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秦氏はどこから来たか 4

1 :アッシー:2020/02/27(木) 01:58:54 .net
秦氏ホータン出身説が最も具体的。その他の説はゴミに近い。
あとは太秦エルサレム説の真贋だけだ。

835 :日本@名無史さん:2023/08/30(水) 20:10:53.76 .net
>>832
あれは、東漢氏が後漢霊帝の子孫だと胸張ったことに対抗して、わしらは始皇帝の血脈だからと胸張り返しただけの捏造。

836 :日本@名無史さん:2023/08/30(水) 20:28:04.16 .net
>>833
これまでに、ユダヤ教徒が墓に何かそれらしいものを副葬したという例はあったかなあ。

837 :日本@名無史さん:2023/08/30(水) 20:40:39.36 .net
弓月(クタラ)

838 :日本@名無史さん:2023/08/30(水) 20:40:54.08 .net
>>834
弓月君が120県の民を率いて渡来したと書紀が書いていることは事実だけど、その書かれていることが事実を反映しているかどうかはまた別。
120県もの人数を引き連れて国を出たとなれば、大騒動になる。
国の富をごっそり持ち出すわけだから、無事に国を出れたかどうかあやしい。
この120県の人数というのは、書紀編纂室の脚色だろう。
つまり、秦氏が自分に所属する人民が各地に分散さされているので、自分のもとに再度まとめたいと申告して許されるわけだが、その人民はそもそもから自分のもとに所属する者たちだったから正当なのだと理由付けするための脚色なのよ。
弓月君がそんな大人数の者を引き連れて渡来してきたということは、なかったと思う。
秦氏が各種の職人たちを多数抱えるようになるのは、あとのことだろうね。
大陸や半島などから腕のいい職人を引き抜いて渡来させたということだよ。

839 :日本@名無史さん:2023/08/30(水) 20:51:09.33 .net
>>837
月は、韓国語ではdal(タイ)だからね。
タラではありまへん。

840 :日本@名無史さん:2023/08/30(水) 21:06:48.26 .net
馬韓のことを
ペクチェと言わずにクダラというのは弓月(クタラ)由来の呼称なのだな

841 :日本@名無史さん:2023/08/30(水) 23:44:13.60 .net
馬韓地方に居陀(クダ)という名の地域があって、この居陀(クダ)に城壁を表す羅(ラ)を加えたのが居陀羅(クダラ)。
日本では、その居陀羅(クダラ)でもって百済(ぺクチェ)の字の読みとしたとする説が最も有力。

842 :日本@名無史さん:2023/09/01(金) 02:41:01.34 ID:GjWkgbW7r
まあ、百済から来たというのは、百済を通ってきましたということでいいんじゃないの。

843 :日本@名無史さん:2023/09/01(金) 03:30:01.65 ID:WoR10wG+h
深草の秦氏の神体山の稲荷山の元々の名はイニイ(稲生)山で、これはシナイ山に擬した山だったようだ。
シナイ山は、ユダヤ教の神がモーゼに十戒の石版を降ろしたところ。
そうなると、太秦の秦氏が神体山とした松尾山が、非常に注目されることになる。
モーゼがイスラエルの民を率いてエジプトを出る前夜、彼らは簡易的に作った種無しパンを食べるのであるが、このパンの名がマッツオだ。
マッツオはユダヤ教では極めて重要なパンであり、祭りのときには必ずこのマッツオを食べる。
このマッツオと松尾山の松尾(マツオ)の発音は、ほとんど同じなのだ。
太秦の秦氏が神体山とした山の名がユダヤ教の祭日に食べるパンの名と同じというのは、これは偶然ではないと考えるのが普通だ。

秦氏関連の地名、山名などがユダヤ教の出エジプト記の逸話と被ることが多いのは、秦氏がユダヤ教徒だったことを示唆しているのだよ。

844 :日本@名無史さん:2023/08/31(木) 08:12:31.85 .net
>>838 都合よく記録されている話を捻じ曲げるのは感心しないな 一気に信用を失うよ
日本側はわざわざ半島まで豪族と軍隊を派遣して秦氏が渡来しやすく環境を整えてるんだぞ


