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♪邪馬台国ドンと来い!♪139

492 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 09:36:02.60 .net
質のいい鉄とは、下のことかな。
これを、江南系は、
していたのかな。


高い温度で鉄鉱石を還元すると、
今度は鋼でなく鋳鉄が得られます。
温度が高いと鉄と炭素が合金になりやすく、
炭素分の高い鉄(鋳鉄)が
得られます。
鋳鉄は炭素分が高すぎて刀剣
などには使えません。

この鋳鉄の炭素分を減らして
鋼にする方法が「炒鋼」と言います。
要するに溶けた鋳鉄に
鉄の酸化物(砂鉄や赤錆)を加えます。

そうすると鉄の酸化物に含まれる
酸素と鋳鉄の中の多すぎる炭素が
化合して炭酸ガスになって
飛んでしまい、炭素分が下がって
鋼が得られます。

つまり「炒鋼」は鋳鉄から
炭素を取り除く脱炭のための技術。

493 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 09:46:27.03 .net
>>492
たたら製鉄は鉄鉱石からじゃなく砂鉄から作ってたはずだけど?

494 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 09:55:40.10 .net
鋳鉄精錬して鋼鉄にするのは
高炉式だね。
6世紀の糸島に斜面式高炉群が発券されている。

たたらは5世紀以降で、
一度の製鉄に作られる量は少ないが
一部は鋼鉄になる。

495 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 10:11:56.12 .net
>>493
>たたら製鉄は鉄鉱石からじゃなく砂鉄から作ってたはずだけど?


矢野遺跡のT類鉄鍛冶炉跡にあった砂鉄は一体なんだったんだろうか?  @阿波

496 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 10:25:07.86 .net
矢野遺跡は中世10世紀まで続く
複合遺跡のようですね。
その砂鉄はいつ頃の年代のものでしょうかね?

497 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 11:00:46.18 .net
出雲大社の冨さんが、いっているよね。
天孫族は、質の良い鉄を持っていた。
今度の神武さんは、強いって。
天孫族も出雲族も婚姻関係ある。ホヒが、
先遣隊。
富家の伝承には「大和や紀伊は出雲の分国」とある。
神魂神社の秋神氏によると
天孫族の本拠地は九州にあり、ホヒ一族は九州から対馬海流にのり海路にて出雲入りした。

九州の鍛鉄鋳造、炭素が、かなり低いものも
つくれたから、強いんやないかな。
中国も鍛鉄鋳造技術は、軍事技術やから、
なかなか国外にもち出さなかったが、
良質な鉄鉱石、砂鉄がとれず、
倭国へ来たとの説もある。

498 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 13:12:17.23 .net
>>496

「砂鉄を入れた壷が住居内から出土した3世紀後半の鍛冶工房跡 SB 2044」 だって。  @阿波

499 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 13:36:24.95 .net
関連スレ
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1533446967/l50

500 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 15:11:27.79 .net
日本の青銅器がBC3〜400辺りからとするなら、
これが中国、大陸由来は確定なので、中国が既に鉄器時代なのであるから
同時に入ってきてるってのは、ほとんど当たり前なのではないかな?

BC200以前から、銅鐸が和製であれば、銑鉄の加工も日本で可能かと思うが?

邪馬台国の200年に鉄器が無いとか、なんの寝言だよ?
そんな奴が外洋船作れるのかよ?

考古学って、ほんとどーでもいいなw
てか、最初から半島省略して伝わってるもんに
なんで、半島の開拓年代待ってから渡来しなきゃなんない屁理屈なんだ?

501 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 17:55:23.30 .net
鉄器の豊富な九州は何の問題はない。
鉄器が出ない後進地域の纒向が邪馬台国だと言い張るアホがいる。

502 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 18:02:27.56 .net
>>501
>鉄器が出ない後進地域の纒向が邪馬台国だと言い張るアホがいる。

鉄が出ないと、鉄がなかった、を同一視するのがバカなんだよ

503 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 18:12:45.52 .net
>>501
>鉄器の豊富な九州は何の問題はない。

その鉄器が出る遺跡は古臭いものがほとんどという・・・・・・  @阿波

504 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 18:13:29.68 .net
>>502
あったというなら証拠を出せ。

505 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 18:36:32.88 .net
>>504
無茶振りしちゃ、可哀そうだよ。 倭国(阿波)の豪族古墳、ホケノ山でも出てるだろ。  @阿波

506 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 18:55:33.39 .net
静岡の登呂遺跡あたりでも、鉄がなかったなんて想定するやつはいないんだが?
でも、登呂遺跡で鉄そのものは出ていない

弥生時代に鉄がないと思う方がおかしいんだよ

507 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 19:10:34.05 .net
まあ、鉄サビでも出ない限りは
鉄に言及する人間はいないだろうな。

俺も鉄が出るとも出ないとも言わない。

508 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 19:23:40.60 .net
登呂とか、海沿いはまだ先進地域なんだよ。
纒向のような内陸はいかに遅れていたかということ。

509 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 19:27:05.33 .net
>>508
纏向は周辺で一番、開拓が遅れたんだよ。 なんせ、内陸で湿地帯ときてるもんでね。  @阿波

510 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 20:47:33.59 .net
奈良はそういう後進地域だったからこそ
よそから入って来た集団が拠点を作りやすかったわけだし。

511 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 20:51:41.67 .net
アウトローが集まる吹き溜まりのフロンティアだろ。
王都じゃないな。
白村江の敗戦後の混乱に乗じて支配権を取るのがせいぜいだ。

512 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 21:11:07.73 .net
邪馬台国=倭国はそのまま大和国で畿内で当たり前 @阿波

513 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 21:26:58.89 .net
>>512

う〜ん、それではみんなを騙せないよ。  @阿波

514 :くまモン論者:2018/08/16(木) 21:41:01.07 .net
>>459
何が一票だよwww
相変わらず弟子ちゃん面白いわ。

515 :くまモン論者:2018/08/16(木) 21:51:14.96 .net
阿波さん畿内説になっとる



なんちゃってwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

516 :くまモン論者:2018/08/16(木) 22:35:01.24 .net
一大国は陳寿の誤記でJK?!?
魏志に先行する魏略は一支国やしな

517 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 03:50:25.36 .net
九州と近畿は別勢力。
邪馬台国が近畿なわけないだろ。

518 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 06:15:32.63 .net
森次慶子 病気 在日朝鮮人 ツイッター芸人 韓国 罵倒 ADHD 発狂 マウント
北風友裕 前科 不倫 もりじ ロブスター ニート 精神科 精神病 在日 カルト
逮捕歴 ストーカー コンドーム おばさん 痴漢冤罪 炎上 脅迫 森次 差別主義者
躁鬱病 悪徳商法 レイシスト 詐欺 押し売り 傲慢 パワハラ ヘイトスピーチ
発症 薬物 森次慶子 万引き パクリ 著作権侵害 虚言癖 自演 入院 捏造 解雇
自己愛性パーソナリティ障害 異常者 精神疾患 恐喝 模写 トレース 強迫観念
北風 発達障害 ドラッグ 猫虐待 オウム真理教 反日 捏造 恫喝 ロブおば 大麻
高慢 芸人 勘違い 麻原彰晃 森○ 宗教 攻撃性 自己愛性人格障害 暴言 人種差別
友裕 病状 双極性障害 アルノサージュ 差別 LGBT 暴力 中国 違法 醜悪 
火病 無断転載 リンチ 暴行 狂人 DV 統合失調症 架空請求 盗作 自己破産
心身症 人格障害 創価学会 炎上商法 精神病棟 Moritsugu 容疑者 森次慶子 下手
ぼったくり 借金 詐欺師 底辺 精神異常 Keiko 性格悪い いじめ 悪辣 無職
コンプレックス 生活保護 引きこもり 癇癪  加害者 反社会性パーソナリティ障害
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519 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 07:07:18.79 .net
>>517
>九州と近畿は別勢力。
>邪馬台国が近畿なわけないだろ。

同じ場所に住んでるわけじゃないけれど、庄内土器の時点で
土器様式の共通化がなされるくらい人の交流があるんだから、
畿内を無視して弱小な北部九州の首長が倭王になることはないよ

北部九州は吉野ヶ里の北墳丘墓以降、大きな墳丘墓一つ作れないのを
無視しちゃダメだよ

520 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 07:10:49.90 .net
魏志倭人伝を無視しているよ。

521 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 07:45:07.70 .net
>>519
>庄内土器の時点で
>土器様式の共通化がなされるくらい人の交流があるんだから


それは、忌部さん達の活動結果。  @阿波

522 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 07:50:41.71 .net
>>520
>魏志倭人伝を無視しているよ。

どこを無視しているのか、具体的に指摘して!
そうしないと議論にならない

九州説は、南至投馬國水行二十日と南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月を
無視あるいはごまかそうとするよね

523 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 09:53:26.66 .net
>>519
遠賀川地域はともかくとして、卑弥呼の勢力圏である筑紫に
庄内式が入りだしているということが、近畿勢力による筑紫平定が、
247年の卑弥呼の死によって終了した、ことの証明でしょ。

倭人伝は、この後、263陳寿の母国蜀漢、280孫呉を平定する
戦国王である魏が独立国としての邪馬台国との軍事同盟をあきらめ
九州の軍事外交主権が東国含む日本国に掌握された、
こののちの朝廷となる勢力の、筑紫平定の西暦年を確定しているんだが?

邪馬台国がどっちだったか? 
終わった方じゃなきゃ、魏外交が続いて
中国の313年の漢四郡半島撤退は無くなって、
倭王が中国貴族化して朝鮮州の刺史になっちゃう? に、一票。

中国文献上、明らかにこの時歴史は動いた、んだが? 
歴史学者は馬鹿なのか?

524 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 10:23:54.52 .net
>>516 師匠 乙
>一大国は陳寿の誤記
は、無い。 有り得るのは、筆写時の誤認です。

対海国、一支国 は、倭語音の国名の漢訳ではなく
中国でも通用する島名だと思います。
であれば、一大と一支は、表意文字としての意味が逆向きです。

間違えるとすれば、漢から魏、唐に伝わった東夷概念図を見たことない木っ端役人。
むしろ、日本人の筆写じゃないのかな?

畿内説の傷、東=南が 
東夷概念図の存在を知る、または推測できれば有り得ないのと同様
大と支が似てるから間違える、ってのは、文意を考えてる陳寿には無い。

525 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 12:10:39.01 .net
>>522 
|∩`Д´) / '⌒☆ >>3
【段落2 梯儁による行程】
>南至投馬國 水行二十日 可五萬餘戸
>南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 可七萬餘戸

投馬國 と 邪馬壹國 は以下に列記される 国=大夫の領地 ではなく
5万戸、7万戸の 筑紫国程度のまとまりを持つ、国家としての認識の国。

(帯方郡から)南至 投馬國 水行二十日=韓西岸4千里以南の倭人国 
韓東西も4千里だが東3千里には 張政の倭人船の寄港地 狗邪韓國(巨斉島)がある。

投馬國から対馬海峡は水行十日で九州上陸後、陸行一月=2千里。
240年梯儁は皇帝の使者として魏の軍船、錦旗で幕営行軍。特に宿営地の地名は無い。
潮待ち占いの持衰を待たせる末羅国、検閲の伊都国にも寄る必要はない。

>自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳(21国列記)此女王境界所盡
他の倭人国について、餘旁國は遠絶の為、不可得詳である。
女王国所属国(全7万戸の邪馬台国)の範囲は以上21国がすべてである。
で、>其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王

自郡至女王國 萬二千餘里
郡を出て金印紫綬の 女王の王宮まで 萬二千餘里 の行程であった。
(内訳w 水行二十日+水行十日+陸行一月である)

で、何が無視で、何がごまかしてる?

526 :くまモン論者:2018/08/17(金) 12:11:08.34 .net
>>524
なーる。
中国人なら、ましてや原文を書いた陳寿が間違えるはずないという事か。
寝ぼけた木っ端役人(笑)が筆写し間違えたんだろうな。

東夷概念図がもしあったなら
混一疆理図みたいなもんか

527 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 12:56:33.86 .net
>>522
帯方郡から伊都国、奴国までで12000里に達しているので距離での説明は終わってるし単位も距離の単位の里から時間の日に変わっているから
南至投馬國水行二十日と南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月は帯方郡から12000里を旅するのに掛かる時間を説明したものだよ
性質の違う説明文を続けて読むから滅茶苦茶な解釈になる。

528 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 14:01:49.66 .net
足利義満は、日本の全土を完全に支配したことはないからな。
土岐氏と戦い、山名氏と戦い、さらに大内氏と戦い、南朝残党と戦い、
彼の治世はたえまない有力大名との内戦の連続だ。
九州は彼の晩年にいたるまで南朝の影響のもとで独立王国の様相を呈していたしな。
日本全土がひとつの統一的な「制度」で結ばれて、中央が地方に養われ、地方が中央に保護
されるというような「支配」を、義満は一度も経験してないんだよ。
それでも日本国王だからな。
だから勢力が大きい小さいは関係ない。
さらに言えば、中国の王朝は、伝統的に「朝貢」というかたちの貿易しか許さないのであり、
それに則ってきちんと国交を結べば、どの勢力の統治者にも「王」の称号をあたえちゃうんだよ。
邪馬台国はきちんと「朝貢」したから「王」の称号を与えられただけだ。

529 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 14:41:24.67 .net
>>526
東夷概念図
実はアタシの研究所で作成したものを 前スレ1年以内で公開しています。
あまりに不評だったので、再制作予定にして門外不出にしようかとwww

内訳 (この情報量で小学生でも書けると思う)
大陸 黄海 山東 遼東 黄河 長江 朝鮮半島 日本海南部は、ママ。
・帯方南の韓は半島南部4千里四方 済州島(京畿湾から3月行に)有り
・韓南岸は投馬国
・対馬海峡3千里 巨斉島 対馬(方可四百餘里?半分?)
 壱岐(方可三百里) 糸島北岸 各渡海 千里
・九州島南北6千里 女王国は北部2千里で福岡筑紫平野
・本州海峡千里 瀬戸内海無し四国と本州はひとつ、
・本州 九州東、南北は沿海州東岸以上 北限は不明
・本州 東西は九州南岸から東南1年行=24000里の小笠原よりは内側

軍事地図とは思うが、再制作にあたり、一つの推論、原則として、
中華思想的に中原(南北で北京〜會稽?)を12月行(2万4千里)四方とする。
周囲8方に同じく、南北、東西12月行の座標で辺境とする。

この中華世界地図の、東夷部分の距離概略をもとに
倭人伝において、実際に張政が歩いた伊都、不彌国、奴国以外の
海里などの大雑把な里程は記されている。

倭人伝売るなら、付録に付いてこなきゃ、不親切に一票w
くまモン大師匠! >>1 の aa でキボンヌ ∩`Д´) /< ヤダヤダー!!

530 :くまモン論者:2018/08/17(金) 15:48:52.86 .net
>>529
ドン!

    ,-ー─‐‐-、
   ,! ||     |
   !‐-------‐
  .|:::i ./ ̄ ̄ヽi
  ,|:::i | (,,゚д゚)||  < ソース出せ。ゴルァ!!
  |::::(ノ 中濃 ||)
  |::::i |..ソ ー ス||
  \i `-----'/
     ̄U"U ̄

だよな。三国志は他の史書と違ってほぼリアルタイムやけんの。
張政君がきっちり報告してるからまちがいないやろ(桃ちゃん風

531 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 16:57:42.83 .net
>>527
>帯方郡から伊都国、奴国までで12000里に達しているので距離での説明は終わってるし

終わってない
島巡り仮説とか時代遅れもいいところ
千里以上残ってるぞ

そもそも、萬二千里は世界の果てという意味の符牒だから意味がないのだけれど

それと、女王国まで萬二千里を、邪馬台国まで萬二千里にするのも、ある意味捏造

>帯方郡から12000里を旅するのに掛かる時間を説明したものだよ

これも話の途中で、何の注釈もなく起点が振り出しに戻ったらまともな人は読めないよ
これも九州説の捏造のひとつ

532 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 17:37:20.09 .net
まともと思う奴は、畿内説で我慢しろ。

533 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 17:37:27.14 .net
まともと思う奴は、畿内説で我慢しろ。

534 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 17:59:10.86 .net
後漢書における邪馬台国までの里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

535 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 18:27:10.27 .net
>>534
何度もコピペしてるけど、誤訳

>楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。

正しくは
楽浪郡の国境は、その国(倭国)から一万二千里である

536 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 18:29:51.93 .net
>>535
そちらこそ誤訳

倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。

と続いているから。

537 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 18:35:14.62 .net
>>527
はい、道里が日数でもよい例示


《九章算術》[西漢 - 新] 公元前120年-20年
《均輸》
今有均輸粟:甲縣一萬戶,行道八日;乙縣九千五百戶,行道十日;
丙縣一萬二千三百五十戶,行道十三日;丁縣一萬二千二百戶,行道二十日,各到輸所。
凡四縣賦,當輸二十五萬斛,用車一萬乘。欲以「道里」遠近,戶數多少,衰出之。
問粟、車各幾何?

各県から輸所までの、日数が書かれているのを、「道里」と表現しているのが分かるな?
「道里」は「旅程」であって、「日数」でも表せる
「道里」は「里数」とは限らない

つまり、投馬国から先は道里が書いてないから、話が違うというのは成り立たない
水行の起点を帯方郡にするのは、結論ありきの恣意的な無理読みだよ

北部九州の伊都国、奴国と邪馬台国を重ねる説は
投馬国の比定地も矛盾するし、戸数も矛盾する

水行の起点を帯方郡にすると、南に行くだけになるから、
魏志倭人伝冒頭の「倭人在帶方『東南』大海之中」の東南とも矛盾する

北部九州説は、ごまかしの上にしか成り立たない

538 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 18:43:59.28 .net
>>537
>水行の起点を帯方郡にすると、南に行くだけになるから、

嘘を繰り返すな。
狗邪韓国までですでに、南に行ってから次に東に行っている。
そこから南下しても、帯方郡からはおおむね南東だ。

539 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 18:45:10.00 .net
>>537
>各県から輸所までの、日数が書かれているのを、「道里」と表現しているのが分かるな?

違う書籍を持ち出しても意味がない。

540 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 18:50:07.59 .net
>>538
こいつどこが矛盾してるのか気づいてないっぽい
相当アホだろ
横レスだから読み流しといて

541 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 19:32:19.68 .net
>>537
>欲以「道里」遠近,戶數多少,

道里の遠近と書いてある。
日数に対して遠い近いは言わないだろ。
ここは、、道の状況と里数によって日数が違うから云々・・・、の意味じゃないの。

542 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 19:49:30.60 .net
>>539
>違う書籍を持ち出しても意味がない。

大陸の用語、用字で、[西漢 - 新] 紀元前120年-20年に、
日数で距離を示すことを「道里」と表現していることの「実例」だよ

日数だから道里じゃないんだー、という言い訳は通用しないってこと!

543 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 19:53:47.14 .net
>>541
問題文を読んでごらん
各県の条件として
甲縣一萬戶,行道八日 のように、戸数と行道日数が書いてある
それを受けて
「道里」遠近,「戶數」多少としているのだから、
一万戸が「戸数」で、行道八日が「道里」なのは明らかだろ?

本来はこんな解説抜きで、読んだだけで明らかなんだがな

道里の示し方として、行道八日のようなのも、普通に使われるってことだ

行道が、海路の場合「水行」になる訳だな

これで最終解決だろ

544 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 19:56:07.27 .net
道里の遠近次第で、甲乙丙丁までの日数が違う、だろ

545 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 19:57:10.26 .net
九州北部までで一万里いじょうなのに、そこかさらに一月も水行するわけない。
畿内説は無理を言っている。

546 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:09:04.09 .net
>>544
>道里の遠近次第で、甲乙丙丁までの日数が違う、だろ

漢文読めないのに無理をするなって

甲乙丙丁の各県から、輸所に至る道里が日数で示されているんだよ
その「日数で示された道里」の遠近と、戸数の多少を考慮して、
二十五萬斛の粟を、4県にどのように割り当てて、
一萬乘の車を、その粟を運ぶのにどう割り当てるか、という計算問題

547 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:10:05.28 .net
陳寿だったら、「この酷い文章を書いたのは誰だあっ」と怒っただろう。

548 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:11:25.33 .net
>>545
>九州北部までで一万里いじょうなのに、そこかさらに一月も水行するわけない。
>畿内説は無理を言っている。

千里って、魏晋里だと相当に遠いぞ
短里とか訳の分からない捏造をしているから、事実が素直に見られなくなってるんだよ

>>527
>帯方郡から伊都国、奴国までで12000里に達している
ってのは、嘘だってことでいいな?

