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邪馬台国畿内説 Part1000

1 :1 ◆ondZSOlfxeS6 :2024/03/10(日) 12:28:26.92 .net
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。

前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1709701321/l50


◆0【 要 旨 】  ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にあり得ない。

130 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:22:23.15 .net
>>127
つまり、九州説は倭人伝無視

131 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:22:54.80 .net
>>128
たくさんいたって言っていたか?

132 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:24:45.73 .net
>>129
中国の文献を読むのはここにいる誰よりもレベルが高いだろう
しかし、考古学はやってない
日本の考古学者が説明をすれば畿内説しか採用し得ないことを理解できるだろう

133 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:26:35.62 .net
>>131
そもそも、会稽から九州に直接行った記録がゼロなんで、周徳望はおかしい

134 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:30:53.77 .net
>>127
>だから倭人伝が証拠なら
>考古学はいらん。

どうして?
そんなに証拠が嫌いなの?

135 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:36:56.34 .net
>>132
いや、この人たちは文献上の話をしているわけでな
それをレベルが低いとか、お前は何様なんだよw

136 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:38:13.49 .net
>>125
ヤマ論は、根拠はない。

倭人伝のメインは魏使の記録と外交史
論争に風俗、物産はあまり関係ない、

里程で張政と陳寿が共有可能だった。
理由は正始年間の公文書だから。

一月行=2000里も、陳寿は知っている。

137 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:40:48.06 .net
>>136
そう考える学者がいるって話であって、お前の考えは聞いてないw

138 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:42:07.80 .net
>>137
おまえが聞いても
答える気にはならないな。

139 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:48:53.12 .net
>>109
魏志の卑弥(姫)、卑狗(彦)、隋書の多利思比孤(足彦)、阿輩難弥(大王)は大和政権関係者

140 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:49:05.00 .net
>>133
実際に明の時代の世界地図でも日本列島はかなり南に描かれている
昔の中国人の世界観はそうだったということ

141 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:50:28.59 .net
>>139
妄想乙

142 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:52:00.15 .net
>>135
>いや、この人たちは文献上の話をしているわけでな
>それをレベルが低いとか、お前は何様なんだよw

でも実際レベル低いだろ?
証拠のない話ばっかりでさ
それ、学者のすること?

143 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:54:21.53 .net
>>142
文献上ではこう読めます、こういう意味です、と教えてくれているのに、何を言っとるの?
お前よりはるかに優秀な方々だよ

144 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:54:32.69 .net
「升」はサヌミコトである(つまり日向族の東征は西暦57〜107年の間である)
(後漢書倭伝)

倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住する。およそ100国余り。
武帝が朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは30ヶ国ほどである。
国は皆、王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の境界は其の国を去ること12,000里、その西北界の狗邪韓国を去ること7,000里余り。
その地は概ね会稽、東冶の東にあり、朱崖、?耳に近いため、法や習俗の多くは同じである。

建武中元二年(57)、委奴(ヒナ=日向)国が貢を奉り朝賀した。使者は自ら大夫と称した。
倭国の最南端(口伝による)にある。光武帝は印綬を賜った。

安帝永初元年(107)、倭国(異書「倭面土(ヤマト)国」)の主師(のちの征東大将軍 号)の升らが
160人の捕虜を献じ、参内して天子にお目に掛かる事を願い出た。

女王国より東、海を渡って1,000里余りで拘奴国(北海道)に至る。
皆、倭種であるが、女王には属していない。
女王国より南、4,000里余りで侏儒国(北方領土)に至る。人の背丈は72〜96cmである。
侏儒国から東南、船で行くこと1年で裸国、黒歯国(南米)に至る。交流の可能な国はここで終りになる。

https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1609754/2971a0c58bb2ebf0a4acf34e65f83128_1b0820a0197af59e02631ae5581c4a5a.jpg
https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1609754/5b812e626a1d369bf046351d3b9e5c0f_8ee2bcffd61c8fef9feed69c09c6ee8b.jpg

145 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:56:38.38 .net
重要なのはこの2点だな

「邪馬台国は九州にあったが、畿内に移動した。同時に地名も移動している。国が移動して地名も移動するのは古代ではよくあること」

「伊都国が海外との重要な交流の場、政治を担っていたのなら、邪馬台国が遠く離れた場所から伊都国を管理するはずがない。牛も馬もいないため運搬能力が低い。道路の状況も良くない。邪馬台国が伊都国から遠く離れていることは考えられない」

146 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:57:04.29 .net
>>125
こいつが遺跡調査すりゃいいんじゃね?

