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秦氏はどこから来たか 4

1 :アッシー:2020/02/27(木) 01:58:54 .net
秦氏ホータン出身説が最も具体的。その他の説はゴミに近い。
あとは太秦エルサレム説の真贋だけだ。

101 :日本@名無史さん:2020/04/12(日) 08:37:31 .net
そう勾玉は縄文時代から日本にあるんだよね

102 :日本@名無史さん:2020/04/12(日) 20:30:39.99 .net
コロナ=君 、片仮名を合体させた漢字が君

これ大変な事で、漢字を整理決定した人たちはカタカナが理解できてたって事で
コロナ(王冠、光冠)=君(王族、君主)

103 :日本@名無史さん:2020/04/14(火) 23:05:45 .net
南シベリアのアルタイ山中のパジリク渓谷から発見された
スキタイ族=サカ族の部族長の墓から出土したこの絨毯は、
その後の調査でなんと2500年前のものということがわかったのです。

パジリク遺跡のスキタイ人物像と馬飾りの「勾玉」
http://tribe-log.com/wp/wp-content/uploads/feltslide17_edited.jpg

パジリク5号墳出土の壁面覆いに見られる「乗馬する男」と「勾玉」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/PazyrikHorseman.JPG

104 :日本@名無史さん:2020/04/15(水) 00:09:42 .net
朝鮮半島以外あるわけねーじゃん

アホみたいなスレだな

105 :日本@名無史さん:2020/04/15(水) 10:20:18 .net
どこから半島に来たのかという話なんだが

106 :日本@名無史さん:2020/04/17(金) 20:21:29 .net
そうです そうなのに日本の古い研究者らは「秦氏は半島からきた 箔付けのために中国工程の子孫を自称した」で止まっています 恥じかしくないのか、と

土木技術集団でもあった秦氏はもっと研究されるべき

ここらへんはまだ最近の出版なので変なイデオロギーには縛られていないだと思う
https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000029/

107 :日本@名無史さん:2020/04/23(木) 20:05:30 .net
大秦(だいしん)は、中国の史書に記載されている国名で、
ローマ帝国、のち東ローマ帝国のことを指すとされる。

この国が、歴史的実在としてはローマ帝国であることは疑いない。
それは、『後漢書』桓帝延喜9年(紀元166年)に、大秦王安敦の使者と称する者が
海路到来したと記されており、
その安敦(アントン)王の年代とローマ帝国五賢帝の最後の人、
マルクス・アウレーリウス・アントニーヌスの治世(紀元161年〜180年)とが、
ちょうど重なることからもわかる。

108 :日本@名無史さん:2020/04/23(木) 20:18:57 .net
シン (メソポタミア神話)
シン (Sîn) は、古代メソポタミアで信仰された月の神(男神)。
シンはアッカド語の名前であり、シュメール語ではナンナ (Nanna)。
「ナンナ」はアッカド語ではナンナルと呼ばれる。


秦氏が「月読命」を祀っている事実に、もっと注目したい。
というのは、『日本書紀』の一書では、月読命のことを「月弓尊」と表記しているからだ。
「月弓尊」と「弓月君」、弓と月が引っ繰り返っているが、両者が無関係とは思えない。

月読神社 (京都市)
創建当初は 月読命ではなくて月神だった。 松尾大社や月読神社に伝わる系図によると、
月読神社社家は源平時代に松尾社家(秦氏)の女を母とし、秦氏を名乗ったという。

109 :日本@名無史さん:2020/04/24(金) 20:03:47 .net
>イラン人、サヘル・ローズがコロナ=君、の話題をUPしてるな。

>これは単に面白いと言うよりも、学問的には大変な事でカタカナは、
>日本で漢字の偏からが崩れ、前漢ころに「漢」でカタカナが使用されてた事になる。

サヘル‏ @21Sahel

知人から頂いた発見。
あたたかいな。
https://pbs.twimg.com/media/EVoAZfUUYAArRoq.jpg
https://twitter.com/21Sahel?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
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110 :日本@名無史さん:2020/04/25(土) 02:25:45 .net
鳥越憲三郎 説
倭族の一部が日本列島に移住し、また他の倭族と分岐していったとした。
分岐したと比定される民族には、イ族、ハニ族 (古代での和夷に比定。
またタイではアカ族)、タイ族、ワ族、ミャオ族、カレン族、ラワ族などがある。
これらの民族間では高床式建物、貫頭衣、注連縄などの風俗が共通するとしている。
h ttps://artworks-inter.net/ebook/?p=1336

111 :日本@名無史さん:2020/04/25(土) 16:24:41 .net
石製の硯、福岡県を中心に150例以上
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1587791074/
弥生時代から文字文化浸透か

