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【戦前】 旧制の学制について 【教育】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 23:42:09 ID:XkX3kRu60.net
1

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 05:14:38.75 ID:2wgTiz1AO.net
237の続き。
既成のモノ【幕府】を淘汰するなんてのは、どんな時代においても生半可なものではない筈なのです。
高杉晋作などは50倍に相当する幕府軍を相手に立ち向かったと言われていますしね。
その度量たるや人間の常識をはるかに越え、ロシアでは『ナポレオンだってそんな無謀な事はしないぞ!』と言って驚愕して紹介された様です。
こんな奇想天外な史実は世界を探しても例は無い様に思います。
この大きな時代の変革を起こした幕末の若い世代を現代の我々と比較した際に強く思うのは…
自主性と使命感に満ちた実に男らしい生きざまなんですよね。
畏敬の念を表さずにはいられません。それはあくまで子孫の我々への為だったのですから。
幕府に対する『賊軍』の汚名をあえて自ら着て、自ら改革するという精神的なタフさ。
更にはハングリーさ、行動力、度量、器、判断力、決断力どれを取っても人として感心する様なマンガの世界の様な史実が本当に日本にはあったんだ!
と考えると…その原動力になる教育の内容がどうしても知りたくなる訳です。

とにかく『必死!』捨て身上等のその神業たる偉業を支えた教育のディテールとは…!



239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 06:30:21.08 ID:gu0J7CFa0.net
朱子学は感情の学問というところがありますね。怒りや憎しみというものを
積極的に肯定し、理が通らないことを罵倒するのをよしとするところがある。
美しいことばで言えば性即理・「内面や実践を重視する」てことでしょうけど。
陽明学はもっと実践的で、もっと人間らしくほがらかに他人をおもいやりながら
やっていきましょうよという部分があり、>>235さんが言うように朱子学から入門
しなければ完全に陽明学を誤解してしまうところがありますね。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 06:39:51.62 ID:0rLwdNad0.net
精神論は別のスレでやってね?

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 15:59:40.99 ID:gu0J7CFa0.net
精神論ってなんですか?別のスレってどこですか?

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 01:38:29.50 ID:pmglPp7fO.net

いや、単に『遮二無二…』っていう様な精神論だけじゃないだろう。



243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 03:36:57.02 ID:+lVRt0Mk0.net
性即理なんだから仕方ないじゃん。朱子学の説明したら「精神論は別のスレでやって」とか
いうほうが意味わからん

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 05:13:09.60 ID:pmglPp7fO.net
まず、人として生きる上で…
知力にせよ実力にせよ武力にせよ…真剣にレベルを高めようという試みは、過去から実際1つの『真理』として信じられてきた。
そのガイドライン的役割が朱子学であり、陽明学であっただけ。
人は人としていかに高めていくかを競いあいもしたが、結局は自分との闘い対話に行き着く事を知る。
その過程をいかに楽しんで結果を残したり、形にしたりしたものをようやく自信に変えられる訳じゃないですか?
そして高めようとすれば、苦痛が伴うのは必然であって、それはいわゆる経験値としてかけがえのない自信という財産に変わるんだと思う。
目的は『高める』後でついてくる過程が苦痛はついてくるが、ならばその高めるんだという過程を楽しんではいかがかな?
目的は見失わない。高まった自分は多分、以前の自分より更に好きになれると思うよ。

その目的を見失い、過程だけの苦痛だけを捉えて単に精神論などといった言葉で結論づけるのは愚の骨頂。
ただ悪戯に自分を痛め付けるだけ。逆に言えば目的を見失うのが最も不幸だろ。



245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 05:18:21.55 ID:pmglPp7fO.net
>>243

四六時中エロの事しか頭にネェバカはピンク板行っとけ!カス!
君は丁度『愚』という岩の頂上にいるバカに過ぎない。



246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 06:54:54.59 ID:MfRVcH1r0.net
>>245
釣りで言っているのか??? 性」の意味を知らないとか無いだろうな??????
まさかほんとうに「エロ」だとは思ってないよね!!!!!!

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 08:23:46.16 ID:+lVRt0Mk0.net
2ch流の、この「名無し」が「罵倒」しあう、この態度は朱子学的といえなくもない。
儒教を軸とした学問体系は聖人君子の学であるが、これは反照として統治される側に
無記名で流動する大衆、部民、群集を想定している。カオナシの「被統治者」であり
つねに無責任な暴民を対手としたさいに君子・士太夫はどのようにふるまうべきかを
論じている。ところが朱子学・陽明学となると、その視点は王侯がどのようにふるまう
べきか、という頂点から、士太夫は、部民はどのようにふるまうべきかという位置に
降りてきており、これは「名無しの、カオナシの大衆がいかにふるまうべきか」を論じた
大衆学の呈をなしている。日本において天皇を中心とした国体論が、天皇がいかに
あるべきかではなく、天皇を尊崇する部民がいかにあるべきかを論じるようになったのは
このためである。儒学でありながら、視点は孔子のものとは逆転しているわけだ。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 15:35:43.17 ID:2yPIXsLn0.net
>>205
古写真や帽子店業者の話を元に、明治・大正期頃まで用いられていた角帽
を製作している(と言っても、製作依頼があれば、の話)帽子店で古式角帽
を誂えました。国語教科書/参考書等で散見する、芥川龍之介が帝大時代に
久米正雄、松岡譲、成瀬正一らと詰襟・角帽姿で写した写真のアレですね。

