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♪邪馬台国ドンと来い!♪139
- 1 :くまモン論者:2018/08/11(土) 00:22:50.67 .net
- /.: : : : : : : .ヽ
R: : : :. : pq: :i}
|:.i} : : : :_{: :.レ′
ノr┴-<」: :j| <ソースを書きなさい!
/:r仁ニ= ノ:.ノ|! _
/:/ = /: :/ }! |〕) コツン
{;ハ__,イ: :f | /´
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仁二ニ_‐-イ | | ∩`Д´)
| l i 厂  ̄ニニ¬ ノ ⊂ノ < ヤダヤダー!!
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└-' ̄. | |_二二._」」__ノ
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
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♪邪馬台国ドンと来い!♪138
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- 807 :くまモン論者:2018/08/21(火) 18:38:08.88 .net
- >>801
淀姫さんが卑弥呼になんのね。
阿蘇の乙姫はどう思う?
- 808 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:45:25.19 .net
- いや、淀姫さんは壹與。
その名の通り。
どうせ二人は親族だから似たようなものだけど。
乙姫さんは親戚だけど、中国には名前が知られずに終わった。
他にも九州には女性首長は無数にいるし。
- 809 :くまモン論者:2018/08/21(火) 18:53:28.09 .net
- そこをなんとか!!
親戚なら脈はありそうだなw
- 810 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 18:57:38.89 .net
- 狗奴国も、本来は倭国の一部なのでしょう。
王位を巡って反目したくらいの話で、異国ではない。
だから、次の代の壹與では一つにまとまったのでは?という話。
少なくとも、熊襲梟帥の伝承は福岡と佐賀なので、熊襲を必要以上に南に想定する必要もなし。
熊襲は邪馬台国王家の王の名前でよろしいかと。
- 811 :くまモン論者:2018/08/21(火) 19:13:43.08 .net
- >>810
だよな。
仲哀天皇も橿日宮(香椎)で熊襲の矢に当たり死んだいう話もあるぐらいだからな。
- 812 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 19:15:08.93 .net
- 熊襲というのは景行天皇記で初めて出てくるまつろわぬ一族と思っていたけど、
それでいいのかなあ
だとすれば、
景行天皇は邪馬台国東遷後の筑紫倭王で、熊襲なる一族は、じつは邪馬台勢力の残党だったということが考えられるのでね。
- 813 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 19:51:01.07 .net
- で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓はどれ?
- 814 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 20:50:58.60 .net
- 景行天皇の時代の筑紫女王は、景行天皇と共闘した神夏磯姫。
榊に八咫の鏡など三種の神器を掲げて登場し、筑紫の梟帥の称号が与えられている。
その年代は、神功皇后の二世代前とすると4世紀はじめ、つまり卑弥呼の死後60〜70年後くらいのことになる。
筑紫梟師や熊襲梟師などの梟帥も倭王の称号の一つだったのだろう。
- 815 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 20:53:53.81 .net
- 景行天皇は時代が下ることになるが、
博多〜八幡あたりを地盤とした昔の倭奴国勢力の流れとみて、
お墓もその地域内にあるのではないか。(なお、必ずしも前方後円墳ではなかろ)
- 816 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 20:58:29.24 .net
- で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓はどれ?
- 817 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 21:06:29.22 .net
- 景行天皇が都と定めた豊前国京都郡(福岡県行橋市)にあるだろう。
景行天皇は九州の外から来たから、本来の倭王宗家の人物ではないはず。
- 818 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 22:52:33.63 .net
- >>817
>景行天皇が都と定めた豊前国京都郡(福岡県行橋市)にあるだろう。
で、九州倭国とやらでの、景行天皇の墳墓は「具体的には」どれ?
- 819 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 22:54:20.08 .net
- 古墳時代で、九州でも各地域の盟主墓が前方後円墳として造営されている状況下で、
倭王の「大王墓がない」ってどういうことなのかな?
