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秦氏はどこから来たか 4

1 :アッシー:2020/02/27(木) 01:58:54 .net
秦氏ホータン出身説が最も具体的。その他の説はゴミに近い。
あとは太秦エルサレム説の真贋だけだ。

427 :日本@名無史さん:2021/11/03(水) 21:09:57.51 .net
>>426
一行目の「玄旨灌腸私記」は、「玄旨灌頂私記」が正しい。

428 :日本@名無史さん:2021/11/05(金) 21:02:29.94 .net
>>426
神殿
サンスクリット語 matha(マタ=堂塔、神殿、神社)
ヒンディー語 mandira(マンディラ=神殿、寺)
パンジャブ語 madara(マダラ=神殿、寺)

このうち、パンジャブ語のmadara(マダラ=神殿、寺)が、トルコ語のmatara(マタラ=食堂)に最も近い発音だ。
トルコ語のmatara(マタラ=食堂)の語源は、パンジャブ語のmadara(マダラ=神殿、寺)である可能性が出てくる。

神殿では神を祭るために飲食したりすることから、パンジャブ語のmadara(マダラ=神殿、寺)の言葉が神を祭るための食堂の意でトルコ語にmatara(マタラ=食堂)として取り込まれたと考えることもできる。
中央アジアのゾロアスター教の方形拝殿では神を祭るために酩酊状態になる乳製品を飲むため、
この方形拝殿を中央アジアのトルコ語話者はmatara(マタラ=食堂)と呼んでいた可能性は相当高くなってくる。
そして、広隆寺の大酒神社の大祭で摩多羅神を祀る秦氏はトルコ語話者であったとする説は、かなり信憑性を帯びてくるのである。

このように見ると、大酒神社の酒の字や秦酒君の酒の字と、中央アジアのゾロアスター教の方形祭殿で酩酊して神を祭るために飲酒する乳製品とは、何か関連があるのかも知れない

429 :日本@名無史さん:2021/11/05(金) 21:19:54.30 .net
ユダヤ教では、葡萄酒は神の祝福を受けた神聖な果物とされていて、
金曜日の安息日(シャバット)には神に感謝を捧げる祈祷書を読み上げたあとに、
皆が小さなコップに入れたワインを飲みほすのだそうだ。

http://www.sakebunka.co.jp/oversea/israeli1/index.html

このワインと大酒神社や秦酒君の酒(辟)の字とは、案外、関係あるのかも。

430 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 09:20:06.56 .net
秦氏の祖先を調べようと思ったら、
島津家とか秦氏の男系子孫のY染色体を調べたら
何らかの手がかりがつかめるだろう。

431 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 09:25:16.50 .net
鹿児島県出身の男性の不特定多数のY染色体を調べれば
秦氏の出自が、だいたい推測できる。
確か鹿児島県の人って、濃い顔をしているのに
意外にもO系統が多かったはず。

432 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 18:02:29.28 .net
>>428
秦氏の氏寺広隆寺境内にある大酒神社の大祭に現れる摩多羅神の摩多羅(マタラ)は、
トルコ語のmatara(マタラ=食堂)に由来する言葉で、
そのトルコ語のmatara(マタラ=食堂)の語源はパンジャブ語のmadara(マダラ=神殿、寺)ということになりそうだ。

摩多羅神は伽藍を護る伽藍神とされるので、パンジャブ語のmadara(マダラ=神殿、寺)の語義とうまく重なる。

433 :日本@名無史さん:2021/11/06(土) 20:59:38.51 .net
>>429
この大酒神社の大酒は、元々は大辟の表記だったそうだ。
辟(ヘキ、ヒャク)には君主の意味があり、大辟は大王であり、秦氏がユダヤ教徒であった場合、そのユダヤ人の大王とはダビデに相当するとする説がみられる。
つまり、大酒神社の祭神はダビデだったとするもの。

しかし、辟には「避ける」意味もあり、この辟の字が後に酒(さけ)の字に替えられていることからすると、辟は避ける意を表しており、大避(おおさけ)とはユダヤ人のエジプトからの脱出を指していて、その脱出後に憩った安息日を表す表記ではないかとすることも可能なのだ。

そして、この安息日の祝祭ではユダヤ教徒は儀式のあとにワインを飲むのことが仕来りだという。
つまり、出エジプト後の安息日に飲むワインのことを大酒の酒の字に表したのが大酒神社の名の由来ということになるわけだ。
もちろん、秦氏の拠点の深草は弥生時代から酒の産地だったそうだから、その地元の酒の意味も込めたのかも知れない。

