_l_l_リ   `ー―

220 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:50:23.21 .net
>>217
>動機がわからないんだよね。

やっと、常識が働きだしたのかな?  @阿波

221 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:55:00.58 .net
曹操も自ら各地を転戦してたからな。
アレクサンダーもそう。
だから北部九州倭国の大王が自ら出征することはあり得る。

222 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:56:32.86 .net
@阿波の九州説背乗りスレ

223 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 19:59:37.98 .net
              @  @ @
              |\/\/|
              └───┘
               /. @阿波 ヽ
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 /  /┘ .   /  /┘.    /  /┘ └\ \   └\ \   └\ \
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ      ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ    ノ ̄ゝ     ノ ̄

224 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 20:02:55.31 .net
>>222
>@阿波の九州説背乗りスレ

ええぇ!  そう来るかい???  @阿波

225 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 20:07:13.19 .net
          ☆ ★          -=-::.
      _ノし//        /       \:\
     /    /\       | @ 阿 波   ミ:::|
    /(__/ ̄ ̄ヽ∧     ミ|/ \,,lll,,/_\  |;/
   | |       | |     ||..::+;;::;| ̄|. (;:;;;.;|─/ヽ
   ||  C    | |     |ヽ二/  \二/   ∂
   |/ ヘ    ヘ ヽ|     /.  ハ - −ハ   |_/
 金ニニニニ_]金ニニニ__]イ )"   |  ヽ/ヽ/\_ノ  / |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    V   (_)   V     .\、 \しw/ノ.ノヽ / / <仏罰を下す!川上環濠集落!!
    ,.'∠,-ノ (  ヽ  |    / \i ___ //   \____________
   / 三|∧∧>)ノ   /  ノ|  ・   ・     |
  / ___r' しw    ̄ " ''-、 / i           ∧ l
/   /  ‐∪-‐  、    ', )  |  x       |   /
(   /_.-‐ヽ      ',    ', .ノ        .!  /
 ヽ-‐'´    .',     ./   ./   ∩    .(nnn)
          '__r' ̄`__/\, (;)(;;)   )
        ☆E_:/ ★  } /  /  /
        /\ /|||ヽ/   |  (  <
        / 蛮金||イ─☆ /   ヽ  ヽ
        | 从l川イ从   /    (´__)
        | /ヽ_,ノ\  |
       ☆  | | ★ |

226 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 20:09:49.84 .net
     /ヾ   ;; ::≡=-
   /:::ヾ          \
   |::::::|    @ 阿 波   |
   ヽ;;;;;|   -==≡ミ  ≡=-|ミ
  /ヽ ──|  ● | ̄| ● ||
  ヽ <     \_/  ヽ_/|
  ヽ|       /(    )\ ヽ
   | (        ` ´  | | < ちんちん出しちゃった!
   |  ヽ  \_/\/ヽ/ |
   ヽ  ヽ   \  ̄ ̄/ /
    \  \    ̄ ̄ /
    /     ゝ ── '   ヽ
   /   ,ィ -っ、        ヽ
   |  / 、__ う 人  ・ ,.y  i
   |    /        ̄ |  |
   ヽ、__ノ          ノ  ノ
     |      x    9  /
      |   ヽ、_  _,ノ 彡イ
      |     (U)    |

227 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 20:18:43.13 .net
              -==-
             /バ カ ル ト ヽ
      ,,,,,,..;;.,,,,  !::: =≡ ≡=ヽ
     r'    `-,( -(;+)〜(;;;)-彡<さ、さてつぅぅあつめメェェェ・・・・
     !      ||  六- -六 ヽ|,---.,.--,,
     l  ,..,,..ソ,,ノヽ.ヽ┌―┐ノ ./     `.、
     .!,!./ _,.. _,..l' ゝ.. |::::::/| /(      |
     /`、  ゝ/,.-'"┌. .∨ `--y,,..,,...,,,...,,..,ノ
    /  l `ー-'ヽ.   l。      i -' `- ..ソ <はいはい@阿波さん、お尻拭きまちょーねー
   /   l  \l' y  l。  /   lヽ. '__ ./ `ヽ
  r'─-、 ̄`ー` i  .l。  /   | \-' ,   ,,\
 / `l  `l  /  l   l。     .l   ヽ    i  .ヽ
 :==;i   i/、  ∧.  l。     i`,   `i ,,  /;  `、
 :三;_,,..-''"i_,,,/ i-=========-∧,..~`-'   /_,   `..、
.l    i  l _,,.-'"       ,.-,', , /   ,      i
.L____`、-'     ヽ ;;;;;;;; / ,.///ノ.く   / \ ヽ  `l
 l:::::::::,.-'"     `  (;;;U;;;)ヽ` `'`' \/  ヾヽ / l
 l::::r'"        ,. '"     ヽ.    \   ヽ   /
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 `:::l     「ヾヽll          ll,ー   /:::::∧::::::::::::/
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  `::l    `ll  ll         :lll::   /:::::l l::::::::::::::/
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  l:::::::::::::i/`========'`ヽ_,.l::::::l::::::::::::::l
  ;::::::::::::/ミ /'           `、 i ゝ::::l::::::::::::::l

228 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 20:22:51.78 .net
@阿波すげえ
時代の最先端

229 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 20:23:41.99 .net
手早く、上手いもんだね。  @阿波

230 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 20:25:08.48 .net
     @  @  @
     |\/\/|
     └────┘
    /       \:\
    .| @ 阿 波  ミ:::|
   ミ|_/\;;;´::`;;/=_、:::|;/
    ||..-o-| ̄::|-o―ヽ-/ヽ
    |::ヽ二/ ::::\二/:::::∂  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ./. :::ハ - −:::ハ::::::: |_/< おりゃ、ホケノ、欲しいか?欲しいか?
   |  ヽ/__\_ノ  /   \___________
  "\、 ヽ| .::::/.|/ヽ /
     \ilヽ::::ノ_ /
    /  しw/ノ  \
  /  `'ー  ̄     )/ ̄ ̄\
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\ ヽ |    | .  /   /| | ハ  ヘ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  \⊇ -‐ノ   | /=|/|/=\ |< くっくださ〜い!!阿波ターーーン
    |     .  |イ 。- ∧ ゚- ヽ|  \___________
   ( /⌒v⌒  ヒ|    ( )  |ソ              ______
パンパン|    '"\ |     ̄  | .n∩n          /壱 / /万/|  
    /      . ヽ  ヽ三ヲ ノ |_||_||_∩  .  __ |≡≡|__|≡≡|彡|_____
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231 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 20:26:21.17 .net
は、は、は、 見事。  @阿波

232 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 00:27:31.19 .net
倭国大乱で天孫族が倭王の座から滑り落ちたか、倭王の座を巡って天孫族内部で抗争があったか。
神武は大和まで何年もかかって移動しており、単なる遠征ではない。
落ち着く先を探していたように見える。
既存の勢力が少なく、親戚筋の饒速日が支配していた大和は、落ち延びる先の空白地帯として都合が良かったのだろう。

233 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 00:35:03.92 .net
伊都国の官は禰宜とあり、邇邇芸の家系の天孫族の末裔で間違いないだろう。
そもそも神武は四人兄弟で、兄と神武の二人だけが筑紫を出ている。
残りの兄弟は筑紫に残ったのだろう。

それで思い出すべきなのは、日向王家2代目の海幸山幸であり、戦いに敗れた海幸が宮崎に落ち延びて隼人の祖となったという。
魏志倭人伝において、邪馬台国と投馬国が広域国家として併記されているのも、海幸山幸伝説とリンクしているのかもしれない。
家督争いの勝者が筑紫に残り、敗者が筑紫を去ることが常だったのかもしれない。

234 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 04:48:17.73 .net
>>233それだな

235 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 12:01:08.91 .net
>>187筑紫には弥生中期以降の有名な「裂田の溝」
(さくたのうなで)があります日本一古い構造物とあり、当時の灌漑用水の水路といわれ
ています
現在も利用され、夏はホタルがいて子供たちの水遊び場となっています
裂田の溝と安徳台の集落跡地を知って下さい
@東京

236 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 12:09:19.48 .net
>>234

新し過ぎ。  @阿波

237 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 15:08:02.90 .net
季刊邪馬台国とか定期購読している人いる?

238 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 01:52:41.97 .net
>>146奴国の奴(な)という漢字を調べました
長くなるから要約すると
な=奴、儀、浦、名、湊、那
もともとは全て同じ(な)と読みます
浦=現在でも壱岐では浦を(な)と読みます
じつは浦島太郎はナシマ太郎だったんですね
福岡の名島神社の山頂跡地からは金箔の瓦が発見されています 
竜宮城は福岡の名島

まさかの奴の漢字から、こんな所にたどり着くとは
楽しいなあ

239 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 02:09:44.57 .net
漢字間違えました
儀=ニンベンに難

240 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 06:09:40.89 .net
金箔瓦は九州では名護屋城跡、名島城跡、唐津城跡、
中津城跡、麦島城跡(八代市)、日野江城(島原市)などで見つかっている

文禄・慶長の役では、名護屋城を本営として、壱岐や対馬を前衛拠点、
筑前の名島城などを後衛の拠点としていたことが知られている

241 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 07:50:02.15 .net
もとの名島神社跡地に名島城があったんだよね
そこから出土した金の冠は京都大学が持って行った
金箔付きの瓦が三笠宮へ
京都大学は公開しないのかな
安曇阿曇族の島とも言われる名島
興味津々だわ

242 :日本@名無史さん:2018/08/15(水) 02:26:12.56 .net
奴国、浦国、那国、湊国

243 :日本@名無史さん:2018/08/15(水) 11:48:23.24 .net
七夕池古墳の埋葬者は女性らしいんだが誰なんだろう
平原も女性だろうけど
鏡の大きさは平原だけど玉は3300も出てる
鉄剣も立派
この地方の王の嫁?

244 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 08:19:06.85 .net
どうしても香春神社が気になって仕方ない

イワレヒコがウネビヤマの麓にカシワラの宮をつくり....
とあるんだけど

どう考えても田川郡の畝尾山の麓にあったカワラ神社としか考えられない
現在の香春神社は移動している
誰かご教授を@ 

245 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 08:26:41.61 .net
橿原が香春、高良、香椎、橿日などからの地名の移転であることは明らか。
越も同じ語源とのこと。
原は集落や広場の意味だし。
ただ、神武の場合は、故郷の名前を偲んでつけたという程度でしょう。
九州北部から畿内へは他にも多くの地名が付け直されていますから。

246 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 08:38:28.18 .net
>>245
>九州北部から畿内へは他にも多くの地名が付け直されていますから。

それ、間違いだよ。  倭国(阿波)から九州北部や畿内へ広まったんだよ。  もちろん、九州北部と畿内だけじゃないよ。  @阿波

247 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 21:13:26.93 .net
阿波は600年以降の伝承ばかり

248 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 21:21:57.00 .net
>>247
>阿波は600年以降の伝承ばかり

例えば、なに?  @阿波

249 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 22:04:29.21 .net
なぜ色々な地域に卑弥呼や邪馬台国があるのか?
福岡朝倉や四国なら高根悲願や奈良とか
なぜなんだろうか?
卑弥呼には沢山の護衛がいたらしいから
その護衛を食べさせる何かがなかったら成立
しないよね?他の地域はわかりませんが。
昔から銅山と竜骨のある田川でFAで良くないか?

あと面白いの発見したよ
英彦山の南岳山頂の小さな祠の中にある石像かな?が
昔の衛兵か戦士みたいな格好している。
珍しい。気になったら見てください。@to
     

250 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 15:23:01.59 .net
倭のワって何なんだろう
何で大倭をヤマトと読むんだろう
元祖キラキラネームか

251 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 18:46:17.45 .net
ヤマトはもともとの「日本語」の地名

倭は、論衡に記された百越の流れの「中国語」の民族名

252 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 18:46:52.00 .net
大倭⇒大和をヤマトと読むのは、当て字(あて読み)

253 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:20:44.07 .net
漢字だけの雰囲気で読み取るなら
投馬国は
1.山口と福岡の境目
2.隈本市と天草島への境目
3.九州から四国への境目
馬を投げ(捨てる)ないと向こう岸に行けない土地だね
四国の宇麻(うま)だったりして
な〜んて思ってたりします@to 

254 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:36:03.68 .net
で熊本の人に馬で思い付く土地は?って聞くと
阿蘇山って言うんだよな
阿蘇山には馬がいるし、昔は野良馬もいたって言うし。
昔は馬を食べたりしたのかな?
高齢馬はどうされていたのだろうか
もしかして阿蘇山に放馬(捨て)していたのかも知れないね

255 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 09:13:29.25 .net
>>254
今も熊本土産は馬肉 馬を食べる

256 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 20:49:31.60 .net
熊本県だって昔は隈本
隈とは、境目や別々を意味する
熊襲も隈襲かもしれない
隈襲は別世界だったかも

257 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 21:15:33.81 .net
狗奴国の王と邪馬台国の女王が似た名前だから、筑紫と熊襲は同根でしょうね。

258 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:21:06.92 .net
今BSのTBSの諸説あり!でやってるけど
金印は偽物とか解説してる
福岡市博物館は292の印鑑あるんだってな
本物偽物もふくめてな

259 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:35:22.92 .net
あ、やっぱり本物だったと解説してる
本来駱駝の形を作り直した蛇の印鑑だと
後漢の洛ようより北の印鑑は駱駝で南は蛇と決まっていた

面白いわ

260 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:42:27.16 .net
金印の読みは、漢の委奴国の王で決まりだな

261 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:46:58.42 .net
井原鑓溝遺跡が王の墓だと
江戸時代に農民が宝物を取り合ってしまったらしい

262 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 07:10:54.74 .net
もし、卑弥呼=アマテラスだったら
英彦山が拠点だな
日子山→彦山→英彦山
女山は誰の拠点なのか

263 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 07:34:33.01 .net
卑弥呼vs卑弥弓呼
日見子vs日見夜子
太陽vs月    

264 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 07:38:06.31 .net
日御子

265 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 11:52:19.13 .net
>>261
>井原鑓溝遺跡が王の墓だと
>江戸時代に農民が宝物を取り合ってしまったらしい

青柳種信が、詳細なスケッチを残してくれたから、どんな鏡があったかが分かる

266 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 11:53:40.10 .net
>>263
>日見子vs日見夜子
>太陽vs月  

太陽と月の対比だったら
日見子vs月見子  になるんじゃないかね?

267 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:06:37.80 .net
そこは月詠であるべきだが、卑弥弓呼についての考察なのだろう。

268 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:46:35.81 .net
>>267
>そこは月詠であるべきだが、卑弥弓呼についての考察なのだろう。

卑弥弓呼を意識するなら、月詠・月読ではなく、月弓の字を当てるべきじゃないかな?

まあ、卑弥は、どうやっても月とは読めないけれど

269 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 15:16:22.54 .net
弓はそもそもなんと読むのだろう。
弖の書き損じだったりしないだろうか?

270 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:06:27.20 .net
追加

漢字だけの雰囲気で読み取るなら
投馬国は
1.山口と福岡の境目
2.隈本市と天草島への境目
3.九州から四国への境目
4.筑後平野有明海沿岸(洲島と低湿地 交通は水路を舟のみで)

馬を投げ(捨てる)ないと向こう岸に行けない土地だね
又、投馬(とま)は苫屋(葦で作った家)に通ずる。

271 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:36:32.17 .net
>>269
>弓はそもそもなんと読むのだろう。

上古音でkiong、中古音でkiungみたいだよ

弖は、日本で作った国字だから、中国の文献には一切ないし考える必要はないよ

272 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:42:46.35 .net
>>265金印はここから出たと比定してる学者さんもいるんだよ
鑓溝が見つかって一年後に金印がでてくる
金印のあった場所は他に何も出ない
そんな訳ない、みたいな事を言ってたよ
 

273 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:53:05.52 .net
金印は細石神社に保管されていて、志賀島から出たことにした、という話もあるね。

274 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:05:57.73 .net
>>269それだ!
弓と月。似てる、それは思い付かなかったわ
太陽と月なら仲悪いな

275 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:35:08.54 .net
>>272
>>265金印はここから出たと比定してる学者さんもいるんだよ
>鑓溝が見つかって一年後に金印がでてくる

これはちょっと面白いと思う
ただ、鑓溝についての記録からすれば、持って行ったのは「近隣の住人」であって、
それが志賀島まで埋めに行くのもちょっと考えにくいなとは思う

>金印のあった場所は他に何も出ない
>そんな訳ない、みたいな事を言ってたよ

一応、石囲いはしてあったみたいだけれどね
偶然や自然の堆積で埋もれたのではなく、埋めようと思って埋めたのは認めていいみたい

276 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:40:10.51 .net
>>273
>金印は細石神社に保管されていて、志賀島から出たことにした、という話もあるね。

ただ、細石神社はもともと小さくて、そんな大層なものを保管しているような
格式がなさそうなんだよね

九州説、特に伊都国説の人はやたら細石神社を持ち上げるけど、
旧社格は村社だし

社伝では、昔は大きかったみたいに書いてあるけれど、志賀島金印が見つかった天明4(1784)年は
その社伝でいう太閤検地で没落した後だし、その頃まで持っていられたとも思えない

277 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:57:24.55 .net
>>276
だから、手放したんだろうよ
厳しくなり、売った?とかのヨタ話もあったような?
噂に尾ひれがついただけかもしれんから、まぁそんな事もあるかも?ぐらいに

278 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:21:43.47 .net
>>277
>だから、手放したんだろうよ
>厳しくなり、売った?とかのヨタ話もあったような?

太閤検地が何年とは言いがたいが、秀吉が太閤になったのが1591年で16世紀末
社伝ではこの時期に没落したことになっている

そして志賀島で金印が見つかるのが天明4(1784)年
200年くらいも後なんだよ

200年がんばれたなら、いくらでもがんばれそうなものだが?
苦しくなって財産を手放すのは、せいぜい数十年くらいのスパンだろう

279 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:41:08.47 .net
なんで手放したのかは知らんが、志賀島から偶然見つかるよりはマシだ。

280 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:27:27.00 .net
眉唾

281 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:32:23.93 .net
卑弥呼はアマテラスかもなあ
ツキヨミ?ツクヨミ?
卑弥月呼となったか

282 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:32:46.30 .net
>>279
「漢委奴国王印 いわゆる金印」というスレがあってだな、
金印については詳しい人が詳しく書いてくれてるよ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1338710507/

まあ、気が向いたら、最後ら辺のまとめだけでも読んでみて

283 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:58:52.62 .net
実はヒミコの方こそ読み違いで
卑弥呼=ひみよび→ひみよみ
だったりして?な〜んてね。

284 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:02:17.60 .net
ピムカつまり日向という説もある。

285 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:16:29.10 .net
>>283
音読みと訓読みを混ぜると冗談にもならんぞ

286 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:21:21.93 .net
そんな堅いこと言いなさんな
いけず〜

287 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 00:11:01.32 .net
訓読みを混ぜちゃダメだな

288 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 11:56:02.15 .net
私が先日のBSを見てて一番面白いと思った点は
金印のツマミの部分の蛇の形が不細工な点について、です。
テレビの学者?さんが言った
本来は駱駝の形で彫っていたが、
日本の使者の話を聞いてみたら、
「北から来たと思っていた使者が、実はみなみ

289 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 12:09:28.54 .net
南側から来たと知り
急いで作り直したから不細工な蛇の形なんだ
と発表した点です。
言われてよく見ると駱駝の下半身の形に見える

つまり
もしかすると本当に中国は金印渡すまで、
日本の場所に方向音痴だった。
倭人伝の方向音痴説もあり得るなあって

金印だけで、こんなに面白いとは@東京

290 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 12:28:40.51 .net
>>289
>南側から来たと知り
>急いで作り直したから不細工な蛇の形なんだ

南から来たので蛇の形にしたの? なんで南だと蛇なんだろうね?
それと、倭国(阿波)は北や南じゃなく、東なんだけど?  よく分からん話だね。   @阿波

291 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 13:07:36.33 .net
>>290洛陽からみて南側は蛇、北側は駱駝って決めていたみたい
実際に北側から出た駱駝の印鑑と形がにていましたね
日本の金印は駱駝の頭を取った胴体の形だと言ってました

面白い内容のテレビでした

292 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:03:44.71 .net
なぜ古代の地名等に
「あ」から始まる呼び名が多いの?
天毎アマ、阿波アワ、阿多アタ、
もしかして昔はアア、アカ、アサ、アタ、アナ〜
アカサタナハマヤラワ全てに「あ」を付けていたとか?
もしかして阿蘇からの派生はみんなアを付けたのかねぇ?
詳しい人いたら教えて下さい
m(__)m

293 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 21:00:27.99 .net
>>292
自分の携帯のアドレス帳見てごらん
あ行が圧倒的に多いでしょ?

それだけのことじゃないの?

294 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 00:18:07.68 .net
アが何なのかは興味ある
意味があるのか単に語感が良いからか

海も天もアマなのも気になる
これではワイは天から来たんやで、と言ったら相手に
海から来たんかーと勘違いされる

295 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 07:21:03.81 .net
間違ってない。
古事記で海と山、アマとクニは基本的な倭国の二大体制として描かれている。
天津神は海の支配者、アマテラスは海の王のこと。
倭国の本貫地は対馬海峡だろう。

296 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 07:54:54.79 .net
>>295
>古事記で海と山、アマとクニは基本的な倭国の二大体制として描かれている。

「海」は狗奴国(長国)勢力、 「山」は邪馬台国(粟国)勢力を例えているんだよ。
こんなに具体的に説明できるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波


297 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:04:12.62 .net
阿波国の評判を落として回る@阿波哀し

298 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 02:40:32.98 .net
>>292に付けたし、説明質問不足ですいません
私が聞いてみたかったのは
例えば
阿蘇=阿+蘇=氏+名=出身校+名前
もしくは、家系+名前みたいな
始めの頃の天皇に神の漢字が多く使われ
ている様な感じなのかなと?
詳しい人がいたら教えて下さい
m(__)m

299 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 19:53:45.08 .net
壁|ω・)
やはり...
ただの偶然だったかぁぁ阿

300 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 00:39:02.90 .net
@阿波さんならきっと阿波の阿が何なのか教えてくれるはず!

301 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 09:28:44.59 .net
>>300
阿波は、元明天皇のときの諸国郡郷名著好字令で2文字の阿波にしたのであって、
もともとは粟国だよ

302 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 10:26:40.61 .net
>>301
>もともとは粟国だよ

その「粟国」に統一される前は北方「粟国」と南方「長国」の二国。
狗奴国=長=那賀
邪馬台国=粟=阿・倭かもね。  @阿波  


303 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 10:33:31.86 .net
長国は忌部(海人族)だから、日本各地に「那賀」の地名が残っているでしょ。  @阿波

304 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 10:43:40.26 .net
阿は、曲がる、曲がっていく、の意味
波は、波の意味
つまり、波が曲がって渦を作る国の意味だ。

同様に、
阿蘇の阿も、曲がる、曲がっていく、の意味
蘇は、よみがえる、元に戻るの意味
つまり、阿蘇山のふもとの道を行けば(カルデラ内を)ぐるりまわってもとに戻る国の意味だ。

305 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 17:42:55.84 .net
阿の訓読みは阿る

306 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 07:13:58.40 .net
http://n2ch.net/r/-/newsplus/1535123927/298-?guid=ON&rc=645
ニュース速報+に立つてたけど
本当かいな?
関係ないけど阿多田嶋って気になるわ
古そうな古墳もあるし 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:39828eafcc6c2073b074103bd7eecdc9)


307 :色川高志「クソ関東連合っ!! テメエらまとめてぶち殺すっ!!」:2018/08/25(土) 15:41:51.97 .net
色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)

308 :日本@名無史さん:2018/08/26(日) 16:27:32.29 .net
>>306朝鮮と大和が合流して住んでいたみたいだな
スレ伸びて戦ってる人もいるw

309 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 12:27:03.27 .net
昔の福岡って漢字の意味が素晴らしい
神様のご加護を賜る神聖な小高い丘 
って意味があるらしい
福岡は神様の国なんだね 

310 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 12:50:48.80 .net
倭人伝の方角を
北→東
南→西
東→南
西→北
に変換してみたらどうだろうか?
金印を製造時までは倭を北側にあると思った
南側にあると知って、
慌てて金印のツマミの駱駝を蛇に作り替えた説
これ面白いし、金印をよく見ると本当にそう見える
倭の場所も知らないんだから
距離も方角も正確な訳ないかも知れない

311 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 13:08:10.34 .net
福岡という地名は比較的新しいのだろう?

312 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 13:35:09.93 .net
福岡は元
黒田の地元 播磨福岡が元。

313 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 17:48:12.78 .net
福岡の元来の地名は、那珂とかじゃないの?

筑紫は、筑紫野市大字筑紫の辺りがもとらしい

314 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 18:19:49.76 .net
筑紫神社かな?