147 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:57:50.15 .net
おはようございます。
①文献を正確に、合理的に読むこと
②その内容が事実に合致しているか
は分けて考えないとね。
倭人伝を正確に読み解いても、それが当時の倭人世界の実情をなんら反映していない可能性もある。無いことを書いてる、あることを書いてないなんてこともあるだろう。
①については多くのネイティブ中国人の音韻やら文献の専門家が邪馬台国の位置は北部九州としていることから、それで決定でよろしい。我々、東夷人が口出しするのもおこがましい。卑弥呼なる女性が九州にいて親魏倭王に冊封されたと言う解釈で問題なし。謙虚になろう。
問題は②だよね。考古学、比較神話学、言語学から、それは事実とは違うんだと言う人がいる。それも沢山いると言うことだね。

148 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:57:57.66 .net
>>145
しれっと東遷説だね

149 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:59:17.17 .net
>>128
そういう事。
陳寿はそんなことは言ってない。

入れ墨の理由で
故事を引いているが
修正が、間違っている。

理由は、太伯の後を削除されたから。

邪馬台国は
邪馬臺国が邪馬壹国に修正された。
倭音国名ではない、表音文字。

150 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 21:59:22.74 .net
>>145
東遷説派かw
でも、北部九州にも畿内にも両方ありましたーのほうが丸くおさまるんじゃね?
両方にひみこキャラいるし

151 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:01:05.99 .net
>>149
表意文字、だよ。

152 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:01:48.37 .net
この見解は日本の神話とも合致した内容だろ?
神武が東遷して大和で天皇に即位したのだから
この先生が日本の神話のことを知っていたかどうかは知らんけど

「邪馬台国は九州にあったが、畿内に移動した。同時に地名も移動している。国が移動して地名も移動するのは古代ではよくあること」

153 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:03:49.36 .net
>>145
邪馬台国から離れてるからこそ伊都国の存在意義があるんだろう
邪馬台国が九州なら邪馬台国自身が重要な拠点になればいい

154 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:06:19.46 .net
.






投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」

都は倉敷市と岡山市の中間あたりに位置する上東遺跡あたり

当時はヤマトに奈良という呼称がまだなかったように吉備という呼称もまだない

玉や玉島など、当時の「たまのくに」という呼称の名残というか残骸が周辺に
残っている

投馬国の場合、当時は穴海になっていて海岸線が今よりもはるかに内陸にあったため、
都である中心港の遺構がかなり内陸にあったのだ

今の倉敷市と岡山市の大部分は当時はまだ海の底だったのである

郡使は今の岡山の玉に寄港したのではなく、今では内陸になってしまった当時の
たまのくにの中心港だった上東遺跡に寄港したのである

https://stat.ameba.jp/user_images/20170602/00/kadoyas02/c9/40/j/o0454031313951122410.jpg?caw=1125






.

155 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:07:23.31 .net
>>149
ネイティブの中国人、それもその専門家より自分が漢文よく読めているなんて考えているなら思い上がりも甚だしいぞw

156 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:09:26.68 .net
中国人の倭人伝解説で
有意義だったのは
至と到の違いを指摘した人かな。

5ちゃんで、教わっただけだけどw
既に亡くなっていた師。

台湾は今でも漢字なのかな?

157 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:10:45.83 .net
「女王國の東に海があり、千里向こうにも倭種がいる」
九州説なら周防灘でスッキリだが
畿内説では伊勢湾に当てるしか無いか
古代の尾張は現代とは海岸線が全く違う
ほとんど海で長島やら津島やらはほんとに島だった
だから船で移動するのが普通だった
西海道、南海道、と同様、船でしか行けない地域はナントカ海道と名付けられる
出発する国も含めることもある(紀伊伊勢)
要するに、伊勢から船で行くから東海道なわけだ
問題は狗奴国とかぶっちゃう所だな
狗奴国を他に設定する必要がある

158 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:13:09.74 .net
東遷説はあまえ

159 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:14:33.63 .net
例えばさ、日本書紀や古事記に書いてある内容だって全部正しいとは誰も思ってないわけよ
どう解釈すればいいのか、ということと、書いてある内容が正しいかどうかは全く別の話やぞ?
解釈に関してはむしろ中国人の専門家に任せるべきだろ?
なんで自分たちの読み方の方が正しいという思い上がった考えができるわけ?