>>231
京城帝大や台北帝大は別として、ナンバースクールは八校だった訳だから
内地の帝国大学も八校目として『北陸帝国大学』案が浮上したのも首肯出来る。
そう考えると、北陸・中国/四国地方に帝国大学が無かったのは興味深い。もし
候補だったら、金沢の他には、岡山だろうか。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 07:40:53.32 ID:fix5RKJv0.net
>>248 北陸帝国大学構想があったことは金沢大学関係者から聞いた。
名古屋が駆け込みで帝大になったことを悔しがっていた。
名古屋帝大も医大を母体にしているから中国地方につくるとしたら岡山だろね。

戦前の体制がいまいまで続いていたら千葉、長崎、熊本とか帝大インフレになり
乱立したかもしれない。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/22(土) 18:00:32.26 ID:8VxIefgRO.net
>>246

私が間違っておりました。



251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 15:46:34.69 ID:KkD4k1iX0.net
自分の爺さんは明治23年生まれ(自分はバブル世代)だが
その爺さんの残した手記によると明治40年代初頭に中学から大学へと
進んだようだ。
大学の名称は「東京農科大学」で、よくよく調べてみると現在の東大農学部
らしいことが分かった。
ちなみに、その爺さんの職業は銀行マン(第一銀行)だった。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 20:51:05.94 ID:EFrOsz4M0.net
>>225>>227
高等小学校卒業が入学資格の中等学校は22年も新入生を募集してる

23年から新制高校がスタートしているが奄美大島の大島中学と
奄美高女は1年遅れの24年まで旧制で存続した

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 10:52:00.84 ID:dK4yevd/0.net
>>251 もう旧制高校が確立いしていたからそれは無いと思ったが
よく調べてみると中学から行ける帝国大学農科大学『乙科』というのがあったんだ。
貴重な情報ありがとう。

>自分の爺さんは明治23年生まれ(自分はバブル世代)だが
すごいね。昔の男は結構、高齢になってから子供を作っている。
自分は昭和30年代生まれで爺さんが明治30年代生まれだ。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 11:33:50.51 ID:dK4yevd/0.net
小中学校の教員養成課程を含んでいないのが旧帝大の特徴なら
東京学芸大学は今でも別に存在するから筑波大学は戦後にできた
「新」帝大と言えるのではないか?

師範と高等師範が合併している広島大学はこの資格を失った。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 12:16:59.98 ID:+xfBAFCE0.net
>>254
東京教育大学のリベラリズムをつぶすために筑波にしたんだろ

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 18:24:37.37 ID:7kg0ppOV0.net
>>253
>>よく調べてみると中学から行ける帝国大学農科大学『乙科』というのがあったんだ。

爺さんの手記には「東京農科大学の実科」と記して有りましたよ。

>>すごいね。昔の男は結構、高齢になってから子供を作っている。

自分は一番下の末っ子で、父親も末男、爺さんも末男、爺さんの父親も末男。
気が付いたら先祖の史料や遺品の管理をしているのがすべて末男なんです。(笑)




257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 21:05:05.55 ID:NWhiBqrDO.net
戦前中等教育が別学なのも、中学行けなかった人のために専検制度があったのも知ってたけど、
女子専検っていうのがあったのは今日初めて知った。

これって、当時の中学・高女に合わせて、専検の科目が男女別だったと考えて良いのかな?

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 21:25:45.43 ID:SJ9pAoyN0.net
>>257
ある女性の回顧録ですが、女子専検とは明記されていませんが
試験科目のうち、裁縫、家事は明らかに女子のみの科目ですね
http://d.hatena.ne.jp/kikue85sai/20061010

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/25(火) 03:43:38.39 ID:ICR+48aW0.net
>>257
専検は男子・女子に分かれて試験内容が異なり、
それぞれ男子専検は中学校、女子専検は4年制高等女学校の卒業時点と同レベルの学力試験が課された。
試験科目もそれに合わせ、女子の場合は家政に関係する科目などが出題された。
専検合格した女子は上記の通り4年制高女卒業とみなされ、
女子専門学校予科や女子高等師範学校など上級学校の入試を受けられるようになった。

ちなみに、中学4修からの高校入学が認められたのに合わせて、
男子のみを対象にした高等学校高等科入学資格試験が大正期に新しく作られたが、
こちらは合格しても受験できる学校が高校の高等科や3年制大学予科くらいに限られていた。