315 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 18:24:54.50 .net
筑紫神社の隣の大字が、筑紫なんだってさ
今の筑紫神社の地名は、大字原田になるそうだ

まあ、いずれにしてもその辺りが筑紫発祥の地ってことでいいと思う

316 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 18:39:57.77 .net
>>315
>まあ、いずれにしてもその辺りが筑紫発祥の地ってことでいいと思う


まあ、いずれにしてもその辺りが「筑紫忌部」の入植地だよ。  @阿波


317 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 20:44:20.87 .net
粟が出てきてまぜっかえすと、みんな呆れてスレが止まるからいやなんだよな

318 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 21:30:59.96 .net
そうだ、そうだ、ジージのはとんでもギャグ

319 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 22:16:58.19 .net
丘と岡でもぜんぜん意味合いが違うらしいよ
どっちのオカか失念したが、昔はなかなか使えない
オカの漢字だったような

話変わるけど日本女子大卒の倉西ゆう子ってひとの
解説は面白いな
こんど本買ってみるわ
知ってる人いますか?@東京

320 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 22:21:27.94 .net
筑紫は
中華の紫禁城だか紫園だかを真似たんじゃ
なかったかね?
詳しくは知らないけど

321 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 22:23:00.07 .net
>>317
>粟が出てきてまぜっかえすと、みんな呆れてスレが止まるからいやなんだよな


「呆れる」んじゃなくて、「反論できない」からスレが止まるんだろ?  君がいい例だ。  @粟


322 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 23:33:12.70 .net
粟か。栗に空見したわ

323 :日本@名無史さん:2018/08/30(木) 10:47:01.30 .net
>>319
>話変わるけど日本女子大卒の倉西ゆう子ってひと

この辺りをネットで読むところから始めたら?
http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/

春秋年(二倍年歴)に頼らない紀年論としては、一番しっかりしてると思う
個人的には、允恭天皇以前は春秋年で読んだ方が筋が通ると思っているけれど

324 :日本@名無史さん:2018/08/30(木) 10:48:27.94 .net
>>322
>粟か。栗に空見したわ

栗ご飯を混ぜっ返して蒸らすのはおいしいんだけどねww

325 :日本@名無史さん:2018/08/30(木) 13:26:28.67 .net
粟ご飯は美味しくない。
栗ご飯は美味しい。

スマホだと区別できないな。

326 :日本@名無史さん:2018/08/30(木) 16:58:02.67 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

327 :日本@名無史さん:2018/08/31(金) 06:22:42.34 .net
>>323親切にどうもありがとう

328 :日本@名無史さん:2018/08/31(金) 17:01:04.93 .net
>>327
あと、春秋年を前提とした紀年論では、高城修三の「紀年解読」が面白いよ
http://takiren.sub.jp/kodaisi02htm.htm

古事記と日本書紀が、共通の典拠資料を基に、それぞれのルールで暦年を記載していると
いう考え方から、記紀の紀年を復元するという作業仮説で、説得力があって面白い

ただ、その復元された紀年は、記紀の共通典拠資料の紀年でしかなくて、
そういう伝承が記紀(またはその前の国記)の編纂時まで伝えられていた、
というところまでしか言えない

それが、歴史の真実という訳でもない

329 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 18:08:51.14 .net
福岡赤村の古墳は本当の古墳なのか?

330 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 18:49:25.58 .net
女山、長谷、蜘蛛塚古墳、権現etc
これだけ見ても女王国は福岡で間違いない
と思う
卑弥呼はわからないが女王国なのは間違いない
あと糟屋郡も調べてほしいなあ

331 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 18:53:48.61 .net
>>330
>女山、長谷、蜘蛛塚古墳、権現etc
>これだけ見ても女王国は福岡で間違いない
>と思う

福岡の人?  郷土愛があふれているね。  @阿波


332 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 20:58:40.37 .net
土蜘蛛って独特よ
他の地域に同じような地名ある?
土蜘蛛から調べたほうが女王国卑弥呼へ繋がりそう

333 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 21:45:40.83 .net
同意する。
土蜘蛛とされた勢力は女王国の中の勢力だな。

334 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 21:57:27.06 .net
>>333

「土蜘蛛」とは、「登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」のことじゃないの?  @阿波


335 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 04:27:26.22 .net
>>334その解釈ちょっと無理がない?
土蜘蛛は福岡の蜘蛛塚
蜘蛛塚は雨が降ると塚から血の雨が流れる
という怨念みたいな言い伝えまである
 
女王国があって、各国の王や天皇が
通い妻ならぬ通い旦那していたのかな

しかし相手に敬意をはらわない土蜘蛛って
言い方が気に入らない
時代劇の悪代官に乗っ取られた気分
憤りしか感じないわ

336 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 06:55:13.69 .net
>>335
>その解釈ちょっと無理がない?

脛の長い「土蜘蛛」=「登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」の本貫地は倭国(阿波)板野郡板野町川端
神武東征の舞台は阿波国内であり、 九州からの東征などではない。
神武軍が吉野川北岸の阿波市(西)から鳴門市(東)へ攻め下ったのが神武東征。
東征の参謀役となった速吸の門(はやすいのなと 鳴門海峡のこと)の大人・宇豆彦が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。
その背後の山が宇豆彦の葬場である西山谷二号墳(円墳 出土品 圭頭形鉄鏃、やりがんな、鉄剣、鉄斧、斜線上方作銘獣帯鏡、鉄槍など)。

「西山谷2号墳」 http://awakouko.info/uploads/webphoto/photos/y00178y4da2b05f09c57.pdf#search=%27%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E8%B0%B7%E4%BA%8C%E5%8F%B7%E5%A2%B3%27

神武を佐けた霊剣・建布都神は、戦闘の地、吉野川北岸阿波市の「建布都神社」で祀られている。
一方、長髄彦の本貫地は徳島県板野郡板野町川端で、周辺には、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。
長髄彦と神武軍との戦いの場は、この東隣の鳴門市萩原地域。長髄彦は、この地で神武軍との戦いに敗れたのである。

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波


337 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 07:27:23.63 .net
登美の長髄彦は大和の鴨王家の一人。
数代あとに阿波に進出した記録がある。

土蜘蛛は主に九州の部族に使う用語だが、熊襲や隼人とは区別され、九州北部が多い。
筑紫倭国の内乱の末に、負けた側を称している。

338 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 07:35:55.80 .net
はやすいの門から訛って、
はやすいの瀬戸では?
はやすいの瀬戸は今の佐賀関の事
関サバ関アジの取れるところ

はやすいの入り口→門で良いのでは? 

339 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 10:06:46.39 .net
>>337
>登美の長髄彦は大和の鴨王家の一人。

その「鴨王家」も倭国(阿波)。
「阿遅志貴高日子根神」は、大国主命と、須佐之男命の娘・多紀理毘売命との間に生まれた長男。 「迦毛大御神」とまで呼ばれた実力者である。
阿波国三加茂町加茂山の高い尾根上に占地する「丹田古墳」は「阿遅志貴高日子根神」の神陵。
その麓に鎮座する式内社「鴨神社」はその拝所。


「延喜式式内社 阿波國美馬郡 十二座 鴨神社」
鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650  
御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神
「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」と。
また、「寛保改神社社帳」には「加茂村式加茂大明神神主加茂村 白川信濃同長太夫、同助大夫、同権之進」とあり、
更に「阿府志」には、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某堂河原某」とある。
鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。 「徳島県神社誌」

京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば
「京都、上賀茂神社」より「阿波國 鴨神社」の創立が古いということになる。  @阿波


340 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 10:09:54.04 .net
>>337
>筑紫倭国の内乱の末に、負けた側を称している。


「筑紫倭国」を言うまえに、「筑紫倭国」に見合う弥生後期集落群を示さないとね。  @阿波


341 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 10:17:07.15 .net
>>338
>はやすいの門から訛って、
>はやすいの瀬戸では?


根拠は訛った地名だけ?

神武東征にまつわる大人・宇豆彦を祀る神社とか、宇豆彦の陵墓とか、
建布都神を祀る神社とか
長髄彦に謂れのある地域とか

は無いのかね?  @阿波


342 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 10:35:52.04 .net
>>329
>福岡赤村の古墳は本当の古墳なのか?

古墳じゃないよ

国土地理院の地理院地図のサイトで、古い航空写真が見られるけれど、
古墳だったら後円部にあたるところの埋葬主体があるべき部分が削られている昭和の
写真が見られる

そこまで削れて、何か出たという記録がない時点で古墳じゃない

より直接的には、地理院地図で後円部にあたるところの断面図を作図してみればいい
後円部中央は削れているし、後円部の左右(東西)の高さが揃っていないのが確認できる

そんな、前方後円墳はないよ

343 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 10:38:23.41 .net
>>342
古墳って中国の土饅頭が伝わったもんじゃね?
渡来初期の土饅頭なら技術もつたなくて崩れることもあるんじゃね?

344 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 10:43:36.50 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

345 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 11:03:34.39 .net
>>342
>そこまで削れて、何か出たという記録がない時点で古墳じゃない

面倒だから届けないのはよくあること。
ただ、赤村のは古墳ではないと思う。
万が一古墳であっても、邪馬台国とは、まったく関係ない。

346 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 11:27:29.79 .net
赤村のはもし古墳なら、あのサイズで、後円部と前方部の比率が前方部に偏るのであれば、
少なくとも後期古墳だと言えるが、段築も葺き石も円筒埴輪列もない

あれ、結局、横の沢が前方後円墳の輪郭っぽく曲がってるだけのものなんだよな
そして後期古墳だったら、周濠は盾形で、あんなに狭い鍵穴形の周濠ではおかしいってのもある

よくもまあ、あんなのを古墳かもしれないと言えたものだとあきれてる
グーグルマップ考古学ってのをもてはやしたい人がいるからかもしれないけれど

347 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 11:55:43.99 .net
>>346
グーグルマップ考古学を認める立場だが、あなたのように冷静に検討すればいいので、グーグルマップを否定する理由にはならない。
候補を見つけて検討したが、やはり古墳とは思えない。
そういうことでしょ。

348 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 12:18:50.47 .net
あと、佐賀川上の環濠集落とかいうのを主張する人にも辟易としてるんだよ

ナスカの地上絵で、これまで知られていなかったのが見つかったとか、
人跡未踏に近い土地では有効かもしれないけれど、日本のように継続した土地利用で
人口密度の高い土地でどこまで適用できるかは、かなり疑問

349 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 12:46:23.39 .net
赤村が古墳かどうか?
誰も現地で調べる行動力や財力もない
ただ見た目だけで判断して、過去の
知識だけでまとめようとしてる
本当に現地で調べたり聞き込みして
否定してる人はいるの
今の考古学や古代史は、こんな程度
なのかね?
まあ私は素人だから何もしてあげられ
ないけど
日本の歴史がうやむやになって悲しく
思っている素人です

350 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 12:47:54.84 .net
奈良県でも、レーザー解析でこれまでより詳細に古墳の評価ができるようになったとか報告がある。
表面の土地利用が進んでいても、意外と痕跡は残るものだ。
研究手法を頭ごなしに否定する必要はない。

あ?
奈良は佐賀より土地利用が進んでいない田舎だったか?

351 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 13:09:01.58 .net
大古墳は奈良にしかないらしいです
って、奈良は墓場の展示会場だもんな

352 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 13:17:46.38 .net
>>349
>赤村が古墳かどうか?
>誰も現地で調べる行動力や財力もない

九州説で、赤村のを古墳だと思い込んで現地まで行って、土地の持ち主と話をして
いろいろと棒を差し込んで調べた挙句に、古墳に違いないってブログを書いてる人ならいるよ

https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-12364560594.html

でも、客観的に見て古墳じゃないし、赤村役場の人もただの山だと言っている

353 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 13:20:32.58 .net
>>350
佐賀川上の環濠集落は、ただ道がそれっぽく見えるってだけなんだよ
近くに惣座遺跡があるのに、そことの関係も一切無視で、環濠集落があったに
違いないって言われても、なんだかなとしか

>奈良は佐賀より土地利用が進んでいない田舎だったか?

九州説の人は、すぐに冷静さを失って、こういうあおりに走るから、
あんまり関わりたくないんだよな

冷静な、科学的な話ができない

354 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 13:26:06.49 .net
奈良の箸墓が卑弥呼の墓だったってのには辟易してるんだけど

355 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 13:29:19.97 .net
>>354
>奈良の箸墓が卑弥呼の墓だったってのには辟易してるんだけど

それ、そんなに強く主張してる人、多くないだろ?
別に箸中山古墳じゃなくても、何も畿内説は困らないし

356 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 13:35:55.15 .net
惣座遺跡なんてちっぽけな掘っ立て柱の古代集落跡
(遺跡概略:古代竪穴住居+掘立柱建物+溝+土坑)

奈良では、こんなんでも珍しいんだろなww

357 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 13:36:11.28 .net
>>355
畿内説のテンプレ読んだ?

358 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 13:38:07.29 .net
>>352
わりと冷静に調査分析しているように読めるね。
ならなら面白い。
少なくとも卑弥呼の墓の可能性はないとも書いてあるみたいだし。
地主に怒られた話も書いてあるから、なんて率直なんだと思う反面、慎重さは欠けているなとも思った。
今後の調査がやりにくそう。

359 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 14:07:29.34 .net
>>358
現地に行かなくても、地理院地図でかなりのことが分かるよ
古墳じゃないと判断するには十分

360 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 14:14:25.57 .net
>>356
>惣座遺跡なんてちっぽけな掘っ立て柱の古代集落跡

惣座遺跡 : 惣座遺跡 久池井B遺跡 春日遺跡の報告書でも読みな
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/18554

のちの肥前国府跡につながる、この地域の中心の遺跡だぞ
本当に適当だよな

361 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 14:55:54.93 .net
>>360
>肥前国府跡(ひぜんこくふあと)
・国府について、『肥前国風土記』には記録がない。『和名抄』に「乎岐国府」(おぎこくふ)とある。
しかし奈良時代には久池井に肥前国庁が置かれていたので、前身の乎岐国府はここに移転したと考えられるが、明らかになっていない。

>肥前国庁跡(ひぜんこくちょうあと)
・国庁築成時期は、出土した須恵器、土師器、多量の瓦などから、8世紀前半と推定され、10世紀ごろまで継続した。

久池井(惣座含む)の肥前国庁はあたらしい建物だからな。
その前にあったという乎岐国府こそ、古代を語る真の証人だろう。

362 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 14:59:58.54 .net
やっぱ惣座遺跡なんてちっぽけな掘っ立て柱の古代集落跡か

363 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 15:44:05.98 .net
>>361
>「乎岐国府」

その「乎岐国府」の実態が分からないからしょうがない

惣座遺跡は、肥前国庁を作るだけの中心的な集落があったのは間違いない

>その前にあったという乎岐国府こそ、古代を語る真の証人だろう。

その乎岐国府の候補地はどの辺に求めるの?

364 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 17:34:27.27 .net
弥生時代なのだから、竪穴式ではなく掘立柱建物なら高床式ですね。
宮か米倉かは難しいですが、棟持柱があるかどうかが決め手でしょう。

365 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 18:28:43.76 .net
>>363
そのことよ
まず、久池井の肥前国庁跡は、南北105余メートル、東西77余メートルだそうだ。
で、乎岐(をぎ・小城)といえば砦の意味らしいので、
久池井の国庁跡と西方の小城市との間に、砦らしき区画はないものかと、長年高速道路の南側を、たんねんに探してきた。

手がかりとしては、肥前国庁跡の105m×77mで、同庁と同じく南北線がわずかに西に振った区画だ。
お好みではないらしいが、グーグルで探すこと数年、ある日、舩塚古墳の東方、川上の高速道路の北側にそれらしき区画を見つけた。
五社大明神という藤原氏の守り神の神社を中心に、南北240余メートル、東西128余メートルの大区画だ。
(整然と建物が並んでおり、先の肥前国庁跡が2つすっぽり入る大きさである。)

しかも、南北線も肥前国庁跡とほぼ同じであり、わずかに西方へ振っている。
さらに、この大区画の半分ほどの幅の縦長区画も両サイドに数区画づつ控えており、その全体区画は、東西1q余、南北240m余にわたる。
またこれを取り巻く小径も、現時点及び昭和23年の米軍の空中写真で認めた。(但し今では舗装道路になっている、、、)
これがくだんの「推定・川上の大環濠」、というわけだ。
(念のために言うが、いろいろ有利な状況は有るものの、今のところ推定区画にとどまっている。お間違いなきよう。)

366 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 18:41:27.10 .net
>>365
>五社大明神という藤原氏の守り神の神社

それでいいのか?w
藤原氏って、かなり後世だろうに

367 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 18:50:21.38 .net
それって、クマソタケルの墓のあるところじゃなかったっけ?
後に藤原氏が取ったということでしょう。

368 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 19:06:54.72 .net
>>366
藤原氏の祖は中臣氏、その中臣氏の祖は、高天原神話に出てくる天児屋命アメノコヤネノミコト

「佐賀川上の五社大明神神社」
この神社には、藤原氏の祖の天児屋命、及び盟友の、建御雷之男神・経津主神、比売神、仲哀天皇、並びに神功皇后、応神天皇の五社七祭神が祀られている。

で、これら七祭神の中で最も注目されるのは、何をさておいても「建御雷之男神」であろう。
佐賀川上の「推定・伊都国大環濠」と目される区画の神社に祀られているこの「建御雷之男神」の父の名が、
「伊都之尾羽張神イツノオハバリノカミ」であったとは、偶然にしても驚くほかないのである。

369 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 19:17:19.72 .net
>>368
>で、これら七祭神の中で最も注目されるのは、何をさておいても「建御雷之男神」であろう。


その「建御雷之男神」を祀っているのが唯一倭国(阿波)って、佐賀はなにしてんの?  @阿波  

式内社「事代主神社」 式内社 「建布都神社」
は、ともに同じ倭国(阿波)阿波市にあり、『ともに日本唯一 阿波にだけ在る式内社』です。
式内社「事代主神社」が全国で倭国(阿波)にだけ祀られていることから、「事代主命」は倭国(阿波)の人物でしょう。
同じく、建布都神(武甕槌神)も全国で倭国(阿波)にだけ祀られていることから、倭国(阿波)の人物でしょう。


370 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 19:34:58.63 .net
>>369
@阿波は、阿波県内部のことしか知らない阿波の中の蛙だな
「建御雷之男神」を祀る神社は、全国で170社ほどある。
そのうちの有力な春日社だけでも、以下の如し。

春日大社 奈良県奈良市春日野町160
春日神社 福井県あわら市中番下番入会地1の甲
春日神社 福井県鯖江市鳥井町12−31
春日神社 福井県坂井市三国町新保18−16
春日神社 福井県福井市石畠町3−7
春日神社 滋賀県長浜市余呉町小原333
春日神社 静岡県浜松市西区馬郡町1882−2
春日神社 奈良県橿原市戒外町42
春日神社 奈良県磯城郡田原本町大字千代字中垣内1258
春日神社 奈良県桜井市大字三輪字小字平等山
春日神社 富山県砺波市高波1580

371 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 20:30:46.16 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

372 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 20:40:25.05 .net
>>370
>「建御雷之男神」を祀る神社は、全国で170社ほどある。

では、「建布都神(武甕槌神)」を祀る神社は全国で倭国(阿波)だけだね?
それら、「建御雷之男神」を祀る神社は、「建布都神社 阿波国阿波郡一座」の勧請社。  @阿波

延喜式神名帳には、「建布都神社 阿波国阿波郡一座」と記され、建布都神社は阿波に1社だけ・・・。阿波国阿波郡に建布都神社に比定される神社はいくつかある。
建布都神とは古事記では、伊邪那美命が加具槌神を産んで亡くなったことに悲観した伊邪那岐命が加具槌神を斬り殺したときにその剣よりしたたり落ちた血から生まれた神である。
建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)とも豊布都神(とよふつのかみ)ともいう。この神は、國譲りの場面でも大きな役割を果たす。物部氏の祖神とされ、
建御雷之男神が持っていた剣は布都御魂(ふつのみたま)といい、神武天皇の東征でも大きな役割を果たす。


373 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 20:48:37.67 .net
>>370でみると、福岡や佐賀は、春日社信仰の本場ではなさそうに見えるんだが?

374 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 21:39:43.10 .net
>>372
建御雷之男神(たけみかづちのかみ)

別名
武甕槌命:たけみかづちのみこと
建御雷神:たけみかづちのかみ
建甕槌神:たけみかづちのかみ
武甕雷神:たけみかづちのかみ
武雷神:たけみかづちのかみ
建雷命:たけみかづちのみこと
建御賀豆智命:たけみかづちのみこと
武甕雷男神:たけみかづちおのかみ
……
中臣氏、のちの藤原氏の氏神。

375 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 22:13:24.10 .net
>>373
鋭いご指摘ですねえ
手元の資料は、神社といっても現在もある程度の参拝者がいる生きて活動中の神社のみ。
で、建御雷之男神(たけみかづちのかみ)を祀る社を改めて見直すと、
九州では、長崎県壱岐に2社、鹿児島県霧島に1社のみ。
佐賀川上の五社大明神は、古〜い神社建物と大きな太神宮の石碑が残るだけで廃社同然。

ご承知のように、
藤原氏の活躍の場は、奈良のヤマト王権以降であったわけだから、これは当然といえば当然かもしれない。
それでも、高天原神話に於いて、
藤原氏の祖の祖たちが名を成したと思われる九州(の佐賀川上の、しかも個人的な伊都国推定地)で、
「伊都之尾羽張神イツノオハバリノカミ」の息子の「建御雷之男神」に出会うとは、まことに奇遇ではあった。

376 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 22:14:57.54 .net
>>373
福岡にも春日の地名はあるじゃないか。

海の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

船出して振り返ると、春日社がある福岡県の三笠の山に月が出ているのが見えるという歌だそうだ。
天の原を高天原があった対馬と解釈する人もいるそうだ。

○春日神社 春日四所大神を祀る。武甕槌命 斎主命 天兒屋根命 姫大神なり。當社はむかし御笠郡大城山の上に鎮座し給へり。後に爰に奉?といへり。
(『筑前國続風土記拾遺』巻之十一那珂郡)

377 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 22:17:43.72 .net
タイムリーなことに、福岡県の三笠山にあった春日社は武甕槌を祭っていたとありますねえ。
後にこの春日神社が現在の福岡県春日市に勧請されたのだとか。

378 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 22:23:15.76 .net
>>376
ググったら、天の原は対馬ではなく壱岐だそうだ。
訂正

379 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 22:57:19.39 .net
結局、委の五王って誰よ?
私的には全て九州なのか
日本海側の佐賀福岡山口島根新潟なのか
わからない

380 :日本@名無史さん:2018/09/03(月) 23:11:16.13 .net
日本海側に伸びる倭国の盟主は筑紫なので、筑紫の倭王です。

381 :日本@名無史さん:2018/09/04(火) 06:42:54.00 .net
>>380


日本海側に伸びる倭国の盟主は倭国(阿波)なので、倭国(阿波)の倭王です。  @阿波


382 :日本@名無史さん:2018/09/04(火) 07:39:37.58 .net
>>379
倭地とは九州のこと
倭人とは九州に棲む人のこと(本州は倭種)
倭国とは九州地方30余の国々の共立連合体のこと
よって倭王とは倭国の王のことであるから、全て九州地方の王である

383 :日本@名無史さん:2018/09/04(火) 10:07:26.72 .net
薄地の部分は「畿内系土器の流入が目立って多い地域」
https://i.imgur.com/H58CQro.jpg


大体、この範囲が倭国でいいだろ?

384 :日本@名無史さん:2018/09/04(火) 10:26:52.20 .net
>>383
>大体、この範囲が倭国でいいだろ?

そうだね。 忌部はんの開拓地をよく表しているね。  @阿波


385 :日本@名無史さん:2018/09/04(火) 10:43:26.29 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

386 :日本@名無史さん:2018/09/04(火) 12:27:50.19 .net
>>383
九州北部以外は倭地だよ。

387 :日本@名無史さん:2018/09/04(火) 12:54:46.57 .net
>>386
>九州北部以外は倭地だよ。

つまり、九州北部は
「參問『倭地』、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里」には
入らないと主張するんだね?

