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【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21

1 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:09:40.73 .net


https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1711303319/

558 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 14:48:08.13 .net
春秋時代の黄河河口に居たのは
現代西ヨーロッパ人に近縁であった

中国人って何なんだろうなってレベルだね

https://i.imgur.com/xhSoVTe.jpeg

559 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 15:23:00.01 .net
都市伝説かファンタジーだろ(嘲笑

560 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 15:25:11.72 .net
小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのか?

ソバ作はソバ作渡来民が来たのか?

ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのか?

モモ作はモモ作渡来民が来たのか?

何が稲作渡来民だよ

超ウケるwwwwwwwwww

561 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 15:43:07.16 .net
>>557
そんなもんたいした不便じゃねーよ。

562 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 16:17:11.80 .net
三皇〜周は中国人じゃないからね

563 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 16:49:58.44 .net
>>548
なるほど、似ているようで違うな

564 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 17:56:04.00 .net
ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

565 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:29:13.87 .net
“最初の日本人” その「親戚」がタイの密林にいた

現代の日本人とは姿も生活様式も全く異なるマニ族が、なぜ“最初の日本人”の「親戚」と言えるのか。

この両者を結びつけたのが「古代DNA解析」と呼ばれる、2022年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた革新的な技術です。

長い間、土に埋まっていた骨からは、これまでDNAを読むことが出来ませんでしたが、この技術が確立されたことで、保存状態のいい骨に関しては数千年前の骨であってもDNAを読み取ることが出来るようになりました。

このため、従来では考えることもできなかった様々な事実がこの10年で次々と明らかになってきているのです。

その1つが2018年に東京大学の太田博樹教授らのチームが発表した研究結果です。

きっかけになったのは、ラオスにあるファファエン遺跡で見つかった8000年前の人骨のDNA解析に成功したことでした。

タイやラオス周辺には2万数千年前から4000年前にかけて「ホアビニアン」と呼ばれる狩猟採集民が広く暮らしており、DNA解析に成功したのはこの「ホアビニアン」の骨でした。

太田教授らは、ホアビニアンのDNAと、世界各地の古代人や現代人など計80集団以上のDNAを比較し、どのくらい似ているかを示す近縁性を調べました。

すると、東南アジアの古代人に混ざって、日本人にとって歴史の教科書でおなじみの「縄文人」が、ホアビニアンとのDNAの近縁性、どのくらい似ているかの指標で4位にランクインしたのです。

「縄文人」は今からおよそ1万6000年前から3000年前の「縄文時代」に日本列島に住んでいた人々で、いわば“最初の日本人”です。
です。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2023/12/04/36270.html

566 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:29:41.90 .net
ハプログループD(CT3946)は、
ハプログループDEより約7.3万年前にアフリカにて発生、
下位系統のハプログループD1(M174)・D2(D-A5580.2)が出アフリカを果たし、
その後インド方面と内陸ルートを通って東アジアへ向かったことになる。

このようにハプログループD2が
アフリカ、西アジア(サウジアラビア、シリア)から見つかったことから、
ハプログループD(CT3946)はアフリカで既に誕生していたと推定されている。

567 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:30:30.93 .net
起源
最近の研究 (Haber et al. 2019)で、従来DEの子型でD系統にもE系統にも属さない
パラグループDE*(どちらの系統に近いか未詳)とされていたナイジェリア人の3サンプル
が、ハプログループEよりもハプログループDに近縁であることが判明した。
このサンプルは、ハプログループEの持たないSNPを、
ハプログループDと7つ共有しており、「D2」としてハプログループDに組み入れられた。

568 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:34:31.78 .net
>三足土器がなけりゃ論は無意味って事だな。
 100 万個も三足土器が拡散なんてあり得ない妄想ファンタジーだからよ。


>三足土器がなけりゃ移住・移民した証拠にならんと言うのなら、

紀元前2000年ごろ〜紀元前500年ころ。
中国の古典書籍によると、紀元前十六世紀の「夏王朝」時代、人口約1.355万人。

夏王朝時代の人口は約1.355万人
殷王朝時代の人口は約1.300万人
周王朝時代の人口として1.300万人、
春秋戦国時代の総人口は2.000万人程度
戦国時代の人口は2.000万人説

100年一世代として15世代。 1300万人台が10世代、2000万人台が5世代、
プラスすると1億3000万人+1億人=2億3000万人
紀元前2000年ごろ〜紀元前500年ころまでの歴史的世代交代人口は約2億3000万人。

569 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:37:46.48 .net
>99%って事は殆んどの人達は知らないし、後世の考古学者だけが知ってる遺物だから。

● 仮定で一世帯10人家族、三足土器を100年で3個消費するとして
 2億3000万人、2300万世帯=7000万個の土器が必要になる、
 壊れた物も入れると仮の計算上1億 個は有った事になる。実態は1000個もない。

中国国内では古代数千年の間に、何 億 人と家族・集団の移住・移民が有ったはずで、
それなら、三足土器も何 億 個と拡散してたはずだが、
そんなに数多くの土器が遺跡から出土したかへ? 数百個くらいなら有るかもだが?