434 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 15:16:42.93 .net
秦氏の氏寺である広隆寺境内の大酒神社大祭に現れる摩多羅神の摩多羅(マタラ)はトルコ語のmatara(マタラ=食堂)が語源で、
そのトルコ語のmatara(マタラ=食堂)の語源はパンジャブ語のmadara(マダラ=神殿、寺)なのは恐らく正しいだろう。
そうすると、そのmatara(マタラ=食堂)のトルコ語を話したのは誰かと言うことになるが、

比叡山の伝承では摩多羅神は稲荷に由来するとするので、稲荷は秦氏の伏見稲荷が総本社であることからすると、
この稲荷は秦氏を指している可能性が高い。
摩多羅神は秦氏に発祥しているということになる。
そして、摩多羅(マタラ)はトルコ語であることが推測されるので、まさに秦氏はトルコ語話者だったということになってくるのだ。

この摩多羅(マタラ=食堂)は、当初は秦氏が神を祀る方形拝殿(祠堂)を指す言葉だったのだろう。
それが伽藍を護る神の名として用いられるようになり、やがて摩多羅神という奇神が誕生したということなのだろう。

435 :日本@名無史さん:2021/11/07(日) 22:52:04.28 .net
このように、matara(マタラ=食堂)はパンジャブ語のmadara(マダラ=神殿、寺)を語源とする中央アジア一帯のトルコ語だとすると、
そのトルコ語を話した弓月君(秦氏)は中央アジアの出身だったことになる。
そして、秦氏の祖の弓月君の子の名が浦東(ホトウ)であり、タリム盆地南部のホータンと発音がよく似ていることから、
秦氏の祖先はホータン出身のトルコ語話者であった可能性が極めて大きいということができるのだ。

436 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 14:54:01.45 .net
このように、秦氏はタクラマカン砂漠のオアシス都市ホータン出身のトルコ語話者のユダヤ教徒だったというのが、謎の氏族秦氏のアウトラインだよ。

イラン系民族によるホータン地方制覇の動乱のときに、ホータンを脱出して日本に渡来したのが秦氏の先祖だ。
秦氏の系図では、弓月君の子は浦東君のほかに3人いるが、この3人の子の名がやはりタクラマカン砂漠周縁のオアシス都市の名に重なるので、
そこを脱出して日本に渡来したのは秦氏の先祖だけではなく、その4氏族は一団となって日本に渡来したことが分かるのだ。

437 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 16:23:18.72 .net
秦氏
景教。
京都府。
平壌京

・・・

438 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 16:26:32.19 .net
輪転機だわな
最終的には。

スイス世界銀行
エシュロンシステム
やっぱ金よ

金本位制復活。
できるとすれば、
トランプアメリカ大統領再即位!!!

アメリカの核実験失敗による米国滅亡は、
バイデンが延命したらの話で、
そうではないのなら、
アメリカを滅ぼす意味が神から無くなるよ!!!

439 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 16:47:52.22 .net
頭脳才能御魂磨き
してこなかった、
卜部中臣鎌足系譜!!!

440 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 16:51:16.25 .net
文章博士
景教博士とでたな
共系博士もでた
明経博士
他なんだっけかな

441 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 16:53:57.59 .net
奴隷制度はいい制度
真の穢多非人なんて、
奴隷にしか出来ねっつうの
御魂のないやつとか

442 :日本@名無史さん:2021/11/08(月) 19:51:18.47 .net
日本人の不特定多数のY染色体を調べたら
日ユ同祖論もトルコ系との類似性も何も
手がかりになるような結果は殆ど皆無だ。
よって、秦氏の祖先は、中国系朝鮮人で間違いない。
ただし、その氏族だったかは気になる。
おそらく、中国東北部にあった燕の秦氏との関連性が気になる。

443 :日本@名無史さん:2021/11/09(火) 15:04:36.28 .net
中国系朝鮮人とする根拠も見当たらないけどな。

444 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 07:01:48.71 .net
一番多種多様国家といえば、
ずばり中国。
大学の文学部東洋史学科。
頑張ってくれよ!!

まじ偏差値って意味ねえ。
就職率なども、意味ねえ。
やりたい学問、やりたい研究をするんだぞ!!
学生の諸君!!!