そのほか、専検の運営・監督は、内地では文部省、朝鮮・台湾では両総督府、
樺太は樺太庁、満州方面は関東庁と、地域ごとの最高行政機関が担っていたが、
大体は文部省が主導する形をとり、検定合格者はいずれの地域でも同じ取り扱いを受けた。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 13:32:10.92 ID:ZvTF50yT0.net
戦前の中学生が考える難易度
一高、三高>それ以外のナンバースクール及び海軍兵学校>ナンバースクール以外
の旧制高校及び東京商大クラスの官立大学予科>陸軍士官学校>早慶クラスの私大予科
>それ以外の私大予科及び専門学校

ただし陸士や海兵は特殊な学校なので一高並みの学力のある者が行く事もあったらしい。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 23:01:25.84 ID:pV3n/N860.net
帝大予科、官立工専、高等師範などは早慶以下ということはないのでは?
北大予科を高校の滑り止めにしていたという話を聞いたことがあります
また横浜高商は並みの高校よりも入学が難しかったとも

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 23:33:29.60 ID:Fk4e7A2h0.net
都市部の学校は専門学校でも官公立、かつ大学附属なら進学・就職ともに
地方の学校より充実していただろうし、志望者も多数いたことは想像に難くない。
東大・京大から遠く離れた高校よりも、横浜の学校ならかえって入学希望者が殺到しただろう。
大学まで進むことは考えなくても、都会の学校や学生生活に憧れた人間は昔も多かった。

田舎の高校の中には、官立校だというのに文科の入試から数学を免除してまで人を呼ぼうとした学校もある。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/27(木) 11:32:04.45 ID:GKLWDjtz0.net
私立は、低かった。
東北帝大在学中に敗戦を迎えた親父が言ってたぞ。
官立優位は、学園紛争の終わりくらいまで続いた

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/27(木) 19:26:25.21 ID:KGAN4NHX0.net
今でも田舎へ行けば行くほど国公立絶対優位が強まっていく

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/27(木) 20:49:27.34 ID:/i3ItwYh0.net

中野剛志先生がTPP賛成論者の詭弁を全滅させたようです
http://www.youtube.com/watch?v=9amjatPD_l4
http://www.youtube.com/watch?v=8G29qFqId2w


中野先生が敗北宣言、暗殺される?
日本が米国の植民地に。すでに99%手遅れか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15973549


テレビ・新聞にだまされるな。
気づいたら、
「my日本」で検索


266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/28(金) 00:49:20.70 ID:tSdN7DOa0.net
>>263
官立大学や官立高商の優位性は、新学制後も随分と続いたようだ。
私立大学の社会的評価が高まって来たのも、戦後になってからで
早慶や上智、明治、立教、同志社等が難易度(偏差値。科目数は違うが)
で旧帝大系に並んできたのが1980年代頃からだろうね。逆に旧高商系や
師範学校系の、俗に言う「駅弁大学」の凋落が顕著になったのも同時期
辺りからだろうね。そして昨今の経済情勢等の事情から復権の兆しが見え
て来てはいる。

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/28(金) 09:55:18.31 ID:+gkmFNix0.net
>>266
そして、この不況でまた、地元志向に回帰中
地元に弘前大学や、青森公立大学があるのに、なんで、都の私立に、、、そんな金ないわという、、

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 13:35:11.39 ID:FhvdHuAp0.net
>>108
>というよりも戦後アメリカ型の学制を導入すると言いながら、
>肝心な所を真似しなかったのが問題なんじゃないのかな?

国の幹部職員(いわゆるキャリア)は博士号もちから採用すればよかったのだが。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 14:26:34.36 ID:v2KmysV00.net
文科系の博士号取得がほとんど不可能だという点は、日本の大学の性格を
よくあらわしていますね。2000年代の改革でかなり改善されたようですが、
むかしなら大学の教授職でも博士号をもたない人はいっぱいいた。今でもかな。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 08:53:39.66 ID:Ul10gIVV0.net
戦前は国公立といえども授業料は非常に高かった。公立の中学や高女であっても
月5円前後、官立の大学でも年100円前後の授業料が必要だった。

戦後GHQは公立学校の無償化を図り、結局実現はしなかったけど公立学校の授業料は
非常に安くなった。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 10:06:50.04 ID:LAMUMuVp0.net
>>270
当時の月5円って今のお金に換算するといくらくらい?

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 10:22:12.80 ID:+RDtgwaW0.net
>>271 自分の祖母が大正時代小学校教員で月給40円だった。
それを20万円と考えると2-3万円くらいだな。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 10:42:29.22 ID:NiwYNI47O.net


274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 10:54:58.93 ID:r2tjzMpC0.net
昭和二十年頃は高等小学校(国民学校高等科)卒あたりが世間的には並の学歴?