九州説の人でも、それは珍しい主張だなw

どういう根拠でそう思ったの?
できたら具体的に教えて!ww

388 :日本@名無史さん:2018/09/04(火) 18:55:17.87 .net
安曇族だろ
福岡にクビキレって塚がある昔の中国人の墓だ

中華が攻めてきたが漂流してきた
安曇族は呉の出身だったから
呉の船員だけ助けて
他の地域の人種は全て処刑された
安曇族は漢字が読み書き出来たため会話で呉人を
判断できた
安曇族は九州北部沿岸の用心棒を生業としていた
そんな言い伝え、石碑?がたっています 

389 :日本@名無史さん:2018/09/07(金) 21:08:48.18 .net
皆さんに聞いてみたい
日本書記を信じていますか?
国とは、いきなり王様や女王の
いる国から始まるのでしょうか? 
倭(委?)とは、いつから呼ばれていたのか?
いつからだれが自分達を倭人(倭)と認識したのか?
漢字はいつから流入してきたのか?
何かひとつでも判る方、それらしい
ヒントや考え方をお持ちの方、教えて下さい。

390 :日本@名無史さん:2018/09/07(金) 21:16:21.95 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

391 :日本@名無史さん:2018/09/07(金) 21:35:57.08 .net
記紀の国生みは、イザナギが博多湾の能古島を矛で征服するところから始まる。
不思議なことに、ニニギも博多湾沿岸の日向(高祖山)を征服する。
弥生時代、数次にわたって渡来人が文明を持ち込み倭国が成立した。
かつて倭人は呉の太伯の末裔を名乗ったとあり、そもそも大陸の王族が渡ってきたのだろう。
その中でも天津神(海の神の意味)と呼ばれる対馬海峡の海洋部族が、最終的に政権を取ったと考えられる。
対外進出した勢力がそこで勢力争いをして、最終的に政権を担う一族が選ばれる。
大陸の戦争よりは小規模だが国を挙げての戦いが弥生時代に筑紫や出雲を舞台に行われた。
筑紫や出雲を逃げ出した神武や事代主らが大和でさらに小規模な抗争を行った。
それを大和の少数だが最後に政権を勝ち取った部族から見た記録が、記紀なのだろう。

392 :日本@名無史さん:2018/09/07(金) 21:48:26.87 .net
>>391すばらしい
いろんな考え方のひとつとして参考にします
勉強になりました、ありがとうございます

393 :筑紫倭皇帝:2018/09/07(金) 22:52:02.83 .net
倭国は南朝鮮も勢力範囲に入れてました。
記紀の国産み神産みは新しく倭国の覇者になった天孫族がその支配の正統性を示したものでしょう。
天孫族イザナギの故郷は糸島の志摩です。
倭人伝でいうシマ国です。なので二見ヶ浦等やニギの浜等天孫族の聖地があるのです。
またイザナミはスク岡本でしょう。又は卑弥呼はスク岡本に居したと思われます。
熊野権現がスク岡本にあります。銅矛の鋳型?が御神体だったと思います。

天孫族による筑紫倭国の支配の正統性のため住吉や綿津見や警固の博多湾沿岸の豪族を神産みで産んだとしたのでしょう。
福岡市西区小戸の皇大神宮の御神体は江戸期に小戸の海中から引き揚げられた銅矛です。
国産みの時の銅矛かも?しれませんね。

大国主は遠賀川流域の直方辺りを支配していた豪族です。
宗像三女神も大国主の勢力下の豪族でしたが、国譲りで大国主が倭国外の出雲に追放された際、宗像三女神は天孫族の支配下に収まりました。
天孫族による宗像三女神の支配の正統性を示す記述がスサノオとアマテラスのやりとりです。

394 :筑紫倭皇帝:2018/09/07(金) 22:57:07.88 .net
直方の大国主が倭国外の出雲に追放されたことによって遠賀川流域の遠賀川式土器や横穴墓が列島に拡がったのです。
出雲は倭国外の銅鐸と筑紫の銅矛が出土するのはそのためです。
追放さらても尚、大国主のそのカリスマ性は消えることはなく列島に影響を与えたのです。
出雲大社が西を向いている理由は、故郷の直方、または天孫族の筑紫に敬意を払って西を向いているのです。

395 :筑紫倭皇帝:2018/09/07(金) 23:15:27.36 .net
筑紫神社は筑紫、豊国、肥国の境に荒ぶる神を鎮めるために建てられました。
筑紫とは博多湾沿岸部、そこは邪馬台国の中心があった場所です。
邪馬台国と争った狗奴国とはいまの久留米辺りにあった倭国内といっていいところにあった勢力です。
つまり、邪馬台国と狗奴国は倭国内で覇権を争ったのです。
南九州はクマソと言われた倭国外の倭地です。
邪馬台国と狗奴国の境は筑紫神社にもほど近い基山の三国境でしょう。
つまり筑紫と肥国と豊国の境です。
筑紫神社から冷水峠を越えればそこは豊の国です。
大国主が収めた遠賀川流域もその辺りまで位置します。
三国境付近では争いが絶えず沢山の人が死にました。
その荒ぶる神を鎮めるために筑紫神社が建立されたのです。
筑紫神社では筑紫、肥国、豊国の三国の豊作を祈願する祭りも行われています。

また、神武東征とは博多湾沿岸の筑紫から大国主なき追放後の豊国香春や行橋等
の遠征でしょう。
神武は大国主なき後天孫族が今の福岡県域の実質支配者ですが、天孫族に従わない豪族の多さに嘆いて畿内への東征を決めたのでしょう。

396 :筑紫倭皇帝:2018/09/07(金) 23:18:06.74 .net
神武は筑紫の将軍として東征した、実質初代の征夷大将軍のような存在ですね。

397 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 01:20:17.59 .net
どのスレだったか、イザナギが筑紫(博多湾沿岸)の王に対して、イザナミが豊国(遠賀川流域)の王妃だという書き込みがあった。
それは筑紫の彦火火出見と豊国の豊玉姫の関係と同じである。
天津神の男と国津神の女のペアが倭国の基本的な婚姻スタイルなのである。
豊玉姫の実家は志賀島とも言われるが、筑紫に天孫族が侵入したことで、東に追われて遠賀川流域に移動したものであろう。
後に天津神の末裔である神武も、国津神の三輪大神(大国主の息子の事代主)の娘という姫多々良五十鈴姫に婿入りしている。

ちなみに彦火火出見は筑紫の日向の伊都国の高祖宮の祭神である。

筑紫と豊国の間の山のいずれかが黄泉比良坂であろう。
黄泉のヒラ(登り坂のこと)サカ(下り坂)、すなわち峠という名前だからだ。

その原型となるより小さいモデルが筑紫の中にある。
高祖山の日向峠である。
福岡市側の奴国、すなわち国津神の国と、糸島市側に伊都国、すなわち天津神の国との間にあるヒラ坂なのである。
これが天孫ニニギと、大山祇の娘である木花咲耶姫の婚姻となる。
この二人の墓が伊都国の三雲南小路遺跡であり、その祭殿である細石神社が漢委奴国王印を保有していたとされる。

ちなみにニニギの息子の海幸山幸兄弟のうち、兄の海幸は追放され宮崎県に移り住んだと言われている。
博多湾沿岸の山幸の国が邪馬台国、南にある海幸の国が投馬国(宮崎県都万)となる。

398 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 06:07:41.55 .net
筑紫倭皇帝サンありがとう
皇の漢字のつく名前や地名は少ないから
筑紫は天皇関係かと想定していた
その横の鷹羽あたりが倭人軍隊
筑紫から仲哀峠を通ってから八女と宗像に行く道が
わからない、はっきりしていない
道路があったと思うんだけど

倭人伝の記載は全く無視の想定でw

399 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 06:28:44.87 .net
>>395筑紫倭皇帝
>天孫族に従わない豪族の多さに嘆いて畿内への東征を決めたのでしょう。


その東征した畿内の拠点はどこかな?  妄想話だから言えないだろうがw

よりによって、湿地帯の畿内へなんぞ東征せずとも、弥生人にとってすばらしい自然環境の倭国(阿波)をお勧めする。  @阿波


400 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 08:00:05.90 .net
おんや、筑紫倭皇帝とな?
改名でもなされましたかの

401 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 18:48:24.24 .net
このスレも人が居なくてなかなか進まないなぁ

402 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 18:55:39.23 .net
畿内スレの常連2〜3人だけで、ほとんど絶滅危惧種じゃないの

403 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 21:09:14.63 .net
宋史日本国伝に残されている。
記紀と異なり「初めの主は天御中主(あめのみなかぬし)と号す。
次は天村雲尊(あめのむらくものみこと)と曰う、
其の後は皆尊(みこと)を以て号と為す」として、
天八重雲(あめのやえくも)、伊弉諾(いざなぎ)、
素戔烏(すさのお)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、
正哉吾勝速日天押穂耳(まさかあかつはやひあめのおしほみみ)、
天彦(あまつひこ)、彦瀲(ひこなぎさ)
など21人の尊を連ね、「凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮
(ひむかしのみや)に都す。
彦瀲の第四子を神武天皇と号す」
大胆に「万世一系」の系譜と、
神武に直結する二十三世の王(神)
が記されている。
  
都は筑紫の日向宮
異論ある?


404 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 21:16:40.31 .net
紀元前の吉武高木から倭国大乱直前の2世紀まで、およそ500年。
23世なら平均一代20年。
この博多湾沿岸勢力が倭国そのものということになる。
そして神武が筑紫を脱出した後に筑紫倭国の女王となったのが卑弥呼である。

405 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 21:26:05.23 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

406 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 21:37:02.39 .net
なかなか良いセンスだ
で肝心要は、その「万世一系」が、なぜ倭国大乱を引き起こし、そしてどうなったのかだねえ

407 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 22:06:36.74 .net
いや、そっちが大事なのではなくて
宋史日本伝で適当に計算してみると
23代の1代を25年でも大変な総年数

408 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 22:10:55.98 .net
吉武高木からならちょうど合う。

409 :日本@名無史さん:2018/09/08(土) 22:13:29.80 .net
宋史日本国伝
其《年代紀》所記云:
初主號天御中主。
次曰天村雲尊,其後皆以『尊』爲號。
次天八重雲尊,次天彌聞尊,次天忍勝尊,次瞻波尊,次萬魂尊,次利利魂尊,
次國狹槌尊,次角龔魂尊,次汲津丹尊,次面垂見尊,次國常立尊,次天鑒尊,次天萬尊,次沫名杵尊,
次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,
凡二十三世,並都於築紫日向宮。
彥瀲第四子號神武天皇,自築紫宮入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。

410 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 07:54:11.54 .net
>>409
>入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。

ふ〜ん、筑紫倭国のキーマンはやはり彥瀲尊になるのか
で、當周僖王時はいつ頃のことなのかなあ

411 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 08:19:27.34 .net
>>410
>で、當周僖王時はいつ頃のことなのかなあ


そりゃ、8世紀だよ。  @阿波


412 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 08:27:28.07 .net
>>410
畿内説の年代詐欺はこの頃から始まっていたんだ。
皇紀2600年と同じ主張だからね。

413 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 08:30:36.13 .net
日向国でも筑紫嶋でもなく、筑紫の日向宮であるところがポイントです。
筑紫(福岡県)の日向、すなわち高祖山の周辺が倭国のことであるということです。
考古学的にも吉武高木遺跡から平原遺跡まで、歴代の倭王の王墓群があるところです。

414 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 08:38:21.41 .net
>>413
> 考古学的にも吉武高木遺跡から平原遺跡まで、歴代の倭王の王墓群があるところです。

お墓だけでは、不十分。 
邪馬台国時代の集落遺跡群が示せないとね。  まぁ、示せるのは倭国(阿波)だけなんだけど。  @阿波


415 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 08:52:58.41 .net
>>414
高祖山周辺は遺跡密度が日本一高いところだと思いますよ。

416 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 08:56:52.23 .net
>>415
>高祖山周辺は遺跡密度が日本一高いところだと思いますよ。

例えばどんな遺跡?  @阿波


417 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 09:16:19.79 .net
>>415
王家の谷、というか歴代の墓場ばかりではちと説得力に欠けるんだけどねえ

ま、ウガヤフキアエズの外戚、
つまり奥さん、おかーさん、そのまたご先祖のお墓が筑紫の高祖山のふもとあたりだったんだろうね。

418 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 09:20:39.23 .net
甲寅,當周僖王時也。
実際には、250〜300年ごろの甲寅だったんだろな。

419 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 09:26:41.93 .net
>>418

そりゃ、8世紀だよ。  @阿波


420 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:04:46.24 .net
卑弥呼がウガヤフキアエズの外戚あたりというのは、案外ありかもしれない。
三雲にいた天孫族が筑紫を出て、その後に卑弥呼が共立されるわけだが、まったくの素人を担ぎ出すはずもない。
そして死後は平原に埋葬された。

421 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:05:51.31 .net
>>417
>王家の谷、というか歴代の墓場ばかりではちと説得力に欠けるんだけどねえ

三雲地区は弥生時代の外交行政の中心業務地区だよ。

422 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:08:40.78 .net
卑弥呼が国津神なら女系相続だし、今で言う外戚はあり。
女性首長は九州北部の国津神の習慣だし。

423 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:08:46.65 .net
>>420

妄想は立派に語れるんだがねぇ・・・・  @阿波


424 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:20:47.16 .net
>>421
>三雲地区は弥生時代の外交行政の中心業務地区だよ。


その「弥生時代の外交行政の中心業務地区」だったという「三雲地区」の弥生後期末の集落遺跡群はどれ?  @阿波


425 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:21:45.43 .net
神武(およびその取り巻き)は、
外戚のご先祖の初主號天御中主が、数百年の歴史を誇る筑紫の名門の祖と聞いて、
俺んちは、それよりも古いんだぞ〜〜〜、、甲寅,當周僖王時也、といって、
カーチャンに威張って見せた。(が、実は・・・)

426 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:26:06.10 .net
神武は直系だろ。
24代目に書いてある。

427 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:36:39.88 .net
筑紫倭国の祖を天御中主とし、
途中、女系天皇豊玉姫を認めるなら、直系24代目ということになるかも、、、

428 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:44:13.80 .net
豊玉姫は書いてない。
22代目の炎尊が伊都の高祖宮の祭神である彦火火出見のことなら、その妃だから。
23代目の彦渚ウガヤフキアエズまで倭王は筑紫の日向宮にいたと書いてある。
日向宮が後の怡土城、記紀にある筑紫の日向の高千穂宮のことだね。

429 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 10:47:45.29 .net
ちなみにこの系図の続きでは神功は天皇に数えられている。
神功皇后が天皇から外されたのは明治以降だったかな。

430 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 11:07:33.34 .net
>>428
>豊玉姫は書いてない。


因みに、豊玉比賣を冠する延喜式式内社は倭国(阿波)にしかない。 どうして???  @阿波

御祭神を豊玉比賣とする豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は、全国各地に鎮座しているおりますが、
豊玉比賣を冠する延喜式式内社は阿波国にしかない。


431 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 11:12:07.78 .net
倭国(阿波)名方郡には二つの「豊玉比賣」の名を冠する延喜式式内社が鎮座している。

一つは「天石門別豊玉比賣神社(あまのいわとわけとよたまひめじんじゃ)」
 
一つは「和多都美豊玉比賣神社(わだつみとよたまひめじんじゃ)」  @阿波


432 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 11:29:15.19 .net
この系図は系図として、
肥国王家の卑弥呼を天照大神とし、
その宗女台与を筑紫倭国直系二十数代目のトヨタマヒメと置けば、なんとなくつじつまが合いそうだ。
そして筑肥・政略結婚の結果、ウガヤフキアエズが生まれ、
さらに2回目の政略結婚でウガヤフキアエズはトヨタマヒメの妹のタマヨリヒメと結ばれた。
トヨタマヒメを祀る神社は、伊都国と推定される佐賀川上1番地にあるので、
台与の時代には、邪馬台国は佐賀川上の伊都国に本居を移したのかも、、、。

433 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 11:31:56.66 .net
>>432

妄想は立派に語れるんだがねぇ・・・・  @阿波


434 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:13:40.50 .net
豊玉姫を持ち出さなくても、神武の後に伊都に卑弥呼が即位し、壹與の時に佐賀川上に遷都でいいだろう。

435 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:14:15.87 .net
>>433
たとえ妄想でも、
立派と褒められるなら、悪い気はせぬな。ありがとさん、

436 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:15:36.75 .net
阿波は何も具体的なことを言えないくせに。

437 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:24:49.09 .net
>>436
>阿波は何も具体的なことを言えないくせに。

う〜ん、妄想はからきしだめだね。  @阿波


438 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:28:12.62 .net
八咫鏡
>古事記では、
>高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、
>「川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」と記されている。

ここにも、川上が出てくる。、卑弥呼〜台与のころの銅鏡話に通ずる。

439 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:45:04.66 .net
魏からもらったとはいえないので、
古事記では、川上で作らせたことにしたのだろう。
でも、国内初出が川上あたりであったことは、それとなく匂わせてるわけだ。

440 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:46:53.69 .net
>>438
>「川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」と記されている。


はい、どうぞ。
第2番札所 徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」

ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』という埋蔵金ミステリーそのまんまの名前。
この精錬伝承の中心となっているのが、『金山神社』と『立岩神社』の両神社である。金山神社は鍛冶の神である金山毘古(かなやまびこ)神を祀り、その境内の中に高さ7m幅4mの日本一の巨大陽石(と掲示されている)をご神体とする『立岩神社』が鎮座する。
この巨石は『天津麻羅(あまつまら)』を祭神とし、素朴に男性を象徴しているが特に通俗的な信仰はない。
古事記には「八尺の鏡は天の金山の鉄をとりて天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命(いしきりどめのみこと)に科せて鏡をつくらしめ」という記述があり、これがこの地が八尺の鏡製造地であることを裏付けている。

なお、ここより直線で13キロ西には神山町の『立岩神社』(第3番札所)があり、ここには高さ20m幅20mの女性器を象徴する巨石があり、古来より「天の岩戸」と称されている。  @阿波


441 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:50:40.42 .net
>>439
平原遺跡の八咫の鏡でいいのなら、国産だと考えられているよ。

442 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 12:51:14.93 .net
>>439

「川上」ひとつで、妄想は立派に語れるんだがねぇ・・・・  @阿波


443 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 14:31:35.10 .net
宋史日本国伝の天村雲尊(あめのむらくものみこと)
これは福岡田川郡の英彦山なんだよな 
紀元前より前に創建との話もある
もしかして紀元前より中国(周)より前に
交流あったとかないかな?

 

444 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 14:47:00.47 .net
>>443
>宋史日本国伝の天村雲尊(あめのむらくものみこと)


あっ、今度は「天村雲尊」ね。
はいどうぞ。

「天牟久怒命」=「天村雲命」を祀る、日本唯一(またまた)の式内社 阿波國麻殖郡「天村雲神伊自波夜比賣神社」が、 阿波国旧麻植郡射立郷「村雲」に鎮座する。
この天村雲神の別名がなんと、「天五多底命 ( あめのいだてのみこと )」 なのである。 御祭神の天村雲命は、「 射立神 」とも呼ばれる。 
「天村雲命は、別名「天五多底命(あめのいだてのみこと)」とも呼び、射立の神。鎮座地周囲は、湯立という字が残っているが、これは射立からの転訛。
もし、天村雲命=射立神だとすると、天村雲命=五十猛命とも考えられる。 五十猛命は、素盞嗚尊の御子神であり、伊達神。」
全国3132座ある式内社で、「天村雲」を冠する日本唯一の神社なのである。  @阿波


445 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 14:50:24.49 .net
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると
「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」

>>444

阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。

阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。

内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。

その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう。  @阿波


446 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 15:15:12.67 .net
>>443
あー、年代は確実に紀元前だね。
英彦山の位置付けがよくわからないけどね。
その系図も、九州北部のいくつかの王統の伝承をまとめたように思える。

447 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 15:17:04.18 .net
アタマのビョーインに行け

448 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 16:29:07.25 .net
キナイコシの負けが込んできたので呟きが出現

449 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 16:45:31.91 .net
なんだ今日の阿波は
いつも以上に必死だな
何か琴線にふれたのか

450 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 16:53:46.95 .net
>>449
いやいや、別に必死という訳ではないんだけど、
今日は日曜日で、朝から雨だから。
百姓には雨天はお休みとなるわけ。  @阿波


451 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 17:16:48.26 .net
>>431
糸島にもあるよ
主祭神 豊玉姫命
延喜式神名帳には、怡土郡志登神社一座と記されている

初め彦火々出見命兄火照命の釣針を借りて釣魚をなさんとして海中に之を失ひ釣針を索むるため塩土老翁の先導に依りて龍宮に至り,豊玉姫姙娠の身を以て彦火々出見命の跡を慕い此の地に来たり給ひし靈地なれば豊玉姫命を奉祀せしものなりと云ふ

452 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 17:21:28.65 .net
志賀島からやってきた豊玉姫が伊都の彦火火出見に会うために上陸したとされる場所ですね。

453 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 17:25:39.84 .net
>>451
>糸島にもあるよ

だ・か・ら
「御祭神を豊玉比賣とする豊玉比賣神社(とよたまひめじんじゃ)は、全国各地に鎮座しているおりますが、
豊玉比賣を冠する延喜式式内社は阿波国にしかない。」  @阿波


454 :筑紫倭皇帝:2018/09/09(日) 18:39:17.21 .net
久しぶりに覗いたがなんか私の説がいろいろ影響与えてたみたいで嬉しいな。

455 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 18:45:45.07 .net
>>413
>筑紫の日向宮であるところがポイントです。

そんなのが書いてある文献はないだろ?
古事記にも、日本書紀にも「日向宮」なんてのは載ってない

456 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 18:49:49.97 .net
>>455

「日向」は地名などの固有名詞じゃないからね。  トンデモ妄想説はそうしたがる。  @阿波


457 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 19:19:08.69 .net
>>455
今は宋史について議論しています。

>>409
>次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,
>凡二十三世,並都於築紫日向宮。

458 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 19:50:42.17 .net
そういえば高良大社にも豊玉姫伝承があったね。
豊玉姫の玉は、潮の満ち引きの玉で
有明海がモチーフだとか。

459 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 19:54:58.67 .net
筑紫といっても広いから、
まして日向の宮ともなれば百家争鳴になるだろな。ま、にぎわってよかろ。

460 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 20:03:03.02 .net
>>459
「日向」は地名などの固有名詞じゃないからね。  トンデモ妄想説はそうしたがる。  @阿波


461 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 20:05:34.93 .net
高良大社:
祭神、高良玉垂命に関しては、
武内宿祢説、藤大臣説、物部祖神説、中臣烏賊津臣説、芹田真誰説、
新羅神説、綿津見神説、彦火々出見説、水沼祖神説、景行天皇説など、
多くの説があるが、
明治までは、武内宿祢説が主流であった。
境内地は広大。明治までは全山が神域だった。明治の神仏分離で削減されたが、今でも33万平方m。

462 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 20:21:54.83 .net
高良大社の豊玉姫は後世の付会ではないかと思います。
神功皇后絡みで偽装工作のオンパレードですから。
高良大社の干珠満珠が神功皇后の手元にもたらされたことが所縁なのだと思いますが、本来は高良大社は壹與に関係する施設だったのではないでしょうか。

463 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 20:23:26.85 .net
日本書紀と古事記なんていらんかったんや
混乱招く原因

464 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 20:49:29.47 .net
>>463
>日本書紀と古事記なんていらんかったんや
>混乱招く原因

それはトンデモ妄想説だからw
記紀は倭国(阿波)の物語なんだよ。  @阿波


465 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 22:22:21.04 .net
そもそも干珠満珠は河上神社(佐賀県川上)の川上大明神の宝物でもあるのです。
その主である淀姫(豊姫、壹與)は河上タケル(熊襲梟師)の妹であり、彦渚ウガヤフキアエズの息子という説もあるそうです。
実年代にして4世紀のはじめのことと思われます。

466 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 23:08:43.92 .net
広渡正利『英彦山信仰史の研究』は
「宇佐神、香春神、彦山神が古来密接な関係をもっていたこと」を指摘しています。

>宇佐・田川など豊前国の人々が、宇佐八幡と同躰の豊比当スを産神としていたことは、
>彦山の地主神北山殿や香春宮の神躰が豊比当スと伝えられていることに符合します。

>豊比刀*L姫は豊日別神(豊日別国魂神)でもありますが、
>この神が「宇佐八幡と同躰」ということは、豊姫神が宇佐八幡の比売大神でもあることをいいます。
>紀伊国から肥前国、そして豊前国へと川上神(豊姫神)を辿ると、
>瀬織津姫神が宇佐八幡の比売大神(宗像大神と同体)であった可能性が、みえてきます。
>遠地の分社祭祀が本社の本来の祭神・祭祀を照らしだすことはときどきありますが、紀州・川上神社も、その好例といえそうです

467 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 23:14:52.85 .net
卑弥呼の時代に筑前筑後肥前までだった倭国が、壹與の時代に豊前肥後まで拡大されたのでしょうなあ。

468 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 23:25:29.42 .net
つまり、
宇佐神、香春神、彦山神、(彦山神の分社の)川上神は、
古来、豊比刀*L姫を通じて密接な関係にあったということらしい。
ということは、
豊姫(台与)は、元は筑紫倭国の姫であったが、肥国王家と縁ができちゃったので、川上にも祀られているということになるのではないか。

469 :日本@名無史さん:2018/09/09(日) 23:51:31.83 .net
>>405
>日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
>中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

江南では大河流域の広大な湿地帯で、
中粒種は陸稲種で土の固い畑に栽培する。
短粒種は水稲種で土の柔らかい水田で栽培する。

>ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

日本の初期の水田は、扇状地の小川沿の広さ10u〜40uの水田や三日月水田である。

>そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
>石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
>石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

この3つは、広大な固い土の畑に栽培する中粒種陸稲には必要不可欠な農具。

>ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
>木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

日本の狭い水田では、柔らかい土を耕す木製のクワと泥土をならすエブリで必要十分な農具。
石耜石鋤石犂の3つは無用長物。

470 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 00:01:08.41 .net
みやま市辺りは投馬國の一部。中心地?

471 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 00:02:32.47 .net
>>468
そもそも卑弥呼が肥後狗奴国の卑弥弓呼の係累なら、卑弥呼の宗女であった壹與も肥国の王家の人物でもあるだろう。
筑前筑後肥前を支配するなら筑前にいるのがベストだろうが、肥後豊前まで支配するのなら、筑後高良は最適な場所になる。

472 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 04:42:13.55 .net
おはようございます
>>470そこは悩んだのよ八女にするか
倭にたくさんの王が居たのは事実で
しょうから。
邪馬台国って漢字が出ると皆がモメルw
たくさんの王や村長がいた。沢山の歴史
があった。いろんな積み重ねがあった。
私個人の思いは沢山あるけど書ききれないw

これ興味ないですか?
京都の妙心寺の国宝梵鐘(国宝だよ!)には
「戊戌年四月十三日壬寅収糟屋評造舂米連廣國鋳鍾」
という銘があり、
戊戌年、西暦698年に舂米連広国
(つきしねのむらじひろくに)
という糟屋評(こおり)の長官であった人物が
この鐘を鋳造させたことが記されている。
また糟屋郡か...@東京

つきしねのむらじひろくに?

473 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 10:33:42.47 .net
>>472

四月十三日が壬寅になるのは本当に西暦698年なのか?

