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【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21

1 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:09:40.73 .net


https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1711303319/

2 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:14:53.03 .net
青森の砂沢遺跡は前7C頃の水田遺構で中部地方や関東地方よりも
先に稲作が始まっていた

搬入された遠賀川式土器が数点見つかっているが九州北部から入植した痕跡が
ないため、九州北部との交流を通じて稲作を取り入れて自ら稲作を始めたものと
見られる

けっきょく菜畑遺跡もこれと同じ

交流していた朝鮮南部から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから外来人の入植痕跡がない

朝鮮半島の稲作も同じだろう

交流していた遼東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから外来人の入植痕遺構がない

遼東半島の稲作も同じだろう

交流していた山東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから中国から入植した事を意味する中国土器遺構がない

稲作渡来民なんて幻想

そんなものは存在しない

3 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:18:47.34 .net
出雲あたりに外来土器たる前池式の刻目突帯文土器が登場する時代と
菜畑に最古稲作遺構が登場する時代とでは少なくとも50〜100年くらいの
時代差があるんだが

稲作を半島から取り入れた在来人は山ノ寺式の刻目突帯文土器だから祖先は
渡来人だろうけど既に在来人だよ

渡来人と稲作伝来は全然時代が異なる別々の出来事だぞ

4 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:20:01.21 .net
斉から墓が伝わったなら鼎が伝わらないのはおかしいね

中国の墓にはあの世でも食べていけるようにと奴隷から王まで
必ず鼎が副葬されるんだから

古代中国では墓と鼎はセット

甕棺墓は朝鮮南部の壺棺墓を取り入れて独自発展したものだし、
それ以外の墓も単に半島から取り入れただけで在来人のものだね

外来人の入植痕遺構がないんだから

5 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:21:59.89 .net
玉璧はもともと、中国・前漢の皇帝から、
朝鮮半島にあった漢民族系の王朝「衛氏朝鮮」に下賜されたものだった、
という仮説が紹介されている。璧は衛氏朝鮮の崩壊後に流出し、
北部九州などを経て弥生時代に串間にもたらされ、古墳時代に
造営された当地の有力者の墓に副葬品として納められたのだという。
博物館の学芸普及担当、加藤徹さんは「串間市を含む志布志湾周辺地域は、
瀬戸内系の土器や南西諸島で採れる貝・貝製品の交易ルートが交わる結節点として、
弥生時代に重要な役割を担っていた可能性がある。玉璧の出土と交易ルートとの
関わりを裏づける今後の考古学研究の進展に期待したい」と話している。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASP8W6SN1P86TNAB001.html



南西諸島では弥生時代の九州とイモガイやゴホウラ交易があり[89]、
7世紀以降は日本の朝廷や唐とヤコウガイ交易が行われた[90]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E8%B2%A8

6 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:23:37.25 .net
プラントオパールは粘土より遥かに小さくて下層に浸透していくので
何千年も古く出てしまうため作物の開始年代測定に使われなくなった

実際はイネは2950年前の菜畑遺跡よりも古いイネは日本にはないし、
サトイモが伝わったのもイネと同じ頃で半島からだし、
ソバが伝わったのは弥生後期頃でもちろん半島からだよ

南方から来てたら三本足の生えた楽しすぎる炊飯器が伝わるだろが

南方の土器は中国土器のコピーなんだから(嘲笑

高床式倉庫は弥生早期に松菊里型住居とともに現れるのが最初だから、
やはり半島から取り入れられている

7 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:24:23.11 .net
16000年前の鏃が青森から出土しているから日本の弓は16000年前に
土器技術とともに樺太経由で入ってるから支那朝鮮なんか関係ないの






旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡とみられる日本の大平山元遺跡から、
15,500-16,500年前のものとみられる旧石器時代の特徴を示す石鏃が出ているが、
これは今のところ世界で最も古い石鏃とみられている[2]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%8F%83

8 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:25:22.18 .net
昭和の初めまで近畿人も中頭だったんだが

