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卑弥呼の使った鬼道を考察

1 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 18:20:47.55 .net
邪馬台国がどこにあったかはどうでもいい
大陸から見て鬼道と名付けられてるが、これこそ真の原始神道だったのでは

2 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 18:25:20.26 .net
すまん、板違いだったかも

3 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 22:41:23.14 .net
おか板に立てて

4 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 18:19:21.26 .net
考察

5 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 16:14:10.98 .net
まあ、マジレスするとオニノスベで検索してみて

6 :日本@名無史さん:2019/07/19(金) 18:41:39.17 .net
平原遺跡が卑弥呼の墓なら、卑弥呼の鬼道は三種の神器を使った古代神道。

7 :日本@名無史さん:2019/07/19(金) 18:55:59.57 .net
あり得るな

8 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 11:33:17.66 .net
考察しよう

9 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 12:53:55.68 .net
【鬼道と神道】

伊都国にあたる平原遺跡からは最大の銅鏡である八咫の鏡5枚を含む史上最多の40枚の銅鏡と、太刀と約2000個の玉、鉄器などが出土しており、三種の神器に相当する副葬品(鏡、剣、玉)が揃って出土している。
3世紀で最大の倭国の王位を象徴する八咫の鏡を用いた国家規模の祭祀に倭国の女王である卑弥呼が関わらなかったわけはない。
周囲には鳥居や御柱の跡も残っており、古代神道の形式が整っていたことがわかる。
これは3世紀においてすでに倭国には神道があったことを意味している。
邪馬壹国は鬼道などの言葉の印象が強いため後進国のように思われがちだが、中国人から見た鬼道とは、神道の儀式を指していたと考えられる。
そして、その祭祀は畿内ではなく筑紫の伊都で行われていた。

平原遺跡から出土した八咫の鏡の形式である内行花文鏡は、もともと紀元前から博多湾岸では多く出土し、漢の皇帝から王侯に冊封された証である威信材として用いられていたと考えられる。
内行花文鏡の文様は太陽を形取っていることから、天つ神としての太陽信仰の象徴として最適であったと考えられる。
漢の滅亡後に作られた平原遺跡では八咫の鏡を含めほとんどが国産の鏡となっており、漢から下賜された鏡よりも大きな内行花文鏡を完成させることで王権の象徴となったと考えられる。
後世においては、八咫の鏡を継承することが天皇位の証とされ、今日でも伊勢神宮と皇居で1枚ずつ祭られている。

10 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 16:06:32.24 .net
>>9
素晴らしい 乙

11 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 17:10:26.63 .net
馬韓の風習に鬼道って出てくるからな

そして馬韓には卑弥国という国がある

どちらも魏志の記述だな

12 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 17:12:12.65 .net
魏志より

馬韓→鬼神を祭る、卑弥国がある

倭国→卑弥呼が鬼道によって民を支配する


はい確定

13 :日本@名無史さん:2019/07/26(金) 02:12:00.24 .net
鬼神と鬼道の違いもわからん無能チョンコ

14 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 14:47:44.88 .net
殉死がある宗教かな?

15 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 22:47:36.04 .net
中華でない東夷なんだから多神教だのアニミズムだのは当たり前で
わざわざ記述されないんだよ
だからここの鬼道はそういう意味じゃない
五斗米道だの原始道教ならそう書けばいいんで
わざわざ鬼道なんてぼやかして書く必要はない

儒教の建前からみて正統でない信仰は味噌もクソもなんでも鬼道だぞ
だから鬼道の2文字だけでは実態を推測できない。

この場合の儒教の建前っていうのは魏にとっての儒教だから
「魏が正統で呉蜀は偽帝僭主」ということ

倭魏の外交は男弟や難升米が推進したんで、
卑弥呼自身は呉蜀を支持していた

16 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 23:31:45.71 .net
【伊都国】

伊都国の官は爾支と記されているが、ニニギ、ニギハヤヒなどと同じ系統の名であり、神道における神職を意味する禰宜にも通じる。
平原遺跡には鳥居などの遺構があり、いわゆる神道の形式が整いつつあった。
高祖宮は伊都国から日の出の方にあり、卑弥呼らは太陽を背にして君臨していた。
高千穂宮から始まる神武東征の時、神武は天の子は太陽を背にするべきだと発言していて、伊都は神道の基本である太陽信仰の都である。
卑弥呼の鬼道とは、中国人から見た古代神道のことだったのである。

伊都国の平原遺跡は3世紀頃の女王墓であり、方格規矩四神鏡と内行花文鏡、玉を中心とする豪華な副葬品を持ち、後漢の頃には見られなかった巨大な国産の内行花文鏡、いわゆる八咫の鏡が5面含まれていたことから、倭国大乱後の倭国の王権が伊都国にあったことがわかる。
2世紀の倭国大乱以降では卑弥呼が最初の女王であるため、平原遺跡の被葬者の最有力候補が卑弥呼である。
魏志において伊都国は人口が1000戸と少ないが、魏志に卑弥呼の王宮の下女は1000人とることと一致する。
近隣の世俗の商業都市としての博多奴国と、政治・祭祀・外交のための聖なる王都である伊都が分離されていたと考えられる。