- 820 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 23:04:20.22 .net
- どうでもいいだろ。
金印と八咫の鏡があれば。
- 821 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 06:46:56.64 .net
- >>820
それも無いので九州はダメだな
- 822 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 08:19:35.51 .net
- 要するに景行天皇記は
九州にあった「倭国」の実力者たちによる九州島の再建・再編・再統一の物語
- 823 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 09:50:29.92 .net
- >>796 >>799
神功皇后記の238から266の邪馬台国の朝貢は
三国志読んだ記紀の著者が神功皇后の事績に付け足しただけ。
266は、事実自体が曖昧。 半島倭人国は存続してるし、九州でもいいけど
邪馬台国以外または分裂後の倭人海洋国が、新皇帝に国交を求めたのでは?
神功−卑弥呼壱与との時系列も 倭人伝によって
記紀になる、朝廷系王朝は未成立〜成立期、魏外交も無理。
神功皇后記 事績と西暦 東夷状況
346近肖古王百済建国 356奈勿王新羅建国 これを保護、後援して、
355 に、征東大将軍 営州刺史 楽浪王 となった高句麗を
楽浪帯方から追討している。
倭の五王はこの時の高句麗冊封を知り半島利権を求めた外交。
神功皇后は 366〜369で 将軍を派遣し新羅百済戦争に介入
神功皇后記自体ラノベだが、238年に大和朝廷の女王は居ないんでないかな?
- 824 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 09:52:02.76 .net
- 神イサオ?
実在しないと書いてあるはず、
そろそろ頭の病院に行ったほうが良い
- 825 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 09:53:22.71 .net
- 日本でも有名な妖怪(神?)
というのは実在している
- 826 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:00:26.76 .net
- 時系列?(年代などの意味らしい)がデテラメだという話
- 827 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:06:05.81 .net
- >>823
神功皇后紀に付け足したのは三国史記の記事の方じゃね
- 828 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:12:17.94 .net
- これも凄い話、
神功(いさお)が実在しないという事は、
神功(いさお)以前も実在しないという事になるでしょ?
その子供(子孫や末裔)も実在しない
- 829 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:27:32.63 .net
- 実在していても良いけど、
朝鮮人だと書いてあるはず、書いてない?
- 830 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:32:23.36 .net
- 百済というのは、むかーしの中華〜ロシア、書いてあるはず
- 831 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:36:42.44 .net
- ネットで調べてみた?良いことを言ってる人がいる
>また、倭人、倭ですが、これは蔑称で中国や韓国が日本を軽蔑しているのです。
↓これは逆
>倭乱の乱とは巨下が君主に対して暴力を振るう事なんですよ。
>神功皇后により三韓が日本の版図であったなら朝鮮征伐が正しいんですから。
- 832 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:44:11.13 .net
- 『ボーボボ 田ぼ』
木ノ下大八というキャラが出て来るんだけど、
あんた誰?みたいな事を言っていたり
- 833 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 10:55:45.34 .net
- 「神」は「くま」とも読むそうな
熊襲は、神祖の卑字書き換えだったのかもしれぬ
- 834 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:35:43.60 .net
- >>823
日本語がわかりにくい。
- 835 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:37:38.12 .net
- 熊は部族のトーテムじゃないかな。
鷲、鰐、鯰などもそうだろうな。
- 836 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:53:53.27 .net
- >>835
でも日本はあまりトーテムを重視していない文化のように思うんだが?
- 837 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 13:06:53.91 .net
- >>819
>倭王の「大王墓がない」ってどういうことなのかな?
結局九州説は、九州王朝が古墳時代にも存続していたというしかないのだが、
九州には大王墓級の古墳が一つもない
そして、倭王武の上表文の「東征毛人五十五國『西服衆夷六十六國』渡平海北九十五國」が
うまく説明できなくなる
倭の五王の時代に九州王朝がないのなら、卑弥呼の時代にも九州王朝はないと考えるのがもっとも
尤度が高い
- 838 :くまモン論者:2018/08/22(水) 13:31:12.59 .net
- >>823
266年には卑弥呼はいないはずだもんな。
ここは台与のはず。
しかし266年の朝貢は台与の女王から10年以上経ってる。
台与じゃなくて倭人海洋国?の可能性もあるのねw
神功皇后がいたならば七支刀も銘文をどう読むのかだな。
晋の泰始四年(268年)か東晋の太和四年(369年)
- 839 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 14:02:02.38 .net
- 七支刀が268年か369年か と言うのは、まじめな議論だったのかな?
