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【戦前】 旧制の学制について 【教育】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 23:42:09 ID:XkX3kRu60.net
1

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 23:07:58.48 ID:K0jn6VAV0.net
>>141
教養高専なら旧制高校の復活になるから大学関係者にもうけいれられやすかったはずなのだけどなあ。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/27(月) 13:05:54.18 ID:azed/bBG0.net
>>142
産業士官学校って、もろフランスのエコール・ポリテクニークだな。
日本に作って東大の理系以上の成果をあげることができるかな。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 19:20:16.97 ID:UvssgHwv0.net
東工大に千葉大のデザイン学科をくっつけていたらあげれたかも

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 21:31:55.01 ID:72W9c5BI0.net
>>146
九州芸術工科大学ってそれ狙ったんだが駄目だったね。
田舎につくるのが無理があった。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 22:29:56.23 ID:AoCiORr00.net
東大が9月入学になるようだ。大正時代まで帝大は秋入学だった。
少しづつ旧制にもどりつつあるのかな。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 23:04:56.93 ID:WkFKvtRE0.net
「若者の高学歴化、就職にはつながらず」労働経済白書
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E2E5E2E1858DE2EAE2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
細川律夫厚生労働相は8日の閣議に2011年版「労働経済の分析(労働経済白書)」を提出した。
大学進学率が1990年以降20年で急速に上昇する一方、教える内容が社会のニーズに合ってい
ないと分析し、若者の高学歴化が必ずしも就職につながっていないと指摘した。卒業しても仕事
がない若者を減らすには、大学の就職支援や、学生に教える内容の再検討が必要だと強調した。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 23:08:05.92 ID:bIJ1W/Hb0.net
大学進学する必要のない人間が進学したからこうなっただけ
中学レベルの英数国がまともにできない奴は大学に行く資格なし

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 13:26:55.17 ID:YYFvnkTx0.net
大卒を技能職(工員)として採用するルートを作ればよい。
無理にホワイトカラーにこだわって派遣になるよりよい。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 23:51:17.57 ID:kmZB5I9E0.net
大学進学する必要のない学力の人間が多すぎるんだよ
経済学部なのに中学レベルの数学ができないとか話にならんのよ
経済学部なら入試に数学を必須にすべきだろう
数学がわからなくて経済学はわかるわけがない

工業高校や商業高校をトップクラスの成績で卒業して就職した人間の方が、底辺大学の文系卒より即戦力で使えるのは企業も良く分かっているので、そのようなルートは用意しない
大卒で給料は高く払わないといけない上に仕事では使えない人間を正社員として雇うほど企業はお人よしではないよ

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 01:22:37.24 ID:dFGKWhLE0.net
20前後のペーパーテストの出来(入試・公務員試験 etc.)が、
そいつの能力とただちに比例するわけじゃないのは、
ほんのちょっとでも実務に関わったやつなら、言うまでもないことだと思うんだが、
しんどいんだよね、ほかの評価基準導入するの。
ペーパーテストの成績って、一応公平だし数字で出るし。

ま、実務経験したあと、学校に行くのがハンディキャップにならないようにするだけで、
随分かわりそうな気はするけど。

底辺校の名ばかり学士も馬鹿げてるとは確かに思う。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 06:43:38.70 ID:1Fx9I/pk0.net
>>152-153

80年代くらいまでは大手証券会社とかでも高卒の役員は普通に居た。
今高卒でトップの人達は例えば公務員初級職で入って中小企業の大卒管理職より良い給料を貰っている。
大企業でも研究補助職などに地方の工業高の一番をとっている。自分は筑波大学を蹴って地元の市役所に
入った人も知っている。アタマが良いのに経済的理由で大学に行けなかった人たちはなんらかの方法で
リカバリしているよ。

一時期AO入試とか流行って「学力より人間性」とか持てはやされたが、企業ではAO入試の子は
実は評判が悪い。自分は慶応の理工で慶応高校からあがってきた人と仕事をしたことがあるが
基本的なことを知らないのでびっくりしたことがある。例えば化学なら入試を経験した人は
周期表が頭の中に入っているが、その人は「そんなもん見ればよいだろ」という態度だった。
クリエイティブなことをやるにしてもある程度の暗記のベースがないとスピートが違いすぎる。
慶応高校で一流の先生から化学を履修したとしても、入試を経験していないとすぐに取り出せる
知識になっていないんだ。文系のことは分からないけど大学入試が日本の科学技術を支えているのは事実。

文系は「地頭とリーダーシップ」しかいらないなら、世の中「サラリーマン金太郎」みたいな
人がもっと採用されているはずだ。そうはならないのは、それだけでは不十分だということだ。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 13:34:50.58 ID:W1AqWvKu0.net
受験戦争が加熱してる時は水を吹っかけて頭を冷やし、弛んでる時は尻を蹴っ飛ばして
勉強させないといけないのに真逆の教育政策を取ったのが文部科学省。


156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 05:13:07.57 ID:T4V8Yokz0.net

【社会】二宮金次郎像を"漫画に熱中して歩くオタ像"にデフォルメした少年が補導 (画像有り)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 10:00:22.44 ID:/C0Gfg7R0.net
>>86-87
尋常小6年→高等小2年→中学5年→
高校3年→帝大3年または予科2年→本科4年。
どちらも最終学年は24〜25歳。

…で、日本の学制なら早生れのベーブ・ルースが、
25〜27歳で54〜59本塁打したので、
学卒以降も野球を続けてレベルを上げようと作られたのが、
都市対抗そして職業野球。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 10:10:23.59 ID:LvSHlyvZ0.net
>>157
尋常小6年→【高等小2年】→中学5年→  これはほとんどない例。

