2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

邪馬台国畿内説 Part615

384 :日本@名無史さん:2020/07/08(水) 19:33:54.90 .net
>>379
>ホケノ山木棺の小片5つの炭素14C年代測定
小片 No1 AD22――――244
小片 No2 AD1――――181
小片 No3 AD20――――219
小片 No4 BC4―――134
小片 No5 AD55――――237
これによればホケノ山古墳の木棺は
どんなに新しく見積もっても西暦244年のものと出てるので
ホケノ山は3世紀中葉には畿内にあったということ

木棺の小片の計測値だけでも、
五か所の採取部位で138〜222年で位のバラつきが発生した、という事は、
採取部位やAMS法のプラズマ化では、明確な年代決定が出来ていなかった、という事。
その要因の一つは、あそらく、「採取からの寝かせ期間」のばらつきや、
樹皮から採取部位までの年輪数が関係している。
また、その木棺は結局一特定時期に埋葬に使用されたのであるから、
その特定時期は、それらの最新の計測年次が最も確率が高くなり、
従って、ホケノの埋葬時期計測年は、最新値の244年になる。
そして、AMS法のプラズマ化の失敗により、50年〜100年位古い年次が計測されてしまった事になるから、
ホケノの推定埋葬時期は、244年の50〜100年位後になり、
294〜344年頃だろう、という事になり、
私の推定の「3世紀最末〜4世紀」にぴったりになる。

総レス数 1001
452 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200