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邪馬台国畿内説 Part1011
- 1 :1 :2024/04/09(火) 09:31:04.91 .net
- 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。(◆10,FAQ10,43)
・古墳出現期段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。(◆2,4~6)
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。(◆7)
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。
邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1712449170/l50
◆0【 要 旨 】 ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。
これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。
2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。
倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間は概ね庄内併行期に相当する。畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入していく時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大する。
博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階に入る。
絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。
倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
それは桜井市纒向以外にあり得ない。
- 654 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 14:38:21.22 .net
- ごく一部の情報だけで邪馬台国の場所を判断しようとする人間が多いが(一般に知能レベルが低いほどその傾向が強い)、それは誤りだ
文献を度外視して古墳と土器編年だけで邪馬台国の場所を特定しようとする日本の考古学界もその類だろう
邪馬台国の真実は魏志倭人伝と記紀と考古学の様々な情報が総合的複合的に整合するところにあるはずだ
まず魏志倭人伝
この記述によれば距離(帯方郡から一万二千里かつ伊都国から千五百里)、方角(伊都国・不弥国から南)とも邪馬台国は北部九州になる
南に菊池・熊本あたりの狗奴国があり、東に海を渡ると倭種の国々(本州・四国)があり、西については何ら記載がない(東シナ海なので何もない)という周囲の位置関係もぴったりだ
鉄鏃・絹・有棺無槨の墓制(箱式石棺墓)など北部九州に特徴的なことばかりが記述され、巨大前方後円墳・銅鐸など畿内大和に特徴的なことは一切記述されていない
魏志倭人伝を丹念に読んで地図や考古学と照らし合わせれば、邪馬台国および倭国が北部九州にあったことは容易にわかる
次に記紀
これを読めば、纒向に都した崇神・垂仁の時代には北部九州にはまだ影響力を持っていなかったことがわかる
崇神天皇が四道将軍を派遣した先は吉備・東海・丹波・北陸の四地域で北部九州には接触していない
纒向の外来土器は多い順に吉備25%、東海20%、河内20%、山陰北陸17%となっており、近接する河内を除けばぴったり四道将軍派遣範囲だ
そして纒向から北部九州の土器は殆ど出ない
記紀に書かれたこと(纒向ヤマト王権の勢力範囲に北部九州は含まれないこと)は考古学的にも裏付けられる
(続く)
- 655 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 14:39:15.76 .net
- (続き)
魏志倭人伝に描かれた倭国は北部九州の勢力すなわち筑紫の地方勢力であり、記紀に描かれた初期ヤマト王権(崇神天皇あたり)は大和の地方勢力だ
前者には王を合議で決める風習や巫女女王の伝統があるが、後者は成立当初から血統による男系男子(特に男系は絶対)に強く拘り、権力継承も全く異質だ
明らかにこの二つは地理的にも政治的にも別の権力であり別の国だ
纒向遺跡を調査すればするほど魏志倭人伝の倭人のクニの様子と似ても似つかないことがはっきりしてきたが、そもそも別の国なので当然の話だ
「北部九州倭国と畿内ヤマト王権は別の国」
予断を廃して魏志倭人伝と記紀と考古学を虚心坦懐に照らし合わせれば、必然的にこの結論に至る
- 656 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 14:55:46.47 .net
- 倭国の大倭王の歴史
師升 → 70-80年男王の時代 → 倭国大乱暦年無主 → 卑弥呼 → 男王
↓
台与
↓
台与の後ろ盾の魏が滅亡(255年)して台与失脚
↓
九州にあった倭国連合がバラバラになる
↓
自称倭王の伊都々比古(伊都のヒコ)が台与の後を継ごうとするも北部九州は畿内に帰順
↓
鉄利権と対馬海峡の制海権が畿内の手に落ちる(3世紀後葉)
↓
伊都々比古は九州を逃げ出して穴門で臨時政府を立ち上げる
↓
聖なる王の噂を聞いて加羅の王子がやってくる
- 657 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:10:31.97 .net
- >>613
周里なんて実在しない
「周牌算の里」 ならまだしも。
- 658 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:16:17.42 .net
- >>643
司馬曹達って、司馬という官職の曹達という人のようにも思えるんだよなあ
奇貨人やろか?