112 :日本@名無史さん:2020/04/25(土) 17:40:39 .net
秦の始皇帝 (紀元前259年- 紀元前210年)が紀元前221年、全国の統一を成し遂げると、
宰相李斯に命じて定めたという、漢字の統一書体(当時はまだ「大篆」や「小篆」など)。
その簡略体が隷書(現在の楷書体に一番近い)で、漢代に用いられるようになり、
さらに楷書体、行書体がつくられ、現在の漢字になる。

隷書への展開と衰微・変質
そのような国の意図とは裏腹に、小篆はすぐにその形を崩し始める。
法治国家である秦では、下層の役人が現場で事務処理を行うことが多くなった。
彼らにとって複雑な形をした小篆はきわめて書きづらいものであり、自然走り書きが多くなった。
このことが小篆の書体の単純化・簡素化を生み、やがて隷書を生むことになるのである(隷変)。

紀元前206年に秦が滅亡すると、楚漢戦争を経て前漢が立った。
前漢とそれに続く後漢では公式書体として小篆ではなく隷書が採用されることになったが、
このことには小篆の煩雑さを避けるためという意図があった。

またこのような「筆記手段」としての役割を優先した文字政策は、
「権力の象徴」として存在し続けていたそれまでの文字の概念を完全に覆すものであり、
甲骨文以来続いた「古代文字」の時代の終焉を示すものでもあった。

113 :日本@名無史さん:2020/04/25(土) 18:02:00 .net
日本の万葉カタカナ「己コ」「呂ロ」「奈ナ」は漢字の偏からの定説でが崩れ、
前漢ころに「漢」でカタカナを使用してた官僚たちがいた事になる。

そうでなければ、ラテン語「CORONAコロナ=君」が王冠を被る王の意味と一致しない。

114 :日本@名無史さん:2020/04/25(土) 18:08:15 .net
「漢」でカタカナを使用してた官僚たちがいた

>この官僚集団こそが、後の秦氏だと思ってる、
>なぜなら彼らは秦語を喋り、自分たちを陝西人「邦」の人と言ってるからだ。

115 :日本@名無史さん:2020/04/26(日) 02:02:37 .net
【古代】「日本人の起源」探るゲノム 縄文・弥生の「二重構造」に新説 「現代日本人と渡来系弥生人は遺伝的によく似ている」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1587822038/

116 :日本@名無史さん:2020/04/26(日) 09:04:40 .net
三橋貴明 「邪馬台国は九州だ」
https://38news.jp/default/14713
https://i1.wp.com/38news.jp/wp/wp-content/uploads/2019/10/191006.png
「Y遺伝子、大陸と日本人は全く似ていない」
「畿内説は自虐史家たちの政治的意図を感じる」

日本人は縄文時代から稲作をしており、水稲にしても紀元前930年より前に始まっていたことが確定しています
それにも関わらず、紀元前200年頃に渡来人が水稲を伝えたという通説が消えない。
そもそも、Y遺伝子を見れば、日本人が大陸の人々とは全く似ていないことが明確なのです。

結局、「縄文人+渡来人=弥生人」というおかしな、しかも各種データや遺跡を無視した発想は、
日本人に、お前たちは結局、大陸から来た中国人や韓国人の子孫なんだよと、嘘の情報を
植え付けようとしていると感じられ、率直に言って、気持ち悪くて仕方がありません。
財政破綻論者同様に、嘘を広める自虐史家たちも、日本国の繁栄を妨げる邪魔者なのです。

117 :日本@名無史さん:2020/04/26(日) 19:15:50 .net
変なもん貼るなよw

118 :日本@名無史さん:2020/04/26(日) 21:58:21 .net
>>110
おまえ、ハニ族の住居が土壁の土間式住居なのも知らんのか?w

100年ほど前にハニ族から分かれて南下したのがアカ族で、アカ族が高床式住居に
住み始めたのは、ここ100年ほどの歴史しかない事も知らんのか?w


サギー華南ブタ広鼻 突顎 巨大タラコ唇マレーゴリラのおまえw

119 :日本@名無史さん:2020/04/27(月) 21:29:11 .net
>これまでは、トンデモ本の扱いだったが、どうも真実のような気がする
>ユダヤと秦氏の秘められた歴史が隠されている。

ヘブライ語とカタカナ
https://kumatube.net/wp-content/uploads/2017/10/jew_kana.gif
https://lh3.googleusercontent.com/proxy/_dqzFchEF5X-J38R2SBPYJOyECILekHau6fVhLVMEfgYZNYF7kHOkxFFpEt4yhT7s_QRtJghvmkr4DRW0JZDP8EmtGkcm20evWKqPQQIJdOUwA

