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秦氏はどこから来たか 4

634 :日本@名無史さん:2023/03/25(土) 19:55:49.33 .net
>>587
日本書紀は、兄媛が乗る船の漕ぎ手として、応神天皇が御原の海人を当てたとしている。
この御原は今の南あわじ市あたりなので、御原の海人とは鳴門海峡の難所を漕ぎ渡る熟練の漕ぎ手なのが分かる。
ということは、彼らが熟練しているのは準構造船の操船であり、そのために大津から出発する兄媛の準構造船の漕ぎ手に当てられたのだろう。
漕ぎ手80人については、埴輪などから準構造船の漕ぎ手は片側5人のものがみられるので、両側で10人とすると、兄媛と兄媛のお供たちを乗せる準構造船は全部で8艘程度だったことが推測される。
天皇の妃なので、それくらいの船団になるではないか。
まったく問題ない。

弓月君が倭国に渡ったときの総勢が数万人に達すると日本書紀は書いているようだけど、これは実際の渡来人数とはかけ離れた数字だと思う。
この多数の人数については、のちに秦氏があちこちで囲い込んだ渡来系の民を元々からいた同族人だとして合理化するのが目的の文章だと思われる。
なので、この多数の人数から、彼らを運んだ船が外洋航行の大船だったと導くのは危険だ。

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