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秦氏はどこから来たか 4

1048 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 03:18:55.78 .net
トルコ語でtikis(チクシ)は「出口」の意味。
筑紫は、このトルコ語を語源とするのは明らか。
ということは、このトルコ語を話していた人物は九州ではなく、畿内あたりにいたということになるな。
まさに、太秦にいた秦氏がトルコ語話者だったことを示すものなんだよ。
ついでに、iki(イキ)は数字の2を表す。
壱岐は半島から2番目の島だよね。
秦氏がこの島を2番目の島(iki=イキ)と言ったのが壱岐と書かれた。
もう、秦氏がトルコ語話者だったことで手を打とうじゃないか。

1049 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 14:50:24.69 .net
秦氏が百済、新羅出身だとする説は、根拠がほとんどない希望的妄想以外の何ものでもない。
それに比べて、秦氏ホータン出身説は、根拠がいくらでもあるから余裕。
どう、この違いは。

第一、当時日本にはなかった上質絹織物を秦氏が天皇に貢いだということは、その養蚕と織物技術を秦氏が調達できたということだ。
これは、秦氏が先祖の弓月君がいた西域ホータンと連絡が取れていたことを示しているわけ。
蚕と織物技術を先進地のホータンから入手していたということだな。

根拠は、いくらでもあるのよ。

1050 :日本@名無史さん:2023/09/28(木) 15:01:56.68 .net
>>1049
このような視点からすれば、筑紫はトルコ語のtikis(チクシ=出口)、壱岐はトルコ語のiki(イキ=数詞の2)に由来することもちゃんと説明できることになる。
弓月君が西域ホータンの出身でトルコ語話者だったことを示す有力な根拠になるのよ。
どうよ、この明察は。

1051 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 09:22:56.20 .net
そもそもトルコ語の地名だとしても秦氏とは関係ない
秦氏と吸収に会ったであろう秦王国は関係ないと言っておきながらこれだからな

矛盾だらけの根拠なき主張をしておるだけの脳みそが足りない愚か者だとしか思えんw
そもそもお前の主張の根拠もただの憶測、妄想にしか過ぎない。

1052 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 22:24:51.72 .net
トルコ語は妄想ではな〜い!
現実そのものだ。
おめーらの空想妄想などと一緒にするな。

1053 :日本@名無史さん:2023/09/29(金) 22:27:25.19 .net
そのトルコ語の語彙が秦氏の周りにうじゃうじゃみられると言うとるのよ。

1054 :日本@名無史さん:2023/09/30(土) 02:32:46.31 .net
秦氏の残した寺院や遺跡、墓である古墳からもホータンやトルコ、ユダヤと繋がるものは何も有りません、出てきませんがな。

壱岐島にしても秦氏と何の関係があるのか 秦氏の勢力下にあったならともかく 「イ」から始まる地名なんて古代から珍しくもない ホータン爺のこじつけに過ぎない 何の根拠もない

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