638年か578年なのかを確認してくれ。
私は調査計算が面倒なので確認できない。

474 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 12:51:08.26 .net
太宰府の観世音寺と兄弟鐘
全く同じ名文が書かれている
なぜ1つは京都にあるのか?
名文の解釈は?
春に似た漢字はなんだ?意味は?
昔はお互いに聞こえる距離にあり
美しい音色を交互に聞かせていたとか?
いろいろ想像がつきません

475 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 14:54:45.10 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

476 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 17:38:13.87 .net
なかなかセンスがいい、核心に近い所に来てる
さすがに畿内説や阿波もダンマリしかない

477 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 18:36:25.21 .net
>>476
>なかなかセンスがいい

どのスレが?  @阿波


478 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 19:50:10.11 .net
>>475

朝鮮人は遺伝子解析で日本人(ハプロタイプD1b)とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った遺伝子を示す。

日本列島の縄文中期土器には沿海州南部の縄文晩期土器と特徴が一致しているものがある。

日本の最古水田の稲の種類(短粒種)、耕作用農具、炊飯器(縄文土器)から考えて、
耕作用農具、炊飯器(縄文晩期土器)は、明らかに日本人独自に発明発展したものである。

479 :日本@名無史さん:2018/09/10(月) 19:56:16.29 .net
>>478
>日本の最古水田の稲の種類(短粒種)、耕作用農具、炊飯器(縄文土器)から考えて、
>耕作用農具、炊飯器(縄文晩期土器)は、明らかに日本人独自に発明発展したものである。

そりゃ、当然有りでしょ。 弥生時代とは言え、銅鐸や勾玉なども日本独自なんだから。  @阿波


480 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 09:48:39.39 .net
高良大社/こうらたいしゃ・ 福岡県久留米市御井町  

式内社 筑後國三井郡 高良玉垂命神社 筑後國一宮
御祭神 高良玉垂命
配 祀  八幡大神 住吉大神 合祀 豊比淘蜷_
福岡県久留米市にある。履中天皇の御宇の創立と伝えられる。

>東西30Kmに連なる耳納連山の西の端にあり、高良山(312m)の中腹に鎮座。
>麓から耳納スカイラインが整備されている。
>高良山一帯は、九州の交通・文化・政治の要衝。
>往時には、26寺・360坊が存在した、一大聖地でもある。

481 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 09:57:33.45 .net
阿波とか、宮崎とか、ほとんど関係ない。

大和国と倭国はそもそも別物。
大和国の全身は邪馬台国(奈良県マキムク周辺)です。
倭国は、ヰと発音します。怡(伊)に通じる。厄介なのは伊連合が首都を奴国と、伊都国の間で移転させあっていた。(王墓の変遷から読み取れる)
奴の岡本(春日市)、伊都の三雲、井原。

時代によって首都が変わった。
最後は、平原遺跡。
この地で、太陽神オオヒルメノムチを創った。
神道の祝詞の最初のフレーズはこの地を詠ったもの。

482 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 10:05:54.79 .net
>>481
>倭国は、ヰと発音します。

阿波は、イの国・イツの国・倭国(いっのくに)だった。
伊予の二名島の西側が予の国であるなら、
イの国の範囲は、おおまかにみて徳島県と呑川県、高知県の東半分、つまり、四国の東半分が一つの国をなしていたと考えられる。  @阿波


483 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 10:09:42.14 .net
八幡大神:全国八幡神社の祭神の「応神天皇」

>第十五代天皇。第十四代仲哀天皇の第四子。

>仲哀天皇は大中津比売命との間に香坂王、忍熊王をもうけ、
>息長帯比売命(神功皇后)との間に品夜和気命、大靹和気命(品陀和気命:応神天皇)をもうけた。

>応神天皇は、仲哀天皇の死後、神功皇后が新羅征伐から帰られた直後、筑紫でお生まれになった。
>大靹・品陀の名前は、生まれた時、腕に鞆(ほむた)のような贅肉が付いていたところから名づけられた。

高良大社は、要するに応神天皇を祀っていることになる。
中央に地元神を祀り、左右に神功皇后や応神天皇を配するのは、宇佐神宮と同様の形式だ。
高良は「辛島氏の加羅」からきているのだろうな。 高良大社→ 加羅大社

484 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 10:25:32.56 .net
>>483
【応神天皇(倭王讃)の難波大隈宮】
   「春三月に、難波宮に幸せる時の歌」

「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊まり知らずも」

   「上の一首、船王の作」

奈良時代の後期難波宮(大阪市)からは「阿波の山」は絶対に見えない。
倭国(阿波)から遷都する前の飛鳥時代に宮が設置された前期難波宮は香川県さぬき市津田。
この歌は香川県さぬき市津田の前期難波宮で読まれた歌である。
飛鳥時代に宮が設置された「前期難波大隈宮」は香川県さぬき市津田。「後期難波宮」は奈良時代(大阪市)
「前期藤原の宮」は持統天皇(麻植郡鴨島) 「後期藤原京」は文武天皇(奈良)
奈良時代は文武天皇の藤原京から。  @阿波


485 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 10:51:19.59 .net
>高良大社に、祇園山古墳出土品と伝わる三角縁神獣鏡(33方格獣文帯 鈕座「天王日月日月」)および変型方格規矩鏡)がある。

この詳細な由来は不明であるらしいが、
辛島氏所縁の神社にあるのは、なにかのヒントになりそう。。

486 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 12:47:44.98 .net
豊前一宮→香春宮
筑後一宮→高良宮
名前も似てるね

前から気になっていることがあります
太陽⇔月、表糟屋⇔裏糟屋、投馬不弥、
陰陽、海彦山彦などなど
もしかして倭は何かを造るとき
2つづつ造ったのではないかな?
そうなると
表九州倭国⇔裏九州倭国(今の四国)
ただの偶然?考えすぎかな?
 

487 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 16:57:54.12 .net
卑弥呼=天照の補佐が高木神なら久留米の辺りが邪馬台国、もしくはその一部

488 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 17:46:40.31 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

489 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 19:37:46.53 .net
>>486
高良と香春は同じ語源というのは比較的知られた話かと。
ただ、海幸山幸は別の話で、対馬海峡勢力と博多湾勢力が倭国の二大勢力だっただけのこと。

490 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 19:45:29.54 .net
>>489
>ただ、海幸山幸は別の話で、対馬海峡勢力と博多湾勢力が倭国の二大勢力だっただけのこと。


「其山有丹」でとっくに脱落してるのに、よくそんな妄想できるもんだね?  @阿波


491 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 20:24:03.48 .net
倭人伝は忘れていいよ
チンジュなんて来てないと思う
倭人伝のせいで、どれだけ時間が無駄に
なったか

492 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 20:36:41.15 .net
>>491
>倭人伝は忘れていいよ

なら、「邪馬台国」もなしとなり、このスレも必要なし。  @阿波


493 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 21:28:28.05 .net
久留米・高良山(加羅山)は北部九州を睨むには絶好の地にある。
よって、何度も政争に見舞われたに違いない。
その最後の勝者が秦氏・辛島氏であり、その形が今日まで残っていることになるわけだ。

であるからして、卑弥呼や台与の時代は、そのもう少し前ということになると思う。
例えば、翰苑には、
邪(馬台国)は伊都に届き、斯馬にも連なる、とあるので、この3国のつながりは特に強かったのであろう。
「自女王國以北 其戸數道里可得略載 、、の次有斯馬國・・・」は、
実は、久留米一帯(八女、三潴等含む)だったのかもしれない。

494 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 21:45:00.33 .net
前から思っていたことがあります
田油津姫が土蜘蛛と言われたように
ヤマタノオロチも同じなのでは?
想像ですが例えば八女の王の剣が
誰かに取られ政権が変わった比喩とか?
ヤマタノオロチって誰なんだろう

495 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 22:05:06.32 .net
トヨタマヒメの実の姿は鰐だったとか、
宇佐の誰かのもとに夜な夜な通った人物の本性は大蛇だったとか、、、
どうやら、高天原関係者(及びその子孫)以外は、恐ろしげな動物に擬せられるらしい。

496 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 22:24:50.57 .net
久留米はもともとクメで大久米命などの久米氏と関係あるんじゃないだろうか

高良大社でもともと高木神を祭っていたのは高木神に従う久米の一族だったが
久米や大伴の本拠地が近畿に移ったため、高良は次第に別の信仰に上書きされたと

497 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 23:47:31.81 .net
豊玉姫は豊国出身なので、高天原ではないです。
夜な夜な通ってきた三輪山大神は出雲の事代主が正体とされており、高天原ではないです。

498 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 23:52:55.23 .net
「クメ」は、熊襲(くまそ)・肥人(くまひと)の「クマ」であり、海幸彦を祖とする隼人は、三品彰英氏著の「日本神話論」などによれば、海人であったとされている。
また、「撃ちてしやまむ」で有名な久米歌は、海辺で鯨をしとめた時の凱歌で、久米氏は福岡県糸島郡の久米地区出身氏族だという説もある。
だとすると、阿曇氏の志賀島は目と鼻の先だし、古事記に、大久米命は黥利目(さけるとめ・入墨をした目)であったとあり、
有名な「魏志・倭人伝」の、「倭の水人は、好く沈没(潜水)して魚貝を捕り、大人も少年も身体や顔に文身(入墨)をしている」という記事と合致し、
阿曇氏も「阿曇目」といって、目の縁に入墨をしていたことからも、阿曇氏と同族だったのではないかと思われる。

499 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 23:58:29.07 .net
高木の神はずっと古い神です。
久米氏が九州に上陸するのは、伊都への天孫降臨の随伴としてです。
その後、一部は伊都を追放された海幸とともに都万に行き、隼人となりました。
また一部は山幸の孫である神武が伊都を脱出した時に随伴し、大和に向かいました。

500 :日本@名無史さん:2018/09/11(火) 23:59:55.23 .net
あ、高天原「以外」か。
うっかり読み違いしました。

501 :日本@名無史さん:2018/09/12(水) 00:11:31.57 .net
聖徳太子の弟の久米皇子は久米氏に育てられたのでしょうかね

502 :日本@名無史さん:2018/09/12(水) 06:47:01.07 .net
久留米の地名が文献に出るのは11世紀以降。

503 :日本@名無史さん:2018/09/12(水) 06:57:29.96 .net
>>496

さて、神武東征の際に活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」が黥面だったことが古事記に記載されている。 「大久米命」は神武東征に随行した久米一族の祖神にあたる。
久米一族については、徳島県石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。
一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっていた。
一方、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。
さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。
まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。  @阿波


504 :日本@名無史さん:2018/09/12(水) 10:12:54.57 .net
久留米の地名の由来、
>筑後守吉志公忠が天慶7年(944年)に注進した「筑後国神名帳」に「玖留目神を祭祀した」との記述があり、これによるとするもの。
>上古、大陸から渡来した機織りの工人集団がこの地に住んでいたので「呉部(繰部くりべ)」の居住した地、
あるいは「呉姫(くれひめ)」、「呉女(くれめ)」、「繰女(くりめ)」とよんだのがクルメに転訛したというもの。


機織り姫か。
そーいや、この地方には、久留米がすりという伝統の地場産業がある/あったんだよねえ

505 :日本@名無史さん:2018/09/12(水) 12:39:50.68 .net
長安3年(703)、その大臣の粟田真人が来朝して国の特産物を献上した。
紫の衣を身に付けて白絹を腰帯にしていた。

真人は経書や史書を読むのが好きで、文章を創る事ができ、
ものごしは温雅だ。
開元の初め(玄宗の時代・713〜741)また使者が
来朝してきた。
その使者は儒学者に経典を教授してほしいと請願した。
玄宗皇帝は四門助教(教育機関の副教官)の趙玄黙に命じて
鴻盧寺で教授させた。

日本の使者は玄黙に広幅の布を贈って、
入門の謝礼とした。
その布には「白亀元年の調布(税金として納めたもの)」と
書かれているが、中国では偽りでないかと疑った。

広幅の布地は特産品で現金と同じ価値
だったのかもね
久留米は呉米かな?興味あるわあ

506 :日本@名無史さん:2018/09/12(水) 12:48:34.57 .net
江戸時代の久留米は、
>筑後国久留米藩下で棉花の栽培が行なわれ、
>主要産地とまでは言えないものの、ある程度まとまった生産があり、藍にいたっては大坂に出荷するほどの作付がなされていた。
>しかし、綿織物についてみると、当時一般的だった自給自足的な機織り生産と域内消費にとどまっていた。


高天原の機織りは、桑を植えてカイコを飼う絹織物だったというから、
久留米とはちと技術内容が違うようだ。

507 :日本@名無史さん:2018/09/12(水) 15:01:05.50 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

508 :日本@名無史さん:2018/09/12(水) 19:28:46.30 .net
佐賀川上にあったオギ国府や、国分寺相当の椅寺(大願寺)、藤原氏の守り神の春日大明神などは、
7-8世紀のごろ、相次いで嘉瀬川東岸の久池井地区(久池井・惣座・尼寺)へ移転したようだ。
なぜそのような小首都移転が行われたのか、不思議に思っていた。

で、最近ふと思ったのだが、
大和町誌によると、明治のころの川上地区には大小2000基もの古墳があったそうだ。
ということは、7世紀ころには、すでにこれらはあったということになる。

考えてみれば、2000基ものお墓に取り囲まれて国を統治・運営していたのでは、
正直なところ、王族・官人・武人の士気にも、いささか影響を及ぼしたことであろう。
各地から訪れる賓客の目もあった。

「どうかね、そろそろ首都移転を考えても良い時期に来たのではないのかねえ・・・」
てな感じで、挙げて(お墓が見えない)川向こうの久池井地区へ移ることになったのではないか。

509 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 10:06:29.26 .net
>>508
>大和町誌によると、明治のころの川上地区には大小2000基もの古墳があったそうだ。

しばらく前には「中小の古墳」と言っていたのに、いつの間にか大きくなったな
そして、九州内で比較すれば大古墳でも、全国的に見たら中古墳に過ぎない

日本の大古墳を大きい方から101位まで数えると、137メートル以上のものを
数えることになるが、北部九州では福岡県に1基あるのみで佐賀県は0

福岡県の1基は、筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳でこれが83位

古墳を作る文化圏に入っている北部九州に、倭王権と呼ぶべきものが
なかったことはこれだけでもはっきり分かる

510 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 10:15:18.91 .net
>>509
統計の詐欺

築造順に考えろバカが

511 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 10:33:08.44 .net
小さいものが多いというのはむしろ古形をとどめているように感じる
やっぱ九州から東遷したんだな

512 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 10:47:00.97 .net
>>511
>やっぱ九州から東遷したんだな

やっぱ山奥のジメジメしたところへ東遷?  好きなんだね、そういうところが。  @阿波  


513 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 11:07:47.89 .net
>>509
3世紀以前に絞らないと意味がない。

514 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 11:22:54.81 .net
>>510
>統計の詐欺

>築造順に考えろバカが

古墳時代全区間を通して「倭王の墳墓」と認められるものが、福岡にも佐賀にも
1基もないのは事実だよ

そもそも最古の前方後円墳、箸中山古墳を超える墳長の古墳が、九州全土でも
1基もない

これで前方後円墳で首長墓を作る文化圏の中にあって、周縁に位置づけられる
しかないのは明白

515 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 11:25:16.59 .net
>>511
>小さいものが多いというのはむしろ古形をとどめているように感じる
>やっぱ九州から東遷したんだな

小さいから古形ってことはないんだよ
小さくても、段築・葺き石・円筒埴輪を伴うものは、箸中山古墳以降

それ以前の纏向型前方後円墳でも、最古のものは纏向石塚古墳になる
九州から古墳文化が東遷したと考えるべき理由は、何一つない

516 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 11:28:41.58 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

517 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 12:25:11.60 .net
卑弥呼以死、大作冢

>>515
佐賀川上のは、伊都国に勤めていた官人・武人あたりのお墓だったのだろう。
卑弥呼のお墓のほうは、徇葬者奴婢百余人の「冢」(たぶん自然丘陵利用)だったというから、
段築・葺き石・円筒埴輪を伴うなんてこたーないだろ
他方、ヤマトの巨大で豪奢な前方後円墳は、
残酷な殉葬を取りやめた代替として、王族や人民の絶大な支持を得て大発展したんだと思うけどね。

518 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 12:32:28.26 .net
>>514おいおい、福岡には王の墓は沢山あるぞ
あなたの王という定義は何よ?
福岡の河内王の墓なんてすごく小さいぞ
ちょっと位調べてみて欲しいわ

519 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 12:53:27.04 .net
石室や葺石、埴輪がある古墳は新しくて
木棺、槨なし、土盛のほうが古いのではないでしょうか?

520 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 13:28:20.06 .net
>>514
時系列を無視したバカ発見。

521 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 13:29:16.63 .net
>>519
正解

522 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 14:25:25.64 .net
記紀によれば、垂仁天皇の時代と書かれているが、
この御代に、伊勢神宮が創建されたことになっている。
合わせて、由緒あるお墓にはお社を建ててよろしいとの裁可も下されている。

また、殉葬を廃止して、埴輪を用いるべし、との決定もなされたところから、大規模な墓制改革があったようだ。
思うに、このころ豪華優美な前方後円墳の定型化に舵を切ったのではないか。

523 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 15:54:04.41 .net
>>518
>福岡には王の墓は沢山あるぞ
>あなたの王という定義は何よ?

紀元前〜1世紀の王墓は、邪馬台国とは関係ないでしょ?

3世紀の、大作冢。徑百餘歩と書かれた卑弥呼の墓の候補と
なるような王墓は一つもない

524 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 15:55:23.87 .net
>>519
>石室や葺石、埴輪がある古墳は新しくて
>木棺、槨なし、土盛のほうが古いのではないでしょうか?

そうだけど、方形周溝墓では古すぎるんだよ
卑弥呼の時代と古墳時代の開始が重なる

525 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 15:56:36.15 .net
>>520
>時系列を無視したバカ発見。

編年研究を、「あーあー見ない聞こえない」でごまかしてるだけなのはそっち
バカは>>520の方

526 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 15:57:43.02 .net
>>522
だが、垂仁天皇以前にも、大規模殉葬が確認された墳墓は1例もない

527 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 16:20:10.55 .net
前方後円墳はトヨの時代に円墳と方墳を合体させものだよ
卑弥呼の墓は前方後円墳じゃないし

久留米の祇園山古墳はどうだろうか

528 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 16:37:51.96 .net
>>526
まず1は、
垂仁天皇なる人物はどの時代にあって墓制改革に取り組んだのかが、実ははっきりしない。
それにも関わらず、垂仁天皇以前にも・・・、と確定的に編年を言うことはできないのでは?

第2に、
卑弥呼の大規模殉葬は、九州で行われたとみられることだ。
なぜなら、伊都国が佐賀川上だったとなれば、距離的に見て女王の都は熊本の阿蘇高千穂あたりになる。

阿蘇高千穂の王墓は知られていないようだが、最も確率が高いのは、
径百余歩の自然丘陵の頂部に座する高千穂神社本殿背後の「小さなご神体山」であろう。

社殿によれば高千穂神社は、
垂仁天皇の裁可を得て、露天でその都度玉垣をしつらえつつ祀りごとが続けられてきた古い塚の前に、新たに建てられたのだそうだ。
なぜ古い塚の前で、長年祭事が続けられたのか・・・、
いうまでもなく、よほど重要な人物が葬られていたからに違いない。

529 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 17:40:04.36 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

530 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 18:52:10.30 .net
高千穂神社:たかちほじんじゃ
(宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037)

神紋
十六八重菊 ←(皇室の紋章と同じで、そこいらの鎮守さまとは品格が違います)

御祭神
高千穗皇神 天津彦火瓊々杵尊 木花開耶姫命
彦火火出見尊 豊玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命

配祀
十柱大明神 三毛入野命 鵜目姫命
太郎命 二郎命 三郎命 畝見命 照野命
大戸命 靈社命 淺良部命 他七柱を合祀

531 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 18:55:02.89 .net
>>519
古墳時代なら、どんな時期にでも、埴輪も葺石も段築も石室・槨ももたない古墳小さな古墳がある
古墳秩序においてはかなり下位のものにあたるが、それでも一般人ではない有力者の墓

532 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 18:58:16.27 .net
高千穂神社:たかちほじんじゃ
社格:村社 とほほ・・・

533 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 19:47:20.58 .net
高千穂神社
>天慶年間(938−47)、豊後大神氏から養子に入った政次が三田井家を興し、
>十柱大明神を、高千穂八十八社の総社として崇敬した。
>創建由来はともかく、実質的には三毛入野命(神武天皇の兄)が主祭神だ。

>明治に入り、廃藩置県の過程で、当社の社格は変化する。
>延岡県・美々津県の時代には、県社であったが、
>宮崎県になって、村社に降格してしまう。なぜだろう。

ここでは、おとなしく「明治に入り、村社に降格してしまう、なぜだろう。」と
書いてあるが、理由は言わずもがな、
隣県薩摩の万世一系思想にとって、たいへんな邪魔神であったからであろう。

534 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 19:56:35.40 .net
>>523
>紀元前〜1世紀の王墓は、邪馬台国とは関係ないでしょ?

全て倭の王墓だよ。

535 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 19:57:30.64 .net
>>524
>そうだけど、方形周溝墓では古すぎるんだよ

むしろ女王墓に古い様式が残っていたんだろうね。

536 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 20:17:02.94 .net
>>528いいねぇ、こーゆー話好き
神社と祭祈や伝統のはなし

阿蘇山の麓から大きさを計算すると
富士山より大きくなるらしいね
噴火する前の大昔は
富士山みたいに山の
原形はとどめていたのかな?

537 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 20:22:53.06 .net
>>533へぇ不思議だね
田川郡の香春神社と似た境遇だね

538 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 20:25:37.13 .net
>>536
考古学の話はからっきしだめだけどね

539 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 20:48:48.87 .net
>>523申し訳ないけど何言ってるのか
全然理解できないよ
倭人伝を信用するなら
関西の古墳でも掘って
家来100人分の墓でも出てきたの?

それなら福岡の高良や祇園山あたりでいいんでは?

540 :日本@名無史さん:2018/09/13(木) 20:57:31.78 .net
香春神社(かわらじんじゃ)
福岡県田川郡香春町香春733  
神紋:三階菱(旧県社)

>創祀年代は不詳。
>社伝によると、もと香春岳の一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳の三社をまとめ、和銅二年、新宮として創立したとある。

御祭神
>一ノ岳の神は辛國息長大姫大目命。
>二ノ岳の神は忍骨命。
>三ノ岳の神は豊比当ス。式内社・豊比当ス神社に比定されている。

>社伝には、「豊比賣」は、神武天皇の外祖母(母方の祖母)」とある。
>ということは、神武天皇の母・玉依姫と神武天皇の伯母・豊玉姫の母、玉依姫の父である豊玉彦の后ということになる。
>さらに、「住吉大明神の御母」ともあるから、玉依姫達と住吉の神(三筒男)は兄弟となる。

>対馬は、海神の郷、竜宮城に喩えられ、対馬の豆酘(つつ)が筒男の語源であるとする説があるが、
>山幸彦が行ったワタツミが対馬なら、すべての辻褄が合う。
>また、豊比当スを豊玉姫命とする説もあるらしい。
>豊玉姫命だとすると神武天皇の伯母であり祖母ということになる。

高千穂神社は、神武天皇の直系(男系)の祖を祀っているが、
香春神社は、神武天皇の外戚(母方)の祖を祀っているという特徴があるようだ

541 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 07:27:27.44 .net
>>540どなたか知りませんがありがとう

田川は古くは鷹羽と言ったそうです
九州の阿蘇などの名だたる神社の神紋が
鷹の羽根を使っています

あとどこで読んだかソース忘れましたが
鷹羽の戦士達は頭にバンダナみたいな
紐を結び鷹の羽根を差していたそうです
勇敢な戦士だったと書いてあって
昔からケンカっぽくて戦いが好きなのかと
笑ってしまいました。やっぱりDNAだな

鷹羽に戦士達がいたとすると
近くに守るべき何かか誰かがいたはずです

542 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 07:37:24.96 .net
>>541
>田川は古くは鷹羽と言ったそうです


その「田川辺り」は、上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「奴国」だね。  @阿波


543 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 09:16:26.72 .net
鷹は筑紫天孫族のトーテム。
国津神は概ね鷲。
肥国は熊。
豊国は鰐。

544 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 09:39:23.34 .net
>>543
>国津神は概ね鷲。

関東も鷲。 忌部の祖「天日鷲神(あめのひわしのかみ)」  @阿波


545 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 10:28:33.73 .net
>>542サンキュウです
奴国とはどんな位置付けだったのでしょうか?
発音は、なこく?

546 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 10:35:37.50 .net
>>545
>奴国とはどんな位置付けだったのでしょうか?

不弥国(築城五反田遺跡、上別府沖代遺跡、安武・深田遺跡、安武・土井の内遺跡、赤幡森ヶ坪遺跡
などがある「築上町辺り」)へ行く中継地・宿場町だね。  @阿波


>発音は、なこく?

興味なし。


547 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 10:58:13.14 .net
>>539
>それなら福岡の高良や祇園山あたりでいいんでは?

祇園山古墳は段築(二段)葺き石を持つ、古墳時代の古墳で、
卑弥呼の墓とするには新しすぎるだろ?

それに周りの墓は、甕棺墓群を含む、はっきりと古いものであり、
祇園山古墳とは年代が合わない ⇒ つまり殉葬ではない

>倭人伝を信用するなら
>関西の古墳でも掘って
>家来100人分の墓でも出てきたの?

日本国内で、大規模殉葬が確認されたものはないし、殉葬であると判断されたものすらない
この殉葬百人については、魏志倭人伝を信じてもしょうがないと思っている

甕棺墓時代の庶民の集団墓地の甕棺墓列や、
家族墓としての方形周溝墓へのあとから死んだ人の追葬を、
記した古い記録を、殉葬だと勘違いしたんじゃないかと個人的には考えている

548 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 10:58:34.17 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

549 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 11:01:22.92 .net
>>545
今も那の津というくらいだから、奴国はナコクだったでよいのでは(但し遠絶傍奴国の場合)。
その他、倭人伝の国名には「奴」のつく国が少なくない。
これは出雲風土記などの用例から推測すると、
「野」、つまり開拓田・開墾畑のように、組織的にもうけられた一種の農園・荘園のような存在だったと思える。

例:華奴蘇奴国→華野国と蘇野国

550 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 11:12:39.63 .net
>>547
殉葬に代えて埴輪を用いるようになったと記されているところから、どこかにあった風習・・・、と理解せざるを得ない。
ただし、埴輪文化の地にはなかったであろう。

殉葬は誰でもできる事でなく、強力な武力の後ろ盾を擁したに違いない。
それを実行した蛮族の地はどこだったのか、ヤマトでなければ、九州だろう。

551 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 12:09:07.47 .net
>>549サンキュウです
那国と奴国は同じ発音?
那国は名島や裏糟屋でしょうか? 

552 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 12:13:54.12 .net
祇園山古墳は二段になっていて上層部は後の時代に加えられたもので、
地下には築造当初の被葬者が今も眠ってるとか…

でも卑弥呼じゃなくて高木神だと思うな(´・ω・`)

553 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 12:18:06.04 .net
>552
ホワイトケープは巣に帰れ

554 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 12:21:47.01 .net
>>552
なるほどー
高木の神は、たぶん渡来人だな、で高良台のお墓に、、、

555 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 13:19:39.43 .net
「漢委奴國王」→かんのわのなのこくおう
やはり、那の津を本拠地にして、当時の倭を治めていた筑紫(奴・那)の王だろうねえ
 

556 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 14:03:19.81 .net
>>552
>祇園山古墳は二段になっていて上層部は後の時代に加えられたもので、

こんなことを言うやつは初めて見たよ
じゃあ古墳時代のでかい古墳は、全部2段目を後の時代に加えたんだなww
3段築成の古墳は、2回、増築工事をする訳だ

すごい新説だね!

557 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 14:25:59.53 .net
>>556
お前が何も知らずにいちゃもんつけてることが良くわかったわw

558 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 18:20:59.38 .net
>>557
どこがいちゃもんなのか「具体的に指摘」してね!

捨て台詞だけは一人前なんだよな、九州説はww

でも、具体的な指摘は一切しない
具体論に入った瞬間に瞬殺されるからww

二段築成の上段は後の時代に増築とか、笑わせるにも程があるww

559 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 19:44:50.51 .net
>>558 草生やす前に墳墓についてちゃんと調べれば恥かかなくて済むよ?