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 11:26:27.65 ID:GVWkgXzL0.net
昭和50年高校入学の私の授業料は月1200円、諸費用が別に月2000円程だったと思う。
インフレの時代だったので次年度入学生からは授業料は一気に3200円に値上げされた
と記憶している。
私立高校は2万円程と聞いていたので公立とは10倍以上の差があった。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 15:55:57.32 ID:GqxhsQim0.net
戦前の国公立の授業料が高かったというのは初耳でおどろきました。
なんとなく官費学生という漫然としたイメージを持っててはいけないんですね。

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 16:17:56.06 ID:iZ8W51pG0.net
そそ、だから、義務教育以外は、金がないとたとえ官立でも行けなかった、
というか、家のもんは、はやく働いて欲しかった、とくに農家は。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 16:36:04.55 ID:+RDtgwaW0.net
師範学校は官費だった。貧乏で頭の良い子は軍人か教師になるしか
上の教育を受ける手段がなかった。

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 16:51:45.06 ID:1+d0Zb5PO.net
師範学校は確かに貧しい家庭の子もいたけど
実際は良家、素封家の子弟が多かったらしい

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 16:58:13.37 ID:1+d0Zb5PO.net
あと、陸軍幼年学校の授業料は月20円です
経済的理由で中学に進めない子ならなおさら
陸軍幼年学校への進学は不可能です

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 17:02:01.60 ID:ER0fGwX50.net
だから高木惣吉みたいに、小卒から独学で海軍兵学校に
合格するような人も出てくるわけですな

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 19:34:10.01 ID:Ov00yS3T0.net
>>272

>>70でも紹介されている『「月給百円」サラリーマン 』によると
当時の教師は高給取りで女性でもまともな給料が出たそうです
http://hiki.cre.jp/history/?Gekkyuu100YenSalaryman#l0

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 20:44:03.42 ID:Bb3tqcWX0.net
>>274
昭和初期にもなると、都市部では高等小学校卒業以上が大多数派になり、
恐慌の時には最低でも中卒でないと職に就けないと言われていた。
1936年の時点では尋常科卒業者の66%が高等科に進んでいた(中等学校へは21%)ようだ。
ただ、スラム街・被差別部落・水上生活などの貧困環境のせいで
尋常小学校すらまともに通えない児童も一定の数で存在し続け、
彼らを対象とした夜間小学も公立私立を問わず存在した。
学生改革によって旧制の夜間中学は新制高校の定時制になるが、
夜間小学は新制の夜間中学に役割を譲る形で消滅した。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 23:23:16.74 ID:0YgI1dVA0.net
>>278

戦前の日本においては、小学校教師は凄く尊敬される職業だったと
昔、本で読んだ。


285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 11:26:58.88 ID:N+oYre+B0.net
二十四の瞳の大石先生も新米なのに村民に敬愛されてたね

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/04(金) 07:59:01.97 ID:9QOsPxo80.net
村の公式行事などには三役として
村長、駐在、校長が出席したほどだからね

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/04(金) 21:58:54.05 ID:aAtXmrSy0.net
戦前の村落共同体の有力者の跡取り息子(長男)は地元を離れるわけにいかない。
長男は師範学校に進んで卒業と同時に地元の小学校訓導になる。
教員生活の傍らに農地や山林などの資産管理と墓守などの祭祀(光栄なる義務)に務めた。
当時は長子相続で実家の資産はすべて長男の者になるのだから当然といえば当然。

家が裕福なのだから進学させようと思えばいくらでも進学させられるが、
どんなに成績優秀であっても旧制高校→帝大の進路を取らせるわけにいかなかった。
こういうのは次男三男の進路。次男三男は帝大出てどんなに偉くなっても、長兄に頭が上がらなかった。

ちなみに、郵便局長(旧三級郵便局、後の特定郵便局)というのも村の有力者の一人。
特定郵便局の沿革や特定郵便局の業界団体が強力な政治力を有する圧力団体であったことを思い出そう。




288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/04(金) 22:03:03.62 ID:jXFeXokG0.net
>>287 そう子供のころ田舎の郵便局長がなんで世襲職なのかわからなかったよ。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 17:30:25.44 ID:iaFuEIFY0.net
>>272
>>282
大正生まれの祖父が、
昭和10年代の1円=今の5000円ぐらい
昭和一桁の1円=今の1万円ぐらい
大正後半の1円=今の2〜3万円ぐらい
って言ってた。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 08:07:16.03 ID:aZmsP0el0.net
戦前は今よりも遥かに貧富の差があったから
階層によって貨幣価値は全然違うだろうね
農村はほとんど自給自足で現金収入は少なかったし


291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 08:39:35.94 ID:uTKLq+Yh0.net
貧乏人の子供がキャリアを目指そうと思ったら、秦野章のように夜間学校→
大学専門部(夜間)→高等文官試験の勤労コースか、逓信管理練習所、
鉄道省鉄道教習所、水産講習所に部内から入って俸給を貰いながら
勉強して高等文官試験の目指すコース

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 09:51:33.07 ID:0/Flvt9X0.net
鈴木善幸元首相は、水産講習所