家が貧しくて中学を受けられなくて高等小学校にいったが、
誰かの援助で中学にいけることとなったとか。それにしても
昔の同級生が2学年先輩だったらいたたまれないだろう。

優秀な人は 尋常小6年→中学4年終了→高校3年 

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 11:51:49.05 ID:Lrn9NXLz0.net
旧制の工専て、時局に合わせて出来たんだが難しかったんか?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 14:02:52.66 ID:bbo9k+rJ0.net
>>159 もともと明治時代から高等工業はあった。1939年時局に合わせて
官立7校が増設された。理系は兵役が延期できるからそれなりに難しかった。
入試より教育が軍隊式で厳しかったという。

今でも単独で残っているのは室蘭工大くらいだな。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 16:02:46.73 ID:Lrn9NXLz0.net
親父が多賀工業専門学校
今の茨城大工学部か、、
工専て、官立絶対の時代だから、私立よりは難関だったんだろ?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 18:06:06.98 ID:bbo9k+rJ0.net
>>161 当時の受験事情はわからないが、数少ない私立も明治時代からあるものも
ありそれなりに伝統があったと思われる。例えば東京物理学校「東京理科大」
とか東京電気学校「東京電機大学」とかだ。これらが工専と認められたのは戦前でも
かなり後のことだ。

正規の学校とは別に大企業の中に優秀な職工さんを勉強させて技手にする学校があった。

家が貧乏で中学に行けなくても、社会にでてからチャンスがあった。師範学校は官費だし
戦前の方が今より社会階層間の撹拌があったと思われる。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 02:23:57.05 ID:U+uS9cWq0.net
ここは学歴板と違って良スレですね。あっちは偏差値輪切り&就職・資格状況
のコピペしかネタがなく、稚拙極まります。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 09:49:23.13 ID:8P9YucuT0.net
>>163 旧制を鏡として現代の教育を論ずることは良いです。

自分は1957年生まれだけど10歳くらい下の人から旧制のことが
わからなくなっている。親も教師も新制出身だから当然か。
ここにくる若い人がやたらに詳しいのは相当マニアックなことだな。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 19:52:27.08 ID:8N3hBso00.net
>自分は1957年生まれだけど10歳くらい下の人

丙午のちょい後生まれだけど両親は共に昭和一桁世代ですが何か?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 07:30:51.11 ID:uLcX3NUS0.net
>>162

> 家が貧乏で中学に行けなくても、社会にでてからチャンスがあった。師範学校は官費だし
> 戦前の方が今より社会階層間の撹拌があったと思われる。

「戦前」をどの範囲に想定しているのかによるけれど、
賛成できない。
貧富の差は格段に縮小し、
学力があっても貧困のせいで進学不能なんてケースは、
皆無に近くなってるのじゃないだろうか。


>>164

本が何冊か出て、それほどマニアックな知識でもなくなってますよ。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 14:14:12.25 ID:IA4YLwjZ0.net
>>162
確かに社会階層間の攪拌はあったと思いますが、明治・大正期にその傾向が
より強かったと思います。昭和に入る頃には、中産階級が定着しつつある事
で現在に近い状況を呈していたと思います。旧制中学から旧制高校への進路
は、現代の私達の感覚以上に狭き門、エリートコースだったでしょう。但し
学歴以外でのセーフティネット機能(職業人としての自立機会)は、現在より
は選択の幅はあったであろうと思います。むしろ現在のほうが階層の固定化
は着実に進んでいると思います。中学、特に難関の国立や私立中高一貫校へ
進めるかどうかで、後の東大、京大等の旧帝大、或いは医学部や早慶などへ
の進路が概ね決まってしまうからです(勿論、若干の例外はあるにせよ)
かつてはそのレールに乗れなくても、別の方策で職業選択の道はありましたが、
現代は殆どそのような余裕はありません。閉塞感を感じるのも首肯できます。




168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 12:49:23.07 ID:Tf+mfbhy0.net
学制改革で教育コースが単線化され、義務教育期間が延びたおかげで
国民の間に最低限の学力・知識が普及し、戦後の復興・成長に役立ったことは確かだと思う。
一方現代では、学校形態が画一化されすぎて硬直的に思えることがある。
世間では中卒後、高校進学以外の進路をとろうとすると「外れもの」とみなされることが多いようだし、
教育学者の中にも、6・3・3の枠組みにこだわって特に一貫校を戦前の不平等教育への回帰と批判する人もいる。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 10:10:34.20 ID:keUABWZI0.net
>>168 公立一貫校が解禁になったことで中等教育の戦前回帰は止められないだろう。
6・3・3の枠組みにこだわったあまり、私立の台頭を許し社会階層が固定化してきている。

京都、広島など左翼が強い地域ほど名門公立高校が壊滅し、金がないと良い教育を
受けられなくなっている皮肉。つまり、「地獄への道は善意というレンガで敷き詰められている」だ。

公立一貫校は貧乏だが頭の良い子にとって希望の星だ!!!