560 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 19:53:34.75 .net
恥知らずほど遠吠え。

561 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 19:55:07.08 .net
祇園山古墳は、二段築成の立派な古墳
あとから増築したなんて話はどこにもないよ

562 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 19:56:29.22 .net
>>559
>草生やす前に墳墓についてちゃんと調べれば恥かかなくて済むよ?

おかしいな?
九州説だったら、畿内説に恥をかかせられるなら嬉々として
それを何度も繰り返し書き付けるはずなんだが?

さては、恥をかかせられるネタがないんだな?ww

563 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 20:03:50.12 .net
>>562
大恥知らずには、畿内の学者たちも手を焼いていることだろう

564 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 20:07:22.39 .net
>>558
>どこがいちゃもんなのか「具体的に指摘」してね!

これ、畿内説がよく使う開き直りだよね?

565 :日本@名無史さん:2018/09/14(金) 20:40:53.48 .net
うん、そうだね。
さては、畿内説・大和説が、九州のみやま市辺りまで出没するようになったか。

566 :日本@名無史さん:2018/09/15(土) 17:08:27.51 .net
>>564
>これ、畿内説がよく使う開き直りだよね?

開き直りじゃないよ?
具体的に指摘して追い詰めて見せればいいじゃないか?

具体的に指摘すると、根拠がもともとなくて論破されてしまうから、
具体的な各論から逃げ続けるのが九州説

567 :日本@名無史さん:2018/09/15(土) 17:26:59.73 .net
まともな日本語読解力がないから無理。

568 :日本@名無史さん:2018/09/15(土) 17:59:36.25 .net
まともな読解能力のない九州説には、文献等を読んで具体的な根拠を示すのが無理ってことだね

569 :日本@名無史さん:2018/09/15(土) 18:24:20.08 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

570 :日本@名無史さん:2018/09/15(土) 18:51:19.07 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

571 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 07:14:43.38 .net
竪穴式住居って無理に抜け出すものでもなくて、
条件が合えば快適な住居なのですね。

日本でも鎌倉、室町時代までは普通に竪穴式住居が使われていましたし
北海道では江戸時代まで使われていまして、
北海道は寒冷のため、かなり深く掘りぬく傾向があり
原野にはいまでもその穴が残っているところがあるそうです。

中国でも戦前までは地方でかなりつかわれていたそうです。
というか奥地の少数民族でまだ使っているところもありそうだなあ。

572 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 07:27:01.97 .net
>>571
>中国でも戦前までは地方でかなりつかわれていたそうです。



で、この部分の証拠は?


.

573 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 07:39:11.03 .net
吉野ケ里では高床式の宮殿と
王の居住用の竪穴式が両方あったね。

夏は高床式でいいけど
冬の吹きさらしでは竪穴式のほうが
住みやすそうだからね。

574 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 08:56:04.25 .net
>>572
自分が無知なだけだろ。

575 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 11:16:05.61 .net
土は断熱性がいいからね。
現代風竪穴式住居ってできんもんだろうか?

窓は欲しいので、窓ギリギリまで掘りこむとか。

あと、水没が怖いので土地全体を微高地にして
排水用の溝を掘っておけばいいかな。

576 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 11:21:45.11 .net
考えてみると竪穴式住居って結構条件が厳しいな。
人口が少ない間は良い場所を選んで竪穴式住居を作れたが
人口が増えると、水がわくような悪地にも住まなければならなくなって
仕方なしに倉庫用だった高床式に住まわされるのかもしれない。

577 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 11:23:17.66 .net
>>574
>中国でも戦前までは地方でかなりつかわれていたそうです。


で、この部分の証拠は?



早く出せよおまえ!

578 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 17:09:09.77 .net
>>569-570

日本列島人にとって、必要不可欠なものは伝わるが、不必要なものは伝わらない。

必要不可欠なもの
*短粒種米と水田・中粒種米と畑作はBC4500年までに日本列島に伝わっている。
*多量の穀物保存用の高床式倉庫・湿気防止とネズミ対策

不必要なもの
*炊飯器・縄文土器で代用できる
*石刃製農具・大規模畑作用農具は不用
*高床式住居・冬は寒く夏は暑い 竪穴式住居は冬暖かく夏涼しい


竪穴式住居の穴の深さについて
満州東部(挹婁)>朝鮮半島南部(韓地 土牢状)>壱岐>玄界灘沿岸>播州平野>大阪湾岸平野≒筑紫平野
冬季の寒冷程度に対応している。

579 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 17:20:22.00 .net
>>578



不必要なものが不必要だと、どうして分かったの?何で分かったの?


.

580 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 17:46:22.07 .net
>>578
それに最古水田が出現して100年以上もの間、九州北部に高床式倉庫なんてないぞ。

高床式倉庫が松菊里式住居とセットで半島から伝わるのは最古水田より
100年以上後の事だぞ。

それまでは穴蔵に貯蔵していた。



で、BC4500年までに日本列島に伝わったというイネの証拠現物(稲籾、籾殻、炭化米)は?


.

581 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 18:26:49.88 .net
三笠宮様の執筆された
日本あけぼのって本がほしいな
でも古本でも2万円以上するんだよね
三笠宮様は、福岡の那国が中心だと言ってるそうです
天皇家系なのに、真実の日本を明らかにしたいとか
奈良の三笠から名前つけたのに
福岡を中心とか言うのが面白い

582 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 19:07:54.15 .net
福岡県にも三笠山(宝満山)というのがあつて、地名の移転があったのでしょう。

583 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 22:12:24.56 ID:vUJtU7szL
糸島のハミン◯ジョーってヤバイよな
知ってる?

584 :日本@名無史さん:2018/09/16(日) 22:15:28.13 ID:vUJtU7szL
バプテストカルト教団

585 :日本@名無史さん:2018/09/18(火) 23:32:48.61 .net
>>579

不必要なもの・・・役に立たないもの


>>580

>日本列島に伝わったというイネの証拠現物(稲籾、籾殻、炭化米)は?

プラントオパールも証拠現物だよ。

プラントオパールから見ると、中粒種と短粒種が一緒に日本に渡ってきている。
縄文中期の稲栽培品種は、中粒種がメインで短粒種が2割以下。

586 :日本@名無史さん:2018/09/19(水) 00:22:30.69 .net
プラントオパールは生物の活動によって下位の土層まで落ち込むことが判明してる
使えるのは土器の胎土から見つけた場合のみだよ

587 :日本@名無史さん:2018/09/19(水) 11:19:55.36 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

588 :日本@名無史さん:2018/09/19(水) 12:31:03.21 .net
香春神社から高良大社に興味がうつり
今は高良大社にはまっています
ここもすごいなあ

神功って何人子供いるんだろう

589 :日本@名無史さん:2018/09/19(水) 12:43:24.97 .net
子供が多かったのは景行天皇。80人以上。
九州を征服し、各地の女性首長に端から産ませまくったのだろう。
諡はオオタラシヒコ。

590 :日本@名無史さん:2018/09/20(木) 10:31:49.37 .net
オオタラシヒコのたらしは、女たらしって意味じゃないからw

591 :日本@名無史さん:2018/09/20(木) 11:29:56.22 .net
わかってるってw

592 :日本@名無史さん:2018/09/20(木) 11:43:06.75 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

593 :日本@名無史さん:2018/09/21(金) 12:29:01.70 .net
: 09/21(金)06:15 ID:H2ZqBSD(1) AAS
■強姦されて分かったことを書く
大した金も持ち歩いてないし飲んで酔って外で寝ていたら強姦された。
シラフなら抵抗できただろうが、泥酔していて為す術もなかった。
最近になってやっとショックから立ち直ってきたので書く。

1。抵抗する気とか起きない
暴力で屈している状況から、抵抗してもっとひどいことをされるのではと思うと、何もできなくなる。
助けを呼ぶ声も出せなくなる。

2。事を荒立てる気にならない
数日間はショックで頭が働かなくなる。
警察に相談する気力なんて出るわけがない。
レイプは表に出ないことが多いのも分かった。

3。警察も親身になってくれるとは限らない
私の場合は、やっと気力を奮い立たせて警察に行ったのに、真面目に対応してくれなかった。
犯行から日が経っていて物的証拠も何もなく、証言も曖昧となると、門前払いに近い形で追い返された。
もはや泣き寝入りする形になった。

4。男でも襲われることがある
私のような毛深い100キロオーバーの40代男性でも油断ならない。
これが一番の驚きだった。
特殊な趣味の人間はいるので、誰しもが被害にあう可能性がある。
人事だとは思わないようにして欲しい

594 :日本@名無史さん:2018/09/21(金) 12:37:39.71 .net
地勢表す地名を大事に/奈良文化財研究所名誉研究員 狩野久氏

邪馬台国は、「台」の文字を「と」と読み、「やまとのくに」というのが正しいという説がある。

「やまとのくに」の「やまと」は「山門」と書く。
筑後国山門郡にあったということではなく、山への入り口を意味する。
この地名は、どこにでもあるものではない。
神聖で、崇敬な山の入り口が「やまと」だ。
邪馬台国について考える際は、このことを念頭に置く必要がある。
地名はその土地の地勢を表すもので、大事にしなければならない。

卑弥呼の「弥」は、上に「卑」がくることで「め」と読むと、
本居宣長が古事記伝で指摘している。
卑弥呼は本来「姫児」と書いて「ひめこ」と読む。
各地で女性たちが世の中を治めていた時代、
卑弥呼もそうした首長の一人だったにすぎないということだろう。
魏志倭人伝を読むにあたって、注意してほしい点だ。

最後に、邪馬台国は九州にあるのではないかと個人的には考える。
固執する気はないが、可能性は高いとみている。

奈良にも九州説のひとがいるんだね。
古代史は本当に面白いよね

595 :日本@名無史さん:2018/09/21(金) 19:21:07.12 .net
近畿説があり得ないのは、儀との交流の証である鉄製品、絹の存在がまるで見つからないことだよな。

596 :日本@名無史さん:2018/09/21(金) 21:07:48.77 .net
>>595
>鉄製品、絹の存在がまるで見つからないこと

たとえば、桜井茶臼山古墳から出た銅鏡は絹の袋に包まれていた跡が残っているし、
下池山古墳の内行花文鏡は縞模様に染められた絹織物の袋に入れられており、
これこそが、倭文織の絹そのものだと言われてるんだがな

597 :日本@名無史さん:2018/09/21(金) 21:21:34.83 .net
桜井茶臼山古墳は九州の様式に近いんだよ。
九州から畿内へ移住した痕跡だろうね。

九州では豊富だが畿内では少ない
朱丹や絹、方格規矩鏡や内向花紋鏡、
そして宗像神社がある古墳だから。

598 :日本@名無史さん:2018/09/21(金) 21:23:03.36 .net
>>596
「桜井茶臼山古墳」や「下池山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波


599 :日本@名無史さん:2018/09/21(金) 21:30:46.24 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

600 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 00:00:02.08 .net
>>596
それは卑弥呼の死後に大和が筑紫に征服された後のものだよ。

601 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 01:16:49.36 .net
妄想は根拠にならない

602 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 08:06:17.34 .net
茶臼山で絹に包まれていたのは、平原遺跡に次ぐ大きさの内行花文鏡だった。
三角縁神獣鏡は床に置かれて割られていた。
そしてこれが大和におけるわずかな絹の検出例となっている。
畿内は平原女王のいた筑紫を頂点とする支配体系に組み込まれたんだよ。
大和においては、絹は筑紫からの内行花文鏡を持つ支配者だけの持ち物だった。

603 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 08:14:11.98 .net
>>602
「桜井茶臼山古墳」や「下池山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波


604 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 08:22:03.68 .net
>>597
>桜井茶臼山古墳は九州の様式に近いんだよ。
>九州から畿内へ移住した痕跡だろうね。

でも、九州から出る絹は、全部古くて織も荒いものしか出てなくて、
倭文織に繋がると考えられるものは「一切」出ていない

古い墓があれば、墓に埋葬する分化の源流っていっているようなものw
墓はどの地域にもあっただろうに

605 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 08:36:27.72 .net
平原の鏡はどうだったのかな?

606 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 12:56:57.29 .net
>>604
古いということは、早くから絹の生産が進んでいたということ。
大和がいかに後進地域であったかがわかるね。

607 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 12:57:54.71 .net
>>604
大和の文化の源流は筑紫ということだろう?
何が言いたいのかわからないよ。

608 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 14:48:32.48 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

609 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 14:49:23.14 .net
桜井茶臼山のどのへんが九州の様式に近いんだかw

610 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 16:03:08.81 .net
内行花文鏡を最上位に置いているのだから、筑紫の天孫族の末裔だろ。

611 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 16:36:18.47 .net
古墳から出土した大型鏡としては、
1位 「鼉龍鏡」44.5センチ 山口 柳井茶臼山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3#/media/File:%E6%9F%B3%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%87%BA%E5%9C%9F_%E3%81%A0%E9%BE%8D%E9%8F%A1.JPG
2位 「内行花文鏡」39.8センチ 柳本大塚古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000700000/e6c59c8777c949b69a9e966a571ddb2d
3位 「鼉龍鏡」38.8センチ 出土地不明だが1位と同じ「鼉龍鏡」
http://www.emuseum.jp/detail/100584/000/000%3Fmode%3Ddetail%26d_lang%3Dja%26s_lang%3Dja%26class%3D%26title%3D%26c_e%3D%26region%3D%26era%3D%26century%3D%26cptype%3D%26owner%3D%26pos%3D825%26num%3D2
4位 「内行花文鏡」39.6センチ 下池山古墳出土
https://lh5.googleusercontent.com/-tkY1W-oL8vY/VNdKvPWKogI/AAAAAAAACPM/HIci-6ZXnNg/s2560/shimoike376.jpg
5位 「勾玉文鏡」35.7センチ 大阪紫金山古墳出土
https://lh6.googleusercontent.com/-wXRTdJSy-nk/VLPb5HnPYRI/AAAAAAAABc8/pCaHbl_7i9I/s2560/sikin359f.jpg
6位 「変形方格規矩鏡」34.9センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000680000/c1f396e370674f8ca9253bba0298bae6
7位 「直弧文帯縁内行花文鏡」34.3センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000690000/afe97a03a9d2456899e83ea787ce89f2
8位 「変形方格規矩鏡」32.7センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000670000/13fd29465df845d1a1d1953cf8a64290
9位 「四仏四獣鏡」30.4センチ 千葉 祇園大塚山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001001000000/1e1c67f63291436080316c0bd8086302

古墳時代に、特に内行花文鏡だけが特別視されて大きく作られた訳じゃないってのが分かる

612 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 16:36:40.30 .net
また、古墳時代の大型鏡はどれも細部に至るまで細かい模様が彫り込まれていて見事なものばかりで
これらと較べると、平原1号墓出土鏡は大きさだけは1位だが、模様も単調で
他の内行花文鏡で流水文などになっている部分を単なる同心円にして範囲を広げ
面積を稼ぐことだけに使っている
平原1号墓出土鏡が、王の鏡だとは考えにくい

613 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 16:40:48.95 .net
>>613
古墳前期までは内行花文鏡中心
その後で他の形式の鏡に大型化が広がる

614 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 16:41:53.60 .net
>>614
一番古いからね
他の鏡より半世紀は遡る鏡だし、ある意味当然

615 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 16:44:28.32 .net
>>614
王の鏡かどうかはわからんが、かなりの権力と財力と外交力がある人物だね

616 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 17:21:38.94 .net
あからさまな自演

617 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 17:39:57.83 .net
桜井茶臼山の出土状況でどうやったら内行花文が最上位に扱われてるなどと言えるのか?
根拠よろしく

618 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 18:21:48.18 .net
>>611
>古墳から出土した大型鏡としては、
>1位 「鼉龍鏡」44.5センチ 山口 柳井茶臼山古墳

「柳井茶臼山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく周防忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波


619 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 18:26:18.23 .net
>>611
>2位 「内行花文鏡」39.8センチ 柳本大塚古墳出土

柳本大塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波


620 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 18:29:09.56 .net
>>611
>4位 「内行花文鏡」39.6センチ 下池山古墳出土

「桜井茶臼山古墳」や「下池山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」だよ。  @阿波


621 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 18:34:56.86 .net
>>604
倭文は蚕が違うから別系。

622 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 19:23:15.33 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

623 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 20:05:40.97 .net
>>621
>倭文は蚕が違うから別系。

そうだよ?
だから、九州でいくら絹が出るって言っても、ムダなんだろ?

624 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 21:08:36.24 .net
魏志倭人伝では絹の種類までは特定していない。
そもそも魏志倭人伝の時代に畿内には絹がないだろ。

625 :日本@名無史さん:2018/09/22(土) 21:14:56.60 .net
【震災を容認、原爆脳】 安部「小型核なら合憲」 ロシア「偽装実験は容易」 読売「原爆で人工地震」
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1537583222/l50

ビル倒壊(阪神大震災)、大津波(東日本大震災)、大規模山崩れ(北海道地震)、安倍さん、大量殺人だよ!

626 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 04:58:31.28 .net
福岡田川郡に大石太神という神社がある
正確には石の漢字のなかに点が入る変わった
漢字を使う神社だ
未だに石なのか右なのか百なのか解らない
個人的には后では?と思っているが。
さて、この大石神社、引っ越しする前は
田川郡川崎の池尻駅近くの小字古宮って所にあり
はっきりとした創建は不明、
門を守る神様が祀られています
豊岩間戸神、櫛岩間戸神は聞きなれないお名前の神様です。
ここが神聖な山に行く入り口の門
裏手のカグメ山の山頂には巨石がある 
ここらが邪馬台国かも知れないなあ 

627 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 05:10:01.40 .net
とりあえず田川半端ない
聞き慣れない神社が多いけど
みんな古くて、いや古すぎて...
大鏡山神社、香春神社、現人神社、大石神社etc
興味ある神社のオンパレードだわ

628 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 07:22:19.46 .net
>>627
>とりあえず田川半端ない

田川周辺は「奴国」だからね。
「奴国」は上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「田川辺り」。  @阿波


629 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 07:38:06.17 .net
>>627
卑弥呼の末裔である田湯津姫の本拠地ですよ。

630 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 13:15:03.00 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

631 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 13:47:24.43 .net
>>15
八女やんけ

632 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 13:51:51.44 .net
>>61
10000両だから十トンな

633 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 13:54:06.11 .net
>>83
阿波なんてナンの伝承もないやんけ

634 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 13:57:36.42 .net
>>116
国賊せいぜい気をつけとけよ

635 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 14:01:06.33 .net
>>123
それなら滋賀に遷都は無いやろうな
雀頭イカれとんのか

636 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 14:06:15.35 .net
>>630福岡の名島(浦島)から
金箔付きの瓦と金の王冠(破損有り)が出ていますよ
瓦は三笠宮様が、王冠は京都大学に
持っていかれたみたいな

>>628奴国と邪馬台国は接していたのではないですか?
もしくは奴国の中にあったとか?
ついでに初期天皇一族も。
証拠なんて出せないけど
そんな気がしてなりません

637 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 14:06:25.13 .net
>>148
イトは明らかに糸島パーカお前は

638 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 14:13:17.41 .net
>>187
阿波が言うな

639 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 14:48:51.92 .net
頼む(^人^)荒らさないでくれ

弥馬升、弥馬獲支
>>626の豊岩間戸神、櫛岩間戸神
なんか響きがにてませんかね?→阿波さん

640 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 15:12:51.62 .net
>>246
死ねや
エベンキ

641 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 15:21:36.70 .net
>>282
消えとるやんけ

642 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 15:41:54.47 .net
>>309
岡山のチメイヤロ

643 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 15:44:19.02 .net
>>319
韓唐ベクレに興味はない
ポポ捏造やし

644 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 15:47:19.04 .net
>>336
芋でも食っとけ

645 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 15:58:51.17 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

646 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 16:44:17.84 .net
>>645

必要なものは定着するが、不必要なものは定着しない。
日本の風土(夏高温多湿、豪雨と乾燥、台風、地震)に合わないものは
不要なもので伝わって来ても定着しない。

伝わってきても日本の風土に合った日本人による新技術開発があってから初めて定着する。

五重塔 大型建造物等  台風(耐風建築)、地震(耐震建築)


647 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 17:02:49.39 .net
>>646


で、伝わったときの証拠遺構は?



伝わりもしないもの、定着もクソもない。

648 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 17:22:48.70 .net
宮殿とかは流石に影響あっても良さそうやな

649 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 17:31:01.65 .net
>で、伝わったときの証拠遺構は?

伝わったときの証拠遺構はわからない。

伝わったものが日本で新技術(耐風 耐震)が加えられて残存した証拠物件は、
奈良 薬師寺五重塔 法隆寺 等である。

650 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 17:35:27.68 .net
>>638
>阿波が言うな

倭国(阿波)が言わずして誰が言う?
「だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。」  @阿波


651 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 17:46:08.69 .net
>>649
基礎の穴跡から、松菊里式住居や高床式倉庫が半島から伝わったばかりの
ときの事まで全て分かるんだぞ。

伝わったなら、確実に痕跡遺構が遺ってしまうんだから、とっくの昔に見つかっているはず。

652 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 18:12:46.09 .net
>>626を書いたの私ですが
櫛 岩間戸→岩間戸って呪文のように
繰り返してたらヤマト(弥間戸)ってなりました
ヤマトってこの辺だったのね
簡単でした(^3^)/(^3^)/

653 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 18:37:44.29 .net
>>649

× 薬師寺五重塔

○ 薬師寺東塔三重塔(六重塔)

654 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 18:52:23.66 .net
>>651
大宰府 観世音寺本堂 僧坊 

(移築説もある)本堂→法隆寺 僧坊→京都三十三間堂 

655 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 19:14:02.91 .net
https://horubai.jp/content/nnp_news/105
これ西日本新聞の一部なんだけど
地元民だけしか知らない鬼塚(おんつか)について

ネットで調べても全くヒットしない
地元では姫様の墓と言われているらしい
台与かもしれない
金印でないかな

656 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 19:46:31.02 .net
>>650
すだちしか無い糞田舎と知っとるからレスいらんで

657 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 19:56:11.94 .net
薬師寺って現存あったけ

658 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 19:59:38.12 .net
>>656
>すだちしか無い糞田舎と知っとるからレスいらんで

もちろん、倭人伝に云うスダチも有るが、「丹」もあるでよ。 すこし、分けようか? 欲しいんだろ?
弥生時代後期末の集落遺跡も分けて進ぜようか? 欲しいんだろ?

「だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。」  @阿波


659 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 20:02:45.32 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

660 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 20:10:01.90 .net
>>656
>すだちしか無い糞田舎と知っとるからレスいらんで

もちろん、倭人伝に云う橘(スダチ)も有るが、「丹」もあるでよ。 すこし、分けようか? 欲しいんだろ?
弥生時代後期末の集落遺跡も分けて進ぜようか? 欲しいんだろ?

「だけど、九州は弥生中期以前の、古くて代わり映えのしない集落がほとんどなんだよな。」  @阿波


661 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 20:58:24.74 .net
>>660
意味不明やな
元気な徳島人は珍しいけどな
過疎すぎて

662 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 21:15:31.83 .net
>>661
>元気な徳島人は珍しいけどな

元気な徳島人といえば、昨日、来年の践祚大嘗祭に麁服(あらたえ)を調進する、阿波忌部直系氏人の御殿人(みあらかんど)
三木信夫さんの講演会に行ってきた。 元気な倭国(阿波)人だったよ。  @阿波


663 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 21:19:31.45 .net
三木総理の関係か
きもすぎやわな
あの女とか

664 :日本@名無史さん:2018/09/23(日) 21:54:10.34 .net
薬師寺の東塔は現在解体修理中

665 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 00:03:56.31 .net
薬師寺変態坊主とコンクリート建築の話しか思い出せない

666 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 10:14:34.65 .net
>>655
日本にもまだまだこんな場所あるんだ

667 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 12:55:04.80 .net
それ奈良姫様の墓

668 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 13:29:57.52 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

669 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 17:29:48.61 .net
福岡平野は、弥生中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、
中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。
博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ
100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。

発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、
この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。

30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、
伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、
井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。
考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。

須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。
環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。
比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。

吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、
福岡の弥生銀座と呼ばれる遺跡群と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、
どんぐりの背比べである。

670 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 18:16:04.04 .net
>>669
>福岡の弥生銀座と呼ばれる遺跡群と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、
>どんぐりの背比べである。

福岡の弥生銀座も大した遺跡じゃないよ。  @阿波


671 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 19:13:32.22 .net
>>670
根拠

672 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 19:25:36.11 .net
阿波って碌に都市遺跡も王墓もないのに
よく倭国の中心地って妄想できるなおじいちゃん

673 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 19:29:44.46 .net
>>672
>阿波って碌に都市遺跡も王墓もないのに

ここ、ビジター?  @阿波


674 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 19:30:13.46 .net
阿波は銅鐸
風で占いをする占風鐸を各地に売っていた
昔の医者は風が病気の原因と信じていた為
風向きをひじょうに気にしていた
江戸時代位までは病原体や伝染病ウィルスを
知らなかった為
全ての病気を風のせいにしていたんだよ

675 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 19:39:21.29 .net
>>673
阿波って碌に都市遺跡も王墓もないのに
よく倭国の中心地って妄想できるなおじいちゃん

676 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 20:24:40.04 .net
>>675
>阿波って碌に都市遺跡も王墓もないのに

これは、倭国(阿波)の王都遺跡じゃないんだけど、取りあえずこれに匹敵する遺跡を「弥生銀座」から挙げてごらん。  @阿波
「若杉山遺跡」
徳島県阿南市水井町若杉山遺跡・丹波坑口・長生町奥ノ谷遺跡
出土遺物
@石器(石臼・石杵)
A土器
 甕・広口壺・二重口縁壺、小型丸底鉢、鉢、高杯、器台=生活用具のほとんどがそろっている
 小型丸底坩(弥生X様式後半〜布留式まで)庄内式並行期がほとんど
 土器胎土(結晶片岩・石英・雲母)
B玉類
 蛇紋岩製勾玉
C鉄製品
 刀子・不明鉄製品(やりかんな?)
D自然遺物
 貝片・獣魚骨・人骨片

想定される生産形態
・土器以外の生活用具が少ないが、生活用具のほとんどが揃っている
・籾痕の付いた土器や鹿・猪・貝類=一定期間生活
・岩盤直上に営まれる→近くの集落の人間が農閑期に行う特産的生産レベルのものではなく、
 分業化された専門工人集団の生産
・ハマグリ・オキアサリの成長線分析→採取時期は夏期後半から秋期後半

 若杉山遺跡の採掘作業は、夏季後半から秋季後半に行われていた可能性
              (徳島県立博物館1997・岡山1998)


677 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 20:38:39.66 .net
>>676
で、その遺跡の規模は?