伊都国には高祖宮(高祖神社)があり、後世にはその東側の高祖山とクシフル山の山頂を囲む中国風山城(奈良時代は怡土城、戦国時代は高祖城と呼称される)があった。
高祖山を越える峠が日向峠であり、筑紫の日向のクシフル山にある高祖宮の古名が高千穂宮であったと考えられる。

アマテラスの孫のニニギはクシフル山に降臨してその西側に埋葬されたとあり、三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡などが、魏志において倭国大乱の前の男王の時代70〜80年を担った日向王家の王墓であると考えられる。
三雲南小路遺跡の拝殿であり漢の金印を保管していた細石(さざれいし)神社は天孫邇邇芸と木花佐久夜毘売を祭神とし、
平原遺跡からはニニギが授かった三種の神器である八咫の鏡と思われる超大型内行花文鏡が出土しており、筑紫の伊都がその名の通り倭国王家である日向三代の都であった証拠である。

17 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 10:31:53.60 .net
平原は筑紫物部の遺跡。
平原・曽祢の「そね」という名称は物部ゆかり。
物部は王権ではない、だから墓も貧弱。

18 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 10:34:36.12 .net
鬼道とは銅鐸祭祀。
銅鐸族とは鴨族。
その鴨族のなかに卑弥呼もトヨもいる。

    事代主
     ┣━━━━━━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武
     ┣━━━━━━━━┓
    建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃           ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津媛━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主            孝昭
     ┃             ┃
    阿田賀田須       天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命

19 :日本@名無史さん:2019/08/06(火) 16:19:02.70 .net
邪馬台国は奈良やな

日本では弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。
古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。
漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられ、古くは伊勢国丹生(現在の三重県多気町)、大和水銀鉱山(奈良県宇陀市菟田野町)、吉野川上流などが特産地として知られた。

20 :日本@名無史さん:2019/08/06(火) 17:53:05.58 .net
 
纏向古墳群とは誰の墓なのか。
私は崇神の母系の物部ではないかと思ってます。
当時は母親の実家で子供を育てたわけですから、崇神の住んだ纏向は母親のイカガノシコメが住んでいた所でしょう。
つまり物部の土地である。

また大阪交野(かたの)に箸墓の縮小サイズである雷塚古墳(森古墳群)があります。
この雷塚古墳は箸墓と同時期か少し後と言われています。
箸墓は260〜280年くらいでしょう。
つまり雷塚古墳は崇神時代より少し前です。

ところでこの森古墳群、前期古墳にしては珍しく被葬者をほぼ特定できます。
交野の語源になった肩野物部集団です。
被葬者として推定できるのは彼らしかいません、一択です。

つまり崇神の前に【物部が前方後円墳を造っていた】という事になります。
しかも彼らは箸墓とも強い関りがあることになります。

というわけで纏向古墳群は瀬戸内海洋集団・物部の墓である。

21 :日本@名無史さん:2019/08/06(火) 17:57:47.96 .net
>>17
物部氏の祖はアマテラスの孫の饒速日。
天照国照彦火明櫛玉饒速日命とも呼ばれ、アマテラスと大国主の両方の権威を継承した王権だ。
大和王権では軍事と祭祀(まつりごと)の両方を司っていた。
物部氏が主権を手放したのは、物部戦争で蘇我氏に敗れたから。
その後に書かれた記紀では王として扱われていないが、天照国照彦の称号は王であったことを示している。

22 :日本@名無史さん:2019/08/06(火) 22:32:21.11 .net
天照って女である確証ないんだよな

23 :日本@名無史さん:2019/08/16(金) 10:27:01.21 .net
物部は朝鮮半島仏教を信仰する新興渡来系氏族連合軍に敗れたんだよ

ちょうど同じ時期に大ブリテン島でブリテン人王国が
流入してきたサクソン人、ジュート人、アングル人の連合軍に大敗したように

24 :日本@名無史さん:2019/08/16(金) 10:53:44.28 .net
>>22
月読も性別不詳 イメージは女だけど

25 :日本@名無史さん:2019/08/16(金) 12:44:23.05 .net
>>24
天津神は男系が基本なので、ツクヨミも男性。
海の向こうに行ったきりと書かれているが、対馬のことだよね。

26 :日本@名無史さん:2019/08/16(金) 15:13:12.67 .net
博多湾沿岸の筑紫の日向でイザナギの禊で生まれた三神である天照、月読、スサノオの行方を確認しよう。
月読は対馬(月読神社)、スサノオは出雲、天照は高天原だ。
博多湾沿岸の支配者はイザナギの息子である志賀島の綿津見(海神)とその弟の大山祇であった。
スサノオの跡を継いだ出雲の大国主が天照に倒されると、天照の孫が宗像の三女神に守られて筑紫の日向に戻ってきて、豊葦原中国の王となった。