1 億 個あったと仮定して1 %の人達が持ってたなら 100 万個は出土するはずだが?
実態は1000個もない。 仮に、100 万個の三足土器が出土したとしても、
結果、99 %の人達は、三足土器などとは無縁で見た事もない生活をしてたって事になる。

570 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:40:47.22 .net
原始和弓の起源 2015年『日本考古学』
http://fieldnote.info/page-1424/page-1557/

原始和弓が属する丸木弓系単一素材弓は,太平洋・インド洋沿岸の湿潤な樹林帯に多い。
とくに,太平洋周辺の長大な弓の分布は,オーストロネシア語族の拡散域と
非常によく重なるので,その拡散には彼らが強く関与していたとみられる。


源郷とされる中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡からは,初期のイネやブタ,
跨湖橋遺跡は稲作開始期の集落で,家畜化初期段階のブタ,丸木舟などが共伴している。

丸木舟とともに,世界最古の漆塗りの丸木弓が出土しており,
原始和弓も含めた太平洋型長大弓の共通の祖形ではないかと考えられる。

東シナ海、杭州湾を臨む浙江省跨湖橋遺跡から,新石器時代(紀元前5000〜6000年頃)
のI類漆塗り丸木弓が出土している(図4–26・浙江省文物考古研究所2004)。
一般的な弓のプロポーションから復元すると180cm前後の長大な弓であった可能性がある。

571 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:41:32.17 .net
原始和弓の起源 2015年『日本考古学』
http://fieldnote.info/page-1424/page-1557/

原始和弓が属する丸木弓系単一素材弓は,太平洋・インド洋沿岸の湿潤な樹林帯に多い。
とくに,太平洋周辺の長大な弓の分布は,オーストロネシア語族の拡散域と
非常によく重なるので,その拡散には彼らが強く関与していたとみられる。


源郷とされる中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡からは,初期のイネやブタ,
跨湖橋遺跡は稲作開始期の集落で,家畜化初期段階のブタ,丸木舟などが共伴している。

丸木舟とともに,世界最古の漆塗りの丸木弓が出土しており,
原始和弓も含めた太平洋型長大弓の共通の祖形ではないかと考えられる。

東シナ海、杭州湾を臨む浙江省跨湖橋遺跡から,新石器時代(紀元前5000〜6000年頃)
のI類漆塗り丸木弓が出土している(図4–26・浙江省文物考古研究所2004)。
一般的な弓のプロポーションから復元すると180cm前後の長大な弓であった可能性がある。

572 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:42:47.10 .net
.



大分県日出地区の薬師遺跡では縄文時代後・晩期、黒色磨研の三万田式土器とともに、

印文陶(中国南東沿岸地域における新石器時代〜漢代)破片が出土している。



.

573 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 20:55:55.99 .net
黒色磨研の三万田式土器

三万田式土器と云えば縄文土器の文様を磨消し技法で、
無文に寄せていった土器で後の弥生土器の前段階、

それと黒色磨研とは中原の黒陶を意識した技法て事は、
中原の流行り情報を入手してたんだな、結構細かく行き来してたんだろ。
縄文時代のけつ状耳飾りや管玉作りからか。

574 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:05:32.36 .net
ハプログループD1a2a (Y染色体) 各地における頻度
日本各地で高い頻度を誇るが、特に東日本や南九州及び沖縄に多い。

青森:38.5%
静岡:32.8%
徳島:25.7%
九州:26.4%
沖縄:55.6%(25/45)(Hammer et al. 2006[18])
アイヌ:87.5%(Tajima et al. 2004[20])

また、国外では韓国、ミクロネシア、ティモール島、中国などで低頻度にみられる。
ミクロネシア: 5.9%(1/17; Hammer et al. 2006[18])
韓国: 4.0% (3/75; Hammer et al. 2006[18])、1.58%(8/506[21])
西ティモール: 0.2%(1/497; Tumonggor et al. 2014[22])
中国: 0.02%[23]、北京漢族1.96%(1/51)[21]

575 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:11:47.49 .net
 さらにこの地域の先住民例を見ると,台湾のアミ族やタイヤル族,海南島のリ族が,
140〜150cm台の比較的長い丸木ないし竹製のI類弓を使用している。

フィリピン〜南太平洋島嶼群のI類弓
 さらに南下すると,フィリピンからタヒチまで,
太平洋の島嶼伝いにはるか東へとのびる,I類弓の広大な分布域を認めることができる。

 この地域では,180cm〜190cm台あるいはそれ以上の長さに達するような,
長大なI類弓が主体である。フィリピンのネグリート族は,原始和弓と同じ弓幹に
樋と巻を施した長弓と,三叉族を付した長大な矢で,漁労に使用する(Krieger1926)。

576 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:12:11.79 .net
>>552
中国人と日本人の分岐は殷代だそうだ
(BC1000年を下限とする以前)
もっともその頃の中国大陸はO系統のものではなかったから
はるか北や北西部で南進した組と
東進した組とで分かれたんだろう
渡来時期とその集団の性格だけは分からんね
沿海州から弥生人とともに一緒に来たが
後に核ゲノムレベルで繁栄したのはこの系統なのか

漢代の中国人すら今の東アジア人とは異なるようだが
先立つ秦代の兵馬俑の容貌は東アジア人にしか見えないがな

577 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:12:24.46 .net
 インド洋沿岸のI類弓
フィリピンから東へ向かっては,分布の希薄なインドシナ半島を跨ぐようにして,
インド洋東岸へI類弓の分布が広がる。

 インドネシアのメンタワイ族,スリランカのヴェッダ族などの弓が代表的なものである。
南太平洋の島嶼群と同様,180cm〜190cm台あるいはそれ以上の長さに達する
長大なI類弓が主体である。