>120県もの人数を引き連れて国を出たとなれば、大騒動になる。
国の富をごっそり持ち出すわけだから、無事に国を出れたかどうかあやしい。

国の富?
どこの国の話をしてるんですか

845 :日本@名無史さん:2023/08/31(木) 08:21:22.50 .net
>この120県の人数というのは、書紀編纂室の脚色だろう

そろそろ妄想癖のオッサンが勝手なこと書いてるだけかと疑いたくなるんだが? 
日本書紀の編纂に秦氏は関わっていないし、位も低い秦氏のために脚色する理由がないだろ

846 :日本@名無史さん:2023/08/31(木) 08:23:31.41 .net
>>840 >>841 秦氏とは何の関係もないな 何を混同してるんだ

847 :日本@名無史さん:2023/08/31(木) 15:27:55.23 .net
>>844
日本では、人民を「大御宝(おおみたから)」と言ったよね。
古代では、人手が宝だったわけ。
その宝である120県もの人民がごっそり移住してしまうとなれば、秦氏がいたというその百済の国主にとっては大きな痛手になる。
国の富の元手が失われるわけだからね。
当然、百済の国主は、秦氏を逮捕して、その120県の人民を百済に留めておくことになるのは、当然。
かのエジプトでは、モーゼがイスラエルの人民を率いてエジプトを脱出するや、王はこれを追撃して人民を引き戻そうとした。
これが、常識なのよ。
そうしたなか、百済から秦氏が120県の人民を連れ出すのを、百済の王がただ見ていたということにはならない。
しかし、書紀では百済王はただ見ていたということになる書き方をしているね。
それは、そういう脚色だからなのよ。
現実無視も甚だしい。
そこで、ではなぜ、書紀はそんなことを書いたのかと考えなければならない。
秦氏が大勢の人民を囲い込むことになったのを正当化するために、元々から120県の民を率いて渡来してきたのだと理由付けたわけよ。
その脚色のために、新羅が百済の調をかすめ取ったという出来事をモデルにして、新羅が秦氏の人民の渡来を邪魔したと書いたということ。
その民を救出に行った葛城襲津彦とその軍勢が3年もの間、何の成果もなく音信不通になったなどということは、信じがたいこと。
秦氏が率いた120県の人民の渡来というのは、そういう書紀編纂室による脚色だと思うよ。

848 :日本@名無史さん:2023/08/31(木) 15:37:06.53 .net
>>844
秦氏は、今でいえば、大財閥の当主なのよ。
書紀に多数の豪族の先祖の物語が書き込まれているのと同じように、最大の渡来系豪族だった秦氏の物語が秦氏の意向に沿った形で挿入されたと考えるのはごく普通に当然のこと。
大財閥の秦氏の影響力を過小評価してはいけないね。

849 :日本@名無史さん:2023/09/02(土) 03:56:55.17 .net
まあ、中国の史書に弓月道という地方名が出てくる。
唐代には全国を十道に分け、のちには十五道としたことからして、弓月道の道はその道のことだと思われる。
そして、この弓月道は西域地方を指すらしいから、日本書紀が記す弓月君とはいわば西域から来た人ということになりそうだ。
どうしても、秦氏の出自は中国西域に関連してくるね。

850 :日本@名無史さん:2023/09/02(土) 04:14:08.01 .net
>>848
この弓月道の言葉が出てくるのは資治通鑑で、その中に「力為弓月道行軍総管(力を弓月道行軍総管と為し)」という文章がある。
西突厥を討伐するために軍を派遣したことを記述しているもの。
総管は、司令官のこと。
弓月城という地名も現在の地図の新彊ウイグル自治区にあるらしいから、弓月道が西域地方を指す言葉だったのはまず間違いないだろうね。

851 :日本@名無史さん:2023/09/02(土) 04:42:05.06 .net
>>850
訂正
資治通鑑の文章は「(梁建方と契苾何力の大将軍を)為弓月道行軍総管」が正しい。

852 :日本@名無史さん:2023/09/02(土) 10:56:32.62 .net
>>848
財閥じゃないな 軍隊つきの豪族だよ 養蚕してたのも漢人系なら不思議ではない