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 19:02:09.00 ID:Sz38EjrQ0.net
>>168
学校教育法によって学校のランク(1条校とそれ以外)ががちがちにきめられてしまったことがおおきいとおもう。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 20:09:31.06 ID:4yBlj9Bd0.net
>>169
いくら勉強できても塾通いが前提となっちゃってる難関校の現状じゃ、貧乏な子は逆にチャンスないのにバカだね。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 23:14:22.95 ID:A/f6S7eS0.net
>>169

平等教育を声高に唱えていても、自分の子供だけは有名私立進学校等に
行かせている教師や有識者は多いと書籍だけでなくネットでも見かけた
ことがある。

大阪において地元集中運動を推進していた教師の話だけど、自身の教え子
には地元の高校に強制的に行かせるのに、実子を有名進学校に進学させ、
さらにそれを教え子達に俺の子供は賢いと自慢していたという書き込みを
見かけたことがある。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 09:20:06.88 ID:D69HCYj90.net
>>170 18歳未満は90数パーセント以上が1条校に行っているわけだからランク
とは言えないと思う。ただ戦前の方が学校設立はやりやすかった面はある。

あおぞら文庫 ああ玉杯に花うけて 佐藤 紅緑
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000575/card3585.html

軍国化する前の戦前の雰囲気が良くわかる。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 15:51:29.54 ID:ZdbQkyZs0.net
大正〜昭和にかけて公立・私立の旧制夜間中学や女学校が増加するが、
実業学校の夜間部が正規課程として昭和初めに認められた一方で、
中学校・高等女学校のそれは戦時中の中等学校令施行まで認められず、
長らく各種学校に位置づけられていた。
こうした学校が正規の機関になるまでの救済策としては、
「専検指定」制度や軍事教練の導入による徴兵猶予認可があった。
専検指定制度は、専門学校入学者検定が専門学校令によって規定される際に発足した。
本来は中学校や高等女学校並みの教育を行いながらも、
宗教教育など独自の方針を守るために各種学校に留まらざるを得ない学校の卒業生に対し、
上級学校への進学に便宜を与えるために定められた、無試験検定である。
それは、文部省が指定願いを申し出た学校のカリキュラムや教材、施設を審査し、
問題がなければ該当校の卒業生に高校や専門学校への入学資格を与えるというものだった。
この指定制度を拡大解釈することで、夜間中学や女学校の地位向上が図られた。
実際、専検指定と徴兵猶予さえ認めてもらえれば世間では中学校として扱われたようで、
夜間中学の中にも、昼間の難関中学校のように入試倍率が数倍を超えるところもあった。

>>173
しかし、物語の主人公が後半から通学する黙々塾は、文中から察するに学校としての
認可すら受けていない私塾のようである。
こうした場合に高専入学を目指すには、めいめいが専検や高検などを受けて入学資格を得てから
志望校の入試を受けなければならない、非常に厳しい道が待ち受けている。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 19:58:53.13 ID:3QoG3Gwy0.net
日本は戦後指導者の育成に失敗した。
平等の偽善を真に受けて実行したから、破滅する。
エリートは必要である。無しでは破滅する。
社会的平等の一つはクジである。総理大臣を全国民からクジで選ぶ。平等だ。
しかし猛反対するだろう。危険と損が見えているからだ。
平等主義も一枚裏を見ると損得主義だ。
だとしたら、エリートをそだてて指導者にするのが筋だ。
エリートと非エリートの共通点は、愛国心だ。
この民族主義でつながっているい以上、役割分担で割り切るべきだ。
アラブでは人間は手の指のようだという。
親指に生まれたものも小指に生まれた者もいるということだ。
全員親指ではないのだ。
駿河山人「がんばれ産経新聞」より転載
http://pub.ne.jp/surugasankei/


176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 20:48:23.12 ID:P8q5DXW80.net
>>175
しょーもないウヨコピペ貼るな

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 23:30:34.40 ID:544MrfZd0.net
>>171
確かに難関私立中高一貫校の入試問題で合格点を取るのは、ヘタな大学入試
問題よりも難しいです。では公立中高一貫校はどうか?こちらは『受験』で
なく『受検』、つまりスタンスとしては「入学検査」という事で、お気楽に
考える父兄も居るようだが(学費の安さ等も視野に有る)難関私立対策ほどで
はないにせよ、普通の学童が安易に取り組めるほど甘くない。やはり相応の
対策が必須です。将来的には、戦前のエリート養成的な性格になる可能性を
秘めています。経済的負担軽減から公立校を選択するどころか、子供やその
家庭環境の文化資本、経済資本の優位性によって選択される、という格差の
急速な拡大に歯止めが掛からなくなるでしょう。>>175の気分も分からなくは
ないものの、最早『大和魂』や『精神注入棒』ではどうにもならない所に来て
いると言えます。教育現場は『精神注入』どころか『資金注入』によって環境
整備(ソフトもハードも両面で)が必須でしょう。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 01:57:51.60 ID:T7JfYP1I0.net
じゃあ、最高税率が上がって現場に注入されれば良いのかもしれないね。
消費税をアップさせすぎるといろいろ現場がしんどくなるだろうな。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 10:44:55.68 ID:8saBNind0.net
だんだん英国式に似てきた。私立一貫校がパブリックスクール、公立一貫校がグラマースクール
普通の中学校がコンプリヘンシブスクールと言えるのではないだろうか。

願わくば、東大合格数を競うだけでなく、エリートとしての心構えとかまで
教育してほしいものだ。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 10:51:26.69 ID:8saBNind0.net
ここ、興味深いね。

ttp://pr.inter-edu.com/110722/

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 20:39:49.99 ID:PK18n3hk0.net
>>180
東急 都市大
東武 武蔵
西武は?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 22:55:42.80 ID:lOyHNUbT0.net
旧制中学をぶったぎるかたちで新制高校と新制中学をつくったのは失敗だったような気がする。
中等教育の理念が曖昧になってしまったというか。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 22:59:10.20 ID:lOyHNUbT0.net
高等小学校を高度化させるかたちで9年制の初等教育学校をつくればよかったとおもう。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 00:28:23.94 ID:Xls6hvYv0.net
>>181
西武の教育に対する貢献は学校設立よりも、むしろ谷保村に大学町を造成して東京商科大学を移転させたことにある。
直接作った学校としては国立学園小学校があるが、これは中学校以上の教育機関を誘致するための呼び水的な意味で
置かれたきらいが強い。あとは当時の私立小学校の例に漏れず新教育を展開していたことくらいか。

