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【戦前】 旧制の学制について 【教育】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 23:42:09 ID:XkX3kRu60.net
1

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 10:51:07 ID:dPD4qKwI0.net
通信は東北のほうが上

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 16:10:45 ID:O2dE5w/20.net
>>74
旧高等専門学校で比較しているのだから東北帝大を持ち出すのは反則。
>>73
一橋と蔵前は途中から旧制大学に昇格したのでリストにあるのも変だな。
なぜ、東京広島両高師をいれなかったんだろ? 大学までふくめるのなら
長崎、千葉医大などもいれるべきだろ。

>通信は電気通信
これは戦後の名前で「逓信省なんとか講習所」とかじゃなかったか?


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 22:01:33 ID:HwM7go7V0.net
学制改革のとき第二次世界大戦まえの教育制度を検証する余裕がなかったのが残念だとおもう。

戦前でも高等教育の大衆化による大卒の価値の低下というのがおきていたわけで、高等小学校を
義務化して、あとははたらきながら職業の知識を身につける職業学校をつくり、そのなかから専門職
と研究者をそだてる大学に進学するというのがよかったかもしれない。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 10:08:26 ID:0qGKs95P0.net
>>76
>はたらきながら職業の知識を身につける職業学校をつくり、そのなかから
 専門職と研究者をそだてる大学に進学する

それをやった中国は何年も遅れましたけど。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 10:11:59 ID:0qGKs95P0.net
>>76
そもそも、どっちが上ということではなく「技術」と「技能」は別なもので育て方も違うんだよ。
少し前まで大企業でも高卒技術員をとっていたけど作業服の下にネクタイをさせて工員とは区別していた。今、そのポジションに高専卒がついている。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 13:42:30 ID:6U25Ughx0.net
旧制高等学校のカリキュラムの中で
特に漢文、英語について
教養としてどういった本がよく読まれてた
のでしょうか。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 20:32:00 ID:yrCcUnX60.net
>>73
園芸は千葉

81 :76:2011/02/13(日) 22:16:26 ID:dvyy1mue0.net
>>78
おたくは学歴インフレに対処するにはどういう方法がいいとおもっているの。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 22:21:21 ID:dvyy1mue0.net
学歴インフレへの処方箋 井上晃宏
http://agora-web.jp/archives/805354.html
「学歴社会 新しい文明病」(R.P.ドーア)

いささか古い本だが、著者はまだ健在だ。

ドーアは「学歴インフレ」という病が世界中で蔓延していると書く。

最初は初等学校卒だけで十分に威信の高い職業に就けたのに、教育が整備されるにしたがって、
初等学校卒だけでは差別化できなくなる。このため、社会上層部への移動を目指す人々は、中等
学校に進学するようになる。同じことが、高等学校、大学でも繰り返される。

学校定員を増やさないことは政治的に困難であるが、財政的な制約がある。また、野放図に高等教
育を整備すれば、教育の効率低下を招く。農夫に細菌学はいらない。何らかの方法で、「高等教育
が必要な人」を選抜しなくてはならない。

学力試験、知能テスト、くじ引きなど、さまざまな方法を比較検討した上で、ドーアは、どれも一長一
短があるという。

ドーアの提案する選抜方法は、「職場における選抜」だ。義務教育終了時点で、全員をいったん就職
させ、勤務成績の良好な者を、その仕事に直結する高等教育機関に送り込むべきだという。これなら、
教育目的が明確になるし、卒業後の就職問題が発生しない。

「職場における勤務成績」とは何を意味するのか、どうやって就職場所を割り振るのかという問題は
あるが、Ph.Dが就職できなくて、教育費用が無駄になる、いわゆる「高学歴ワーキングプア」が発生
している昨今では、検討する価値があると思う。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 21:12:05.06 ID:Pzf+dYIZ0.net
戦前の東京には府立中学(高女)と市立中学があったけど、
都制施行で両方都立になったということなのかな?