853 :日本@名無史さん:2023/09/02(土) 22:21:47.61 ID:bQ3gd0NwM
深草の秦大津父は馬の隊商を組んで伊勢(四日市あたりか)へ商いに行っている。
これをみると、秦氏は豪商でもあるし。

854 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 13:50:02.69 ID:waCJM0U7A
蚕(かいこ)は、漢語ではザン。
蚕(ザン)は、養蚕(ヨウザン)と用いる。
一方、モンゴル語では、蚕はtorgo khorkhi(トルゴ・コルコイ=シルク・昆虫)。
キルギス語は、jibek kurtu(ジベク・クルトゥ=シルク・虫)。
カザフ語は、jibek qurti(ジベク・クルティ=シルク・虫)。

これをみると、日本語の蚕(カイコ)は飼う+コの構成であるので、この「コ」はトルコ語系のkur(クル=虫)、モンゴル語系のkhor(コル=昆虫)に由来するコ(虫)であることが分かる。
このことから、日本の蚕(かいこ)は中国由来ではなく、西域由来であると見るのが妥当。
とすれば、この蚕(かいこ)は、西域出身の秦氏がもたらした可能性が出てくる。

855 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 13:50:46.59 ID:waCJM0U7A
蚕(かいこ)は、漢語ではザン。
蚕(ザン)は、養蚕(ヨウザン)と用いる。
一方、モンゴル語では、蚕はtorgo khorkhi(トルゴ・コルコイ=シルク・昆虫)。
キルギス語は、jibek kurtu(ジベク・クルトゥ=シルク・虫)。
カザフ語は、jibek qurti(ジベク・クルティ=シルク・虫)。

これをみると、日本語の蚕(カイコ)は飼う+コの構成であるので、この「コ」はトルコ語系のkur(クル=虫)、モンゴル語系のkhor(コル=昆虫)に由来するコ(虫)であることが分かる。
このことから、日本の蚕(かいこ)は中国由来ではなく、西域由来であると見るのが妥当。
とすれば、この蚕(かいこ)は、西域出身の秦氏がもたらした可能性が出てくる。

856 :日本@名無史さん:2023/09/02(土) 22:33:55.37 .net
深草の秦大津父は、馬の隊商を組んで伊勢(四日市あたりか)へ商いに行っている。
豪商でもあるし。

857 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 14:12:36.15 .net
>>852
蚕(カイコ)は、中国語では蚕(ザン)。
熟語としては、養蚕(ヨウザン)がある。
一方、日本語の蚕(カイコ)は「飼う+コ(蚕)」の構成であるので、このコ(蚕)は中国語の蚕(ザン)とは関係ないことが理解できる。
では、この日本語のコ(蚕)は、どこから来たか。
蚕はモンゴル語ではtorgo khorkhoi(トルゴ=シルク・コルコイ=昆虫)、キルギス語ではjibek kurtu(ジベク=シルク・クルトゥ=虫)、カザフ語ではjibek qurti(ジベク=シルク・クルティ=虫)であり、虫を表すモンゴル語やトルコ語系のkhor(コル)やkurutu(クルトゥ)と日本語のコ(蚕)と発音、語義が重なる。
これを見ると、日本語の蚕(カイコ)のコ(蚕)は中国由来ではなく、むしろ西域由来であることが想定できる。
なので、蚕(カイコ)を日本にもたらしたのは西域出身の秦氏だ、と断定してもいいくらいだね。

858 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 14:22:50.09 .net
ハタ(秦)氏は、西域のホータン出身だね。
ホータンのホタが訛ってハタ(秦)になった。
これで、決まりだよ。

859 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 16:21:31.13 .net
はいはい
それでは秦氏とユダヤ人は関係ないということでよろしいな 
トルコ語も関係ないと

860 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 16:26:22.58 .net
養蚕はホータンごときは全く関係ない
大陸系の土木技術で塹壕集落作ってた連中も養蚕をやってたからな 
そもそも東アジアの漢字文化圏じゃ当たり前だ絹織物 秦氏もその一員にすぎない

861 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 16:30:22.80 .net
養蚕はホータンは中国文明圏から恵んでもらった盗んだだけや、、秦氏がホータンから来た証拠のように使うなど論外 

862 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 16:35:59.65 .net
>>856
日本じゃ身分低くて朝廷の重臣になれないからな 食べていくために商売やってないが不思議なんだ