120 :日本@名無史さん:2020/04/28(火) 12:25:46 .net
>>118
馬鹿すぎワロタ これ2千年前以上前の話だから黙ってろ猿

121 :日本@名無史さん:2020/04/28(火) 13:07:18 .net
>>118
有名な志賀島に見つかった金印(漢委奴国王印)は有名だが、あれは中華からみて南方に存在した滇などに送られた金印と同じで蛇の鈕を持つ

この印綬が奴国に贈られた事実、この理由がわかるか?お前みたいな鼻ぺちゃの猿にはわからんやろなwww

122 :日本@名無史さん:2020/04/28(火) 13:32:01 .net
たとえば記紀には百済王族の子供が日本に人質として来ていたという記述が良くあるわけだけど

韓国側の歴史書には、「百済は王子を倭国に人質として出していた」という記述は一切ないわけだよ

なぜかというと、自国が他国に人質を出していたなんていう「自国の劣位を認めるようなかっこ悪い事実」は、そりゃ歴史書に書きたくないからだよな?


だとすればな、

もし倭国王族が王子を百済に人質に出していたも、それは記紀には書かれないわけだよ

ここまではわかるだろ?

で、じゃあさ、倭国王族は王子を百済に人質に出していたか?いなかったか?
ということを考えたらさ
俺は普通に「人質に出していた」が正解だと思うよ

だって、出さない理由がないでしょ
当時倭国は金属輸入を完全に半島に頼ってて、任那の直轄地も失ってる
文化的にも百済の方がレベルが高い
百済と倭は4〜5世紀までの「倭国優越の関係」ではなく、対等関係になってる

123 :日本@名無史さん:2020/04/28(火) 13:59:09 .net
>>100
何でも大陸からという固定観念が
間違いのもとだったんですね
そんなに大陸人が有能なら、今でもすごい技術が大陸から来るはずなのに
ほとんどなし

124 :日本@名無史さん:2020/04/28(火) 16:25:02 .net
古代史の研究にとって邪魔な存在がいる。
ネトウヨとパヨク、どちらも邪魔。

125 :日本@名無史さん:2020/04/28(火) 16:28:11 .net
日ユ同祖論に飛びつく奴の心理。
中韓との類似性を打ち消すために飛びついているだけである。

126 :日本@名無史さん:2020/04/28(火) 16:52:40 .net
『図説中国文明史4秦漢』は、秦人(しんひと)は東夷族(広く東部沿海に住む異民族を指す)
から分かれた一派で、黄河下流の東部沿海で遊牧していたともいわれています。

殷代(前16−11世紀)、秦人は何回かに分けて甘粛省東部に移ってきて、
殷王朝と同盟関係をもっていました。当時、秦人は牧畜業を主要な産業としていた。
前16世紀から前7世紀にかけて、秦は3度にわたる東への大規模な移動を経て、
西戎の地から今の陝西省内にある西周のかつての本拠地に移ってきたという。
その西周の本拠地に、雍城は位置している。 そして、秦人の出自は東夷という。

最初に中国を統一したのは秦なのに、何故中国人を秦民族と呼ばずに漢民族というのか
不思議だったが、やっとわかった。 また、秦人は遊牧民だったので、
遊牧民に受け継がれてきた儀式に必要な鍑が雍城から出土しても不思議ではなかったのだ。
雍城出土の鍑が前7世紀のものだとすると、スキタイの鍑(前5−4世紀)よりも古い。

127 :日本@名無史さん:2020/04/28(火) 16:53:36 .net
>ハイテク集団、秦氏が残した数々の遺物。

ローマ文化王国−新羅
http://blog.onekoreanews.net/attach/3/1157232955.jpg
https://image.honto.jp/item/2/360/0256/2216/02562216_1.png
https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/017/787/58/N000/000/002/139108501934625655226_sira07.jpg
http://avantdoublier.blogspot.com/2009/03/

128 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 02:22:42 .net
↑おいおい 嘘はやめろよ 秦氏なんか関係ないぞエテ公

129 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 08:08:42 .net
>>120
おまえ、ハニ族の住居が土壁の土間式住居なのも知らんのか?w

100年ほど前にハニ族から分かれて南下したのがアカ族で、アカ族が高床式住居に
住み始めたのは、ここ100年ほどの歴史しかない事も知らんのか?w


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130 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 08:09:14 .net
>>120
おまえ、ハニ族の住居が土壁の土間式住居なのも知らんのか?w

100年ほど前にハニ族から分かれて南下したのがアカ族で、アカ族が高床式住居に
住み始めたのは、ここ100年ほどの歴史しかない事も知らんのか?w


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131 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 08:09:38 .net
>>120
おまえ、ハニ族の住居が土壁の土間式住居なのも知らんのか?w