- 659 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:19:14.37 .net
- >>642
等って文字も名前の一部やろな
- 660 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:24:08.45 .net
- 658
王家でも立ってそのまま姓にしたんだろ
氏(氏)姓(姓)苗字(みょうじ)の違いも分かってないのだろ
- 661 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:24:57.32 .net
- 氏(うじ)姓(かばね)苗字(みょうじ)
その違いも分かってないだろおまえ
- 662 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:26:20.69 .net
- 歴史に興味ないってほんと分かるなあ
だいたい名乗りはこのうちのどれかを選ぶもんだぞ
- 663 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:28:42.71 .net
- 中国において行われた漢化ってのはこのうちの氏族姓を名乗り始めたり僭称したりするもんだ
- 664 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:34:09.13 .net
- 659
そのころは平安仮名が作られ策定されたころだからな
日本だってもともとは
阿(あ)伊(い)宇(う)江(え)於(お)
ってとこから始めたんだぞ
- 665 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:40:24.73 .net
- >>654
複合的に見ることが手かせ足かせになることもある
つまり、考古学的に言えば、九州か畿内というふうに早くも限定され
それに合わせて魏志倭人伝を読み、自分の目的地に合わせて逆算し
短里だの放射読みだの方角間違いだの奇妙奇天烈なつじつま合わせが
邪馬台国論争をがんじがらめにする
- 666 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:52:24.99 .net
- >>657
東夷伝序文の冒頭に
周令、九服の制
という文言があるが
王畿が方千里。
周囲各500里で九服。
この半径5000里が
50歩(100歩)1里の周里だと
洛陽から長安に相当する。
周はそんなもんで、
外が非課税の外域。
半島や倭
西域里も同じか検討したが違った。
都が長安だと東が足りないので
周里の50歩が100歩になるの
かもしれない。検討中。
九服が案外小さいので
始皇帝が里程を6倍にしたという話。
- 667 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:55:40.06 .net
- 今年度も、日本国が設置した公的機関が、邪馬台国近畿説には、具体的な証拠が無いという真実を、発表しているな。
- 668 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 15:59:21.33 .net
- 普通にどっちに大国があったと思う?
https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=778x10000:format=jpg/path/se33f995a446537c6/image/if6f4891492531aca/version/1581034276/%E6%AE%8B%E5%BF%B5%EF%BC%92%EF%BC%90.jpg
https://ikomashinwa.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/255.jpg
- 669 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 16:05:27.35 .net
- 筑後川流域の遺跡群は奈良を凌駕している
https://dec.2chan.net/up2/src/fu3306491.jpeg
- 670 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 16:13:06.75 .net
- >>502
口は悪いが、まったくもってその通りだと思う
- 671 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 16:15:43.84 .net
- 渡海1000里は国東半島辺りから見た風景だろうな
- 672 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 16:19:10.28 .net
- >>671
そう思うのが正常
- 673 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 16:21:42.92 .net
- ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑
長江下流域で出土した土器(南京博物館)
http://ak-d.tripcdn.com/images/1mi6e2234a3vvhy5c133F_W_400_0_R5_Q90.jpg?proc=source/trip
.
- 674 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 16:33:24.98 .net
- 伊勢湾が渡海とか無理有り過ぎ
やり直し
- 675 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 16:44:58.98 .net
- >>654-655
低能呼ばわりはひどいが、テンプレにして欲しいようなきわめて妥当な正論だと思った
自分もこの考えをとりあえずのスタートラインに設定しようと思う
- 676 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 16:56:02.85 .net
- >>671
魏使が聞いた話だろうね。
干満での流れを避ける交易航路で。
関門海峡は仲哀、神功皇后まで
舟が通れない穴だったw 説
歩けたりしてな?