弥生銀座は100ヘクタール規模の集落が
博多から春日まで途切れなく続いている。
須玖岡本遺跡は全国の青銅鋳型の三割が見つかった工業大国。因みに全国の青銅鋳型の八割が北部九州で見つかっている。
先進性も規模も比較にならない。

678 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 20:44:04.40 .net
>>677
人口多そうやな
首都クラスでないの

679 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 20:46:27.25 .net
>>677
>で、その遺跡の規模は?

「弥生銀座」の自慢できるのは、遺跡のだだっ広さだけかね? 
福岡の弥生銀座も大した遺跡じゃないね。  @阿波


680 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 20:57:14.65 .net
>>678
>人口多そうやな

まじ、福岡の「弥生銀座」より、倭国(阿波)の「弥生銀座」が遥かに首都らしい。  @阿波
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡


681 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:06:26.74 .net
>>680


682 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:08:30.90 .net
暴れ川だからコロコロ場所かえてたんだろ
青銅はよ

683 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:11:38.87 .net
>>681
>で

で、取りあえず 「若杉山遺跡」に匹敵する遺跡を「弥生銀座」から挙げてごらん。  @阿波


684 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:13:18.56 .net
まじ、福岡の「弥生銀座」より、倭国(阿波)の「弥生銀座」が遥かに首都らしい。  @阿波

685 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:16:18.01 .net
阿波国は海外との交流の証拠を出そう
集落跡ばかりで何を信じろとな?

686 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:32:12.89 .net
>>685
>阿波国は海外との交流の証拠を出そう

なにを出そうか?  @阿波


687 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:41:37.70 .net
ギョクジや金の指輪とか期待
倭王印とか

688 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:42:00.98 .net
>>683
674のどこに首都の要素があるんだよw
小規模集落があっただけだろw
それくらいどこにでもある。

689 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:42:31.22 .net
>>685
>集落跡ばかりで何を信じろとな?

と、逃げてないで、取りあえず 「若杉山遺跡」に匹敵する遺跡を「弥生銀座」から挙げてごらん。  @阿波


690 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:43:58.76 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

691 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:45:15.95 .net
>>688
>それくらいどこにでもある。

じゃ、取りあえず 「若杉山遺跡」に匹敵する遺跡を「弥生銀座」から挙げてごらん。  @阿波


692 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:49:21.68 .net
>>691
須玖岡本遺跡
比恵那珂遺跡
比恵遺跡
匹敵するどころかオーバーキルで
勝負にさえならん。

693 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 21:51:11.07 .net
銅鏡はおなか一杯
七支刀くらいださないと畿内や九州に勝てないよ

694 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:01:31.84 .net
>>692
>匹敵するどころかオーバーキルで
>勝負にさえならん。

もしかして、それらの遺跡、鉄器さえないんじゃないの? それで「オーバーキル」?  @阿波


695 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:06:02.32 .net
>>693
>七支刀くらいださないと畿内や九州に勝てないよ

それ、倭国(阿波)から下賜されたものだよ。  @阿波


696 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:08:18.71 .net
>>694

何を根拠に言ってるのか知らんけど、
鉄斧とかがでてる。
絹もでてる

697 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:11:27.56 .net
>>696
>鉄斧とかがでてる。
>絹もでてる

じゃ、「丹」は?  @阿波


698 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:15:46.60 .net
>>697
墓とかに使ってるんじゃないのか

699 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:17:15.89 .net
阿波おじいちゃんって痰だけがよりどころだなw

700 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:18:23.58 .net
>>698
>墓とかに使ってるんじゃないのか

倭国(阿波)の若杉山産をね。  @阿波


701 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:20:11.37 .net
>>699
>阿波おじいちゃんって痰だけがよりどころだなw

君は「痰」さえ、だせないけどね。  @阿波


702 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:21:48.40 .net
>>700
で、阿波の都市遺跡じゃ筑紫の弥生銀座には逆立ちしても勝てないことは理解した?

703 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:22:14.17 .net
やしきたかじんみたいなキチガイちょんこの地元だしな阿波

やつが安倍ちょんこを救って国内めちゃくちゃやが
死んでからマジちょんこだったことがわかったんだよな

704 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:23:06.83 .net
まあ、湧いてくるだろうからスルーではなしは

705 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:23:38.50 .net
>>702
>で、阿波の都市遺跡じゃ筑紫の弥生銀座には逆立ちしても勝てないことは理解した?

とても無理。  @阿波


706 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:25:32.09 .net
>>703
>やしきたかじんみたいなキチガイちょんこの地元だしな阿波

???  @阿波


707 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:30:09.27 .net
富山県出土の縄文土器には
すでに辰砂とベンガラの両方が使い別けられている
富山新潟から朱と翡翠が出雲を経由して
九州に来たのでは?と思う
富山県にも辰砂の古い坑道あるんだよ

708 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:34:45.25 .net
>>706
やしきたかじんは徳島でかつちょんこだよ
知らんかったか

709 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:35:49.08 .net
>>707
>富山県出土の縄文土器には
>すでに辰砂とベンガラの両方が使い別けられている

倭国(阿波)は縄文時代から広域交流していたから、
その水銀朱も倭国(阿波)の若杉山産だよ。  @阿波


710 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:37:41.03 .net
>>708
>やしきたかじんは徳島でかつちょんこだよ

そんなこと、初めて聞いた。  @阿波


711 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 22:39:40.66 .net
倭国(阿波)のお勉強
「加茂宮ノ前遺跡」
徳島県阿南市加茂町大西、宮ノ前にある加茂宮ノ前遺跡は那賀川の右岸、標高約24〜26mの自然堤防に立地している。
発掘調査では、弥生〜古墳時代と鎌倉〜室町時代の集落跡を確認。弥生時代中期後半〜古墳時代前期初頭(紀元1〜3世紀ごろ)の竪穴住居跡20棟余りと、土坑、溝、柱穴を発見した。弥生〜古墳時代の県内最大規模の集落とみられる。
住居跡や周辺の遺構からは、水銀朱の精製に関わる磨石(すりいし)や石杵、石臼などの石器500点余りと、祭祀に関わる水銀朱の原料となる辰砂約90点が見つかり、注目される。
住宅跡からは、サヌカイト製の石器とその残りかす、糸を紡ぐために使う土製紡錘車、鉄器、ガラス小玉が出土。鍛冶炉(製鉄の炉)を備えていた。
一つの住居で辰砂の精製と鉄の加工、紡織、石器づくりをしていることから、さまざまな物を同時に作る工房としての性格があることが分かった。
加茂宮ノ前遺跡の南西約5qには、弥生〜古墳時代の辰砂採掘遺跡である若杉山遺跡がある。那賀川の対岸には縄文〜鎌倉、室町時代の深瀬遺跡がある。若杉山、深瀬の両遺跡は時代が共通する上、辰砂が見られる点から、加茂宮ノ前遺跡との関連が注目される。
加茂宮ノ前遺跡では、水銀朱を作っていたほか、石器、鉄器の製作加工や紡織をするなど「生産のムラ」として大規模に展開していたといえる。(県埋蔵文化財センター専門研究員 田川憲)  @阿波


712 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 23:32:10.70 .net
弥生時代の水銀朱の大半が九州北部にあり、ほぼ大陸産でしょ。
それが全国に拡散した。

弥生時代の銅鏡の大半が九州北部にあり、ほぼ大陸産でしょ。
それが全国に拡散した。

弥生時代の絹の大半が九州北部にあり、ほぼ国産。
それが全国に拡散した。

713 :日本@名無史さん:2018/09/24(月) 23:44:36.72 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

714 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 05:15:18.89 .net
若杉山の辰砂だけで全国の朱を調達できた
はずがない
若杉山は規模か小さすぎる、奥行15m
奈良のマキムクも朱の取引所、だから何も出ない
妄想ですけど
 

715 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 06:38:19.66 .net
>>714
>若杉山の辰砂だけで全国の朱を調達できた
>はずがない
>妄想ですけど

イオウ同位体比は妄想ではない。 少なくとも、九州の前方後円墳水銀朱は倭国(阿波)の若杉山産だろうね。  @阿波
大和の前期前方後円墳から出土した朱の、イオウ同位体比は何れもマイナスの値を示す。ホケノ山古墳は-5.4、大和天神山古墳は-6.1、中山大塚古墳は-5.2である。
一方、徳島の弥生時代終末から古墳時代にかけて朱を採掘した遺跡と考えられている若杉山遺跡出土朱は-6.03±2.88%である。
三重県丹生鉱山が-8.88±2.69、奈良県宇陀の大和水銀鉱山が-3.13±3.47で、ホケノ山・大和天神山・中山大塚古墳の値は両者の中間である。
このことからホケノ山・大和天神山・中山大塚古墳の水銀朱は、三重県丹生鉱山と奈良県宇陀の大和水銀鉱山との中間値である、徳島若杉山の水銀朱の可能性が高い。 


716 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 12:15:43.30 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

717 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 19:51:00.82 .net
>>711
どこに倭国の中心地の要素があるかわからん。
筑紫の遺跡にはどうやっても見劣りするし、
ボケた爺さんが暴走してる風にしか見えない。

718 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:06:28.65 .net
>>715
>このことからホケノ山・大和天神山・中山大塚古墳の水銀朱は、三重県丹生鉱山と奈良県宇陀の大和水銀鉱山との中間値である、徳島若杉山の水銀朱の可能性が高い。 <
マジレス?

719 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:08:05.72 .net
龍馬泣けるな?  @NHK

720 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:12:12.52 .net
筑紫の一強だからね。
その他の未開の地に倭国を想定する理由はない。

721 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:14:03.99 .net
>>718
>マジレス

マジレス。  @阿波


722 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:15:00.50 .net
土佐では維新まで関ヶ原
阿波はえらいやっちゃ!
伊予は壹与?
もう一つなんやったか?うどん?

723 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:18:41.20 .net
>>717
>どこに倭国の中心地の要素があるかわからん。
>筑紫の遺跡にはどうやっても見劣りするし、

泣き言はいいから、「加茂宮ノ前遺跡」に匹敵する「弥生銀座」の遺跡、挙げてごらんよ。 出来ないだろ?  
九州の遺跡に碌な物がない。  @阿波


724 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:18:55.21 .net
ああしまった?
香川県は祖先の対岸やった
讃岐で間違いないな?(たぶん

725 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:21:19.14 .net
>>723
このボケ爺さん昨日若杉山古墳で惨敗したのに
こりないね。ボケてるのかな?

726 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:21:46.30 .net
>>723
横から失礼?
弥生時代なら銀座は出雲やな(中期以降末期まで

727 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:25:35.65 .net
サラメシは炭水化物抜きが正解やな

728 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:27:11.24 .net
>>725
>このボケ爺さん昨日若杉山古墳で惨敗したのに


はて???   ボケてるのかな? 君が。  @阿波


729 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:30:35.07 .net
誤爆防止策ひろゆきだかだれかにでんとつします(つうか誤爆ごめんなさい

730 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:33:35.73 .net
よくしらんが同位なんたらは同炭鉱内で場所によってぶれませんの?

731 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:39:18.48 .net
>>728
ショボい阿波の遺跡とか、このスレでは誰も興味ないから、阿波説スレに書き込んでよ。

732 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:43:08.88 .net
>>726
数百ヘクタールにまたがる比恵那珂遺跡や須玖岡本遺跡以上の遺跡はあるの?坑道だけのショボい遺跡じゃなくて。

733 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:45:20.67 .net
ダック君はわえの質問中は少し我慢して下さい?

734 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:45:34.01 .net
福岡平野は、弥生中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、
中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。
博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ
100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。

発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、
この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。

30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、
伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、
井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。
考古学では環濠集落でないと拠点集落と言わない風潮があるのはおかしい。

須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。
環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。
比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。

吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、
福岡の弥生銀座と呼ばれる遺跡群と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、
どんぐりの背比べである。

735 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 20:48:35.28 .net
>>730
ダック君てワイのことか?
ワイ→>>731、730、732
それなら嫌や
ジジイムカつくもん

736 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:03:05.30 .net
>>732
>数百ヘクタールにまたがる比恵那珂遺跡や須玖岡本遺跡以上の遺跡はあるの?


だだっ広いだけで、中身カラッポ遺跡なんて倭国(阿波)には御座いません。  @阿波


737 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:05:20.62 .net
>>734
>博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ
>100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。


だだっ広いだけで、中身カラッポの遺跡ですか?  @阿波


738 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:11:20.26 .net
>>726
だーかーらー、その出雲を打ち破り政権を取ったのが筑紫であり、伊都のニニギの王権なんだよ。

739 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:28:43.02 .net
わがままばっかりいうてたら八岐大蛇に食べられますよ?

740 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:36:49.10 .net
弥生時代中期が出雲の時代、弥生時代後期が筑紫の時代。
そして卑弥呼は弥生末期の筑紫の女王。

741 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:37:58.41 .net
出雲は筑紫に参ったしたけどインフラすごかったからあめのなんたらさんが栄えさせつづけましたよ

742 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:42:59.91 .net
天のなんとかというのは天津神の一族なので、直轄地にしたということですね。

743 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:45:13.99 .net
つうか火山噴火や造山活動のさじ加減ひとつで同位なんたらは100m単位局地的に激変すんじゃね?(あくまで素人の感想ですが

744 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:45:16.99 .net
なんだか、九州の遺跡みかいにカラッポレスの花盛りだね。  @阿波

745 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:47:44.47 .net
ダック?がどうでもええよな横道にそらすから水銀専門家寝てもたがな!

746 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:48:47.08 .net
ありゃ?三好君いはった?

747 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:50:29.94 .net
再レスします!

つうか火山噴火や造山活動のさじ加減ひとつで同位なんたらは100m単位局地的に激変すんじゃね?(あくまで素人の感想ですが

748 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:50:58.94 .net
>>746
>ありゃ?三好君いはった?

風呂に入ってたんだよ。  しかし、九州の遺跡みかいにカラッポレスの花盛りだね。  @阿波


749 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:51:56.22 .net
 しかし、九州の遺跡みたいにカラッポレスの花盛りだね。  @阿波

750 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:53:04.68 .net
>>748
さんせー!
阿波はえらいやっちゃ?

751 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 21:56:08.32 .net
同位体のサンプルはどの程度の局所性考慮してますの?

752 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 22:00:21.34 .net
あわてず教えて下さい?

753 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 22:20:05.03 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

754 :日本@名無史さん:2018/09/25(火) 22:20:30.16 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

755 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 07:46:48.55 .net
>>749
お前が書き込むからだろ
荒らしは消えろよ

756 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 07:52:50.61 .net
>>755
泣き言はいいから、「加茂宮ノ前遺跡」に匹敵する「弥生銀座」の遺跡、挙げてごらんよ。 出来ないだろ?  
九州の遺跡に碌な物がない。  @阿波


757 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 07:57:32.61 .net
@awaは、もう駄目かもしれんね

758 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 08:08:02.75 .net
ザラコクより阿波の方がウザくなった。

759 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 08:26:12.97 .net
>>758
>ザラコクより阿波の方がウザくなった。

そりゃそうでしょ。 真実を言う者には勝てないよ。
泣き言はいいから、「加茂宮ノ前遺跡」に匹敵する「弥生銀座」の遺跡、挙げてごらんよ。 出来ないだろ?  
九州の遺跡に碌な物がない。  @阿波


760 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 08:31:03.56 .net
@awaは、もう駄目かもしれんね、ね

761 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 08:35:40.06 .net
>>760
>@awaは、もう駄目かもしれんね、ね

もう駄目でもいいから、答えてごらんよ。
泣き言はいいから、「加茂宮ノ前遺跡」に匹敵する「弥生銀座」の遺跡、挙げてごらんよ。  @阿波


762 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 09:02:38.24 .net
加茂宮ノ前遺跡

徳島県阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)


解散

763 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 10:02:02.16 .net
>>762

泣き言はいいから、「加茂宮ノ前遺跡」に匹敵する「弥生銀座」の遺跡、挙げてごらんよ。  @阿波


764 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 10:06:14.20 .net
>>762
>加茂宮ノ前遺跡
>弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)


ウソはいいから、「加茂宮ノ前遺跡」に匹敵する「弥生銀座」の遺跡、挙げてごらんよ。  @阿波


765 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 11:26:54.01 .net
>>764
北部九州だと有り触れた遺跡だな
比恵・那珂遺跡群とか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E7%8F%82%E9%81%BA%E8%B7%A1%E7%BE%A4#古墳時代

766 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 11:48:55.80 .net
博多遺跡群も莫大ですね。

767 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 12:04:02.65 .net
>>765
>北部九州だと有り触れた遺跡だな
>比恵・那珂遺跡群とか

ほんとうに「有り触れた遺跡だな  比恵・那珂遺跡群とか」  
意を決して、やけくそで挙げた遺跡が比恵・那珂遺跡群とか    恥ずかしくないの?  @阿波


768 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 12:45:22.27 .net
規模、先進性において比恵・那珂遺跡〜須玖岡本遺跡以上の弥生遺跡なんか存在しない。
阿波なんて論外。

769 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 12:46:29.76 .net
>>715
>イオウ同位体比は妄想ではない。

妄想ではないけれど、国内産ではそれほど大きな差が出ないので、
産地の特定には切れ味が悪い

より詳細のデータが鉛同位体比で出てるから、きちんと調べてごらん

そうすれば、硫黄同位体比がーとか言わずに済むようになるから

770 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 12:47:15.16 .net
>>767
何が恥ずかしいのか言ってごらん。
恥ずかしいのは君の方じゃないかな。

771 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 12:49:07.53 .net
阿波とか中国からも全く相手にされてなかった。筑紫には中国の王侯貴族クラスの遺物がザクザク。

772 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 13:14:07.32 .net
>>770
>何が恥ずかしいのか言ってごらん。

規模、先進性において「恥ずかしい」  @阿波


773 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 13:20:56.58 .net
>>769
>より詳細のデータが鉛同位体比で出てるから、きちんと調べてごらん

不服なら、君が調べれば?


>そうすれば、硫黄同位体比がーとか言わずに済むようになるから

別にどれでもいいんだよ。  どのみち、当時、倭国(阿波)の若杉山しかないんだから。  @阿波


774 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 14:38:27.74 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

775 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 17:02:39.30 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

776 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 22:42:03.56 .net
今しがた見たんだが
NHKのクローズアップ現代
https://tver.jp/episode/49288258 
長崎市や天草の下島などから異常にマッチョな
弥生人の人骨が出てるみたい
正に海人族かもね
見過ごした人は上記から見て下さい
九州から沖縄1000キロ以上を
手漕き舟で行ってたみたいだよ
ゴホウラの貝輪が証拠みたい
.@東京

777 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 22:47:18.84 .net
内容も書いておくわ
クローズアップ現代+「弥生時代に謎のマッチョ集団!▽骨から探る古代ミステリー」
 9月26日(水) 22:00〜22:25

778 :日本@名無史さん:2018/09/26(水) 23:08:56.58 .net
>>763横から失礼します
岡本遺跡(春日市)
今宿五郎江・大塚遺跡(福岡市)
この2つの遺跡ではどうでしょう
 

779 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 09:55:55.07 .net
>>773
>不服なら、君が調べれば?

だから、硫黄同位体比だけだと、日本産か大陸産かの判別くらいしかできなくて、
日本産の産地の違いまでは出せないよ

780 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 10:56:01.36 .net
>>779
>だから、硫黄同位体比だけだと、日本産か大陸産かの判別くらいしかできなくて、
>日本産の産地の違いまでは出せないよ

だから、不服な君が調べて発表すればいいだけ。
私はこれで十分なんですけどw  また、公的機関も「イオウ同位体比」を採用しているしね。  @阿波

大和の前期前方後円墳から出土した朱の、イオウ同位体比は何れもマイナスの値を示す。ホケノ山古墳は-5.4、大和天神山古墳は-6.1、中山大塚古墳は-5.2である。

一方、徳島の弥生時代終末から古墳時代にかけて朱を採掘した遺跡と考えられている若杉山遺跡出土朱は-6.03±2.88%である。

三重県丹生鉱山が-8.88±2.69、奈良県宇陀の大和水銀鉱山が-3.13±3.47で、ホケノ山・大和天神山・中山大塚古墳の値は両者の中間である。

このことからホケノ山・大和天神山・中山大塚古墳の水銀朱は、三重県丹生鉱山と奈良県宇陀の大和水銀鉱山との中間値である、徳島若杉山の水銀朱の可能性が高い。


781 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 12:59:31.17 .net
自分の都合のいいものは信じるってだけだねww

大和水銀鉱山の-3.13±3.47は、-6.60〜+0.34で
ホケノ山古墳  -5.4
大和天神山古墳 -6.1
中山大塚古墳  -5.2
は全てこの範囲に入る
阿波から運んだとわざわざ考える必要はまるでない


782 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 13:13:31.63 .net
>>781
>自分の都合のいいものは信じるってだけだねww

君もね。
じゃ、「鉛同位体比」で説明してよ。 ケチをつけるだけじゃだめでしょ?  @阿波


783 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 16:50:17.82 .net
鉛同位体比の方は、科研費の報告書レベルの断片情報しかまだ出てないみたいなんだよ
正式な論文が出れば、阿波なんて消し飛ぶだろうから、それまでがんばりな

河内から出た石の錘が、正確な分銅だと分かって、おそらく丹の秤量に使ってたんだろうと
想定されているけれど、阿波ではそういう遺物は出てるのかい?
http://www.rekitan.co.jp/styled-2/styled-20/blog-2/files/9aca0b6224af19f71747d1e3bfa89c9b-20.html

784 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 17:17:12.71 .net
>>783
>鉛同位体比の方は、科研費の報告書レベルの断片情報しかまだ出てないみたいなんだよ

朱には役に立たないんじゃないの? 


>正式な論文が出れば、阿波なんて消し飛ぶだろうから、それまでがんばりな

正式な論文も出ていないのに、頑張りすぎ。


>河内から出た石の錘が、正確な分銅だと分かって、おそらく丹の秤量に使ってたんだろうと

河内忌部が若杉山の水銀朱を計ってたんだね。


>阿波ではそういう遺物は出てるのかい?

水銀朱は倭国(阿波)なんだから、当然あるわね。
井の中の蛙さん はいどうぞ。  @阿波

「西長峰遺跡:弥生時代中期の大形掘立柱建物 分銅形土製品」
竪穴住居跡が26棟、掘立柱建物跡(14棟大型のものを含む)
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%B0%A4%C7%C8%BB%D4%2F%C0%BE%C4%B9%CA%F6%B0%E4%C0%D7


785 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 18:42:57.87 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

786 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 18:48:04.04 .net
>>785
>中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

本格的に渡来人がやって来るのは、仏教伝来からだろうね。  @阿波


787 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 19:07:09.69 .net
>>786
秦氏あたりからだろうね。

これが4C後半頃。

でも、縄文末に渡来人が沿海州南部あたりから渡来して、
弥生期までに大半が混血して今の日本人はもう完成してたけどね。

788 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 19:23:16.48 .net
九州の天皇が東遷したのも
瀬戸内海に面した奈良広島岡山香川などの
中華系の移民を一掃するためだった
と解釈している人もいるんだよね
 

789 :日本@名無史さん:2018/09/27(木) 19:41:18.90 .net
>>788
奈良広島岡山香川の中華系移民????

頭湧いてねえかおまえ。



で、中華系移民があった事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる原始青磁や三足や耳の付いた中国系生活土器および中国系生活金属器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と
漢字の金石文と龍信仰と亀卜と移民時に伝わった中国系言語の単語は?


で、中華系移民があったとウソブいている頭湧いた考古学者の氏名と所属団体は?


.

790 :日本@名無史さん:2018/09/28(金) 20:06:49.49 .net
貨泉をネットで調べていたら
貨泉の多く出ている地域は
中国の移民の可能性があると
書いてあった気がします
私にゃ検証のしようがないもの
読んだまま書いた

791 :日本@名無史さん:2018/09/28(金) 20:11:01.50 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

792 :日本@名無史さん:2018/09/28(金) 20:25:47.22 .net
>>790
縄文弥生を通して日本には中国から人が渡来定着した痕跡遺構がない。

その貨泉は単に宝器として楽浪郡から搬入された楽浪文物なだけ。

793 :日本@名無史さん:2018/09/28(金) 20:30:04.58 .net
貨泉は結構大量に出るけど
出来の悪いのも多くて
結構あちこちで偽造されてるらしい。

当時、偽造の意識があったかどうかもわからんけど。

794 :日本@名無史さん:2018/09/28(金) 20:37:34.54 .net
思い出した中国語でも書いてあったと思う
もういいです
不快にさせたなら
申し訳なかったです、すいません

795 :日本@名無史さん:2018/09/28(金) 20:56:18.91 .net
>>794
無責任な事を書いているデムパ本も多いから注意しなよ。

もし中国系が渡来定着したなら、その証拠遺跡とその生活痕たる原始青磁や
三足や耳の付いた中国系生活土器と中国系金属器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と亀卜などの
文物や痕跡が遺るし、その後もそれらが継承するよね?

中国系言語の単語だって伝わっているはず。

一切ないから。

だから、縄文弥生を通して中国系渡来人の定着など全く無いと断言できる訳。

796 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 09:14:17.92 .net
つか大和政権って畿内と北九州、同時期に2つ存在してたんじゃないの?
卑弥呼の所在地っつったらどこか一つに限定しなければいけないが。
そもそも三国志って後代に改ざん、誇張されてるんでしょ?
卑弥呼自体の存在も適当そうw

797 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 10:18:46.95 .net
>>796
>つか大和政権って畿内と北九州、同時期に2つ存在してたんじゃないの?