三国志韓伝によれば、張政来日の247年には馬韓の韓王朝は滅亡してる。
その後、馬韓辰韓には漢四郡撤退付近まで王は無い。
346近肖古王百済建国 356奈勿王新羅建国
この建国前後で、日本の王が漢四郡地域の高句麗追討に尽力したわけで
この保護に対して、韓が朝貢外交を始めた対中でも
日本の傀儡属国化したから、皇太子も人質に出して
七支刀だの仏教だのの中国側からの下寵品を献上してるんですが?
268年なら、266年の司馬炎戴冠のお土産で七支刀貰ったとか?
倭王の壱与ちゃんも参列したんじゃないのかな? (ヾノ・∀・`)ムリムリ
皇帝の自慢ネタの史書にも、お土産記録無しだけどwww
- 840 :くまモン論者:2018/08/22(水) 14:55:37.62 .net
- 瞬殺されたったwwwwwwwwwwww
二運繰り下げるのね
- 841 :くまモン論者:2018/08/22(水) 15:05:33.53 .net
- 弟子ちゃん、これって倭王旨なん?
- 842 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:02:06.92 .net
- >>841
記紀 神功皇后は 366〜369で 将軍を派遣し新羅百済の戦争に介入
で、七支刀をポッポしゃんしたんだから、神功皇后でしょwww
369年=神功皇后49年 で 神功皇后は69年まで在位
でも、実際の歴史では神功皇后じゃダメ なら、応神天皇で良いかも?
景行天皇、神功皇后=ヤマトタケル で、九州、国内統一
仲哀天皇=神功皇后?、神功皇后=応神天皇 で、半島進出
で、
413から仁徳天皇が倭王讃として、南朝外交始めたかな?
でも、中国書が実話で、記紀は天皇の実在、在位も適当、って読みしか無理でしょ。
牛馬の移入や、鉄の国内生産の富国強兵実現後に対中外交始めたのは事実なわけで、
アホの始皇帝風古墳も まねっこなわけでw
天皇が国内でも漢字一文字の王名名乗ってたとしても、記紀より事実っぽい。
讃、珍、済、興、武って名前、
倭人伝の 中国人が和音名に当て字、ってムードの固有名詞とは、違うと思う。
外交文書には、署名も在ったのでは、ないかな?
- 843 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:15:22.40 .net
- >>803
阿という漢字の成り立ちをみたら、
そりゃ神に近い。クマとも呼ぶし。
阿蘇は、クマソ。
阿という字は、阜と可からつくら
れている。阜は、土塁、土を意味して、
可は、担架や担ぐ意味。
然るに、人工的に積み重ねて来た土山
の意味がある。その名をつけるには、
位が高いものになるはな。
字从阜从可。
“阜”意为“土堆”,
“可”意为“肩挑、担荷”。
“阜”与“可”联合起来表示
“人工堆积起来的土山”。
本义:曲阜
(沙发形的土山,三围形的土堆
- 844 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:30:46.29 .net
- >>836
>>>835
>でも日本はあまりトーテムを重視していない文化のように思うんだが?
古事記や古伝には出てくるよ。
仏教導入の頃には廃れたんだろう。
- 845 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:33:03.20 .net
- >>837
>倭の五王の時代に九州王朝がないのなら、卑弥呼の時代にも九州王朝はないと考えるのがもっとも
直前の後漢代に伊都に倭王家があったのだから、倭国乱を挟んだ2世紀末に共立された卑弥呼がいたのも伊都であったと考えるべきだ。
- 846 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 16:33:35.52 .net
- 鳥居、鳥の格好で舞う巫女、玉座や神輿に飾られている鳳凰
鳥トーテム
日本書紀にも色々な鳥が登場するし
天満宮とか牛トーテムだし
- 847 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:07:22.46 .net
- 筑紫王家は鷹、豊国王家は鰐、肥国王家は熊と鯰、出雲王家は鷲がトーテムかと。
なんで肥国に2つあるのか知らんけど。
- 848 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:09:31.55 .net
- >>847
>筑紫王家は鷹、豊国王家は鰐、肥国王家は熊と鯰、出雲王家は鷲がトーテムかと。
こういうのはどこに出ているの?