- 677 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 17:14:46.14 .net
- よく知らんのよなあやつらも
書見読んだ程度の知識だからよ
しかも中国のだろ
- 678 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 17:21:01.30 .net
- 難波から陸行すること一ヶ月。ようやく我々魏使一団は、卑弥呼(ヒメ)が遷都した茨城に到着しました。
- 679 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 17:47:06.19 .net
- >>654-655
九州で最も発展している経済都市が博多を中心とした福岡平野
九州で最も開拓が遅れているのが洪水地帯筑後
- 680 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 17:58:14.87 .net
- >>674
>伊勢湾が渡海とか無理有り過ぎ
反論できなきゃお前の負け
- 681 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 17:59:48.74 .net
- 卑弥ってそれ姓だろもはや
職掌を姓にしたって感じだな
- 682 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 17:59:53.44 .net
- 現在、九州で最も発展している経済都市が博多を中心とした福岡平野。
しかしながら、古代の福岡平野は碌に鉄器さえも作れない寒村だけどな。 @阿波
- 683 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:00:26.65 .net
- >>668
後漢時代から代々王がいるのは九州だな
3世紀以降になって勢力が拡大したのが畿内ということは
畿内説アウト
- 684 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:00:50.04 .net
- 氏と姓の違いを半島人らあたりあまり認識できとらんのだろうがな
朴ってのはそれ氏なんだよ
- 685 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:01:54.82 .net
- 漢化ってのが起こったときに姓から氏に切り替える連中らが多く現れたわけ
- 686 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:01:56.43 .net
- >>674
>伊勢湾が渡海とか無理有り過ぎ
まぁ、出航地の女王国が無いんだから話にならんわな。 @阿波
- 687 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:02:34.22 .net
- >>683
北部九州で盛行した首狩り甕棺墓は2世紀までに
ど没落した
- 688 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:04:03.20 .net
- >>687
SNSで九州の研究者とレスバしててください
- 689 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:07:13.52 .net
- >>675
>低能呼ばわりはひどいが、テンプレにして欲しいようなきわめて妥当な正論だと思った
でも>>654-655は低能でしょ?
箱式石棺が有棺無槨だとか
w
- 690 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:12:24.91 .net
- 答志島から伊良湖岬間は沿岸なんてないぞ
実際に海を渡る訳だが
- 691 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:15:38.30 .net
- >>580
南九州に奴国より大きい国を想定することができない
- 692 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:15:51.08 .net
- >>690
まぁ、出航地の女王国が無いんだから話にならんわな。 @阿波
- 693 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:17:04.85 .net
- >>667
畿内で確定しているので発表する必要がない
- 694 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:18:47.29 .net
- 有棺無槨とは甕棺墓の事だろうよ
- 695 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:19:04.68 .net
- 中国における妲己の伝説とかな
太公望だの出てくる時代の話だろ
原型となった物語りはちゃんと存在するんだよ
- 696 :ネトウヨボクメツタイ!:2024/04/11(木) 18:20:33.89 .net
- オレは箸箸を卑弥呼陵と考えるが、もしこれを台与の墓とするのなら、卑弥呼陵は纏向石塚が相応しいだろう
まんま寺沢先生の説になってしまうな
基本的に王陵というのは寿陵であって生前に作るものだ
当時の平均年齢から考えて卑弥呼の陵も生前の彼女が30代くらいには出来ていたかもしれぬ
韓半島の文化に生前に風水の吉相墓を作ったら自分の爪や髪の毛を入れておくとよいという発想があった
今でも風水信者はやっているかもしれないが、これは恐らく中国発祥の文化だから、卑弥呼もやっていた可能性がある
後の日本文化に逆修という死んでからではなく生きているうちに自分の供養を初めるというものがあった
生前に自分の供養や祭祀を初める発想は、或いは仏教以前からのものだったという可能性は捨てきれまい
- 697 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:20:55.30 .net
- 何のことはないが周王朝の人々が顔は東洋人だが髪の毛や目の色などは西洋人みたいな特徴を持った人々と言う話
その時代において彼らが中華だの名乗ったのだ
- 698 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:21:47.21 .net
- >>654
九州はすでに伝統的第5を受け入れ、庄内式の時点では筑前型庄内甕を成立させていることから、すでに畿内の傘下に入ったと見るべきである
- 699 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:22:02.38 .net
- 漢の連中らも中華の名乗りを引き継いだけどな
- 700 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:22:58.35 .net
- >>696
神は山稜に宿り、山稜に葬られるもの。
「卑弥呼」などの高貴な人は、沼地や平地の前方後円墳には葬られない。 そんなの常識。 @阿波
- 701 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:24:53.76 .net
- >>654
>ごく一部の情報だけで邪馬台国の場所を判断しようとする人間が多いが(一般に知能レベルが低いほどその傾向が強い)、それは誤りだ
↑
YouTubeだけで九州説を採る人々のことだ
- 702 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:25:15.28 .net
- .