445 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 07:02:11.97 .net
てs

446 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 10:35:07.48 .net
日本人のY染色体ハプログループを調べたら、秦氏は中国系朝鮮人の渡来人で間違いない。
それが、ネトウヨを中心に、ユダヤ説とかトルコ説のような
ちょっと調べたらデマだと分かる説が流布していて、呆れるばかりだ。
なぜ、ネトウヨが日ユ同祖論が好きなのかというと、
反中・嫌韓が影響していて、中国・朝鮮との類似性を打ち消すために
その説にしがみついているに過ぎない。

447 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 10:40:58.38 .net
秦氏が中国系朝鮮人で間違いないのだが、
では、もっと具体的に、どの氏族だったのかは?議論が分かれるところだ。
自分は、古代の中国東北部にあった燕の秦氏について関心がある。
燕王の命令で、燕の武将の秦開が、何度か朝鮮半島に遠征したという記述がある。
この秦氏は、おそらく、秦の始皇帝よりも遥か前の時代に
秦から燕に移住してきた氏族の可能性が高い。
燕の滅亡後、朝鮮半島に逃げ込んだモノも多かったが、
秦開の係累のモノもおたはずである。

448 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 15:27:40.84 .net
>>444
飯食えないけど、がんばりたまえ。

449 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 15:30:31.44 .net
>>446
日ユ同祖論やトルコ語論は、ハプロDの血がうずくせいだろう。

450 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 18:30:04.28 .net
>>447
秦氏の秦の字と燕の秦開の秦の字が同じというだけしかつながりがなく、
秦氏の場合の秦は、大秦(太秦=ローマ)の秦由来と考えることができる。

この秦を秦始皇帝の血脈に当てたのは新撰姓氏録に載せるために考え出した血統であり、秦始皇帝の血脈としての秦を持ってきたのはそのようにずっとあとのことだろう。

451 :日本@名無史さん:2021/11/10(水) 19:46:46.72 .net
402
できるわけないだろ

まったく関係ないわだからよ

452 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 21:45:22.09 .net
>>449
Y染色体のD系統とE系統の分岐年代って、約6万年前だからな。
その程度の近さで同祖ならば、人類の大部分が同祖というレベル。

453 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 21:46:17.50 .net
>>450
そりゃ、ない。これだけDNAの研究が進んでいるのにな。。。

454 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 22:40:26.03 .net
日ユ同祖論って、
いかにして、日本人をキリスト教に改宗するために広められた
トンデモ説だからな。
酒井勝軍とか中田重治ってグーグれば、色々と出てくるよ。

455 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 03:36:33.20 .net
日本には戦前にユダヤ史研究ってのが盛んだったらしいからな

そおしたら日本内でもユダヤに関係あるだの言いだした連中らが現れたって話だろ

それは成りすましと言います

456 :日本@名無史さん:2021/11/12(金) 18:59:28.52 .net
ハプロDの血がうずくと言ったのは、Dの原郷であるアルタイ地方へと目を向けるための具体的な事象がユダヤの東進や
チュルク族の活動ということなのよ。
そのユダヤ東進やチュルク族の活動と日本を関連づけることで、Dのアルタイ地方への望郷の念を満足させているということだな。

アリスの「昴」を聴くと涙ちょちょぎるのは、Dがむせび泣いているためなのよ。
それと同じということ。

457 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 21:00:27.64 .net
ハプロDとハプロRは、約6万年前に分岐したといわれ、
この程度で、日ユ同祖だというのは、
世界中の大半が同祖というのと一緒。

そもそも、古代ユダヤ人の主流は、ハプロJで、これはアラブ人でも主流。
ハプロEは、地中海経由でユダヤに同化した人たちで、
イタリア人や北アフリカにもそれなりにいるY染色体である。

458 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 21:16:11.68 .net
日ユ同祖ってのがデタラメだもんよ

459 :日本@名無史さん:2021/11/13(土) 23:56:15.97 .net
東漢氏や西漢氏は?

460 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 01:29:00.78 .net
東漢氏や西漢氏は、自分たちは劉氏や王氏の末裔だと主張。
劉氏や王氏は漢王朝の末裔。
たしか、西暦3世紀の帯方郡の太守に劉氏が赴任していて、
東漢氏は彼らの末裔だと自称していた。
一方、西漢氏のほうは、楽浪郡に赴任していた楽浪王氏の末裔を自称していた。

461 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 02:22:54.73 .net
412
日本の朝廷においてはそれは一切認められなかった
ほとんど昇進とかにも関係ないしな
それが起こるなら乗っ取りを仕掛けた連中らが乗っ取り成功したときだけだ

中国史の記録は時代的な合致性が合うかを見るために研究する

向こうに書いてあるのが本物だのそんな見方をするなら話にならん

462 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 03:26:47.05 .net
>>461
あくまでも、自称の祖先だよな、東漢氏、西漢氏、秦氏のどれも、
自称であり、本当かどうかは分からない。

463 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 03:27:38.96 .net
>>460
いわゆるゥ蕃も、新撰姓氏録に記載され、官吏に任官される資格の前提となっている時点で貴族層に近いと言って良い。負け組の旧政権の中級官吏・知識階級層といったところではないのかね。

464 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 19:49:21.34 .net
まあ、その中で最大級の影響力を持ったのが、秦氏なんだけど。

465 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 20:17:00.99 .net
秦氏とかいて、はたうじ!と読め(°▽°)

って決めたのが天皇なんや

466 :日本@名無史さん:2021/11/14(日) 20:56:13.94 .net
島津氏が秦氏の絶対的な子孫だという条件は付くけど
鹿児島県人の不特定多数のY染色体ハプログループを調べたら、
秦氏の起源の謎が解けるよ。
誰か、鹿児島県人のY染色体ハプログループを調査の結果を知っている人
いますか?