100年ほど前にハニ族から分かれて南下したのがアカ族で、アカ族が高床式住居に
住み始めたのは、ここ100年ほどの歴史しかない事も知らんのか?w


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132 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 08:10:00 .net
>>120
おまえ、ハニ族の住居が土壁の土間式住居なのも知らんのか?w

100年ほど前にハニ族から分かれて南下したのがアカ族で、アカ族が高床式住居に
住み始めたのは、ここ100年ほどの歴史しかない事も知らんのか?w


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133 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 08:10:20 .net
>>120
おまえ、ハニ族の住居が土壁の土間式住居なのも知らんのか?w

100年ほど前にハニ族から分かれて南下したのがアカ族で、アカ族が高床式住居に
住み始めたのは、ここ100年ほどの歴史しかない事も知らんのか?w


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134 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 08:10:41 .net
>>120
おまえ、ハニ族の住居が土壁の土間式住居なのも知らんのか?w

100年ほど前にハニ族から分かれて南下したのがアカ族で、アカ族が高床式住居に
住み始めたのは、ここ100年ほどの歴史しかない事も知らんのか?w


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135 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 08:11:12 .net
>>120
おまえ、ハニ族の住居が土壁の土間式住居なのも知らんのか?w

100年ほど前にハニ族から分かれて南下したのがアカ族で、アカ族が高床式住居に
住み始めたのは、ここ100年ほどの歴史しかない事も知らんのか?w


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136 :日本@名無史さん:2020/04/29(水) 11:55:57 .net
発狂するだけでなんら反論できない低能豚鼻野郎でした〜w

137 :日本@名無史さん:2020/05/02(土) 22:54:52.22 .net
ギリシャのクレタ島でマグニチュード6.0の地震

1 時間前 - 5月2日(土)ギリシャのクレタ島でマグニチュード6.0の地震が発生した。
欧州地中海地震学センターが観測した。 欧州地中海地震学センターによると、
震源地は深さ10キロメートル地点という。

138 :日本@名無史さん:2020/05/02(土) 23:33:20 .net
中央アジアにいたチュルク、ペルシャ系ユダヤ人たちが交易商人として
西安、楽浪、新羅、日本へと、その時、内々で使ってた秘文字がカタカナに近い文字だった、
いわゆるヘブライ文字がカタカナに似てるのも、コカ・コーラがユダヤ人も読めるらしい。

それと、天平時代の遣唐使として長安へ留学した吉備真備がカタカナの元祖説があるが、
前漢時代(紀元前200年ころ)には有ったはずだから、真備は留学時代に知ったんだろ。
『倭片仮字反切義解』南北朝時代の書物。

139 :日本@名無史さん:2020/05/02(土) 23:45:57 .net
前漢のころに秦氏は辰国として、今の百済地域に住んでた
『史記』や『漢書』の朝鮮伝によれば、衛氏朝鮮の時代(紀元前2世紀)に
現在の朝鮮半島の南部にあったという国である。

「百済」はどう見ても波斯ハシ、パーシ、ペルシャ、の当て字の様な気がする
辰国、辰王国は後の辰韓、新羅、秦王国で

140 :日本@名無史さん:2020/05/03(日) 00:05:08 .net
確かに、ひらがなは筆じゃないと書きにくい文字だけど
カタカナは固い木でもナイフなどでも書きやすい文字で特徴がある

漢書などでも倭人は木を刻んで文字となすと有るのカタカナの可能性もあるが
残念ながら木は朽ちて消える、土器に期待するしか。

141 :日本@名無史さん:2020/05/03(日) 19:28:46 .net
秦から来たら徐福だがwww

無いんで、
辰韓王だが 丹波那国の倭人、王は馬韓貴族として月支国で辰韓の奴隷国家を治めた。
箕氏朝鮮王が建国した馬韓は、秦の戦乱遺民を奴隷として東部に受け入れた。

秦氏という姓は、辰韓という無文字、無王社会じゃ、使ってなかっただろ?
氏姓は、倭王が漢名を名乗った、倭の五王以降に、朝廷が与えた。
勲功があった始祖が何者か? 記録ないし、そういう事。

戦乱で半島から逃げたかった、弓月君で良いかもしれない? 
むしろ、百済建国後の、阿直岐、王仁の系統が優秀そうだが?

663年以前の古代に日本と半島南部の国境は無かった。
つまり、そういう事。

142 :日本@名無史さん:2020/05/03(日) 19:49:49 .net
それにしても・・・どらごんぼーる?など。

ほんとーは秦氏とか、そういう家の話だと言っている人々がいるでしょ、
孫何やらという家?の話ではないのかな。

どういう事なんだろう?