549 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:12:03.49 .net
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。

550 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:12:21.05 .net
>>547
>陳寿だったら、「この酷い文章を書いたのは誰だあっ」と怒っただろう。

古典として現代まで伝わるくらいには、きちんとしてるんだが?
《九章算術》は

551 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:13:25.69 .net
>>548
九州北部まで一万里以上なのは認めているんだろ?
だったらその割合で残り二千里で畿内に届かないのは明白だよ。

552 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:13:44.02 .net
>>550
魏志倭人伝ではないからねえ。

553 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:15:09.89 .net
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。

この比率では、畿内には届かない。

554 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:20:06.30 .net
>>546

問粟、車各幾何?
の最後の漢字から幾何学の考えだよね。

555 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:32:03.72 .net
>>546
その輸所までの道里を行くのに○○日かかるだろ
だから、道里と日数は分けて考えてるんじゃないの

556 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:33:44.04 .net
>>546


周礼の均輸からきており、
これは、公平な租税をだすための
計算。とおければ、健脚費をつかうわけだし、
重たければ、力がいる。
それをどうやってもとめますか?ときいて、
具体的な数字を出している
具体的な数を出し、
減衰していく数をだし、
計算している。

均输作为古代算法可能源于西周初年,
因为据郑玄所注《周礼》,
《周礼》九数中就有“均输”一项。
它以田地的多少、
人户的上下求赋税,
以道路的远近、负载的轻重求脚费,
以物价的高低不一求其平均数等等。
公元前110年,
汉武帝依据桑弘羊的建议实行均输法
,其流亦远矣!
在上面的例子中,
刘徽曾对答案进行验算,
得出各县每户的出车量皆为
二又四十七分之三十一日
(用出车数乘以行道日,再除以户数)
。本章中还有均输卒、
均赋粟的算法,皆体现百姓均平原则。

557 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:36:41.81 .net
>問粟、車各幾何

 ↑句読点はこれでいいのかな。 こうじゃないの →問、粟車各幾何

558 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:38:52.52 .net
>>556
輸所までの日数に、31/47をかけて、
それぞれの戸籍ある家庭が、荷車量
をきめるための計算。

559 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:39:32.74 .net
>>557
そうでしたね。

560 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:43:13.69 .net
唐時代は、きちんと税金おさえる
部署は、日数と距離は、把握していたよ。
それが、魏志倭人伝と、おなじかは、
わからないが。


《唐六典》卷三《尚书户部》度支郎中:
“凡陆行之程:
马日七十里,
步及驴五十里,
车三十里。
水行之程:
舟之重者,
溯河日三十里,
江四十里。
以水程重舟溯江(15)日40里计,
自岳阳溯湘江至衡州1010里需25天,
以陆程车日30里计,
衡州至永州即零陵570里需19天,
共计行程44天。

561 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:51:30.38 .net
>>552
>魏志倭人伝ではないからねえ。

でも、大陸中華の人は、日数を道里の表現として、普通に読める訳だ

ここで書き方が変わるから、水行の起点は帯方郡とかいうのに意味がないことがはっきりしたな!

562 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:54:56.80 .net
>>553
>楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。

何度書いても見えない聞こえないでがんばってるけど、

その国(邪馬台国×)⇒その国(倭国○) だよ

邪馬台国の比定に、後漢書のその記述は意味がない

それにこれと同等の表現だっていうのもいろんなところで書いてる

東京から北海道までの最短距離だと 640キロ弱
玄関口の函館までだと       680キロ弱
中心都市(道都)の札幌までだと  830キロ
最遠の稚内だと          1100キロ
道央の真ん中辺までで       900キロ

東京から北海道までの距離は、640キロから1100キロまでの幅がある
これを100キロ単位の丸めた数字で表現すると

東京から北海道まで900キロくらい となる
起点・東京より、北海道に至るに900余粁

自郡至女王國萬二千餘里
自東京至北海道九百餘粁

563 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 20:56:26.85 .net
ということで、日数も道里を表すのに普通に使うっていうのは、
最終決着でいいな!

564 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 21:01:44.63 .net
>>561
甲乙丙丁までの道里の遠近(里数)が同じで、各々の所要日数も同じなら、この問いは無意味ではないかな。

各々までの里数は同じでも、所要日数が異なるから、
この問いは成り立つんだろな

565 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 21:14:26.16 .net
>《史記》《列傳》 《廉頗藺相如列傳》
「與王訣曰:『王行,度道里會遇之禮畢,還,不過三十日。三十日不還,則請立太子為王。以絕秦望。』」

>《漢書》《匈奴傳》 「計其道里,一年尚未集合,」

>《九章算術》《均輸》
「今有均輸粟:甲縣一萬戶,行道八日;乙縣九千五百戶,行道十日; (中略)
用車一萬乘。欲以道里遠近,戶數多少,衰出之問、粟車各幾何?」 <

>どれも、
「道里」からして考えたら「日数的にこうなる」、という記載であり、
「道里」と「所要日数」とを書き分けている書かれ方だな。

566 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 21:14:27.87 .net
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里

567 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 22:27:07.75 .net
つまり特殊な例であり、日程でもいいという根拠にはならない。
そもそも魏志倭人伝以外の書籍を持ってきてどうするんだよ。

568 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 22:42:33.83 .net
>>564
>甲乙丙丁までの道里の遠近(里数)が同じで、各々の所要日数も同じなら、この問いは無意味ではないかな。


「甲乙丙丁までの道里の遠近(里数)が同じ」と書いている時点で、漢文が読めてないのがモロバレ
漢文が読めもしない人間が適当読みで詭弁を弄するのは本当に鬱陶しい

>各々までの里数は同じでも、所要日数が異なるから、
>この問いは成り立つんだろな

読めてないから、そんな寝ぼけたことが言えるんだよ
距離が違うから、距離の違いが日数で示されていてそれをもとに計算するという課題だ

569 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 22:54:25.86 .net
>>567
類例とか用例って知ってる?

570 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:04:47.14 .net
ご参考。ほかの問題集。

二一〕今有甲发长安,五日至齐;
乙发齐,七日至长安。今乙发已先二日,甲乃发长安。问几何日相逢?

答曰:二日、十二分日之一。

术曰:并五日、七日以为法。以乙先发二日减七日,余,以乘甲日数为实。实如法得一日。

571 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:08:36.93 .net
もちろん具体的な里をかいた問題もある。

三〕今有均赋粟:甲县二万五百二十户,
粟一斛二十钱,自输其县;
乙县一万二千三百一十二户,
粟一斛一十钱,至输所二百里;
丙县七千一百八十二户,
粟一斛一十二钱,至输所一百五十里;
丁县一万三千三百三十八户,
粟一斛一十七钱,至输所二百五十里;
戊县五千一百三十户,
粟一斛一十三钱,至输所一百五十里。
凡五县赋,输粟一万斛。
一车载二十五斛,与僦一里一钱。
欲以县户输粟,令费劳等。
问县各粟几何?

术曰:以一里僦价,乘至输所里,
以一车二十五斛除之,
加一斛粟价,则致一斛之费。
各以约其户数,为衰。
甲衰一千二十六,
乙衰六百八十四,
丙衰三百九十九,
丁衰四百九十四,
戊衰二百七十,副并为法。
所赋粟乘未并者,各自为实。实如法得一。

572 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:10:09.09 .net
>>567
語学なんだから同じ時代には同じ使い方をするんだよ
魏志倭人伝以外の書籍だから認めないなんて感覚でいる方が、魏志倭人伝独特の特殊な例だと主張していることになる

573 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:40:32.36 .net
東夷伝で韓の南北、東西は四千里
対馬海峡は三千里である。
女王の王宮から郡は満二千里である。
これで、定義出来ないななら、馬鹿なだけ。

574 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:42:23.52 .net
>>573
やってみろよ
お前が馬鹿を晒すから

575 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:42:42.05 .net
どう見ても九州でした。
本当にありが(ry

576 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:43:34.37 .net
>>575

思考停止する九州説

577 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 23:51:44.42 .net
>>570
これは日数の問題
>>571
これは里数の問題

きちんと、区別してるじゃないか

578 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 00:01:37.76 .net
郡から女王 算数にすると
4000+3000+3000+x(上陸後)=12000
九州島上陸から2000里

579 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 00:56:36.72 .net
道里を日数で書いた実例が目の前に出されても足掻く九州トンデモ説の醜態

580 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 00:59:44.19 .net
>>577
>これは日数の問題

そして>>537のものは日数で示されている問題で、
その「日数」が「道里」として作題されている訳だ

>>577はどう見ても漢文読めてないだろ?
理解できていないくせに、結論ありきで詭弁を弄してるだけって、
ものすごくみっともないぞw

まあ、理解できてないから、文句がつけられると勘違いしてるんだろうけれど

581 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 01:53:30.78 .net
あくまでも数学の例題だからだろ。

582 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 06:43:55.61 .net
ん?
>>527
ダックか?^^
12000里はワイ族居住区も併呑した後の帯方郡東南部目線での壱与ちゃんの都までの道のりのような気がします?
理由はしらんが1里100m位やな(ベイズ奥義より

583 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 06:47:30.99 .net
帯方東南部より南方向に漕ぎ出だしたる一艘の船あり
潮によりて20日で投馬國なる高志能登は気多に流れ着いたり(渤海の人らも大宰府からこいゆうても日本海横断して能登についた
能登からは狗奴国に占拠されし若狭を避け丹後まで潮に抗い水行10日
丹後から1月歩くとあら不思議
帯方郡東南部からはざっくり南の出雲に到着?(割とマジで
なんと?走行距離もざっくり12000里やん

584 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 06:52:19.16 .net
>>528
>足利義満は、日本の全土を完全に支配したことはないからな。
土岐氏と戦い、山名氏と戦い、さらに大内氏と戦い、南朝残党と
〜〜中略〜〜
「支配」を、義満は一度も経験してないんだよ。
それでも日本国王だからな。
だから勢力が大きい小さいは関係ない。
さらに言えば、中国の王朝は、伝統的に「朝貢」というかたちの貿易しか許さないのであり、
それに則ってきちんと国交を結べば、どの勢力の統治者にも「王」の称号をあたえちゃうんだよ。<

以上は大正解!足利義満例示はセンスええよ?朝貢の説明もダックかっこええ!ただし!

>邪馬台国はきちんと「朝貢」したから「王」の称号を与えられただけだ。<

上記引用は不正解なので以下に添削文を掲載します

伊都国の卑弥呼さんはきちんと「朝貢」したから「王」の称号を与えられただけだ。邪馬壱国は卑弥呼さんの後継女王の壱与ちゃんの都で伊都国でも奴国でもない

以降わえに添削されたくなかったら【邪馬台国】ではなく【卑弥呼さんの時の伊都国】という正確な表記に改めること!

585 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:17:37.74 .net
>>574
横レスお許しあれ
1里100m位(ベイズ奥義

586 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:18:53.39 .net
つまりサギ

587 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:22:56.33 .net
ベイズしらんのか?

588 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:25:13.90 .net
ベイズいうたっても条件付きなんたらやプロファイリングしか連想せん素人ではお話になりませんか?(ごめん

589 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:26:37.25 .net
文学部向けにざっくりいうと東夷伝里計算時の比定地意見のズレをベイズ的確率論で清濁併せ呑んでの計算方法や?

590 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:27:44.26 .net
発展形ベイズ思想や線形回帰しらんか?(つうか相手してほしかったら自習してくりゃれ

591 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:44:19.44 .net
>>584
>>邪馬台国はきちんと「朝貢」したから「王」の称号を与えられただけだ。<<

上記引用は不正解なので以下に添削文を掲載します

倭国の卑弥呼さんはきちんと「朝貢」したから「親魏倭王」の称号を与えられただけだ。
邪馬壱国は倭王卑弥呼さんの都するところであり、それは伊都国でも奴国でもない

以降わえに添削されたくなかったら【卑弥呼さんの時の伊都国】ではなく【倭国】という正確な表記に改めること!

592 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:48:29.15 .net
>>590
詐欺ご苦労さん

593 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 08:32:42.02 .net
邪馬壱国とか言ってるやつはアタマ悪いよな

594 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 12:57:49.10 .net
帯方〜歴韓国 4000里 乍東南岸3000里 渡海1000×3=3000里 計10000里
帯方郡〜女王=12000里 4000+3000+3000+X=12000
X=(九州上陸〜女王の居所)=2000里 【算数オワリ】

文章問題
前置きとして >今 使譯所通三十國 從郡至倭 
魏時の(2回の使譯で)郡使に從る倭に至る行程を説明する

【張政の行程・倭人船に便乗で寄港地の和名も聞いた】 >>2
帯方郡〜狗邪韓国7千里 狗邪韓国〜対馬千余里
対馬〜壱岐千余里 壱岐〜末盧國千余里
小計 1万里 (算数問題に同定)
東南陸行五百里 到伊都國 (郡使往來常所駐)
東南至奴国 百里 東行至不彌國 百里
里程での説明はこれで終る。理由=一大率管理下で張政はこれ以上進んでいない。
女王の居所迄 残り1500〜2000里を残している。(梯儁は伊都上陸も可能)
(水行30日陸行1月の里程は不明としても、残り2000里以内である。違うだろwww)
張政により里程で示された、地名は寄港地、都市名であり国名ではない。

【梯儁の行程・皇帝の命で卑弥呼に金印紫綬、魏の軍船で錦旗幕営行軍】>>3
(帯方郡)〜投馬国(国名・5万戸 馬韓ではない) 南水行20日 
投馬国〜邪馬台国(国名・7万戸) 水行10日+陸行1月
寄港地、幕営地の 倭人名(領主国名)は 特に記録していない。
後に女王国所属国21国の和名、和音を聞き 漢字名を付けた。
これらで女王の境界であり九州島北部周旋可五千餘里に含まれる大夫の領地名である。
それ以南の不和の狗奴国以下、九州島諸国は女王国に属さない。
梯儁が女王共立の付属国、九州北部の国名(公称w7万戸)を邪馬台国と命名した。

595 :590:2018/08/18(土) 13:26:12.30 .net
まあ長さの単位系が東夷で1/5以下てのはベイジアンには当たり前
100歩いうんが30メータ以下でも驚くにたりんな(マジレス

596 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 14:05:16.69 .net
>>595
30kmを150kmと誤認することと30mを150mと誤認することを同次元で考えるな
前者は数日間に及ぶ移動の末の感覚でしかないが、後者は一瞬で目視できることだ

597 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 14:19:57.61 .net
相手してほしかったら【単位系】の意味学習せえとしか?
まあ単位系が1/5になった理由はわえもしらんけど
理由より結果のが大事や?

598 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 14:34:51.46 .net
>>597
バカを相手にしないという意味だ
もっとはっきり言うと妄想を掲示板に書くのは邪魔だから失せろという意味だ

599 :hage:2018/08/18(土) 14:45:37.06 .net
帯方郡以南の韓が4千里四方で
対馬海峡が3千里。 海を対馬と壱岐で3等分すると各千里。
で、
九州島で北岸から南北2千里は筑紫平野部で熊本以北
って、概算は間違ってるか?
で、
この概算で、伊都を早良福岡間として
北西500里は糸島半島北岸で良くないか?

中国正史が朝鮮南部と九州の地理、里程を
倭人伝韓伝でこうだと、規定してるんだから 
これに関して、他の細かい資料は要らんだろ?

対馬が方可400里、は事実と違うとして
使用地図のある程度の間違いを
中国人で初めて卑弥呼の王宮を訪れた梯儁が命名した
邪馬台国を比定するために指摘して意味あるか?

おまえらの屁理屈の不毛の度合いが桁外れだろ?
わざと ぐちゃぐちゃ にしてんだろwww
チラ裏はともかく、学者も混ぜて、馬鹿なだけなのか?

600 :くまモン論者:2018/08/18(土) 15:37:22.62 .net
>>599
ごめんなさい。
疑り深い奴ばっかで困ったもんやでw w w

でも弟子ちゃんの末盧国は糸島半島なのかorz orz

601 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 16:06:34.67 .net
まあ12000里のルートや日程水陸行のルートがフミまでの里行程ルートとすくなくともマツロまでは重複してるんなら邪馬壱は九州一択やろけど個人的には【帯方東南】が物凄くひっかかるな?
なぜに南東ちやうんやろ?

602 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 16:43:50.29 .net
>>589
>清濁併せ呑んでの計算方法や?

その清濁併せ呑んで、のところの「濁」に、インチキ捏造を入れ込んでるから、ダメなんだよw

603 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 16:45:43.31 .net
>>595
>100歩いうんが30メータ以下でも驚くにたりんな(マジレス

歩が、複歩の身体尺をもとにした単位だから、極端に短いのは
漢字を使う人にとっては不自然でありえないんだよ

驚くに足りんとか言ってる人は、単に知識が足りんだけ

604 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 16:47:22.89 .net
>>597
>まあ単位系が1/5になった理由はわえもしらんけど
>理由より結果のが大事や?

単位系が1/5になることはないんだよ
単位系はそのままで、誇張表現があるだけ

万里の朝貢にしたかったのと、
世界の果てまでが、萬二千里という観念に合わせて作った数字

605 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 17:08:04.47 .net
じゃあ墓の大きさもその比率で誇張なんだろう。

606 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 17:14:08.09 .net
>>601
>倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國邑 舊百餘國漢時有朝見者
これは、日本海の向こうの大国 倭国と言う認識をもって倭王が朝貢したと思ってるってこと。
>自郡至女王國 萬二千餘里
これは、帯方郡南から対馬海峡を渡った九州

>>7 で >女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至
↑ 倭国全体の大きさとしては、東国の果ては不明だけど、東南船行一年可至 もあり。
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
↑それに対し、今回魏使の使譯した 女王の国は九州島の小国でした。と言っている。

たまたま、238年に占領した帯方郡に倭王が朝貢に来たというので
軍事同盟結んどけば、東夷は安泰だ、と思ったので大歓迎した。
ところが、245年に韓制圧で、黄幢、檄 で参戦を呼び掛けたのに倭は応えなかった。
終戦した247年 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 の帰国で張政が査察。

卑弥呼は死に国内混乱、所領の王や将軍も一大率が支配し、魏使も伊都で検察駐留させられた。
張政は旧勢力を騙し、何とか帰国報告して、魏と邪馬台国との国交は247年で終わった。
>使大倭監之 自女王國以北特置一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
魏はこの後、263年蜀平定、280年呉平定で三国制圧、三国志終了だが、
倭=邪馬台国との同盟は、糞の役にも立っていない。 女王が倭王と思っちゃった、テヘペロww

313年の四郡撤退には、百済、新羅の背後でむしろ倭は敵に廻っている。
これは、九州の小国では無く、四郡撤退後の高句麗戦で鉄や馬の移入の富国強兵を実現した
後に大和朝廷となる勢力の立ち回りである。 

東遷説は学者の良心で邪馬台国論争の愚を取り繕ったのかもしれないが、
考古学や時系列で、最もマヌケな芋を引いている。
三国志の伏線、倭人伝で司馬炎は東夷で倭人に してやられている のではないかな?
陳寿が、大きな声では言えなかったのは判るが、ホントのことは小さな声で言っている。

607 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 17:27:43.62 .net
関西弁のおっさんは短里厨の一種だろうな
正確な短里があっただけでは通用しないのは自覚してるらしい
1里=76mの2倍程度は誤差範囲だと言い張るための口実がベイズで清濁併せ呑んでどうたら
要するに短里という捏造を正当化するための詭弁

608 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 17:33:13.68 .net
アンカー付けまくられてるがショッカー君は誰を説得してるんやろ?
>世界の果てまでが、萬二千里という観念に合わせて作った数字<

それ帯方起点の思想ちゃうし

ダックにもまとめていうが道程も墓も誇張する理由がない
三国志執筆は仲達も呉も亡きあとよ?