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 17:18:45.01 ID:8GAvSCRE0.net
作家の金達寿は中学を卒業していないが、書類を忘れたと言って日大の入試を受け
その後も卒業証明を提出せず曖昧なまま日大に入学してしまった。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 10:34:15.11 ID:Pkbos/8S0.net
まあ、また戦前のように戻るんじゃないでしょうか。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 10:41:03.03 ID:ksfuk7vv0.net
>>294 実質的に戦前に戻す方法。

公立一貫校を推進する。県立名門高校にはかならず中学の設置を義務付ける。
旧帝大は学部生の募集を停止する。すでにほとんどの教授は大学院所属になっている。
駒場はすでに4年生までいるのだから東京文理大学として独立させる。
奨学金制度を充実させ頭が良ければ貧困層からも出世できるようにする。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 20:07:38.73 ID:ipVJowX+0.net
私大を30に減らすんだな、それで

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 20:12:49.37 ID:eaKesYfT0.net
>>295
天才とまでは言わないが本当にアタマのいい奴(全国で1学年あたり50人ぐらいか)
を選抜して徹底したエリート教育を施してくれよ。
受験勉強が上手いとかいうレベルの奴じゃ国家の指導は無理だよ。
このままだと冗談じゃなく日本終わるよ。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 22:08:56.38 ID:hAXiscRR0.net
ベーシックインカムの議論でおもったのだけど、はたらかないですむのならば
ほとんどのひとは義務教育さえおえれば十分になるとおもう。義務教育では
生活管理をきちんとおしえることが中心になるだろう。


299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 22:39:43.08 ID:rNCp31fc0.net
>>298 確かに今の義務教育の内容でベーシックインカムを導入したら
パチンコ屋が大繁盛するだけだと思う。江戸時代の武士なんか金銭のための
労働はほとんどしなかったけど子供の家庭教育とか熱心にやっていたわけだ。
今は偉くなるほど拘束時間が増える。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 08:31:18.74 ID:ftBhtXyk0.net
武家の教育は藩によってよってかなり違うよ。佐賀藩では藩士の子は6歳で弘道館に入り
スパルタ教育を受け、25歳で卒業できないと家禄没収の厳しさだったけど、
薩摩藩は武士に学問はいらない、今で言う中卒程度の教育でいいという考えだった。
幕臣などは完全に放任主義、したがって易きに流れ、学問や武芸も熱心な家庭以外は
まったく無縁、武士のくせに刀も満足に振れないありさまだった。


301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 17:33:34.12 ID:OoYyDfyg0.net
>>286

スレ違いだけど、駐在所の巡査さんも一目置かれていたということ?

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 20:40:39.16 ID:ZMVF/BVw0.net
>>301
昭和40年代くらいまでそうだった。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/14(月) 09:50:34.90 ID:5YnqA9kf0.net
戦前というか昭和の大合併の前の町村は小学校の学区の範囲だったからね

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/14(月) 11:08:22.06 ID:lSrqcycT0.net
駐在さんは公務員としての階級は低いけど尊敬されていた。

江戸時代の感覚が残っていて 村長、校長、郵便局長(名主層)
駐在さん(藩から派遣されてきた下っ端の侍)として機能していたと思う。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 12:00:20.47 ID:0H6I2zzM0.net
高女って私立もあった?
あるか、旧制中学も私立あったしな

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 14:32:30.37 ID:ePtQSLbj0.net
>>305
私立学校が最後まで参入を許されなかったのは教員を養成する師範学校、高等師範学校の分野。
といっても専門学校が大学附属の「高等師範部」を名乗るケースはいくつかあった。

また、1941年の国民学校令では私立の国民学校は設置が認められなくなり、
それまであった私立小学校は各種学校になるか、公立移管して廃校となるかの選択を迫られた。
実のところ、文部省は国民学校の発足と同時に私立小学校を全廃させる予定だったが、
小学校を運営していた慶應義塾や成城学園などがこれを聞いて猛反対し、撤回させたという話が残っている。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 14:48:02.10 ID:8ej1mTeu0.net
相愛高等女学校とか。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:11:49.95 ID:sHVVHdgO0.net
>>304
駐在は藩政時代の名残かもしれないね
旗本領の代官なんて軽輩の家臣だし

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:56:30.07 ID:sHVVHdgO0.net
「おまわりさん」は江戸時代からある言葉
町奉行所の定回り同心が決まった順路を巡回してたことが由来

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 10:10:01.65 ID:ne8fDENP0.net
昭和2年(1927).10.24〔慶応大学生が軍事教練中に酔って暴れる〕
 千葉県下志津の陸軍演習場で、慶応大学生350人が1週間の軍事教練を受けていたが、
 10.24深夜1時に数十名が抜け出して料亭で酔って暴れ、帰り道でも商店の看板を壊して回り、
 派出所の看板まで投げ捨てたので逮捕、憲兵隊が取り調べ。