467 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 09:44:24.91 .net
>>413
秦氏って、そんなに悪い奴らなの?
秦河勝は、そんなに悪い人ではないはず。
しかし、秦河勝以外、あんまり秦氏を知らない。
昔、ヤクルトに秦というキャッチャーが居たが、
いい人そうだったよ。
多分、本当に文化人がいたんじゃね?秦氏の中にも。
色々いるから、特定断定できにくいんじゃないかな?

468 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 13:19:57.07 .net
秦氏の祖は弓月王って半島におった人物らしいからね

弓を姓とする氏族としては楽浪弓氏の名が見える

469 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 13:22:36.18 .net
弓月(うず)王って名前なのさ

そんで秦氏は大秦と書いて呼び名も祖先のウズ王の名を取りウズマサと呼ぶんだとよ

470 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 13:24:17.79 .net
王仁なんかもオウジンとは呼ばないのだよ(・∀・)

ワニって呼ぶの🐊

471 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 13:25:45.42 .net
王仁吉師と書いてワニキシと呼ぶわけ

472 :日本@名無史さん:2021/12/06(月) 09:28:53.18 .net
千葉の古墳からユダヤ人のハニワが見つかる
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1638749489/

473 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 12:00:15.98 .net
>>147
>>188
徐福っぽい遺跡があれば証明になるかもしれないけど、ないから否定になるとも言えないと思う
南米の日系移民は200万人くらいいるけど、特に日本っぽいものを建築したりはしてないだろうし
2世の時点でフジモリ大統領が出たけど、だからといって芸者とか忍者とかやっていないだろうし

474 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 14:34:25.61 .net
単純な比較はできないですけどね
南米の日系移民は貧乏農家の次男三男で生活苦から物もろくに持たずに着の身着のままで海外に移民
徐福は正式に始皇帝の物資・資金援助を受け、工員など技術者をも引き連れ、格式も高く、秦国王家のミッションを果たすべく、最高水準の技術レベルの集団として準備万端で日本に乗り込んだと思われますし

徐福集団が来てその先進的な技術が南北九州で伝搬していれば、数百年後の卑弥呼の時代には少なくとも平地の住民は竪穴住居ではなく、一般の農家でも高床式の住居に住むとかしてたのでは・・・

475 :日本@名無史さん:2021/12/21(火) 10:03:16.84 .net
ところで兵法書『孫子』を書いた、春秋時代の軍事思想家である孫武が生きていたのが紀元前535年頃。始皇帝の時代を300年ほど遡る。始皇帝の時代の大陸では鉄器も出回り始め、農具などに使われていた。
徐福が渡来していたなら、邦国でも鉄器の時代がもっと早く始まっていたであろうことは容易に想像できる。

あの張良が連れてきた男に、視察巡業でやってきた始皇帝に向かって鉄球を投げつけさせたエピソードは皆も知っているであろう。
鉄は既に広く使われていたのである・・・

476 :日本@名無史さん:2021/12/21(火) 10:06:48.15 .net
孫子の兵法の圧倒的な先進的な考え方、それより数百年後の卑弥呼の時代にまだ一般農民が竪穴住居に住んでいた我が国。

これで始皇帝の時代に徐福が来ていたとは思えないのです。
戦争だけ強い騎馬民族の連中が乗り込んできて蹂躙しすべての文明が失われた、そんな痕跡もないようですし。

477 :日本@名無史さん:2022/01/03(月) 06:28:48.71 .net
日本だと武士だったり非人だったりするけどアレなんだろうね

478 :日本@名無史さん:2022/01/03(月) 06:33:18.28 .net
>>413
有名どころだと西周が秦人で独立していたけど
元々漢民族から追い出されただけなんだよな
でも宋とか唐も秦人らしい。中国にいた奴らは秦氏を名乗らず宋人唐人といったらしいが

479 :日本@名無史さん:2022/01/03(月) 06:39:33.30 .net
日本の場合は本来はよくわからない秦人、秦公ともっと細かく分類されていたようだけど
秦川勝の末裔かが重要みたいだが
始皇帝や秦国とは関係がない朝鮮人の末裔もいるから

ハプロで中国由来かそれ以外かでは分類されてしまう時代だからなりすましの既得権みたいになっている自称もやり得になるか

480 :日本@名無史さん:2022/01/03(月) 15:00:26.81 .net
徐福だのなんだの日本と中国の間で国交ができてからそれから広まった話なんだぜ

てことは?