863 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 16:40:23.93 .net
養蚕は秦氏が渡来する何百年も前から国内でやってる
つまり蚕カイコの発音と秦氏は関係ないんだよ

いい加減に秦氏の渡来と日本語の発音を結びつけるのはやめたまえ 関係ないんだよ  

864 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 16:41:35.76 .net
だいたいホータンはじんしゅてきにもトルコ系じゃないだろ 混同が

865 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 16:43:10.28 .net
だいたいホータンは人種的民族的ににもトルコ系じゃないだろ 使ってた言語も異なるということだ
混同が過ぎる 妄想だよ

866 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:06:00.11 .net
>
トンデモ論者は、7世紀頃の中央アジアに「弓月国」というのがあったという史実に基づかない説を勝手に立てる。弓月国の人々は万里の長城建設の苦役に耐えかねて朝鮮半島に逃亡し、そこから日本に来たのだと。
弓月国なんて国は、中国の史書には登場せん。

「日ユ同祖論」「秦氏=イスラエルの失われた十支族の末裔説」というトンデモ説の信奉者が、でっちあげた架空の国名。

867 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:09:27.97 .net
弓月など漢人にとっては単に三日月という意味でしかない そんな地名は中国国内で探せば複数あったであろう
>
「弓月国」なる国が中央アジアのどこかに存在したなど、中国の史書にはいっさい書かれていない。日本の史書にも、「弓月君は弓月国から来たとされる」なんて記述は登場しない。

868 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:10:26.67 .net
>
「資治通鑑」には、唐と西突厥との戦争の記述で「弓月城」というのが二箇所登場するだけで、それが国だったとはどこにも書かれていない。
それ以外の中国の歴史書に「弓月国」なる国の存在は一切書かれていない。

869 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:11:50.79 .net
>
「弓月国」というのは、日ユ同祖論者の妄想の中にのみ存在する、いっさい史料的裏付けのない空想の国家。真に受けないように。

870 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 17:13:32.27 .net
妄想を撒き散らすなとばかりにヤフー知恵袋で怒られてますな

871 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:07:05.72 .net
>>860
いやいや、その塹壕人民が作っていた絹は、山マユ糸だよ。
人工育成された蚕とは遺伝子がちゃいまんねん。

872 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:10:33.17 .net
>>859
ワイの考えでは、秦氏(弓月君)はいわゆるイスラエル民ではない。
ギリシャ系改宗ユダヤ教徒が弓月君。
失われた十部族系ではないと思うわ。

873 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:12:05.67 .net
ホータンマンは多分老人だから何言っても理解しないで自説を垂れ流し続けるだろうよ

874 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:15:10.01 .net
>>861
天皇も泣いて喜んだという秦氏の絹。
ちゅうことは、それまで日本にはなかった絹だということ。
どこからその絹糸を出す蚕と織物職人を持って来たというのよ。
ホータンから呼んだのに決まっとる。

875 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:16:07.09 .net
>>873
ちゃうちやう。
おめーらが知識不足で論破できんだけ。

876 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:19:13.11 .net
>>867
資治通鑑には「弓月道」と書いてあるな。
弓月国とは書いてない。
ちゃんと目ん玉開いて見てる?

877 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:20:32.85 .net
論破されまくってるけど効いてないの間違いだろ
あんたはオカルト次元にいるから効いてない
良いじゃん オカ板行けよ

878 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:33:57.02 .net
>>865
ホータンでは、5世紀から突然ペルシャ語系のコータン語に入れ替わる。
ペルシャ系の部族によって、人民掃討が行われたのは明らか。

879 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:43:28.60 .net
>>878
ホータンでは、5世紀の前までは、突厥系のチュルク族が支配的だった。
そこへ、ペルシャ系の部族が侵入を始めたので、弓月君らは4世紀末頃にホータンを脱出したのさ。

880 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 18:55:54.81 .net
>>874
>福岡県の有田遺跡(紀元前200年頃)からは平絹が出土しているが、当時の中国の絹織物とは織り方が異なることから日本列島特有の絹織物が既にあったと考えられている[3]。記紀には仲哀天皇の4年に養蚕の記録がある[3]。