160 :ネトウヨボクメツタイ!:2024/03/10(日) 22:16:25.94 .net
ネトウヨは壺理論や平田篤胤理論を捨てて早く邪馬台国=ヤマト王権と認めるべきだな
そんなだからアベ糞三元総理を信奉してしまうのだ

161 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:19:53.52 .net
畿内説は狗奴国を、
遠江久努、毛野、四国河野、熊野、肥後熊本としています。融通無碍、好きなものを選ぼう

162 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:20:34.88 .net
>>159
中国人は国家に騙されてるから。
香港、台湾、チベット、ウイグル
に独立を!
天安門を忘れるな。

163 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:30:42.64 .net
魏志倭人伝の解釈は九州説で正しい。そこに考古学とか比較神話学とかいらんのよ。邪道なのよ。陳寿が当時の中国の知識人に何を伝えたかったか、書かれていることを純粋に解釈していくと九州説が導き出されると言うだけのこと。
でもそれが事実かと言うと全然違うだろうと言うことだな。邪馬台国なんてないし卑弥呼なんて最初からいないんだな。

164 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:33:11.33 .net
>>159
倭人伝には記紀にない真実がある。
魏が、公孫氏、韓王朝を滅ぼし

240年に無かった、九州一大率が
247年に、有った。

この報告で、倭人伝は終わる。
三国志は、終わらないのにだ。
魏は、倭が参戦しないと知った。

卑弥呼の九州は朝廷に参加
対外対魏の防衛が始まった、
だから、古墳時代だろ?

考古学は歴史じゃないのか?

165 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:36:20.25 .net
要するに、魏志倭人伝を読む限りは九州説をとらざるを得ない
あとは裏付ける証拠があるかどうかということと、もし畿内説が正しいとすればなぜ陳寿はわざわざ九州に邪馬台国があったかのような書き方をしたのかということ
大事な点はこの2点

166 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:40:18.52 .net
>>165
>要するに、魏志倭人伝を読む限りは九州説をとらざるを得ない

それ、妄想

167 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:44:04.27 .net
>>165
畿内説は大倭王畿内説だろ?

倭人伝は、女王卑弥呼の国は
倭の九州島のなかで、
五千里で回れる、小国だつた、
と、結論している。

168 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:45:03.81 .net
卑弥は大和文献にある皇室女性の比弥、毘売、日女、姫

169 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:47:08.34 .net
>>167
それってさ、もともと九州説で頭がコリ固まってると
そんな変な結論になっちゃうってだけでしょ

170 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:48:08.83 .net
畿内説の狗奴国と東の倭種ってどこだっけ?

171 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:48:28.09 .net
卑弥呼は比弥王、姫御子、皇女、内親王、女王のヒメミコなんです。

172 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:52:56.89 .net
大倭の王は、246年位に
一大率を伊都に設置している。

記紀厨なら、この時天皇を
卑弥呼が三種の神器で迎えたらしいぞ

考古学では、アマテラスが東遷www
何で、中国人学者が論争に便乗?

もう、本、売れるか?
5ちゃんで、良くネw

173 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 22:56:22.33 .net
>>172
ウカヤ末裔だろう

174 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:02:03.21 .net
>>170
狗奴国は東海
倭種は琵琶湖の向こうの地域だろ
方位がズレてんだから

175 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:07:58.13 .net
九州説というか?
倭人伝読めば邪馬台国は九州だが?

200年の
ヤマト朝廷は畿内に決まってるだろ?
和国大乱なんてないし狗奴国も無い。

四道将軍は、九州行かなし、
九州卑弥呼が、朝廷を迎えたんだよ。

だから、記紀神話。

176 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:09:01.90 .net
つまり畿内説は居直り詐欺

177 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:10:24.44 .net
>>175
>倭人伝読めば邪馬台国は九州だが?