481 :日本@名無史さん:2022/01/03(月) 17:03:20.11 .net
正美ちゃんの話は嘘なので
だから秦氏はユダヤ人ではないということでいいだろう

そもそも秦の始皇帝に追い払われたのに秦を名乗っているのは偽装だよ
神社の建築技術なんて2、3十年も修行すれば、そこそこの物は作れるだろう
今みたいにカメラで見るんじゃなくて、目視でチェックしたら上の方は見えないしな

秦氏の神社の狛犬はツングースを表す
だから女真族だな

秦氏が輩出した天皇は南朝系だろう
女真族→高句麗の人食い馬賊→百済王族

482 :日本@名無史さん:2022/01/04(火) 05:20:43.89 .net
>>465
お前顔文字を付けなきゃなんない縛りがあるんだろう
5chでは詰んでねえかw

483 :日本@名無史さん:2022/04/06(水) 13:09:54.71 .net
京都はユダヤ人秦氏がつくった
https://bookmeter.com/books/17328235

484 :日本@名無史さん:2022/04/06(水) 15:14:12.37 .net
奇説として、景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人が祖であるとする説(日ユ同祖論)が佐伯好郎によって提唱されたが、「秦氏=ユダヤ人景教徒」説は、殆どが語呂合わせであり、説が発表された当時から現代まで一貫して否定され続けている上に、佐伯は晩年に、弟子の服部之総の「先生はどんな動機から景教碑文研究をはじめられたのでしょうか?」という質問に対し、「ユダヤ資本を日本に導入する志をたてて、そのために打った第一手が大秦氏=猶太(ユダヤ)人の着想であった」と語り、服部を仰天させている。

485 :日本@名無史さん:2022/04/06(水) 15:22:43.38 .net
まあ、朝鮮人や中国人じゃない事だけは確かだなw

486 :日本@名無史さん:2022/04/13(水) 09:45:07.75 .net

>>32-34
始皇帝の一族の末裔、始皇帝自身が青い目に鷲鼻だった説もあるらしいが
始皇帝の息子の墓がみつかって色々わかったらしいが

487 :日本@名無史さん:2022/05/03(火) 16:36:50.44 .net
嬴氏趙姓は後に馬氏を名乗る
馬超も目が青かったかな

特に珍しいものでもない

488 :日本@名無史さん:2022/05/03(火) 16:45:38.89 .net
どこからきたって秦川勝は百済だよ
DNAの型はその子孫を名乗るハタさんが福建の漢民族にもいるタイプらしいが

秦氏を名乗るちゃうすがめが斉とか魯のあった場所の血筋。子孫は秦人(羌、北狄説有り)といわれた人と同じDNAの型
宋=唐=秦は同じ人種らしい

489 :日本@名無史さん:2022/05/05(木) 12:43:38.16 .net
>>487
嬴氏趙姓と青い目は何の関係があるん

490 :日本@名無史さん:2022/05/05(木) 12:44:55.73 .net
嬴氏趙姓は漢族だし、そこと青い目とは関係ないよ

491 :日本@名無史さん:2022/05/07(土) 10:41:07.97 .net
>>1
弓月君

492 :日本@名無史さん:2022/06/12(日) 07:00:16.76 .net
ホータン出身だから稲作を熱心にやっていたのか秦氏

493 :日本@名無史さん:2022/06/16(木) 13:35:07.22 .net
和田に漢族が入ったのは最近らしい

494 :日本@名無史さん:2022/08/29(月) 23:43:21.75 .net
秦王国の所在地と秦氏の祖・弓月君の故郷 弓月国の考察
http://kiwarabi.html.xdomain.jp/hataoukoku.pdf

495 :日本@名無史さん:2022/12/26(月) 19:06:26.43 .net
>>1-20
どの研究結果でも韓国人は日本人より漢族に近い
韓国の遺伝子クラスターは日本にはない

韓国の研究
https://i.imgur.com/IbPUMkY.jp

中国の研究
https://i.imgur.com/g6sh7A5.jp

中国の研究
https://i.imgur.com/BBKh6sE.jp
海外
https://i.imgur.com/SAyIf3S.jp

ネイチャーの研究
https://i.imgur.com/lLoS6kH.jp

日本の研究
https://i.imgur.com/SUBhc9A.jp

496 :日本@名無史さん:2023/01/05(木) 18:52:09.51 .net
そら漢の時代は漢四郡で植民地にしてたし、後漢、三国時代も魏や公孫氏の植民地、流入してくる流民も。秦氏も自己申告で秦国系と言ってますよね。