 なお,アンダマン諸島のグレート・アンダマン族は,彼らの身長をはるかに越える,
180cm以上の長大な木製の弓を用いることで知られる(Brown1906)。

578 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:14:08.75 .net
 後藤守一は、弓幹の長さと形態によって弓を分類した(後藤 1928)。

弓のうち「長さ2m 位のもの」を長弓、「長さ1m 内外のもの」を短弓と称し、

弦をはずした時に弓幹がほぼまっすぐで、弦を張るとほぼ同じ曲率で曲がるものを直弓、
弓幹の中央が弦に向かって逆に反った弓字形になるものを彎弓と称した。

そして、多くの場合に長弓は直弓、彎弓は短弓であるとの見方を示している。

朝鮮半島南部では紀元前1世紀に,跨湖橋遺跡の弓に類似した漆塗り長大弓が出現する。

 朝鮮半島南端部では,日本の弥生時代に相当する原三国時代に,
原始和弓に匹敵する長大なI類弓が確認されている。

紀元前1世紀中頃の慶尚南道昌原市茶戸里1号木棺墓(国立中央博物館2012),
2世紀前半頃の金海良洞里21号木槨墓(図4–25・国立金海博物館2012)出土例である。

579 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:14:33.60 .net
 縄文時代の弓に長弓と短弓があることは、近年の発掘で明らかになってきた。

長弓の例として、莉内遺跡・寿能遺跡などの例があり、短弓の例として、
埼玉県伊奈氏屋敷跡遺跡例などがある。

 さらに小型弓と呼んでいる、発火弓、穿孔弓と考えられる木製品を確認されているが、
これは、仕掛け弓としても用いられたのかもしれない。
弓の全体形は上長下短で、握りの部分は弓幹の下よりにくるものが多い。

 縄文時代の丸木弓は、長弓が多い。
しかし、北海道忍路土場遺跡では、 1m 以下の短弓が大量に残っており、
縄文の弓は時期や地域毎に異なった姿があったらしい。

580 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:16:40.87 .net
>東南アジア周辺にすむ海の遊牧民で水深20mの海中を歩きながら漁をする。
それに脾臓が肥大化し10分近く潜水できると言うから驚く、一般人は2分ほど。

ミャンマーのモーケン族、
フィリピン、マレーシア、インドネシアの島々に暮らす先住民「バジャウ(Bajau)族」

そして沖縄の海人(うみんちゅ) 沖縄の方言で、本来はアマと読みます。
海に潜って貝類や海藻を採集したり追い込み漁を職業人という意味です。

581 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:17:32.74 .net
>このサイトの写真に有る弓の握りが倭人伝にある「上長下短の木弓」の位置で、

銅鐸の弓絵と同じ弥生人の握り。 現在も和弓では、この握り位置で射る。
4万年前からの縄文人祖先たちと同じ漁をするため海洋民の文化なんだろう。

ジャラワ人(ジャラワ族)とアンダマン人〜
Y染色体ハプログループD1a2bとオンガン語族〜
https://oreranitsuite.com/2023/09/16/jarawa/

第二次大戦時に英軍を追い出し日本軍に占領されたのも、何かの因縁だろな。

582 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:20:03.69 .net
>これらは東南アジア・スンダランドから主食の魚貝類が取れる波打ち際を北上し
東シナ海平原から九州島に上陸した。波打ち際は今では海中で遺跡が残らないので残念。

途中途中に丸木舟の刳り抜きよう丸ノミ形石斧の、原形を工夫し完成形へと磨かれた。
東南アジア諸島には丸木舟を作る丸ノミ形に似た円筒型石斧が使われてる。

そして沖縄方面に丸ノミ形石斧を持参し鹿児島から逆南下して行き、
台湾周辺からの北上グループと合流したんだろう3万年前ころに、
縄文人の航海能力には驚かされる。

583 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:20:29.26 .net
刃部磨製石斧・局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)とは、

石器全面ではなく刃部(刃先部分)のみに磨き(研磨)をかけた磨製石斧の1種である。
日本列島では約4〜3万年前の後期旧石器時代初頭に登場した。

>この石斧が日本全国から出土して世界最古と云われてる物がオーストラリアからも、
 ベトナムハノイ周辺では1.2万年前ころから出現するが全体的に新しく不思議。

中国、朝鮮では新石器時代(1万年前)からしか全面磨製石器が出て来ない。

584 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:22:11.55 .net
旧石器時代から局部磨製石斧とか
東アジアでは日本と時代は少し下るがベトナム周辺から発見さるから

ベトナムから香港がある珠江の上流、柳江がベトナム国境付近で
この一帯は百越人の活動範囲で縄文土器に似た紋様の土器などがある
前々からこの地域と縄文人、倭人たちと関係があるんではと思ってた地域で納得。

地元にある柳江人や越人像が今の日本人そっくりでビックリする
越人像
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A
柳江人
https://k.sina.cn/article_6419461847_17ea136d70010020ys.html


それに比べて日本の教科書にある弥生人モデルの朝鮮顔なのにはガッカリするけどな。

585 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:22:38.85 .net
越人ってこう言う風貌してたんだろな。まんま正座した日本人だけど。

越人像
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A

柳江人
https://k.sina.cn/article_6419461847_17ea136d70010020ys.html

586 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:25:13.19 .net
>この母系 ハプログループM7a (mtDNA) は

