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平原鏡はマンホール
- 502 :日本@名無史さん:2018/09/05(水) 17:32:45.72 .net
- 三雲南小路の祭殿が細石神社だが、ここに漢委奴国王印が保管されていたという口伝がある。
年代的にも、三雲の被葬者が金印を貰った倭王の可能性が高い。
そして三雲は筑紫の日向の久慈古山(高祖山)の麓にあり、魏の使いが滞在し、弥生時代でありながら硯などの文字文化の痕跡がある。
高祖山の伊都城の前身は、倭国の王城である邇邇芸の高千穂宮だったのかもしれない。
細石神社の祭神は木花咲耶姫だが、倭王と王妃の墓ということであれば、ニニギと木花咲耶姫の墓であろう。
日向三代こそ、魏志倭人伝に卑弥呼の前の男王70-80年に相当するのだろう。
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