そうやって理由もなく決めつけて掛かるのは
宗教

178 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:11:08.16 .net
>>169
いや、だからさw
書いてある内容の解釈と、事実がどうかは別の話だっての
そこまで考古学ガーって言うなら、考古学板行けよ

179 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:12:24.09 .net
魏志倭人伝だけを読むとこうなるからな

    北 伊都国
           
西  【邪馬台国】  東
記載なし    海の向こうに倭種

    南 狗奴国

180 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:13:31.22 .net
>>178
ここは文献板じゃないんだが

w

181 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:13:48.24 .net
>>177
倭人伝は史書で理由だろ?
邪馬台国の根拠が倭人伝以外に有る?

182 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:14:12.33 .net
考古学って
桃の種が出てきたら邪馬台国だーとかいうレベルなのか

183 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:15:29.82 .net
>>179
>魏志倭人伝だけを読むとこうなるからな

だから何百年たっても九州説がまとまらない
みんな我流に読んでるから

184 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:15:38.69 .net
>>180
文献以外の邪馬台国って何?

185 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:17:01.95 .net
>>183
それでよくね?
そのうち誰かが遺跡を掘り当てるさ

186 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:17:30.89 .net
>>182
>考古学って
>桃の種が出てきたら邪馬台国だーとかいうレベルなのか

だから九州説はダメなんだよ
現代日本語の文章もちゃんと読めない人が
古代中国語の倭人伝を読めてるわけないって
w

187 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:17:34.54 .net
>>184
畿内さんの脳内にある邪馬台国

188 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:19:45.74 .net
これね
https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1609754/2971a0c58bb2ebf0a4acf34e65f83128_1b0820a0197af59e02631ae5581c4a5a.jpg
https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1609754/5b812e626a1d369bf046351d3b9e5c0f_8ee2bcffd61c8fef9feed69c09c6ee8b.jpg
https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1609754/2d2602da282759107d63478d0296075f_d5324ab34ec40ac717f17c4f2f651724.png

189 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:20:57.43 .net
>>186
【客観的にみて】纏向が邪馬台国だと断言できる、あるいは魏志倭人伝の記述と一致する遺構か出土品を挙げよ

190 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:21:25.46 .net
>>185
>それでよくね?

よくないさ
だって、誰も自分の文献の読み方で他人を納得させられてないって事だろ
同じ九州説どうしのくせに

つまり九州説の倭人伝の読み方は全員が全員失敗してるってこと

191 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:21:34.10 .net
>>183
江戸時代からの
邪馬台国女王が大倭王ではない
九州の女酋長だった。

という記述を認めない
倭人伝論争の根拠が解らない。

192 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:21:39.09 .net
>>186
中国語のネイティブスピーカーの専門家の文献解釈では九州にあるとよめるそうです
5chで暇つぶししているようなお前の解釈がその専門家の解釈より正しいとは到底考えられないんだがw

193 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:22:20.42 .net
>>190
おまえがイヤなだけだろw

194 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:27:20.84 .net
>>184
>文献以外の邪馬台国って何?

だかた九州説のひとは頭わるいって知れるの
考古学でわかった当時の様子は、ヤマトを中心とした国家形成が始まってて北部九州もその枠内に入ってた状態
そこに中国の文献で倭国王のいる邪馬臺国というのが出てくるから、ヤマトのことだな、読み方も同じだしーって皆がふつうに納得する
それで畿内説が圧倒的に優勢になってるのが今の状況だよ

195 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:27:33.18 .net
倭人伝を読んだら
卑弥呼は、九州の女酋長だが?

何で、奈良の考古学と関係ある?
まあ、同時代で統一の有無な。

記紀厨は
ホントの事言いたく無い?

196 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:30:34.06 .net
>>192
>中国語のネイティブスピーカーの専門家の文献解釈では九州にあるとよめるそうです

こういうところで
頭が悪いから自分でものを考えられない他人のフンドシ借用者の実態がわかるよ
九州説みじめだね

197 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:33:22.90 .net
>>196
いや、自分もそう読めるけどねw
自分は漢文はそれなりに読めるし、おそらくお前よりはるかに優秀だと思うよw
けど、さすがに中国語ネイティブの専門家にはかなわないだろな

198 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:33:25.37 .net
>>195
>倭人伝を読んだら
>卑弥呼は、九州の女酋長だが?

