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【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21
- 1 :日本@名無史さん:2024/04/12(金) 06:09:40.73 .net
- 前
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1711303319/
- 661 :日本@名無史さん:2024/04/18(木) 00:14:20.18 .net
- > 5000年前から稲作は行われていた!!
岡山県古代吉備文化財センター 変化する縄文時代観 更新日:2019年10月15日更新
https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/636561.html
前者については、今から10年前に報告書が刊行された岡山県南部の総社市南溝手遺跡
の調査成果がまず挙げられる。ここでは縄文時代後期後葉(約3500年前)の
土器の器面に籾の痕跡が残る土器(籾痕土器)が発見され、大きな話題を呼んだ。
ほぼ同時期の籾痕土器は、倉敷市福田貝塚などからも出土している。
この籾痕土器のほかに、コメが作られていたことを示す証拠にはプラント・オパール
がある。プラント・オパールは、コメやススキなどのイネ科植物の葉の細胞にできる
植物珪酸体とよばれる、ガラス質細胞のことである。
プラント・オパールは植物が枯れた後も半永久的に土壌に残るため、
コメが存在していたかどうかを調べるためによく用いられる試料である。
このプラント・オパールは800℃の熱にも耐えて残るため、
- 662 :日本@名無史さん:2024/04/18(木) 00:17:12.71 .net
- 土器の胎土中から検出されたイネのプラント・オパールについては、
後世の混入の心配がなく、信頼性の高い資料である。最古のものとしては、
美甘村姫笹原遺跡の縄文時代中期中葉(約5000年前)の事例があり、このほかに
縄文時代後期中葉(約4000年前)の岡山市津島岡大遺跡例と南溝手遺跡例がある。
以上の証拠から、縄文時代にコメが存在したことは確実視されており、
イネの栽培が行われていたことも多くの研究者によって指摘がなされている。
ただし、イネの栽培が行われていたといっても、
これまでの生業形態に新たに稲作が加わった程度であり、
稲作が生業全体の基本に位置づけられる弥生時代とは
区別して考える意見が大勢を占めている。
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