短頭化が進んだ原因は粉ミルクの普及が関係してるんだと

乳児期に粉ミルクの利用が多かった子どもほど短頭だという事

9 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:26:21.92 .net
入植していきなり現地の土器を作る事はないね

最初は自分たちの土器を作って徐々に現地の土器に移行していくというステップを踏む

10 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:28:10.43 .net
最初に伝わる耕作用農具は石スキのはずだろ

日本の最古稲作遺構には石刃の耕作用農具もスキもないぞ

11 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:28:43.28 .net
渡来系弥生人と縄文系弥生人は居住地区が別々だった事が分かっている

言葉の壁や文化の壁や人種の壁があるので一緒には住めなかったようだ

前7C頃から渡来系弥生人骨が増えるのは単に甕棺墓時代に入って人骨が保存されるように
なったからで縄文末から渡来系弥生人の人口は増えている

特に半島から稲作や雑穀作を取り入れてから食料確保ができるようになったために
人口爆発したものと見られる

12 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:30:43.83 .net
10
いいえ、木材です

13 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:32:05.05 .net
石毛直道は考古学専攻学者ではない

だいたい長江から稲作が伝わったなら日本の最古稲作遺構の最古イネに中粒種が
あるはずだろ

同期する長江のイネは中粒種が半分くらい混ざったイネなんだから

ところが最古稲作遺構のイネは短粒種だけ

しかも最古稲作遺構の水田の第一層には農具が一切なかった

稲作渡来民とやらが来たなら最初から農具くらいあるはずだろ

ない

在来人が朝鮮南部から稲作を取り入れて自らの手で始めただけだからだ

第三層あたりからようやく耕作用農具が現れるんだが、その耕作用農具は
同期する中国大陸にはないはずのクワであった

当時の中国大陸の耕作用農具はスキだけでクワはない

しかも中国大陸から伝わったなら石刃であるはずなのに木刃であった

日本にスキという耕作用農具が伝わったのは稲作開始から300年くらい経ってからで、
やはり石刃ではなく木刃であった

14 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:36:39.07 .net
たまたま長頭の個体が出土しただけで九州南部から南西諸島の縄文人骨は基本的に短頭

朝鮮人にも長頭がいるのと同じ事

15 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:38:10.02 .net
西日本の縄文人骨は短頭か中頭なんだが(嘲笑

で、渡来系弥生人骨は中頭なんだが

16 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:38:20.56 .net
もともと弥生人が農耕民だとしたら縄文人は狩猟民ですから

農耕もどこかで覚えたのやろ

17 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:39:15.86 .net
日本列島に最初に入ってきたのは38000年くらい前な

台形石器を使う集団なんだが、中近東や中央アジアには台形石器はあるんだが
南支那以南の東南アジアには台形石器がないんだよ

つまり中近東から北回りで来た事が分かる訳

その2000年後の36000年くらい前には石刃技法を使う集団が日本列島に
入ってくるんだが、中近東や中央アジアには石刃技法学があるんだが南支那以南の
東南アジアには13000年くらい前まで石刃技法はなく、しかも細石刃として
石刃技法が現れるんだよ

やはり中近東から北回りで来たとしか考えられない訳

容貌は田園洞人から見ると黒人と白人の中間みたいな感じかな

肌の色ももう黄色だったかもな

18 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:40:10.36 .net
縄文人らは木の実などの採取は行ってたけどな

古代から出て来るのは採取した木の実などの類いなんだよ

19 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:40:26.33 .net
石包丁が長江から伝わったものなら何で最古稲作遺構菜畑の稲作開始耕作用農具に
長江のメイン耕作用農具であるスキがねえんだ中卒

20 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:41:06.03 .net
日本に弓が伝わるのは縄文草創期の北日本からなんだが

青森から16000年前の鏃が出土している

跨湖橋新石器時代遺跡よりも8000年も前の考古文物だよ

21 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:43:10.52 .net
47000年前にアルタイ経由して東アジアからシベリアに広がり、38000〜36000年前に
日本列島に入ってきた東アジア以北の最初のサピエンスは台形石器や石刃技法を
使う集団である