つまり畿内が養蚕の技術を手に入れたのは九州を制圧した後のことなのかな

881 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 19:36:01.74 .net
そうやろな。

882 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 21:11:25.13 .net
日本ていきなり技術革新が進む断続なブレイクスルーがいくつもあるよな
西洋などで厳しい状況から明日を夢見てコツコツ積み上がった科学技術が時折友好的かつ直接的にぶつかって来て衝撃を受ける→浸透するの繰り返し
日本て科学技術に関しては世界的に見ても稀でメチャクチャ恵まれた好条件な文化的・文明的進化してる
八百万の神々っていうけどまさにあらゆる恩恵がこれでもかという程もたらされて来る
グローバル経済が当たり前になってからはシェアを握る事が多くなったけど、新基準を作る革新・独創性に関してはいつも後発
最先端というには受け身な国民性もこの当たりの慣習が響いてたりするんだろうか

883 :日本@名無史さん:2023/09/03(日) 21:11:49.29 .net
断続→断続的

884 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 01:12:37.81 .net
ローマやアメリカは技術の応用・実用化が得意で、アメリカは現在でも次々に新しい技術を生み出している。
それと比べると、日本は開発のための資本投下とその技術の応用になんかの欠陥がある。
典型的な例は、二宮忠八が世界に先駆けてプロペラ式の模型飛行機実権に成功したが、日本の社会はその技術を実用化する方向に動かなかったことに見られる。
そのあと、ライト兄弟がプロペラ型飛行機を世界で初めて実用化した。
また、欧米は八木アンテナとレーダーを組み合わせることでレーダーの性能を飛躍的に向上させた。
ドイツは、この組み合わせによるレーダーを双発メッサーシュミットに搭載して、航空機によるレーダー索敵を実際に行っていた。

この日本の社会のなんかの欠陥性は、確かにあるわな。
おそらく、死に物狂いで金儲けに走る目的性の欠如だろうよ。

885 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 10:03:10.34 .net
>>879
残念です それでは秦氏の渡来には間に合いませんなw
出直してこい詐欺師が

886 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 19:43:39.32 ID:syzT0Mnad
冗談は池子さん。
神功皇后3世紀前半説は、いくらなんでも、いまどき誰も信じないよ。
おととい来たまえ。

887 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 17:56:47.38 .net
ザンネン。
応神天皇は4世紀末の人物。
この応神のときに弓月君が渡来してきた。
ちゃんと、時代は合っている。
書紀の記述を信じて、まさかの父ちゃんみたいに、3世紀前半が応神の時代と信じてるのとちゃいまんのか。

888 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 21:22:40.84 .net
話通じなさすぎだろこいつ
博物館でも学芸員相手に延々珍説垂れ流して嫌われてそう

889 :日本@名無史さん:2023/09/04(月) 22:50:31.13 .net
ハタから見たら
はた目に見る

の「ハタ」だよ

単に「外から来た人」程度の意味しかない

だから要するに「その他の渡来人」やね
蘇我氏とかの単独で氏を持つ有名渡来人ではない「その他の渡来人」を総称して秦氏といった

八幡も「数多くのハタから来た人」の意味だし
八幡神は「いろんな外国の神」の意味

890 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 12:27:08.19 .net
ハタ(端)は、ハシ(離れたところ)+端(タン)の和漢合成語。
弓月君が渡来した4世紀末頃には、日本ではまだこのような高度な漢字の用い方はなかった。
つまりやな、ハタ(秦)のハタは、端(ハタ)のハタではないちゅうことでんねん。

891 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 12:35:21.68 .net
八幡(ヤハタ)の幡(ハタ)は、旗(ハタ)の意。
このハタ(旗)の発音と語義は、パンジャブ語のjhada(ハダ=旗)に由来する。
八幡(ヤハタ)は、「たくさんの旗」の意だよ。
「たくさんの端(ハタ=周縁部)の者」なんて、頭大丈夫か。

892 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 18:16:07.08 .net
ホータンマン「◯◯(何の根拠も無い与太話)だからな」「(反論後)しかし◻︎◻︎(関係ない話)だからな しかも△△(別の与太話)だし」

基地外荒らし

893 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 18:25:37.83 .net
>>891
ソースは?
個人ブログなんか持ってきたら承知しねえぞ