(約2万-1万年前)には沖縄(23%)で発見されており北海道アイヌ(16%)の
主体であるD系縄文人祖先と共に移動した家族と思われ、日本固有のDNAと云われてる。

起源
約4万年以上前に誕生したアジア最大の母系グループである「インドM」型から
分岐したM7よりのグループで、約2万5000年前に「スンダランド」で誕生し沿岸部を、
北上して東シナ海平原より日本列島(九州・沖縄2方面)に到達した系統にあたるとする。

なお母系 M7aの姉妹グループは何れも東南アジア方面で
「M7b」は中国南部内陸へ移動し分布を広げ、
「M7c」はフィリピン、インドネシアなど島嶼部に分布を広げた。

587 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:25:44.15 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

588 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:25:46.93 .net
「ホアビン文化」
東南アジアの中石器または新石器時代初期の文化。
1920年代にフランスの考古学者 M.コラニが
ベトナム北部のホアビン地方の洞窟遺跡で発見した石器類によって命名。
インドシナ,タイ,マレー,スマトラなどに分布する。礫器,握斧,スクレーパー,
短石斧などがあり,片面加工のものが多い。のちになると(局部磨製)の石斧が増し,
バクソンとの関係が考えられる土器はない。

「バクソン文化」
ベトナム北部,ハノイ北東約100kmに位置するバクソンBac Son山地の,
多数の石灰岩洞窟遺跡から発見された遺物を指標とする文化。
1920年代にH.マンシュイやM.コラニらによって調査され,中石器時代または
新石器時代初期の文化とされる。打製の礫器などはホアビン文化と類似するが,
(局部磨製石斧)や両面加工のものが,ホアビンに比して多いのが特徴である。
ほかに骨角器や,それを砥いだと思われる溝石などがある。

589 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:27:33.56 .net
>どうも東南アジアの中石器時代遺跡には、
局部磨製石斧・刃部磨製石器石器の刃部を研ぐ溝石、不定形の剥片石器など、

日本と共通する丸ノミ形石斧と類似の円筒石斧が特に海岸沿いの遺跡から発見される。
恐らく丸木舟つくりの刳り抜き道具なんだろう。 丸木舟は波打ち際でしか作れない。


栫ノ原型丸ノミ形石斧は、
後の時代のものではあるが、フィリピンやグアムなど東南アジアから、
太平洋の島々に分布する円筒石斧と呼ばれる丸木舟製作の石製工具にも酷似する。

590 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:28:00.88 .net
 東南アジアから太平洋の島々に分布する島嶼には円筒石斧というのが見つかる。
「ボルネオ島の磨製石斧−円筒石斧から方角石斧への一考察−」

ブルネイの周辺、ニア洞窟同6000年から4000年円筒形石斧が見つかった
そしてパプア系は円筒石斧、後来のオーストロネシア系は方角石斧や

つまり、円筒石斧とパプア諸語、有肩石斧とオーストロアジア語族、
方角石斧とオーストロネシア語族という具合である。

591 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:29:17.44 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

592 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:29:40.83 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

593 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:29:49.55 .net
>倭人伝に魏の使節が見た!!

倭人の風貌は直感的に海南島に住む民族と似てると感じた。

兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與儋耳朱崖同
「兵は、矛、盾、木弓を用ひる。木弓は下を短かく、上を長くす。

竹箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃なり。有無する所は儋耳珠崖と同じくす。」

「儋耳珠崖」とは黎族・リー族が住む海南島、チベット語系、チワン・トン語派
前漢が南越国を滅ぼし紀元前110年(元封元年)、海南島に珠轟Sと儋耳郡が置かれた。


>中国漢代の史書論衡にあり、周の成王の時代(紀元前1000年頃)に
「越裳(ベトナムあたり)からは白いキジを献じ、倭人は鬯草(ちょうそう)を献じた」
 と記されています。鬯草とは神事に使う香草です。

594 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:30:04.25 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

595 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:30:18.44 .net
「 彼らはラピタ土器文化を持っていたから入植があれば日本にもラピタ土器が伝わってる
 ラピタ土器は台湾あたりの南支那の印文陶と酷似し、彼らのルーツを物語る 」


>ラピタ土器ではないが、中国南部、百越の土器や縄文土器、押形文土器に似た、
>エクアドルのバルディビア土器そっくりな、土器が宮崎県から発見されてる。

太平洋岸に面した宮崎市で、南米エクアドルのバルディビア土器とそっくりの
文様を持つ縄文土器群が発見されていた。
http://www.gondo.com/cnn/news/031005-1.htm

宮崎市跡江貝塚遺跡は、公式には1万2000年前から7000年前の物とされているが、
発見者の日高氏によるとアカホヤ層(喜界島噴火による火山灰層)の直下まで、
土器が埋まっている事から、約6300年前の喜界島大噴火まで続いた土器文明であると言う。
この遺跡からは、なんと24種類もの文様の土器が発見されており、
文様の豊富さでは、九州随一だと言う。

596 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:30:35.20 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

597 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:30:58.41 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

598 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:31:44.47 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

599 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:32:05.25 .net
アイヌの弓矢文化が、短弓(1mほど)で毒矢をもつのに対し、
倭人の弓矢が、長弓(1.8mほど)で毒矢を用いないことなど、
弓矢、については、文化の系統が異なるようにみえる。