143 :日本@名無史さん:2020/05/04(月) 03:43:07 .net
百済王家は中国東北部から南下したフヨ系だし 交流しまくってた中国側の記録にはっきり残ってる バカな妄想たぎらせてるヤツには残念な現実ですが覚えとけ

144 :日本@名無史さん:2020/05/05(火) 08:50:08 .net
高句麗の支配者と同じで夫余系でした 中国東北部出身で農業もする民族です

145 :日本@名無史さん:2020/05/06(水) 21:19:33 .net
>>1 和田(コータン)について、何か思い当たるものが、日本に在るのではないか

146 :日本@名無史さん:2020/05/07(木) 07:30:08 .net
中国メディア 日本人は徐福の末裔だという説は本当か? 
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1588803752/
徐福と彼が連れて行った若い男女の末裔が日本人である

147 :日本@名無史さん:2020/05/08(金) 03:17:27 .net
城壁都市が当たり前だった徐福の時代から数百年後の卑弥呼の時代でも、吉野ケ里遺跡などにあるように日本の建築技術など全く向上していないので徐福の日本列島への到来はなかったのではないかと
新宮市にお墓がある、など来てたのかもしれないけど、あれが徐福の墓になったのはずっと後じゃないかという意見もありますね

148 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 15:03:48 .net
秦氏に関しての家系研究はこれが一番新しい部類に入る(オカルト本以外)
これまで多くの研究者が秦氏に関する本を出しているが、それらにも触れているので一冊で秦氏研究の流れが分かる

まずはコレを読まずして秦氏を語ってはならない 妄想で語るオカルト連中など相手にしてはならない

https://twitter.com/KKamikawa/status/1101293550065508352
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784434240201
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149 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 16:41:11 .net
>まずはコレを読まずして秦氏を語ってはならない
 ↑
これ自体がただの匿名ねらーの主観
その本読まないのも読まずに語るのも人の勝手でいちいち指図受けません

150 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 20:47:44 .net
オカルトとは対極にいる家系研究者です。この本は読む価値はあると思いますよ、狂乱の秦氏はユダヤ人だ!論者の本よりは

宝賀 寿男(ほうが としお、「寶賀壽男」とも表記。1946年4月17日 - )は、日本及び北東アジアの古代史・系譜の研究者。日本家系図学会及び家系研究協議会の会長。元大蔵省(現財務省)の官僚で、現在は弁護士。

151 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 20:56:48 .net
私は同じ東大法学部卒なこちらの研究者の秦氏の本も読みましたが理解不能でした 助けて下さい

https://simple-art-book.blog.ss-blog.jp/2017-03-04

152 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 21:00:11 .net
こちらでした やはり難しい本のようですね

https://bookmeter.com/books/11237051

153 :日本@名無史さん:2020/05/09(土) 21:02:40.46 .net
やはり東大法学部卒は文献を 読み込む能力 読み解く能力は優れていると感じております
考古学的なアプローチとは別ですがね
いずれにせよ妄想だけのオカルト連中よりは100万倍マシだと思います

154 :日本@名無史さん:2020/05/10(日) 07:48:18 .net
分かりますか? なぜこの人の本を読むべきか?

>日本家系図学会及び家系研究協議会の会長

だからデス 地道に家系研究やってる人の最近の著書も読まずにに語るな っちゅうことやオカルト野郎 

分かったけ?

155 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 02:59:14.63 .net
秦いうても中華的な要素が全く無いよね 屋根瓦なし 中国で当たり前だった干しレンガとかもなし

吉野ケ里遺跡で『魏志倭人伝』を読む
https://www.youtube.com/watch?v=ZVURVXR2MTc

156 :日本@名無史さん:2020/05/12(火) 23:04:19 .net
なるほど、じゃあ秦氏はどうして
新型コロナにはBCGワクチンの免疫効果が大きいと発見できたのか?

157 :日本@名無史さん:2020/05/13(水) 18:52:16 .net
秦氏はチベット高地でデニソワ人の混血女性をレイプしていたらしいね

158 :日本@名無史さん:2020/05/15(金) 08:09:28 .net
「神社」の社殿は日本古来のものなのか?
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589480970/
ユダヤの神殿です

159 :日本@名無史さん:2020/05/15(金) 10:34:22 .net
バカの戯言

160 :日本@名無史さん:2020/05/15(金) 13:40:04 .net
では漢字の中に如何して鳥居の「形」が使われてるのか?
「刑」「型」等々。

161 :日本@名無史さん:2020/05/15(金) 14:42:03 .net
「其」の古字を日本では「#24320;」と書いた。

162 :日本@名無史さん:2020/05/19(火) 15:16:52 .net
漢字って大陸から伝来したものなんだけど?ってツッコまれるの分かってるよな

163 :日本@名無史さん:2020/05/20(水) 09:55:02 .net
日本人の祖先はヘブライ人?
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589929257/
ユダヤの失われた十支族の末裔であるとする日ユ同祖論