言い張るだけ?
理由が言えないの?

だから九州説はおつむが弱いってわかっちゃう

199 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:37:24.46 .net
>>196
畿内説スレには
倭人伝読める奴は居ない
と、言うのが常識だったが

倭人伝の話がしたいなら
また、貼ろうか?

200 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:37:53.56 .net
中国教育部人文社会科学重点研究基地
世界漢字学会会長 ザン克和教授
「邪馬台国の場所は九州北部」
「古代の地名はその場所の地理的な環境に影響を受ける。当時山の多い九州北部一帯はヤマと呼ばれていて、中国の使者がその言葉を聞いてその音に近い漢字をあてた」

大阪教育大 張莉准教授
「『ヤマ』は縄文の昔からあった古地名。九州北部を示す呼び名だった」

魏晋南北朝史学会副会長 陳長崎教授
「魏志倭人伝は魏の時代について書かれた文章そのものではない。いくつかの時代の史料が融合した可能性が高い」
「邪馬台国の場所は九州が理にかなう。『女王国の東の海を千里あまり渡るとまた倭人の国がある』とある。つまり邪馬台国の東には海があったことになる。畿内説ではこの条件と一致しない」
「邪馬台国は九州にあったが、畿内に移動した。同時に地名も移動している。国が移動して地名も移動するのは古代ではよくあること」

台湾大学教授 政治学研究所 周徳望教授
「中国の歴史書に書かれた他国までの距離の記述は非常に曖昧。地理的なことに関する認識は現地の案内人など地元の人に影響される。中国史に記載された距離をそのまま日本に当てはめてはいけない」
「明代に描かれた中国最古の世界地図では日本は現在よりはるかに南にかかれており、中国の真東にあると認識されていた。実際には海流で流されて九州にたどり着く。当時の認識では長江の東は九州だった。邪馬台国は九州にあったはず」
「政治体制や文化については正確に記述している。現地のの人は顔に入れ墨をしているが、この風習は九州南方の民族である隼人、熊襲とも考えられる。当時の畿内にはこのような風習は存在しなかった」
「伊都国が海外との重要な交流の場、政治を担っていたのなら、邪馬台国が遠く離れた場所から伊都国を管理するはずがない。牛も馬もいないため運搬能力が低い。道路の状況も良くない。邪馬台国が伊都国から遠く離れていることは考えられない」

201 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:40:57.81 .net
後漢書倭伝

その地は概ね会稽、東冶の東にあり、朱崖、?耳に近いため、法や習俗の多くは同じである。
https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1609754/2971a0c58bb2ebf0a4acf34e65f83128_1b0820a0197af59e02631ae5581c4a5a.jpg

202 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:46:33.14 .net
>>200
まとめてもらって感謝
でも、反論山盛りなのに
ソースが、無いのが
話にくい。

それ何?
学者の論文ではナくね?
5ちゃん以下。
>>201
>>200

203 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:52:38.07 .net
摂津国風土記逸文の次の話は興味深い
淡路島の姫といえば、日向牛諸井の赤い娘、髪長姫だな
応神天皇から譲り受けた、大鷦鷯天皇の妃
鷦鷯の名はミミヅクと交換した話もある
大鷦鷯天皇の陵は記紀通りなら5世紀初頭の履中天皇陵になるが、この履中天皇陵は5世紀前半の吉備の造山古墳と相似形なんだな
吉備は応神天皇の妃の故郷で応神天皇も吉備に赴いたとある
履中天皇陵を作っている時に何か起きたのかもな
兎我野は記紀では麛坂皇子が祈狩をした時に赤い猪に殺された話が残る場所だね 
住吉大社神代記では神功皇后と密事があったのは住吉の神
住吉の神はアカルヒメと共に大阪ではやり直しの神さまとして祀られている