もし高天原が沖ノ島なら、対馬、出雲、筑紫の間で睨みを効かせる要所になるのがわかるだろうか。
そして大国主以外はすべて海人族なのである。

27 :日本@名無史さん:2019/08/16(金) 17:15:39.65 .net
宋史日本国伝
其《年代紀》所記云:
初主號天御中主。
次曰天村雲尊,其後皆以『尊』爲號。
次天八重雲尊,次天彌聞尊,次天忍勝尊,次瞻波尊,次萬魂尊,次利利魂尊,
次國狹槌尊,次角龔魂尊,次汲津丹尊,次面垂見尊,次國常立尊,次天鑒尊,次天萬尊,次沫名杵尊,
次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,
凡二十三世,並都於築紫日向宮。
彥瀲第四子號神武天皇,自築紫宮入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。

28 :日本@名無史さん:2019/08/31(土) 12:46:22.39 ID:PoRCLD8Uy
【景行記】又娶八尺入日子命之女、八坂之入日賣命、生御子、若帶日子命、
次五百木之入日子命、次押別命、次五百木之入日賣命。

八尺入日子命は山王イマス。八坂之入日賣命は、イマス三女チチツと同姓婚したアザミツで、女王壹与。
若帶日子命は倭人伝・卑弥狗呼で成務天皇。この人は垂仁天皇と同体。五百木之入日子命は、その異父兄。
押別命は洛陽裏天皇イサクで女王卑弥呼末子。五百木之入日賣命は女王壹与の嫡女で、帶中津日子天皇イルカ。
女王壹与と嫡女イルカの関係は、実子への王権譲渡の関係で、一見すると相克では無く、相生。
しかし裏返すと、女王壹与自身の死を暗示。つまり、ここの記事は、女王壹与の王権後期における暗殺記事なのだ。
列挙順は、明確に死亡順。死亡逆順では無い。五百木之入日子命の中国史書での名乗りは山越王・陳ヒ。
255年に呉軍の討伐を受けて死亡している。従って、垂仁天皇の死亡も、同じ255年であることが推定される。
意訳すると、山王イマス養女、女王壹与アザミツは、255年に垂仁天皇を暗殺し、同じ255年に陳ヒを謀殺し、
266晋朝朝貢においてイサクを暗殺し、278年には女王壹与自身が香椎宮にて暗殺された。と、ここでは示される。
ちなみに「五百木」は父不明の意味。陳ヒは、母たるイススキヨリヒメが狭井川収容所に居た時に出来た労務者の子。
イルカは、山王イマスの命令で、陳ヒ、とその部下がアザミツを輪姦して出来た子である。
崇~記の「即於丸邇坂居忌瓮而罷往」が、その場所の表記であり、丸邇坂は女王卑弥呼実家の華南ジャングル。

29 :日本@名無史さん:2019/09/01(日) 11:44:33.57 ID:ZEaQtWZu7
【景行記】又娶伊那毘能大郎女之弟、伊那毘能若郎女、生御子、眞若王、次日子人之大兄王。

伊那毘能大郎女が天照、伊那毘能若郎女が妹のイザナミです。「伊那」が王家の家姓で、苅羽井家を示します。
日子人之大兄王がイザナミの唯一子である山ノ神イタイで、苅羽井家傍流山王家の家祖です。
眞若王は義子の崇神天皇イナミです。この記述は、以下に相応しています。

【孝元記】比古布都押之信命、娶尾張連等之祖意富那毘之妹・葛城之高千那毘賣、生子、味師内宿禰。

比古布都押之信命が、倭人伝の男弟であり、キスミミです。意富那毘が父君の日嗣ヒコクニクルで投馬国初代国王。
意富那毘は天照の実兄でもあります。葛城之高千那毘賣がイザナミで、倭人伝の男子一人。
味師内宿禰は、イザナミ義子の崇神天皇イナミです。天孫二ニギの御名がウマシマジであり、その名跡を継承したのです。
イナミの義子認定が、見方を替えて多重記述されています。

両者を読み合わせると、意外な政治要件が見えて来ます。苅羽井家と山王家とが、多島系排除で団結したのです。
女王卑弥呼の裁断による多島系ウマシマジ粛清の直後に、イザナミは女王卑弥呼に大金を支払い、
イナミを義子として苅羽井家に血縁させた上で、投馬国王家のキスミミに縁組させたのです。
キスミミも亦、イザナミに大金を支払い、イザナミは女王卑弥呼に上納したのです。
女王卑弥呼の権勢の強さを示す、政治的事績の記述なのです。
「共立女王ヒミカ」は女王卑弥呼とは別人格であり、キスミミの母堂で、天照の子、
そして、イザナミ妹の「夜麻登登母母曾毘賣命」ですが、倭人伝の云う「共立」の意味が見えて来ます。
投馬国は海軍の国です。イナミは女王卑弥呼の期待に答え、大倭海軍を背負って建つ海将と成り、
そしてミマキイリヒコ天皇に即位することになります。
女王卑弥呼は人生の最後に、ミマキイリヒコ天皇イナミに裏切られる事になります。
辞世の歌が「美麻紀伊理毘古波夜(ミマキイリヒコハヤー)」の嘆きの歌なのです。