164 :日本@名無史さん:2020/06/08(月) 13:24:49 .net
正倉院宝物にトルコ羊の毛? 敷物「花氈」、鑑定士が分析
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1591437006/
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200605-00000121-kyodonews-000-3-view.jpg

165 :日本@名無史さん:2020/06/14(日) 16:16:32 .net
日本の文字文化は紀元前から? 「すずり」から推測
弥生時代から古墳時代にかけての石製品のうち、これまで砥石(といし)などとされてきた150例以上は筆記用具のすずりでは? 柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)が最新論文でそう指摘している。日本での本格的な文字文化の広がりは5世紀ごろともされるが、石製品がすずりなら、文字の使用が紀元前にさかのぼる可能性を示唆する。

166 :日本@名無史さん:2020/06/14(日) 19:20:36 .net
>>165
筆や木簡、竹簡、経木がないだろ

だから硯は単なる宝器として搬入された楽浪文物とそのコピーだよ

167 :日本@名無史さん:2020/06/23(火) 08:01:12.17 .net
硯が宝器ってなんだよ 意味がわからん
石は現地で採掘されたものだ 
使っていた机も見つかっている 当然現地で生産された同じ規格のものだ

168 :日本@名無史さん:2020/07/07(火) 08:54:52 .net
平安京
https://i.imgur.com/YmZDwLf.jpg

169 :日本@名無史さん:2020/07/11(土) 21:32:10 .net
秦氏のルーツ 古代イスラエル
https://www.youtube.com/watch?v=U9mso4fw-pE

170 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 01:58:27 .net
朝鮮だろ
ジャップのルーツは朝鮮

https://i.imgur.com/06ecAjK.png
https://i.imgur.com/7knzJfZ.png

171 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 17:28:14 .net
モンゴルが奴隷朝鮮人をレイプしまくって混血した現代朝鮮ゴキには関係ないw

朝鮮半島の最初の王朝は中国人 中国殷王朝の政治家だった箕子が支配した王朝
その後も衛氏など中華王朝の支配は続いた

倭人が付き合っていたのは百済のほかに朝鮮半島南部の金官伽耶など 新羅(秦羅)はここに襲いかかったため王族や貴族が渡来してきた



やがて中華王朝が直接支配した
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/Map_of_The_east_barbarian_0.png/800px-Map_of_The_east_barbarian_0.png

朝鮮半島に何一つオリジナルなものは何一つない

172 :日本@名無史さん:2020/07/18(土) 18:05:18 .net
つまり倭国は存在したが、同じ古代に”朝鮮人” なんてものは存在しない

百済ですら百の小国が集まって百済になったのだ 哀れなものですわww

173 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 10:41:00.91 .net
阿知使主が文殊菩薩
弓月の君が普賢菩薩と予想
鞍作鳥は、なんだろか

174 :日本@名無史さん:2020/07/19(日) 17:46:14 .net
『後漢書』巻85辰韓伝、『三国志』魏書巻30辰韓伝、『晋書』巻97辰韓伝、『北史』巻94新羅伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人がおり、馬韓はその東の地を割いて、与え住まわせ辰韓人と名づけたという。

そのため、その地の言葉には秦語(陝西方言。長安に都があった頃の標準語で、この亡民が秦代〜前漢代に渡来したことを物語る)が混じり、秦韓とも書いた。

これが辰韓であり、のちの新羅につながる連中であるw

175 :日本@名無史さん:2020/08/05(水) 00:35:57 .net
ようは最初から日本の秦氏は偽物だと中国人にはバレていたわけだ

176 :日本@名無史さん:2020/08/07(金) 19:53:48 .net
↑知識なさすぎだろう

秦国の出身者が秦氏になるのは普通、だが秦に限らず王家の出身なら姓がある
始皇帝の子孫を称するのは飾りすぎ

177 :日本@名無史さん:2020/08/11(火) 20:27:50.90 ID:cpGLMSyJd
秦氏の秦の字は、「大秦」の秦だよ。
大秦は「大きな国=ローマ」の意。
太秦(うずまさ)の字は、秦氏が自らの拠点を「ローマのような大きな国」と自負した字だな。

178 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 16:45:56 .net
アベコロナ

179 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 21:20:30.16 .net
徐 福、本名は徐 巿(じょふつ)。 『史記』巻六「秦始皇本紀」では徐 巿。
巿(ふつ)は「一」と「巾」から成り、
市(いち)は「亠」+「巾」から成る全く別の字である。