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 20:29:45.09 ID:74WJHFRt0.net
東京六大学は、東京八大学の予定だった。
帝大加入後も、国学院や明治学院や中央とかと模範試合していた。
アイビーリーグが8校。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 23:51:30.99 ID:95szR8lE0.net
>>83
九段高校は東京市立

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 15:52:31.31 ID:ja1itKuM0.net
>>84
国学院は日大と共に加盟を申請して断られている
明学は慶應と仲がよかった為逆に敬遠されたという話がある
(早稲田と慶應は20年近く対立して試合しなかった)
中央は創部が昭和5年で、この時既に六大学黄金時代
わざわざ声を掛ける可能性は低いし勧誘したという証拠も無い
大正時代に早稲田のコーチが中央の学生に野球を教えていたという記録はある

当時は私大5校は予科生まで試合に出られたのに対し帝大は大学生だけだった
帝大のリーグ加盟初戦は法政で、その時先発した法政のピッチャーは
後に帝大に入学して、「一年生」としていきなりリーグ開幕戦のマウンドを任された
この記録に数十年ぶりに並んだのがあの斎藤佑樹

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 16:18:40.51 ID:XbQqqbQQ0.net
>>86
旧制の予科1年は普通に尋常小6年卒・中学5年卒で進学すると17歳だね。
新制の大学1年より一つ年少になる。
尋常小5年修了・中学4年修了だと15歳=今の高1。
まあ、その手の優秀かつ野球やってるような身体頑健な奴は私大に進学
すること自体まず有り得ないだろうけど

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 23:06:10.01 ID:lsUmudoX0.net
>>12
禿同です。
競争ダメで横並びにして、結果として個性を殺していくのはサヨクの常道ですね。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 14:44:58.91 ID:RoJBm94k0.net
>>87
早稲田の予科は3年制で、旧制中学4年終了で受験資格があったんじゃなかった?
あと女子師範や女子専には4年制高女卒業者のための予科があった。

90 : 忍法帖【Lv=19,xxxPT】 :2011/04/05(火) 09:46:02.50 ID:3w0u/AB30.net
?

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 09:20:29.12 ID:lqd91AZE0.net
>>71
日本人と結婚したインドネシア人の女性が、日本は国は豊かでも国民は貧しい
夫の給料では女中一人を雇うこともできない、私の実家は金持ちではないけど
運転手とコックを庭師と女中がいたと言ってた話を思い出した。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 23:49:57.43 ID:JgdGQg+00.net
>>91

それで思い出したけど、中流家庭というのはあらゆることを
自分達家族だけでこなしていく家庭であると本で読んだことが
ある。

中流家庭が存在しない世界では上流と下流の家庭しか存在せず、
お互いに依存していないと生きていけない状況下にあるけど、
中流家庭は他者に頼らず自分達家族だけで物事を解決していく
家庭であり、それこそが近代精神なのだということだった。


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 11:29:33.30 ID:BxETDfXy0.net
>>91-92 九州の田舎には昭和30年代でも賃金を払わないで衣食住だけで
働いてくれる文字通りの「奴隷」がいたよ。その時点で年よりだったkら
戦後突然 「解放」されてもこまるわけだが。

94 : 【東電 80.6 %】 :2011/04/25(月) 21:54:52.27 ID:z+OHL8KV0.net
統一前の各大学の修業年限(大学予科)
4年
東京帝国大学
3年
京都帝国大学
2年
慶應義塾大学
1年6ヶ月
日本大学、早稲田大学、明治大学、東京法学院大学(現・中央大学)、法政大学

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 13:39:14.98 ID:3hTJE+fS0.net
戦後教育は底上げとしては成功したけどエリート教育では旧制の学制に分があるな。
80年代まで社会の指導者は旧制高校や陸士海兵の経験者だったけど、彼らがいなくなってから
日本が衰退していったと思う。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 00:21:28.64 ID:E1QAn+n+0.net
英国を見習って学制行政を行うべきだった。
ドイツ流にしたのがそもそもの間違い。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 07:25:23.83 ID:uVnvru5j0.net
>>96
ドイツは藩みたいな小国が近代になって統一されてできた国だから
事情が似ていて憲法をはじめ法体系が導入しやすかったんだよ。

戦後、アメリカ式にしたのはもっともっと間違い。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 12:20:48.91 ID:MfZwLdH30.net
『戦前の少年犯罪』という本を読むと、旧制高校がDQNの集まりだったかのような
印象をうけるけど、実際はどうだったの?