毒矢文化を、アイヌ祖先集団に伝えたのは挹婁(ゆうろう)族であろう。」
(『毒矢の文化』紀伊國屋書店、1962。『毒薬』毎日新聞社、1965年刊)

『後漢書』や『三国志』の挹婁伝(ゆうろうでん)には、つぎのように記されている。
「弓の長さ四尺(約96センチ)。」(『後漢書』『三国志』同文)
「矢には毒をほどこし、人にあたればみな死ぬ。」(この文は、『三国志』による。

『後漢書』は、「鏃(やじり)には、みな毒をほどこし、人にあたれば、即死する。」
挹婁(ゆうろう)は、「いにしえの粛慎(しゅくしん)」とされている民族で、
ツングース族の一種である。中国東北地方(旧満州)東部に住んでいた。

600 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:32:25.20 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

601 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:32:47.69 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

602 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:33:12.60 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

603 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:33:50.40 .net
>>572
またか馬鹿チンコロ(嘲笑

それは上層からの印文陶のレプリカのコンタミだと前も言っただろ

平安から鎌倉期の日宋貿易時代に印文陶のレプリカがたくさん輸入されたため、
平安から鎌倉期の地層からよく出土する

本物ならとっくの昔に考古学専攻学者論文になっとるだろがカス(嘲笑



>>573
もちろん朝鮮無文土器の黒色磨硏土器からの影響土器

九州北部の黒色磨硏土器の弥生土器を通じて取り入れたんだろうな

604 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:34:07.20 .net
https://i.imgur.com/pv8teSf.jpeg

605 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:35:19.68 .net
>三足土器がなけりゃ論は無意味って事だな。
 100 万個も三足土器が拡散なんてあり得ない妄想ファンタジーだからよ。


>三足土器がなけりゃ移住・移民した証拠にならんと言うのなら、

紀元前2000年ごろ〜紀元前500年ころ。
中国の古典書籍によると、紀元前十六世紀の「夏王朝」時代、人口約1.355万人。

夏王朝時代の人口は約1.355万人
殷王朝時代の人口は約1.300万人
周王朝時代の人口として1.300万人、
春秋戦国時代の総人口は2.000万人程度
戦国時代の人口は2.000万人説

100年一世代として15世代。 1300万人台が10世代、2000万人台が5世代、
プラスすると1億3000万人+1億人=2億3000万人
紀元前2000年ごろ〜紀元前500年ころまでの歴史的世代交代人口は約2億3000万人。

606 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:35:41.39 .net
>99%って事は殆んどの人達は知らないし、後世の考古学者だけが知ってる遺物だから。

● 仮定で一世帯10人家族、三足土器を100年で3個消費するとして
 2億3000万人、2300万世帯=7000万個の土器が必要になる、
 壊れた物も入れると仮の計算上1億 個は有った事になる。実態は1000個もない。

中国国内では古代数千年の間に、何 億 人と家族・集団の移住・移民が有ったはずで、
それなら、三足土器も何 億 個と拡散してたはずだが、
そんなに数多くの土器が遺跡から出土したかへ? 数百個くらいなら有るかもだが?

1 億 個あったと仮定して1 %の人達が持ってたなら 100 万個は出土するはずだが?
実態は1000個もない。 仮に、100 万個の三足土器が出土したとしても、
結果、99 %の人達は、三足土器などとは無縁で見た事もない生活をしてたって事になる。

607 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:37:20.24 .net
.



大分県日出地区の薬師遺跡では縄文時代後・晩期、黒色磨研の三万田式土器とともに、

印文陶(中国南東沿岸地域における新石器時代〜漢代)破片が出土している。



.

608 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:37:42.84 .net
黒色磨研の三万田式土器

三万田式土器と云えば縄文土器の文様を磨消し技法で、
無文に寄せていった土器で後の弥生土器の前段階、

それと黒色磨研とは中原の黒陶を意識した技法て事は、
中原の流行り情報を入手してたんだな、結構細かく行き来してたんだろ。
縄文時代のけつ状耳飾りや管玉作りからか。

609 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:38:47.13 .net
原始和弓の起源 2015年『日本考古学』
http://fieldnote.info/page-1424/page-1557/

原始和弓が属する丸木弓系単一素材弓は,太平洋・インド洋沿岸の湿潤な樹林帯に多い。
とくに,太平洋周辺の長大な弓の分布は,オーストロネシア語族の拡散域と
非常によく重なるので,その拡散には彼らが強く関与していたとみられる。


源郷とされる中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡からは,初期のイネやブタ,
跨湖橋遺跡は稲作開始期の集落で,家畜化初期段階のブタ,丸木舟などが共伴している。

丸木舟とともに,世界最古の漆塗りの丸木弓が出土しており,
原始和弓も含めた太平洋型長大弓の共通の祖形ではないかと考えられる。

東シナ海、杭州湾を臨む浙江省跨湖橋遺跡から,新石器時代(紀元前5000〜6000年頃)
のI類漆塗り丸木弓が出土している(図4–26・浙江省文物考古研究所2004)。
一般的な弓のプロポーションから復元すると180cm前後の長大な弓であった可能性がある。

610 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:46:13.03 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑

漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ

鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

611 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:49:23.33 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑

漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ

鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

612 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:49:44.37 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑

漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ

鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

613 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:50:30.26 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑

漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ

鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

614 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 21:51:56.48 .net
>>605-606
個人的妄想乙、馬鹿チンコロ(嘲笑

漢代以前の遺跡なら過半数の遺構で鼎は出土してるぞ

鼎がない遺構は代わりに鬲や竈があったり、鼎の脚の残骸や脚の痕跡のある鼎の
残骸が出土している

615 :日本@名無史さん:2024/04/16(火) 22:01:52.82 .net
遺伝学はルート探査にはほとんど使えない

例えば、九州1000体、西日本1000体、東日本1000体、北海道1000体というように全世界を500kmごとの間隔で1000体分のデータを現代から38000年前まで1000年ずつ過去にスライドしていくデータでもあれば信憑性もあるだろう

だが現代人100体分ほどのデータと数千〜数万年前の数体分のデータだけ、それも全世界のほんの一部だけで、全世界のほとんどの地域が現代人だけのデータだけという程度のものに一体何の信憑性があるというのか?