30 :日本@名無史さん:2019/09/06(金) 18:01:26.08 .net
>>25
何かやらかして追放 もしくは暗殺されたんやろな

31 :日本@名無史さん:2019/09/07(土) 09:21:50.61 .net
>>30
対馬に祀られている。
つまり、対馬の王になって、博多には戻らなかったのだよ。
スサノオは山陰出雲に、天照は高天原すなわち沖ノ島に行った。
実は三貴人は誰も博多に残っていないが、博多に残ったのは同じイザナミの子とされるワダツミとヤマツミの兄弟だ。
天孫降臨の後も大山祇が妃を出しており、女系、兄弟(姉妹)相続と考えると、日向三代の間も大山祇一族も倭王に準じた立場であり、大山祇は倭王そのものだったろう。

32 :日本@名無史さん:2019/09/07(土) 19:45:02.82 .net
>>31
詳しくありがとう 勉強になった

33 :日本@名無史さん:2019/09/09(月) 07:05:33.95 .net
考察

34 :日本@名無史さん:2019/09/09(月) 08:40:52.78 .net
博多なんて全然関係ないから。
しゃしゃり出てこないでくれ。
むしろ吉備の方がよほど重要。

35 :日本@名無史さん:2019/09/09(月) 12:03:53.47 .net
吉備は魏志倭人伝に出てこない。

36 :日本@名無史さん:2019/09/09(月) 15:39:03.35 .net
>>19
これ

37 :日本@名無史さん:2019/09/09(月) 17:54:40.16 .net
>>1
古代から伝わる陰陽五行に基ずく鬼門封じの神巫女

魏志倭人伝に記された鬼道を司るこれが女王卑弥呼の等身大の姿

38 :日本@名無史さん:2019/09/09(月) 18:31:15.66 .net
俺は日矛鏡を使っていたと思う。

39 :日本@名無史さん:2019/09/09(月) 19:17:02.03 .net
日矛鏡は八咫の鏡と同等だから、平原遺跡の鏡とも同等。
卑弥呼の鬼道とは、三種の神器による古代神道そのもの。

40 :日本@名無史さん:2019/09/09(月) 20:11:13.13 .net
だろうな

41 :日本@名無史さん:2019/09/10(火) 08:24:07.29 .net
つまり邪馬台国は福岡県ということ。

42 :日本@名無史さん:2019/09/10(火) 17:14:47.41 .net
天皇の称号ができた頃の神道は北魏が国教にした道教、仏教(神の称号天王、天皇)の影響力が最強。

43 :日本@名無史さん:2019/09/10(火) 17:18:58.76 .net


44 :日本@名無史さん:2019/09/10(火) 17:39:17.85 .net
ついに「南水行十日陸行一月」の謎が解けたyo!
魏志倭人伝の核心は「倭国(女王之所都)=計其道里 當在会稽東冶之東(その道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし)」の一文。

1.西晋初代・武帝司馬炎は、祖父・司馬懿仲達(秀吉)を後見人に指名してくれた大恩人・曹叡(信長)の、(実は呉より北にいた)卑弥呼を特別待遇してしまった判断ミスを正当化し、呉を滅ぼす先鞭を付けた賢帝に仕立てる必要があった。
→曹魏の帝都・洛陽から見て東南にある孫呉との戦いにおいて、その背後に倭国「女王之所都」があれば、最高の牽制となる。
→孫権の帝都・建業とほぼ同緯度の会稽郡「東治(シ・さんずい)」ではなく、そこから更に約580km南で、帯方郡から12,000里の「東冶(ン・にすい)」の東にあると思わせたい。
2.しかし本当の位置も残さなければならない。
3.ところで倭国の気候&風俗(服装、産物、動物、武器)は、南越(ベトナム)国境にある海南島の大陸側、儋耳朱崖に似ている。

そこで陳寿が行った忖度が、女王国(九州)島が、狗邪韓国(伽耶)の南から儋耳朱崖(ベトナム国境)まで届く、中国大陸をすっぽり包み込む「南北に」長大な2つの列島であるように思わせるテクニック。
まず、正解の【奴国@】と、「當在会稽【東冶】之東」となる幻の【奴国A】を設定。
「奴国」を2回使って「女王之所都」が「奴国だよ、奴国だよ」と正解の【奴国@】を暗示(ダチョウ倶楽部「押すなよ、押すなよ」←2回目の念押しがポイント)。
次に、投馬国(宮崎)から南水行十日にある奄美大島を南に引き伸ばして、女王国島のパラレルワールド「邪馬台国島」を、そこに東治⇔東冶間の「陸行(徒歩)一月」を転用して幻の【奴国A】を創り、「東冶(ン・にすい)」の東に「女王之所都」を合わせた。
同時に倭国に行ったことがある中国知識人には「陸行一日(奴国)」の間違いとすぐに気が付くようにもした(「日」の両端の棒を下に延ばし日+Л→「月」)。
卑弥呼は、漢委奴国王以来の奴国王・帥升「其國本亦以男子為王 住七八十年」の男系女子(孫娘)で、先祖である歴代倭王(死者=鬼)の神託を聞くイタコとして(鬼道政治)、北部九州30カ国から共立された巫女(斎王)。
邪馬台国七万戸=奴国二万戸(福岡平野)+(南の狗奴国に狙われた)後背地・筑紫平野五万戸。

