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【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!6

1 ::2022/01/11(火) 18:51:55.65 .net
邪馬台国阿波説なんて言うはハハハッと笑って見過ごせそうなものですが
『阿波古事記』や『阿波国風土記』などで検索すると
【邪馬台国から持統天皇までの出来事は全て阿波で起こった事】であると、
とんでもない電波を飛ばす「阿波国古代研究所」や「阿波古事記研究会」なる団体があります。

【阿波古事記研究会・古代神山研究会による捏造案件】
『天岩戸立岩神社』(名西郡神山町) 神社名改ざん!!
〜〜引用〜〜
「立岩神社」には阿波古事記研究会や古代神山研究会が手掛けた看板が賑々しく掲げられているが、
これらは後世的な解釈の賜物であることに注意しなければならない。
ましてや、「天岩戸立岩神社」として天岩戸伝説とつなげようとしている看板説明は、かなり批判的に見る必要がある。岩に入る亀裂が天岩戸を彷彿させるといった主観で結びつけられたのならそれは歴史的には由々しきことである。
https://www.megalithmury.com/2021/04/tateiwa-kamiyama.html
〜〜〜〜〜〜
巨石信仰を天岩戸伝説に差し替えた阿波古事記研究会・古代神山研究会による捏造である。

@立岩神社 (徳島市多家良町立岩)
日本一の巨大陽石を御神体とする神社である。基部正面に左右二個の大玉石を配し、素朴にも【男性を象徴】している。

A立岩神社(名西郡神山町)
立岩神社@から直線距離で13km西方には、高さ二十メートル、巾二十メートルの【女性を象徴】する亀裂が入った巨岩が鎮座する。

『@、Aはどう考えても対になる陰陽の巨石信仰である。』
@の近くに金山神社があるのを良い事に後世、八咫鏡の作成のために製鉄を行ったとも考えられる「天津麻羅」を男根(まら)に附会し祭神としたものであろう。天津麻羅は、天目一箇神の別名とされるが摩羅(まら)という言葉は仏教と共に日本に入ってきたものであり男根の別称とされたのはさらに時代が下るものであるので、かなり無知な人間による後世の附会と言える。祭神はおそらく捏造である。
また、女性を象徴する巨岩を天の岩戸伝説に附会する為、神社名に「天岩戸」を勝手に付け加えたものだ。Aはもちろん「邪馬台国阿波説」による捏造である。大いに糾弾すべき案件であると言える。

前スレ【阿波国古代研究所】倭は阿波説をぶった切る!5
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1640507453/

485 :日本@名無史さん:2022/01/17(月) 18:04:42.69 .net
「邪馬臺国」の首都女王国の代表的集落遺跡「矢野遺跡(弥生時代)」

徳島県最大級の弥生時代の集落、銅鐸(重要文化財)が出土
1992年(平成4年)から始まった徳島南環状道路建設に伴う発掘調査により、徳島県では最大規模の弥生時代の集落遺跡であることが判明した。
現在までに、竪穴住居跡約100棟が見つかっている。
大量の遺物の中で、とくに注目されるのは銅鐸である。
鰭と呼ばれる縁の部分を太い線で飾る突線鈕式と呼ばれる銅鐸の中でも最新型式。1992年12月18日に発見された。
銅鐸は木製容器に納めて埋められたと考えられ、土坑の周りには、7本の柱穴が確認されている。
このような埋納状況が判明した銅鐸は非常に珍しく、銅鐸の謎を解く鍵となる。1995年6月15日に重要文化財(考古資料)に指定された。
そのほか、鉄器を製作したと考えられる鍛冶遺構も見つかっており、集落内での鉄器生産を考える上で興味深い。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5022970

486 :日本@名無史さん:2022/01/17(月) 18:06:18.36 .net
「狗奴国」の代表的集落遺跡「加茂宮ノ前遺跡(弥生時代)」   令和元年 7月 1日 徳島新聞朝刊

阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡は、那賀川の右岸、標高24〜26mの自然堤防上に立地している。
発掘調査で弥生〜古墳時代集落の中心部を確認した。
それ以前の調査成果と合わせ、竪穴住居が約100軒発見されたことになる。
県内の他の弥生時代集落では、鉄器が製作されたとみられる竪穴住居は各集落の中で1,2軒程度しかない。
ところが、加茂宮ノ前遺跡の弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居の約半数では、
鉄器を生産していたことを示す鍛冶炉が複数設けられていた。
生産に関わる道具類と鉄鏃などの製品も出土した。
背景には、水銀朱の生産との関連が考えられる。
これまでの発掘調査で、石臼や石杵といった水銀朱の生産に使った道具類のほか、原材料となる辰砂が大量に出土している。
その流通ネットワークを通じて、当時の最先端技術だった鉄器の製作法とその原料の鉄が持ち込まれたと推測できる。
加茂宮ノ前遺跡の弥生時代中期末〜後期初頭の竪穴住居からは、稀少な装飾品も多数発見された。
この時期の県内の他の遺跡からは、ガラス小玉や凝灰岩製管玉などが数点しか出土していない。
加茂宮ノ前の集落が繁栄していた証といえる。
県内の弥生時代中期末の鍛冶炉の発見例は、県内では加茂宮ノ前遺跡が初めてだ。
それ以外は鳴門市大麻町の光勝院寺内遺跡、徳島市名東町の名東遺跡、徳島市国府町の矢野遺跡など、
いずれも吉野川下流域の遺跡に限られていた。 (県埋蔵文化財センター専門研究員・田川憲)   @阿波
https://www.topics.or.jp/articles/-/69979

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