実際は現代から過去1000年以内のデータで99.9%以上のスッカスカでスッカスカのさっぱりデータに
なってないシロモノで日々逞しく妄想を膨らませているだけの、どこまでも空想の域を出ない単なる虚学のファンタジーなのである

616 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 06:31:27.75 .net
遺伝学の登場で自説が吹き飛んだんだろうなぁw

617 :紀州人:2024/04/17(水) 06:36:05.23 .net
日本列島にやって来た人類が、叡智を授かった。
そして、日本列島から他所に移住したりした集団が文明を起こした。
そんなファンタジーモドキを信じる人は居るんかな?

618 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 12:15:47.34 .net
>>605-609
ほれ、呉の太伯が使っていた呉のあった長江下流域から出土した三本足の
生えた不思議すぎる炊飯器(嘲笑













長江下流域で出土した土器(南京博物館)

http://ak-d.tripcdn.com/images/1mi6e2234a3vvhy5c133F_W_400_0_R5_Q90.jpg?proc=source/trip












.

619 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 12:16:46.88 .net
>>605-609
ほれ、越と燕の遺構から出土した 平皿 や三本足の生えた不思議な炊飯器(嘲笑








越の遺構から出土した土器(浙江省)


https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/6/b/340h/img_6b1b6d2d9509792e3206996e6b83d4453254553.jpg

https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/c/5/-/img_c57c3fd880b83154569f4658709923253243747.jpg


燕の遺構から出土した土器(河北省博物館)


https://stat.ameba.jp/user_images/20230722/20/xuzhoumeso/4c/e2/j/o0500037415315589804.jpg








.

620 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 12:17:39.60 .net
>>605-609
ほれ、山東省の漢代の遺構から出土した三本足の生えたユニークすぎる炊飯器(嘲笑














http://j.people.com.cn/NMediaFile/2021/0415/FOREIGN202104151415000595907897828.jpg













.

621 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 12:24:27.92 .net
>>617
縄文文明がシュメール文明だとDNAで明らかになってなかったか?

622 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 12:33:36.84 .net
ムウ・ラ・フラガ

623 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 12:36:37.69 .net
天動説

624 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 12:39:42.89 .net
濊と貊 は

虎と熊が濊族と貊族によって崇拝されていたトーテムであった可能性があることを示唆しています
貊は高句麗のことで、高句麗人はダウール人です
韓国人は将軍漂という石や木のトーテムポールを持ちますがこれは朝鮮人がつくったものです


デマが大量に拡散されてます 内モンゴルの中華人民共和国のエベンキ族は
ロシアのマトリョーシカにも似てるアジア系であり、馬やラクダに乗る民族です
奇妙なトーテムポールはモンゴル草原にはありません

心あたりのブロガーは削除してください

625 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 13:04:40.95 .net
ツングースがトーテムポールを知らないという事実自体は
それで一つの重要な事柄です

626 :紀州人:2024/04/17(水) 13:12:56.26 .net
>>621
そんなんもあったよね。
竹内文書とか、富士宮文書の様に日本列島から文明が発祥した話もまんざらファンタジーやないかも知れんね。
太陽信仰や北極星信仰は縄文人由来かも知れんし。

627 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 13:18:53.77 .net


628 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 14:37:44.24 .net
>>621
紀州人氏は優しい人だから可能性を少しでも考えて否定的な断言をしないが、俺から言わせると
・日本列島から伏羲が出たとする内容
・縄文文明がシュメール人によってもたらされたとする内容
どちらも都市伝説として楽しむものだよ
前者は文献中での共通点を洪水型神話主体で括り付けて解説される部分がエンタメとして確立されたのであり、
後者はそもそも整合性をどこで取ってるの?っていう疑問
もしかしてハプロDEみたいな理由だから?

629 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 15:09:22.62 .net
>>628
全然考え方が違うよ
日本からメソポタミア地方に行ってるんだよ
そもそも昔は国という概念は無いから鬼界カルデラ地震の影響で大陸に渡って行ってる

630 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 15:28:01.36 .net
小麦作はメソポタミアから小麦作渡来民が来たのか?

ソバ作はソバ作渡来民が来たのか?

ダイコン作はダイコン作渡来民が来たのか?

モモ作はモモ作渡来民が来たのか?

何が稲作渡来民だよ

超ウケるwwwwwwwwww

631 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 15:41:10.52 .net
>>629
それは論拠はあるのか?
学術的なソースは?研究が未開だからってのは根拠が無い理由にならないぞ
ここは化学的アプローチから強力に関連性を示唆する考古遺伝学を主題に語るスレだし、
それに準じる位の正確さがある情報強度で語ってくれ

632 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 16:04:24.61 .net
>>631
>>621
はい

633 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 16:11:45.60 .net
>>632
だからソース出せよ、日本語わかる?