- 849 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:18:39.12 .net
- 記紀やら古伝やら神社の名前やらを拾うんだよ。
肥前河上神社の守り神は鯰だろ。
豊玉姫の正体は鰐だろ。
出雲がわざわざ関東まで来て立てた宮は鷲宮だ。
そういったものを集めると、概ねわかるよ。
鳳凰は実在しない生物だから、もっと後世に成立したのだろうけど。
- 850 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:21:06.13 .net
- 鳳凰なんて庭鳥だからな
- 851 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:27:02.28 .net
- >>849
>出雲がわざわざ関東まで来て立てた宮は鷲宮だ。
なにをトンデモ言ってんの? 倭国(阿波)忌部の祖「天日鷲尊」だよ。 @阿波
- 852 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:31:24.38 .net
- >>849
>豊玉姫の正体は鰐だろ。
そこから、豊国王家は鰐、まで行くのは論理の飛躍じゃないのか?
- 853 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:33:53.11 .net
- >>852
>そこから、豊国王家は鰐、まで行くのは論理の飛躍じゃないのか?
トンデモ説とはそんなものと心せよ。 @阿波
- 854 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:44:02.95 .net
- 仲哀天皇を出迎えた熊鰐も、筑紫岡田宮つまり北九州市の豊国の王家の名前だよ。
(筑紫とつくけど本質的には豊国)
- 855 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 17:58:36.60 .net
- 扶桑国って、どこですか?
- 856 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 18:05:05.37 .net
- 等間隔の地名だと想定すると、せいぜい小倉の岡田宮かな。
- 857 :くまモン論者:2018/08/22(水) 18:53:16.94 .net
- >>842
倭王旨は中国風一字名称か。サンクス
- 858 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 18:55:40.83 .net
- >>854
>(筑紫とつくけど本質的には豊国)
洞海(くきのうみ)から筑紫だし、その西側の岡(遠賀)を豊国というのは無理じゃないか?
- 859 :くまモン論者:2018/08/22(水) 18:58:44.68 .net
- >>855
出どころは『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國かな?
倭国の僧 慧深の作り話?!?
- 860 :くまモン論者:2018/08/22(水) 19:08:21.63 .net
- 扶桑の元ネタは呉歌かな?
それが晋の白紵舞歌になったみたいだ。
これは一部分
東造扶桑游紫庭西至昆崙戲曾城
ここに出てくる紫庭が筑紫に関係あるとおもんだけどね。(賛同者なし
- 861 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:33:07.00 .net
- >>858
豊国は遠賀川流域文化圏でしょ。
律令制の豊後とかは忘れてね。
- 862 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:39:48.20 .net
- >>857
王が家臣に姓を与えることは判るが
中国側が 讃、珍、済、興、武って名前を付けるかな?
そういう解釈は アホ学者 なのでは?
