2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

邪馬台国畿内説 Part1017

219 :日本@名無史さん:2024/04/27(土) 16:20:15.17 .net
土器や前方後円墳など文化や宗教の伝播に過度に政治的意味合いを持たせる古い畿内自生説的見解には、考古学界でも近年急速に見直しが入っている

松木武彦は「古墳とはなにか」の中で、前方後円墳に過度な政治的意味合いを持たせた従来型の畿内説をやんわりと批判する(白石太一郎など考古学界の重鎮への批判になるので筆致は遠慮がち)

「だから、今日の古墳研究の主流のように、墳丘の形と規模とを相当に厳密な政治的身分の表示と解釈し、そこから畿内勢力と各地域との政治的関係やその変化をよみとって古墳時代史を叙述していく手法には、すこし行きすぎたところがあるのではないかと筆者は考えている」

「墳丘の形や規模を畿内との政治的関係の表示とみる方法論の原則を首尾一貫させるのであれば、六世紀末から七世紀にかけての関東の長たちは、畿内の長たちよりも政治的に上位にあったと解釈しなければならない。もし、文献史料がまったくなかったとしたら、七世紀には列島の政治的中心が畿内から関東へと移った、と考えられたにちがいない。もちろん、そんなことは実際にはなかった。おそらく、大きな前方後円墳を築くことの意味そのものが、畿内では早くから低くみられるようになっていたのに対し、関東では依然として重んじられていたと理解するのが妥当だろう」

総レス数 1001
435 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200