ところが南支那以南の東南アジアには13000年前くらい前まで石刃技法がない

その13000年前の石刃技法も華中以北の古モンゴロイドが南支那以南の東南アジアに
南下侵入して細石刃として伝わったものである

だから東アジアやシベリアに最初に広がった台形石器や石刃技法を使うサピエンスが
南支那以南のスンダランドから北上してきたというのはあり得ない

南支那以南のスンダロイドが北上してモンゴロイドになったという説は
あり得ないのである

遺伝学でのルート探査などは考古学や形質人類学の補助輪を使わなければ
デタラメを頻発してさっぱり使い物にならないレベルのものだという事が分かる

つまり考古学や形質人類学だけ見てた方が控えめに見ても百倍くらいルート探査の
精度が高いという事

22 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:43:51.43 .net
中東のイラン高原から北回りでアルタイ経由で最初に東アジアやシベリアに
入ってきた人類は北京あたりで出土した42000年くらい前の田園洞人を見ると
エチオピア人のようなニグロイドとコーカソイドの中間的な容貌をした
原始コーカソイドである

ところがシベリアから出土した30000年くらい前の人骨はもろにコーカソイドの
人骨であった

中東のイラン高原あたりから北上してきた時差が1万年くらい違うと完全に
別人種になっている

ところが20000年くらい前になるとコーカソイドとは全く正反対の極めて扁平な
容貌にシャベル型切歯を持った北方モンゴロイドが出現して、それまでの
コーカソイドに近い形質は消えていった

ここから考えるとニグロイドやコーカソイドがモンゴロイドに変わるのに要する時間は
1〜2万年くらいだと思われる

そして7〜8000年くらい前になると北方モンゴロイドの南下が始まり、中国大陸では
6000年くらい前まで古モンゴロイド的形質の人骨だったものが僅か1000年ほどで
北方モンゴロイド形質を帯びた全く別人種の人骨に変わってしまう

時差はあるものの、これと同じ事が沿海州や朝鮮半島や日本列島でも
起こったものと考えられる

23 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:44:30.75 .net
山東省人骨よりさらに渡来系弥生人骨と酷似してるのが沿海州人骨な

24 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:45:01.32 .net
どおかな?

そこまでは分からん

25 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:45:50.26 .net
しかしこいつらしつこいねえ

26 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 07:01:13.66 .net
遺伝学の推測がしばしば暴走するため
客観性の担保としていくつか前スレから引用させて頂いた

己の自然な直感を元にそれを裏付けるデータを集めるのは
象牙であれ在野であれ基本的な姿勢と思われるが
私のああ思うここ思うに沿うデータを
あれこれと持ってきてペタペタと貼るのは
それとは似て非なると考える

客観的なデータは自分の思い込みや前提を
絶えず裏切ってくるものだ
そしてそこから初めて新たな物事が分かってくるのだ
そういう、データに裏切られた体験や感覚のないまま
あれもあるこれもあると色んな図表や物事を
あれこれ提示していく人の気持ちが分からない

27 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 07:36:26.07 .net
【概要】
ニホンヤモリは、日本民家の“隣人”で家の守り神(家守)として親しまれていますが、中国東部にも分布しており、実は在来種ではなく外来種ではという疑いがもたれてきました。しかし、渡来期も含めその来歴は不明でした。
東北大学大学院生命科学研究科博士課程学生の千葉稔氏と東北アジア研究センターの千葉聡教授らのグループは、その日本進出の過程を、ゲノムワイドの変異解析と古文書の調査から推定することに成功しました。
ニホンヤモリは、約 3000 年前に中国から九州に渡来し、平安時代末までに近畿へ、一部が東海道を東進して江戸後期〜明治初期に関東へ、また戦国時代に近畿から北陸に移った系統が江戸時代には、北前船の寄港地として栄えていた酒田へと移住したと推定されました。
遺伝子から推定された歴史は古文書の記録と整合的であり、日本社会の発展の歴史との間に見られる多くの共通点は、ニホンヤモリが人や物資の移動に伴って分布を広げたことを裏付けます。
本研究成果は、現在の生物の分布や多様性を理解する上で、近代以前の人と生物の関係が無視できない要因であることを示す重要な成果です。
本研究結果は、2022 年 11 月 30 日の米国科学誌 PNAS Nexus(オンライン速報版)に掲載されました。

