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【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart22

1 :日本@名無史さん:2024/04/24(水) 15:32:23.77 .net
前スレ

【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart21

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1712869780/

979 :日本@名無史さん:2024/05/05(日) 15:51:38.94 .net
歯が語るアイヌの先住性
https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem1721.pdf

>アジア全体を見てみると、シャベル型切歯を持っている人は、北東アジア人では大体90%前後です。それから、弥生時代以降の和人は90%前後。縄文人とアイヌは70%弱です。大陸部の東南アジア人、タイとかベトナムとかマレーシアなどの人も縄文人に近い値です。スマトラとかインドネシアとか島しょ部の東南アジア人は、さらにシャベル型切歯が少なくなっています。アイヌと縄文人というのは、どちらかというと南の特徴をもち、渡来系弥生人は北東アジア人的な特徴があります。

骨から探るオホーツク人の生活とルーツ
http://hdl.handle.net/2115/48123

>これらの計測値をアイヌ人、縄文人、弥生人、現代日本人などの集団と比較すると、サンプル数に問題があるものの、多くの項目で小さい値を示している。つまりオホーツク人の歯は小さく、大きな顎骨に小さい歯を有していたことになる。

>そこでシャベル型について両遺跡資料を合わせて算出すると、その出現頻度は約64%になる。この値は、日本の他集団(Mastumura,2000)と比べると、やや低いグループに属する。カラベリ結節の出現頻度は、前掲の資料と比較すると低頻度のアイヌ人や縄文人のグループに近い値である。

>オホーツク人の歯に見られるこれらの特徴をまとめると、歯は全体的に小さく安耗の進んだ、かつ傾斜した咬耗面をもつ個体が多いこと、また上顎中切歯にはシャベル型が、下顎第一大臼歯には屈曲隆線が発達している。モヨロと浜中の両遺跡の間に若干の頻度の相違もあるが、全体としては共通した特徴をもつ。

>歯が小さいという特徴は咀嚼機能としては負の側面をもつと考えられる。このことは、オホーツク人の起源が小さい歯をもつ集団から由来したこと、その後に二次的に咀嚼筋が発達し、大きな顎と小さい歯の組み合わせをもつようになったと考えるのが合理的である。オホーツク人の咬合力が強大であったことは、顎骨の筋の付着部が発達するとともに、力の負荷のかかる部位に骨隆起が多く見られること、また歯の根尖部分の入る歯槽骨が吸収され穴の開いている例が多いことからも推測される。


【シャベル型切歯】
・縄文人、アイヌ(70%弱)
・北東アジア人、和人(90%前後)
・オホーツク人(約64%)

980 :日本@名無史さん:2024/05/05(日) 15:51:56.50 .net
日本人の顔(3) 歯の人類学的研究
https://ameblo.jp/dr-hirokon/entry-10744505527.html

歯は、人体の硬組織(骨、歯、爪、毛髪)のうち最も硬く、腐敗その他物理的化学的変化に対して最も抵抗性が強いので発掘時にほぼ完全な形で出土してくるので、考古学上でも歯の研究はとても進んだ学問になっています。前々回にやった縄文顔と弥生顔で顕著に表れるのが実は歯の形なんです。1989年クリスティー・ターナー米アリゾナ州立大教授は「アジア人の歯のタイプにより、大きく2つのグループに分けられる」と発表しました。1つは日本人や中国人など北東アジア人で、上顎切歯(上あごの一番前の歯)にシャベル状のくぼむなど複雑な形態をしており、このような歯を「シノドント」と呼んでいます。またもう一つのグループは東南アジアの人々で、切歯のシャベル状のくぼみが弱く、インドネシアなどの島々は氷河期には一つの大きな大陸スンダランドとなっていたから「スンダドント」と呼ばれています。

しかし、このような単純な日本人二重構造説のターナーの仮説に疑問を示したグループも現れました。それが松村博文・札幌医科大学准教授の説で、「縄文人は必ずしも東南アジアからの人々だけでなく早い時期に北方からの影響を受けていたのではないか?」という説です。実はさきほどのシャベル状の歯の出現頻度を調べていくと、弥生以降の関東人は90%、縄文人・アイヌは70%、その頃の東南アジア人で40%でありました。そこで「これまで縄文人のルーツといわれてきた島嶼部の現代東南アジア人の歯は、縄文人とひらきがある。」と指摘されました。

すると当然縄文期にも北東アジア人との混血が日本列島で進んでいたことになります。つまり縄文顔と呼んでいたものはすでに縄文時代には混血がすすみ、今の日本人に近い顔立ちになっていたと考えられます。

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