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【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart20
- 1 :日本@名無史さん:2024/03/25(月) 03:01:59.06 .net
- 前
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1710736885/
- 62 :日本@名無史さん:2024/03/25(月) 22:23:28.55 .net
- 釜山東三滴貝塚からは縄文前期後半の曾畑式土器,中期の船元系土器,
後期の南福寺式土器などがまとまって出土しており,
朝鮮半島南海岸地域側の交流の重要拠点となっていたと考えられる。
新若里遺跡(註20)から後期初頭の阿高系土器,ほぼ同時期と考えられる土製耳飾,土偶
などか出土し,上老犬島貝塚(註21)から中津式系土器(九州の在地型)などが
「直接持ち込まれた」土器の確実な例としてあげられる。
次の時期,縄文時代の中期から後期(韓国新石器時代中期一後期前半)にかけては,
「直接持ち込まれた土器」の量と分布範囲は若干拡大して,遺跡数も増加する
傾向が見られる。口の印で表示された遺跡がこれにあたる。
- 63 :日本@名無史さん:2024/03/25(月) 22:26:05.48 .net
- 韓半島新石器時代集落の展開と生業の変化
林 尙澤 (釜山大學校 考古學科)
https://www.meiji.ac.jp/cip/researcher/6t5h7p00000ixpa5-att/material_2019_Kurishima.pdf
韓半島新石器時代集落遺跡(縄文時代に相当)は現在、「100余り」が知られている、
最近、南韓の中西部地域を中心として集落の調査事例が増大している (図1)。
本格的な集落遺跡は新石器時代早期 (6000〜4500BCE)から出現して、
後期まで全国的に分布するが晩期 (2200〜1300 BCE)になると急速に減少する。
ちなみに日本の後期旧石器時代の遺跡数はのべ 1万4千500 以上にのぼり
縄文時代のもので約9万件、弥生時代のもので約3.5万件が登録されている。
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