497 :日本@名無史さん:2023/01/20(金) 16:49:21.48 .net
遼河のY-Nが4000年前頃に四散した跡に入ってきた種族が、O2とC2であったことが分かっている。
そのO2とC2が、さらにNのあとを追って朝鮮半島に入ったことが考えられる。
なので、漢の時代に楽浪郡などに入ってきた漢族O2の前に、先住のO2とC2がすでにいたとみるのがよいだろう。
もちろん、そのほかに、陸稲を持ったO1b2も山東半島から朝鮮半島にすでに入っていたから、
O2とC2、O1b2らが先住していて、そこへ漢の時代になって新たに商人系のO2が半島に入ってきたということになる。

とにかく、Y-O系の連中が半島を支配するようになったということだよ。
ただ、言語からみると、少数派のC2がかつてはベースとなっていたとみることができるけどな。

498 :日本@名無史さん:2023/01/20(金) 16:52:48.11 .net
弓月君の秦氏が日本にやってきたのは4世紀後半らしいから、秦氏が半島を通過したのはぐんと時代が新しい。

499 :日本@名無史さん:2023/01/20(金) 21:31:47.01 .net
まあ、弓月君秦氏は、ホータンから来たのだけどね。

500 :日本@名無史さん:2023/01/21(土) 14:23:10.04 .net
弓月君(ユヅキ)を融通王(ユヅウ)と変えてるあたり、秦始皇帝の系譜説はまず後付けということ。

501 :日本@名無史さん:2023/01/21(土) 14:39:11.96 .net
秦氏の系図には、弓月君の子に浦東君というのがあるよね。
この浦東の読みは、ホトウ。
ホトウは、ホータンの略。
弓月君の子を浦東としているのは、弓月国のホータン出身者という意味なんよ。
浦東君以外にも子の名が記されているけど、皆、タリム盆地周縁のオアシス都市の名と重なる発音になっている。
弓月君秦氏がそれらオアシス都市のうちのホータンの出身者なのは、ほぼ確定だよね。

502 :日本@名無史さん:2023/01/23(月) 18:39:13.35 .net
また、埼玉の稲荷山古墳からは、今のユダヤ教超正統派とそっくりの姿をした人物埴輪が出ているし。
太秦の秦氏が武蔵へ送り出した入植者が、ユダヤ教徒だったということになるしね。

503 :日本@名無史さん:2023/01/23(月) 21:25:58.84 .net
>>498
ということは、現在の大阪府に在る古墳群を造ったのは秦氏ではないと…はたして誰なんだろう?

504 :日本@名無史さん:2023/01/26(木) 16:34:49.88 .net
弓月君秦氏がやってきたのは4世紀後半。
古市の津堂城山古墳のあと応神天皇陵古墳が造られたのは5世紀初頭。
南河内では、津堂城山古墳が造られる前に、すでに前方後円墳が造られている。
よって、応神陵を造ったのは、それら古墳前期の墳墓築造工人集団だった可能性が高い。
もちろん、その工人集団に古墳築造を発注したのは、応神政権だけどね。

505 :日本@名無史さん:2023/01/29(日) 16:34:38.63 .net
宇佐八幡の八幡(やはた)はユダヤ人を表すヘブライ語イェフディが訛ったもので、
その幡(はた)を取って氏名とした秦(はた)氏はユダヤ人だったとする説があるけど、
日本語の旗(はた)、幡(はた)はパンジャブ語のjhada(ハダ=旗)を語源とする言葉であり、
ヘブライ語とはまったく別の言葉。
なので、秦(はた)氏のハタは、ヘブライ語由来ではないよ。

506 :日本@名無史さん:2023/01/29(日) 17:09:06.46 .net
まーだやってらっしゃるのか





卑弥呼陵 ← 黒塚古墳(天理市)



卑弥弓呼陵 ← 高尾山古墳(沼津市)





ハイ終了

解散!

507 :日本@名無史さん:2023/01/29(日) 17:27:50.74 .net
>>501
台湾の浦東・プードンとの関係性はありますか?

508 :日本@名無史さん:2023/01/29(日) 17:28:54.77 .net
>>507
誤:台湾、正:上海。

上海の浦東・プードンとの関係性はありますか?

509 :日本@名無史さん:2023/01/29(日) 20:53:12.86 .net
上海の浦東とは、関係ないでしょう。
上海の浦東の西端は川で、この川の西側が上海の元からの市街となっています。
そして、その上海の市街地の呼び名は、浦西です。
ですので、この浦西の東側に広がる原野が、浦西に対して浦東と呼ばれるようになったわけです。
開発前は砂浜の上にできた原野だったのが、開発後に浦東と名付けられたものですね。
つまり、上海の浦東は、最近できた地区名ということになりますね。

それに比べて、秦氏系図にみられる浦東君の字句は、相当古いものではないでしょうか。
ホトーと口伝された名に、系図を作るとき、浦東の字句を当てたのでしょう。
その口伝されたホトーは、中国西域の都市のホータンが短縮されたのでしょうね。

510 :日本@名無史さん:2023/01/30(月) 21:39:35.95 .net
>>509
中国四千年の歴史を踏まえて、秦の始皇帝が秦氏の始祖なのかしら?