>>182
>>183
戦前から高等小学校を強化して尋高小学校の課程を義務化させる計画は幾度もあがったが、
実現寸前に内閣が解散したりするなどして最後まで阻まれた。
高等小学校課程の義務化は、1941年の国民学校令と1943年の中等学校令で、
国民学校高等科と中等学校第2学年までの課程が同等のものとされた
(中等学校には高等科修了者を受け入れる後期2・3年のみの課程の設置が認められた)ことで最も前進するが、
時局が時局なだけに終戦まで猶予されることとなってしまった。
結局なし崩し的な形で、学制改革時にそれぞれ年限を1年増やすことで、
中等学校前期と国民学校高等科(2年制)を新制中学校に、中等学校後期(2年制)を新制高校に充当することで
ケリが付くことになる。

昨今PISA上位といって何かと持ち上げられている北欧諸国の義務教育は、
現在は小学校6年+中学校3年を統合した9年間の総合学校(その上に選択制の第10学年がある)
に大体まとめられているようだ。また、教育バウチャーを導入したスウェーデンでは、
公費補助を受ける私立学校は授業料を取らないことになっているとか。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 01:22:11.77 ID:Xls6hvYv0.net
完全に余談だが。
学制改革によって、新しい教育の場として新制中学校・新制高校は発足したが、
現場は必ずしもそのように受け止めたわけではなかった。学校種の名前に引きずられ、
生徒や教職員の間で、旧制中学校や旧制高校の真似をすることが各校で流行した。
それまでエリート養成機関だった学校の名前がやってきたから、
得意がって背伸びしようとしたのだろうか。
新制高校では制帽に白線を入れて下駄をはいてマントを羽織ったり、
寮歌祭やストームを企画して張り切る姿があちこちで見られたという。
一方、都市部では小学校に併設された新制中学校を元・高等小学校だからと毛嫌いし
(設備が劣悪だったこともあるが)、余裕が多少あれば、施設が比較的健全で伝統・実績もある
私立の旧制中学校や高等女学校の併設中学校に子どもを通わせようとする家庭が多かった。
こうした風潮は中学校が新制に完全に切り替わり、新制高校が大衆化していくとともに
沈静化していくが、国民の意識の切り替えが円滑に進まなかったことが、
後に高校間の格差やひずみを生んだ原因の底に横たわっていると思われる。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 10:31:19.31 ID:JVnkhL9S0.net
>>185 新制切り替え後、しばらくは新制高校に付属中学があったんだね。
それを残しておけば実質的に旧制の複線教育を維持できたのに惜しかった。
今、一貫公立高校がこの路線に戻りつつある。

建前で新制高校は平等ということにしてしまったため学校間格差という
「横の学歴」がはびこることになった。東北地方の中都市では、県立名門高校
に入るため浪人する子供までいる。そこを落ちるといきなり「動物高校」
になるからだ。仙台くらいの大都市だと中間の選択肢がいろいろあるが。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 10:39:13.40 ID:JVnkhL9S0.net
>>185
生徒や教職員の間で、旧制中学校や旧制高校の真似をすることが各校で流行した。

それは気持としてはわかるね。旧制7年生高等学校があったからね。
新制高校3年生は旧制高校2年生と学齢が同じになる。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/31(水) 01:08:54.72 ID:0S5H/reR0.net
新制の話に続けてしまうが、北陸と東北の中等教育レベルの差はいったいどこに由来するんだろうね。
案外、交通機関が充実しているかどうかのような気もするが。


189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 00:28:41.19 ID:vRSoZ9+I0.net
>>187
ハリポタの魔法学校は7年制だね。先生たちはプロフェッサーと呼ばれているし
新制の中高一貫校ではなく旧制7年制高等学校なんだな。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 00:14:17.99 ID:iLglb2yZ0.net
日本の教育界が「平等」に極めてうるさいのはどうして?
戦後教育が「戦前のエリート教育と庶民教育の二本立て教育制度は失敗した」こと
前提に成り立っているから?

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 00:28:11.26 ID:MdDW8sZB0.net
そもそも今の日本の教育界が「平等」に極めてうるさいなんてこと全く思わないわ。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 00:32:51.25 ID:TPxV1Zn60.net
いや、平等だろ?
女は尋常だけで十分だ

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 12:42:47.73 ID:SfsLTkcy0.net
建前の「平等」を追及したため同じ制度の中での学校間格差『横の学歴』が
はびこってしまった。

高校生のとき「わが校のような進学校では・・」といったら教師がえらく怒って
「それは全日制普通科高校のことですか???」といった。
通りの向こうの動物高校とわが校がおなじわけないと、大人の偽善に反発した。
まあ田舎の県立名門高校程度で今考えるとこっちもたいしたことなかった。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 13:11:18.28 ID:TPxV1Zn60.net
世の中に平等と言うほど矛盾した言葉は無い
理想はあくまでも理想、実際には何事も平等では社会自体が成り立たない
言葉で平等と言っても、平等でないのが現実
むしろはっきりと線引きしたほうが自然である
その線引きはその時代の価値観だが

女は尋常だけで十分
健全な社会構築の為これは未来永劫変わらない

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 16:14:02.62 ID:nJJmrCFq0.net
安住財務大臣の出身校である早稲田大学社会科学部の前身は
旧制専門部の政治経済科及び法科ということでいいんでしょうか?

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 16:16:39.07 ID:nJJmrCFq0.net
それとも早稲田専門学校の政治経済科・法科・商科になるんでしょうか?

