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秦氏はどこから来たか 4

1 :アッシー:2020/02/27(木) 01:58:54 .net
秦氏ホータン出身説が最も具体的。その他の説はゴミに近い。
あとは太秦エルサレム説の真贋だけだ。

1023 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 12:11:27.00 .net
これから先、誰に何を言われようともホータン爺はホータン爺のままなのだろうね。
悲しいね。

1024 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 13:22:49.79 .net
>>1022
百済(baegjie=ペチェ)の前身は伯済(baegjie=ペチェ)だったことが分かっている。
伯を百に置き替えただけ。
その百済の中に住んでいたクンダル氏族から取ったクダラの名を日本が百済の読みとした、など聞いたことがない。
デタラメだろう。
クダラは百済の自称である巨太羅(コテラ)の日本読みで、加羅、新羅とともに三羅の一つだった。

1025 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 13:30:30.48 .net
漢字の日本語読みとかいつ頃の話なんだ……

1026 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 13:32:47.70 .net
>>1023
誰が何と言おうと、ちゃんとした反証がない限り、ハタ(秦)氏のハタはホータンのホタの訛ったものとするのがOK。
おめーらは、ハタの発音の由来が全然説明できてない。
イェフダ(ユダヤ人)のフダ、ハダがハタの語源だとする日ユ同祖論や大氏族の波多氏のハタに背乗りした説のほうがまだましと言える。
はやく、ちゃんとした反証を示したまえ。

1027 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 13:40:14.42 .net
>>1025
4世紀前半頃に日本人が漢字を普通に読めたとは思えん。
朝鮮語読みの巨太羅(コテラ)の発音を聞いた日本人が、これをクダラと訛っただけ。
だから、クダラの読みが日本にしかないのよ。
巨太羅(コテラ)は百済の単なる自称だから、文章には残らなかった。

1028 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 21:39:17.75 .net
自分で墓穴をほったホータン爺、哀れなり!

1029 :日本@名無史さん:2023/09/24(日) 22:43:27.68 .net
あほちゃう。

1030 :日本@名無史さん:2023/09/25(月) 20:05:25.35 .net
ハタは、ホータンのホタが訛ったもの。
ハタ氏の秦は、太秦(ウズマサ)の秦を取ったもの。
ハタ氏に秦の字を被せたのは、かなりあとになってから。
秦氏の苗字が成立したのは、欽明天皇のあたりではないか。

1031 :日本@名無史さん:2023/09/25(月) 20:51:46.08 .net
隋書に記録された秦王国が先なのでそれはない

「住民は華夏に同じ(中国人に似ている、同様)でここが夷洲(中国から見て東の野蛮人の住む土地とは思えない」と記録されていますw

ホータン野郎は妄想をやめたほうがいい。

1032 :日本@名無史さん:2023/09/25(月) 21:07:01.60 .net
秦氏のルーツはホータン
日本人のルーツはブータン

1033 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 01:19:29.51 .net
>1032
拍手3回(ただし、日本人のルーツはブータンは除く)。

1034 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 01:29:15.22 .net
ホータンじゃなくてノータリン

1035 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 02:01:48.40 .net
>1032
拍手3回(ただし、日本人のルーツはブータンは除く)。

1036 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 02:34:25.02 .net
>>1031
原文の読みが変だ。
秦王国は、皇帝が特別に家臣に土地を与えて王にした国のこと。
なので、この原文は「…筑紫国(伊都国)に着いて、さらに東に進んで秦王国に来た。風俗が倭国のそれと全然違って中華と同じだ。野蛮人の国だと思っていたのにまさか皇帝の秦王国がここにあるなんて、混乱してその理由を明らかにできないよ…」というもの。
皇帝の秦王国があると思ってしまったのは、実はここは那津官家がある博多であって、官人たちがそろって中国風の衣服を着ていたからだ。
使節の裴世清は、このことは普通に承知していたが、桃源郷に来たように脚色して異郷感を漂わせる文飾を行ったということだよ。
この文飾は、このあと十数国を経て「海岸に着いた」とする倭国の旅程を謎めかすための前置きだね。
なので、この秦王国は、秦氏とは全然関係ないわけ。
漢文は、少し読み違えると全然違った解釈をしてしまうから、要注意だよ。

1037 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 02:37:30.10 .net
>>1034
きみはアホタリン。

1038 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 06:40:47.45 .net
ホータン爺は功満王の渡来も嘘だと決めつけてるからな。ただ宇佐八幡の辺りも秦氏系の人が多い訳でね。また墓穴掘ったんじゃないかな。

>この秦王国は、秦氏とは全然関係ないわけ。

1039 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 08:21:32.24 .net
遣隋使がいる時代に何が桃源郷だよ 正気で言ってるならどんな時代だったか全く分かっていない

1040 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 17:31:19.44 .net
>>1038
始皇帝の子孫に功満王という人物がいたという記録はないよ。
ざんねん。
宇佐八幡の近傍に秦姓が多いのは事実のようだが、これは秦氏がその土地の渡来系人民を囲い込んだ結果、それらの者が秦姓を名乗るようになったというふうに考えられているからね。
当然、そのあたりに対して太秦の秦氏の影響が強かったということは言えても、宇佐八幡が秦氏と深い縁があったかどうかは分からない。
まして、秦王国が宇佐八幡を指しているという確証もないわけで。

1041 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 17:57:32.03 .net
ほ〜たそ〜

1042 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 18:41:07.00 .net
忍者のルーツは「中国」にあった!? 服部半蔵の「驚くべき血筋」とは
https://www.rekishijin.com/31436
 秦氏とは東漢氏と並ぶ渡来系氏族で、3〜7世紀頃に渡来。『日本書紀』応神天皇紀によれば、百済より百二十県の人を率いて
やってきた弓月君を祖とすると記しているが、天日槍を祖とする新羅・加羅系渡来氏族とみなす識者も少なくない。

1043 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 21:30:56.00 .net
秦氏はピューリタン?