まあ、畿内と九州と別の勢力だったんだろうね。
もしも畿内説が言う通りに九州から一月かけて畿内にたどり着くのなら、一つの国としての体制を維持できないだろ。

あと、大和政権は畿内の大和にあることが前提の呼称だね。
今の畿内説は大和の纒向にこだわっているから、畿内説というより大和説と言うべきだ。
畿内には他にも攝津とか河内とか近江とか、いくらでも栄えた地域があるのに、無視しているからね。

798 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 11:53:34.75 .net
>>797
>一つの国としての体制を維持できないだろ。

「一つの国としての体制」って何?
畿内説が想定する広域の倭国は、いわゆる「前方後円墳体制」というやつで、
これを広瀬和雄先生は「前方後円墳国家」と呼んでいる

葬送祭祀を前方後円墳での首長承継儀礼とするという、祭祀部分の統一であって
各地の首長はそのまま各地の豪族、国造や県主としてそれぞれの土地の首長であり続ける

そして、行程2ヶ月も離れた遠地だから、今でいう全権大使のような一大率が
置かれたというのは何の不思議もない

中央集権的な専制国家を想定するからおかしくなるんだよ

799 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 11:55:24.36 .net
で?
魏の使いが面会した卑弥呼はどこにいたの?

800 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:02:54.92 .net
>>797
>畿内には他にも攝津とか河内とか近江とか、いくらでも栄えた地域があるのに、無視しているからね。

畿内説の想定する七万戸の邪馬台国は、大和+河内〜環大阪湾の畿内第V様式土器を共通に使っていた範囲
土器様式の共通化を可能とする共同体が成立していたことが明確だからだ
河内、摂津、泉(池上曽根遺跡)も含むから、畿内説でいいんだよ

近江守山の伊勢遺跡は、近畿から丹波北陸東海の首長が集まる集会の場だったように思う
その伊勢遺跡が衰退する時期と纏向遺跡の建設の始まる時期が連続している

伊勢遺跡の機能が纏向遺跡に移ったと考えるのが自然だろう
案外、卑弥呼共立の談合は伊勢遺跡で行われたのかもしれない

伊勢遺跡は野洲川の扇状地上の遺跡
この野洲川が高天原神話の「天のヤスカワ」のモデルだったりしたら面白いんだけどね

801 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:03:20.75 .net
>>798
>各地の首長はそのまま各地の豪族、国造や県主としてそれぞれの土地の首長であり続ける


それ、各地に散っていった「忌部はん」と何と言えばw  @阿波


802 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:06:17.70 .net
>>800
>畿内説の想定する七万戸の邪馬台国は、大和+河内〜環大阪湾の畿内第V様式土器を共通に使っていた範囲


だから、その範囲は畿内に展開した「忌部はん」と何度言えばw  @阿波


803 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:06:18.80 .net
>>799
女王の都するところが邪馬台国なんだから、
卑弥呼は邪馬台国にいるに決まってるじゃないか
邪馬台国はヤマト国

804 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:08:32.82 .net
>>803
>女王の都するところが邪馬台国なんだから、


「女王の都するところ」は「其山有丹」と何度言えばw  @阿波


805 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:09:30.00 .net
女王の都する処は山だったのか。

806 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:13:11.06 .net
>>805
>女王の都する処は山だったのか。

山もありゃ、温暖な海もあるし、滔々と流れる大河もあるよ。  @阿波


807 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:14:49.56 .net
人工少なそうだな。

808 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:16:04.08 .net
>>807
>人工少なそうだな。

卑弥呼の時代は、ダントツの倭国一だよ。  @阿波


809 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:17:41.14 .net
まぁ、弥生人にとって最高の自然環境だね、倭国(阿波)は。  @阿波

810 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:43:25.39 .net
7万戸は無理だろ。
そもそも魏の使いは大和まで行ったのか?
纒向にそんな痕跡はあったか?
楽浪式土器は?
硯は?
金印や璧は?

811 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:51:57.98 .net
わからないのは
いつから倭と言われたのか
漢字のない時代に
いつから自分達は倭人と認識したのか
外国人から倭と言われてから〜としか
思い付かない

九州は倭でないのか?

812 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 12:56:44.60 .net
田川郡の香春神社に興味持って調べていたら
同じ田川郡に香春隠神社ってあるのよ
何これ??
香春隠神社の敷地内には巨石がポツンとある

あやしい

813 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 13:00:55.89 .net
後漢書

倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同

「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」

建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。
畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。

814 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 13:07:31.70 .net
>>810
>そもそも魏の使いは大和まで行ったのか?

建忠校尉梯儁さんは、奉「詔書」「印綬」詣倭國だから、
途中で倭人に預ける訳には以下ない代物
卑弥呼の都まで行ってるよ

塞曹掾史張政さんも、政等以檄告喩壹與とあるから、
台与と直接会ってる=都まで行ってる

815 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 13:12:26.76 .net
>>811
>わからないのは
>いつから倭と言われたのか

倭人はもともとは論衡にある百越の流れの一派
おそらく日本列島の人とは違う集団だが、
大陸中華の認識では日本は帯方東南大海上の島国で、
會稽、東冶の東と思われていたから、論衡の倭人の後裔と思われて、
同じ倭人と呼ばれたのだと思う

>漢字のない時代に
>いつから自分達は倭人と認識したのか
>外国人から倭と言われてから〜としか
>思い付かない

それでいいと思うよ
倭人は、列島側の自称ではないだろう

だから、後には「倭」を「やまと」と訓読している

>九州は倭でないのか?

倭の一部だね
ただ、弥生時代に水銀朱の鉱山がないから
「九州だけの倭国」という想定は破綻している

816 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 13:13:21.33 .net
>>813
何度貼っても
>楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。

これがウソ

正しくは
楽浪郡の国境は、その国(倭国)から一万二千里である。

817 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 15:00:45.28 .net
>>815
>ただ、弥生時代に水銀朱の鉱山がないから
>「九州だけの倭国」という想定は破綻している

それ、倭国(阿波)をあわよくば取り込もうとする魂胆かね?  @阿波


818 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 15:07:22.99 .net
必死やな

819 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 15:30:00.16 .net
>>816
>楽浪郡の国境は、その国(倭国)から一万二千里である。

その批判は意味がない。
倭国の国境からは七千里と明記されているので、一万二千里は倭国の王都すなわち邪馬台国からになる。

820 :日本@名無史さん:2018/09/29(土) 16:54:36.02 .net
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

821 :日本@名無史さん:2018/09/30(日) 09:13:53.66 .net
八島士奴美神:素戔嗚尊(スサノヲ)と櫛名田比賣(クシナダ)の間の子
日本書紀第1の一書には
「清湯山主三名狭漏彦八嶋篠」「清繋名坂軽彦八嶋手命」「清湯山主三名狭漏彦八嶋野」
として伝わる

さあこれからいこうか

822 :日本@名無史さん:2018/09/30(日) 11:43:30.18 .net
アー タノシーデスネー 長江の鬲wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCL54jcK9b5z4Aih.U3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

823 :日本@名無史さん:2018/09/30(日) 14:45:59.58 .net
>>716
>倭国の国境からは七千里と明記されている

相変わらずのチェリーピッカーぶりだな
「其」大倭王居邪馬臺國
樂浪郡徼 去「其」國萬二千里
去「其」西北界拘邪韓國七千餘里

この3連続の「其」は、全部同じ倭国を指すんだよ
3番目を「倭国の国境から」と自分で読んでおいて、
2番目が「倭国ではなく邪馬台国」とするのは読み方として間違っている

東京から北海道までの最短距離だと 640キロ弱
玄関口の函館までだと       680キロ弱
中心都市(道都)の札幌までだと  830キロ
最遠の稚内だと          1100キロ
道央の真ん中辺までで       900キロ

東京から北海道までの距離は、640キロから1100キロまでの幅がある
これを100キロ単位の丸めた数字で表現すると

東京から北海道まで900キロくらい となる
起点・東京より、北海道に至るに900余粁

自郡至女王國萬二千餘里
自東京至北海道九百餘粁


824 :日本@名無史さん:2018/09/30(日) 21:01:28.73 .net
国境までの距離と、王都までの距離が明記されているんだろ。

>>823
>東京から北海道までの最短距離だと 640キロ弱
>玄関口の函館までだと       680キロ弱

この2つが示されていることになる。
そして、王都は邪馬台国という国邑であることが示されている。


825 :日本@名無史さん:2018/09/30(日) 21:13:34.72 .net
出真珠青玉 其山有丹 
其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香
其竹篠簳桃支
有薑橘椒襄荷 
不知以為滋味 
有獮猴黒雉

ここにある真珠とは海の真珠なのかな?
当時の魏に海の真珠の宝物なんてあるの?
弥生時代や古墳時代に海の真珠は埋葬
されていた事実あるの?

826 :日本@名無史さん:2018/09/30(日) 21:24:05.36 .net
自己解決しました
やっぱり古墳に真珠あったのね
劣化しやすい本真珠なのにね

827 :日本@名無史さん:2018/09/30(日) 21:28:42.93 .net
天然真珠はもともとあるやんけ

828 :日本@名無史さん:2018/09/30(日) 21:53:38.00 .net
じゃあ青玉は?翡翠?
翡翠なんてそんなに取れないし
全部青い翡翠なんてもっと少ない

829 :日本@名無史さん:2018/10/01(月) 06:40:28.95 .net
福岡県の金銀装飾品副葬品
http://www.netpia.jp/history/kofun_fukuoka.htm 
硬玉翡翠は新潟糸魚川が有名        


830 :日本@名無史さん:2018/10/01(月) 09:41:08.66 .net
>>824
これには答えないんだな

「この3連続の「其」は、全部同じ倭国を指すんだよ
 3番目を「倭国の国境から」と自分で読んでおいて、
 2番目が「倭国ではなく邪馬台国」とするのは読み方として間違っている」

831 :日本@名無史さん:2018/10/01(月) 09:43:09.98 .net
>>828
>じゃあ青玉は?翡翠?

この青玉が、サファイアだという話があって、日本でもサファイアが出るから何ともいえない
ただ、宝石レベルの玉といえるサファイアが出るかと言われると、個人的には疑問だと思うけれど
やはり、何とも決めようがないとしか言えない

832 :日本@名無史さん:2018/10/01(月) 12:43:08.21 .net
出真珠青玉 
其山有丹 
其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香
其竹篠簳桃支
改めてよく見ると随分大雑把な書き方だねぇ
本当に現地で見て書いたのかなあ

青玉だって緑青だと思うけどね

真珠翡翠辰砂が揃うのは富山県新潟だけだな

833 :日本@名無史さん:2018/10/01(月) 13:03:08.72 .net
翡翠が倭の特産品だよ。
筑紫は倭の盟主として出雲や越など日本海沿岸を支配していたから、翡翠は豊富だっただろうね。

834 :日本@名無史さん:2018/10/01(月) 16:06:45.71 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

835 :日本@名無史さん:2018/10/01(月) 16:19:34.62 .net
>>832
>青玉だって緑青だと思うけどね

その緑青って何? 銅のさびのことじゃないよね?
含クロム白雲母片岩?

836 :日本@名無史さん:2018/10/01(月) 23:04:53.37 .net
やっぱり青玉は翡翠だよな
緑青のわけないか。

出真珠青玉 其山有丹 

その山っていきなり出されてもなあ
(其)の文字が前文と全く繋がらない
おかしいよね
どこの山が其の山なのさって直接聞きたいわ

837 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 00:17:09.13 .net
>>836
産出物やその地に存在する物を記してるのだから、倭国の山では、じゃない?

青玉は翡翠や碧玉でしょうね

838 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 08:20:37.73 .net
倭国内で翡翠や朱が産出したということですね。

839 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 08:34:14.74 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

840 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 09:49:52.49 .net
>>838
>倭国内で翡翠や朱が産出したということですね。

となると、この時点で、倭国は九州限定ではなく
列島のかなり広い範囲ということになるんだよね

841 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 09:57:28.49 .net
翡翠といえば糸魚川だが
ここの翡翠は縄文時代から流通してるね。

842 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 11:31:57.78 .net
少なくとも日本海側は筑紫倭国の勢力圏だよ。

843 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 11:34:53.86 .net
>>841
>ここの翡翠は縄文時代から流通してるね。

その「翡翠」が倭国(阿波)にも有り、倭国(阿波)の「石斧」や「石棒」が西日本各地に流通している。
やはり、流通の張本人は倭国(阿波)の「忌部はん(海人族)」と言わざるを得ないようだ。  @阿波


844 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 17:49:08.52 .net
>>843忌部はん(海人族)の遺骨は見つかっていますか?
>>776で書いたように
弥生時代の海人族とおぼしき遺骨には
一般人とは決定的に腕の骨の太さが違うみたい
プロレスラー並みの骨太なんだって
 
興味ある人は>>776のNHK 過去放送分から見て下さい
面白かったですよ

845 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 18:18:45.96 .net
>>828
青玉にはフックサイトやアマゾナイトもあるからね。

846 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 19:30:58.71 .net
倭国で量産していましたか?

847 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 20:50:32.31 .net
>>845
>フックサイトやアマゾナイトも

というか、青玉といえばサファイアなんだそうな

848 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 20:53:08.79 .net
>>842
>少なくとも日本海側は筑紫倭国の勢力圏だよ。

筑紫倭国などないと何度言えば

それに、日本海まで倭国と認めたらその時点で、
3世紀の北部九州は出雲より劣後するから、
北部九州が倭王を名乗ることはできなくなる

邪馬台国北部九州説は、九州のみが倭国じゃないと成立しないが、
魏志倭人伝の記述がそれを許さない

つまり、破綻してるってことだ

849 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 21:05:11.31 .net
それはあなたの願望

850 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 21:20:54.45 .net
>>848
>魏志倭人伝の記述がそれを許さない

その「魏志倭人伝の記述」が示されているのは、倭国(阿波)だけ。  @阿波


851 :日本@名無史さん:2018/10/02(火) 21:27:31.24 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

852 :日本@名無史さん:2018/10/03(水) 14:10:43.34 .net
>>849
>それはあなたの願望

それが書きたかったら「具体的な論拠、ソースを添えて反論」しないと無意味だと何度言えば

853 :日本@名無史さん:2018/10/03(水) 16:13:03.28 .net
おまえこそ具体的な論拠を示す必要があるだろ

854 :日本@名無史さん:2018/10/03(水) 16:34:59.27 .net
>>853
>おまえこそ具体的な論拠を示す必要があるだろ

「3世紀の北部九州は出雲より劣後するから、  
 北部九州が倭王を名乗ることはできなくなる 」

十分具体的な理由だと思うが?

出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
北部九州の平原1号墓は12×8メートル

底面積で比べると
出雲 西谷9号墓 3000平方メートル
伊都 平原1号墓  96平方メートル
30分の1以下だよ

完全に、地域王権の伸張から取り残されていることが分かる


855 :日本@名無史さん:2018/10/03(水) 16:35:56.32 .net
おまえ墓の大きさしか言えないんだなw
○○の一つ覚えが

856 :日本@名無史さん:2018/10/03(水) 16:42:32.93 .net
同じクニじゃないから、比較に意味はない

857 :日本@名無史さん:2018/10/03(水) 16:52:29.76 .net
田舎はスペースがあるからハコモノを作りやすいんだよ。
王都ではままならない。
平原遺跡のすぐ近くにもたくさんの遺跡があることからも、伊都国の繁栄ぶりがわかるというもの。

858 :日本@名無史さん:2018/10/03(水) 17:56:38.76 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

859 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 11:45:41.97 .net
>>857
>田舎はスペースがあるからハコモノを作りやすいんだよ。
>王都ではままならない。

そんな言い訳は通らない
伊都国首長家はずっと三雲遺跡群という伊都国の中心に王墓を作り続けているし、
古墳時代に入っても端山古墳、築山古墳という伊都国としては大きな古墳を
三雲遺跡群という伊都国の中心に作っている

現実に存在する遺跡そのもので、すぐ反証を示されるようなガバガバ反論は無意味だよ

860 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 11:46:57.53 .net
>>856
>同じクニじゃないから、比較に意味はない

この図の網掛けがされている部分が、当時の倭国と見てよい
同じ国、倭国の中だよ
https://i.imgur.com/63f11W7.jpg

残念でしたw

861 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 11:49:14.32 .net
>>855
>おまえ墓の大きさしか言えないんだなw

大墳丘墓のような、大規模な労力動員が必要になるものは、直接的にその権力の及ぶ範囲の
国力を示すよい指標になるんだよ

つまり、墓の大きさが、その被葬者の権力の大きさを直接示すことになる

まあ、北部九州にはめぼしい首長はいなかったってことだよ

862 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 12:28:13.80 .net
>>860
根拠のない妄想を垂れ流すなよ、じいさん

863 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 12:28:55.16 .net
>>861
平和な時代はな
卑弥呼の晩年は戦時だから当てはまらないよ

864 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 12:36:55.06 .net
>>861横から申し訳ありませんが

そりゃ日本じゅうに村や集団生活はあったと思うよ。
だけど倭の定義は何なのよ?って思うわけ。
私が思うに
中国と交流していたのが倭?
北海道でも集団生活して
独自の文化や初期経済的活動していたら倭なのか?
倭と呼ばれる所と呼ばない所の線引きは何なのよ?

865 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 13:39:41.82 .net
>>859
「伊都国首長」という表現がそもそも決めつけだね。
倭王なら倭国のどこに遷都してもいいわけで、その後も末裔の一部がいただけのこと。

866 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 13:41:09.18 .net
>>864
>中国と交流していたのが倭?

中国が倭と呼んでいた範囲でしょう。
後漢書によれば、朝鮮半島南岸の狗邪韓国から、九州北岸の倭奴国までだけです。

867 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 14:11:47.02 .net
>>865
>「伊都国首長」という表現がそもそも決めつけだね。
>倭王なら倭国のどこに遷都してもいいわけで、その後も末裔の一部がいただけのこと。

伊都國王でもいいんだけれど、王と書くと、倭王だと勘違いする人が出るから
首長という言葉を使っている

まあ、福岡市長と同じように、伊都国長でもいいんだけどさ

868 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 14:13:55.82 .net
>>864>>866
>中国が倭と呼んでいた範囲でしょう。

これでいいんだけれど、倭国は中央集権国家ではないし、境界がきっかりとある訳でもない
倭と倭人と倭国と、それほど厳密に区別して使ってないしね

>後漢書によれば、朝鮮半島南岸の狗邪韓国から、九州北岸の倭奴国までだけです。

まあ、これはうそだな九州北岸も倭国の「一部」だけれど

869 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 14:29:44.22 .net
>>867
そういう話じゃなかろ

870 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 17:01:13.00 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

871 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 22:45:38.22 .net
>>801忌部はん
あんまり忌部はんっていうから
少し勉強してみた
太玉と繋がるのね
太玉は櫛石窓(奈良)
櫛石窓は櫛岩間戸(福岡県田川郡川崎)
(櫛岩間戸と表記は田川郡だけ)
田川郡川崎の大石(石のなやかに符点の漢字)神社は、
実は太玉のことだったのね
勉強してたら意外に繋がったよ
個人的に謎が解けたわ
阿波さんありがとう

田川郡川崎の大石神社は、やっぱり本物だった
裏のカグメ山が天照の場所と妄想できたわ
ありがとう\(^o^)/ありがとう
@東京 

872 :日本@名無史さん:2018/10/04(木) 22:49:01.19 .net
ついでに貼っておこう
『古事記』天孫降臨段
ニニギの従者として「天石門別神」の名が見え、同神について「またの名を櫛石窓神・豊石窓神という」とあるほか「御門の神である」という。
『古語拾遺』
天照大神が岩戸から新殿に遷座したのち「豊磐間戸命と櫛磐間戸命の二神に殿の門を守衛させた」とあり、「両神は天太玉命の子である」という。
『延喜式』神名帳
宮中の神祇官西院において「御門巫祭神 八座」として、櫛石窓神・豊石窓神が4面の門に各1座ずつ祀られている[3]。
これらの史料に対して、その内容と櫛石窓神社との関係は明らかでないが[4]、江戸時代の『神名帳考証』では内裏の各門の上に祀られた櫛石窓神・豊石窓神の本社は丹波国の当社である、と考察されている[5]。

873 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 06:10:00.80 .net
>>871岩間戸は福岡県田川だけって
書いたけど間違いです
調べたら東京浅草の浅草寺ほか
何ヵ所かありました
浅草寺は近いから今度行ってみよ
最近は外国人ばかりなんだよな

874 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 08:21:48.38 .net
>>872
>ニニギの従者として「天石門別神」の名が見え


日本一社「天石門別矢倉比売神社【大社】」 祭神 「天照大神」 比定 天石門別矢倉比売神社(神陵)

日本一社「天石門別豊玉比売神社」 祭神 「天孫三代の后:豊玉比売」 比定 城山東麓(神陵跡)   

不思議の国「阿波」   @阿波


875 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 08:29:42.51 .net
東京には何でもあるぞ。
上野の不忍池には宗像の姫さまがいるぞ。
某漫画で有名な住吉の神様もいるぞ。

でもだからなんだ?
オリジナルが九州であることにはかわりない。
畿内だって同じはずなのに、畿内は自分たちがオリジナルだと言い張ってしまう。
おかしなことだ。

876 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 08:41:18.20 .net
>>875
>オリジナルが九州であることにはかわりない。

それは絶対、ない。  @阿波


877 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 09:19:26.12 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

878 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 09:28:31.81 .net
つまり忌部は、宮中門番の流れだったのか

879 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 09:36:12.20 .net
>>878
>つまり忌部は、宮中門番の流れだったのか

いや、記紀のすべて。  @阿波


880 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 09:51:23.56 .net
そういえば阿波は、畿内大和の門所にあたるな、なるほど。

881 :日本@名無史さん:2018/10/05(金) 09:56:04.76 .net
>>880
>そういえば阿波は、畿内大和の門所にあたるな、なるほど。

倭国(阿波)が閉めれば、畿内大和は悶絶死。  @阿波


882 :日本@名無史さん:2018/10/07(日) 18:49:04.56 .net
もし福岡の人がいたら教えて下さい。
頭山って今のどこの山を指しますか?
天皇広場とはどこですか?
前に古い何かで読んだけど
全く思い出せません
よろしくお願い致します。

883 :日本@名無史さん:2018/10/07(日) 19:44:45.28 .net
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimFEhQrlbtGwAJkGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

884 :日本@名無史さん:2018/10/10(水) 14:33:15.64 .net
>>882
>頭山

https://www.youtube.com/watch?v=QRGoZ633FiM

885 :日本@名無史さん:2018/10/12(金) 05:05:59.24 .net
ニュース速報+にスレたってるぞ
みんな奈良派とか言ってるぞ
戦ってこいや
http://n2ch.net/r/-/newsplus/1539265823/?guid=ON&rc=510  👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:39828eafcc6c2073b074103bd7eecdc9)


886 :日本@名無史さん:2018/10/12(金) 18:50:00.92 .net
201: 10/12(金)17:20 ID:s05AlJjm0(1/2) AAS
本列島の成立の頃から、南方海上よりの黒潮海流は
常に日本列島を巻き込み北上し流れてきた
日本列島に初めて漂着したのは北方から
徒歩で来た人々では無く 南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した人々だった 黒潮は休む事無く常に日本へ流れており 
漂着する人も三々五々の如く常に日本へ流入し続けた 
琉球 九州 四国 本州の順で
北方は21世紀の今も人の生存状況は厳しく 
此処を超えて多数が来たとは思えない。
南方より漂着した人々は石器時代には
黒曜石を産出する地域に集まり米作で生活し
1万5千年前頃には人類初の土器を製造し始めた
石器時代は徐々に銅器時代へと移行し始める
この時の日本には大阪には銅鐸文明が
栄える 
銅から鉄へ移行する時
九州北部に鉄を持った
天孫降臨族は発生し
博多を拠点とし九州を支配下に治め倭国(チクシ)と称する
勿論大陸との外交は重要で
周や漢や魏と交流する 

887 :日本@名無史さん:2018/10/12(金) 19:16:38.61 .net
>>886


で、南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いたインドシナ華南系生活土器と
土壁のインドシナ華南系住居と石刃のインドシナ華南系耕作用農具と
中粒種・長粒種のイネと龍信仰と亀卜と、
渡来時に伝わったインドシナ華南系言語の単語は?


で、南方より黒潮に乗り米作と共に漂着したとウソブいている頭の湧いた考古学者の
氏名と所属団体は?


.

888 :日本@名無史さん:2018/10/12(金) 20:44:51.03 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

889 :日本@名無史さん:2018/10/15(月) 15:38:56.52 .net
西日本の覇権の推移
倭奴国(博多)の覇権→倭国大乱→邪馬台国(筑後)の覇権→倭奴国残党の分裂

倭奴国残党の分裂
1博多に残って邪馬台国の支配下に=伊都国、奴国
2南九州(西都原)に移住=天孫降臨
3近畿(巻向)移住=神武東征

近畿移住組の立場
はじめは近畿の覇者ニギハヤヒ傘下の豪族→四国、出雲征服→近畿覇権奪取(崇神=ハツクニシラス)

九州の再征服
景行遠征→仲哀遠征→継体遠征(磐井の乱)→白村江で九州政権滅亡→九州全域が支配下に

律令、神話の統一
大宝律令、古事記、日本書紀の制定

890 :日本@名無史さん:2018/10/15(月) 17:45:17.31 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

891 :日本@名無史さん:2018/10/15(月) 18:53:06.70 .net
>>889
そうすると、倭奴国が東遷し、邪馬台国は九州残留組。
その邪馬台国政権は、景行遠征→仲哀遠征→継体遠征(磐井の乱)→白村江で滅亡。
こういう筋書きだな。いわば古田説の変形か・・・。

892 :日本@名無史さん:2018/10/15(月) 19:14:44.32 .net
まあ、3世紀の時点で統一王権なんて無理だよな。
郡使がいた九州北部にしか邪馬台国はあり得ない。

893 :日本@名無史さん:2018/10/16(火) 10:00:59.39 .net
>>892
>郡使がいた九州北部にしか邪馬台国はあり得ない。

魏使は北部九州は通過
水行20日+10日、陸行1月をしれっと無視しないと九州説にはならないが
それは読み方の捏造でしかない

史書は「解読」するものではない

894 :日本@名無史さん:2018/10/16(火) 10:06:59.56 .net
>>892
>まあ、3世紀の時点で統一王権なんて無理だよな。

統一王権などというものを想定するから話が捩れる

卑弥呼の王権は統一祭祀王であって、各地の支配権は在地の首長が握っている
墓の様式と葬送儀礼だけ統一したもので、祭祀連合とみればよい

広瀬和雄先生は前方後円墳国家と呼ぶが、都出比呂志先生は前方後円墳体制と
呼んでおり、そちらの方が広く使われている

どちらにせよ、この秩序が当時の倭国だ

895 :日本@名無史さん:2018/10/16(火) 10:11:55.81 .net
そんな広域体制はないよ。

896 :日本@名無史さん:2018/10/16(火) 10:51:03.05 .net
言葉だけの観念だね。

897 :日本@名無史さん:2018/10/16(火) 11:10:31.48 .net
畿内説は根拠が妄想だからね。

898 :日本@名無史さん:2018/10/16(火) 12:42:34.17 .net
私、やまたい国がどの辺なのか想像できちゃった
 

899 :日本@名無史さん:2018/10/16(火) 16:24:59.05 .net
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

900 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 09:48:17.52 .net
卑弥呼は女帝だよ
奈良に女帝がいる訳ない、ブスばっかりなのに
福岡は美人多いから、卑弥呼は福岡

901 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 11:44:14.74 .net
>>895
>そんな広域体制はないよ。

実際、広域で前方後円墳または前方後方墳を一斉に作り始めているだろ?