卑弥呼、壱与、帥升は一応は日本の女王、王として中国側で記録されてる。
奴国王升米 都市王牛利 巳百支王掖邪狗 載斯烏越 狗奴王卑弥弓呼
これは、統一王ではない大夫だが、異国の時の王名はそのまま記録されるべきだろう。
讃、珍、済、興、武が元号ではないとすれば、諡号ではない現王名が有るはずで
倭の五王も和名はホムタワケとかタリシヒコとして、これは天帝個人名で誰も呼ばない。
ヒロヒトとか、どこの朝鮮? アメリカ進駐軍だよwww ←これヒド
時代的に 讃、珍、済、興、武は、対外だけに限らず、漢字の姓を与えてる豪族間でも
今の天皇として、漢語風王名を表意文字で名乗ってる、であろうと思うのですが・・・
記紀作者の知らない、そもそも無かった王名や諡号に比定するより、
実史に近づけると思うべなwww
- 863 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:40:47.43 .net
- >>860
大変面白いと思います。
- 864 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:53:31.95 .net
- 香椎の語源が越であると言われるくらい、九州北部から日本海沿岸の、倭の原初の勢力は越だと思われる。
それがずっと東に追いやられ、出雲が勢力を持つのだけれど、その出雲も排除される。
豊国はもともと志賀島の綿津見神や大山祇だけれど、やはり東に追いやられる。小倉あたりで止まるのは筑紫の天孫族との姻戚関係が強かったからかと。
そして倭の中心地の博多湾、豊葦原中国には筑紫の王国、伊都国が成立した。
これで、日本海沿岸の国である倭の政治力学に従って西高東低に筑紫、豊国、出雲、越が並ぶ理由がわかる。
その序列に並ばずに、天孫族に代わって倭国天下=伊都を取ったのが、肥国王家の熊襲の卑弥呼なんだろう。
- 865 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 19:58:44.13 .net
- 日本海沿岸ではない大和は倭国の序列の枠外。
吉備や阿波などの瀬戸内海のアウトロー勢力にすら含まれず、ドロップアウト組が吹き溜まりをなしていたのが大和盆地。
それが天下の覇権を取るには、白村江の敗戦による国体の崩壊と、唐に取り入る狡猾さが必要だった。
律令制による全国支配の強化と同時に、記紀の編纂により7世紀以前の歴史を改竄し、邪魔な史書は焚書した。
- 866 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:00:55.15 .net
- >>860
筑紫の地名命名の由来は最も遅くて 筑紫の君
247年邪馬台国平定なら、新領主=一大率=刺史
が任命され氏姓を与えられた。
でもまあ、300年以降かと? ←根拠無し
これはだれか? 奴国王升米でも狗奴王卑弥弓呼でもOK。
記紀は何も知ってない唯の馬鹿。
問題は、大和朝廷が
東造扶桑游紫庭西至昆崙戲曾城
を 筑紫命名の それ以前に読んでいたかどうか?
が、歴史かと?
- 867 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:01:23.12 .net
- >>865
>律令制による全国支配の強化と同時に、記紀の編纂により7世紀以前の歴史を改竄し、邪魔な史書は焚書した。
都合が悪い所に来るとこれだから、どうしたってトンデモの域を出ないんだよなぁ
- 868 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:07:49.12 .net
- 7世紀より前の文書がほぼ皆無で、8世紀初頭に禁書の詔勅が出ているのは事実だよ。
- 869 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:32:03.06 .net
- >>868
>7世紀より前の文書がほぼ皆無で、8世紀初頭に禁書の詔勅が出ているのは事実だよ。
前にもどこかで聞いたけれど、
原典を調べたらただの拡大解釈=恣意的なご都合解釈だったように記憶してるんだが?
- 870 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 20:46:01.26 .net
- 400年以降で公文書
500年以降で仏教他、文、書、が残せたことは間違いない。
大和朝廷は白村江以降で南朝との対隋唐敵対の国交史を消し去っている。
当時の焚書は、どう考えても、王家断絶より簡単である。
聖徳太子の史書は本当に残ってないのかな?
ある、に一票www
↑これは オイオイ。
- 871 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:23:23.39 .net
- >>996の続き
また転写保存
国民の3割が、未だに、
「戦前の万世一系皇国史観」の安部文部省や右翼マスコミや、
キョクウの学会教育界の宣伝に騙されて躍らされて、
嘘つき騙しの大和説信者になったままである。
- 872 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:24:11.75 .net
- >>859
ありがとう!