投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」
都は倉敷市と岡山市の中間あたりに位置する上東遺跡あたり
当時はヤマトに奈良という呼称がまだなかったように吉備という呼称もまだない
玉や玉島など、当時の「たまのくに」という呼称の名残というか残骸が周辺に
残っている
投馬国の場合、当時は穴海になっていて海岸線が今よりもはるかに内陸にあったため、
都である中心港の遺構がかなり内陸にあったのだ
今の倉敷市と岡山市の大部分は当時はまだ海の底だったのである
郡使は今の岡山の玉に寄港したのではなく、今では内陸になってしまった当時の
たまのくにの中心港だった上東遺跡に寄港したのである
https://stat.ameba.jp/user_images/20170602/00/kadoyas02/c9/40/j/o0454031313951122410.jpg?caw=1125
.
- 703 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:25:18.93 .net
- >>694
>有棺無槨とは甕棺墓の事だろうよ
卑弥呼が遣使した頃には甕棺はかなり珍しい
- 704 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:27:42.84 .net
- >>525
黄幢や張政の派遣で狗奴国とは和解したと見るべきである
- 705 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:31:03.81 .net
- >>703
倭人の風習に関する記述が卑弥呼時代の事だとは限らないから
- 706 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:32:07.22 .net
- >>701
いやいや>>1の事だろ
- 707 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:33:26.05 .net
- >>705
つまり九州説は歴史を無視したい
- 708 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:37:10.26 .net
- >>707
全て卑弥呼時代の記述だとしたら畿内説は即死だろ
- 709 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:40:03.27 .net
- >>706
>>1を読んでいる九州説はいない
文字を読むのがめんどくさいからだ
- 710 :ネトウヨ撲滅隊!:2024/04/11(木) 18:41:29.93 .net
- 倭国が温暖というのは奴国が金印をもらった頃の話だろう
卑弥呼の時代は南九州ですら温暖ではなかった
特に二世紀の後期後半は世界的な火山噴火の影響で異常気象が発生していた
中国では夏なのに冬のように寒く飢餓が蔓延した挙句に黄巾の乱という大反乱が発生した
邪馬台国が生まれた頃の倭国でも異常気象に見舞われて壮絶な殺し合いが起きていたはずだ
倭地温暖というのは信用に足らぬ記述である
- 711 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:45:30.83 .net
- >>710
>倭地温暖というのは信用に足らぬ記述である
アホか! 「倭地温暖」でも異常気象はたびたび起こる。 @阿波
- 712 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:46:20.44 .net
- >>709
低能の妄想作文を真剣に読むほど暇な奴いる訳ないだろ
- 713 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:48:24.36 .net
- >>709
文字なら倭人伝をそのまま読もうよ。
1の、それは根拠のない妄想。
一読あぼんでOK
- 714 :ネトウヨボクメツタイ!:2024/04/11(木) 18:48:26.29 .net
- 中国で黄巾の乱が起きていた頃、ローマ帝国でも疫病が流行ってる死者が続出していたからな
ゲルマニアの蛮族がローマ帝国に侵入を試みてマルコマンニ戦争という10年以上の大戦乱の見舞われていた
異常気象で不作が続いてゲルマン諸族も南の農耕最適地を獲得するべく命懸けだったのかもしれないな
- 715 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:48:36.58 .net
- >>712
文体は極めて難しいが、非常に勉強になる内容
レベルの低いYouTubeばかり見るべきではない
YouTubeだとしたら、ハルキーさんや講演会の動画を見るべきだ
- 716 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:50:54.98 .net