『史記』巻百十八「淮南衡山列伝」によると、秦の始皇帝に「東方の三神山に
長生不老の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、
3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、
財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には到らず、
「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、
秦には戻らなかったとの記述がある。

180 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 21:21:44.07 .net
饒速日命の系統神には徐巿の布都(巿.フツ)と付く神様が多い。

布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)
佐士布都神(さじふつのかみ)
甕布都神(みかふつのかみ)
鹿島神宮にも韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)
出雲の経津主神(ふつぬしのかみ)
石上神宮には、素戔嗚の霊剣である天羽々斬(あめのははきり、布都斯魂剣)、
布留御魂(饒速日の十種の神宝)

181 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 21:51:55.62 .net
布都御魂剣・韴霊剣
韴とは断音、つまり物を断ち切る時のプツリという音で、
刀の霊威をたたえた名称である。悪霊.災いを断ち切るの意。

確かに断ち切るのブツ切りの意味もあるが、
伊勢神宮が祀っている八咫鏡(やたのかがみ)を天照大神として祀っている。
八咫鏡は真経津鏡(まふつのかがみ)とも云われ、フツは「神」と云う説もある。

182 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 21:59:01 .net
徐福伝説に出てくる「蓬莱山」とはヨモギ山・草原の事で

「ふつ餅」を検索すると沖縄をも含めて九州各地で「蓬餅(よもぎもち)」
として知られていることが分かる。
しかし問題は「ふつ餅」という呼称が何故に九州に限られるのか、
「ふつ餅」の「ふつ」の意味が何故「よもぎ」なのか、
古代史を研究する学者も含めて誰も知らないし解説しない事である。

183 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 22:05:07.47 .net
徐福が探し求めた、長生不老の霊薬とはヨモギもあるのでは
世界的に古代では万能薬として利用し日本でも最近まで薬として利用した

この「蓬」は灸のモグサとしても使われ、
干した葉を煎じて飲むと腹痛、下痢、健胃、貧血、冷え性などに効果がある。
蓬餅(フツ餅)として食されるのは古代からその点(毒消し)に注目したからだろうが、
いわゆる(邪鬼を払って健康を保つ)万能薬であり、
日本古代史の世界では上記のように「神」として扱われ、
「邪鬼を切り払う」という意味から「神剣」という形で表している。

184 :日本@名無史さん:2020/08/12(水) 22:15:17 .net
徐 福、本名は徐 巿(じょふつ)。 徐一族で名は巿(フツ)

『史記』には「徐福または徐市(じょふつ)は斉(せい)の国琅邪(ろうや)の人なり。」
と記載されている。
春秋時代より斉の徐国の王族と云われ、始皇帝により方士として取り立てられる。

185 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 16:01:08.06 ID:TenAXJr/H
>>181
真経津鏡の津(ツ)は「〜の」を表す字のような。
なので、真経津鏡は「真経(マフ)の鏡」の意味では。
んで、真(マ)は「マジに、ほんとに」の強調語とすれば、問題なのは経(フ)ということになるよ。
経(ケイ)は経過の経(ケイ)で、和語では「たつ」と読み、「時間がたつ」ことを言う。
そして、「時間がたつ」ことは「へる(経る)」とも言い、この「へる(経る)」の変化が「ふる」であり、この「ふる」には「古(ふる)」の字が当てられる。
つまり、「へる(経る)」は「古(ふる)」であり、「る」は動詞を表す語なので、「古(ふる)」の名詞形は「古(ふ)」ということになる。
このように考えると、真経津鏡の経を「ふ」と読んでいるのは、「古(ふ)」の意味を表していることが分かる。
というわけで、真経津鏡(まふつのかがみ)とは、「マジ古い鏡だからね」の意味になるな。

186 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 16:43:08.23 ID:TenAXJr/H
>>182
ヨモギは、九州では「フツ」「フッパ」、沖縄では「フーチバ」と言うようだ。
そのヨモギの葉の裏の綿毛が「もぐさ」に用いられた。
「もぐさ」はお灸の材料。
お寺では、縁日法要の後、人々にほうらく灸加持を行って健康を祈ったそうだ。
でもって、その「もぐさ」の元のヨモギの葉の裏の綿毛を仏(フツ)と呼んだのじゃないの。

187 :日本@名無史さん:2020/08/13(木) 17:05:09.13 ID:TenAXJr/H
>>184
徐福が出航したとされるのは前219年で、一方秦氏が渡来たのは4世紀後半だから、
時期がまったく合わない。
どちらにも稀人信仰が反映してるんじゃないの。

188 :日本@名無史さん:2020/08/14(金) 01:35:50 .net
徐福が来日していたなら、九州の古代建築は吉野ケ里よりもっとマシなのがあったはず
環濠集落だった吉野ケ里遺跡でも徐福の時代より数百年後の話 
徐福の時代に中国では瓦屋根、城壁都市が存在した