609 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 17:40:46.87 .net
短里て古田君の専売特許やろ?
わえのとは別物
つうか確率論自習せんのやったら相手しようないな

610 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 18:06:27.63 .net
短里自体は無数のひとが提唱してるやろ。
地図と倭人伝見れば最初に思いつく
レベルだからね。

611 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 18:14:38.58 .net
魏志倭人伝と地図を突き合わせれば、それくらいの縮尺で書かれていたということは明らか。
それを誇張と呼ぶなら、それでも結構。
魏志倭人伝が伝える邪馬台国が九州であることは動かない。

612 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 18:17:43.19 .net
>>610>>611
言い張るだけの簡単なお仕事です

613 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 20:02:18.72 .net
>>605
>じゃあ墓の大きさもその比率で誇張なんだろう。

墓の大きさは誇張する必要がないだろ?
大いに墓を作るとも書かれているし

614 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 20:23:06.23 .net
直径百歩だと弥生墓としてはありえない
大きさになっちゃうけど
5倍に誇張されてるとすると
実際の大きさは1/5となって
弥生墓としては妥当な大きさになるんだよね。

615 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 20:23:07.15 .net
>>608
>それ帯方起点の思想ちゃうし

やっぱりもの知らずだな

九州説の頭の悪いところは、萬二千里が「女王国までの距離」であって
「邪馬台国までの距離じゃない」ことを理解していないこと

魏志倭人伝「自郡至女王國萬二千餘里」
魏略   「自帯方至女國万二千余里」
後漢書  「樂浪郡徼去其國萬二千里」
梁書   「去帶方萬二千餘里」
隋書   「古云去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」
旧唐書  「去京師一萬四千里」
新唐書  「去京師萬四千里」

邪馬台国までと書いてあるのは一つもないし、かなりざっくりした表現なのが分かる
ざっくりしているのは実測値ではなく、淮南子時則訓からの観念的な値だからというのも
何度も教えている

616 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 20:26:18.47 .net
山海経の世界観では「夏王朝が治めた九州」が方三千里で、
その外側の蛮夷の住む四海を含めた世界全体が、東西二万八千里、南北二万六千里としている
漢土の外は、東西それぞれ万二千五百里(28,000-3,000/2)、
南北は万千五百里(26,000-3,000/2)となるので、
これが萬二千余里の基礎になっているように見える

また、漢土は秦・漢の統一を経て、方万里に拡大されている
ちなみに、この漢土方万里という観念が、万里の長城の「万里」の元

山海経の世界観では「夏王朝が治めた九州」が方三千里で、
その外側の蛮夷の住む四海を含めた世界全体が、東西二万八千里、南北二万六千里としている
漢土の外は、東西それぞれ万二千五百里(28,000-3,000/2)、
南北は万千五百里(26,000-3,000/2)となるので、
これが萬二千余里の基礎になっているように見える

また、漢土は秦・漢の統一を経て、方万里に拡大されている
ちなみに、この漢土方万里という観念が、万里の長城の「万里」の元

これを整理したのが、淮南子の時則訓
五位,
東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,東至日出之次,木之地,青土樹木之野,太?、句芒之所司者,萬二千里。(中略)
南方之極,自北戶孫之外,貫顓頊之國,南至委火炎風之野,赤帝、祝融之所司者,萬二千里。(中略)
中央之極,自昆侖東絕兩恒山,日月之所道,江漢之所出,眾民之野,五穀之所宜,龍門、河、濟相貫,以息壤堙洪水之州,東至碣石,
黃帝、後土之所司者,萬二千里。(中略)
西方之極,自昆侖絕流沙、沈羽,西至三危之國,石城金室,飲氣之民,不死之野,少?、蓐收之所司者,萬二千里。(中略)
北方之極,自九澤窮夏晦之極,北至令正之穀,有凍寒積冰、雪雹霜霰、漂潤群水之野,顓頊、玄冥之所司者,萬二千里。

五行説との対応で、東西南北+中央之極が、それぞれ萬二千里

その中央の極=漢土の端が、王朝直轄地の端、帯方郡になる 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)


617 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 20:27:22.27 .net
>>614
その根拠は自分の主観だろ?
自分の先入観が正しいと言い張ってるだけ

618 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 20:30:46.00 .net
>>614
>直径百歩だと弥生墓としてはありえない
>大きさになっちゃうけど

そんなこたぁない
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え
四方に5〜9mの平坦部、てなサイズがある

オレは纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

これ全部、弥生時代だよな?

北部九州は、地方王権の伸張に乗り遅れた地域なんだよ

619 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 21:01:13.35 .net
背伸びで持ち出したのがこの手で目にタコ五行かいな
五行説と箕子朝鮮と帯方の時系列学習してから再レスせえとしか?
つうか長文乙

12000里起点のことしか指摘してないことに気づかないふりでちゃぶ台かえしはやめれ
わえはだれかさんをして頭悪いとはいわんが美味いもん食べて体もうごかしたらええよ
ショッカー君ちごてジョーカー君やった?

620 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 21:08:13.96 .net
500年前の地理観で地理記事執筆する人いはると信じるなら信じれ
ただしようつきあわん

621 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 21:25:16.91 .net
つうか誇張説とるとして会稽東治之東の説明はどうする?
会稽東治之東のくだりは都合悪くてはずすやろ?

以下に再掲する案なら解決するが?

帯方東南部より南方向に漕ぎ出だしたる一艘の船あり
潮によりて20日で投馬國なる高志能登は気多に流れ着いたり(渤海の人らも大宰府からこいゆうても日本海横断して能登についた
能登からは狗奴国に占拠されし若狭を避け丹後まで潮に抗い水行10日
丹後から1月歩くとあら不思議
帯方郡東南部からはざっくり南の出雲に到着?(割とマジで
なんと?走行距離もざっくり12000里やん

追記
葛城でもええよ?(巻向は考古的にありえん

622 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:03:35.65 .net
>>602
ジョーカー君の思てる清だけでやってみそ?
結果ほとんどかわらんよ(まずは確率線形回帰勉強するしかないが?

623 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:04:16.26 .net
つうか無人?

624 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:09:12.66 .net
>>620
>500年前の地理観で地理記事執筆する人いはると信じるなら信じれ

500年前ってことにしてごまかそうとしてるけれど、
西域の大月氏も萬二千里、東夷の倭国も萬二千里の彼方なんだよ
どちらも実測値ではない、観念上の数字

大陸の世界観では、王朝の支配地が萬里の王土・九州で、その外側に
東西南北の萬二千里が広がる地「方」の四角い世界なんだよ

625 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:19:54.23 .net
何度も言うが倭への起点は山海の観念と無関係の帯方いうこと棚上げやめれ

626 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:24:49.70 .net
まあ美味いもん食べてよく寝て運動もしたらええよ?

627 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:40:26.29 .net
あーごめんなさい
なんか取りようによっては侮辱したみたいになった?
たとえば魏略西域にはローマ以西のお話しもあったかも(うろおぼえだけど
三国の中国人の地理観はもっと自由だったみたいよ

628 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 22:43:23.45 .net
つうか草生やしながら罵ってきたジョカ君とは別人ぽやな?
粘り強さ感じるな?

629 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 00:37:39.39 .net
>>625
>山海の観念と無関係の帯方いうこと棚上げやめれ

山海経の、「夏王朝が治めた九州」が方三千里で、
その外側まで含めた世界の大きさが東西二万八千里、南北二万六千里
で、「漢土の外側」が萬二千里

「漢土の範囲」が拡張されて、直轄地が帯方郡まで伸びても、
「漢土の外側」が萬二千里というのは維持されている

帯方郡から萬二千里=漢土の東端から萬二千里、 という意味だ

九州説の頭の悪いところは、萬二千里が「女王国までの距離」であって
「邪馬台国までの距離じゃない」ことを理解していないこと

魏志倭人伝「自郡至女王國萬二千餘里」
魏略   「自帯方至女國万二千余里」
後漢書  「樂浪郡徼去其國萬二千里」
梁書   「去帶方萬二千餘里」
隋書   「古云去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」
旧唐書  「去京師一萬四千里」
新唐書  「去京師萬四千里」

楽浪郡からでも帯方郡からでも同じく萬二千里となっていることからも分かる

630 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 07:49:41.88 .net
>>629
ダウト!
>「漢土の範囲」が拡張されて、直轄地が帯方郡まで伸びても、
「漢土の外側」が萬二千里というのは維持されている <


三国志
女王國東渡海千餘里,復有國,皆倭種。又有侏儒國在其南,人長三四尺,去女王四千餘里。又有裸國、K齒國復在其東南,船行一年可至。

魏略
短人國在康居西北,男女皆長三尺,人衆甚多,去奄蔡諸國甚遠。康居長老傳聞常有商度此國,去康居可萬餘里。

631 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 07:56:14.41 .net
>その外側まで含めた世界の大きさが東西二万八千里、南北二万六千里 <
直轄地が拡大したら世界も大きくなるて中国人阿保扱いか?

632 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 08:02:03.87 .net
>九州説の頭の悪いところは、<
こういうのは頭の悪い人がよくやるやつよ?

633 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 08:06:45.84 .net
>萬二千里が「女王国までの距離」であって
「邪馬台国までの距離じゃない」<
なんで?まーどっちでもええけど

634 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 08:28:22.52 .net
>>629
>九州説の頭の悪いところは、萬二千里が「女王国までの距離」であって
>「邪馬台国までの距離じゃない」ことを理解していないこと

邪馬台国は倭の女王の都だよ。そこまでが一万二千里。
ちなみに帯方郡から倭との国境までは七千里。

635 :633:2018/08/19(日) 08:38:48.86 .net
下記 >>629 君の拠り所やな^^

東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,東至日出之次,木之地,青土樹木之野,太r、句芒之所司者,萬二千里。其令曰:挺群禁,開閉闔,通窮窒,達障塞,行優遊,棄怨惡,解役罪,免憂患,休罰刑,開關梁,宣出財,和外怨,撫四方,行柔惠,止剛強。

線細すぎや?

636 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 08:46:23.20 .net
山海経のがみつからん

637 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 09:11:58.68 .net
禹曰:天下名山,經五千三百七十山,六萬四千五十六里,居地也。
言其《五臧》,蓋其餘小山甚眾,不足記云。
天地之東西二萬八千里,南北二萬六千里,出水之山者八千里,受水者八千里,出銅之山四百六十七,出鐵之山三千六百九十。
此天地之所分壤樹穀也,戈矛之所發也,刀鎩之所起也,能者有餘,拙者不足。封于太山,禪于梁父,七十二家,得失之數,皆在此內,是謂國用。

上記に陳寿が制約された?(麦茶ふいた

638 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 09:18:52.76 .net
影響されたのは当時の中国知識人全員

639 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 09:34:59.49 .net
中国はそんなに鉄や銅が出るのか。
アジアの覇権を握る上でそれらが重要だったのだろうな。

640 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 10:02:09.24 .net
山海なかなかおもろいな(ひきこまれてもうた
素敵な娯楽作品や

641 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 10:06:20.14 .net
陳寿君も笑い転げながら山海読んでたんやろな?(遠い目

642 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 10:59:08.21 .net
>>634
>邪馬台国は倭の女王の都だよ。そこまでが一万二千里。
>ちなみに帯方郡から倭との国境までは七千里。

女王国の使い方にぶれがあるんだよ
基本は女王=倭女王だから、女王国=倭国
女王国=邪馬台国なのは、自女王国以北だけ

東京から北海道までの最短距離だと 640キロ弱
玄関口の函館までだと       680キロ弱
中心都市(道都)の札幌までだと  830キロ
最遠の稚内だと          1100キロ
道央の真ん中辺までで       900キロ

東京から北海道までの距離は、640キロから1100キロまでの幅がある
これを100キロ単位の丸めた数字で表現すると

東京から北海道まで900キロくらい となる
起点・東京より、北海道に至るに900余粁

自郡至女王國萬二千餘里
自東京至北海道九百餘粁

643 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 11:01:11.82 .net
>>631
>直轄地が拡大したら世界も大きくなるて中国人阿保扱いか?

世界の果てまで行った中国人はいないんだよ
その不可知な領域の広さを表す観念が「萬二千里」

中国人の考え方をきちんと理解して上げなよ

644 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 11:09:24.78 .net
>>635
>東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,

この淮南子の「大人之國」を、陳寿は倭国に当てようとしているようだ
東夷伝の序に「長老說、有異面之人、近日之所出。遂周觀諸國、采其法俗、
小大區別各有名號、可得詳紀。雖夷狄之邦、而俎豆之象存。中國失禮、求之四夷、猶信。」と
あるのは、淮南子等の記述を意識しているからだろう

645 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 11:15:01.53 .net
>>630
そこに出てくる裸国、黒歯国は、魏使の報告ではなく、淮南子等からの引用

後漢書の「使驛所傳、極於此矣」は
「使譯の傳うる所、此に於いて極まる。」
要するに、情報が伝わってきた(得られた)ところはここが限界=「極」ってこと

この「極」が、淮南子: 時則訓 の「東方之極」の「極」なんだよ

淮南子では東の世界の端を南に行ったところに「黒歯國」があって、
南の世界の端を西へ行くところに「裸国」があるからね
淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「黒齒民」、玄股民、毛民、勞民;

646 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 11:19:02.57 .net
>>637
>上記に陳寿が制約された?(麦茶ふいた

山海経をやたら貶すバカがいるけれど、陳寿の頃の大陸知識人にとって
「淮南子」の世界が常識
山海経は、淮南子の整った世界観に至る前の伝説を押さえるために引用しているだけだぞ

647 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:17:35.58 .net
>>643
あーこれもダウトや

>世界の果てまで行った中国人はいないんだよ
その不可知な領域の広さを表す観念が「萬二千里<

甘英しらんのか?

648 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:32:42.81 .net
大月氏が12000なら安息の果ては?

649 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:37:42.44 .net
>>647
これ、話が逆で、中国人が遠くまで行くと、その先の世界の果てまでが萬二千里になるんだよ
三国志では、大月氏までが萬二千里だけど、漢書では烏弋山離國,王去長安萬二千二百里と
アレクサンドリアまで萬二千里くらいの数字になっている

中国人は、西に西王母の崑崙山、東に東王父の蓬莱山があって、それが漢土から
萬二千里っていう世界観なんだよ

ダウトとか言ってないで自分でちょっと調べてごらん
邪馬台国の比定地探しに萬二千里を使うのが悪手だって分かるから

650 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:39:04.24 .net
烏弋山離國,王去長安萬二千二百里。不屬都護。戶口勝兵,大國也
。東北至都護治所六十日行,東與罽賓、北與撲挑、西與犂靬、條支接。
行可百餘日,乃至條支。國臨西海,暑溼,田稻。有大鳥,卵如甕。
人衆甚多,往往有小君長,安息役屬之,以為外國。善眩。
安息長老傳聞條支有弱水、「西王母」。亦未嘗見也。
自條支乘水西行,可百餘日,近日所入云。

となっていて、烏弋山離國(アレクサンドリア)まで、條支から乘水西行で
可百餘日となっているけれど「安息長老傳聞條支有弱水、西王母」とあって、
伝説の「西の果て西王母の居るところ」あつかいで、
さらに「近日所入云(日の入る所に近しと云う)」というダメ押しもあって
「世界の西の果て」だから遠いって話だよ

651 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:41:31.68 .net
烏弋山離國は、起点が漢土の端ではなく、王去長安萬二千二百里で
起点が長安になっている

結局、実測値ではないし、結構適当に「世界の果てについて書くときは萬二千里くらい」、
というのが符牒として使われているのが分かる

652 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:44:18.49 .net
>>645
後漢のはともかく三国志のはそれでもええよ?
陳くんの頭にも彼なりの地図かあったやろし
ただし!山海先生のレスは女王までが漢土外の果ていう説明書にならんよ?

653 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:52:26.50 .net
>>649
三国時の大月氏が12000いうた山海先生に合わせてさらに西の安息例示したんやよ?
ゴールポスト動かすのはやめれ?

654 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:57:21.18 .net
つうか>中国人が遠くまで行くと、その先の世界の果てまでが萬二千里になるんだよ <
やったら魏外交が倭に到達したら12000の起点は帯方から倭にかわるやん?
詭弁馬脚あらわしたり

655 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 12:59:13.38 .net
まああとはここのギャラリーが判断するやろ?
5人くらいか?

656 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 13:01:32.98 .net
地數
《河圖括地象》曰:「地廣東西二萬八千里,南北二萬六千里。有君長之八極之廣,
東西二億三萬三千里,南北二億三萬一千五百里。」
《詩含神霧》曰:「天地東西二億三萬三千里,南北二億三萬一千五百里,天地相去億五萬里。」
《廣雅》曰:「神農所治四海?,東西九十萬里,南北八十一萬里。唐帝所治九州地,
二千四百三十萬八千四十二頃。夏禹所治四海地,東西二萬八千里,南北二萬六千里。」
《命?序》曰:「神農始立制形。」
《甄曜度》曰:「四海東西九十萬里,南北八十萬里。」
《山海經》曰:「帝命豎亥,?自東極至於西極、五億十選(郭璞注曰:豎亥,健行人。選,萬也。)
九千八百八?。豎亥左手把策,右手指青丘。一曰:禹令豎亥;一曰:五億十萬九千八百?。」
《紀年》曰:「穆王東下天下二億二千五百里;西征億有九百里;南征億有七百三裏;北征二億七裏。」
《山海經》曰:「天地之東西,二萬八千里,南北二萬六千里。出水者八千里,受水者八千里。」
《博物志》曰:「地祗之位,起形於昆侖,縱廣萬里,高萬一千里,神物所生,聖人仙人之所集。
昆侖之東北,地轉下三千百里,有八玄幽都,方二十萬里。地下有四柱,柱廣十萬里,
有三千六百軸,犬牙相舉也。」
《呂氏春秋》曰:「凡四海之,東西有五億九萬七千里,南北亦有五億九萬七千里。」
《淮南子》曰:「禹乃使大章,?自東極至於西極,二億三萬三千五百里七十五?,使豎亥自北極至於南極,
二億三萬三千五百里七十五?。」
《古今通論》曰:「夫地者,厚三萬里,凡八極之廣,東西二十三萬三千里,南北二十三萬一千五百里。」

657 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 14:21:38.56 .net
>>649
倭国の果て、極南界までを一万二千里としたでもいいけど、畿内は視界に入ってないよね。
その行程を、朝鮮半島南岸まで七千里、対馬海峡を三千里としているのだから、九州を出ることはない。

658 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 15:26:51.65 .net
>>657
>朝鮮半島南岸まで七千里、対馬海峡を三千里としている

そう!
まさに「している」んだよ!

司馬懿が公孫氏を討ったから、地の果ての東夷からの朝貢が来た
晋朝の高祖司馬懿はえらい、っていう文脈を作るために、
実測地とはかかわりのない九州に上陸するまで一万里、
っていう数字を作ってるんだよ

そして、倭国が地の果てであることを示す符牒が、萬二千里

これに頼らないと九州に持って来れないから九州説はひたすら抵抗するけどね

659 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 15:35:32.65 .net
>>654
>やったら魏外交が倭に到達したら12000の起点は帯方から倭にかわるやん?
>詭弁馬脚あらわしたり

半端な読み方・理解で訳の分からないことを書くなよ

萬二千里の起点は、あくまで「漢土」なんだよ
朝貢に来る蕃夷の住むところは、漢土の「外」

660 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 16:10:40.39 .net
実測不可能なところは、「つじつま合わせの作った数字」なんだよ
そして、萬二千里は、邪馬台国までではなく「女王国」まで

そして、魏志倭人伝の旅程は、後漢代の古い記録と魏使の報告による新しい記録を
ごちゃ混ぜにまとめてある
そこにさらに、世界の端まで萬二千里という淮南子にも書かれている中華世界の世界観と
倭国は儋耳朱崖の近くの南の国という思い込みを混ぜ込んで魏志倭人伝は書かれている

おそらく後漢代の帥升等の朝貢時で既に万里の彼方からの朝貢とされて、
対馬海峡を渡るまでが一萬里になるように数字が作られていて、
そこに末慮国−伊都国間ではない東南陸行五百里が付けられて、
計算が合わなくなって水行と陸行が日数表示になったまであってもおかしくない

まあ、北部九州から千三百里で魏晋里で畿内まで届くので特に問題はないと言えばないけれど

661 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 16:23:47.92 .net
畿内を知っていたら、畿内まで一万二千里になるような縮尺にしたはずだろ?
でもそうじゃない。

662 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 17:14:36.46 .net
>>681
>畿内まで一万二千里になるような縮尺にしたはずだろ?

何度も書いてるだろ?
あくまで「女王国まで」萬二千里であって、
「邪馬台国まで」萬二千里とはどこにも書いてない

東京から、北海道まで900キロっていうのと同じ言い方なんだよ

東京から北海道までの最短距離だと 640キロ弱
玄関口の函館までだと       680キロ弱
中心都市(道都)の札幌までだと  830キロ
最遠の稚内だと          1100キロ
道央の真ん中辺までで       900キロ

東京から北海道までの距離は、640キロから1100キロまでの幅がある
これを100キロ単位の丸めた数字で表現すると

東京から北海道まで900キロくらい となる
起点・東京より、北海道に至るに900余粁

自郡至女王國萬二千餘里
自東京至北海道九百餘粁

663 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 17:27:07.15 .net
山海先生!
>中国人が遠くまで行くと、その先の世界の果てまでが萬二千里になるんだよ <
>萬二千里の起点は、あくまで「漢土」なんだよ
朝貢に来る蕃夷の住むところは、漢土の「外」<
稀にみる二枚舌やな
仮に中国人が漢土超えて行った外交先はその後の漢土に含めないゆうんやったら魏時の大月氏よりさらに西の向こうでそれ以前に中国人到達した安息の西部が12000里におさまる訳ないやん?
昔の中国人が山海先生より阿呆やったとは思えません!(ごめん

664 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 17:36:17.61 .net
あとやっぱり一般的な感覚やと戦争相手の地理観まで思想操作しませんよ?
将兵も目にするし

665 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 17:39:53.73 .net
東夷てのは西晋成立前後は戦乱中よ?
学者の地理観なんて屁にもならんかったやろなあ(遠い目

666 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 17:42:36.10 .net
ダックの指摘もまあまあやな?(我関せず

667 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 17:47:28.10 .net
侵略者は事前に彼の地をよく測量し士卒に之を知らしめん

668 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 17:49:52.37 .net
焼酎買ってきます(皆さま御歓談あれ?