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 23:20:19.66 ID:i0Vopt+10.net
>>195
>>196
早稲田社学の前身は第二政経・第二法・第二商の3学部。
学制改革の際に、昼の第一学部の長は旧制の各学部長が、夜の第二学部の長は専門部の各科長が
兼任しているので、第二学部は専門部(昼間)と早稲田専門学校(夜間)を母体にしてできたというべき。
早稲田専門学校は、当初は専門部第二部として作られるはずだったが、専門部の学生が反対したので
わざわざ別個の学校として設置されることになった経緯がある。

・早大専門部政治経済科+早稲田専門学校政治経済科=第二政治経済学部
・早大専門部法科+早稲田専門学校法科=第二法学部
・早大専門部商科+早稲田専門学校商科=第二商学部
ということ。
なお、第二理工学部は専門部工科の単独移行。戦時中に附属の各種学校だった早稲田高等工学校を
夜間の工業専門学校に昇格させる話もあったがそれは実現しなかった。
また、専門部・早稲田専門学校共に文科は置いていなかったので、第二文学部は全くの新設。
教育学部は高等師範部の単独移行で第二教育学部は作られなかった。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/24(土) 23:41:06.94 ID:Ds60Qe/C0.net
今でも大学応援団員で着用する者もいますが、明治・大正・戦前・戦後の
一時期までの大学制帽を集めています。大別すると早稲田大学・同志社大学
の角帽、帝国大学・官立大学・その他私立大学の角帽、慶應義塾大学の丸帽、
という事でしょうか?一番多い『帝大型』角帽も、明治・大正期の物と昭和期
の物、さらに私立大学では関西大学、拓殖大学など、微妙に形状が異なるよう
なのですが、これは各地の帽子製造店の違いという事で解釈して良いのでしょうか?
この辺りの分類、トリビアルについて御存じの方は書き込みお願いします。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 08:08:27.45 ID:h2N17Kb90.net
>>198
昭和三十年代、近所に下宿してた九州大学の学生たちに遊んでもらいましたが
いつも学生服でしたね。応援団の人と言う訳ではなかったようです。
帽子がどうだったかは覚えていません。

卒業式の時だけガウンに角帽という習慣は今でも海外の大学や高校でも見られるが
日本はなんで廃れたんでしょうね。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 22:53:55.12 ID:yD/czbOF0.net
>>198
丸帽のタイプ別に一高型と三高型の分類がありますが、
天井の縁が丸い一高型に対して、三高型は縁にうねりが付いてます。
この2つの型の名はそれぞれ旧制の一高と三高に由来するのですが、
両校とも校則の服制では「制帽は海軍型とする」とされていました。
下のサイトによれば、三高型制帽は大正末に作られ始めたようですが。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~tbc00346/component/tyuu9.html

また、制定された当初の帝大型角帽は、後代のに比べるとやや頭高に仕立てられていたように見えます。
時代が下るにつれ変化していったのは製造者の入れ替わりや流行の変化によるものかと。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 22:54:50.40 ID:yD/czbOF0.net
話が脇道にそれますが、東大が定めた服制は、「大學」の二文字を帽章にした角帽に、
金ボタンを5個付けた詰襟服と、今の学生服の原型をなすもので、
そのボタンの模様は一対の桜の枝を交差させた上に「大」の字を置いたものでした。
それが他の帝大や官立大にもそっくり採用されるのですが、
神戸商大や広島文理大、神宮皇学館大といった一部の大学はボタンに独自の模様を使い、
東京商大の場合は帽章についても高商時代のマーキュリーを角帽に使い続けました(辛酉事件の影響か)。

202 :200:2011/09/25(日) 22:59:27.95 ID:yD/czbOF0.net
>>201の訂正
×辛酉事件
○申酉事件

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/26(月) 21:43:01.65 ID:3RzCa+8D0.net
>>199>>200

>>198です。情報ありがとうぞざいます。【一高型】【三高型】の分類は首肯
するところがあります。【帝大型角帽】(私立大学も含めた定番型)にも製法で
生地を直接に縫製する型(三高型縫製?)と生地の接合部分に玉縁(細いコード状
の紐)を縫製する型(一高型?)が有るようです。天井の四角形は、制定当初の時期
は古写真等を見ると大型で、時代が下がるにしたがって小型になっているようです。
学生服の釦の話については「目から鱗」です。国立大学の釦は制定以来、ほぼ不変
ですね。東京商大の角帽徽章が『マーキュリー』なのは、成る程と思いました。

引き続き、各大学の制服・制帽や、固有の学生文化等の情報がありましたら
書き込みお願いします。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/26(月) 22:07:05.37 ID:8Bbok6UI0.net
大学生はいつ、どうして詰襟の学生服を一般的に着なくなったの?
今は一部の体育会とか応援団しか着ないよね。

205 :200:2011/09/27(火) 00:03:18.86 ID:s3a9WfLJ0.net
>>203
帝大型の中の差異には今まで気が付きませんでした。玉縁を噛ませるのが本式ではあると思いますが。
早稲田や同志社の座布団型は一枚布で天井を作るので帝大型より角が鋭く、天井も平たく仕上がりますが、
こちらのほうが欧米の房付き角帽にシルエットが近いですね。関西大と拓大のは座布団型と帝大型の折衷式のよう。
正岡子規が使用していた帝大の角帽の写真がありました。やはり大正・昭和の頃より天井が大きいです。
ttp://blog.goo.ne.jp/hajimete01/e/5fb38672ee1cd6bd4d336ddd33a84850

学帽は基本的に、小学校・中学校・高等学校・専門学校は丸帽、大学は角帽のイメージがありますが、
大学の専門部や一部の専門学校は角帽を定めていました。修業年限が長かった医専は殆どの学校が角帽でした。
中学校の中にも角帽を使っていたところがあり、岡山県立岡山朝日高校や福岡県立育徳館高校は今でも角帽だそうです(着用は自由)。
丸帽の装飾は、無地、白線、黒の蛇腹布がメジャーかと。白線は高校の象徴でもありますが、蛇腹は実業学校や専門学校に多く用いられました。
大学の予科では白線の学校と蛇腹の学校とがそれぞれありました。