昭和6年(1931).5.5〔慶応大学生が軍事教練で風紀を乱す〕
 群馬県高崎市相馬ヶ原の陸軍演習場で、慶応大学生1200人が4.16〜4.30に軍事教練を
 受けたが、著しく風紀を乱したので憲兵隊が捜査を開始した。兵舍で酒を飲んで暴れて
 机や扉を壊し、農家の娘を温泉場のカフェーに連れ出したり、東京から女を呼んで
 ドライブなどしており、温泉旅館の主人が注意しても「我々は銀座で鍛えた腕だ」と
 云って聞かなかった。

http://kangaeru.s59.xrea.com/gakounai.htm

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 12:40:21.81 ID:4530aCol0.net
>>310 昔のエリートさんは元気があると言うかDQN特性を持っている。

戦時中に中学入試が廃止され内申書による選考に変わったが案の定不正が起きた。

昭和18年(1943).4.23〔中学校入学不正事件大摘発〕※参考
 全国において大学から中学まで入学試験での買収が問題となり司法当局は大規模な摘発を断行した。
 特に受験競争の激化から中学入試が廃止されて内申制度になったため、小学校の内申書や成績簿を
偽造する教師が多く、「優」ひとつが何十円と相場が決まっており、禁止されている家庭教師料名目
などで当然のようにして大金を受け取っていた。また、有力な父兄の子弟には特別の便宜を図っていた。
 東京都だけで小学校71校131人、中学校と女学校21校68人、父兄2370人が逮捕された。
最終的に起訴されたのは極めて悪質な者だけで、収賄側小学校教師30人、中学教師と校長28人の合計58人、
贈賄側の父兄や受験ブローカー10人。父兄209人には略式命令により罰金刑が科せられた。
起訴猶予となった教師も懲戒免職、諭旨退職などの処分にされた。この年の銀行員大卒初任給75円。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 13:08:33.34 ID:Bcq7e+pT0.net
>>124
1980年代うまれは日本史上はじめての「お行儀のよい世代」ではないかとおもう。
もちろん、本格的なゆとり教育をうけた1987年度以降うまれなどに愚行がみうけ
られるのだがそれでもほかの世代にくらべればどうってこともないのだよね。

1970年代前半うまれにくらべるとスケールがとぼしいというか。

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 13:54:02.61 ID:KWeA9LJU0.net
お行儀のよしあしは家庭の問題だから、世代で横切りにするのは無理があるだろう。
1970年後半から80年くらいまでの世代は、小学校のころにファミコン(スーパーマリオ2etc)
に直撃された世代だから、なんらかの性向(インドア志向)はあるかもしれない。


314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 14:35:13.58 ID:Bcq7e+pT0.net
>>313
それらの 世代は ものごころ ついた ときは ものが あふれかえっていたから
ぎらぎらした 欲望が とぼしいのだと おもう。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/02(金) 11:10:11.12 ID:nKw2UAOR0.net
詩人の高村光太郎に「火だるま槐多」と形容された画家の村山槐多はいまなら精神病院に収容されていてもおかしくない。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/02(金) 11:12:21.06 ID:nKw2UAOR0.net
槐多もエリート層に属していたのだけどね。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/06(火) 17:26:07.25 ID:PUu/xWPF0.net
陸士、海兵って、いまだと、どこ大学レベル?

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 20:35:16.53 ID:DxRqQ6bd0.net
ちなみに戦前の教育事情を把握すると今の教育に役に立つの?

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 20:40:23.70 ID:MU9sJVor0.net
三島由紀夫は、無試験で東大入ったの?

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 00:25:11.38 ID:qAz5w6Ek0.net
>>317
独断と偏見だけど、
海兵で阪大クラス、陸士で地帝クラスってとこじゃないかな。

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 09:34:54.80 ID:W/wZQ7Wm0.net
>>317,320 期によって大きく違うと思う。人数を絞っていた時期の海兵なら
東大+体力テストだろう。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 19:20:55.94 ID:i+DVXDgh0.net
海大、陸大はどのレベル?

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 20:00:04.31 ID:W/wZQ7Wm0.net
海大、陸大は大学とは違うからレベルの比較しようがない。
今でいえば自衛隊の指揮幕僚課程、幹部高級課程に相当する。

造船とか造兵など工学が必要な場合は帝大に国内留学させていた。

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 22:00:15.18 ID:JEhwmpee0.net
>>323
内部推薦だったんだよね?
陸海大は?

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/09(金) 00:40:42.30 ID:51L8orzl0.net
>>324
受験資格が現役士官(陸軍なら大、中尉。海軍なら少佐、大尉)のみ。
教育内容もあくまでも参謀養成機関であって、
大学校と名乗っているが、一般の高等教育とは全く関係ない。
故に卒業しても、修士や博士等の学位がつくこともない。
ちなみに、今の警察官も警部昇任時には警察大学校警部任用科に入校することになるが、
もちろんこれも一般人には受験資格はない。

