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【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21

441 :日本@名無史さん:2024/04/14(日) 18:05:47.09 .net
>>437
鼎はすでに7000年前の黄河長江の両下流域で普及してるっての

鼎の誕生は8200年前の中原

それまでは三脚に釜を乗せて炊飯していたが、これらが一体化して
鼎が生まれた

ただ8000年前には住居の壁に作られた竈も登場して竈と釜のセットで
炊飯する方法も生まれ、7000年前には持ち運び可能な鼎に対抗して
携帯用のポータブルな竈と釜のセットも登場して、しかも7000年前には甑も
登場して鼎に甑を乗せて、または竈と釜のセットに甑を乗せて蒸して炊飯する
方法も生まれた

7000年前にはすでに持ち運び可能な鼎という炊飯器と、同じく持ち運び可能な
携帯用の竈と釜の炊飯セットと、それらの上に乗せて蒸して炊飯するための甑が
あり、7000年前から炊飯にヴァリエーションがあったのである

5000年前には鬲も登場して鬲に甑を乗せて蒸して炊飯する方法も生まれた

5000年前にはすでに鼎も鬲も竈も釜も甑も蒸して炊く炊飯法も、
何でもござれの状態だったのである

しかし春秋戦国時代になると戦に携帯できて手間暇のかからない鬲鼎が
好まれるようになり、竈と釜のセットは下火になっていった

漢代に入って戦乱が少なくなると竈と釜のセットが復権して鬲鼎は徐々に下火に
なっていくが、漢代までは鬲鼎は炊飯器の中心であった

ところが日本に竈と甑が伝わるのは弥生末の3C後半頃、釜が伝わるのは
5C頃で、全て半島から取り入れられており、鼎と鬲は永遠に伝わる事は
なかったのである

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