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 13:53:09.08 ID:g6AAN/Ue0.net
>>98 旧制高校がというより社会全体が未開だったんだよ。
今の中国みたいなもんだ。戦後、昭和40年代くらいまでオヤジの立ちション、
放痰はデフォルト動作だった。田舎でキャンプしていると棒をもった
村の青年が襲ってきた。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 21:42:37.04 ID:PuU+7rON0.net
>>97

アメリカは画一的な国では無いという印象を持っているんだけど、
それは誤りなのかな?

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 09:41:38.21 ID:x7MZDt3G0.net
>>100 アメリカの青春ドラマをみてごらん。チアリーダー、フットボールのヒーロー
卒業時のプロム 日本の高校よりステレオタイプで画一的だから。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 13:20:02.11 ID:r6QVs+VkO.net
>>101
ドラマまで全てをわかった気でいるわけ?

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 12:28:41.41 ID:LNQYjnUp0.net
>>99
自動車もスピード出してたね。
今みたいに歩行者優先ではなく自動車優先。通学路だろうがお構いなし。
雨の日などは車が跳ね上げた水しぶきで全身びしょぬれになって学校に来るやつがよくいた。
http://www.youtube.com/watch?v=eCF0IJQEiC4

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 16:02:54.05 ID:XTkn22Ns0.net
>>103 今の若者が三丁目の夕日とか憧れても、当時の荒っぽさとか
悪臭とかタイムスリップしたら耐えられないと思う。清潔で静かな日本が
昔から存在してきたと若者は本気で信じていて中国とか馬鹿にするけどね。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 09:18:11.94 ID:o21Jryq40.net
研究者や専門医は帝大、町医者は医専という養成区分は変えなかった方がよかった
気がする。



106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 09:31:47.95 ID:tUMRwjPn0.net
>>105 すべての分野で旧帝大は大学院だけにして旧学士=新修士と
読み替えればよかったんだよ。旧制高校は文理大とかの名称にする。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 18:10:13.87 ID:6EhYEFtq0.net
それは今の感覚。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 19:44:07.48 ID:LKDd9PAX0.net
>>106

というよりも戦後アメリカ型の学制を導入すると言いながら、
肝心な所を真似しなかったのが問題なんじゃないのかな?

アメリカでは大学で主に教養教育をやって大学院で専門教育と
研究をするようになっているのに、日本では大学で教養と専門
教育・研究をやって大学の延長・大学のつけ足しのような存在
のままにしてしまったのが問題だと思う。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 11:32:12.98 ID:cjX9GcLB0.net
>>77
>それをやった中国は何年も遅れましたけど。
>>78
>「技術」と「技能」は別なもので育て方も違うんだよ。

小卒・新制中学卒からブルーカラーになっても技術者や研究者になるために学校にはいりなおすしくみが
ととのっていればまだよかった。

日本は10代で進路をがちがちにきめすぎるのだよ。


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 12:29:24.25 ID:sYEjuuIq0.net
>>109 戦前の方が企業内の工手学校とか優秀な工員のためのコースがあった。
また、師範学校は授業料無料だった。
戦後でも新制中学卒で新日鉄に工員で入って工学博士を取らせてもらった人を
知っている。昔は経済的理由で低学歴にならざるを得ない人が多かった。