634 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 16:13:06.49 .net
最古稲作遺構の菜畑遺跡には渡来人が入植した痕跡がない

青森の砂沢遺跡では前7C頃の水田遺構で中部地方や関東地方よりも
先に稲作が始まっていた

搬入された遠賀川式土器が数点見つかっているが九州北部から
入植した生活痕遺構がないため、九州北部との交流を通じて稲作を
取り入れて自ら稲作を始めたものと見られる

けっきょく菜畑遺跡もこれと同じ

交流していた朝鮮南部から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから外来人の入植痕跡がない

朝鮮半島の稲作も同じだろう

交流していた遼東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから外来人の入植痕遺構がない

遼東半島の稲作も同じだろう

交流していた山東半島から稲作を取り入れて自ら稲作を始めただけの話

だから中国から入植した事を意味する中国土器遺構がない

稲作渡来民なんて幻想

そんなものは存在しない

635 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 16:13:25.90 .net
>>633
自分で探せば?

636 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 16:27:43.77 .net
>>635
やっぱ存在しなかったか、デマなんだね解ってたよ

論拠はハプロDEのY染色体アル多型、Y染色体上に現れる単なるトランスポゾンの特徴のみで、
そこを具体的に否定される形で言及されるのは、キミ達のような思想家・思想団体にはあまりにも痛いんだろう
古代イスラエル人はコーカソイドです
ユダヤ人が日本から特定の集団をイスラエルに誘致しているなら本物なんだがな
とりあえず主成分で語ってくれ

まったく遺伝的共通性はありませんね、はいありがとうございました

637 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 17:12:13.32 .net
>>636
あなたの言う古代イスラエル人?その人達はどこから来たんだよ?
たかだか約2500年前の人達だよな?
そこ言わないと話にならないんだが??

638 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 17:41:28.42 .net
>2023/09/05(火) 17:06:20.76
>同じ中華由来のモンゴロイドでほとんどゲノムに差がないのに違う人種とか
>笑わせるねネトウヨくん
>中央蒙古人種笑
>そんな言葉はないw
>おまえが朝鮮人より頭悪いってことだけはわかる





アー タノシーデスネー ホオボネコツコツピピンパロイドwwww









http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/asia.jpg








.

639 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 18:05:27.67 .net
>>637
それ本来キミ達がツッコまれる内容だよね
鬼界カルデラでメソポタミアに移住したとするなら、なぜその周辺でDが見つかっていないのか説明してくれ
中東周辺には数万年前からコーカソイドしかいないのは明白
そして考古~現代遺伝学が示唆するものは、メソポタミア文明は明らかにモンゴロイドのものではないという事
心配しなくても縄文人には縄文人しかない主体性があるんだから、わざわざ変なコンプレックスに偏る意味はない
それに彼らに失礼だ

必要ならあちらの遺伝的論拠を提示しても良いが、見付かるものに縄文人の気配は存在しないと思うぜ

640 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 18:06:05.05 .net
訂正 偏る→拘る

641 :紀州人:2024/04/17(水) 18:33:11.21 .net
オレが優しい?
照れるで(⁠〃゚⁠3゚⁠〃⁠)
ただ、どうやって渡ったのかはハッキリしないけど、メキシコから縄文土器が出土したとか、イースター島のモアイに神代文字が彫られていた話が有るよな。
インカやアンデス等の南米文明にも縄文人が関わっていたなんて噂もある。
シュメール王国やエラム王国から天孫族がやって来たって都市伝説もある訳やし、全部繋げたら旧石器時代に日本列島にやって来たサピエンスがそのまま定住せずに更に東へ移動したのかも知れないって思っとる。
人類最古の磨製石器を造った岩宿人は、日本に留まったのかね?

642 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 18:35:21.39 .net
シュメール文明と縄文文明の類似点(縄文文明のほうが古い)

言語
菊花紋章
神話

643 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 18:47:56.04 .net
日ユ同祖論は間違いじゃないと思うけどね
その辺はこれから明らかになるんだろうな

644 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 19:02:47.44 .net
世界の文明の発祥の条件は全て同じ、山の東側斜面、朝日を受けるところからはじまる

1番最初に出てくる太陽は日本からで時差は大陸に向かいだんだん遅れていく
ヨーロッパだと7時間8時間遅れているアメリカだと約12時間

まず初めに事を起こす文明を起こすのはどこですか?
日本と考えるのが自然ですよね

645 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 19:13:33.77 .net
>>636
古代イスラエル人はコーカソイド?
12氏族のDNAのソース出してよ

646 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 20:03:10.80 .net
もうみんなシベリアのことは考えなくていい
今シベリアに生まれている人は、岩から石に花や植物に
生まれ虫や昆虫になり動物になる、人間になる前の。魂の段階の者たちだと
インスピレーションが降りて来ました 
日本に生まれてる人はもっと神に近い人たちです

647 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 20:10:13.52 .net
アムーンダラ
シベリアが人種のるつぼたったことは明らかになってる
オーストラロイド以外の人類が例外なく
北回りを取ったのには理由があるはずだ

648 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 21:00:42.13 .net
55000年くらい前にレヴァントあたりで被服と台形様石器と石刃技法が開発されて
北方の大型獣を食料にする事が可能になったから

649 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 21:03:44.58 .net
http://i.imgur.com/3TCgKzC.png
http://i.imgur.com/tmrsKS4.jpeg
>嘘をつくな!