511 :日本@名無史さん:2023/01/31(火) 17:20:18.25 .net
東漢氏らがその先祖を後漢霊帝としたため、それに張り合って、秦氏は漢よりも前の秦の始皇帝が始祖だと胸を張ったのでしょう。
秦氏が秦始皇帝を祖先にしたのは、単に東・西漢氏と張り合うためだったとするのが、ワイの考えです。
インスピレーションに溢れた説だと思いませんか。

512 :日本@名無史さん:2023/02/01(水) 17:42:01.48 .net
ただ、一考の余地があるのは、秦氏が本拠地のウズマサに太秦の字を当てていることです。
大秦は、後漢書に見えますように、ローマ帝国を指す言葉です。
大秦は、大きな国というのが原義ですね。
そこで、秦氏が自らの本拠地に太秦(ウズマサ)の字を当てたことを見ますと、大秦の大と太秦の太は同じ意味ですので、
秦氏はウズマサをローマ帝国の都のローマになぞられえたとする意見が出てくることになります。

しかしながら、秦氏がユダヤ教徒だったとすれば、その大きな国(大秦・太秦)とはユダヤ人の都だったエルサレムが考えられていたことも捨てきれません。
そして、ユダヤ教徒だったハタ氏は、そのエルサレムを指す大秦・太秦の秦の字を取って、氏名(うじな)のハタの発音に当てたのが秦(ハタ)の字だったということも考えられます。
このように、ハタ氏が自らの名に秦の字を当てたのは、太秦の秦に由来するものだった可能性が高いです。
そして、この秦の字にかこつけて、のちに秦始皇帝を祖先とする系図を作り、東漢氏らに対抗したのでしょう。

513 :日本@名無史さん:2023/02/01(水) 21:32:00.71 .net
ローマは一日にして奈良漬け

514 :日本@名無史さん:2023/02/01(水) 23:44:00.13 .net
一字違っておおちがい。

515 :日本@名無史さん:2023/02/02(木) 03:16:56.63 .net
>>506
狗奴国、まだやってるんでっか。

516 :日本@名無史さん:2023/02/09(木) 17:59:09.84 .net
きみたちは思ってもみないだろうけど、太秦からさきたま古墳のある行田までは、秦氏がユダヤ教の出エジプト記になぞらえて描いた日本版出エジプト記の旅程ルートなんよ。
太秦秦氏の神体山の松尾山は、出エジプトの前夜にユダヤの民が食べた種無しパンのマッツオを漢字表現したもの。
深草秦氏の神体山の稲荷山は、もともとはイナイ山の発音だった。
イナイ山のイナイは秦氏のトルコ語では着陸、降下を表すイニシに由来する言葉で、何が降下着陸したのかというとユダヤ教の神が降臨したことを意味する。
ユダヤ教の神が降臨したのはあのシナイ山なので、秦氏のイナイ山はシナイ山に見立てた山名となる。
そして、このイナイ山(稲荷山)からずっと東へ行くと諏訪に至るが、秦氏のトルコ語ではスバは「水がある」という意味の言葉なので、諏訪湖を指していることが分かる。
この「水がある」は、ユダヤの民がエジプトを出て初めて一息ついたオアシスのエリムを指している。
このあと、諏訪から武蔵に入り、いよいよ旅程は行田に到着するが、そもそものムサシ(武蔵)の言葉は秦氏のトルコ語ではヤダヤの民を率いたモーゼがムサで、
シは方向を表す和語となり、ムサとシを合わせたムサシは「モーゼが目指したところ」の意味の言葉になる。
なので、ムサシ(武蔵)とは、秦氏のトルコ語では「モーゼが目指した安住の地カナン」を指した言葉になるのだ。

これをみれば、太秦から信濃を通って入植地の行田に至る旅程を、秦氏は出エジプト記の行程として描いていることが分かる。
つまり、秦氏はトルコ語を話すユダヤ教徒だったとみるのが正解ということだ。
トルコ語は西域のホータンでは当たり前の普通の会話語だったようなので、ホータンから来た弓月君秦氏がトルコ語を話す人々だったことはなんの不思議もないことと言える。

これが、秦氏の謎に潜む真の姿だと言える。
その秦氏が行田の地へ送った入植者の中にユダヤ教の超正統派的な姿をした人物がいることは、何ら不思議でもないごく普通のことだったのだ。
武蔵は、秦氏によって描かれたユダヤの民の入植地カナンだったということなんだよ。