894 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 18:48:50.15 .net
つうかこのスレ建てたのホータンマンかよw
通りで何かおかしいと思ったわ
ここは隔離スレってことで

895 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:44:14.22 .net
おめーら、皆、欠陥知識振り回すの得意やけど、まっとう純正学問知識には全然歯が立たんやんけ。
まあ、どこかの学者の論文チョロ見して、どや顔で相手を攻めるくらいがオチや。
ワイみたいに、学究辛苦飽くことなき向上心の結果した論議ならまだしも、浅瀬の石ころみたいな論は甚だものたりない。
一昨日来たまえ。

896 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:46:47.30 .net
>>894
てめーは、あほか。

897 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:49:01.57 .net
>>891
秦氏の氏としての役割と一致してるだろ
蘇我氏など有名氏族以外の渡来人の管理をしてたのが秦氏なんだから

そのまま「ハタ=外国」の氏だろ

898 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:51:52.61 .net
ヤハタの神=いろんな外国神

いろんな外国神を渡来人の代表者だった秦氏がまとめて祭ったのが八幡神社

外国人の中には遊牧民も多かった
秦氏の源流のひとつである弓月氏が中央アジア系というのもある程度事実だろう
ただ唯一の源流ではないというだけ

899 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:55:30.02 .net
秦酒公の大酒神社が大避でダビデにまつわる名前だっていう説があるけど


俺はどちらかといえば海が裂けて道ができるモーセの説話から取ったと思うぞ

一般論として人の名前は伝わりにくいが、物語は伝わりやすいんだよ

アレキサンダー大王もインドではイスカンダルだし
名前は伝播するにつれてちょっとずつ変わっていく

900 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 20:57:33.59 .net
そして当然だけど仏教も倭王権に先駆けて秦氏が受容してただろうね

秦氏が持っていたはずの仏像や秦氏の領地にあったはずの古寺はどこに消えたんだろうな

901 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 21:21:38.46 .net
こいつは何を言ってるんだ?w
偏差値40ぐらいだろおまえ

902 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 21:27:07.42 .net
ホータンマンって呼び方良いな
変な外人の名前っぽいのが皮肉効いてる

903 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 22:08:02.02 .net
>>895
こんな所でそんなどうでも良い事語ってもスレ汚しなだけ

904 :日本@名無史さん:2023/09/05(火) 22:11:58.86 .net
>>889-891が841のレスだったら建設的なレスは835-837のみ
そしてこれは至極興味深い、というただそれだけの話

お前らの欠陥知識云々とかそういうのどうでも良いんだよ、嫌味ではなくまっとうな純正学問知識を存分に披露して欲しいと願う

905 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 03:02:00.73 .net
>>897
弓月氏が中央アジア系というのもある程度事実というのは卓見だ。
しかし、いろんな外国神を渡来人の代表だった秦氏がまとめて祭ったのが八幡神社、というのは浅瀬の石ころ。
深みに欠ける。
なぜわざわざ宇佐八幡に祭ったのか理由が書けてない。

906 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 03:11:05.97 .net
>>902
アイヒマンだけはやめてくれ。

907 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 08:14:31.76 .net
宇佐八幡に祭った理由は「空いてたから」だと思うよ単に

渡来人の神なんだから朝鮮半島~大阪湾の渡来ルートのどこかに祭るところを作りたいわけだ
みんなが立ち寄りやすいところに

その「みんなが立ち寄りやすいところ」の中で空いてたのが宇佐だったってことだろ

というか宇佐以外にもあるじゃん大阪湾にも福岡にも

でも大阪湾や福岡は他にも神社が多くあってそこまで参詣を集めなかった

宇佐は大きな神社がそこしかないから宇佐が渡来人以外からも参詣を集めて大きくなったってことじゃないか

908 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 09:18:16.86 .net
資料に基づいた根拠も示さない妄想はオカルト版でやってくれよ

909 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 10:24:40.00 .net
秦氏がどこから来たかという妄想を語り合うスレだろバカか

古代史に根拠なんか現存してるわけねーだろ

910 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 14:45:27.69 .net
>>907
秦氏がごっそり渡来系の人民を囲い込んだのが宇佐地方だった関連から、ついでに「たくさんの外来神」も宇佐に押し込んだのだ、くらいの解説が出て来るかと思ったが、なんだ単に「空いていた」からか。