669 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 18:25:32.65 .net
>>662
誤読ですよ。
いや、わざとだから詐欺?

後漢書

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。

670 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 22:09:48.13 .net
>>669
だから
>その国(邪馬台国)から一万二千里である。
の(邪馬台国)は誤訳
その国は「倭国」であり、魏志倭人伝でいう女王国

後漢書の原文は

「其大倭王」居邪馬臺國
樂浪郡徼 去「其國」萬二千里
去「其西北界」拘邪韓國七千餘里

この「其」は全部同じ国を指してるのは分かるな?
そして、3行目の「其西北界」は>>669も自分で
「『倭国』の西北界である」と訳してるじゃないか

直前の「その国」が邪馬台国だったら、その西北界は邪馬台国になって
邪馬台国が拘邪韓國と接することになるぞ

いい加減にいい加減な誤訳をコピペで貼り続けるのは止めなさい

671 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:22:52.12 .net
>>658
>そう!
>まさに「している」んだよ!

つまり、東夷においてはそのような定義を用いたということだな。
その尺度で残り二千里では、九州を出ないこともわかるよな?

672 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:26:33.99 .net
>>660
>まあ、北部九州から千三百里で魏晋里で畿内まで届くので特に問題はないと言えばないけれど

ここから急に縮尺が変わるのはほぼ詐欺だよな。

673 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:27:08.82 .net
>>662
そんな生ぬるい解釈、アホだろ

674 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:29:09.96 .net
>>662
こいつのむかつくところは、畿内説を通すためには平気で嘘でも無理でもでっち上げることだ。
これだから畿内説は信用ならない。
畿内説の主張する年代比定が信用されないのも、そういう態度のせい。
学問板にふさわしくない。

675 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:32:35.95 .net
>>674
>こいつのむかつくところは、畿内説を通すためには平気で嘘でも無理でもでっち上げることだ。


どっちもどっち。  @阿波

676 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:36:54.21 .net
>>662
それなら、領土の東の端も領土の中心も知らない魏の官僚は、当然ながら倭の中心国邑までの距離(たとえでいうなら札幌まで)を書くよな?
つまり一万二千里の九州が邪馬台国のあるところだ。

677 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 08:38:55.44 .net
>>676
>つまり一万二千里の九州が邪馬台国のあるところだ。


九州は「其山有丹」で即刻退場!  資格無し  @阿波

678 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 10:13:22.62 .net
@阿波の泡踊りにも飽きたわい
そろそろ退場でよかろう!

679 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 10:15:59.21 .net
>>678

そりゃ、真逆だわ。  @阿波

680 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 11:14:41.58 .net
>>671
>つまり、東夷においてはそのような定義を用いたということだな。

本当に頭が悪いな
万里の朝貢になるように「作った数字」だから、実測値とは関係ないし、
距離単位の定義なんてないんだよ

区間ごとに4倍も長さが違う定義なんてない

>その尺度で残り二千里では、九州を出ないこともわかるよな?

「その尺度」がそもそも存在しない
漢人が使う尺度は漢尺、魏人の使う尺度は魏尺
漢魏尺で2000里は、軽く畿内まで届くよ

681 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 11:15:36.94 .net
>>672
>ここから急に縮尺が変わるのはほぼ詐欺だよな。

縮尺は最初から変わってない
漢魏尺以外の尺度はない

誇張目的で作った数字があるだけ

682 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 11:18:17.48 .net
>>673
>そんな生ぬるい解釈、アホだろ

女王国が女王を共立した範囲でかなり広いんだから、その打ちの特定点を指すって考える方がおかしい
今でも、東京から北海道まで900キロと言えば普通に通じるだろ?
その程度の記述なんだよ

倭国=女王国までのざっくりした距離感を示しているだけ
そして、その距離に地の果てまでの符牒としての萬二千里を使うことで
司馬懿の功績を持ち上げる目的もある

683 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 11:20:05.85 .net
>>674
>こいつのむかつくところは、畿内説を通すためには平気で嘘でも無理でもでっち上げることだ。

どこがでっち上げなのか、具体的に指摘してもらえるかな?
全て実測値で、丸めてあるけれど正確な距離だぞ

九州説の捏造の具体例
・短里とかいう架空の単位を捏造
・1里あたりの距離は区間によってバラバラであるにもかかわらず、短里とやらがすべてに当てはまると強弁
・末慮国から伊都国への方角違いを呼子を起点にして正しいとする意味不明な詭弁
・末慮国から伊都国への距離も末慮国の入り口から伊都国の入り口までの距離だという珍解釈
(そんな珍解釈をすると往路と復路で距離が異なってしまう矛盾があることに気づかない低脳ぶり)
・国の中に別の国があるという二重帳簿詐欺
・陸行一月を陸行一日に改竄

684 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 11:23:08.68 .net
>>676
>それなら、領土の東の端も領土の中心も知らない魏の官僚は、当然ながら倭の中心国邑までの距離(たとえでいうなら札幌まで)を書くよな?

魏志倭人伝をどう読んでも、末慮国から邪馬台国まで2000里という数字は出てこない
つまり、魏の官僚は当然ながら倭の中心国邑までの距離を知らないんだよ

それで、ざっくりしたこのくらいという数字として、地の果てまでの距離・萬二千里を書いているだけ
順序としては、萬二千里の方が先で、倭国に着くまでを一萬里になるように調整してるんだろうけれど

685 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 11:23:40.69 .net
その誇張した数字で計るならば、
畿内はカムチャッカ〜アリューシャン付近にあったことになる。それでいいんだな

686 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 12:02:00.88 .net
九州に着いた途端、魏晋里になるとか
アホか?話にならん。

687 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 12:35:45.37 .net
>>686
>九州に着いた途端、魏晋里になるとか
>アホか?話にならん。

同じことを何度も書かせるなよ
「九州に着いた途端」じゃなくて、最初から最後まで魏晋里しかない
短里も東夷伝里もない!

あるのは、晋朝の高祖司馬懿の功績を持ち上げる目的で、誇張され、適当に
作られた数字があるだけ

誇張されている距離を、実距離だと勝手に決め打ちして、
換算して魏晋里より短い⇒短里だ、っていうのは短慮、短絡そのもの

688 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 12:38:32.03 .net
>>685
>その誇張した数字で計るならば、
>畿内はカムチャッカ〜アリューシャン付近にあったことになる。それでいいんだな

あえて言うが、>>685は頭が悪いだろ?
誇張した数字で、九州島に着くまでが萬里になるように作ってあるんだから、
それがどうしてカムチャツカとかになるんだ?

論理をきちんと追えないと、訳の分からないことを言い出す実例だな

それと、カムチャ「ツ」カ だぞ
ツは、小さくならないw

689 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:00:55.19 .net
>>688
ははは、引っかかったな
誇張した数字の萬里で、バッチリ九州島に着いたのなら、
誇張された残りの二千里で、ピッタシ女王之所都に着けるだろう。
とても畿内までは及ばぬ。九州島内限定だ。

690 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:07:10.80 .net
>>687
噛み付く前にちゃんと里程の説明をしろ。
九州まで何里でそこから畿内まで何里のつもりなんだ?

691 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:12:18.15 .net
>>681
一万二千里になるような尺度を作ったのではなかったのか?

692 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:14:09.74 .net
>>689
九州までが一万二千里になるように規定したのですね。
わかります。

693 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:27:23.28 .net
>>689
>誇張した数字の萬里で、バッチリ九州島に着いたのなら、
>誇張された残りの二千里で、ピッタシ女王之所都に着けるだろう。

そうだよ?
萬二千里が、誇張された数字であり、世界の端までの距離という符牒

だから、実際の大事な行程部分、
北部九州から投馬国(出雲)
出雲から邪馬台国(大和)は、
「日数」で「具体的」に示しているだろ?

北部九州博多湾岸から、関門海峡を通らずに日本海を東に向かい
出雲まで水行二十日
そこから丹波まで水行十日、丹波から亀山、山背経由で大和まで陸行一月
ぴったり畿内大和に着くよ

不彌国から先が里数を書いてないのに、萬二千里が実測値だと思ってるのが頭が悪い

しかも、この行程部分の都合が悪いから、水行の起点を帯方郡まで巻き戻すとかの
詭弁を使うし、陸行一月は一日の間違いとか、恣意的で勝手な置き換えをするし
頭の悪いダブスタもいいところw

引っかかったのは>>689だよ

論破の機会をくれてありがとうww

694 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:33:51.21 .net
>>690
>噛み付く前にちゃんと里程の説明をしろ。

>>693で説明してあるけれど、もう一度書いてあげよう

>九州まで何里でそこから畿内まで何里のつもりなんだ?

九州まで一萬里、女王国まで萬二千里っていうのが最初から決まっている
それに、古い記録で、末慮国から次の目的地までが東南陸行五百里
奴国までが東南百里、不彌国までが東行百里とあるので、それをつなぐ

その先は、里数の記録がない、測られていないので、日数で「道里」を示す
博多湾岸から水行二十日で投馬国(出雲)
さらに水行十日で丹波、陸行一月で邪馬台国(大和)だよ

まったく、何の破綻もない

あと、周旋は一周したり元の場所に戻ったりしないから、
周旋五千里は、狗邪韓国までの七千里と合わせて萬二千里になるようにしているだけ

695 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:34:58.06 .net
>>691
>一万二千里になるような尺度を作ったのではなかったのか?

尺度を作ったんじゃなくて、九州(女王国の本土の端っこ)までが万里になるように
「数字」を作ったんだよ

696 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:36:45.85 .net
>>692
>九州までが一万二千里になるように規定したのですね。
>わかります。

九州までは万里
万里の長城の万里だよ
大陸中華にとって、莫大な距離といえば万里

そして、世界の果てまでが萬二千里

魏晋里、漢魏尺の体系で、二千里が相当な長距離になるのを忘れてはいけない

697 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:42:54.48 .net
短里だと九州までで万里だから分かればそれでいいよ。

698 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:54:09.29 .net
【偽装された、ルーツ】 皇室はへブル語を公用し、公文で北イスラエル″を公言してる、嘘つきは廃止
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1534731623/l50

日本人がユダヤ人なわけない、嘘つきの天皇は廃止しろ!

699 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 14:12:42.81 .net
>>697
>短里だと九州までで万里だから分かればそれでいいよ。

ここで九州説は「嘘を紛れ込ませる」

× 「短里だと」九州までで万里
○ 「実測値ではない、作った数字で」九州までで万里

作った数字を、実際の地理上の距離と対比させること自体が無意味

700 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 14:43:21.13 .net
ROMってたけど一言だけいいですか?
短里があると言うなら証明すればいいだけ
言い張るだけでは証明にはならない

701 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 15:13:40.63 .net
>>694
>九州まで一萬里、女王国まで萬二千里っていうのが最初から決まっている

九州北岸まで一万里なら、やはり九州を出ないよ。

>それに、古い記録で、末慮国から次の目的地までが東南陸行五百里
>奴国までが東南百里、不彌国までが東行百里とあるので、それをつなぐ

そんな記録はない。
張政らがはじめて詳細な記録を報告して、それが魏志倭人伝に収載された。

お前さんは自分の意見を通すためには平気で嘘をつくことが明白になったな。

702 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 15:14:27.35 .net
>>700
帯方郡から九州北岸まで一万里というだけで、それは短里だということ。

703 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:24:24.48 .net
>>701
>そんな記録はない。
>張政らがはじめて詳細な記録を報告して、それが魏志倭人伝に収載された。

漢委奴國王の金印をもらったときの朝貢や、帥升等の朝貢がその前にあるんだよ
そして、公孫氏の自立の前までは、それなりに漢鏡が倭国にもたらされている

そういう考古学的な状況を全て無視して、強弁しないと成り立たないのが九州説

末慮国から伊都国へが、東南陸行五百里となっている時点で、「はじめて詳細な記録を報告」が
間違いだと分かるだろうに

ただ、九州説が畿内説を否定できるポイントが、方角しかないから、魏志倭人伝の旅程記事の
方角は正しいと言い続けないといけない

九州説は終わってるよなw

704 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:26:20.04 .net
>>702
>帯方郡から九州北岸まで一万里というだけで、それは短里だということ。

それ、作った数字で、距離を盛っているだけだから、現実の地理とは対応してないよ
それを無理やり機械的に換算すると、魏晋里より当然短い数値になるってだけ

盛ってある数値から換算すれば、見た目短くなるのは当然

それだけの「架空の単位」だけが九州説の屋台骨なんだから、九州説は終わってるw

705 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:53:10.87 .net
>>703
>ただ、九州説が畿内説を否定できるポイントが、方角しかないから、魏志倭人伝の旅程記事の

間違ってるよ
畿内が邪馬台国だと言い張れる根拠は何ひとつない、が正しい

706 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:14:01.63 .net
帯方東南大海上の洲島の国が倭国とされていることから、倭国が日本を表すと考えてよい

3世紀半ば以降、日本列島の広範囲で前方後円墳が共通して作られるようになり、
その範囲に一定の政治秩序の形成が明らかに認められる

古墳の規模のヒエラルキーから考えて、その政治秩序の盟主が畿内にあると考えるのが当然

3世紀の倭国と3世紀に前方後円墳秩序の範囲が重なる以上、この前方後円墳秩序が大陸王朝から
倭国と呼ばれた構造であると考えるのが当たり前

ならば、倭国の中心=王都は畿内にあるのが当然

九州説が畿内にないと言い張るものは、倭国の習俗であり、倭国の範囲にあるものであればどこにあってもよい
邪馬台国の比定に重要なのは
・邪馬台国の発音に近い地名
・戸数7万戸
・30近くの国々の盟主
・宮室、楼観、城柵
・卑弥呼の墓径百歩
・徇葬百人

殉葬百人については、日本では大規模殉葬が確認された例がない
その他の項目は、全て畿内説なら説明できるが九州説では無理

707 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:19:39.24 .net
>>706
>古墳の規模のヒエラルキーから考えて、その政治秩序の盟主が畿内にあると考えるのが当然

その古墳は忌部はんが造った忌部はんのものだからね。 忌部はんだけがその造り方を知ってる。  @阿波

708 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:32:08.09 .net
>>703
>漢委奴國王の金印をもらったときの朝貢や、帥升等の朝貢がその前にあるんだよ

朝貢は倭人の側からやって来ていたので、中国側は里程など分からない。
初めて詳しい情報が得られたのが卑弥呼の時代なんだよ。
細かい里程の情報がそれ以前にあるなら出してみろ。
大嘘つきめ。

>>704
>それを無理やり機械的に換算すると、魏晋里より当然短い数値になるってだけ

つまり短い里なんだよ。

709 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:34:07.14 .net
>>706
お前さんの「と考えてよい」は、大体が嘘をつく時の口癖だ。
「が当然」もそうだな。
一つのレスでいくつ嘘を並べているんだ?

嘘という言葉が嫌なら妄想かな?
まったく根拠がないもんな。

710 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:34:49.56 .net
>>706
>古墳の規模のヒエラルキーから考えて、その政治秩序の盟主が畿内にあると考えるのが当然

卑弥呼は弥生時代末期。
王墓のヒエラルキーは圧倒的な西高東低。

711 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:35:01.07 .net
>>708
>つまり短い里なんだよ。

それ、架空の数字だと何度言えば

短里を使う、理由や動機のある人、使う必然性のある人が皆無なんだよ
そんな単位はない

712 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:36:00.29 .net
>>706
>・戸数7万戸
>・30近くの国々の盟主
>・宮室、楼観、城柵
>・卑弥呼の墓径百歩
>・徇葬百人

畿内説だと当てはまるのか?
当てはまるというなら根拠を示せ。
畿内にあるのは、ヤマトという音韻の類似性だけだ。

713 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:36:50.61 .net
>>711
動機は上でさんざん説明されたろ?

714 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:37:59.41 .net
>>706
>3世紀の倭国と3世紀に前方後円墳秩序の範囲が重なる以上、この前方後円墳秩序が大陸王朝から
>倭国と呼ばれた構造であると考えるのが当たり前

これが大ウソ

715 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:39:18.01 .net
>>660
>まあ、北部九州から千三百里で「魏晋里で」畿内まで「届くので」特に問題はないと言えばないけれど

一つの文に二つも詐欺を書き込む図太さ。
畿内説は厚顔無恥。

716 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:40:21.99 .net
>>706
>3世紀の倭国と3世紀に前方後円墳秩序の範囲が重なる以上、この前方後円墳秩序が大陸王朝から
>倭国と呼ばれた構造であると考えるのが当たり前

卑弥呼の共立は2世紀末だし、その前の男王もいるのだから、畿内では説明がつかない。

717 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:41:09.46 .net
>>703
>末慮国から伊都国へが、東南陸行五百里となっている時点で、「はじめて詳細な記録を報告」が
>間違いだと分かるだろうに

なんだ、これは?
論理が破綻しているぞ。
適当なことを書き込むよ。

718 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 17:42:39.82 .net
>>695
>尺度を作ったんじゃなくて、九州(女王国の本土の端っこ)までが万里になるように
>「数字」を作ったんだよ

九州上陸まで一万里、上陸してから二千里で、邪馬台国は九州ですね。

719 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:06:11.45 .net
>>712
>畿内説だと当てはまるのか?

無駄に攻撃的だよな
弱い犬ほどよく吠えるってやつだ

ほらよ
・邪馬台国の発音に近い地名
⇒ 大和・ヤマト

・戸数7万戸
⇒ 畿内第V様式段階でひとつの国としてまとまった範囲 大和+河内〜環大阪湾の範囲で十分

・30近くの国々の盟主
⇒ 纏向遺跡で発掘される広範囲の土器の流通
⇒ 直後の古墳時代の古墳規模ヒエラルキーの中心

・宮室、楼観、城柵
⇒ 辻地区の柵列付きで軸線を揃えた当時最大規模の建物群

・卑弥呼の墓径百歩
⇒ 纏向古墳群は最も古い纏向石塚古墳でも墳丘長さ96メートルで列島最大

・徇葬百人
これに関しては、日本国内のどこにも大規模殉葬の出土例がない

可能なら、九州説バージョン作ってごらんw
可能なら、ね

720 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:08:03.00 .net
>>709
>嘘という言葉が嫌なら妄想かな?
>まったく根拠がないもんな。

そう思うなら、嘘だと思う理由を、『具体的な項目』に対して、
『具体的な根拠』をつけて指摘すればいいじゃないか?

嘘なら「具体的な根拠」を示せば、簡単に論破できるだろ?

さあ、やってごらん!
できるものならな!

721 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:10:51.98 .net
>>710
>卑弥呼は弥生時代末期。
>王墓のヒエラルキーは圧倒的な西高東低。

そういう九州の王墓は、卑弥呼の時代の100〜300年前で、古いのばかりなんだよ
平原遺跡も、1号墓のあとに3号墓・4号墓が方形周溝墓で作られていて、古墳時代に入るまでに
一世代以上の時間がある

現在の標準的な編年では、卑弥呼は古墳時代に入る直前だから、平原1号墓でも年代が合わない

卑弥呼の時代の王墓は、北部九州には候補すらひとつもない

722 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:12:48.65 .net
>>713
>動機は上でさんざん説明されたろ?

説明された動機は、晋の高祖の功績を顕彰するために、誇張して盛ったってのしかないと思うが?
であるなら、短里も東夷伝里も存在しないってことだ

あるのは机上で作った数字だけ
実際の地理とは関係がないよ
それを邪馬台国の比定に使うのは意味がない

723 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:13:18.30 .net
>>721
>卑弥呼の時代の王墓は、北部九州には候補すらひとつもない


あるのは、倭国(阿波)だけ。  @阿波

724 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:13:45.38 .net
>>714
>これが大ウソ

何がどう大ウソなのか、「具体的に示して」ね!
できないならただの負け犬の遠吠え

725 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:17:13.45 .net
畿内説には何ひとつ根拠がない

726 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:18:18.94 .net
>>715
>一つの文に二つも詐欺を書き込む図太さ。
>畿内説は厚顔無恥。

魏代の記録が、晋の時代に書かれているのに、「魏晋里」のどこが大ウソなんだ?

魏晋里は435メートルほど、1300里で565.5キロになる
北部九州から纏向遺跡まで500キロないから、軽く届くだろ?

ちゃんと計算、計測してごらん
適当な大ウソを書いてないでさ!