<研究成果の内容>
本研究では、古文書の網羅的調査、ddRAD-seq というゲノムワイドの変異解析、人間社会の発展と絡めた考察という文理融合的なアプローチにより、ニホンヤモリが辿った歴史を推定しました。

地域集団の系統関係と分岐年代、上記の個体数増減のタイミング(図 2)から、ニホンヤモリの住分散のルートと歴史を推定することができます。
その結果、ニホンヤモリは約 3000 年前に中国から五島列島、さらに九州へ渡来したと推定できました。約2000 年前の弥生時代になると、九州から複数のルートで西進が始まり、遅くとも平安時代末までには近畿に定着していました。
その後、一部が東海道を東に進み、江戸時代後期〜明治初期に関東へ達しました。これは 17 世紀にはまだ「関東にはいなかった」という 1697 年の本朝食鑑の記述と整合します。
また、戦国時代には近畿から北陸へと移住し、江戸時代には北陸から北前船の寄港地として栄えていた酒田に移りました。

28 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 07:42:37.82 .net
250年前から1万年前の更新世はホモ ネアンデルターレンシス
ホモハイデルベルゲンシス ホモフローレシエンス ホモエレクトゥス
パラントロプス ホモハピリス (ホモエルガステル)がいて
1万年前にはすべて絶滅 人類はホモサピエンスしかいなくなりました
そもそも進化論は存在しない 絶滅するか新種が現れるがだけです

29 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 07:47:12.65 .net
“最初の日本人” その「親戚」がタイの密林にいた

現代の日本人とは姿も生活様式も全く異なるマニ族が、なぜ“最初の日本人”の「親戚」と言えるのか。

この両者を結びつけたのが「古代DNA解析」と呼ばれる、2022年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた革新的な技術です。

長い間、土に埋まっていた骨からは、これまでDNAを読むことが出来ませんでしたが、この技術が確立されたことで、保存状態のいい骨に関しては数千年前の骨であってもDNAを読み取ることが出来るようになりました。

このため、従来では考えることもできなかった様々な事実がこの10年で次々と明らかになってきているのです。

その1つが2018年に東京大学の太田博樹教授らのチームが発表した研究結果です。

きっかけになったのは、ラオスにあるファファエン遺跡で見つかった8000年前の人骨のDNA解析に成功したことでした。

タイやラオス周辺には2万数千年前から4000年前にかけて「ホアビニアン」と呼ばれる狩猟採集民が広く暮らしており、DNA解析に成功したのはこの「ホアビニアン」の骨でした。

太田教授らは、ホアビニアンのDNAと、世界各地の古代人や現代人など計80集団以上のDNAを比較し、どのくらい似ているかを示す近縁性を調べました。

すると、東南アジアの古代人に混ざって、日本人にとって歴史の教科書でおなじみの「縄文人」が、ホアビニアンとのDNAの近縁性、どのくらい似ているかの指標で4位にランクインしたのです。

「縄文人」は今からおよそ1万6000年前から3000年前の「縄文時代」に日本列島に住んでいた人々で、いわば“最初の日本人”です。
です。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2023/12/04/36270.html

30 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 08:18:39.30 .net
石川典行

31 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 08:21:14.47 .net
縄文人 英語板
ttps://en.wikipedia.org/wiki/J%C5%8Dmon_people
世界中の集団および現在の個人の主成分分析(PCA)をクリック
Principal component analysis (PCA) of ancient and present-day individuals
from worldwide populationsをクリック

Dvils gateと近接してるのは見えにくいが日本人です

32 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 09:32:48.31 .net
>>29
ホアビニアン人骨から見ると縄文人骨は近縁性で4位との事だが、
縄文人骨から見るとホアビニアン人骨は近縁性で何位なんだよ?(嘲笑

33 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 12:11:59.84 .net
>>29
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑













長江下流域で出土した土器(南京博物館)

http://ak-d.tripcdn.com/images/1mi6e2234a3vvhy5c133F_W_400_0_R5_Q90.jpg?proc=source/trip












.

