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【新田楠木】後南朝スレ★4【西陣南帝】

712 :日本@名無史さん:2021/09/29(水) 12:36:58.28 .net
>>709
律令制発足当時から寺社には寺田、神田が親王には賜田が支給されていた。
貨幣経済が未発達なため給与を払うより有力者には水田を渡した方が好都合だったので。
官位のある者には位田が職(国の上級職)のあるものには職田が支給された。(これが実質的な給与ですね)
寺は技術力があったので東大寺などは積極的に水田開発を行った。(国の要請に応えた形、水田は慢性的に不測気味)
この位田と職田は官位や職を失えば返納するはずだが、事実上世襲的になると実質返納されなくなった。
また国司や郡司たちは水田開発を行って開発面積を過小申告して差額面積分を自己の物とした。
墾田永年私財法発布によってこれら怪しげな私営田は合法化される。
これらは歴史学で初期荘園と呼ばれます。

一方、口分田はというと郡司による租の取り立てがひどくなり、より正確には郡司が作付け用の種籾を良民に貸付け年
て年数十パーセントもの高利を取ったことから良民の逃散が相次ぎ労働力不足に陥り、一部を除き口分田(国衙田は荒廃)。
逃げた農民は私営田に雇われたり、群盗となったり。ごく一部の農民は開発領主になって有力農民に。
労働力不足に陥った中央政府は班田収授を廃して一部の田の経営に乗り出し、租庸調税制は廃止して徴税を一部の有力農民(富豪の輩、田堵、力田の輩といった農民)に請け負わせるように。
こうして国衙田は国保有の荘園化します。これが平安時代初期ですね。
詳しくは研究入門荘園を、もっと詳らかに知りたければ講座日本荘園史をお読みになるとよいかと。

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