相談して示し合わせないと、こういう状況はありえない
この相談して示し合わせる過程を、前方後円墳体制と呼んでおり、
その範囲が実質的な倭国の範囲

902 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 11:50:56.14 .net
ただ単に他所で見聞きした形状を真似て
作ってるだけじゃね?

同時期に九州では統一なんてしてなくて
円墳も方墳もあって
各小国の好みで作ってるようだからね。

903 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 13:26:57.18 .net
真似てつくるだけなら
設計図を共有してると考えられるようなものや
埴輪のづくりがそっくりなものなどが
畿内と地方で確認できたりはしない

それに前方後円墳体制論も前方後円墳国家論も
前方後円墳がその時代の最上位の墓制だと捉えて論を展開しているだけで
前方後方墳や帆立貝形墳、円墳、方墳の存在を排除、無視するようなものではない

904 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 14:21:38.97 .net
>>902
>ただ単に他所で見聞きした形状を真似て
>作ってるだけじゃね?

なぜ真似る必要がある?
それ以前には、各地の首長はそれぞれの文化に沿った墳丘を作っていたんだぞ?
真似たくなるだけの権威が畿内勢力にあったってことでもいいけれど?ww

905 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 14:22:57.79 .net
>>902
畿内の大古墳の、相似形の縮小版を地方で作っているんだよ
単なるまねではなく、設計集団の共有がなければそういう芸当はできない

906 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 15:13:24.08 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

907 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 16:42:30.09 .net
>>903
>前方後円墳がその時代の最上位の墓制だと捉えて論を展開しているだけで

この前提が、少なくとも3、4世紀の九州では成り立たない。

908 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 16:43:18.31 .net
>>905
>単なるまねではなく、設計集団の共有がなければそういう芸当はできない

技能集団を使い回ししていただけかもね。

909 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 16:48:13.58 .net
>>907
その根拠を具体的に提示して

910 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:13:30.09 .net
>>907
>この前提が、少なくとも3、4世紀の九州では成り立たない。

那珂八幡古墳(奴国) 前方後円墳
端山古墳(伊都国)  前方後円墳
原口古墳 筑紫野市  前方後円墳
石塚山古墳 京都郡  前方後円墳

各地域の初期古墳で一番大きいものが全部前方後円墳なのですが?
これらが盟主墳ではないというならその理由を「具体的に」「根拠を示して」
指摘してください


911 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:14:36.91 .net
>>908
>技能集団を使い回ししていただけかもね。

技能集団を使いまわせるだけの「共同体または秩序」があるってことだよな
それが、前方後円墳体制だよ

912 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:18:01.88 .net
そうだね、
鏡作り部と同じように、前方後円墳作りの専門職の墓作り部(忌部)でもいたんだろう

913 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:24:07.76 .net
>>910
それらの墓が盟主のものだという根拠をどうぞ。
どこの誰だというのか?

914 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:24:33.13 .net
>>912
>鏡作り部と同じように、前方後円墳作りの専門職の墓作り部(忌部)でもいたんだろう


そうだね
すべて倭国(阿波)の「忌部はん」に任せなさい。 鉄器や土器、水銀朱もあるでよ。  @阿波


915 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:24:56.75 .net
>>911
技能集団が自発的に移動していたのかもしれんぞ。
払いの悪い雇い主にはつかないとかね。

916 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:26:30.56 .net
>>913
>どこの誰だというのか?

倭国(阿波)の「忌部はん」以外にいないでしょ? 他にだれと?  @阿波


917 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:33:40.66 .net
思いつきや中途半端な知識、イメージばかりで
事実に立脚しての主張ができないのは伊都クズの特徴だな

918 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:37:01.24 .net
>>917
>事実に立脚しての主張ができないのは伊都クズの特徴だな


「事実に立脚しての主張」出来るのは倭国(阿波)だけでしょ?  @阿波


919 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:38:15.30 .net
そのとおりだ
阿波の大忌部が、全国の前方後円墳を造ったのだ。

920 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:47:20.74 .net
>>919
>阿波の大忌部が、全国の前方後円墳を造ったのだ。

全国に広めたのは前方後円墳だけじゃないよ 。
軽量薄型土器も大ヒット商品だね。
まぁ、特に「水銀朱」なんて超貴重品として有力忌部に下賜を熱望されたものだ。
ほかに勾玉も大ヒット。  @阿波


921 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:49:53.28 .net
キナイコシが説明できずに逃亡

922 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 17:58:24.86 .net
>>921
>キナイコシが説明できずに逃亡


説明出来るのは、倭国(阿波)だけだからw  @阿波


923 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 19:09:40.99 .net
>>913
>それらの墓が盟主のものだという根拠をどうぞ。
>どこの誰だというのか?

那珂八幡古墳 名もなき奴国首長
端山古墳   名もなき伊都国首長

九州に史書に名前を残す人物がほぼいないんだから意味のない質問だな

九州では、ある程度以上の大古墳であっても、被葬者が想定できるのは
古墳時代後期の岩戸山古墳の筑紫君磐井だけ

では、盟主墳ではないと考える「根拠を具体的に教えて欲しい」と
いう質問に答えてもらおうかww


924 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 19:10:45.72 .net
>>915
>技能集団が自発的に移動していたのかもしれんぞ。

雇い主がいたとして、そこで作る古墳の規模は、雇い主の懐具合=国力で決まるよな
つまり、北部九州は雑魚ww

925 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 19:13:10.38 .net
>>913
>それらの墓が盟主のものだという根拠をどうぞ。

盟主墳という言葉を勘違いしていないか?
盟主が葬られたと分かっているから盟主墳なのではなく、
規模等からその地域でもっとも立派な「墳墓の中の盟主」が盟主墳と呼ばれるんだぞ?

そして、盟主墳の被葬者は、その地域の最高首長であることが「想定される」だけ

926 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 19:14:17.61 .net
まあ、岩戸山古墳は唯一被葬者が
特定できる古墳と言われてるからね。

もっとも、自分はそれすら疑問視してるけど。

そもそも敵方がその反乱者を素直に
巨大古墳に入れてやるもんかねえ?

927 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 19:52:01.97 .net
>>925
つまりキナイコシのいうことは根拠のない思い込み。

928 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 19:57:27.28 .net
>>926
磐井の乱の後も、畿内の影響はほとんどないんだよ。
磐井の息子が筑紫の君を継いでいる。

929 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:12:05.52 .net
磐井の息子は糟屋に領地を持ってて
磐井が討たれたあとで降伏したけど
それをそのまま筑紫君に任命するってのも
変な話。

記紀の記述がなにかいじった可能性があるね。

930 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:14:23.49 .net
河内王の古墳も特定されてますよ
万葉集にも出ています

931 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:25:49.76 .net
筑紫の君は畿内政権が命名したわけではないんだよ。
九州は畿内政権の支配が及んでいない別の国、倭国だっただね。

932 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:30:45.79 .net
妄想はいくら積み重ねても妄想に変わりはないと気が付かない九州脳

933 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:39:03.59 .net
九州と畿内は半島で手を組む相手が違っていた。
外交も独自にしていたということだ。
内政も外交も別なら、それはもう別の別の国。

934 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:47:50.22 .net
>>900
確かに
その観点はなかったわ

935 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:50:07.79 .net
真面目な話、女性首長は九州の伝統だった。

936 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:53:30.96 .net
そうやな
九州確実やわ
間違いあらへんな

937 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:54:03.54 .net
>>928
そうその通り

筑紫の君を指名、承認できる立場にヤマト王権はなかった

938 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:56:15.22 .net
東朝鮮韓唐偽日本国賊ちよんこが研究邪魔するからいまいち深くはわからんけどな

939 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 21:57:13.47 .net
>>931
しいていうなら「属国」だろう

現代に置き換えるなら、中国にとっての北朝鮮みたいなもん

北朝鮮は勝手にミサイル開発して中国に怒られたりもするし、北朝鮮の王位(総書記の地位)継承は北朝鮮が中国は口出せない
しかし全体としては北朝鮮は中国の影響下にある

ヤマト王権に対する筑紫国も同じ感じだろう
全体としては属国だが、直接的に支配領域としてはいない

940 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 22:05:43.96 .net
【白村江の戦いと倭国滅亡】

663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。

668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。

671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。

筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。

701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内大和政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。

941 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 22:11:54.84 .net
大陸に対して倭の名前で列島を代表していたのはやはり筑紫だったのではないか?

942 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 22:20:06.71 .net
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

943 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 22:24:24.57 .net
わざわざ辺境になんてこないわな

944 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 22:28:10.93 .net
>>940
そこの滅亡というところは
ちがうかもな、被災して新天地をととめに東征した可能性もある

945 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 22:28:59.76 .net
もともと交流があって
合併したのかもしれんし

946 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 22:31:25.44 .net
多少の小競り合いがあってというなら
寧ろ東征に根拠がでるわな

南海地震の近畿の被害は少ないと思うよ、それ
離れているから、しかしながら被災した方の危機感が勝る可能性もある

947 :日本@名無史さん:2018/10/17(水) 23:28:14.98 .net
東は静岡、西は大分まで津波の痕跡が見つかり、南海地震ではなく、東海から南海までの広域連動地震であったというのが最近の見方のようだよ。

白凰地震 Wikiより引用

白鳳地震(はくほうじしん)は、白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。
南海トラフ巨大地震と推定される地震の確実な記録としては最古のものである。
記録による土佐や伊予の被害の様相から南海道沖の地震と考えられていたため、白鳳南海地震(はくほうなんかいじしん)とも呼ばれてきたが、発掘調査により、ほぼ同時期に東海道沖も震源域となったと推定されている。
静岡県磐田市の河川改修工事現場から痕跡を確認し、放射性炭素年代測定の結果、約1300年前の津波痕跡で有ることが確認された[26]。
ここで発見された7世紀後半の津波堆積物は、層厚が70cmを越える大規模なもので、9世紀後半、11世紀後半、15世紀後半のものを凌いでいる[27]。
淡路島の汁谷遺跡では7世紀後半に当時の住居が砂脈で引裂かれた痕跡が発見された。

948 :日本@名無史さん:2018/10/18(木) 07:07:47.57 .net
地震や津波は定期的にあっただろう
津波なんてきたら、陸上だけでなく海産物も壊滅だからな
アサリやハマグリも取れず
引っ越しするしかなかったかもしれない

949 :日本@名無史さん:2018/10/18(木) 07:23:36.71 .net
定期的にとは言っても、数百年単位の話だから、一つの政権にとっては致命的。
まして白鳳地震は千年に一度の規模の南海トラフ地震であったと考えられている。
藤原京への遷都の決定直後であり、津波は瀬戸内海へも流れ込むから、畿内でも影響はあっただろう。

950 :日本@名無史さん:2018/10/18(木) 07:27:20.00 .net
>>944
確かに、滅亡と遷都の使い分けは微妙。
瀬戸内海を通じて交流はあったし、一緒に白村江に出陣しているくらいには一つだった。
しかし王統が違うのであれば、旧唐書の記述の信憑性も高くなります。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。

951 :日本@名無史さん:2018/10/18(木) 07:57:28.50 .net
>>950

旧唐書には倭国(阿波)と日本国(大和)が分けて記載され、「倭国(阿波)は8世紀に日本(大和)に遷都し、倭国(阿波)の地を併せたり」とある。  @阿波


952 :日本@名無史さん:2018/10/18(木) 09:24:10.70 .net
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

953 :日本@名無史さん:2018/10/19(金) 06:59:09.30 .net
記憶たどり。 ★ 10/19(金)05:05 ID:CAP_USER9(1) AAS
外部リンク[html]:www3.nhk.or.jp

鳥取市にある青谷上寺地遺跡で出土した大量の人骨は、1世紀から2世紀の弥生時代後期になって
新たに大陸から渡来した人々だった可能性のあることが、国立科学博物館などのDNA分析でわかりました。
まとまった数の弥生人のDNA分析から渡来人の集団の実態に迫る研究は初めてです。

青谷上寺地遺跡は鳥取市にある弥生時代の集落跡で、平成12年に国内で初めて当時の人の脳が出土したほか、
大量の人骨も見つかり、全国的に注目されました。

国立科学博物館や山梨大学などの研究グループがおよそ40点の人骨の「ミトコンドリアDNA」を分析したところ、
ほとんどの人骨のDNAの特徴が中国や朝鮮半島の人のものと共通していることがわかりました。

人骨は1世紀から2世紀の弥生時代後期のものとされ、それより前から日本列島で暮らしてきた縄文系の人々との
交わりもある程度、進んでいたと考えられる時期ですが、DNAにそうした特徴は見られず、研究グループは、
新たに渡来した人の集団だった可能性があるとみています。

まとまった数の弥生人のDNAから渡来人の集団の実態に迫る研究は初めてで、国立科学博物館の篠田謙一副館長は
「さらに詳細な分析が可能な核DNAの調査などを通して当時の状況を明らかにしたい」と話しています。

この調査については、19日から開かれる日本人類学会で報告されます
ニュース速報+にスレたってました。

 

954 :日本@名無史さん:2018/10/19(金) 08:38:37.42 .net
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

955 :日本@名無史さん:2018/10/19(金) 10:06:12.70 .net
>>953
山陰はキチガイ多いから合点や

956 :日本@名無史さん:2018/10/19(金) 17:25:23.66 .net
>>951
>旧唐書には倭国(阿波)と日本国(大和)が分けて記載され、「倭国(阿波)は8世紀に日本(大和)に遷都し、倭国(阿波)の地を併せたり」とある。  @阿波

その旧唐書の元ネタは、唐会要
唐会要も、倭国と日本国は分けて書かれており、倭国条が99巻、
日本国条が100巻なので、読み違いや紛れはない

その唐会要倭国条に
咸亨元年三月遣使賀平麗爾後繼來朝貢
則天時自言其國近日所出故號日本國蓋惡其名不雅而改之
と書かれており、則天時、つまり武則天の長安四年の遣唐使が
「その国(=倭国)が日出ずる所に近き故日本国と号す
 けだし、その名雅ならざるしてこれを改める」と明記されている
さらに、開成四年正月遣使薛原朝常嗣等来朝貢という記事も倭国条にあり、
畿内平安貴族の藤原朝臣常嗣も倭国の使いと認識されている

大和朝廷=倭国が日本に改号しただけ


957 :日本@名無史さん:2018/10/19(金) 22:54:02.24 .net
>>953
これはきっと
天日矛の係累に違いない。

958 :日本@名無史さん:2018/10/19(金) 23:16:31.16 .net
>>956
>その旧唐書の元ネタは、唐会要
>唐会要も、倭国と日本国は分けて書かれており、倭国条が99巻、
>日本国条が100巻なので、読み違いや紛れはない


なんで、倭国条と日本国条をわざわざ分けて記載する必要があるの? 同じならわざわざ分ける必要はない。

旧唐書で「倭国(阿波)と日本国(大和)とを分けて整理しなおしたんだろうね。  @阿波


959 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 02:25:07.80 .net
私は倭国と日本国の2つの国が並列していた判断しますね。

960 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 06:23:30.13 .net
>>959
>私は倭国と日本国の2つの国が並列していた判断しますね。


「けだし、その名雅ならざるしてこれを改める」と明記されている」

同じ国だったからこそ、「改めた」のであって、

「2つの国が並列していた」別々の国であったならば、「改める」という表現は不自然である。  @阿波


961 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 08:15:15.46 .net
>>959
正解

962 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 08:40:54.83 .net
白村江の敗戦の責任と賠償から逃れるために、ヤマト政府が
「白村江はあいつら(九州)が勝手にやったことだから、俺らは日本という別の国だから」
と言って責任を全部九州に押し付けた

というのが倭国と日本国の分裂の真相だろう

実際には分裂なんてしていなかった

白村江の主力軍は畿内豪族で、九州からももちろん派兵されてる

963 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 09:50:24.81 .net
東西統一していたが自治政府の様相もあったととかかな
ならば東征が真実味を帯びるんではないか

964 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 09:54:13.95 .net
現代の東朝鮮韓唐ガセ乗りちよんこ国賊の寄生ちなのと、西日本が大和民族様の正統日本なのと似ているな

965 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 09:54:30.34 .net
無理に東征にもっていくな

966 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 09:59:54.52 .net
無理ではないよ

967 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 10:00:56.15 .net
戦術的には筋が通っていているからリアルな話やと思うがな

968 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 14:35:17.81 .net
筑紫から畿内への主権の移動がいつだったのかという時期の問題に過ぎない。
弥生時代の倭国王権が博多湾沿岸の早良王国(あまり好きな名称ではないが)に始まることは確実なのだから。

969 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 14:40:05.25 .net
白村江の敗戦国である百済は旧都の熊津に都督府が置かれて唐の直轄地となった。
同じ敗戦国である倭には筑紫に都督府が置かれた。
これは、少なくとも唐は筑紫を倭の都か旧都のいずれかと考えていたということになる。

970 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 16:20:36.64 .net
>>958
>なんで、倭国条と日本国条をわざわざ分けて記載する必要があるの? 同じならわざわざ分ける必要はない。

大陸中華皇帝の認めた国号が異なるからだよ
単純な話

唐朝(正確には武則天の周朝)のときに改号を認めたから、
唐書(旧、新ともに)だけ、倭国と日本国の両立てになっている

考えてみれば簡単なことだろ?ww

971 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 17:26:22.47 .net
>>968
悪い名前ではないだろ
現区名やんけ

972 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 17:48:57.91 .net
日本国と言うのは600年以降に出来ているが
倭国と言うのは古代中国人の概念にしか存在しない。

倭人伝によれば、九州島と 東の本洲、韓南岸が倭種の国。
この概念は、倭人種の住む地域であって国ではない。

973 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:06:49.27 .net
イザナギとイザナミの博多湾沿岸の国産み以来、倭国は記紀にもあるよ。

974 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:13:14.69 .net
>>972
日本国始祖名は『 倭 』に異常にこだわった『 大倭国 』ですけどwww

975 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:13:32.22 .net
>>970
>唐書(旧、新ともに)だけ、倭国と日本国の両立てになっている


唐の時代に倭国(阿波)から奈良へ遷都したのが改号の契機となったことがよくわかる。  @阿波


976 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:17:06.11 .net
残念だけど日本史で超重要な倭には阿波レベルなんてよってないよ
関西だけ見とけばいいんじゃない阿波なんて所は

977 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:22:18.16 .net
>>974
こだわったのは、実史である中国史書と記紀の整合性。
出来ない事を、うやむやにする方法論だな。

978 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:22:39.67 .net
後付けな

979 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:27:08.95 .net
>>976

残念だけど日本史で超重要な倭には倭国(阿波)しかないよ。  @阿波


980 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:50:09.71 .net
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

981 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 18:57:09.73 .net
日本は今の天皇家の祖先
倭国はまったく別の国
日本は白村江で新羅側についた
戦後九州を支配することになったが
倭国の歴史を日本の歴史にしようとしたため辻褄が合わなくなった

982 :日本@名無史さん:2018/10/20(土) 21:49:44.54 .net
>>981
正解

983 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 00:12:25.82 .net
>>981
新羅本紀

14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。
いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。

984 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 00:12:50.56 .net
300年 春正月に、倭国と使者を派遣し合った。
312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために求婚したので、王は阿飡の急利の娘を倭国に送った。
344年 倭国が使者をつかわして、婚姻を請うたが、すでに以前に女子を嫁がせたことがあるので断った。
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
346年 倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。
364年 倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。
393年 倭人が来て金城を包囲し、5日も解かなかった。
402年 三月に倭国と通好して、奈勿王の子、未斯欣を人質として倭に送った。
405年 倭兵が明活城を攻める。
407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を攻める。
408年 春二月、王は、倭人が対馬島に軍営を設置し、兵器・武具・資財・食糧を貯え、我が国を襲撃することを企てているとの情報を手に入れた。
倭兵が出動する前に、精兵を選んで兵站をしようと考えたが、舒弗邯の未斯品曰く「兵は凶器であり戦は危険な事です。
ましてや大海を渡って他国を討伐し、万が一に勝つことができなければ、後で悔やんでも仕方ありません」王はこの意見に従った。 w

985 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 00:14:02.24 .net
>>983
倭人の代表的存在である邪馬台国の卑弥呼以前にも
倭人達は統一した活発な海外行動をとってたんだ知らなかった

986 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 00:16:44.77 .net
「 倭国は大国で貴重な物が多いと考え新羅と百済は、
 
  倭人達を新羅人や百済人はどちらも敬い見上げている。」

中国王朝二十四史書 『  隋書倭国伝  』より

倭人たちより古代から格下民族だったことを朝鮮民族は自ら自覚してたのを
中国人の客観的史書でも証明してるた

987 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 08:48:47.34 .net
1、2世紀の倭は博多湾沿岸勢力(倭奴国)を盟主とする国であることは考古学的に明らかですが、5世紀に及ぶまでその体制に大きな変化があるようには見えません。

988 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 09:00:21.56 .net
>>987
>1、2世紀の倭は博多湾沿岸勢力(倭奴国)を盟主とする国であることは考古学的に明らかですが


考古学的に博多湾沿岸に「其山有丹」を証明出来ない時点で、博多湾沿岸説  終了。  @阿波


989 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 09:10:10.38 .net
大和とは大倭のこと
そして邪馬台国を含めた日本のこと
白村江で新羅側について倭国を得た小国の日本が大国の倭国を引き継いだということにしたかった
関係性としては倭国と日本は宗主国と属国のような感じ

990 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 09:13:06.33 .net
>>989
>関係性としては倭国と日本は宗主国と属国のような感じ


倭国=阿波
日本国=8世紀に遷都した奈良大和   @阿波


991 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 09:13:26.27 .net
>>989
白村江以降は日本が倭国を吸収
ここで重要なのは滅ぼしたわけじゃないということ
これがまた日本の歴史を複雑にしている

992 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 09:20:08.62 .net
>>991
>白村江以降は日本が倭国を吸収

そんな無理筋トンデモは不要。  @阿波


993 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 09:36:50.60 .net
>>992
そう考えると歴史の辻褄が合う

994 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 09:41:24.36 .net
邪馬台国というのは倭国を構成している連合国家の名称
だから邪馬台国を探したって見つかるわけはない
倭国の首都という意味では時代によって変わる
魏志倭人伝の時点では伊都国、白村江時点では太宰府

995 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 10:05:38.27 .net
倭国全体の連合国というよりは、女王の都するところ、首都圏を邪馬台国と呼んだのだろう。
伊都国と奴国を合わせた領域だね。
日本側の呼称は記紀にある筑紫の日向だろう。

996 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 10:06:35.99 .net
【筑紫の日向】

福岡県の高祖山の最高峰は高地山、別名をクシフル山とも言う。
古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とあり、福岡県のクシフル山とするべきだろう。
考古学的にも、三種の神器を伴う弥生墳墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。
クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。
宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。

最初の王墓として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、須玖岡本遺跡(紀元前1〜1世紀)があり、
高祖山をはさんだ西側の糸島平野に三雲南小路遺跡(1世紀頃の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
これらの遺跡からは、皇位の象徴とされる三種の神器と同じ剣、鏡、玉があわせて出土する。
倭国王権の起源は稲作伝来と弥生文化発祥の地である博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
漢により冊封された王権の象徴としては他にガラス璧があり、福岡県の須玖岡本遺跡、三雲遺跡、峯遺跡、宮崎県の玉の山遺跡からのみ出土している。

伊都国の三雲南小路遺跡には王と王妃があわせて葬られており、ニニギと木花開耶姫といわれる。
その拝殿である細石神社は江戸時代まで「漢倭奴国王」の金印を保管していたと伝えられている。
伊都国の平原遺跡からは円周が八咫(あた)となる超大型内行花文鏡が出土していて、ニニギがアマテラスから受け取った倭国の王権の象徴である八咫の鏡と考えられる。

高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城があり、峰々に楼閣があった。
その中に高祖神社がある。これが記紀にある高千穂宮だろう。
筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。

997 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 10:13:14.66 .net
>>995
>倭国全体の連合国というよりは、女王の都するところ、首都圏を邪馬台国と呼んだのだろう。


そうだね。 邪馬台国は倭国(阿波)の北方、吉野川流域勢力。

一方、狗奴国は倭国(阿波)の南方、那賀川流域・勝浦川流域・海部川流域などの勢力。  

これだけはっきり具体的に主張出来るのは倭国(阿波)だけ。   @阿波


998 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 10:20:23.22 .net
『倭猿』というのは何なんだよ

ドラゴンボールに出てくるキャラクターとか、
サルタのことではないと思うんだけど

999 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 10:47:14.59 .net
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

1000 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 11:04:37.94 .net
>>995
>倭国全体の連合国というよりは、女王の都するところ、首都圏を邪馬台国と呼んだのだろう。


修正

そうだね。 邪馬台国は倭国(阿波)の北方、吉野川流域勢力・鮎喰川勢力。

一方、狗奴国は倭国(阿波)の南方、那賀川流域・勝浦川流域・海部川流域などの勢力。  

これだけはっきり具体的に主張出来るのは倭国(阿波)だけ。   @阿波


1001 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 11:31:00.13 .net
阿波はない
別の勢力

1002 :日本@名無史さん:2018/10/21(日) 12:30:33.13 .net
>>1001
>阿波はない
>別の勢力

倭国(阿波)以外、「其山有丹」に該当するところ、無し。  @阿波


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