例えるなら、企業の研修所みたいなもの。

受験には上官の推薦が必要だが、あくまでも選抜は学科試験。
ガタルカナルに向かう若い士官の中には、輸送船の中で陸大の受験勉強してた人もいたそうで。

というわけで陸大や海大に一般人が入校するということはありえないが、323氏のおっしゃる通り、
陸士や海兵は陸海大と違って、旧制高校や高等専門学校等の前期高等教育機関と同等扱いをされていたので、
命令により帝大に入学し、大卒の資格と学士の学位を授与された軍人はそれなりにいる。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/09(金) 22:29:29.57 ID:BVPNLK8H0.net
ところで第二次世界大戦まえの日本では中等教育でえられる知識を
学校以外のところでてにいれることはたやすくできたのだろうか。

講義録といういまの通信教育にあたるものはあったみたいだが。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/10(土) 03:13:28.84 ID:28e4+yg90.net
>>326
学校で教わる知識を独学で仕入れるなら、中学講義録による勉強が一般的だったろうが、
そのほかには親が直接指導したり、またお金がかかるが家庭教師を特別に付けてもらうなどの方法があった。
たとえば、講談社を興した野間清治は「中学以上に行かなくても立派な人間になれる」という持論を立証するため、
長男の恒を小学校卒のままにして、特別に講師を雇ったり、剣道の稽古などを通して教育させている
(なお恒は剣道界では大剣豪の名誉を得たが若死にしたため、父の教育の総合成果については不明)。

ただ、独学に付きまとう問題としては持続の可否がある。
講義録を買ったとしても、学習者は多くが勤労の傍らに学ぶというスタイルが多く、
最後までやり通せた人はそう多くなかったはずである。
上級学校に進みたいなら、さらに専検を通る必要があり、
それ用の参考書や過去問も別に発行されていたわけで、漫然と知識をかじるだけならともかく、
進学を前提とした独学は非常に厳しい道のりの連続であった。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/10(土) 09:08:09.18 ID:dPcwtl9L0.net
旧中5卒、師範学校1部、専検等と同等の学歴資格
・旧普通試験令による普通試験の合格者
・旧裁判所書記登用試験規則による試験の合格者
・旧国民学校令による国民学校准教員免許状の所有者
・外地教育令による中等学校又は在外指定学校規則により指定された中等学校の卒業者
・旧電信協会管理無線電信講習所選科の卒業者
・旧無線電信講習所選科又は特設普通科の卒業者
・旧普通逓信講習所高等部の卒業者
・旧看護婦規則による指定看護婦養成所(高小卒を入学資格とする3年のものに限る。)の卒業者
・保健師助産師看護師法による准看護師養成所(乙種看護師養成所も含む。)の卒業者
・旧鉄道教習所中等部又は普通部(これと同等とみなされる部及び科を含む。)の卒業者
・旧陸軍幼年学校、旧陸軍兵器学校又は旧陸軍工作学校の卒業者
・旧陸軍経理学校予科の修了者
・旧海軍甲種飛行予科練習生(中学校第3学年修了以上の入隊者に限る。)又は乙種飛行予科練習生(乙種飛行予科練習生(特)を除く。)の課程の修了者
・陸軍各廠技能者養成所の見習工員科、養成工員科(いずれも高小卒を入学資格とする修業年限3年以上のものに限る。)又は青年工員科本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限5年又は4年のものに限る。)の卒業者
・旧海軍軍需部青年勤務員養成所本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限4年以上のものに限る。)の卒業者
・旧海軍工作庁工員養成所見習科(高小卒程度を入学資格とする修業年限3年(実習課程を含む。)のものに限る。)の卒業者
・旧航空機乗員養成所本科の卒業者専検等と同等の学歴資格
・旧普通試験令による普通試験の合格者
・旧裁判所書記登用試験規則による試験の合格者
・旧国民学校令による国民学校准教員免許状の所有者
・外地教育令による中等学校又は在外指定学校規則により指定された中等学校の卒業者
・旧電信協会管理無線電信講習所選科の卒業者
・旧無線電信講習所選科又は特設普通科の卒業者
・旧普通逓信講習所高等部の卒業者
・旧看護婦規則による指定看護婦養成所(高小卒を入学資格とする3年のものに限る。)の卒業者
・保健師助産師看護師法による准看護師養成所(乙種看護師養成所も含む。)の卒業者
・旧鉄道教習所中等部又は普通部(これと同等とみなされる部及び科を含む。)の卒業者
・旧陸軍幼年学校、旧陸軍兵器学校又は旧陸軍工作学校の卒業者
・旧陸軍経理学校予科の修了者
・旧海軍甲種飛行予科練習生(中学校第3学年修了以上の入隊者に限る。)又は乙種飛行予科練習生(乙種飛行予科練習生(特)を除く。)の課程の修了者
・陸軍各廠技能者養成所の見習工員科、養成工員科(いずれも高小卒を入学資格とする修業年限3年以上のものに限る。)又は青年工員科本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限5年又は4年のものに限る。)の卒業者
・旧海軍軍需部青年勤務員養成所本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限4年以上のものに限る。)の卒業者
・旧海軍工作庁工員養成所見習科(高小卒程度を入学資格とする修業年限3年(実習課程を含む。)のものに限る。)の卒業者
・旧航空機乗員養成所本科の卒業者