727 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:19:47.97 .net
>>717
>論理が破綻しているぞ。

詳細な報告があったら、方角も距離も大間違いな記録が書かれるわけがないだろ?
末慮国から東南陸行五百里は、目的地が異なる古い記録の混入なんだよ

728 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:20:50.86 .net
>>725
>畿内説には何ひとつ根拠がない

>>724を再掲

何がどう大ウソなのか、「具体的に示して」ね!
できないならただの「負け犬の遠吠え」

729 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:22:18.77 .net
邪馬台国は史料記述上、存在しない。邪馬台がヤマトだと言うのはなんの意味もないこと

730 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:22:25.75 .net
>>721
なんか色々思い込みがあるみたいだね

卑弥呼の墓はまだまだ様々な様相の墓が入り乱れている時期の墓だよ

4世紀に入っても、前方後円墳で統一されている訳でもないし

平原は弥生終末期の墓というだけで、年代ははっきりとはわかっていないよ
あれは卑弥呼在位時期に入っているとは思うがね

731 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:37:21.81 .net
畿内説は妄想をまき散らすだけ

732 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 18:47:40.03 .net
>>726
唐津まで一万里
長里なら4350kmありますので
南でも東でも日本を通り過ぎちゃいますよ?

733 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:12:45.71 .net
>>732
>唐津まで一万里
>長里なら4350kmありますので
>南でも東でも日本を通り過ぎちゃいますよ?

何度も書いているけれど、「実測値ではなく机上で作った数字」
晋の高祖の功績を顕彰するために盛った数字だから
それを「実際の地理に当てはめてどうこういうのが無意味」だって言ってるんだよ

734 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:16:06.52 .net
>>730
>卑弥呼の墓はまだまだ様々な様相の墓が入り乱れている時期の墓だよ

逆に問うが、どうしてそのように考えるんだ?
卑弥呼の死亡時期と考えられる248年(249年?)は、標準編年では既に古墳時代

また、その直前の、各地にいわゆる王墓級弥生墳丘墓が作られている時代だと
仮に想定したところで、北部九州には径百歩に相当する墳墓はない

735 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:17:09.51 .net
>>731
>畿内説は妄想をまき散らすだけ

>>724を一部修正のうえで再掲

何がどう妄想なのか、「具体的に示して」ね!
できないならただの「負け犬の遠吠え」

736 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:34:11.45 .net
卑弥呼の墓は、
くまモン論者の地元、阿蘇高千穂の高千穂神社本殿背後にあった。
そこにあるご神体山こそ卑弥呼の塚、この神社の神域全体で径百歩。

737 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:53:56.33 .net
>>720
小学生の喧嘩かよ。

738 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:55:07.41 .net
>>721
>現在の標準的な編年では、卑弥呼は古墳時代に入る直前だから、平原1号墓でも年代が合わない

はい、また詐欺師の口上。
古墳時代に入る直前なら、弥生時代末期だろ。
弥生時代なら、大型墳墓である必要はない。

739 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:56:35.19 .net
>>722
>説明された動機は、晋の高祖の功績を顕彰するために、誇張して盛ったってのしかないと思うが?

その通りだよ!
だから朝鮮半島南岸まで七千里、対馬海峡が三千里、九州上陸してから二千里で邪馬台国なんだ!
つまり邪馬台国は九州と書いてあるんだよ!

740 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:57:30.75 .net
>>726
>北部九州から纏向遺跡まで500キロないから、軽く届くだろ?

届いて飛び出ているのに、「届く」で済ませているよね!

741 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:57:31.66 .net
陳君が仲達ヨイショてなんや?(焼酎ふいた
つうかわえに詰まされた山海由来漢土外12000はもう諦めたんか?

742 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:58:44.94 .net
>>733
>それを「実際の地理に当てはめてどうこういうのが無意味」だって言ってるんだよ

畿内説に不利だから当てはめたくない、というのが本音だろ。
九州なら当てはめてなんの矛盾もないのだから。

743 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 19:59:27.73 .net
>>734
>卑弥呼の死亡時期と考えられる248年(249年?)は、標準編年では既に古墳時代

@(・●・)@

744 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:01:44.33 .net
東夷伝長さ単位誇張されてるように読めるんは里だけちゃうよ?
おじいちゃんらまず三国志よく嫁

745 :744:2018/08/20(月) 20:12:41.62 .net
追記
山海由来の小人の身長のことちゃうよ?あれは逆ベクトル

こよいはこのあたりでよかろかい?
じじいどもチェスト!

746 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:17:50.69 .net
>>738
>古墳時代に入る直前なら、弥生時代末期だろ。
>弥生時代なら、大型墳墓である必要はない。

何度も書かせるなよ

吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部
てなサイズがある

纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、
東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

平原1号墓の墳丘サイズ14×12メートルというのは王墓だとしても、有力国の王墓としては、どうしても見劣りする

伊都国でも古墳時代に入って三雲遺跡群に作られる端山古墳は全長78.5メートルあるし
三雲南小路遺跡の墳丘サイズが周りの周溝で30メートル四方くらい
須玖岡本遺跡D地点墳丘墓も同程度のサイズ
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓でも南北約40m、東西約27mの長方形に近い形態、という大きさがある

これは全部、弥生時代だ

それに対して
平原遺跡の案内看板の解説文では、1号墓の墳丘サイズは長さ約13メートル幅8メートルの方形周溝墓
どう見ても見劣りする

747 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:22:18.01 .net
>>739
>九州上陸してから二千里で邪馬台国なんだ!

魏晋里で二千里も行ったら、九州から飛び出すだろ?

>つまり邪馬台国は九州と書いてあるんだよ!

つまり、九州じゃ無理なんだよ

そして、念のため、九州説の捏造の短里とやらで考えても、
二千里で150キロ程度になる
北部九州の博多湾岸から、有明海まで50キロくらいだ
伊都国、奴国のあたりに邪馬台国を持ってくるのは無理だってことだ

そして九州説はそこからさらに、島廻り仮説とかいう、捏造を積み重ねるのだけれどね

748 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:24:48.13 .net
>>740
>届いて飛び出ているのに、「届く」で済ませているよね!

>>715で、「畿内まで届くので」を

「一つの文に二つも詐欺を書き込む図太さ。」と根拠のない言いがかりをつけられたから、
届くことを示しただけだが?

>>740>>715を書いたんだろ?
自分で恥ずかしくないのか?

まあ、九州説の人間なら恥ずかしくないんだろうな
短里があるといって憚らないんだから

749 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:25:53.25 .net
>>742
>九州なら当てはめてなんの矛盾もないのだから。

当てはめる前に、短里という単位の存在が矛盾だらけなんだよ
使う人がそもそもいないってところからおかしい

750 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:25:56.55 .net
あれれ?かなあしかったんか?
わえの予想はずれまくりの大会やな

751 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 20:27:45.57 .net
誤爆したかも?ごめん

752 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:01:24.23 .net
>>746
>どう見ても見劣りする

郡使が行かなかった倭地の墓など、どうでもよい。

753 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:01:59.46 .net
>>747
>魏晋里で二千里も行ったら、九州から飛び出すだろ?

最後の二千里だけ急に長里になるわけないだろ!

754 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:14:04.31 .net
>>739
>九州上陸してから二千里で邪馬台国なんだ!

魏晋里で二千里も行ったら、九州から飛び出すだろ?

>つまり邪馬台国は九州と書いてあるんだよ!

つまり、九州じゃ無理なんだよ

そして、念のため、九州説の捏造の短里とやらで考えても、
二千里で150キロ程度になる
北部九州の博多湾岸から、有明海まで50キロくらいだ
伊都国、奴国のあたりに邪馬台国を持ってくるのは無理だってことだ

そして九州説はそこからさらに、島廻り仮説とかいう、捏造を積み重ねるのだけれどね

755 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 21:34:06.71 .net
九州と畿内は別勢力。
畿内が邪馬台国であるわけなかろうに。

756 :くまモン論者:2018/08/20(月) 21:45:39.45 .net
>>736
それもええな。
やはり卑弥呼が天照大神なのかな?

757 :くまモン論者:2018/08/20(月) 21:47:35.18 .net
朝廷とゆかりの無い、九州の豪族の墳墓なんて残るわけもない。
暴いて略奪して更地にして新たな国司の墳墓にでもなってるんだろうね。
たぶん筑紫の君磐井の古墳の下あたりにあった。

758 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:22:49.66 .net
>>726
長里を、使う前に、短里が、
淮南子にでていたやない。それまだ、
論破されてないよ。
反論まってる。

759 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:39:43.20 .net
>>736
山門、今は山都に名前かえてるなあ。
しかし、重要なことは、
魏志倭人伝に、阿蘇の蘇を使う、
國が、2つ掲載されていて、
女王國から、北をみたら、との
説明なんよね。つまり、
張政なり、朝貢した倭人であれ、
認識していた地理感だな。
となると阿蘇よりすこし
南。山門もギリ入りますな。
で、山門から、山を登っていくと
高千穂。で。天孫族。そこから
川を反対側に、くだると神武さんの
ふるさと。高千穂から、
傾山に尾根伝いにいけば、宇佐にも近いしな。
木浦鉱山は、錫鉱山だから、
ここを、おさえている権利がなけるば、
国産鏡は、つくれないよ。

760 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:41:21.56 .net
>>756
神域はこんもりとした丘で、径百余歩150mほど。
その頂付近にあるご神体山自体はそう大きくはない。
それをぐるり回れる小径もあるが、頂上へは立ち入りできかねる。
古代史上の卑弥呼は、じつは大和朝廷にとって決して無視できない存在だったのではないか。

761 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:48:26.81 .net
木浦鉱山は、古代からの重要鉱山。
山都は、神武一族の阿蘇神社と深い関係ありと聞いた。。

762 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:48:58.19 .net
中国の学者が、「魏志倭人伝」を
読んでいて、違和感ある箇所の
指摘が面白かった。
魏志倭人伝は、「今」という
感じを使いながら、説明している。

報告書なら、過去系なりに、まとめ
られていくのに、
今をつかうのは、
編集している際も、報告書があがって
きている状態だと。
なるほど、いわれてみたら、数カ所あるわけ
だから、そこらの箇所は、
随時、新しい情報があがりしだい、
記載した可能性あるな。
つまりは、それなりに、
交流は、あったわけだな。

763 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:54:31.73 .net
>>761
宇佐神宮は、伊勢神宮ともならび、
重要な神社ですが、
実は、高千穂神社の跡目が
なくなった時は、わざわざ、
宇佐神宮から、人を出したんです。
わざわざ、宇佐神宮より、
人をだしてまでも、守る高千穂神社の
意味合いは、そこが、トヨなりの
源流かもしれませんね。
豊前のトヨ。

764 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 22:57:33.25 .net
出雲国の同盟であった、紀伊や奈良地域は、
東海含めて、天照の関連神社は、あるが、
全て、男性で、女性の天照は、ないよな。

765 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 23:01:45.06 .net
>>759
その後の中国の倭に関する
梁書かな、それには、阿蘇山を
わざわざ説明しているよな。
三輪山とか甘南備山などの
表記はないんよな。お膝元の
三輪山を書いてないのも、
ヤマトが、当時は、奈良ではなかったかと。
邪馬台国のすこしの時期ね。

766 :くまモン論者:2018/08/20(月) 23:22:09.76 .net
>>760
卑弥呼と記紀をリンクさせてくれそうだな。
なんだか面白そう

767 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 23:57:03.60 .net
>>757
>朝廷とゆかりの無い、九州の豪族の墳墓なんて残るわけもない。
>暴いて略奪して更地にして新たな国司の墳墓にでもなってるんだろうね。
>たぶん筑紫の君磐井の古墳の下あたりにあった。

くまモン論者ともあろう者がそんなトンデモを書いてどうする
伊都国の三雲遺跡群の中にある端山古墳、築山古墳をどう考えるんだ?
ちゃんと残ってるぞ?

768 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 01:38:23.16 .net
>>757
証拠が全く見つからないことの言い訳にしたいんだろうけど
伊都国や奴国で九州邪馬台国らしき痕跡が皆無なのはどう説明する?

769 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 06:18:48.48 .net
>>768
伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡などがある「直方辺り」だろう。 

奴国は上本町遺跡・、下伊田遺跡・五徳畑ケ田遺跡・真崎遺跡などがある「田川辺り」。  

不弥国は
築城五反田遺跡、上別府沖代遺跡、安武・深田遺跡、安武・土井の内遺跡、赤幡森ヶ坪遺跡
などがある「築上町辺り」だね。  @阿波

770 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 06:57:56.92 .net
>>768
皆無って、何が根拠だ?
集落遺跡も、豪華な王墓も複数ある。
外交に必要な硯もある。
伝承では金印もあった。

771 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 06:58:51.30 .net
あ、くまモンは熊本か。
あそこは狗奴国だろ。

772 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 07:08:45.42 .net
熊襲国なら日向大隅だね。
これがクナ国だろう。

773 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 07:23:35.03 .net
>>770
>集落遺跡も、豪華な王墓も複数ある。


その伊都国や奴国の「集落遺跡」ってなに?  お墓はいいからね。  @阿波

774 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 07:26:29.03 .net
>>772
>熊襲国なら日向大隅だね。
>これがクナ国だろう。


狗奴国(日向大隅)の王都集落遺跡はなに?  @阿波

775 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 07:33:08.15 .net
クナ国は畿内ぐらいの版図があったんじゃないかな

畿内征伐でなにわ、北河内、ヤマトは卑弥呼を共立した勢力に降った

魏志倭人伝当時、邪馬台国ヤマトの南の狗奴国は南河内と和泉かな

国作りしたのに侵略されて、気の毒だな

776 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 07:36:51.53 .net
>>775
>魏志倭人伝当時、邪馬台国ヤマトの南の狗奴国は南河内と和泉かな


狗奴国(南河内と和泉)の王都集落遺跡はなに?  @阿波

777 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 07:55:49.11 .net
どれもこれも妄想ばかり。  @阿波

778 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 08:31:57.76 .net
>>734
西日本の3世紀の墓がぜんぶ前方後円墳かい?
調べたら一目瞭然でしょ

779 :くまモン論者:2018/08/21(火) 08:33:08.39 .net
>>767
前方後円墳は畿内にあった狗奴国の支配下の広がりを表しているんだろう。
端山古墳や築山古墳然り。
260年ごろには伊都国は狗奴国の支配下に入るからね。

780 :くまモン論者:2018/08/21(火) 08:35:12.46 .net
>>771
はあああああ?!??
熊本は邪馬台国だと言ってるだろぶっころすぞ(*´ω`*)

781 :くまモン論者:2018/08/21(火) 08:37:53.91 .net
>>777
キリ番おめw

782 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 08:40:06.68 .net
>>780くまモン論者


どれもこれも妄想ばかり。  @阿波

783 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 09:09:28.39 .net
>>770
伊都国は邪馬台国ではない
奴国は邪馬台国ではない

伊都国や奴国を邪馬台国と呼んでる特殊な人は邪魔だから引っ込んでてくれるか

784 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 09:48:53.10 .net
>>780
菊池彦はどうするんですか?

785 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 10:19:36.79 .net
菊池氏は11世紀に熊本平野に下向して、土着した一族
以降、領地を「菊池」と表した。
其官・狗古智卑狗は三世紀であり、この菊池氏とは無関係。

倭人伝によれば、
邪馬台国と狗奴国は、常時戦争状態にあったようなので、近接していたと考えるべきであろう。
邪馬台国を熊本平野+阿蘇一帯とすれば
狗奴国は、熊本緑川とその周辺の広い湿地帯を挟んだ南にあったと考えれば、立地的に符合する。
現在の、御船・甲佐・宇土・宇城・八代であり、大古墳などの遺跡も少なくない。

なお景行天皇記によれば、
この御船の地の後方の朝来山には、逆賊180人がこもって従わなかったので、
熊本・火の君の祖の建緒組を遣わしてこれを誅したとの記述もある。
まさに 邪馬台国 対 狗奴国 の抗争事件であった。

786 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 10:29:05.08 .net
>>778
>西日本の3世紀の墓がぜんぶ前方後円墳かい?
>調べたら一目瞭然でしょ

なら、調べて具体的に指摘してよ
ただ、古い発掘成果のまま、最近の編年観での評価をしていないのもあるから
きちんと調べた上で報告してね

沼津の高尾山古墳あたりで西暦230年頃という推定年代が出てるよ

787 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 10:30:30.27 .net
>>779
>260年ごろには伊都国は狗奴国の支配下に入るからね。

これ、どこから来た妄想だ?
根拠は何?
具体的に教えて?

788 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 10:33:34.19 .net
>>780
>熊本は邪馬台国だと言ってるだろ

熊・隈のKUMAと、狗奴国のKUNAでは子音が変わるから、関係ないよな
日本語に限らず、動詞の活用その他で母音が変わっても同じ単語と認識されるが
子音が違えば別の単語になる

熊本が狗奴国というのは、音韻的には根拠薄弱すぎる

まあ、熊本が邪馬台国というのも厳しいけれどww

789 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 10:35:23.24 .net
>>785
>狗奴国は、熊本緑川とその周辺の広い湿地帯を挟んだ南にあったと考えれば、立地的に符合する。
>現在の、御船・甲佐・宇土・宇城・八代であり、大古墳などの遺跡も少なくない。


狗奴国(御船・甲佐・宇土・宇城・八代)の王都集落遺跡はなに? 
どれもこれも妄想ばかり。  @阿波

790 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 10:45:08.95 .net
やや後世の史料になるが、
大宰府に伝わる9世紀の翰苑には、「南、邪馬嘉国」の記事がある。
邪馬台国が訛って、いったん○○○国となり、更に好字令によって「邪馬嘉国」になったのであろう。
そしてさらにこれが現在の、熊本県 山鹿市 として伝わるものと思われる

791 :くまモン論者:2018/08/21(火) 11:36:44.61 .net
>>782
はあ

792 :くまモン論者:2018/08/21(火) 11:38:40.90 .net
>>784
狗古智卑狗は河内彦だな

793 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 11:42:28.63 .net
笠井もアレだったが、その@弟子たちも役に立たんな
王都の遺跡の一つや二つ、自分で探して自慢して見せろ

794 :くまモン論者:2018/08/21(火) 11:43:30.39 .net
>>787
 泰始二年十一月己卯 倭人來獻方物
これが邪馬台国の最後の消息だからな。

そのあとは421年の倭王讃になる

795 :くまモン論者:2018/08/21(火) 11:47:54.48 .net
>>788
その通りです!!

熊襲こそ邪馬台国の末裔のような希ガス(ソースなし

796 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 11:59:27.09 .net
>>794
>泰始二年十一月己卯 倭人來獻方物
>これが邪馬台国の最後の消息だからな。

西暦266年の晋への朝貢記事だね
これ、台与の朝貢とは限らないっていうのはいいかな?

この266年の朝貢を「女王」とする史料は日本書紀しかない
神功皇后紀
六十六年。是年、晉武帝泰初二年。晉起居注云「武帝泰初二年十月、『倭女王』遣重譯貢獻。」
これに釣られて、みんなこれを台与の朝貢だと考えているけれど、他の史料では
「倭人」としか書いてない

これをどう考えるべきか

797 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 12:02:23.74 .net
>>794
安帝紀義熈九年(是歳)(413)  高句驪、<倭國>、及西南夷、銅頭大帥、並獻方物。

798 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 12:08:10.88 .net
九州説の人に訊きたいんだが、
唐代にも東夷伝里あるいは短里があったと主張するのかしないのかどっちなんだい?

