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邪馬台国畿内説 Part1011
- 882 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 13:21:50.86 .net
- >>876
1:中国で主に西晋時代に流通した「位至三公鏡」は主に福岡、佐賀県から出土し
奈良から確実な出土例はない。
2:「位至三公鏡」より形式的に前の中国鏡についても北部九州を中心に出土する
3:九州出土の「位至三公鏡」は弥生時代の遺跡から出土するものもあるが
九州以外の「位至三公鏡」はまず古墳時代の遺跡から出土していて
伝世鏡か踏み返しによって作られた鏡か
どちらにせよ古墳時代に埋葬されたものと見られる
4:これらのことから魏の後を受け継ぐ西晋の西暦300年頃まで鏡の出土分布は九州北部が中心だったと思われる。
5:「位至三公鏡」よりも形式的にも出土状況も後の時代の「三角縁神獣鏡」は畿内、奈良を中心に出土する。
6:西晋の記録には西暦266年に倭国の女王の使いが来たことが書かれている。
この際に鏡を受け取ったのならそれは「位至三公鏡」であった可能性が高い。
7:西暦266年に受け取った鏡が「位至三公鏡」であるのならその鏡が主に出土する九州北部が
西暦300年頃まで
中国との外交の窓口であったと思われる。
結論:邪馬台国は九州北部
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