扶桑”の神话と
富士山信仰に、関係があるみたいで、
それが、《山海经》の中の
海外东经と大荒东经の2つの章に
かいてあるとのコメントみてからね。
きになっていた。
その章は、日本の地理などを
書いているとその人は言ってたなあ。
- 873 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:33:10.29 .net
- >>860
扶桑国は、メキシコやと、いった
フランス人De.Guignesさんは、1761年に発表。
しかし、ドイツ人の
H.J.Klaproth1831年に、メキシコとか
ありえません。といってる。
扶桑国は、そだねー、多分
日本かサハリンの樺太島やなあと言ってた。
で、さらに時代は流れ、中国の
朱谦之(1941年,《扶桑国考证》)、
邓拓(《谁最早发现美洲》,1961)
などで、扶桑国と古代日本は、関係あると
発表し、賛同をえている。
- 874 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:34:43.58 .net
- >>869
和銅元年正月(708年) の詔に「亡命山澤。挾藏禁書。百日不首。復罪如初。(禁書を隠し持って山野に逃亡している者は、100日以内に自首しなければ恩赦を与えない。)」とある、記紀以前に多くの史書があったんだ。
- 875 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 21:36:02.03 .net
- 結局、そのコメントを書いた人は、
扶桑国を日本に関係しているとしたら、
山海経が、実は一番最初に、
日本を詳しくかいたもんやから、
価値あるもんやね?といってる。
- 876 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 22:07:08.41 .net
- 帝氈iていしゅん)は、
上古の中国神話に登場する東方の天帝
(帝舜と同じといわれる殷の祖神)。
(太陽の女神)と
(月の女神)は帝氓フ妻である。
日本語ウィキには、書いてないんだが、
程俊が、黒歯をつくり、姜姓(部族 農の神)
をうみだした。その姜一族は、
山東省にいて、お歯黒だった。
- 877 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 22:22:51.64 .net
- 江南あたりから、東南に2000里に、
毛人のしまあるよと。
毛人に、ついての説明あって、背が低く、穴に住んで、多毛で、
羽衣の服をきているとあるな。
倭の表記につながるな。
《山海经》郭璞注说:
去临海(位于浙东)郡东南二千里,有毛人在大海州岛上。为人短小而体尽有毛,如猪熊,穴居,天衣服。
- 878 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 23:14:56.35 .net
- >>874
禁書とはあるが史書とは書いてないぞ
- 879 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 23:21:10.80 .net
- それ以外の何を禁ずるのでしょうか?
- 880 :くまモン論者:2018/08/22(水) 23:33:30.36 .net
- >>863
どうもありがとう////
- 881 :くまモン論者:2018/08/22(水) 23:49:56.35 .net
- >>866
日本書紀の天地開闢ところは淮南子のパクリで、神功皇后紀に魏志を記事を引用している事はもう調べはついている。
肝心の宋書と日本書紀はよくわからないorz
- 882 :くまモン論者:2018/08/22(水) 23:56:12.05 .net
- >>872
よかった。
それより富士山信仰とか面白そうだぞおいwww
- 883 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:04:37.87 .net
- >>879
禁書といえば魔導書
- 884 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:18:01.64 .net
- 扶桑、富士とK齿国
“富士山”、このことばは、fujisang
“扶桑”を中国読みしたら、fusangと似ているとし
(山海経における扶桑は、扶桑のウィキに
のってるので、見てほしい)
重要なのは、富士山のように太陽がのぼり、
日出づる国を、連想できること。
で、コメントには、
黒歯国の北側に、扶桑国があるとあり、
ほなら、黒歯国は、比定できるんかい?
と話をすすめていってる。
- 885 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:24:07.86 .net
- >>881
>日本書紀の天地開闢ところは淮南子のパクリ
つうか、魏志倭人伝の東方世界観も淮南子が下敷きだろ?