799 :くまモン論者:2018/08/21(火) 12:23:25.17 .net
>>796
そうなのよ。
この辺は微妙だな。

弟子ちゃんの意見を聞きたいところ

800 :くまモン論者:2018/08/21(火) 12:35:14.51 .net
>>797
なんだよw
わざわざありがとう

801 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 14:18:26.33 .net
>>795
伊都説でも、卑弥呼は肥国出身の女王で、熊襲はその眷属だと思っているけどね。

802 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 14:48:42.18 .net
名字の起源:隈、
>現佐賀県と長崎県にまたがる肥前国彼杵郡隈村が起源(ルーツ)である、
桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系の平氏(桓武平氏)。
現福岡県南部である筑後の豪族、
現京都府北西部と兵庫県東部である丹波氏・神代氏族。
語源は、動物の熊、山麓から峰へと続く稜線、曲がった谷間、角などからきている。地名としては、愛知、福岡、熊本、大分に存在する。<

上のように熊本(隈本)の語源になった隈(くま)の起源はわりあい新しい。
これと、熊襲のくま・球磨のくまなどが同類かどうか、慎重に考慮すべきではないか。

803 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 15:12:13.11 .net
神武天皇の東征開始点の日向だが、日向三代関連の地元の人物は
神「阿多」都比売をはじめ、「阿多」周辺の人物だと分かる

日向といいつつ、今の鹿児島県薩摩半島まで含めた日向を考えないと
いけないのではないかな

804 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:27:15.37 .net
>>802
>現京都府北西部と兵庫県東部である丹波氏・神代氏族

ここの神代は、くましろとも読むらしい。初めて知ったわ。

805 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:35:00.62 .net
神と熊は同じ意味だよね。
熊襲は倭国王族の尊称だよ。

806 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:36:13.61 .net
【壹與と與止日女】

肥前国一宮である與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町川上)があり、かつては河上神社と呼ばれていた。
その祭神は與止日女命(ヨドヒメ)といい、世田姫(ヨタヒメ)、淀姫(ヨドヒメ)、豊姫(ユタヒメ)とも呼ばれる。
與止日女神社を流れる佐嘉川は江戸時代の治水工事までは佐賀平野において筑後川に流入していた。
魏志に記された末盧国に比定される松浦にも淀姫神社(長崎県松浦市志佐町)があり、そこから松浦川を上った上流にも河上大明神こと淀姫神社という神社がある(佐賀県伊万里市大川)。
與止日女神社の末社は福岡県から熊本県、長崎県、対馬まで分布している。
後に淀姫神社は畿内にも勧請され、豊臣時代の淀川や淀姫の名前の由来でもある。
かつて豊前国一宮は今の宇佐八幡宮(大分県宇佐市)ではなく香春三山の香春宮(香春神社、福岡県田川郡)であったとされており、三の岳の祭神が豊比v命といい、同一人物の可能性がある。
この領域は邪馬壹国連合の一部であり、その主である與止日女命は卑弥呼の権威を受け継いだ壹與そのものだろう。
熊襲の由来が卑弥呼の敵であった肥後の狗奴国であれば、卑弥呼のいた筑後でも伊都国のあった筑前でも狗奴国のあった肥後でもなく、肥前から壹與が共立されることでバランスを取り、狗奴国が和解して倭国が統一されたと考えることができる。

この與止日女神社の西に大願寺廃寺跡(佐賀市大和町大字川上大願寺)という遺跡がある。
ここに熊襲の王であるクマソタケル、名をトロシカヤ(取石鹿文)という人物の墓が伝わる。
この地に伝わる伝承では、筑紫を根城としていたトロシカヤが筑紫の穴倉陣で小碓命に襲われて肥前川上に脱出してくる。
小碓命は船で肥前堀江、蠣久と追跡し、大願寺の山中でトロシカヤの宮の新築祝いに女装して潜入し、トロシカヤを暗殺する。
死の間際にトロシカヤはクマソタケルの名を返上してより小さな地域の王の名であるカワカミタケル(川上梟帥)と名を改め、小碓命にヤマトタケル(倭建命)の名を献上する。
ここで重要なのは熊襲がこの時代に筑紫を拠点に九州北部を治めていて、倭国の王家そのものと考えられる点である。
また、その本拠地は壹與と見られる人物の本拠地でもある。狗奴国として分裂していた肥国王統から女王壹與を迎えることで、倭国は安定を手に入れたのである。

807 :くまモン論者:2018/08/21(火) 18:38:08.88 .net
>>801
淀姫さんが卑弥呼になんのね。

阿蘇の乙姫はどう思う?

808 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:45:25.19 .net
いや、淀姫さんは壹與。
その名の通り。
どうせ二人は親族だから似たようなものだけど。
乙姫さんは親戚だけど、中国には名前が知られずに終わった。
他にも九州には女性首長は無数にいるし。

809 :くまモン論者:2018/08/21(火) 18:53:28.09 .net
そこをなんとか!!
親戚なら脈はありそうだなw

810 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:57:38.89 .net
狗奴国も、本来は倭国の一部なのでしょう。
王位を巡って反目したくらいの話で、異国ではない。
だから、次の代の壹與では一つにまとまったのでは?という話。
少なくとも、熊襲梟帥の伝承は福岡と佐賀なので、熊襲を必要以上に南に想定する必要もなし。
熊襲は邪馬台国王家の王の名前でよろしいかと。

811 :くまモン論者:2018/08/21(火) 19:13:43.08 .net
>>810
だよな。
仲哀天皇も橿日宮(香椎)で熊襲の矢に当たり死んだいう話もあるぐらいだからな。

812 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 19:15:08.93 .net
熊襲というのは景行天皇記で初めて出てくるまつろわぬ一族と思っていたけど、
それでいいのかなあ
だとすれば、
景行天皇は邪馬台国東遷後の筑紫倭王で、熊襲なる一族は、じつは邪馬台勢力の残党だったということが考えられるのでね。

813 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 19:51:01.07 .net
で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓はどれ?

814 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 20:50:58.60 .net
景行天皇の時代の筑紫女王は、景行天皇と共闘した神夏磯姫。
榊に八咫の鏡など三種の神器を掲げて登場し、筑紫の梟帥の称号が与えられている。
その年代は、神功皇后の二世代前とすると4世紀はじめ、つまり卑弥呼の死後60〜70年後くらいのことになる。
筑紫梟師や熊襲梟師などの梟帥も倭王の称号の一つだったのだろう。

815 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 20:53:53.81 .net
景行天皇は時代が下ることになるが、
博多〜八幡あたりを地盤とした昔の倭奴国勢力の流れとみて、
お墓もその地域内にあるのではないか。(なお、必ずしも前方後円墳ではなかろ)

816 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 20:58:29.24 .net
で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓はどれ?

817 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 21:06:29.22 .net
景行天皇が都と定めた豊前国京都郡(福岡県行橋市)にあるだろう。
景行天皇は九州の外から来たから、本来の倭王宗家の人物ではないはず。

818 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 22:52:33.63 .net
>>817
>景行天皇が都と定めた豊前国京都郡(福岡県行橋市)にあるだろう。

で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓は「具体的には」どれ?

819 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 22:54:20.08 .net
古墳時代で、九州でも各地域の盟主墓が前方後円墳として造営されている状況下で、
倭王の「大王墓がない」ってどういうことなのかな?

820 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:04:20.22 .net
どうでもいいだろ。
金印と八咫の鏡があれば。

821 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 06:46:56.64 .net
>>820
それも無いので九州はダメだな

822 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 08:19:35.51 .net
要するに景行天皇記は
九州にあった「倭国」の実力者たちによる九州島の再建・再編・再統一の物語

823 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 09:50:29.92 .net
>>796 >>799
神功皇后記の238から266の邪馬台国の朝貢は
三国志読んだ記紀の著者が神功皇后の事績に付け足しただけ。

266は、事実自体が曖昧。 半島倭人国は存続してるし、九州でもいいけど
邪馬台国以外または分裂後の倭人海洋国が、新皇帝に国交を求めたのでは?
神功−卑弥呼壱与との時系列も 倭人伝によって
記紀になる、朝廷系王朝は未成立〜成立期、魏外交も無理。

神功皇后記 事績と西暦 東夷状況
346近肖古王百済建国 356奈勿王新羅建国 これを保護、後援して、
355 に、征東大将軍 営州刺史 楽浪王 となった高句麗を
楽浪帯方から追討している。 
倭の五王はこの時の高句麗冊封を知り半島利権を求めた外交。

神功皇后は 366〜369で 将軍を派遣し新羅百済戦争に介入
神功皇后記自体ラノベだが、238年に大和朝廷の女王は居ないんでないかな?

824 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 09:52:02.76 .net
神イサオ?

実在しないと書いてあるはず、
そろそろ頭の病院に行ったほうが良い

825 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 09:53:22.71 .net
日本でも有名な妖怪(神?)
というのは実在している

826 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:00:26.76 .net
時系列?(年代などの意味らしい)がデテラメだという話

827 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:06:05.81 .net
>>823
神功皇后紀に付け足したのは三国史記の記事の方じゃね

828 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:12:17.94 .net
これも凄い話、
神功(いさお)が実在しないという事は、
神功(いさお)以前も実在しないという事になるでしょ?
その子供(子孫や末裔)も実在しない

829 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:27:32.63 .net
実在していても良いけど、
朝鮮人だと書いてあるはず、書いてない?

830 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:32:23.36 .net
百済というのは、むかーしの中華〜ロシア、書いてあるはず

831 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:36:42.44 .net
ネットで調べてみた?良いことを言ってる人がいる

>また、倭人、倭ですが、これは蔑称で中国や韓国が日本を軽蔑しているのです。

↓これは逆

>倭乱の乱とは巨下が君主に対して暴力を振るう事なんですよ。
>神功皇后により三韓が日本の版図であったなら朝鮮征伐が正しいんですから。

832 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:44:11.13 .net
『ボーボボ 田ぼ』

木ノ下大八というキャラが出て来るんだけど、
あんた誰?みたいな事を言っていたり

833 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:55:45.34 .net
「神」は「くま」とも読むそうな

熊襲は、神祖の卑字書き換えだったのかもしれぬ

834 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:35:43.60 .net
>>823
日本語がわかりにくい。

835 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:37:38.12 .net
熊は部族のトーテムじゃないかな。
鷲、鰐、鯰などもそうだろうな。

836 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:53:53.27 .net
>>835
でも日本はあまりトーテムを重視していない文化のように思うんだが?

837 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 13:06:53.91 .net
>>819
>倭王の「大王墓がない」ってどういうことなのかな?

結局九州説は、九州王朝が古墳時代にも存続していたというしかないのだが、
九州には大王墓級の古墳が一つもない

そして、倭王武の上表文の「東征毛人五十五國『西服衆夷六十六國』渡平海北九十五國」が
うまく説明できなくなる

倭の五王の時代に九州王朝がないのなら、卑弥呼の時代にも九州王朝はないと考えるのがもっとも
尤度が高い

838 :くまモン論者:2018/08/22(水) 13:31:12.59 .net
>>823
266年には卑弥呼はいないはずだもんな。
ここは台与のはず。
しかし266年の朝貢は台与の女王から10年以上経ってる。
台与じゃなくて倭人海洋国?の可能性もあるのねw

神功皇后がいたならば七支刀も銘文をどう読むのかだな。
晋の泰始四年(268年)か東晋の太和四年(369年)

839 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 14:02:02.38 .net
七支刀が268年か369年か と言うのは、まじめな議論だったのかな?

三国志韓伝によれば、張政来日の247年には馬韓の韓王朝は滅亡してる。
その後、馬韓辰韓には漢四郡撤退付近まで王は無い。

346近肖古王百済建国 356奈勿王新羅建国
この建国前後で、日本の王が漢四郡地域の高句麗追討に尽力したわけで

この保護に対して、韓が朝貢外交を始めた対中でも
日本の傀儡属国化したから、皇太子も人質に出して
七支刀だの仏教だのの中国側からの下寵品を献上してるんですが?

268年なら、266年の司馬炎戴冠のお土産で七支刀貰ったとか?
倭王の壱与ちゃんも参列したんじゃないのかな? (ヾノ・∀・`)ムリムリ
皇帝の自慢ネタの史書にも、お土産記録無しだけどwww

840 :くまモン論者:2018/08/22(水) 14:55:37.62 .net
瞬殺されたったwwwwwwwwwwww

二運繰り下げるのね

841 :くまモン論者:2018/08/22(水) 15:05:33.53 .net
弟子ちゃん、これって倭王旨なん?

842 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:02:06.92 .net
>>841
記紀 神功皇后は 366〜369で 将軍を派遣し新羅百済の戦争に介入
で、七支刀をポッポしゃんしたんだから、神功皇后でしょwww

369年=神功皇后49年 で 神功皇后は69年まで在位
でも、実際の歴史では神功皇后じゃダメ なら、応神天皇で良いかも?
景行天皇、神功皇后=ヤマトタケル で、九州、国内統一
仲哀天皇=神功皇后?、神功皇后=応神天皇 で、半島進出
で、
413から仁徳天皇が倭王讃として、南朝外交始めたかな?
でも、中国書が実話で、記紀は天皇の実在、在位も適当、って読みしか無理でしょ。

牛馬の移入や、鉄の国内生産の富国強兵実現後に対中外交始めたのは事実なわけで、
アホの始皇帝風古墳も まねっこなわけでw
天皇が国内でも漢字一文字の王名名乗ってたとしても、記紀より事実っぽい。

讃、珍、済、興、武って名前、
倭人伝の 中国人が和音名に当て字、ってムードの固有名詞とは、違うと思う。
外交文書には、署名も在ったのでは、ないかな?

843 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:15:22.40 .net
>>803
阿という漢字の成り立ちをみたら、
そりゃ神に近い。クマとも呼ぶし。
阿蘇は、クマソ。


阿という字は、阜と可からつくら
れている。阜は、土塁、土を意味して、
可は、担架や担ぐ意味。
然るに、人工的に積み重ねて来た土山
の意味がある。その名をつけるには、
位が高いものになるはな。


字从阜从可。
“阜”意为“土堆”,
“可”意为“肩挑、担荷”。
“阜”与“可”联合起来表示
“人工堆积起来的土山”。
本义:曲阜
(沙发形的土山,三围形的土堆

844 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:30:46.29 .net
>>836
>>835
>でも日本はあまりトーテムを重視していない文化のように思うんだが?

古事記や古伝には出てくるよ。
仏教導入の頃には廃れたんだろう。

845 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:33:03.20 .net
>>837
>倭の五王の時代に九州王朝がないのなら、卑弥呼の時代にも九州王朝はないと考えるのがもっとも

直前の後漢代に伊都に倭王家があったのだから、倭国乱を挟んだ2世紀末に共立された卑弥呼がいたのも伊都であったと考えるべきだ。

846 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:33:35.52 .net
鳥居、鳥の格好で舞う巫女、玉座や神輿に飾られている鳳凰
鳥トーテム
日本書紀にも色々な鳥が登場するし

天満宮とか牛トーテムだし

847 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:07:22.46 .net
筑紫王家は鷹、豊国王家は鰐、肥国王家は熊と鯰、出雲王家は鷲がトーテムかと。
なんで肥国に2つあるのか知らんけど。

848 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:09:31.55 .net
>>847
>筑紫王家は鷹、豊国王家は鰐、肥国王家は熊と鯰、出雲王家は鷲がトーテムかと。

こういうのはどこに出ているの?

849 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:18:39.12 .net
記紀やら古伝やら神社の名前やらを拾うんだよ。
肥前河上神社の守り神は鯰だろ。
豊玉姫の正体は鰐だろ。
出雲がわざわざ関東まで来て立てた宮は鷲宮だ。
そういったものを集めると、概ねわかるよ。
鳳凰は実在しない生物だから、もっと後世に成立したのだろうけど。

850 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:21:06.13 .net
鳳凰なんて庭鳥だからな

851 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:27:02.28 .net
>>849
>出雲がわざわざ関東まで来て立てた宮は鷲宮だ。


なにをトンデモ言ってんの?  倭国(阿波)忌部の祖「天日鷲尊」だよ。  @阿波


852 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:31:24.38 .net
>>849
>豊玉姫の正体は鰐だろ。

そこから、豊国王家は鰐、まで行くのは論理の飛躍じゃないのか?

853 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:33:53.11 .net
>>852
>そこから、豊国王家は鰐、まで行くのは論理の飛躍じゃないのか?


トンデモ説とはそんなものと心せよ。  @阿波


854 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:44:02.95 .net
仲哀天皇を出迎えた熊鰐も、筑紫岡田宮つまり北九州市の豊国の王家の名前だよ。
(筑紫とつくけど本質的には豊国)

855 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:58:36.60 .net
扶桑国って、どこですか?

856 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 18:05:05.37 .net
等間隔の地名だと想定すると、せいぜい小倉の岡田宮かな。

857 :くまモン論者:2018/08/22(水) 18:53:16.94 .net
>>842
倭王旨は中国風一字名称か。サンクス

858 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 18:55:40.83 .net
>>854
>(筑紫とつくけど本質的には豊国)

洞海(くきのうみ)から筑紫だし、その西側の岡(遠賀)を豊国というのは無理じゃないか?

859 :くまモン論者:2018/08/22(水) 18:58:44.68 .net
>>855
出どころは『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國かな?

倭国の僧 慧深の作り話?!?

860 :くまモン論者:2018/08/22(水) 19:08:21.63 .net
扶桑の元ネタは呉歌かな?
それが晋の白紵舞歌になったみたいだ。
これは一部分

東造扶桑游紫庭西至昆崙戲曾城

ここに出てくる紫庭が筑紫に関係あるとおもんだけどね。(賛同者なし

861 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:33:07.00 .net
>>858
豊国は遠賀川流域文化圏でしょ。
律令制の豊後とかは忘れてね。

862 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:39:48.20 .net
>>857
王が家臣に姓を与えることは判るが
中国側が 讃、珍、済、興、武って名前を付けるかな? 
そういう解釈は アホ学者 なのでは?

卑弥呼、壱与、帥升は一応は日本の女王、王として中国側で記録されてる。
奴国王升米 都市王牛利 巳百支王掖邪狗 載斯烏越 狗奴王卑弥弓呼
これは、統一王ではない大夫だが、異国の時の王名はそのまま記録されるべきだろう。

讃、珍、済、興、武が元号ではないとすれば、諡号ではない現王名が有るはずで
倭の五王も和名はホムタワケとかタリシヒコとして、これは天帝個人名で誰も呼ばない。
ヒロヒトとか、どこの朝鮮? アメリカ進駐軍だよwww ←これヒド

時代的に 讃、珍、済、興、武は、対外だけに限らず、漢字の姓を与えてる豪族間でも
今の天皇として、漢語風王名を表意文字で名乗ってる、であろうと思うのですが・・・

記紀作者の知らない、そもそも無かった王名や諡号に比定するより、
実史に近づけると思うべなwww

863 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:40:47.43 .net
>>860
大変面白いと思います。

864 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:53:31.95 .net
香椎の語源が越であると言われるくらい、九州北部から日本海沿岸の、倭の原初の勢力は越だと思われる。
それがずっと東に追いやられ、出雲が勢力を持つのだけれど、その出雲も排除される。
豊国はもともと志賀島の綿津見神や大山祇だけれど、やはり東に追いやられる。小倉あたりで止まるのは筑紫の天孫族との姻戚関係が強かったからかと。
そして倭の中心地の博多湾、豊葦原中国には筑紫の王国、伊都国が成立した。

これで、日本海沿岸の国である倭の政治力学に従って西高東低に筑紫、豊国、出雲、越が並ぶ理由がわかる。
その序列に並ばずに、天孫族に代わって倭国天下=伊都を取ったのが、肥国王家の熊襲の卑弥呼なんだろう。

865 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:58:44.13 .net
日本海沿岸ではない大和は倭国の序列の枠外。
吉備や阿波などの瀬戸内海のアウトロー勢力にすら含まれず、ドロップアウト組が吹き溜まりをなしていたのが大和盆地。
それが天下の覇権を取るには、白村江の敗戦による国体の崩壊と、唐に取り入る狡猾さが必要だった。
律令制による全国支配の強化と同時に、記紀の編纂により7世紀以前の歴史を改竄し、邪魔な史書は焚書した。

866 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:00:55.15 .net
>>860
筑紫の地名命名の由来は最も遅くて 筑紫の君
247年邪馬台国平定なら、新領主=一大率=刺史 
が任命され氏姓を与えられた。
でもまあ、300年以降かと? ←根拠無し

これはだれか? 奴国王升米でも狗奴王卑弥弓呼でもOK。
記紀は何も知ってない唯の馬鹿。

問題は、大和朝廷が
東造扶桑游紫庭西至昆崙戲曾城
を 筑紫命名の それ以前に読んでいたかどうか?
が、歴史かと?

867 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:01:23.12 .net
>>865
>律令制による全国支配の強化と同時に、記紀の編纂により7世紀以前の歴史を改竄し、邪魔な史書は焚書した。

都合が悪い所に来るとこれだから、どうしたってトンデモの域を出ないんだよなぁ

868 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:07:49.12 .net
7世紀より前の文書がほぼ皆無で、8世紀初頭に禁書の詔勅が出ているのは事実だよ。

869 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:32:03.06 .net
>>868
>7世紀より前の文書がほぼ皆無で、8世紀初頭に禁書の詔勅が出ているのは事実だよ。

前にもどこかで聞いたけれど、
原典を調べたらただの拡大解釈=恣意的なご都合解釈だったように記憶してるんだが?

870 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:46:01.26 .net
400年以降で公文書
500年以降で仏教他、文、書、が残せたことは間違いない。

大和朝廷は白村江以降で南朝との対隋唐敵対の国交史を消し去っている。
当時の焚書は、どう考えても、王家断絶より簡単である。

聖徳太子の史書は本当に残ってないのかな? 
ある、に一票www
↑これは オイオイ。

871 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:23:23.39 .net
>>996の続き
また転写保存

国民の3割が、未だに、
「戦前の万世一系皇国史観」の安部文部省や右翼マスコミや、
キョクウの学会教育界の宣伝に騙されて躍らされて、
嘘つき騙しの大和説信者になったままである。

872 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:24:11.75 .net
>>859
ありがとう!