変わったところでは、成城高校、東京高等工芸学校、昭和期の東京音楽学校など、背広の制服だった学校では、
ソフト帽やお釜帽を制帽にしていた学校があります(東京府立五中など、制服は背広でも学帽は普通の丸帽の学校もありました)。
ただし成城高校では、他の高校のような白線帽を希望する生徒が改定運動を起こしたこともあります。

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/02(日) 23:59:05.58 ID:t8zULWDm0.net
>>204
大学から学生服が消えたのは70年安保世代あたりかららしいが・・

http://unkar.org/r/history2/1252843043

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 11:21:32.88 ID:bFp06UdqO.net
自分は大学生なんだけど、高校の頃の友人のお祖父さんが、昔、高校の校長やってた人だったな。
広島の高等師範学校を出て英語教師になり、高校の教師から校長になって定年退職した人だったそうだけど。

教員養成の仕組みが変わって相当年数経ってるし、公立の学校で教師になった人はことごとく定年退職してるだろうけど、
当時の高等師範学校卒業している人って、今は最低でも何歳くらいになってるのかな?
やっぱり現在で最低80歳代くらい?

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 13:19:57.26 ID:ca0b+C6h0.net
>>207 高校生だったのは70年代だけど当時西日本の高校教師の主流は広島高師だった。
九大や東大より偉いという感じで、その派閥が新制広島大学まで続いていたもんだ。
いわゆる、職人教師みたいな人が多く、自分はあまり好きではなかった。
旧制広島高師は戦後もしばらく存続していたのが、やはり最少年齢は80歳くらい
だと思われる。

九州の高校から東北大学に行って仙台の高校で教育実習もやらせてもらったが、
高等師範出の教師は皆無で東北大学の理学部文学部が主流だった。
東日本にも東京高師があったのだが広島みたいな強烈さはなかったようだ。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 18:29:33.89 ID:bFp06UdqO.net
>>208
そうなのか、ありがとう。

北部九州の県なんだけど、広島高師卒の高校教師が主流の時代が、
うちの県にもあったのかもしれないな。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 15:30:10.47 ID:K4qzJ//M0.net
高等だろうがなんだろうが、師範は所詮師範、戦前は大学ではなかったし、
でもしか教師の養成機関にすぎない

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 15:43:20.04 ID:9B5ZRX8u0.net
高等師範学校と今の地方教育学部では難易度が違いすぎる
高等師範→文理大学への進学で大学卒教師はいた

高等師範の難易度は旧制高校並みだった

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 15:50:05.87 ID:9B5ZRX8u0.net
それと、小学校教師、中学校教師、高校教師では難易度が全く違う
旧制中学(現在の中高一貫校みたいなもの)の教師になるには高等師範以上の学歴でないと駄目
師範学校は小学校教員養成校

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 23:51:43.28 ID:2arNw7a90.net
えっと、戦前の教員養成校の入学資格について、
ナナメ読みしたのをまとめたんだけど間違いがあったら指摘をお願い。
1943年師範教育令改正前までのまとめのつもり。

・師範学校本科第一部・女子師範学校本科第一部(5年制)
 高等小学校(2年制)卒
 中学校or高等女学校2年修了(実家が急に貧しくなったなどのケース、まれ?)

・師範学校本科第二部・女子師範学校本科第二部(2年制)
 中学校or高等女学校卒

・高等師範学校・女子高等師範学校(4年制)
 中学校or高等女学校卒

各学校に存在していた専攻科についてはよく分からないので省略。
あと、師範学校の第一部って実業学校の2年修了でも入学資格有ったのかな?

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 02:11:22.95 ID:hLSnYobE0.net
>>213
実業学校全般は、昭和初期に専検指定(高専への進学に際して中学校・高等女学校と同等に取り扱われる)を
受けるようになったので、どれほど遅くともその時期からは、師範学校への接続も他の学校種と変わりなかったと思われる。
それより前からも、中学・高女中退者に混じり、実業学校を辞めて師範第一部に入りなおしたケースがあるが、
数が少なかったのであまり気にされなかったのだろう。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 08:18:22.70 ID:SJ8/MQCh0.net
夏川りみの涙そうそうにちなんだドラマシリーズで、主演の女教師が担任する
広島市内の高等小学校のクラスが男女共学だった。
戦前は法律でも小学校の男女別学が定められており、これはありえないはず。
過疎地の複式学級ではそういう例もあったらしいが当時の爆心地に近い広島市内で
そんな例は考えられない。


216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 15:24:21.96 ID:mtSbPZSJ0.net
尋常小学校でもそうなの毛?
24の瞳はどうなん?

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:10:16.77 ID:t5Cq0yn40.net
>>211
でも、大学ではなかった、、と、、

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:27:44.00 ID:JoNwJP430.net
戦前の評価
旧官立大学(旧帝含む)>旧制高校>高等師範=官立専門学校=早稲田大学・慶應大学>早慶以外の私立大学

大学って言っても、私立だと評価が低かった
私立の場合、はっきり言って世間的には大学として見てなかった

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:38:42.97 ID:JoNwJP430.net
昔は今と違って、尋常小学校教師と旧制中学校教師では給料が大きく違っていた
確か1.5倍くらいの差があったはず

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:46:01.64 ID:JoNwJP430.net
今の地方大教育学部は戦前でいう師範学校
今も卒業生で教師になる人はほとんど小学校教師
教育学部卒で高校教師になる人は少数
高校の授業を地方大教育学部卒では教える事は学力的に不可能に近い