秦氏は古代キリスト教『景教』

1044 :日本@名無史さん:2023/09/26(火) 22:13:44.30 .net
>>1042>>1043
そう考えるについては、何かの根拠があるはず。
その微小、僅少、ほとんどないに等しい根拠を挙げてみたまえ。
聞いてみたいもんやわ。

1045 :日本@名無史さん:2023/09/27(水) 11:01:05.98 .net
>>1040

↓ホータン爺の発言とは思えず、腹抱えて笑ったわ あんまり笑かすなよ
秦氏がホータンからきたって記録がどこにあるんだよ!?w

> 始皇帝の子孫に功満王という人物がいたという記録はないよ。
ざんねん。

いいかげんにしろよインチキ野郎

1046 :日本@名無史さん:2023/09/27(水) 11:25:44.03 .net
そもそも弓月国だかも妄想であって、史書に記録はない。ホータン爺はぺてん師としか思えん オカルト板にいけ

1047 :日本@名無史さん:2023/09/27(水) 13:17:03.11 .net
なんだかんだ言いながら、あっち向いてホイか。
微小、僅少、ほとんどないに等しい根拠すらも出せない秦氏新羅説者と秦氏景教説者の空虚な妄説。

秦氏はトルコ語話者。
トルコ語は、当時、西域以西でしか話されてなかった。
ホータンは、西域の超有名オアシス都市。
5世紀になるとチュルク系のホータン語は、ペルシャ系言語に取って変わられる。
その動乱で、ホータンを脱出して日本にやってきたのが秦氏の祖の弓月君。
ごく普通にトルコ語話者だったのよ。
百済や新羅がトルコ語話していた国なんか?
ダメダメ。
無理無理。
一昨日きたまえ。

1048 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 03:18:55.78 .net
トルコ語でtikis(チクシ)は「出口」の意味。
筑紫は、このトルコ語を語源とするのは明らか。
ということは、このトルコ語を話していた人物は九州ではなく、畿内あたりにいたということになるな。
まさに、太秦にいた秦氏がトルコ語話者だったことを示すものなんだよ。
ついでに、iki(イキ)は数字の2を表す。
壱岐は半島から2番目の島だよね。
秦氏がこの島を2番目の島(iki=イキ)と言ったのが壱岐と書かれた。
もう、秦氏がトルコ語話者だったことで手を打とうじゃないか。

1049 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 14:50:24.69 .net
秦氏が百済、新羅出身だとする説は、根拠がほとんどない希望的妄想以外の何ものでもない。
それに比べて、秦氏ホータン出身説は、根拠がいくらでもあるから余裕。
どう、この違いは。

第一、当時日本にはなかった上質絹織物を秦氏が天皇に貢いだということは、その養蚕と織物技術を秦氏が調達できたということだ。
これは、秦氏が先祖の弓月君がいた西域ホータンと連絡が取れていたことを示しているわけ。
蚕と織物技術を先進地のホータンから入手していたということだな。

根拠は、いくらでもあるのよ。

1050 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 15:01:56.68 .net
>>1049
このような視点からすれば、筑紫はトルコ語のtikis(チクシ=出口)、壱岐はトルコ語のiki(イキ=数詞の2)に由来することもちゃんと説明できることになる。
弓月君が西域ホータンの出身でトルコ語話者だったことを示す有力な根拠になるのよ。
どうよ、この明察は。

1051 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 09:22:56.20 .net
そもそもトルコ語の地名だとしても秦氏とは関係ない
秦氏と吸収に会ったであろう秦王国は関係ないと言っておきながらこれだからな

矛盾だらけの根拠なき主張をしておるだけの脳みそが足りない愚か者だとしか思えんw
そもそもお前の主張の根拠もただの憶測、妄想にしか過ぎない。

1052 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 22:24:51.72 .net
トルコ語は妄想ではな〜い!
現実そのものだ。
おめーらの空想妄想などと一緒にするな。

1053 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 22:27:25.19 .net
そのトルコ語の語彙が秦氏の周りにうじゃうじゃみられると言うとるのよ。

1054 :日本@名無史さん:2023/09/30(土) 02:32:46.31 .net
秦氏の残した寺院や遺跡、墓である古墳からもホータンやトルコ、ユダヤと繋がるものは何も有りません、出てきませんがな。

壱岐島にしても秦氏と何の関係があるのか 秦氏の勢力下にあったならともかく 「イ」から始まる地名なんて古代から珍しくもない ホータン爺のこじつけに過ぎない 何の根拠もない

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