今でもIQの高い中卒・高卒者はいるけど、経済的な理由より生活習慣が駄目だとか
さらにメンタルを病んでいる子が多い。自分は大手自動車会社に勤めていたが
中卒者を取って教育する社内の工業高校みたいなのは90年ころに廃止された。
あまりにも素行の悪い子ばかり集まるからだ。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:02:22.36 ID:cjX9GcLB0.net
>>110
勉強ぎらいの生徒にいかに勉強してもらうかが義務教育永遠の課題だよね。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:08:28.24 ID:sYEjuuIq0.net
>>108 旧制高校・高専をアメリカの学部、旧制大学をアメリカの大学院
と読み替えることができなかったことが悔やまれる。

東北帝大と師範学校を合併させたりと無茶苦茶をやった。もっとも
宮城教育大学として独立して旧にもどったけど。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:37:04.27 ID:sYEjuuIq0.net
>>111 貴方の心優しき面は素敵だけど現実には逆恨みされて火をつけられたりするからね。
親戚でそういう被害にあった教育学者がいる。

田舎から東京に出てきてわかったのは、都会の良い面として職業の貴賎が
無くなりつつあることだ。飲み屋で医者や大学教授と職人さんが仲良く話していたりする。
田舎ではこうはいかない。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 14:04:56.00 ID:cjX9GcLB0.net
>>112
せめて東大が他大学からの学部3年編入学をみとめていればここまで受験戦争がひどくならなかったとおもうのだけどね。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 14:28:15.32 ID:QWV5xtdDO.net
全て日教組槙枝が悪い。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 14:28:43.44 ID:sYEjuuIq0.net
>>114 日本中の旧制高校から東大に行っていたのに戦後は駒場(一高)から
しか行けなくなった。戦前は縦の学歴、戦後は非公式の横の学歴社会になった。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 07:27:59.57 ID:KpmWcZZ60.net
昔は高専と帝大という縦学歴社会だったのをむりやり平等にしたもんだから
いまだに「旧」帝大なる言葉が残っていて歪な横学歴社会になった。
お医者さんの社会でも「旧」六(旧制医大)なる言葉が残っている。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 13:56:37.05 ID:TfotPLRU0.net
>>108
日本の学校制度は大学を重視するアメリカ型か中等教育を重視するドイツ型かどっちつかずになっているよな。
それが新制中学、新制高校の機能の曖昧さにつながっているような気がする。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 16:29:13.52 ID:guwOc4690.net
東大出と言ってもプロパーの学部卒の方がロンダで他大学から
院に入った修士より偉いと思われている社会だからな。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 10:29:29.38 ID:YIBB97ZM0.net
>>116
槙枝はお前らの大好きな帝国陸軍憲兵大尉だったんだよ。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 15:47:45.33 ID:tWeef15SO.net
>>120
海軍万歳、陸軍死ね。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 00:53:38.37 ID:+t4Rc/g00.net
世代を選ぶレスになってしまうのかな?
「超法規」発言の栗栖弘臣、
一高、東京帝大法、高文首席、内務省、短現海軍士官、
戦後弁護士、警察予備隊、陸自、最終的に統幕議長なんだぜ。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 23:09:55.59 ID:WH4p8n9Z0.net
戦前の学校制度は最後まで勅令で定められていたようだけど、
理由はなんだったんだろう?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 11:50:31.31 ID:cB/MwpPd0.net
若い人が思っているように今のようなヘタレな戦後社会がいきなり出来たのではなく
戦前の学制の遺風が1960年代くらいまで残っていました。
小学校の時、中年以上の教師は師範学校出で軍隊経験もある人が多かった。
日教組がアカハタを振っている一方で毎週軍艦マーチで行進して日の丸を掲揚
して朝礼をやっているなどサヨクとウヨクが混在した不思議な空間でした。
制度は戦後で意識は戦前という状態が暫くは続いていたのです。

戦前の遺風で良いと思うのは勉強ができる子にはリーダーシップの経験を積ませ
ようとしていたことです。勉強だけができるという状態は許されませんした。
自分の子供達を見ると平等主義が徹底していて学校のしごとも級長とか委員長でなく
「日直」として全員で持ち回りしています。