45 :日本@名無史さん:2019/09/10(火) 17:41:41.46 .net
>>44の図解(模式図)だyo!【魏志倭人伝の倭国観】
   ┏━━┓帯方郡  ┏┛〜〜〜日本海〜〜〜〜
←┐┃黄海┗狗邪韓国┛(伽耶)〜〜〜〜〜〜〜〜
洛陽┃〜〜〜↓↓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏━━━━━━━━━━━━━━━━
【魏】┃〜対馬▲↓南「水行十日」〜〜〜〜┃「女王国東渡海千余里 複有国 皆倭種」 
 ↓ ┃「瀚海」↓↓〜_玄界灘〜〜〜〜〜〜┗━━━━━━━━━━━┓
   ┃〜壱岐▲↓〜〜〜〜┌南「水行十日」┐関門海峡〜瀬戸内海▲┃
v✖s┃〜〜┏末盧━━━━↑━━━━━┓↓〜〜〜〜┏━━━┓〜┃ 
   ┃〜〜┃伊都国→不弥国▲▲▲▲▲┃↓〜〜〜〜┃侏儒国┃〜┗━━━┛
 ↑ ┃〜〜┃▲↘_陸行一「日」(正)▲▲▲▲↓国東半島┗━━━┛「在其南 人長三四尺
【呉】┃〜〜┃★奴国@【女王之所都】▲▲┃↓豊後水道〜〜〜〜〜去女王四千余里」
建業┃〜〜┃狗奴国▲▲▲▲▲▲投馬国←┘宮崎平野=南「水行二十日」
会稽┃〜〜┗━━女王国島━━┛↓〜〜〜〜〜〜〜〜
東治┃〜東シナ海〜┌南「水行十日」〜〜〜〜〜〜〜〜
   ┃〜〜┌┌←←▲奄美大島┐↙陳寿の創作(女王国島のパラレルワールド)↓
 ↓ ┃〜〜│↓「陸行一月」(幻)│←「自女王國以北其戸数道里可得略載※」(北部九州30カ国)
   ┃〜〜│↓〜▲〜〜〜〜〜│亶州(沖縄)〜↓「自郡至女王国 万二千余里」
東冶┃〜〜│☆奴国A(幻)〜〜│←『【女王之所都】計其道里 當在会稽「東冶」之東』(魏<西晋のプロパガンダ)
   ┃〜〜│▲狗奴国(幻)〜〜│夷州(台湾)〜↑「此女王境界所尽 其南有狗奴國 不属女王」
香港┃〜〜└┐〜〜〜〜〜〜〜│←「※其余旁国(幻)遠絶 不可得詳」
┏▲海南島〜└邪馬台国島(幻)┘〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
┃↖儋耳朱崖〜〜南シナ海〜〜「所有無與儋耳朱崖同(服装・産物・動物・武器)倭地温暖冬夏食生菜」
┛←南越(ベトナム)〜〜〜〜〜↘▲裸国フィリピン〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜↘▲黒歯国インドネシア▲パプアニューギニア「複在其(奴国A)東南 船行一年」

46 :日本@名無史さん:2019/09/19(木) 13:41:44.70 .net
平原一号墓出土鏡を八咫の鏡と呼ぶのはやめよう
皇室の三種の神器、伊勢神宮のご神体とは、無関係なバキバキに割られて
墓坑にバラ撒かれた鏡だ
割るためだけに作った鏡で、何の権威もまとっていない

平原1号墓の大量の銅鏡と比較すべきなのは、出雲の荒神谷遺跡の大量の銅剣
それまでの祭器だった青銅器を一括して大量に鋳直した物と考えればよい

47 :日本@名無史さん:2019/09/19(木) 13:52:09.15 .net
大きさが八咫の鏡だから八咫の鏡だろう。
出雲が降伏して武装解除した名残が荒神谷遺跡だろう。
その後に豊葦原中国の王として天孫が筑紫の日向に降臨したとあり、その地が平原遺跡を含む倭国の王都であった伊都になる。
平原遺跡には三種の神器が揃っていて、たまたま大きな鏡があっただけではないことは明らか。

48 :日本@名無史さん:2019/10/08(火) 06:45:04.58 .net
プジョー

49 :日本@名無史さん:2019/11/05(火) 21:28:22 .net
考察

50 :日本@名無史さん:2019/11/06(水) 12:05:02 .net
>>1
魏志倭人伝は意外と日本人の民族性を高く評価しているのだよな。
(たとえば倭人なんて、一応人偏がついているからな)
しかし卑弥呼の表記(卑しいと言う漢字を当てている)
とか鬼道とか悪い文字をあえて選んでいるからには当時の中国人は胡散臭いものを
感じたのだろうな。
たとえば張角の太平道のパクリみたいなものとか。

51 :日本@名無史さん:2019/11/06(水) 13:10:50 .net
中国での鬼は死者のことだから、鬼道とは死者を祭る宗教。

仏教かな?

