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秦氏はどこから来たか 4

299 :日本@名無史さん:2021/05/04(火) 14:14:08.86 ID:A6O+z3WNi
秦氏の交易路は、5世紀後半には関東まで延びていた。
5世紀後半は、雄略天皇の時代だ。
秦氏はトルコ語話者だった。
その交易路上にはトルコ語で意味が判明する地名が少なくない。
例えば、尾張から信濃、北武蔵へとつながる幹線街道で、信濃への登り口には多治比(タジヒ)がある。
この多治比に関連した話では、次のものがある。

https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/dd532891d737bc7abe958b33b34e0818

この記事によると、イタドリ(ゴンパチ)の古名はタジヒであり、そのタジヒには蝮(マムシ)の字が当てられるということだ。
どういうわけでイタドリに蝮の字が当てられるのかというと、イタドリは食べられる野草であるものの、
アクがあるためそのアクを水に晒して抜かないでたくさん食べると下痢などを起こす。つまり、毒があると認識された。
そして、毒があることを示すために毒を持つ蝮(マムシ)の字が用いられた、ということだろう。
つまり、イタドリの古名である多治比(タジヒ)は、毒を表しているということになる。

そこで、この多治比の言葉を氏族名とした多治比氏がよく知られているが、その多治比氏は水銀採取と関連があるとされる。
水銀はその精製過程で毒が発生する物質であり、イタドリ、蝮と同じく「毒」を含む点が共通する要素だ。
そこで多治比(タジヒ)の多(タ)は、水銀を指す丹(タン)に由来する発音だとすると、タ(丹)+ジヒが多治比(タジヒ)の言葉の成り立ちだとみなすことができる。
では、そのジヒとは何かということになるのだが、
秦氏のトルコ語では、次のようになる。

タジヒ(多治比)のジヒ
トルコ語 zehir(ゼヒッシ)=毒

つまり、丹(タン)+トルコ語 zehir(ゼヒッシ=毒)が、タジヒ(多治比)の言葉の構成ということになる。
そして、その水銀生産地の地名となり、また氏族名にもなったというわけだ。
このことは、秦氏は水銀生産にも関わっていたことを推測させるのである。

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