125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 12:00:21.16 ID:OVg62UGR0.net
>>124
何年生まれか教えてくださると有難く存じます。
もし、よろしかったら。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 12:48:33.74 ID:cB/MwpPd0.net
>>125
1957です。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 13:06:00.59 ID:Gl7PNG6x0.net
>124
その、戦前の遺風が残っている時期の日本が、戦後で一番少年による凶悪犯罪が多かった時期なんですけど。

少年犯罪統計データ
http://kangaeru.s59.xrea.com/toukei.html

世界的に見ても希なほどに犯罪の少ない平和な日本というのは、わりと最近の姿で、
この時期の日本はなかなかに物騒な社会だったみたいですよ。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 13:29:34.24 ID:cB/MwpPd0.net
>>127
それを言うなら戦前は少年犯罪がもっとすごかったです。

社会が未開だったからで今の中国みたいなもんです。
おやじの放尿は当たり前でした。女性が歩いているとこでも性器を出して
立ちションしていました。犬みたいでした。
1970年代、調査で田舎に大学院生がキャンプしていると村の若者が
棒をもって攻めて来ました。

列車のなかでも弁当がらを平気で通路にすてていました。一番マナーが
良いとされていたのは座席の下に捨てることでした。

衣食足りて礼節を知るをいうか、ある程度社会が豊かにならないと
どんな政治体制でも民度に関してはダメですね。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 22:06:56.42 ID:OVg62UGR0.net
「最良の刑事政策とは最良の経済政策である」(うろおぼえ)
という言葉を習った記憶があります。

統計上、不況の時や、(勝っても負けても)戦争直後は犯罪が増えると聞いています。

もちろん、学校教育が完全に無関係ではないのでしょうけれど。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 22:20:44.85 ID:Gl7PNG6x0.net
戦争の後に犯罪が増えるのは、戦場での荒々しい気分を持った兵士達が
復員して市民生活の中に戻ってくることにも要因の一つがあると思う。

日清日露の頃から先の大戦まで、大日本帝国だったころの日本は10年くらいごとに
戦争を戦ってきて、最後の15年くらいは戦争をし続け立ったから、
市民生活への影響も相応にあっただろうね。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 22:48:23.62 ID:Yot3o96DO.net
うちの田舎ではガキが野糞してる横で高校生の男女が畑で性交渉してました。1960年代は不思議な空間というのは言い得て妙だと思います

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 02:31:39.95 ID:NjMbAFJu0.net
>>124
それが高校三原則が徹底しなくて高校の序列化がすすんだ最大の理由ではないかとおもう。

高等専門学校ができたときに学制を9年制の義務教育学校 - 5年制の高等専門学校 - 3年制の大学(修士程度)に再編すべきだったのかもしれない。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 18:45:08.95 ID:OW0u2N+f0.net
戦前に、日本人が朝鮮の最高学府であるソウル大学を卒業するのは、普通のことでしょうか?
朝鮮を併合して支配してたから、日本人もたくさん朝鮮に行って、朝鮮の大学を卒業していたのでしょうか?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 21:59:00.39 ID:UyD2ZcxS0.net
>>133
戦前にソウル大学はありませんでした。京城帝国大学を卒業している日本人はたくさんいます。
もうほとんど死んでしまいましたが。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 22:01:03.95 ID:UyD2ZcxS0.net
今のソウル大学関係者は京城帝国大学との連続性を認めていません。
同じ敷地に戦後新たに出来たことになっています。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 22:10:16.99 ID:UyD2ZcxS0.net
>>133
調べてみたら内鮮共学が強く唱えられていたにもかかわらず、京城帝国大学で
朝鮮人学生の数が日本人を上回ったことは有りませんでした。