52 :日本@名無史さん:2019/11/06(水) 16:24:37 .net
神道はそもそも祖先を祭るものだよ。
イザナギとかアマテラスとかは、皇祖だからね。

53 :日本@名無史さん:2019/11/06(水) 20:38:32 .net
3つの柱の内の一つ

54 :日本@名無史さん:2019/11/07(木) 15:26:09.40 .net
>>44
>>45
卑弥呼の魏帝への朝貢目的は、蜀の牽制として西のインド・クシャーナ朝「親魏大月氏王」同様、呉の牽制として東の「親魏倭王」号を取得し、帯方郡が管理している「伽耶の鉄」の倭国における輸入独占権の確保(郡宛て書簡封泥用の金印「親魏倭王」)。
つまり狗奴国戦争における後方支援(後に援軍)要請だったわけで、南の狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は狗奴国の位置であることに留意されたい。
そこで九州説、畿内説における狗奴国を検討すると、以下のようになる。

−女王国 東→渡「海A」千余里 複有「国皆倭種B」(〇九州説…A関門海峡・B本州、✖畿内説…A鈴鹿山脈・B北海道)
−其南↓有狗奴國 不属女王(〇九州説…熊本もしくは薩摩、✖畿内説…仲良し東海)

畿内説はいずれも当てはまらない上、「国皆倭種(→東)」と「狗奴国(南⤴東)」が重複し、矛盾が生じる。
また、鉄製武器(軍事力)も文字・駅伝制(通信手段)もない3世紀の畿内にいて、遠隔の北部九州を安定支配するのは物理的に不可能。
魏志倭人伝を史料として採用する以上、九州説が正しいことになる。
では、狗奴国が熊本か鹿児島かだが、邪馬台国七万戸を統治する倭女王をして、魏帝に援軍要請させるほど窮地に陥れる国の軍事力を考えると、
その人口は邪馬台国と同等(七万戸)もしくはそれ以上の人口(八万戸)を想定。
面積から見て、川内平野でゎ「平野面積≒戸数」となる3世紀の開墾能力では無理があると思われ、狗奴国は菊地平野(狗古智比狗の本拠)+熊本平野+八代平野の3平野を合わせた超大国と考定して、
北の邪馬台国は、北岸の吉野ヶ里遺跡を始め、弥生拠点集落の宝庫「筑後(川)の賜物」筑紫平野、卑弥呼王宮はその最高所・甘木朝倉を、
卑弥呼の冢「大作冢径百余歩(尺)=0.25m×100歩=直径25m」は、3世紀中頃の築造で、筑紫平野を一望でき、同時期の殉葬者が少なくとも66人以上確認されている「有棺無槨」祇園山古墳を比定。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

55 :日本@名無史さん:2019/11/07(木) 15:35:56.98 .net
>>54
すると、欽明(天皇家開祖)の父にして、古代史の謎である継体の正体(呉の南の「越」王の分家>狗奴国・卑弥弓呼末裔/鯨魚@八代淡海→近江琵琶湖)も判明!古代史は以下のように一挙に解明できるのである!

漢委奴国王=1世紀(弥生後期)
帥升=2世紀(倭国大乱)
卑弥呼=3世紀(弥生終末)邪馬台国(帯方郡張政の仲介で狗奴国を併合)…伊都国王神武「更立男王国中不服」を派遣し、紀伊半島西部水銀鉱床で栄えていた大和纏向を征服させ、奥津城(王家の谷)として隠蔽&独占。
崇神朝=4世紀(前期古墳)伊都国(台与死後「複立男王並受中国爵命」)…垂仁、伊勢神宮を創建し紀伊半島東部も聖域化。紀伊半島の水銀鉱床完全独占。
応神朝=5世紀(中期古墳)邪馬台国(仲哀を武内宿彌&神功が暗殺)…魏晋【宋/斉/梁】南朝へ朝貢再開。479年「武」上表「安東大将軍倭王」に任官(悲願達成)。
継体朝=6世紀(後期古墳)狗奴国(武烈死後、倭王磐井を暗殺「百済本紀531年、日本の天皇・皇太子・皇子共に薨去」、筑紫君と矮小)…阿蘇邪靡堆へ遷都。倭国独自(九州)年号創設。
日出処「天子」倭王阿毎多利思比孤、新羅の朝貢を契機に隋煬帝に対し対等外交宣言607年
欽明朝=7世紀(飛鳥時代)…仏教伝来による墓制(国家祭祀)変更のため、欽明皇子、蘇我稲目と共に奥津城(王家の谷)に下向。大和分家として飛鳥疎開宮造営。
用明&厩戸…物部守屋を誅殺し前方後円墳廃止。大和分家を乗っ取ろうとした蘇我氏を九州本家の天智が誅殺し、近江大津京へ東遷(大化の改新)。
天武朝=8世紀(奈良時代)記紀編纂→唐外交の火種【九州年号&多利思比孤】を抹消すべく、崇神朝〜応神朝〜継体朝の歴代倭王権@九州本家の交代が、すべて大和分家で起こっていたように史実歪曲。
畿内を記紀の歴史テーマパーク化(九州の地名をそっくり移植。阿蘇外輪山→三輪山、八代淡海→近江琵琶湖など)
桓武朝=9世紀(平安時代)

