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邪馬台国畿内説 Part1000
- 84 :日本@名無史さん:2024/03/10(日) 17:18:20.78 .net
- 卑弥呼の時代の河内や和泉は邪馬台国だったのか?
河内や和泉にはヒスイの勾玉や銅鐸が出土した弥生時代末期で放棄された集落跡が複数ある
鏡が一世風靡する時代に消えてしまった人々
そういう集落の一つが池上曽根遺跡である
この集落跡がある摩湯丘陵には湯が湧き栄えた集落があったが有馬に飛び去ったという伝承が残っている
有馬は摩耶山と熊野にあるね
熊野の神倉神社にはゴトビキ岩という世界遺産の磐座がある
この磐座からは銅鐸の破片と銅鐸を模した石製品が見つかっている
ここは熊野の神が最初に降臨した場所と伝わる所だ
その後神は熊野川の対岸の阿須賀神社の地に移ったという
命懸けで熊野川の深い淵、大谷を渡ったんだろう
阿須賀神社の境内とその周辺からは弥生時代末期から古墳時代前期にかけての大規模な集落跡が見つかっている
大阪湾と同じ形の製塩土器も見つかっており大阪湾岸の勢力と関係があったと考えられる
阿須賀神社には事解男や速玉男など熊野の神々が祀られている
近くにはイザナミが眠る地と伝わる有馬がある
イザナギがイザナミと別れ際に吐いた唾が速玉男、それを払ってできたのが泉津事解男だな
大阪湾の和泉の海は茅渟の海だね
邪馬台国は大和で、狗奴国は河内湖の南に広がる河内和泉だったんじゃないのかな
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