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邪馬台国畿内説 Part1016
- 669 :日本@名無史さん:2024/04/25(木) 19:33:07.81 .net
- 帥升は伊都国王であり、朝鮮半島の金官・釜山あたりから対馬海峡を経て北部九州の玄界灘沿岸あたり(当時の中国が「倭」と呼んだ地域)に勢力を持ち、原の辻三雲貿易を押えて倭国王的な立場にあったろう
魏志倭人伝で倭国乱の前に70~80年続いたとされる男王の時代は帥升から始まった可能性が高いと考える
この伊都国王=倭国男王達が代々専制的な権力を振るったことに北部九州の他の諸国が反発して倭国乱が起き、その収拾のために伊都国王の血筋ではなく、軍事的・外交的ヘゲモニーを行使する恐れもない若年の巫女(しかし血統は良くカリスマ性高い)を新たな倭国王として共立したと考える
この巫女女王(個人名は不明だが尊称のヒメミコ=卑弥呼と魏志倭人伝に記載)は山門(邪馬台国)に所在したと考えられる
邪馬台国は戸数や距離(日数)が倭人からの伝聞で誇張されて魏志倭人伝に記載されたが、実態はおそらく軍事大国でも経済大国でもなく、各国の協調のバランスの上に卑弥呼の政権は立っていたのだろう
(現代のEU本部がEUの中で大国ではないベルギーのブリュッセルにあるようなもの)
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