34 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 12:12:44.97 .net
>>29
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑








越の遺構から出土した土器(浙江省)


https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/6/b/340h/img_6b1b6d2d9509792e3206996e6b83d4453254553.jpg

https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/c/5/-/img_c57c3fd880b83154569f4658709923253243747.jpg


燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)


https://stat.ameba.jp/user_images/20230722/20/xuzhoumeso/4c/e2/j/o0500037415315589804.jpg








.

35 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 12:13:28.46 .net
>>29
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑














http://j.people.com.cn/NMediaFile/2021/0415/FOREIGN202104151415000595907897828.jpg













.

36 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 13:19:22.73 .net
【概要】
ニホンヤモリは、日本民家の“隣人”で家の守り神(家守)として親しまれていますが、中国東部にも分布しており、実は在来種ではなく外来種ではという疑いがもたれてきました。しかし、渡来期も含めその来歴は不明でした。
東北大学大学院生命科学研究科博士課程学生の千葉稔氏と東北アジア研究センターの千葉聡教授らのグループは、その日本進出の過程を、ゲノムワイドの変異解析と古文書の調査から推定することに成功しました。
ニホンヤモリは、約 3000 年前に中国から九州に渡来し、平安時代末までに近畿へ、一部が東海道を東進して江戸後期〜明治初期に関東へ、また戦国時代に近畿から北陸に移った系統が江戸時代には、北前船の寄港地として栄えていた酒田へと移住したと推定されました。
遺伝子から推定された歴史は古文書の記録と整合的であり、日本社会の発展の歴史との間に見られる多くの共通点は、ニホンヤモリが人や物資の移動に伴って分布を広げたことを裏付けます。
本研究成果は、現在の生物の分布や多様性を理解する上で、近代以前の人と生物の関係が無視できない要因であることを示す重要な成果です。
本研究結果は、2022 年 11 月 30 日の米国科学誌 PNAS Nexus(オンライン速報版)に掲載されました。

<研究成果の内容>
本研究では、古文書の網羅的調査、ddRAD-seq というゲノムワイドの変異解析、人間社会の発展と絡めた考察という文理融合的なアプローチにより、ニホンヤモリが辿った歴史を推定しました。

地域集団の系統関係と分岐年代、上記の個体数増減のタイミング(図 2)から、ニホンヤモリの住分散のルートと歴史を推定することができます。
その結果、ニホンヤモリは約 3000 年前に中国から五島列島、さらに九州へ渡来したと推定できました。約2000 年前の弥生時代になると、九州から複数のルートで西進が始まり、遅くとも平安時代末までには近畿に定着していました。
その後、一部が東海道を東に進み、江戸時代後期〜明治初期に関東へ達しました。これは 17 世紀にはまだ「関東にはいなかった」という 1697 年の本朝食鑑の記述と整合します。
また、戦国時代には近畿から北陸へと移住し、江戸時代には北陸から北前船の寄港地として栄えていた酒田に移りました。

37 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 13:33:49.76 .net
>>36
それだと何でミナミヤモリが九州南部と南西諸島と台湾と南支那の
共通種なのか説明出来ないね

単に南西諸島からミナミヤモリが九州南部に入ってさらに北上したものが
ニホンヤモリになっただけ

38 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 13:58:55.53 .net
>>36
ホアビニアン人骨から見ると縄文人骨は近縁性で4位という事は分かった

では縄文人骨から見るとホアビニアン人骨は近縁性で何位なの?何位なの?

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