- >>711
そうそう、気象科学の話によれば卑弥呼時代は異常気象に見舞われた時代だ
寺沢もその話を知ってる
そして半島に難民が流入したという記録もある
科学的研究成果と記録文献を調べれば畿内説という作文がいかにデタラメかがよくわかる
- 717 :琪瑛教大祭酒:2024/04/11(木) 18:53:30.04 .net
- 阿波先生が飛び付くような話しに振られただけだよ
- 718 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:53:44.26 .net
- >>715
難しくは無いだろ
テンプレの特徴は、想像を根拠に断言するというスタイルで一貫している
理系からするとそれは「空想作文」なんだよ
- 719 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:54:17.54 .net
- >>711
倭地は温暖というレベルではない
海南島(完全に熱帯)にある物は倭国にあり、海南島にない物は倭国にもないという記述から、常夏を想定したと見るべきである
- 720 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:55:23.26 .net
- >>718
一部想像はあるが、ほとんどは単に事実を述べているだけである
- 721 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:56:38.47 .net
- >>718
おまえ理系じゃないだろ
理系ならデータなしで他人をケナさない
- 722 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:57:56.72 .net
- >>661
曹という姓は曹操を筆頭にたくさん三国志に出てくるし、達という名の人は蜀の孟達を含めて何人かは出てくる
三国志では官職名に続けて姓名を書く事例がある
だから、司馬の曹達だとしてもおかしくはない
ちなみに司馬というのは将軍に相当する軍事職のひとつで、まあまあ上位の官職だ
時代によっては軍の最上位の時すらある(三公が司徒と司馬と司空の場合など)
- 723 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 18:59:00.34 .net
- >>705
いつ頃の風習と考えますか?
- 724 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:00:28.75 .net
- >>666
王畿ってのは、首都のことじゃなくて首都圏、周囲の村々を含んだ領域やぞ
- 725 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:01:21.14 .net
- >>719
温暖は、常夏の熱帯ではない! @阿波
- 726 :ネトウヨボクメツタイ!:2024/04/11(木) 19:03:34.79 .net
- ネトウヨにとっては工業高校卒や情報専門学校卒でも理系ちゃんなんだよな
平均学歴が中卒や高校中退のニートだらけだからな
- 727 :琪瑛教大祭酒:2024/04/11(木) 19:04:35.30 .net
- 楠や柑橘類があんだから温暖ではあるね
- 728 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:05:26.65 .net
- >>694
首狩り甕棺墓に副葬されたのは前漢鏡
- 729 :ネトウヨ撲滅隊!:2024/04/11(木) 19:07:49.24 .net
- 畿内というのは現代語の首都圏という概念に近い
だから本来は関西が畿内というのは意味的におかしいのだが京都人にいわせると京都周辺という意味だから問題ないそうである
- 730 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:08:12.17 .net
- 畿内ヤマトの物語には九州勢力が降伏する時に三種の神器を差し出す話が書かれてる
その時代に九州勢が持っていたお宝はごっそり消えて無くなった理由がそれ
- 731 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:11:18.96 .net
- 畿内は五畿内
畿内第X様式と呼ばれる弥生土器圏がほぼ畿内圏
- 732 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:11:32.67 .net
- 三種の神器が平原で最後なら、卑弥呼の国に降伏したわけだ
- 733 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:16:33.16 .net
- 倭人伝は
九州のローカル王の話だが
畿内説は、
倭王は奈良に居たという
考古学で論点が違う。
邪馬台国ヤマト説w
邪馬台国はどこか?