大陸に遅れすぎてる とてもじゃないが徐福がきていたなどと・・・言えないはず
伝説が伝わっただけじゃないのか

189 :日本@名無史さん:2020/08/14(金) 01:38:14 .net
>始皇帝の命を受け、
>3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、
>財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には到らず、

残念、そんな痕跡は国内に残っていない 建築遺跡だけで分かる 来ていないと
船が難破して命からがらたどり着いた、とかならありかも 

190 :日本@名無史さん:2020/08/14(金) 16:01:50.27 ID:7MbG/TeRJ
徐福が東方で広い土地を得て、そこで成功したとするのは史記の「淮南衡山列伝」。
一方、同じ史記の「秦始皇本紀」では、徐福は始皇帝の援助を得たが、始皇帝が再び現地を巡行したところ、
実際には徐福は出航していず、改めて出航を命じたものの、その帰路に始皇帝は崩御したとしている。
徐福は詐欺師だとするものだ。
これが史実に近いのじやないの?
「淮南衡山列伝」のほうは、当時の中国人の願望を描いていると解釈したらいいのかもな。
日本のほうとしても、そんな話があると面白いから、徐福到着願望が広がるし。

191 :日本@名無史さん:2020/08/14(金) 16:04:07.00 ID:7MbG/TeRJ
>>190
しかし、徐福とは異なり、秦氏が渡来したのはどうやら史実のようだけどな。

192 :日本@名無史さん:2020/08/14(金) 16:11:16 .net
徐福が最初に着いたのは済州島だろうと云われてる
半島南部や九州北部地域で「平原広沢(広い平野と湿地)」と云えば
火山島で平原が広がってるのは済州島しかない、
しかしそこには不老不死の薬草は無かった、火山灰台地でやせ地しかない

それで、もう一度始皇帝に頼んで出直した。

193 :日本@名無史さん:2020/08/15(土) 02:47:44 .net
始皇帝なんて別に重要人物じゃないぜ

中国の場合は黄帝の子孫を称する連中らが皇帝となったんだからよ

中国王朝の祖が黄帝なの

194 :日本@名無史さん:2020/08/15(土) 02:50:13 .net
黄帝の末裔に連なり当地にて勢力あるものなら誰にも皇帝資格がある

どっかの自称末裔らゴミ

195 :日本@名無史さん:2020/08/15(土) 15:27:59 .net
>これらは、4000年ほど前の彩文土器、アンダーソン土器と云われる物
>黄河上流部、陝西省、甘粛省の遺跡から発掘された物で中国北部からよく出土する、
>明らかに、シリア.イラク、トルコ、イラン、系の民族が製作した土器。

柳湾墓地遺跡は今までに、
中国で発見された最大の広大な原始氏族社会の公共墓地で、
今から3500〜4500年前頃の遺跡である。
https://danseisakura.dousetsu.com/image79.jpg
https://danseisakura.dousetsu.com/image80.jpg

196 :日本@名無史さん:2020/08/15(土) 15:30:16 .net
2.シリア.イラク(メソポタミア)の彩文土器
南メソポタミアのアル・ウバイド遺跡で発掘されたウバイド彩文壺
http://www.orientmuseum.jp/exhibitions/net-kikaku/saimon/saimon-03.html
1. トルコ(アナトリア)の彩文土器
http://www.orientmuseum.jp/exhibitions/net-kikaku/saimon/saimon-02.html

197 :日本@名無史さん:2020/08/15(土) 15:32:21 .net
3.イランの彩文土器
http://www.orientmuseum.jp/exhibitions/net-kikaku/saimon/saimon-04.html

>>195-196
を見れば分る通り、明らかに山東半島ラインから北部の古代中国は
中央アジア系人種の文明圏で、現在の中国人とは全く違う。

198 :日本@名無史さん:2020/08/15(土) 15:57:49 .net
中国西部のウイグル自治区などは、
むかしの日本地図では東トルキスタンと成ってたな。

199 :日本@名無史さん:2020/08/15(土) 16:14:34 .net
中国北部は中央アジア辺の人種で
中国南部は東南アジアから侵入してきたハプロO系の人種だった
それで中国古代北部は小麦文化圏で南部は米文化圏
中央の山東半島辺りが混合文化圏だったんだろう、隋 唐時代くらいまで。

200 :日本@名無史さん:2020/08/15(土) 16:20:24 .net
そこで南北人種動乱時代が900年代に起きた五代十国時代。

黄河流域を中心とした華北を統治した5つの王朝(五代)と、
華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代である。

この南北人種闘争が現在も続いてるのが新疆ウイグル問題。

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