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 18:18:31.13 ID:ZDQtxJwti.net
>>220
だよなあ、青森だけど、教師ほとんど弘前大だもんな

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/15(土) 09:17:36.20 ID:OXyFeCXP0.net
>>216
高学年では男女のカリキュラムが違っていたから
それも広義の複式学級だね

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 15:43:53.91 ID:uJghKnCG0.net
俺の父は、戦後の旧制中→途中で新制高に通ってたが、
1学年200人程度で、全校900人程度だったって。
全員男子で、当時の日本の人口は今の半分程度だから、
割合としては現在とほぼ同じ位と言ってた。


224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 18:53:28.01 ID:Qaw6/hDY0.net
俺の親父は、旧制工業専門学校卒。
戦時に合わせて出来た学校。


225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 20:03:35.41 ID:aoCsR1zI0.net
旧制中等学校(旧制中、高女、実業)の最後の入学生は昭和21年組。
翌年の22年から新制中学がスタートし、旧制中等学校の2,3年生は
旧制中等学校に併設の新制中学の生徒になった。
併設中学は21年組が併設中学を卒業するまで続き、一般の新制中学生
と区別して彼らは併設中学生とよばれた。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 20:54:51.98 ID:PMCkAKfv0.net
>>225
併設中学残しておけばよかったのにね。最近公立の中高一貫とか戻しつつあるけど。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 22:58:34.12 ID:00K8ujOD0.net
旧制中等学校の設置は、学校教育法の施行される直前の昭和22年1、2月までは、
次年度の昭和22年4月から開校する場合でも認められることが多かった。
そのときは開校と一緒に新制中学校も置き、翌年度に新制高校を開いて対応していた。
なお、中等教育での新制開始後には、旧制学校の設置はできなくなったが、
金沢高等師範が戦争末期に置いた附属の特別科学学級を、例外的に4月以降に旧制中学校に移行させたケースがある。
これは新制中学のみの設置にすると、旧制中学の新4年生にあたる生徒の収容先がなくなってしまうことから
行われた措置である。この翌年度に新制高校に改組され、今の金沢大学附属高校となる。
ちなみに、金沢大学附属中学校は石川師範学校の附属小学校高等科の流れを引くため、
中高間の連携は今に至るまで十分とはいえない状況である。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 01:13:42.71 ID:dIQ4HvGR0.net
放送大学が BSでも 放送 するように なったけど、旧制高校の 授業って
放送大学みたいな 感じだったのかな。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 04:43:53.35 ID:/99szJB6O.net

戦前の人間の在り方について非常に興味があるのですが、当方、歴史は素人であります。
そこで質問なんですが…田母神さんの発言の中に
『敗戦国は戦勝国により過去の歴史を闇に葬り去られる。』つまりGHQにより闇に葬り去られたアメリカに都合の悪い部分が気になっております。
@日本人が何事においても、何故に早い段階で己を立っせえた理由は教育にあると思います。つまりその秘密は何かについて。
A戦前教育科目の中にあり、戦後抹消された教育科目について。その目的は何だったのかについて。
B明治維新の偉人の根底にあるのは恐らく陽明学かとは思われる偉人を排出出来たルーツとは?

アメリカにとって抹消したかった本質の部分とは、要は日本人の底力だと思っております。
特に今の現代人に必要であろう内容について比較してご教授願えると光栄です。


230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 06:08:50.72 ID:EHMAWxHW0.net
>>228
経験者に聞いたけど語学がものすごく重視されていて語学学校みたいだったそうだ。
また理系でも哲学とか語れないと馬鹿にされた。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 06:25:14.74 ID:EHMAWxHW0.net
>>227
高等師範学校は、広島と東京しか知らなかったが戦時中に金沢と岡崎にできたんだね。
金沢は文理大学までできれば北陸帝国大学になっていたと思う。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 10:03:24.66 ID:w6mFjYgm0.net
@磯田道史によれば天明の大飢饉以降、 松平定信ら寛政の改革が画期になったという。
この改革は蘭学の禁止やら質素倹約の強制やらで評判がわるいのだが、この改革以降、
幕府はじめ諸藩の文教政策の強化や、民生への積極的(それまでの収奪的な消極的関与
ではなく)関与をはじめたとする。

A修身ですな。国史も入るのかな。

B戦士階級である武士が特権的・有閑階層となり文教をになっていたこと。司馬遼太郎にいわせれば
そういうことらしいですな。アーネストサトウやイザベラバードに言わせれば汚職を憎み名誉を非常に
重んじる文化は他の中東・近東・極東アジアとは隔絶しており驚嘆したらしいですな。

ありきたりのレスでごめん・・・

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 11:43:00.29 ID:/99szJB6O.net
>>232

有り難うございました。
修身と国史ですね?
ちなみに修身とは内容はどのようなものだったのでしょう?
修身が立身の為のガイドライン的役割を有していたのですか?


アーネストサトウもよく見ていたんですね。
確かに汚職が少なかったというのはなんとなく分かります。
恥を重んじる文化を何世紀もかけて国内で風潮を作った結果かと思います。
もし倫理を著しく乱し逸脱すれば、厳しいお仕置きが待っていたのでしょうし。
極刑は打ち首で梟首で晒されれば、極悪人でも留まり考えを改めると思いますし。



234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 12:43:22.34 ID:dIQ4HvGR0.net
>>230
もともと 外国語で 授業を する 大学の 予備校として つくられた わけだから あたりまえかな。


235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 13:07:21.01 ID:lN4taGjD0.net
>>232-233
戦前の教育というより江戸時代の家庭教育がよかったんだな。
学校の漢文とはべつに家庭で「素読」をさせる習慣は大正生まれの人まで
残っていた。明治にいきなり英語で本を書いたり講演できたのは漢文で
脳が鍛えられていたから。