まとめると、
九州本家…卑弥呼台与(邪馬台国)→崇神朝(伊都国)→応神朝(邪馬台国)→継体朝(狗奴国/阿毎多利思比孤)→天智東遷(難波宮大津宮)→桓武(平安京)
大和分家…神武朝(伊都国)東征→崇神朝奥津城造営(紀伊半島の水銀鉱床目的)↘欽明朝(推古摂政厩戸)→天武持統(飛鳥宮藤原京)→元明(平城京)

56 :日本@名無史さん:2019/12/20(金) 06:28:50.16 .net
>>30
手柄をスサノオに譲った(とられた)のかと思ってた
同一人物説がチラホラあるから

57 :日本@名無史さん:2019/12/20(金) 06:35:24.36 .net
>>51-52
鬼道が神道になったんじゃない?
鬼庭が茂庭に改名させられたような?

58 :日本@名無史さん:2019/12/21(土) 00:06:04.91 .net
>>56
対馬に月読神社があるから、月読は対馬の王となったのだろう。
行ったきりというのは、天照の子孫は筑紫に戻ってきたことを意識しての言葉だろう。
月読や天照の孫の世代に、天照がスサノオの後継者であった大国主を倒して、対馬海峡から山陰までの倭国を再統一したのだろう。

59 :日本@名無史さん:2019/12/21(土) 00:08:41.95 .net
>>57
鬼道はあくまでも中国から見た呼称だろ。
卑弥呼の時代は記紀の通りなら神功皇后の時代で、その事績は玉と鏡と剣で彩られている。
考古学的にもその少し前から九州北部は三種の神器の時代になっている。

60 :日本@名無史さん:2019/12/21(土) 01:25:06.55 .net
>>58
だろうだろうで釈然としないな

61 :日本@名無史さん:2019/12/21(土) 01:25:32.43 .net
>>59
そういう話じゃない

62 :日本@名無史さん:2020/02/16(日) 13:42:25 .net
台与や卑弥呼の最後を考えたらかわいそうになってくる
もっと長生きして 未来の日本を見たかっただろうなぁと
思ってしまう!!
卑弥呼が長生きしていたら日本も変わっていたかな?

63 :日本@名無史さん:2020/02/16(日) 13:54:13 .net
190年頃に20歳で即位したなら、247年に崩御した時に77歳。
即位が180年頃なら87歳だ。
卑弥呼は十分に長生きしたよ。

64 :日本@名無史さん:2020/02/16(日) 22:02:17 .net
原始神道の教義の形成に五斗米道や太平道の連中が結構かかわっていたのでは
ないかな?
邪馬台国で読み書きができた人間はおそらく中国移民とその子孫
くらいしかいなかっただろうしな。
あの時代の中国から逃げてきた連中の中には多少なりとも組織を率いた
経験がある人もいただろうし、五斗米道や太平道はこうやって神様を祭っていると
神がかり婆さんにアドバイスをしたのではないの?

65 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 00:53:39 .net
卑弥呼は天皇なん

66 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 15:06:18 .net
天皇という呼称は天武天皇の時代のもので、それ以前は倭王が正式名だよね。
卑弥呼も倭王だ。

67 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 15:28:02 .net
倭王の「倭」は大陸の人らが蔑んで呼んだ国名では
おほきみ(王)が正しいと思ってたけど

68 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 16:16:23 .net
最近の研究では
卑弥呼は天照大神様みたいですね!
中国では卑弥呼と呼び 日本では
天照大神様と呼んでいたそうです
日本に実在した王女らしいです

ちなみに邪馬台国は徳島にあって
卑弥呼「天照大神」のお墓もあるそうです!

69 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 16:39:54 .net
なんと残念な頭

70 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 18:12:09 .net
>>67

古事記でも倭という語は多用している。
そこは問題ではない。

71 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:26:46 .net
>>70
卑弥呼の時代に卑弥呼が言ったならともかく、古事記って
単に外国から倭と呼ばれたから倭を名乗るようになったんでは

72 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:28:32 .net
倭はヤマトと読む

73 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:35:40.09 .net
>>71

卑弥呼は倭王の名前で国書を送っているのだが?