雄伴郡(をとものこほり)には夢野(いめの)がある。

父・老が共に伝えて言うのは、昔 刀我野には牡鹿(おじが)がいた。その嫡(本妻)の牝鹿は この野に居り、その妾の牝鹿は淡路国の野嶋に居た。

この牡鹿は野嶋に行って妾をとても愛おしんだので、その日は嫡の元には帰らなかった。その翌日、牡鹿は嫡の牝鹿に「今夜 夢を見たが、私の背に雪が降り積もっていた。また、(背の上に)すすきという草が生えているのもみたが、この夢は何の兆しだろうか」と言うと、嫡の牝鹿は夫が妾の所に向かうのを憎み、偽って「背の草が生えるというのは、背の上を矢で射られるという兆しでしょう。また、雪が降り積もるというのは鹽(塩)を宍(肉)に塗られる兆しでしょう。あなたが淡路の野嶋に渡るのであれば、必ず船人と遭遇して海中にて射たれ死ぬことでしょう。謹んで往復してください」と言った。

しかし、その牡鹿は妾を愛おしむあまりに野嶋に渡っていき、海を行く船に遭遇して射殺されてしまった。よって、この野は夢野と名付けられた。土地に伝わる説に「刀我野に立てる眞牡鹿も、夢相のまにまに」というものがある。

204 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 23:55:44.51 .net
名乗ったり名前を交換するとか普通に考えたらおかしな話なんだな

205 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:06:44.32 .net
邪馬台国の話が倭人伝から他に行く?
200年の倭王が卑弥呼?
どこの倭王だよ?

238年に国内平定中の日本の女王が、
戦国のもはや滅びそうな魏に朝貢?
どこのヤマト朝廷だよ?

206 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:11:44.15 .net
枯野伝説 
楠の大木を枯野にして最後は塩にしたんだな

河内の菟寸河にあった楠の大木を「枯野」にしたと書かれている。この木の影は朝には淡路島を、夕方には高安山を隠すほど巨大で、船になってからは淡路島の寒泉(しみず)を飲料水として運ぶ役目を担ったと言われており、「この船、破れ壊れ、以ちて塩を焼き、其の焼け残れる木を取りて琴を作るに、其の音、七里に響きき

207 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:12:12.00 .net
>>202
>学者の論文ではナくね?

歴史の専門家でも古典の研究者でもないね、少なくともw

208 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:16:46.87 .net
>>202
>でも、反論山盛りなのに

じゃあ反論書けばいいのに
誰もまともな反論書いてないけどw

209 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:17:31.91 .net
九州は山が多いから昔は「ヤマ」と言った
って、どこの漫才コンビのネタだ?

210 :琪瑛教大祭酒:2024/03/11(月) 00:20:13.02 .net
無駄だよ、608年には北九州宇佐は辰王国であり王が存在し難波から畿内に入り当然河内大王墓を眼にし隋書は魏志言うところの邪馬台者であると言っておるのだよ。
前方後円墳が邪馬台者が造り上げた物なんだよ。
北九州は朴の瓢、タマゴ棺

211 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:20:24.40 .net
>>208
>じゃあ反論書けばいいのに
>誰もまともな反論書いてないけどw

「魏志倭人伝は魏の時代について書かれた文章そのものではない」って
コテンコテンに論破されてなかったか?

212 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:20:26.22 .net
本当のは仁徳天皇は5世紀半ば〜後半の仁徳天皇陵の主でしょ
ひじり聖の帝
後々の片岡の聖伝説や菟原ウナイの処女伝説の常世に行った茅渟壮士に繋がるんじゃないのかな?
時鳥の別名はウナイ鳥

213 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:22:12.92 .net
>>208
書いたよ。
文献の話は畿内説ではタブー
でもね。 スレには恩が有る。
畿内説で、文献の話はおかしいだろ?

214 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:22:39.61 .net
『倭人伝』によると卑弥呼の墓の直径は百余歩ごあり、150m程度。3世紀半ばの古墳で該当するものは九州にはない。箸墓古墳の後円部の径は150mである。

215 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:27:15.77 .net
>>210
少なくとも隋書には筑紫→秦王国まで行った記事は出ているけど、そこから先難波に行ったとは全く書かれていない

216 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:27:26.79 .net
>>213
>文献の話は畿内説ではタブー

なぜ?
文献の話も畿内説が勝ってないか?