↑中卒ダマシの頻度詐欺を働く中共 五毛党 日本侵略部隊(嘲笑 

南支那から入植した考古痕跡も北上した考古痕跡も一切ない

例えばYのハプロDは起源地のアフリカではほぼ0%

一方、その地球の裏側の日本列島では3割強 

頻度は常に変化しているので、 頻度が高いからといって、そこが起源地だとは限らず、
存在しないからといって、そこが起源地ではないとは限らない

同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が分かるのみで、
頻度が高いところから低いところに移動したとは限らないし、その遺伝子が
存在しなくても同じ祖先を共有していないとは限らない

遺伝子の頻度が起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左

親株、子株もそうだ

起源地で親株が消滅して子株だけになり、遠方では親株しかなかった場合、
遠方の方が起源地に見えてしまう

親株、子株も起源地探査やルート探査には全く使えない事の証左

遺伝学で分かる事は、同じ遺伝子が存在すれば同じ祖先を100%共有している事が
分かるという事のみで、それ以上の事はほとんど何も分からないのである

650 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 21:08:51.43 .net
遺伝学に人生否定された哀れなおっさん

651 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 21:14:34.75 .net
>>650
逆だろ

考古学に人生否定された哀れなおっさんのおまえ(ウルトラ嘲笑

652 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 21:53:36.62 .net
>中国石棚墓、済州島式支石墓、でよく似た板囲石式支石墓があった。
これで中国浙江省→済州島→九州西北部・半島西南部への可能性が出て来た。


済州島 済州龍潭竜洞4号支石墓(板 囲石式支石墓・石小屋墓)
https://www.sankei.com/article/20150807-ILYVOUMCJNKNFBP7CN3FQSAOTE/

済州島にも支石墓があるが、ここの支石墓は変わっている。墓は地上に造られていて、
板石を楕円形に立て並べた形は卓子形に通じないこともないが、印象はまったく異なる。

これとそっくりの支石墓を、実に意外なところで見た。(記者談)

「中国浙江省瑞安」には、不思議なことに支石墓(石棚墓)が集中している。
しかも、済州島の板 囲石式支石墓に酷似していた。

653 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 21:53:58.15 .net
囲石式支石墓 (済州式支石墓)
済州式と呼ばれる囲石式支石墓は埋葬主体部が地上に露出しているが、
数枚の板石が上石の下端に沿って立てられた形態を呈する。
地上に立てられた板石の数が6枚以上で、大部分楕円形や方形に近い埋葬主体部
をなすことが特徴的である。代表的なものとして、済州龍潭竜洞4号支石墓が挙げられ、

654 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 21:54:32.90 .net
類似する形態のものは「中国浙江省瑞安地域」でも見られる。

浙南石棚墓群(板 囲石式支石墓・石小屋墓)
https://www.zj.gov.cn/art/2020/12/3/art_1229441734_133.html

済州島の囲石式支石墓 (済州式支石墓)と比べると、
板囲い石が散らばってて印象が違うが造営時にはキチンと板石が並べられてたんだろう。

655 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 21:55:08.68 .net
長崎県の支石墓群(縄文時代晩期から弥生時代中期)
http://www.nagasaki-maibun.jp/news3/news2.cgi?mode=view&no=479
http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/archives/16243649.html

◎ 原山(はらやま)支石墓 《長崎県南島原市》
 島原半島西南部の標高240〜250m前後に立地している支石墓群です。
支石墓群は大きく3群にわかれ、合計100基近く存在しており、
わが国最大規模の支石墓群として国指定史跡に指定されています。
支石墓の下部構造は、石棺が90%程度を占め、ほかには石囲甕棺(いしがこいかめかん)、
土壙甕棺(どこうかめかん)、土壙(どこう)などが確認されています。

◎ 大野台(おおのだい)支石墓 《長崎県佐世保市》
 江迎(えむかえ)川河口を望む標高50〜65mの丘陵に立地する支石墓です。
5箇所に支石墓群が確認されており、長崎県北地域では最大規模の支石墓群です。
支石墓の下部構造は箱式石棺(はこしきせっかん)が主となっています。

656 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 22:05:01.12 .net
済州島 『三国志』『後漢書』「州胡」
耽羅(たんら)、耽牟羅(たむら)、屯羅(とんら)とも表記される。

耽羅の前身である州胡の人は言語が韓と異なり、背が低く、
鮮卑(匈奴あるいは烏桓も含む)のように髪を剃った弁髪の風習を持ち、
上半身に革の衣を着たが下が覆われず裸に近い。
牛と猪を飼い、船で往来して韓と交易した。
これは当時の韓の風俗として記されるものと大きく異なっている。

屯(たむろ)「屯する」 耽牟羅(たむら)
? 仲間や同じ職業の人々などが寄り集まっていること。 また、その集団・場所。

日本に来た耽羅国の使者としては、「阿波伎あわき」「姑如こにょ」「椽磨てま・たま」
「久麻伎くまき」、「都羅とら」、「宇麻うま」等の名が知られている。

657 :日本@名無史さん:2024/04/17(水) 22:05:10.89 .net
>>652
中国から日本に来てるよ
でもそれは日本から出てスサノオはエジプト月読(秦氏)がインドで中国経由で戻ってきてる

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