- 886 :くまモン論者:2018/08/23(木) 00:26:27.58 .net
- 万葉集で大友旅人が竹林の七賢人のことを歌っているから、当時の知識人たちは晋書あたりはもう読んでそう。
となると晋書よりだいぶ前にできた宋書は当然読んでるとみたw
- 887 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:31:22.44 .net
- それで、まず黒歯国とは、
なんぞや?と話をしてくれて、
せれは、周書・王会に、記載されている。
周成王のとき、黒歯国が、朝貢しにきて、
白鹿と白馬を献上しているとある。
鹿を献上することは、鹿を神の化身とか
その国の風俗文化を表している。
とコメントしている。
- 888 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:45:35.20 .net
- 山海経の海外東経の冒頭に書いてある
「海外とは、東南から東北に至るもの」
が、日本が、正にその方位の範囲に入ると
かいている。
- 889 :くまモン論者:2018/08/23(木) 00:49:27.14 .net
- >>876
そういえば太公望呂尚は姜族だったな。
- 890 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 00:59:42.41 .net
- >>889
魏志では、太伯さんの子孫だったが、
姜族は、それより前に山東省から、
渡り、日本のお歯黒文化を
作ったやないかと。身分をわけたり、
15歳超えたら、歯を黒くして、
嫁に行くとか。黒歯国も日本やないかと。
で、梁書・扶桑国に、扶桑国まで、
2万里とかいてるから、どこどこにあると
推測している。
魏志倭人伝が、12000里やから、
どこどこやと。
- 891 :くまモン論者:2018/08/23(木) 01:02:26.35 .net
- >>885
淮南子時則訓での倭人伝万二千余里の根拠のところか。
そうかもしれんけど、九州説としては倭人伝ではっきりしてる対馬国から一大国の千余里をとるかな。
この二つの国だけは阿波さんも異論はなさそうだしw
- 892 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 01:11:14.01 .net
- 二万里は長里だと何もない太平洋上だが、短里だと畿内かもしれない。
- 893 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 01:12:24.34 .net
- >>891
その人も九州説で、扶桑国は、
それから、さらに離れている。
で、富士山と関連あるんやいかと
考察。
そのあと、アイヌの名前由来や
大人国、毛人、偎人(委人と発音同じ)
などを説明している。
- 894 :くまモン論者:2018/08/23(木) 01:15:50.38 .net
- >>890
倭国 から文身国 、大漢国 、扶桑国になる訳か。
大漢国から東に二万余里て遠すぎね?
よく読めてなかったらごめん
- 895 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 01:29:39.22 .net
- >>894
まだ、考察途中で、わからない。
すみません。
ただ、コメントには、
アイヌ人を背が低く、多毛として、
捉えており、倭に通じるものとして、
捉えている。
19世紀のドイツ学者は、毛人をアイヌとして
捉えていた。
また、駐日大使だったライシャワーの
名著「日本人」にも、考察を
及ばせ、漸減的に、アイヌは、今や北海道2万人に、なったとかいている。
- 896 :くまモン論者:2018/08/23(木) 08:21:35.85 .net
- >>895
古代の巨樹伝説は面白そうだな。
よろしく頼む!
- 897 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 08:40:05.00 .net
- >>891
>淮南子時則訓
時則訓だけじゃなくて墬形訓も見ておいて
後漢書の「使驛所傳、極於此矣」は
「使譯の傳うる所、此に於いて極まる。」
この「極」が、淮南子: 時則訓 の「東方之極」の「極」なんだよ
要するに、情報が伝わってきた(得られた)ところはここが限界=「極」ってこと
その東方之極が萬二千里
黒歯国、裸国辺りは、魏使からの報告ではなく淮南子墬形訓の情報
淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「K齒民」、玄股民、毛民、勞民;
東の世界の端を南に行ったところに「黒歯國」があって、
南の世界の端を西へ行くところに「裸国」があるからね
そういう距離感なんだろう
- 898 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 09:07:02.16 .net
- 淮南子で長江河口部から東2万里は
倭人伝の里程で九州であってるし、そっから一万二千里は紀伊半島沖あたりです。
倭人伝九州南岸から南東一年行=12月行=24000里で小笠原
誰がそんな大航海時代みたいな? と、疑問でしたが
これの根拠が前漢でも淮南子に既にあったことが理解できます。
徐福の探検もあっち行っちゃったら漂流してるかもねw
- 899 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 11:35:49.59 .net