911 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 17:40:33.10 .net
>>909
実存した氏族について語るのに単なる妄想のやり取りして何の意味があるんだよ 脳内お花畑かお前は
小卒かお前は 最低限でも文献その他の資料に基づく根拠を示せゴミが
それができないなら単なるオカルトだよ 消えろ

912 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 18:14:47.04 .net
根拠資料が現存してたら謎の秦氏とか言われてねーわ

根拠資料がない中で、根拠資料がないなりに少ない事実と解釈を積み上げて説得力のある仮説を立てていくゲームだろ?っての

これは邪馬台国論争も同じ

「根拠がないことを言うな」なんて言ったらこのゲームは成り立たないんだよ

わからないか?

913 :日本@名無史さん:2023/09/06(水) 18:32:23.80 .net
大避がダビデで太秦がローマ、稲荷はINRIでキリスト教だ!って言いたいんだろお前ら
でも頭領の秦河勝が建てたのは仏教寺院なんだよ

914 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 00:13:34.24 .net
その秦河勝が建てた仏教寺院の境内の配置が、エルサレムの神殿の配置とまったく同じなんだよな。

915 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 00:27:04.11 .net
大避(ダイヒ)はダビデというのは、現代のこじつけ。
大避(オオサケ)が正しい。
誰かが、紅海の海が裂けたことを表しているのが大避(オオサケ)だと言っていたが、ダビデも紅海亀裂もダメダメ。
大避(オオサケ)は、神がエジプトの子どもを無き者とするとき、イスラエルの民たちは自分たちの子どもへの難を避けるために、門に血を塗って結界にした。
この神の災難を避けた故事を表すのが大避(オオサケ)だ。
ここからイスラエルの民の荒野の苦行がスタートするわけだから、大避(オオサケ)はイスラエルの民の苦難の旅を象徴する言葉なんよ。

916 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 10:19:03.39 .net
そこだけ何でユダヤかホータンの言葉じゃないの 都合よくつまみ食いするよなお前は 笑かしてくれる 漢人がから逃げてきただけだなやっぱり

917 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 10:20:54.67 .net
>>914
具体的にはどこが一緒なんだ?

918 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 10:30:49.52 .net
>>916
漢人っていっても新羅人なんだよな

渡来してきた新羅人はなぜか漢人を自称した

919 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 14:33:05.18 .net
>>916
神社ができるのは仏教寺院が建てられるようになってから。
まあ、飛鳥時代頃だろうね。
だいたい7世紀。
だから、大避神社は7世紀以降のものになる。
秦氏が渡来した4世紀末頃からは、200年ほども経っている。
さしもの秦氏も、トルコ語よりも日本語生活に馴染んでいたということだろうね。

920 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 15:07:05.13 .net
>>917
エルサレムの神殿 (東西軸線上に並ぶ) 入口→銅の祭壇→聖所入り口両脇に柱→聖所→至聖書
広隆寺 (南北の軸線上に並ぶ) 入口→講堂→上宮王院太子殿入り口の両脇に灯篭→上宮王院太子殿→新旧霊宝殿

双方異なるのは並ぶ軸線方向だけで、エルサレムの神殿は東西軸線上に並び、広隆寺は南北軸線上に並んでいる。
このほかに、神殿域の南にはギホンの泉があり、広隆寺では西側にイサラ井がある。
広隆寺の方位を90度回転させれば、神殿と広隆寺の配置、ギボンの泉とイサラ井はそれぞれぴったり重なる。
このほかにも類似物はあるが省略。



双方の方位の違いは、広隆寺が立地した場所の地形などによるのではないか。

921 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 16:36:39.44 .net
エルサレムの神殿ってのは具体的に何神殿なんだ

922 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 21:05:06.25 .net
>>921
エルサレムの神殿=ユダヤ教の神を祀る聖所

923 :日本@名無史さん:2023/09/07(木) 21:23:51.17 .net
>>922
いやだから、すべての神殿が同じ作りではないやろ?と

924 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 01:29:27.52 .net
>>923
ソロモンの時代の神殿やがな。
イスラエルの民の栄光の時代やぞ。