329 :328:2011/12/10(土) 09:14:30.59 ID:dPcwtl9L0.net
↑ごめん、ダブってしまった

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/10(土) 13:35:53.34 ID:amWfScYs0.net
こうして見ると軍や役所におびただしい中等教育同等の養成所があったんだね。
もちろん、これ以外にも大企業にも工員養成所があった。
自分は大手自動車会社に勤務していたけど80年代まで中卒者をとって
教育する社内だけで通用する工業高校のようなものがあったものだ。ところが
「貧乏だけど優秀な子供」は年々いなくなり、素行が悪く生活指導が大変になった
事も廃止理由のひとつだった。トヨタさんには今でもあるみたい。
他には自衛隊の少年工科学校くらいかな。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/11(日) 20:19:43.49 ID:qFV1ZTlJ0.net
test

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/11(日) 23:02:27.68 ID:5EzC5WtH0.net
職業系も含めて色々複線的なのは悪いことじゃないと思う
戦後は18歳での選択に集約されすぎかな

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/12(月) 17:23:47.04 ID:UMDbQl1R0.net
少年工科学校か・・・折口

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/18(日) 03:00:08.27 ID:5KS1oWdN0.net
>>330
それをかんがえると職人の人材確保はこれからますますむずかしくなってくるのだろうな。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/19(月) 10:29:27.40 ID:N5nwPYe70.net
>>334 工業高校の一番なら大企業に入れる。大企業のブルーカラーで工長さんに
なったほうが中小企業の営業課長さんより高給であることが一般に知れ渡ると
流れが変わるかもしれない。

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/21(水) 12:11:18.92 ID:hjveJ5oo0.net
東電学園も廃校になってたんだな

337 :328:2011/12/22(木) 10:28:58.96 ID:RgURIgVi0.net
328はダブってる上に中5卒と師範1部卒を同等と書いてしまう致命的間違いをしてしまいました
このままでは自分としても気分が悪いので度正しいデータを再掲します。

学歴区分中5卒
(1) 旧中学校令による修業年限5年の中学校、高等女学校又は実業学校(高小卒を入学資格とする修業年限3年以上の者を含む。)の卒業者
(2) 旧師範学校又は青年師範学校予科の修了者又は師範学校第1部3年(高小卒を入学資格とするものに限る。)の修了者
(3) 旧師範教育令による高等師範学校附属中学校又は女子高等師範学校附属高等女学校の卒業者
(4) 旧青年学校令による修業年限4年又は5年の青年学校本科の卒業者
(5) 旧専門学校入学者検定規程による検定試験の合格者
(6) 旧専門学校入学者検定規程第11条による指定に関する規則により中学校卒業者と同等以上の学力を有すると指定された者
(7) 旧実業学校卒業程度検定規程による検定試験の合格者
(8) 旧高等試験令第7条により中等学校卒業者と同等以上の学力を有するものと認められた者及び同条による試験の合格者
(9) 旧普通試験令による普通試験の合格者
(10) 旧裁判所書記登用試験規則による試験の合格者
(11) 旧国民学校令による国民学校准教員免許状の所有者
(12) 外地教育令による中等学校又は在外指定学校規則により指定された中等学校の卒業者
(13) 旧電信協会管理無線電信講習所選科の卒業者
(14) 旧無線電信講習所選科又は特設普通科の卒業者
(15) 旧普通逓信講習所高等部の卒業者
(16) 旧看護婦規則による指定看護婦養成所(高小卒を入学資格とする3年のものに限る。)の卒業者
(17) 保健師助産師看護師法による准看護師養成所(乙種看護師養成所も含む。)の卒業者
(18) 旧鉄道教習所中等部又は普通部(これと同等とみなされる部及び科を含む。)の卒業者
(19) 旧陸軍幼年学校、旧陸軍兵器学校又は旧陸軍工作学校の卒業者
(20) 旧陸軍経理学校予科の修了者
(21) 旧海軍甲種飛行予科練習生(中学校第3学年修了以上の入隊者に限る。)又は乙種飛行予科練習生(乙種飛行予科練習生(特)を除く。)の課程の修了者
(22) 陸軍各廠技能者養成所の見習工員科、養成工員科(いずれも高小卒を入学資格とする修業年限3年以上のものに限る。)又は青年工員科本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限5年又は4年のものに限る。)の卒業者
(23) 旧海軍軍需部青年勤務員養成所本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限4年以上のものに限る。)の卒業者
(24) 旧海軍工作庁工員養成所見習科(高小卒程度を入学資格とする修業年限3年(実習課程を含む。)のものに限る。)の卒業者
(25) 旧航空機乗員養成所本科の卒業者

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 13:01:40.86 ID:PAUUbp5Y0.net
>>337 旧と言う字が頻発していることからこれは戦後つくられた上級学校受験資格とかの
学歴換算表ですね。新制大学は旧制中卒では受験資格がなかったようですが、一年分認定を
うけるための講習とかあったのでしょうか? 親が生きていたときに聞いておきたかったです。

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