517 :日本@名無史さん:2023/02/12(日) 20:16:34.77 .net
>>513
ローマは一日にして塩漬け。

518 :日本@名無史さん:2023/02/13(月) 22:10:25.31 .net
斉って山東半島だよな
山東半島には倭人にまつわる何かがある気がしてならんな
あそこから海にでて朝鮮半島や日本に逃げていったんだろ倭人は。

山東省は日照や嵐山っていう日本みたいな地名あるし、海に面してて日本に少しだけ似てるよね。

519 :日本@名無史さん:2023/02/13(月) 22:11:17.14 .net
てか倭人が弥生人なんじゃね?

520 :日本@名無史さん:2023/02/14(火) 17:08:20.36 .net
菜畑遺跡の水田の様式と山東半島の遺跡の水田様式がよく似ているそうだ。
平野部につくる規模の大きい水田ではなく、山あいの谷筋の小規模な水田の様式。
菜畑のあとの板付遺跡の整った水田遺跡とはかなり違うらしい。
しかしまあ、淮河や山東のどちらの水田もY-O1b系の種族によって運営されたのだろうし、
菜畑や板付にもその同じ種族が渡ってきたのだろうけど。

関係おお有りじゃないの。

521 :日本@名無史さん:2023/02/14(火) 17:24:19.11 .net
なら、菜畑遺跡は中国土器遺構になってないと話しがおかしいじゃないか

菜畑遺跡はそれまでの黒川式縄文土器を押し退けて新たな土器が登場した遺構なんだから
中国から入ったなら中国土器が伝わってないと話がおかしい

ところが菜畑遺跡に伝わった新しい土器は中国土器でも朝鮮土器でもなく、
山陰方面から入ってきた沿海州南部と特徴が一致する土器なのであった

522 :日本@名無史さん:2023/02/14(火) 17:29:03.20 .net
ここに湧いて中卒を詐欺ってたのかチンコロw

523 :日本@名無史さん:2023/02/15(水) 20:31:26.71 .net
秦氏は元辰韓の王侯貴族

辰韓は連合国の一国だった新羅に国を乗っ取られてしまう

元辰韓王の功満王が来日して仲哀天皇に遺民の帰化を要請し
実現したのが秦氏

524 :日本@名無史さん:2023/02/15(水) 21:19:33.69 .net
>>521
その謎が、極めて重大。

縄文時代から弥生時代へのダイナミックな転換の際に、半島系の無文土器が北部九州でみられるようになるとされているが、
その無文土器でも舶載のものはごく少ないとされているようだ。
このことは、半島から人が対馬海峡を渡る際にも、半島で造られた土器は持ってこなかった可能性を示唆する。
舶載とされる無文土器も、対馬海峡の海人らが交易品として北部九州へもたらした可能性も考えられる。

この無文土器のケースと同じで、水田稲作の籾を持って対馬海峡を渡って菜畑などにやってきた水稲農民も、
その大陸での炊飯用土器などは持って来なかった可能性を考える必要が出てくる。

大陸の炊飯用土器なども無文土器の場合と同じで、それを舟に積むかどうかは舟の船頭の考え方次第だったとも考えられる。
それは、舟のスペースがごく狭く、余分なものは積めなかったということによるのではないか。
つまり、北部九州へ渡るには、身一つで舟に乗る必要があったということになる。
そして、対馬海峡を渡った者が男だけだったとすれば、なおさら大陸の炊飯用土器は持って来なかった可能性が高い。

舶載の鼎などが菜畑や板付などで出土しない理由については、そうした事情も勘案してみる必要があると思われるけどね。

525 :日本@名無史さん:2023/02/15(水) 21:21:56.73 .net
>>523
そもそも、秦氏辰韓出身説の根拠はいったいな〜に?
特に何もないんじゃないの?

526 :日本@名無史さん:2023/02/15(水) 21:37:08.49 .net
>>524
記憶からの再現の話を搬入の話にすり替えて誤魔化しんてんじゃねよ馬鹿チンコロ

そんな子どもダマシな欺罔が考古学者や考古学マニアが何百人も集う講演会で
通用すると思うか?

527 :日本@名無史さん:2023/02/15(水) 22:24:11.47 .net
>>525
まず秦氏が遺した土器は百済あたりではなく新羅あたりの土器と一致するという事

国王自ら来日して天皇に亡命を哀願している事

この頃に滅んだ国家に楽浪帯方があるが、楽浪帯方なら太守のはずであり王ではない

新羅の執拗な妨害

百済あたりから来たなら新羅は妨害できないはず

辰韓が秦韓とも呼ばれている事

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