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邪馬台国はここだ!

178 :日本@名無史さん:2019/08/31(土) 08:08:11.48 .net
魏史倭人伝に言う卑弥呼は二人いて、

実際に魏に使節団を送り親魏倭王に叙任された卑弥呼=媛巫女(ヒメミコ)は豊国宇佐の豊玉姫。
当時、その少し前に徐福(自称ニギハヤヒ)の渡来以来吉野ヶ里を本拠地(宮都)としていた物部王家(筑秦国→筑紫国)のイニエ王は始祖、徐福以来の悲願である大和を平定して大王となる大業を実行に移して

吉野ヶ里を旅立ち南下、兵を集め鹿児島(アタ地方)の出雲王国系豪族の娘に一目惚れして一夜必中の濃い種水により見事懐妊したお姫様(アタつ姫/コノハナサクヤ)はイクメで男子を出産。
出生地のイクメに因んでイクメ御子と呼ばれます。
イニエス王は宮崎の都万に至り国を建てました。
このお姫様(后)、美人薄命だったようで都万の都でお亡くなりになりました。
(ニニギ、コノハナサクヤ姫、火中出産(ワニになって(ワニは出雲族の信仰による)出産)。ウガヤフキアエズ、神武、崇神、、、等の神話を創作)

北の雄、太古より栄える豊国宇佐族と対峙して一触即発の緊張の中、講話、和平が成されて

豊国宇佐王家の月読神の媛巫女、豊玉姫と都万国物部イニエ王は政略結婚する事で
豊国都万国の連合王国が成立。

イニエ王は大和攻略の準備に各地の有力者や豪族らに参加、協力を促し招聘。

その中にいわゆる武内宿祢大田根(初代)もいました。

やがて西都原周辺にまで広がった人口が増大して魏史に言う様に七万戸にもなったようです。

そのイニエ王も長生き出来ず若死にしていまいました。

その後を媛巫女の豊玉姫は大后として都万国豊国の実権を掌握して女王として君臨。

彼女は亡き夫の遺志を奉じて、
強力な権威と勢力をゆうする後ろ楯が必要と考えて
魏帝国に使節団を送り、属国化しました。
その際に「親魏倭王」に叙任され、魏帝国の「軍旗、錦の御幡が八流」が下賜されて
宇佐の宮に翻っていた事が後世、「宇佐宮を八幡宮」と言う端緒になったようです。

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