なら、邪馬台国の定義は
240年に
弁韓の仮称を投馬国
女王国の仮称を邪馬臺国
とした、
魏使の報告書の九州で
あるべき なのである。
魏志の一大率は九州が対魏防衛で
大和朝廷を受け入れた日本統一。
文献の邪馬台国は九州の一首長国で
倭王が邪馬台国に居たなら奈良である。
の考古学は無意味。
大和朝廷は絶対女王国じゃ無いし?
- 734 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:17:35.49 .net
- 皇室の三種の神器は天照から貰ったもの。だから大和朝廷は正統邪馬臺国。九州は正閠でも負けたw
- 735 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:21:22.20 .net
- >>729
畿内は五畿、大阪府全域に京都府南部と兵庫県南東部と奈良県まで
京都府や兵庫県の、それ以外地域は中国地方(丹波と丹後と但馬は山陰地方で播磨は山陽地方)滋賀や三重や和歌山も畿内ではない
畿内及び周辺地域って意味で近畿って言うんだよ
- 736 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:22:35.82 .net
- >>733
倭人伝は九州のローカル王の話ではないというのがすでに通説となっています
- 737 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:23:42.24 .net
- つまり倭人とは夏人から分かれた別の人々だってことだ
- 738 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:24:18.35 .net
- 中国(三国志の時代あたり)のやつらもよく知らなかったみたいだからな
- 739 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:24:50.10 .net
- >>730
畿内邪馬台国にごっそり持っていかれたのかもな
- 740 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:28:38.34 .net
- まだ言ってる
- 741 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:32:31.83 .net
- HKKさんや岡上さんが来ないと面白くない
岡上さんよりHKKさんの方が詳しいように思えるが
- 742 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:33:39.57 .net
- >>733みたいに、ひとことも理由を言わないのが九州説の特徴
だから九州説どうしでも話が通じない
必然的に一人一説の零細泡沫説になる
- 743 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:35:31.83 .net
- >>741
そういうこと言われても他人にゃ何の話かわからないよ
- 744 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:36:11.63 .net
- >>734
八咫鏡を作ったのはいつか?
一応、平原で出た。
卑弥呼でいいのに、2世紀なのかな?
天照神、卑弥呼説はヤケクソ。
一大率以降
九州は中央進出もするが
王の東遷ではない。
既に畿内に諸豪族の宮が有る。
九州は後進の外様だった。
たぶん、顔の入れ墨も都で嫌われた。
100年後350年の百済王族も同じである。
- 745 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:36:47.57 .net
- 最高峰の九州邪馬台国卑弥呼神武天皇
- 746 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:46:20.82 .net
- >>744
>一応、平原で出た。
出たって証拠は?
- 747 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:50:18.34 .net
- 最近、ためになった文献上の考えは、卑弥呼と卑弥弓呼は似ているから単に身内の争いという考え。
「素より和せず」
元々仲が悪かったと考えれば、ストンと落ちていく。
- 748 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 19:59:36.29 .net
- ハイハイ現実逃避妄想厨の畿内説さん
文字読めますか?w
【後漢書】
後漢書には邪馬台国は後漢時代ですでに代々王を継ぐ30国からなる国だと記載されている
【魏志韓伝】
『3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条(ぎしとういでんべんしんのじょう)」には、朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、濊、倭みなしたがってこれをとる。
諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。
鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。』
よって弥生時代の鉄器の出土量が多い地域が、当時の経済共同体であったと見なせます。
卑弥呼時代の鉄器文化圏
https://i.imgur.com/v0XeHSj.png
- 749 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 20:04:55.52 .net
- はいはいがんばれよ
- 750 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 20:08:15.01 .net
- 中国ではっきりした伝承が伝わってないってことはそおいうことなのだろ
最後は漢化によってみんな塗り潰された
日本じゃあ漢化っての起こらなかったからな
- 751 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 20:09:03.48 .net
- 日本独自の氏族姓は生まれたけどな
- 752 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 20:10:24.97 .net
- >>748
かなり古い時代の資料ですね〜
五斗長垣内も舟木も反映されてない
- 753 :日本@名無史さん:2024/04/11(木) 20:10:27.36 .net
- 中国人らはっきり言えば風水によって占い🔮で決めたからな
それが漢化
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