陽明学はそういう地道な努力を否定するとこがあるので朱子学をやったうえで
入門しなさいと言っていた陽明学者も多い。昭和の軍人はそこらへんを
早とちりしていきなり陽明学や日蓮宗のカルトにかぶれたりしたんだな。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/18(火) 14:32:45.25 ID:sQ5MLvEXO.net
色々ご教授有り難うございました。
私も現代人ですから、無粋にも色んな方向から疑い深く見てしまうんですが…
例えば良い意味でも悪い意味でもマインドコントロール的な要素などはなかったのかについて。

朱子学は封建主義や軍国主義な社会に向いている教育でもある気がします。
若干、人を歯車や駒にしたかった部分はなかったのかとか…。その1つ1つのパーツを高める教育なのでは?
つまり国家から、または元首の視点から見て都合の良い民の在り方を説いたモノではなかったか?
と思ってしまいましたが浅はかでしょうか?
一方、陽明学はかなり個人主義を主体としたかなり現代的で民主主義、資本主義社会に寧ろ向いている気がしています。
現代でも様々な会社の社訓に陽明学を参考に作られたのではないか?と思ってしまう様な何節かはある様な気もしますしね。



237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 05:09:55.42 ID:2wgTiz1AO.net
229の者です。
>>229にある通り、一番興味深いのは…戦前も戦前の幕末〜明治維新を成功させた若い世代についてなんです。
そもそも高杉晋作の享年が29歳を知った際に、他の松下村塾下の生徒達はそれよりも若い年小の者が多かった訳で…
松下村塾自体が幕末の志士を輩出できえたのは、吉田松陰の教えの才もあるのでしょうが…
果してそれだけでしょうか?実稼働4年にも満たなかった吉田松陰が教鞭をとった期間ですからね。
確かにかなり強引なやり方で列強は日本を侵略せんと強気で迫ってきて…
清が列強の餌食にされて、アングロサクソンに対する憎悪は当時の日本国内強かった事は想像できますが…
攘夷を掲げた以上は、幕府の敵になるという事。つまりは『賊軍』になる事を顕すのであって、
今でいうテロリスト的な立場だった事を考えると、よく成し遂げられたものだと、世界中が感心した成功体験だったと思います。


238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 05:14:38.75 ID:2wgTiz1AO.net
237の続き。
既成のモノ【幕府】を淘汰するなんてのは、どんな時代においても生半可なものではない筈なのです。
高杉晋作などは50倍に相当する幕府軍を相手に立ち向かったと言われていますしね。
その度量たるや人間の常識をはるかに越え、ロシアでは『ナポレオンだってそんな無謀な事はしないぞ!』と言って驚愕して紹介された様です。
こんな奇想天外な史実は世界を探しても例は無い様に思います。
この大きな時代の変革を起こした幕末の若い世代を現代の我々と比較した際に強く思うのは…
自主性と使命感に満ちた実に男らしい生きざまなんですよね。
畏敬の念を表さずにはいられません。それはあくまで子孫の我々への為だったのですから。
幕府に対する『賊軍』の汚名をあえて自ら着て、自ら改革するという精神的なタフさ。
更にはハングリーさ、行動力、度量、器、判断力、決断力どれを取っても人として感心する様なマンガの世界の様な史実が本当に日本にはあったんだ!
と考えると…その原動力になる教育の内容がどうしても知りたくなる訳です。

とにかく『必死!』捨て身上等のその神業たる偉業を支えた教育のディテールとは…!



239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 06:30:21.08 ID:gu0J7CFa0.net
朱子学は感情の学問というところがありますね。怒りや憎しみというものを
積極的に肯定し、理が通らないことを罵倒するのをよしとするところがある。
美しいことばで言えば性即理・「内面や実践を重視する」てことでしょうけど。
陽明学はもっと実践的で、もっと人間らしくほがらかに他人をおもいやりながら
やっていきましょうよという部分があり、>>235さんが言うように朱子学から入門
しなければ完全に陽明学を誤解してしまうところがありますね。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 06:39:51.62 ID:0rLwdNad0.net
精神論は別のスレでやってね?

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 15:59:40.99 ID:gu0J7CFa0.net
精神論ってなんですか?別のスレってどこですか?

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 01:38:29.50 ID:pmglPp7fO.net

いや、単に『遮二無二…』っていう様な精神論だけじゃないだろう。



243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 03:36:57.02 ID:+lVRt0Mk0.net
性即理なんだから仕方ないじゃん。朱子学の説明したら「精神論は別のスレでやって」とか
いうほうが意味わからん

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 05:13:09.60 ID:pmglPp7fO.net
まず、人として生きる上で…
知力にせよ実力にせよ武力にせよ…真剣にレベルを高めようという試みは、過去から実際1つの『真理』として信じられてきた。
そのガイドライン的役割が朱子学であり、陽明学であっただけ。
人は人としていかに高めていくかを競いあいもしたが、結局は自分との闘い対話に行き着く事を知る。
その過程をいかに楽しんで結果を残したり、形にしたりしたものをようやく自信に変えられる訳じゃないですか?
そして高めようとすれば、苦痛が伴うのは必然であって、それはいわゆる経験値としてかけがえのない自信という財産に変わるんだと思う。
目的は『高める』後でついてくる過程が苦痛はついてくるが、ならばその高めるんだという過程を楽しんではいかがかな?
目的は見失わない。高まった自分は多分、以前の自分より更に好きになれると思うよ。

その目的を見失い、過程だけの苦痛だけを捉えて単に精神論などといった言葉で結論づけるのは愚の骨頂。
ただ悪戯に自分を痛め付けるだけ。逆に言えば目的を見失うのが最も不幸だろ。



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