扶桑”の神话と
富士山信仰に、関係があるみたいで、

それが、《山海经》の中の
海外东经と大荒东经の2つの章に
かいてあるとのコメントみてからね。
きになっていた。
その章は、日本の地理などを
書いているとその人は言ってたなあ。

873 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:33:10.29 .net
>>860
扶桑国は、メキシコやと、いった
フランス人De.Guignesさんは、1761年に発表。

しかし、ドイツ人の
H.J.Klaproth1831年に、メキシコとか
ありえません。といってる。
扶桑国は、そだねー、多分
日本かサハリンの樺太島やなあと言ってた。
で、さらに時代は流れ、中国の
朱谦之(1941年,《扶桑国考证》)、
邓拓(《谁最早发现美洲》,1961)

などで、扶桑国と古代日本は、関係あると
発表し、賛同をえている。

874 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:34:43.58 .net
>>869
和銅元年正月(708年) の詔に「亡命山澤。挾藏禁書。百日不首。復罪如初。(禁書を隠し持って山野に逃亡している者は、100日以内に自首しなければ恩赦を与えない。)」とある、記紀以前に多くの史書があったんだ。

875 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:36:02.03 .net
結局、そのコメントを書いた人は、
扶桑国を日本に関係しているとしたら、
山海経が、実は一番最初に、
日本を詳しくかいたもんやから、
価値あるもんやね?といってる。

876 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 22:07:08.41 .net
帝氈iていしゅん)は、
上古の中国神話に登場する東方の天帝
(帝舜と同じといわれる殷の祖神)。
(太陽の女神)と
(月の女神)は帝氓フ妻である。

日本語ウィキには、書いてないんだが、
程俊が、黒歯をつくり、姜姓(部族 農の神)
をうみだした。その姜一族は、
山東省にいて、お歯黒だった。

877 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 22:22:51.64 .net
江南あたりから、東南に2000里に、
毛人のしまあるよと。
毛人に、ついての説明あって、背が低く、穴に住んで、多毛で、
羽衣の服をきているとあるな。

倭の表記につながるな。

《山海经》郭璞注说:
去临海(位于浙东)郡东南二千里,有毛人在大海州岛上。为人短小而体尽有毛,如猪熊,穴居,天衣服。

878 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 23:14:56.35 .net
>>874
禁書とはあるが史書とは書いてないぞ

879 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 23:21:10.80 .net
それ以外の何を禁ずるのでしょうか?

880 :くまモン論者:2018/08/22(水) 23:33:30.36 .net
>>863
どうもありがとう////

881 :くまモン論者:2018/08/22(水) 23:49:56.35 .net
>>866
日本書紀の天地開闢ところは淮南子のパクリで、神功皇后紀に魏志を記事を引用している事はもう調べはついている。

肝心の宋書と日本書紀はよくわからないorz

882 :くまモン論者:2018/08/22(水) 23:56:12.05 .net
>>872
よかった。
それより富士山信仰とか面白そうだぞおいwww

883 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:04:37.87 .net
>>879
禁書といえば魔導書

884 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:18:01.64 .net
扶桑、富士とK齿国

“富士山”、このことばは、fujisang
“扶桑”を中国読みしたら、fusangと似ているとし
(山海経における扶桑は、扶桑のウィキに
のってるので、見てほしい)
重要なのは、富士山のように太陽がのぼり、
日出づる国を、連想できること。
で、コメントには、
黒歯国の北側に、扶桑国があるとあり、
ほなら、黒歯国は、比定できるんかい?
と話をすすめていってる。

885 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:24:07.86 .net
>>881
>日本書紀の天地開闢ところは淮南子のパクリ

つうか、魏志倭人伝の東方世界観も淮南子が下敷きだろ?

886 :くまモン論者:2018/08/23(木) 00:26:27.58 .net
万葉集で大友旅人が竹林の七賢人のことを歌っているから、当時の知識人たちは晋書あたりはもう読んでそう。
となると晋書よりだいぶ前にできた宋書は当然読んでるとみたw

887 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:31:22.44 .net
それで、まず黒歯国とは、
なんぞや?と話をしてくれて、
せれは、周書・王会に、記載されている。
周成王のとき、黒歯国が、朝貢しにきて、
白鹿と白馬を献上しているとある。

鹿を献上することは、鹿を神の化身とか
その国の風俗文化を表している。
とコメントしている。

888 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:45:35.20 .net
山海経の海外東経の冒頭に書いてある
「海外とは、東南から東北に至るもの」
が、日本が、正にその方位の範囲に入ると
かいている。

889 :くまモン論者:2018/08/23(木) 00:49:27.14 .net
>>876
そういえば太公望呂尚は姜族だったな。

890 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:59:42.41 .net
>>889
魏志では、太伯さんの子孫だったが、
姜族は、それより前に山東省から、
渡り、日本のお歯黒文化を
作ったやないかと。身分をわけたり、
15歳超えたら、歯を黒くして、
嫁に行くとか。黒歯国も日本やないかと。
で、梁書・扶桑国に、扶桑国まで、
2万里とかいてるから、どこどこにあると
推測している。
魏志倭人伝が、12000里やから、
どこどこやと。

891 :くまモン論者:2018/08/23(木) 01:02:26.35 .net
>>885
淮南子時則訓での倭人伝万二千余里の根拠のところか。
そうかもしれんけど、九州説としては倭人伝ではっきりしてる対馬国から一大国の千余里をとるかな。
この二つの国だけは阿波さんも異論はなさそうだしw

892 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 01:11:14.01 .net
二万里は長里だと何もない太平洋上だが、短里だと畿内かもしれない。

893 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 01:12:24.34 .net
>>891
その人も九州説で、扶桑国は、
それから、さらに離れている。
で、富士山と関連あるんやいかと
考察。

そのあと、アイヌの名前由来や
大人国、毛人、偎人(委人と発音同じ)
などを説明している。

894 :くまモン論者:2018/08/23(木) 01:15:50.38 .net
>>890
倭国 から文身国 、大漢国 、扶桑国になる訳か。
大漢国から東に二万余里て遠すぎね?
よく読めてなかったらごめん

895 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 01:29:39.22 .net
>>894
まだ、考察途中で、わからない。
すみません。
ただ、コメントには、
アイヌ人を背が低く、多毛として、
捉えており、倭に通じるものとして、
捉えている。
19世紀のドイツ学者は、毛人をアイヌとして
捉えていた。
また、駐日大使だったライシャワーの
名著「日本人」にも、考察を
及ばせ、漸減的に、アイヌは、今や北海道2万人に、なったとかいている。

896 :くまモン論者:2018/08/23(木) 08:21:35.85 .net
>>895
古代の巨樹伝説は面白そうだな。
よろしく頼む!

897 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 08:40:05.00 .net
>>891
>淮南子時則訓

時則訓だけじゃなくて墬形訓も見ておいて

後漢書の「使驛所傳、極於此矣」は
「使譯の傳うる所、此に於いて極まる。」

この「極」が、淮南子: 時則訓 の「東方之極」の「極」なんだよ
要するに、情報が伝わってきた(得られた)ところはここが限界=「極」ってこと
その東方之極が萬二千里

黒歯国、裸国辺りは、魏使からの報告ではなく淮南子墬形訓の情報

淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「K齒民」、玄股民、毛民、勞民;

東の世界の端を南に行ったところに「黒歯國」があって、
南の世界の端を西へ行くところに「裸国」があるからね

そういう距離感なんだろう

898 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 09:07:02.16 .net
淮南子で長江河口部から東2万里は
倭人伝の里程で九州であってるし、そっから一万二千里は紀伊半島沖あたりです。

倭人伝九州南岸から南東一年行=12月行=24000里で小笠原
誰がそんな大航海時代みたいな? と、疑問でしたが
これの根拠が前漢でも淮南子に既にあったことが理解できます。

徐福の探検もあっち行っちゃったら漂流してるかもねw

899 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 11:35:49.59 .net
日本の富士山女神には、
著名神话がある。
富士山の神は、二人の白衣女神。
そのうちの一人は、最高大神
天照大神(北極星神)
で、有名な別称は、娥羲”(名叫大日灵贵)
で、それは、《山海经·大荒东经》のなかの
太陽神の羲娥”だと。名前入れ替えただけ。

さらには、もう一つの神は、“赫夜姬”,(かぐや姫)で、
八月十五日夜晚に、かんしている。
それも、中国神話の
著名な「嫦娥(羿の嫁さん)」と同じ月。
そのご、日本の月神になりました。


これらの山海経にかいてある文章を
紐解くと、日本と中国神話には、
名前、月、において、かなりの近似性あり。

900 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 11:39:41.87 .net
さらには、山海経は、日本海溝についても
記述していると
コメントかいている。
そやから、日本に関して、かいた記述やろと。
地質に関して、話された箇所は、
日本以外ありえないなと。つまりは、
海溝ある場所は、
日本の東側、太平洋上やから。

901 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 11:52:06.62 .net
大壑の漢字は、谷底を意味して、
文章には底がないよとかの
春秋時代の書籍の説明ある。
そして、辞典で、調べたら尾闾の
漢字は、扶桑国の東だよと
かいてある。

大荒东经》
中记有一则重要的地质结构资料,
说:东海之外有有一条“大壑”。

郭璞注引用汉代纬书指出:
“《诗含神雾》曰:东注无底之谷,谓此壑也。”

《列子·汤问》也记:
“渤海之东,不知其几亿万里,
有大壑焉。是为无底之谷,
其下无底,名曰归虚。
八纮九野之水,天汉之流,莫不注之。”

案“归虚”,在《庄子》书中则记作“尾闾”,
《庄子》郭象注云:
“尾闾,泄海水出外者也。
在百川之下,故称尾;
水聚簇之处,故称闾。”

《康熙字典》引《五音集韵》
:“尾闾在扶桑东。”

902 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 13:42:37.79 .net
>>901は、前に周髀算経がどうのって言ってた人かな?

あの後読んでみたけれど、結局は現代の知識で影の長さが1寸の差になるところを
計算して、子午線に沿って距離を測ると短里になるっていう、谷本茂氏と同じ計算を
してるだけだったよ

読む意味なかった

903 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 14:20:13.76 .net
>>902

周髀算経は、よく言われていたから、
重要度はそこやない。
淮南子にも、尺をかえて、
測ってた箇所あり、それも
計算していることなんよ。淮南子の
計算論文は、日本語で、見かけないからね。
それも短里になり、淮南子は、
古事記にも影響を与えているから、
そこの天文訓をよんで、
実践して、当時の倭人は、勉強
したんやないかという考察。
新しい視点は、淮南子の天文訓の
測り方。

904 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 14:36:35.89 .net
>>901 これって、 蒙古語とか?
てか、潜水艦は厨共とか、北朝鮮まで関係ない。
漢や魏の潜水艦、海底調査すんの?
山海経だと、海神族って、半魚人だったりするw
へぇ〜〜、すごいね。

905 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 14:37:00.34 .net
淮南子の天文訓には、下記の原文箇所あるから、1万2千里しかしらないわけないよな
と考察している。

为十万里,则天高也。若使景与表等,则高与远等也。

太阳每天行经九州、七舍,行程五亿万七千三百零九里,

906 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 17:32:44.63 .net
淮南子は、墬形訓、時則訓、天文訓等が、それぞれかなり独立してるからな
互いの整合性はあまり考えていないと思う

907 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 19:32:50.69 .net
淮南子 該当部分、読んできました。 ありがとうございます。 
魏志のような実際の紀行の可能性はほぼ無いんで、却下です。

梁書で・扶桑国が 2万里でした。
後漢書は430年で倭の五王の後。
梁書は600年代で遣唐使、裴世清よりあとだよ??

倭人情報が 邪馬台国と大和国で錯綜してます。
梁書は 記紀神話読んじゃって、それ前座のデタラメで混乱した風で面白いです。

来年の夏休みの宿題のテーマにします。 
♪ドン来い、チラ裏の皆様に感謝です。

時系列、時代背景を追って読むと、梁書は、
みんなと同じように 邪馬台国で何を間違えたかが推測出来て面白いんです。

扶桑国が倭国で日本国で九州で奈良 で、あっても整合性を取らなくて良いのが
馬鹿学者主導の、古代史、とか考古学なんだなwww

知ってた・・・ の、ような、発見のような・・・
倭人伝 評 は魏が初めて倭に 使譯 送ったって言ってないか?
♪ドン来いスレ、最高!

908 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 19:38:11.22 .net
>>907
>魏志のような実際の紀行の可能性はほぼ無いんで、却下です。

「女王國東、渡海千餘里、復有國、皆倭種。
 又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國、K齒國復在其東南、船行一年可至。
 參問倭地、絕在海中洲島之上、或絕或連、周旋可五千餘里。」

この部分の2行目を「実際の紀行」だと考えているんだったら、相当だぞ?

909 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 19:49:45.15 .net
>>908
又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。
又有裸國、K齒國復在其東南、船行一年可至

は、明らかに 張政、梯儁 の 記録ではないわけで
淮南子の記述では誰がこれを見たのかな?

參問倭地、絕在海中洲島之上、或絕或連、周旋可五千餘里

は、中国人の認識の巨大な倭国ではない、
九州の周回5千里の王が、女王国の卑弥呼でした。

247年以降、邪馬台国は三国志の中国統一には、屁の役に立ちません。
って、陳寿は『ちゃんと』書いてると思うよ。

910 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 20:03:30.51 .net
>>909
女王國東 渡海千餘里 復有國 皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺
去女王四千餘里 又有裸國 K齒國 復在其東南 船行一年可至
は、女王國東や去女王と書いてるから倭人からの情報だろ。

參問倭地 絕在海中洲島之上 或絕或連 周旋可五千餘里
こちらは參問と書いてるから倭人からの聞き取りであることは間違いないな。

911 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 20:23:33.09 .net
>>910
倭人からの情報?
まあ、黒曜石は神津島でも隠岐でも東北でも縄文海神は居る。

聞き取ることができる、使譯は 魏時の 張政、梯儁 である、
と書いてあるのが 陳寿の倭人伝なんだよ。

238年 の 梯儁の記録と
247年 の 張政の記録と

これが、皇帝の命で魏の軍船で行軍した将軍梯儁
郡の誤認調査Wで 倭人船に便乗した査察官の張政、

おまえら、これの行程は明らかに違う、って 判ってる?
倭人船は持衰の居る母港にかえる。 
伊都には港がある。張政は東南5百里歩かされた。

つまり、そういうことだろwww

912 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 20:31:53.20 .net
>>909
>九州の周回5千里の王が、女王国の卑弥呼でした。

周旋は、元の場所に戻ったり一周したりしない

五千里も進めば、相当遠くまで行けるよ

913 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 20:43:34.03 .net
>>910
>こちらは參問と書いてるから倭人からの聞き取りであることは間違いないな。

参問は、陳寿が大陸にいて参問するんだよ
倭人に聞く訳じゃない

914 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 20:45:32.55 .net
切り方がおかしいな

女王國東 渡海千餘里 復有國 皆倭種

又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里

又有裸國 K齒國 復在其東南 船行一年可至 參問倭地 絕在海中洲島之上 或絕或連 周旋可五千餘里

だね

915 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 21:18:03.44 .net
>>914
裸國 K齒國 が同じ場所なのかか?
倭人伝は文節の切り方がすべて。

淮南子以降の伝説ミヤマの女王宮から4千里は、
張政も梯儁も行ってないんで、地図上の小人伝説の種子島かもしれない、
でも、鹿児島から東南船行一年が 小笠原以外には読めない。

山海経や淮南子、ググって読んだけど
句読点有るのか? ワロス。

916 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 21:35:23.70 .net
帯方郡を出て
4千里で韓を過ぎ、南岸3千里を東に向かい 
狗邪韓國(巨済島以外有るのか?)

対馬海峡を 対馬、壱岐、九州北岸で
渡海、各千里で三千里

伊都には港が有るが、張政は5百里歩いた。
梯儁は博多湾岸の、伊都の港に上陸に決まってんだろ?

王対王 の 交流に検閲なんて、有るのかよ?
卑弥呼は雑魚。

917 :くまモン論者:2018/08/23(木) 21:43:14.15 .net
>>897
そっちも見てくるわサンクス
帯方郡だったり、楽浪郡だったり万二千里がアバウトなのはわかる

918 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 21:46:48.71 .net
博多に行くなら博多湾の入り口の糸島に。
佐賀に行くなら唐津に行くのが正しいルートだね。

919 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 21:50:43.46 .net
>>915
そこは、小笠原やないよ。みんな陥るが、
梁書は、書き換えてるよ。
やはり、魏志は、宋時代に、
一度清書されなおされとるんかな。

其南有侏儒國
人長三四尺
又南K齒國 裸國
去倭四千餘里
船行可一年至
― 『梁書』
卷五十四 列傳第四十八 諸夷傳 東夷条 倭[13]

920 :くまモン論者:2018/08/23(木) 21:50:56.82 .net
>>899
天照大神の元ネタは羲和だと思うんだけどどうだろう?

921 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 21:51:53.63 .net
東南とは、かいてないから、
南、南、と二回でて、
梁書は、説明おわりだわさ。

922 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 21:53:09.42 .net
梁書はダメだよ
著者の勝手解釈がヒドすぎる

923 :くまモン論者:2018/08/23(木) 21:56:49.03 .net
>>901
大壑って湯谷上有扶桑の湯谷に関係あんの?

924 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 21:56:53.38 .net
>>920
中国の古代神話は、三足烏とかも
八咫烏かな?とおもうような繋がりあるしなあ。天照、月読なども、可能性ありそうだよなあ。

925 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 22:00:04.94 .net
>>923
そうなんよなあ。
コメントに、
郭璞说:“汤谷,谷中水热也。”

《大荒东经》
:“汤谷”别名“温源谷”――温源即温泉。

温泉表記もあるんよなあ。

926 :くまモン論者:2018/08/23(木) 22:03:56.94 .net
>>924
扶桑の神樹のとこにいたんだから三足烏は八咫烏にされとるな

927 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 22:09:50.05 .net
>>926
コメントは、扶桑国は、日本を表していて、
fusanと発音し、富士山の女神もつながり、
仙人がすんでいたんではと。
徐福はそこに行きたかったんやないかと。
扶桑は、万木のもとやし、樹海も
今と変わらんやろうし。

で、日本海溝は、扶桑国の東にあると
いってるよ。

928 :くまモン論者:2018/08/23(木) 22:18:51.10 .net
>>907
史記はどうかな?
陳寿は史記にある東方の三神山を意識してた事はないのかな?
例えば伊都国あたりを蓬莱山、水行二十日の投馬国が方丈山、水行十日、陸行一ト月が邪馬台国。倭国は三つの神山があるみたいな、、←ダメだこりゃ

929 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 22:19:49.14 .net
太陽に関係する丹水ってでるんだが、
それは、赤ベニ色で、流れるので、
溶岩だろうと。
(富士山は、活火山やから1700年はじめ噴火)
で、そこには、“丹丘”,があり、
その上に、“羽人”がいる。それを
仙人としたんやないかと。

山海经》中与太阳有关的“丹水”,应当是指赤红、流动、沸腾的火山岩浆流。

930 :くまモン論者:2018/08/23(木) 22:31:48.20 .net
>>925
温泉かー。
やっぱり火山大国 日本列島のことだね

931 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 22:50:12.20 .net
>>930
そう思う。扶桑国は、
ひょっとしたら、紀伊半島から
東側かな。
こんな文章もあるなあ。
熊野と「金烏」(きんう:三本足のカラスであり太陽のこと)の縁はまことに深い。
太陽樹・扶桑のある所を湯谷(ようこく)と
言うが、不思議なことにわが国の能の一つに
「湯谷」(ゆや)というものがあり、
これは「熊野」とも書き、これで「ゆや」と読むのだ。

932 :くまモン論者:2018/08/24(金) 10:06:05.80 .net
>>931
湯屋じゃねえよな、湯谷だよな。
三足鳥や八咫烏もいることだし

933 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 10:06:27.38 .net
>>928
|∩`Д´) / '⌒☆
【段落9 おまけ】
評曰 史 漢著朝鮮両越 東京撰録西羌
魏世 匈奴遂衰 更有 烏丸鮮卑 爰及 東夷
使譯時通 記述隨事 豈常也哉

前漢の史記漢書は朝鮮両越を記録。 後漢は西羌を記録した。
魏世においては、匈奴遂衰 更有 烏丸鮮卑 爰及 東夷 なので
使譯 を派遣して それを隨事に記述した。 豈常也哉!