925 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 01:46:46.59 .net
いやだからそんなことは聞いてない
エルサレムの神殿とはどの神殿かと聞いている
エルサレムに神殿は複数あるだろと

926 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 02:08:17.04 .net
旧市街の神殿の丘やがな。

https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102003126

927 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 02:13:14.13 .net
ついでやが、赤穂市の大避神社の面とホータン出土の面が、よう似てるわ。
弓月君がホータンから来たのは、間違いないで。

https://www.ako-minpo.jp/smp/news_834.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3%E7%8E%8B%E5%9B%BD

928 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 14:13:46.19 .net
全く似てないし どこが似てるんだよ いい加減にしろ

929 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 15:55:37.50 .net
わかるわかる
実は日英同祖論もあるぞ
意味はミーン
道路はロード
名前はねーむ(ローマ字でna me なめ 訛れば ナメェ)
台風はタイフーン(笑)

930 :日本@名無史さん:2023/09/08(金) 16:00:51.30 .net
実は日英は同祖だっていう証拠を詳しく(もちろんネタ)
日本語&英語訳 ←→ 英語
設定 ←→ setting(セッティング)
掬う ←→ scoop(スクープ)
イライラさせる ←→ irritate(イラテイト)
負う ←→ owe(オウ)
簿記 ←→ book keeping(ブックキーピング)
信号 ←→ signal(シグナル)
茶 ←→ tea(ティー)
浮浪者 ←→ hobo(ホーボー)
買 ←→ buy(バイ)
坊や ←→ boy(ボーイ)
籠 ←→ cage(ケージ)
妨害 ←→ jammer(ジャマー)
なし ←→ nothing(ナッシング)
冗談 ←→ joke(ジョーク)
だるい ←→ dull(ダル)
缶 ←→ can(キャン)
吠える ←→ howl(ハウル)
骨 ←→ bone(ボーン)
塔 ←→ tower(タワー)
煤(すす) ←→ soot(スート)

もちろんいくつか借用語もあるぞ!問題無いな!?

931 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 00:27:38.36 .net
>>926
顔ひらべったく丸いし、目玉も丸い、額にバンド巻いて髪を上に反り上がらせているのも同じ。
大避神社の面の鼻は、取って付けたようで、天狗を真似したものだろう。
ホータンの面の鼻は、そんなに長くない。
双方は、瓜二つと言っていい。

おぬしは、目が節穴とちゃうか。

932 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 00:30:01.61 .net
>>930
和語はそれでいいが、漢語は関係ないやろ。

933 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 03:54:48.56 .net
>>930
秦氏のトルコ語は、そんなダジャレみたいなものやない。

例えば、日本語で果物などの種は、タネと発音する。
しかし、この種の漢音はシュで、タネとは異なる。
また、この漢語のシュの発音が訛ったのが韓国語の種で、発音はssias(シア)だ。
そして、日本語の語彙と大いに関係するベトナム語では、種はhat(ハ)だ。

このように、日本語の種(タネ)と似たものは、まったくみられない。
そこで、いろいろ探してみると、トルコ語に行き当たるのだ。
驚くなかれ、トルコ語で種は、tane(タネ)なのだ。
このことからすると、日本語のタネ(種)は、トルコ語のtane(タネ=種)が語源の可能性が極めて大きい。
そして、秦氏はトルコ語話者だったというワイの説からすると、タネ(種)の言葉は秦氏のトルコ語がもたらしたものだとほぼ断定できるだよ。

ダジャレでは、こうはいかんやろ。

934 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 10:18:43.85 .net
こいつは何を力説してんの?
秦氏がトルコ語話してたなんtね証拠が一切ない上に
ホータン人がトルコ語話してたわけでもない

お面が似てたとしてもだから何なんだと言う話
同じ系統のお面には全く見えないので目が丸いとか言われたところで、当たり前過ぎて意味はない

935 :日本@名無史さん:2023/09/09(土) 12:35:08.18 .net
>>931
論理の飛躍が酷い

B(古)とC(新)が似てるとして CがBから来たとは限らない
BがAからコピーしただけかもしれないからだ
言ってることが小学生とレベルが変わらんと自覚してくれ

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