74 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:38:01 .net
倭と認識されてるから、はいはい倭ですよと応答したんじゃないのか

75 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:38:37 .net
ヤマトも後々の読み方だよね

76 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:40:32 .net
五十猛(イタケル)みたいに倭健命もワタケルだったりしてって説は見かける

77 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:41:08 .net
動画で見たから間違い無いよ!
卑弥呼は天照大神であり卑弥呼の
墓が徳島にあるってことは
邪馬台国も徳島県にあった

つまり徳島の生まれの人達は邪馬台国の住人達の
子孫って事で間違いないと思う!

ただ卑弥呼の親の伊邪那美や伊奘諾が
日本のどこにいたのか?何をしていたのか?
がハッキリと解明されていない
また高天原も現在どこにあって現代の高天原は
どうなっているのか?
そう言った事も解明されていない

78 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:44:51 .net
大和(ヤマト)にしても、
倭(ワ)→御倭(ミワ)→大和(ミワ)→乗っ取ったヤマトが読み方を充てたという説ある
大神(オオミワ)神社とか繋がりありそうな

79 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:45:08 .net
何の動画www

80 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:46:14 .net
小学生がいるな

81 :日本@名無史さん:2020/02/17(月) 19:47:25 .net
>>77
間違いなかったら新聞にも教科書にも載る

82 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 01:43:46 .net
>>78
1200年以上ある神社って現代と言葉が違うから謎だよな
アサマとかも謎

83 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 13:51:03 .net
>>76
タケルも勇者的代名詞であって本名じゃないみたいだしね
ヒミコも日の御子や火の巫女みたいな代名詞であって本名じゃなさそうだよね

>>82
アソ、アサ、は火山地名とか言うよね
アハ、アワ、アヲ、オホ、は青地名とか言うよね
考え出すとキリがなくて面白い

84 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 14:29:41 .net
>>50
古代中国は自分たち以外の周辺国を見下してたんよ
うちの列島だけでなく周辺国を賎しい名前で呼んでる

85 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 14:47:14 .net
>>22>>24
素盞は明らかに男神だけど
天照も月読も性別不詳なのが気になってる
後に朝廷の都合に合わせて書いたのが記紀だから
そんなもの何の証拠にもならないしね

86 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 16:32:02 .net
百襲姫は神懸かってお告げするスタイル

今で言う降霊による神託だろうな

という事は百襲姫は霊媒師だな

卑弥呼を百襲姫と見るなら

87 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 18:02:46 .net
鬼道だけど
そもそも昔の中国さんは儒教だったよね
儒教に従わない異民族を野蛮な「化外人」と蔑んだ
(あと「化」は儒教に従うことだとNHKで言ってた)

儒教じゃない教えだから鬼道と呼ばれたのでは

88 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 18:06:50 .net
>>86
えーと
そもそも権力のある者が娶る女は
神憑りする巫女と相場が決まっているのでは

89 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 18:08:03 .net
>神懸かってお告げするスタイル

そうじゃないスタイルがあるのか?

90 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 19:02:21 .net
卑弥呼は天照大神なんじゃないの?
動画で学者?教授?みたいな人が卑弥呼は
日本では天照大神って呼ばれていたって言っていたよ!
実際に徳島に卑弥呼・天照大神の
お墓もあるって言っていたし

天照大神も太陽の術を使えたから
卑弥呼の鬼道はお告げというより
天照大神の太陽の術?魔法?
のことを言っているんだと思う

91 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 19:13:05.63 .net
百襲姫は未来に起こる出来事が見えたんだそうな

霊媒師じゃなければノストラダムスみたいな予言者だったかもな

92 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 19:23:59.45 .net
実際に若い時代に卑弥呼や台与も邪馬台国の
軍隊を引き連れて悪魔や鬼の軍勢と戦ったって
記述があると言われているから
卑弥呼の鬼道はお告げではないと思う

戦場で敵軍に対して使うような術だったと思う!
卑弥呼や台与の死は邪馬台国や日本国を守るための
犠牲になったらしいと言われているし
子孫である神武天皇が卑弥呼や台与の意思を継いで
日本を収め現代の皇室まで引き継がれていると考えると
納得出来る!!

93 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 19:46:17.05 .net
風読みだよ

94 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:08:11.54 .net
小学生しかいないのかここは

95 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:11:14.12 .net
>>90
学者でも教授でも多忙でYouTubeなんか出来ないので、仕事が無くて暇な塾講師などが個人的な趣味で妄想を語ってる動画なのだろうと推測できる

96 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 20:11:58.34 .net
スレタイが読めるなら、こうだからこうという理論的な「考察」を書こうか

97 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 21:15:16 .net
>>87
一番しっくりくる

Wikipedia
当時の中国の文献では儒教にそぐわない体制を「鬼道」と表現している用法があることから、呪術ではなく、単に儒教的価値観にそぐわない政治体制であることを意味するという解釈がある。

98 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 21:46:45.13 .net
古代神道を鬼道と呼んだでいいだろ。

99 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 22:05:43 .net
まだ古代神道そのものが謎なのに?

100 :日本@名無史さん:2020/02/18(火) 22:24:04 .net
>>87
たしか日本の他にも鬼道の国もう一つ記載されてたハズ
つまり中国から見て異国の宗教の呼び名に過ぎないのだろう

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