陳寿君は、中華思想や神仙、儒教より 漢による辺境調査記録や
実際に魏が調査探検した2回の使譯のそのままの記録を評価している。
で、後に、実際陳寿はそういう野郎だ、って評価を受ける。
♪蟻のぉ〜 儘のぉ〜

朝鮮進駐したその年に、帯方郡によって、
倭王として皇帝に取り次いだ邪馬台国女王卑弥呼は
調査の結果、大倭国の大女王ではありませんでした。 テヘペロ
って、陳寿君は倭人伝で、正直に書いちゃってます。
♪困っちゃうなぁ〜www

934 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 10:55:45.63 .net
>>929
>太陽に関係する丹水ってでるんだが、

山海經、目を通してきましたが、丹木が何を意味するのかはよく分からないですね。
山海經で「丹」を検索すると、丹木の他には、丹粟、丹水、丹火と出てきます。
このうち丹火は、単に「赤い」火のようです。
丹水は、丹火と同じように「赤い」水ですね。
そして丹粟は、朱砂の別名で、粟粒に様に細かくなった丹(硫化水銀)ですね。
丹粟とセットで出てくる丹水もあり、丹粟を含んだ赤い水を指しているのかもしれません。
丹木が出ているところを見ると
又西北四百二十里,曰峚山,其上多丹木,員葉而赤莖,黃華而赤實,其味如飴,食之不饑。
丹水出焉,西流注于稷澤,其中多白玉。是有玉膏,其原沸沸湯湯,黃帝是食是饗。
是生玄玉。玉膏所出,以灌丹木,丹木五歲,五色乃清,五味乃馨。
となっていて、赤い茎赤い実と書いてあるのを見ると、要は赤い(丹色の)木なのでしょうが、
実の味が飴の如しとか、丹水が近くに出ていたりとか、五歳、五色の清、五味の馨、玉膏、黃帝是食是饗など、
神仙郷に近い表現になっていて、具体的な何かの木を表すものではなさそうです。
この文章、山海經の西山經・峚山の描写で、東夷のことではありません。

935 :くまモン論者:2018/08/24(金) 12:08:07.79 .net
エルサかよ!!!!!w

936 :くまモン論者:2018/08/24(金) 12:11:18.43 .net
>>933
なるほどさすが陳寿君
使訳によって時に通じ、事に随い記録したか。
豈常也哉!!!!!!

937 :氷の女王@名無し:2018/08/24(金) 19:34:15.24 .net
>>11
スレが凍り付いとるな・・・

エサを変えるしかない、潮時か?
(⌒▽⌒)o/ ̄ ̄ ̄~ ⌒。チャポン!!

>>2  【張政の行程】
邪馬台国論争の諸々見ると、
末羅国が呼子になってる場合が多いと思うんですが、なんでですか? 秀吉?

伊都国から北西500里で、本当は伊都国にも港は有る。
張政の便乗した倭人船の母港だか、潮待ち占いの持衰を置いた港でしょ?

考古学史料も大分充実してきてるわけで、
唐津以西は卑弥呼の勢力圏じゃない可能性もあるけど、どうよ?
呼子に卑弥呼の鏡の軍事港都市遺跡でも出た?

伊都国は、今津湾、今宿港で 早良、福岡平野西山麓
末羅港は糸島北岸、芥屋浜かと思うんだけど、おかしいかな?


938 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 19:46:29.13 .net
持衰が船に同乗したとかいうアホがいるけど、港町で待機に決まってるわな

939 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 20:18:02.21 .net
>>938
>持衰が船に同乗したというアホ

其行來 渡海 詣中國 恒使一人 
不梳頭 不去蟣蝨 衣服垢汚 不食 肉 不近婦人 如喪人 名之為持衰 
若行者吉善共顧 其生口財物 
若有 疾病遭暴害便欲殺 之謂其持衰不謹

船に同乗して、遭難の責任は取れないに決まってるんですが?

<ソースを書きなさい!
|∩`Д´) / '⌒☆
< ヤダヤダー!!

940 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 20:40:32.74 .net
この 持衰 については 極めて重要な 情報源の推測 が可能です。
中国人で、これを見る可能性が有るのは、
倭人船に便乗で、邪馬台国の査察に来た、張政だけです。

陳寿は東夷伝序文でも倭人伝評でも、
倭国に渡った使譯は、極めて貴重と評価しています。

漢時の情報は、黒曜石以来の縄文海神がもたらした倭人側渡来情報なのでは?
漢の倭奴国王 は 魏の女王国 に含まれる、九州の相当の小国だよなw

941 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 20:41:16.81 .net
>>939
読解力が無いのかな?
自分が批判されてるとか思っちゃった?

942 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 20:55:40.14 .net
>>941
思ってないw 誰 じゃなくて、
推論に対する批判 の理由を求めてます。
先生のレスは、当然、批判のうちに入っていません。

考古学の推論は決して結果を伴わない。
という、鉄則はこのスレの諸先生から学び、理解してます。
ご教示、ありがとう、ネ。

943 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 22:03:40.38 .net
>>931
>扶桑国は、ひょっとしたら、紀伊半島から東側かな。

扶桑国は播磨國(兵庫県西部)のことである。
 
梁書諸蕃夷扶桑國伝
扶桑国は、大漢國(梁の都 建康(南京)) の東2万余里(1500km)にあり、
金銀銅が豊富に産出するが鉄は産出しない。播磨地域の特徴。
又扶桑国の王は乙ケ(億計 仁賢天皇)である。仁賢天皇は播磨國出身。

944 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 22:24:13.11 .net
播磨の金銀銅は熱水鉱床から採れる。

945 :宇野壽倫「クソ関東連合っ!!テメエらまとめてブチ殺すっ!!」:2018/08/24(金) 22:35:21.14 .net
宇野壽倫(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室)の挑発
宇野壽倫「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)

946 :くまモン論者:2018/08/25(土) 02:13:24.76 .net
改行等に問題が有ればご指摘ください。
弟子@名無史が対応しますw

947 :くまモン論者:2018/08/25(土) 02:15:50.92 .net
寝ぼけとるな

948 :くまモン論者:2018/08/25(土) 02:17:59.85 .net
>>938
ふぁ?!?
船に乗ってたんじゃないのか

949 :くまモン論者:2018/08/25(土) 02:21:34.27 .net
>>940
弟子ちゃん 漢時の情報ってなに?

950 :くまモン論者:2018/08/25(土) 02:29:40.22 .net
万葉集にこんな歌があった。

梳毛見自 屋中毛波可自 久佐麻久良 多婢由久伎美乎 伊波布等毛比氐

櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅行く君を 斎ふと思いて

櫛も手にせず 家の中も掃かないでおきましょう 草枕 旅行く君を 慎み祝おうと思って

これは天平勝宝四(752)年閏三月に、衛門督大伴古慈悲宿禰の家で入唐副使大伴胡麻呂宿禰等に 餞 をする際に詠まれた歌で、大伴宿禰村上と大伴清継らが伝誦したものである。作者は不明で、送別の席で無事を祈った歌。
この歌からは櫛を使って髪を梳かないこと、家を掃除しないことであたかも時間を止めたようにすることが、旅をしている人の無事を祈る行為として認識されていたんやね。
倭人伝持衰の髪を梳かず 虱 も払わず、衣服は垢のついたまま、肉食をせず、女性に近づかず、あたかも服喪中のように過ごし続けるという感じはなんだか似てる希ガス

951 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 09:02:12.83 .net
>>949
淮南子 山海経のイメージだったけど
歴史として厳正な倭人伝だと漢の倭奴国、帥升情報とかの出展
興味をそそるのは、太伯を知ってる謎の倭人と刺青の考察のソースかな?

>>5 の、情報のソースはいろいろみたいだけど
倭人の服や刺青のイメージは縄文人のような?

卑弥呼とかは、弥生渡来人って気がするんだけど、
土器厨先生とかは、服飾とか笊と手で飯喰うとか、どうすんのかな?
東夷伝序文の 俎豆之象 存中國 は、倭人には無し、だったりねw
金印の57年から卑弥呼の190年辺りまではあまり変わらなかったように思う。

現実的に日本統一王朝時代=古墳時代に入るのは、
魏と邪馬台国の外交が終了する、248年以降wなんじゃないのかな。 
日本史 古墳時代の始まり 247年 本州勢力、九州筑紫平定

952 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 09:12:18.43 .net
そうやね
卑弥呼や、卑弥呼と仲の良かった伊都国人は百済からの渡来人

953 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 09:52:48.60 .net
大和の天皇家が百済の親戚なんだけど?

954 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 10:07:05.32 .net
>>952
くだらない。 って言わせたいだけだろwww

246年、郡に馬韓の王朝滅ぼされて、以降、馬韓と辰韓に王は無くなってる。

313年高句麗が四郡を制圧してから、日本が馬韓辰韓を後援、傀儡化して
王政復古して四郡地域を奪回したから、百済と新羅が350年以降建国できたんだよ。

なんか、歴史は繰り返してるなwww
で、古代韓にちなんで、大日本帝国が大韓帝国を独立させた。

朝鮮は中華の属国。 日本は韓の建国の父 なんだけどな。
戦後レジームの都合で、韓は日本の兄の国とか言わせてんだろwww

ホントの事 ♪ありのままにぃ〜 
言うとスレが凍っちゃうから嫌なんだけど・・・

そう、またなんだ・・・(バーボンaa略
↓妖怪w

955 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 10:36:51.44 .net
↑ひどい捏造史観

956 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 11:08:15.63 .net
>>955
真実だよ

957 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 11:57:38.96 .net
大和のヤマトは、
渡来百済人が建てた九州・大倭ヤマタイの訛れるなり

958 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 12:05:12.35 .net
>>957
>九州・大倭ヤマタイ

それ、どこにあるの?

959 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 12:28:25.62 .net
>>958
行き方は、倭人伝に書いてある。そのまんま南へどうぞ

960 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 12:40:40.29 .net
狗奴国の「狗(又は久)」は、東夷の高麗人の卑称
邪馬台国の「邪」は、東夷の百済人の卑称ではないかと思うな。

961 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 13:21:12.76 .net
>>960
狗奴国も邪馬台国も皇帝の命で卑弥呼への金印紫綬の為に
中国人として初めて卑弥呼の王宮を見た梯儁によって漢字をあてられた漢字名であって
それが実際に通用したって歴史は、古代中國史書の世界意外には存在しえないんだよ。

百済人の卑称って、邪馬台国の命名は240年で、百済の建国は350年だし。
どういう捏造史韓だと、そういう時系列で、話が通用する世界になるんだ?
日本の考古学者の歴史みたいな馬鹿っぷりだぞ。

962 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 13:32:18.50 .net
当時の半島は、なかなかおもしろそうだな
ついでにあれだが、百済人は以前からそのあたりに住んでいた種族で、それが、350年にやっと建国したんだろ。
百済人(百済種族)と百済国(百済建国)はやや意味合いをことにするというオレ様認識なんだけど。

963 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:00:17.55 .net
350年ということは、大和の天皇歴を120年繰り下げて考えれば、
神功皇后の韓征伐のころに当たるか、、、、ふむふむ。

964 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:04:13.05 .net
時系列というのがあるんだけど、
それがデタラメだという話

965 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:04:55.72 .net
神功=ゴキブリ、朝鮮人だという話とか

966 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:08:04.79 .net
他のスレにも書いている事なんだけど、
お前達の名前は?

967 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:13:05.98 .net
ちゃんと調べてみたの?
倭人と新羅?同じ民族だと言ってる人がいて

ゴキブリ決定

968 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:15:15.46 .net
ネットなでも有名な話(ネタ)


ゴキブリの画像(aa)など・・・朝鮮ゴキブリという意味

969 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:21:17.17 .net
>>963
韓征伐って言ったって、三国志は
238年に、魏が楽浪帯方に進駐して
245年から韓と紛争はじめて246年漢王朝滅びるわけで
日本の出番、ないんだけど・・・

倭人伝は、この245年に郡が、
詔賜倭難升米黄幢 檄 で日本の参戦を求めたのに
戦争終わった 247年に 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状
って、屁タレな言い訳したから、張政が査察に来た。

って、話で合って、
韓征伐なんて、全然御呼び出ないのが邪馬台国ですが?

ちなみに、漢四郡を追い出した高句麗は
晋自体ぐちゃぐちゃってこともあるけど 350年代には
征東大将軍・営州刺史・楽浪公として冊封された。

邪馬台国が韓征伐したら、朝鮮刺史 で中国貴族だったかもね。
大和朝廷は逆に、百済新羅をあと押しして、高句麗を叩くことで富国強兵に成功している。

邪馬台国が、畿内だの、阿波だのってのは、
倭人伝だけじゃなくて、全然、三国志みたいな歴史が読めてないと思うよ。

970 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:22:08.31 .net
おっと、>>960は、間違いかもしれぬ
狗奴国の「狗(又は久、弓)」は、東夷の(高麗人→)新羅人の卑称
邪馬台国の「邪」は、東夷の百済人の卑称ではないかと思うな。

971 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:24:37.62 .net
神功などの本当の名前?おかしな名前でしょ?

中華、日本的でもないし、どこかの部族?

972 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:28:25.23 .net
『倭猿』

画像を検索してみたほうが良い、グーグルで検索

973 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:29:16.01 .net
>>959
>行き方は、倭人伝に書いてある。そのまんま南へどうぞ

つまり決められるだけの根拠はないんだね

974 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:29:16.13 .net
>>969
>245年から韓と紛争はじめて246年漢王朝滅びるわけで
>日本の出番、ないんだけど・・・

だから、神功皇后の在位201〜269の中ほどを、120年繰り下げれば350年ころになる
実際の韓征伐はそのころだったのでは、と言いたいわけさ、

975 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:32:08.98 .net
なぜゴキブリが嫌いなのか?
という話にもなってくるんだけど

976 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:33:28.11 .net
百済はもとからそこにいた民族ではなく、扶余の一部が流れてきて成立した国だよ。
だから王の姓は扶余。

977 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:37:02.65 .net
変なのが湧いて出てるな

978 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:40:52.91 .net
オキナガタラシヒメは、おきながヒメの伝承と、オオタラシヒメの伝承に分けられるらしい
オキナガヒメは気長(息長)氏の伝承、オオタラシヒメは九州の方の伝承だそうだ

979 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:51:24.98 .net
その扶余の一部が流れついでに倭まで流れ来て、
九州・大倭ヤマタイになり、さらに流れて大和ヤマトになり、
神功皇后の350年ころ、反転して韓征伐へに向かい、百済建国を助けた・・・

980 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 14:58:15.09 .net
計算も出来ないのか?と言ってる人がいたんだけど、
どういう事だと思う

いつの時代の話なのか知らないけど、
朝鮮人は数学、漢字(文字)の読み書き?も出来ないとか

981 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 15:06:02.58 .net
>>974
そうだね、そっち方向は歴史と整合する。
韓は征伐じゃなくてあっさり平定して一緒に高句麗戦始めてるけどね。

あと、ゴキブリは古代から居てもw神功皇后ってのは十中八九無いんで、
前後の天皇名も無理で、記紀には、派遣した将軍の名前が有ったと思うんだけど
そっちから、掘り下げる方がなんか出るかも。

記紀バカにしちゃってて、詳しくなくて、スマソ。

982 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 17:19:38.49 .net
>>981
>記紀バカにしちゃってて、詳しくなくて、スマソ。

教養として読んでおけば?
史実として読む必要はないけれど

983 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 17:42:22.80 .net
>>982
うん、ありがとう。
このスレで、スサノオがどうたら何とか姫がどうたら
って やってんの見ると、馬鹿に見えて仕方なくて
どうしてもまじめに勉強する気になれなかったんだ。

九州関係は一通りは、見たけど却下も多いし・・・
教えてもらって ありがたかったのは確かだけど、
話の方向が、頓珍漢になって、あんまり深く相手したくなかったし・・・

984 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 17:52:38.54 .net
仁徳王朝が、鳥の名前が多いとか、読んでみると「面白い」ことは確かだよ

史実として読む必要はないけれどね

985 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 18:25:27.76 .net
>>984
ありがとうございます。
倭の五王時代400年から500年を
倭王名の 讃、珍、済、興、武
のままの時系列で、記紀との整合性を拾ってみたいと思っています。

500年以降の記紀は、磐井の乱とか百済との関係とか
割とまともな歴史の話が書いてあるみたいだし。

記紀が倭の五王を削除してるのは、
隋の建国まで半島利権で南朝に加担してたからでしょ。 

海戦の名目で返したら逃げちゃった百済の皇太子www
ほぼ日本のの貴族だったし、白村江で戦争しないと収まらなかったと思うな。

この頃の朝廷? 五経博士みたいのを取り込んでたとしても、
対外戦争知らなかった日本に、外交や軍事センス有りすぎなんだよな。
聖徳太子の馬子もだけど大伴氏とか物部氏に三国志の軍師みたいの居たかな?

986 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 18:28:39.25 .net
>>985
>記紀が倭の五王を削除してるのは、
>隋の建国まで半島利権で南朝に加担してたからでしょ。

雄略天皇紀には、遣呉使が載ってるよ
遣呉使という名詞は使っていないけれどね

読んでみて

987 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 18:56:41.43 .net
>>985
ヒント 日本ではなく倭国

988 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 18:57:20.71 .net
>>986
記紀、それ以前の史書は絶対ありましたね。感謝。
聖徳太子の国記、天皇記は当然ですが。

あまえて、質問しちゃいますが
倭王武は最も強硬外交だったように思いますが、
480〜500年は確実として、この実年代の王の古墳ってどれでしょう?

宮内庁とか既に文書見つけてれば良いのにねw 焚書継続中とかwww
王の文書なんて、半島じゃなくてももっと前から有るんだけど。

九州の卑弥呼なんてどーでも良いじゃんw 
考古学者って馬鹿なの? 
一応小声で・・・ m(._.)m

989 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 19:32:36.90 .net
雄略天皇の真陵は難しいんだ

一応の治定は丹比高鷲原陵だけれど、大王扱いの雄略陵とするには小さいと思う

人によっては、河内大塚山古墳を推す人もいるけれど
河内大塚山は安閑天皇だという人もいる

いずれにしても、百舌鳥古墳群か古市古墳群の大古墳うちの
いずれかではあるはずだけれど

990 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 19:36:37.07 .net
>>987
倭国っていうのは中国から見た日本の全体像。

>倭人在帶方東南大海之中 日本列島です。
昔は百国以上あると言われてます。

梯儁が卑弥呼の砦を見て邪馬台国と命名した
九州北部福岡筑紫平野の周回5千里の女王国を九州倭国、
本州を含む日本列島を大倭、倭国と言うのは、間抜けだと思います。

倭人伝、後漢書でも、邪馬台国の人口は7万戸で
女王国の南の境界が女王の居所なので これ混同してますが、
後漢書の漢時の倭奴国=卑弥呼の女王国で、
梯儁の命名した 邪馬台国は 女王の城柵、砦、楼閣をランドマークとする、
九州北部21国 周回5千里で 7万戸の漢時の倭奴国の別の国名では?

投馬国は半島南岸の倭人国で不属女王国5万戸以外有りません。
この時、背景にある 日本を中国人が知らないのは確かです。

991 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 19:37:34.38 .net
>>988
http://blog-imgs-70.f c2.com/a/t/a/atamatote/kofun_hensen.jpg
http://www.city.fujiidera.lg.jp/material/images/group/9/60023418.jpg
http://blog-imgs-70.f c2.com/a/t/a/atamatote/mozufuruichi.gif

この辺の図を参考にして、自分なりに探してみるのも面白いかも

NGワードに引っかかるから、fとcの間にスペース入れてるよ

992 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 19:38:04.29 .net
中国人のほうが、むかーしから住んでいるんだけど、
カッパ?河伯でしょ

993 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 19:40:51.65 .net
『松傾』?
このような名前の家なんだけど、
キュウリのような葉、葱の華などが写っていたり

中華だと言ってる人がいたような?
新しく来たばかりだとか、自分の都合に良いように解釈してる?

994 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 19:46:27.29 .net
>>989
ありがとうございます。
発掘記録が有るのか? ですが勉強します。

ちなみに400年以降で古墳から文書出ないっておかしくないですかね?
北朝鮮の漢四郡とか戸籍簿出てるとかw 何やってんだか?

995 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 19:48:09.14 .net
キュウリのような葉、葱の華・・・・、
ちなみに住んでいたのは東北のほうだよ

996 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 19:54:57.11 .net
>>991
感謝です。

梅妖怪 大漁www
おぉら掛かったぁ!!(ガーン!ホネジャン!!
( ; ̄□ ̄)o/ ̄ ̄ ̄ ̄〜>゚)++++<<


997 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 20:09:01.46 .net
708年の禁書でそれ以前の歴史書は失われ、都合よく改変した記紀だけが残されたのですよ。

998 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 21:13:10.04 .net
>>997
だから、400〜700の古墳から
個人一代の記録でも良いわけで 
出るでしょ。

999 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 21:17:15.32 .net
じゃあ、ヒント
倭王 讃、珍、済、興、武
には、古墳が有るし、文書は残せた。
考古学も仕事すりゃいいんだよ。

1000 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 21:38:12.15 .net
このスレも最後少し変なのが湧いてますごこれで終わりですね
では、新スレで会いましょう

クマモン信者さんの自スレ
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/history/1535130067/

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
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