- 日本の富士山女神には、
著名神话がある。
富士山の神は、二人の白衣女神。
そのうちの一人は、最高大神
天照大神(北極星神)
で、有名な別称は、娥羲”(名叫大日灵贵)
で、それは、《山海经·大荒东经》のなかの
太陽神の羲娥”だと。名前入れ替えただけ。
さらには、もう一つの神は、“赫夜姬”,(かぐや姫)で、
八月十五日夜晚に、かんしている。
それも、中国神話の
著名な「嫦娥(羿の嫁さん)」と同じ月。
そのご、日本の月神になりました。
これらの山海経にかいてある文章を
紐解くと、日本と中国神話には、
名前、月、において、かなりの近似性あり。
- 900 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 11:39:41.87 .net
- さらには、山海経は、日本海溝についても
記述していると
コメントかいている。
そやから、日本に関して、かいた記述やろと。
地質に関して、話された箇所は、
日本以外ありえないなと。つまりは、
海溝ある場所は、
日本の東側、太平洋上やから。
- 901 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 11:52:06.62 .net
- 大壑の漢字は、谷底を意味して、
文章には底がないよとかの
春秋時代の書籍の説明ある。
そして、辞典で、調べたら尾闾の
漢字は、扶桑国の東だよと
かいてある。
大荒东经》
中记有一则重要的地质结构资料,
说:东海之外有有一条“大壑”。
郭璞注引用汉代纬书指出:
“《诗含神雾》曰:东注无底之谷,谓此壑也。”
《列子·汤问》也记:
“渤海之东,不知其几亿万里,
有大壑焉。是为无底之谷,
其下无底,名曰归虚。
八纮九野之水,天汉之流,莫不注之。”
案“归虚”,在《庄子》书中则记作“尾闾”,
《庄子》郭象注云:
“尾闾,泄海水出外者也。
在百川之下,故称尾;
水聚簇之处,故称闾。”
《康熙字典》引《五音集韵》
:“尾闾在扶桑东。”
- 902 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 13:42:37.79 .net
- >>901は、前に周髀算経がどうのって言ってた人かな?
あの後読んでみたけれど、結局は現代の知識で影の長さが1寸の差になるところを
計算して、子午線に沿って距離を測ると短里になるっていう、谷本茂氏と同じ計算を
してるだけだったよ
読む意味なかった
- 903 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 14:20:13.76 .net
- >>902
周髀算経は、よく言われていたから、
重要度はそこやない。
淮南子にも、尺をかえて、
測ってた箇所あり、それも
計算していることなんよ。淮南子の
計算論文は、日本語で、見かけないからね。
それも短里になり、淮南子は、
古事記にも影響を与えているから、
そこの天文訓をよんで、
実践して、当時の倭人は、勉強
したんやないかという考察。
新しい視点は、淮南子の天文訓の
測り方。
- 904 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 14:36:35.89 .net
- >>901 これって、 蒙古語とか?
てか、潜水艦は厨共とか、北朝鮮まで関係ない。
漢や魏の潜水艦、海底調査すんの?
山海経だと、海神族って、半魚人だったりするw
へぇ〜〜、すごいね。
- 905 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 14:37:00.34 .net
- 淮南子の天文訓には、下記の原文箇所あるから、1万2千里しかしらないわけないよな
と考察している。
为十万里,则天高也。若使景与表等,则高与远等也。
太阳每天行经九州、七舍,行程五亿万七千三百零九里,
- 906 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 17:32:44.63 .net
- 淮南子は、墬形訓、時則訓、天文訓等が、それぞれかなり独立してるからな
互いの整合性はあまり考えていないと思う
- 907 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 19:32:50.69 .net
- 淮南子 該当部分、読んできました。 ありがとうございます。
魏志のような実際の紀行の可能性はほぼ無いんで、却下です。
梁書で・扶桑国が 2万里でした。
後漢書は430年で倭の五王の後。
梁書は600年代で遣唐使、裴世清よりあとだよ??
倭人情報が 邪馬台国と大和国で錯綜してます。
梁書は 記紀神話読んじゃって、それ前座のデタラメで混乱した風で面白いです。
来年の夏休みの宿題のテーマにします。
♪ドン来い、チラ裏の皆様に感謝です。
時系列、時代背景を追って読むと、梁書は、
みんなと同じように 邪馬台国で何を間違えたかが推測出来て面白いんです。
扶桑国が倭国で日本国で九州で奈良 で、あっても整合性を取らなくて良いのが
馬鹿学者主導の、古代史、とか考古学なんだなwww
知ってた・・・ の、ような、発見のような・・・
倭人伝 評 は魏が初めて倭に 使譯 送ったって言ってないか?
♪ドン来いスレ、最高!
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