217 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:27:36.74 .net
>>202
ソースこれかな
www.you○tube.com/watch?v=mhf9qR6fwUc

218 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:29:03.55 .net
>>214
墓守りがだれかだけど
古墳じゃなきゃ残らないかもな?

豪族の墓は記紀の焚書で盗掘。
これ、マメな。

219 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:29:42.16 .net
>>211
>「魏志倭人伝は魏の時代について書かれた文章そのものではない」って
>コテンコテンに論破されてなかったか?

どの書き込み?
全く見てないけど

220 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:30:42.24 .net
>>202
もういっこ
www.you○tube.com/watch?v=ukMxeDE1pJg

221 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:32:46.75 .net
>>217
ありがとう。
もう、スマホなんで、明日また。

222 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:37:39.06 .net
元々奈良湖があった時代のヤマトに住んでいたのは石亀さま
五色に光り輝く石を持つ陸のえべっさんでしょ
海は鳥の磐樟船に乗るひるこである浜のえべっさん
ある時海と山の縄張りを交換する話があったのかもな

ヤマト、クナト、ミナト
トは入り口の意味だろうな
山の入り口にある地、ヤマト
クナへの入り口にある地、クナト
水への入り口がミナト

ヤマトは意味的には山辺みたいな感じかもね

223 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:39:41.41 .net
>>210
日本書紀の遣隋使と裴世清の話は嘘なんやないかね?
隋書に書かれているものを見て創作した可能性がある
東の海岸ってどう読んでも九州の東の海岸やろ?
そこからどうやって難波に行ったのか全くわからない

224 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 00:39:54.62 .net
近畿に住んでいれば分かるが紀伊半島の山々への入り口が大和盆地

225 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 01:11:20.01 .net
宇那比姫(卑弥呼)陵

奈良県御所市玉手794 きつね塚

秋津島宮の方から眺めると巨大な土まんじゅうの形で、まさに径百余歩の円墳である。
日本列島では、直径150mの円墳は知られていない。

226 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 01:21:13.64 .net
>>217
>ソースこれかな
>www.you○tube.com/watch?v=mhf9qR6fwUc

アホか
誰だ中国人が言ってるから正しいって言ったのは

元ネタ古田武彦ってばっちり映ってたぞ


なんだ和製珍説じゃねーか
w w w

227 :琪瑛教大祭酒:2024/03/11(月) 01:22:22.39 .net
いくら言っても無駄だよ
紀は前方後円墳を造らない倭の別種が残した物だ、ウソであろうが608年には宇佐には秦王国があり秦王がいたのだよ。そしてその根拠は宇佐神宮をみれば充分
邪馬台者は地勢東高西低の地奈良盆地なんだよ。
北九州なら地勢の説明なぞいらんわ。
列島に仏教が拡がる以前に確実に神仙思想はあるのだよ指導者が居なければひろがらないのだよ
その指導者が卑弥呼であり箸墓に眠る巫女だよ
相応しい人物はその時代ただ1人さ。
卑弥呼になれるものは五斗米道巫女。他ではありえない。

228 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 01:29:39.04 .net
>>225つづき

今日箸墓を卑弥呼の墓と主張する人は多い。しかし全長280mの大きさの古墳を、径百余歩と見誤ることはなかろう。
しかも後円部と前方部には二つの高まりがあり、鍵穴型の平面形状は、決して径というような表現が当てはまる古墳ではない。
この私の箸墓卑弥呼説に対する反論に対し、箸墓を卑弥呼の墓と主張する人たちは、径百余歩とするのは後円部を指して言った大きさとする。
しかし前方後円墳は平面プランを持って築造される。最初から前方部も築造が開始されるはずである。段築はそれを物語る。
後円部のみが先に完成するなどと言うことはあり得ない。
 
我が国で、今日知られている円墳で最大とされるのは、埼玉県行田市の丸墓山古墳である。直径105mとされる。
したがって径百余歩に該当しそうな古墳は、この玉手山の円墳を置いて他には存在しない。

229 :日本@名無史さん:2024/03/11(月) 01:32:01.49 .net
なんかテレビ局が三流トンデモをかき集めてきた感じだな

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