137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 11:52:34.42 ID:djdWTtM10.net
>>136
自分は東北大学出身(もちろん戦後)だけど学生に占める現地人の割合は
40%くらいだったよ。朝鮮支配が今でもつづいていたらこのくらいの
感覚なんだろな。

>>133 内地の高校や高専を出て大陸の大学に行くのが覇気ある若者と思われて
いた時代があった。旅順工大や哈爾濱工大を出ているお爺様を何人も知っていた。
内地の中学を出て高専レベルの外地の学校に行った人も多い。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 22:14:27.98 ID:0F8SJfJH0.net
併合時代の京城帝国大学卒業のステイタスを、現代の日本に換算すると
どのあたりの大学になるのでしょうか?


139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/22(水) 15:47:22.98 ID:ebmo5xrn0.net
>>138
現代の大学と違って帝大には偏差値による優劣がないのでなんともいえない。
強いて言えば北大か筑波大くらいじゃないかな。

140 :田中:2011/06/26(日) 14:14:41.16 ID:OJyVpFmQO.net
俺の田舎は未だに夜這いの風習がある。俺も15才で夜這い→筆おろし。まぁ相手はおばちゃんだけどな。
おかげで今でも熟女好き

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 16:16:12.90 ID:/lTyEaHM0.net
>>132
高等専門学校は5年制の学校を作ろうとしたのではありません
高大一貫教育の中学卒業生対象の大学を作って大学入試のチャンスを2回にしようとしたのです

これに大反対したのが東大、中学生のときにこの大学に落ちたものが東大を受けることになり、
天下の東大は落ちこぼれが行く大学になってしまいます

大学協会の圧力により骨抜きにされたのが現在の高専
大学の先生に教育を語らしたのが失敗の始まりでした

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 19:10:46.39 ID:n50cY7gH0.net
>>141
文部省から離して通産省商下の「産業士官学校」とかにしておけば7年制に出来たかもしれないね。
今の高専みたいに全国やたたらにつくらないで東西2校くらいにするとか。

143 :田中:2011/06/26(日) 20:50:23.94 ID:OJyVpFmQO.net
バカロレア アビトゥ〜ア

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 23:07:58.48 ID:K0jn6VAV0.net
>>141
教養高専なら旧制高校の復活になるから大学関係者にもうけいれられやすかったはずなのだけどなあ。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/27(月) 13:05:54.18 ID:azed/bBG0.net
>>142
産業士官学校って、もろフランスのエコール・ポリテクニークだな。
日本に作って東大の理系以上の成果をあげることができるかな。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 19:20:16.97 ID:UvssgHwv0.net
東工大に千葉大のデザイン学科をくっつけていたらあげれたかも

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 21:31:55.01 ID:72W9c5BI0.net
>>146
九州芸術工科大学ってそれ狙ったんだが駄目だったね。
田舎につくるのが無理があった。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 22:29:56.23 ID:AoCiORr00.net
東大が9月入学になるようだ。大正時代まで帝大は秋入学だった。
少しづつ旧制にもどりつつあるのかな。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 23:04:56.93 ID:WkFKvtRE0.net
「若者の高学歴化、就職にはつながらず」労働経済白書
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E2E5E2E1858DE2EAE2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
細川律夫厚生労働相は8日の閣議に2011年版「労働経済の分析(労働経済白書)」を提出した。
大学進学率が1990年以降20年で急速に上昇する一方、教える内容が社会のニーズに合ってい
ないと分析し、若者の高学歴化が必ずしも就職につながっていないと指摘した。卒業しても仕事
がない若者を減らすには、大学の就職支援や、学生に教える内容の再検討が必要だと強調した。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 23:08:05.92 ID:bIJ1W/Hb0.net
大学進学する必要のない人間が進学したからこうなっただけ
中学レベルの英数国がまともにできない奴は大学に行く資格なし

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 13:26:55.17 ID:YYFvnkTx0.net
大卒を技能職(工員)として採用するルートを作ればよい。
無理にホワイトカラーにこだわって派遣になるよりよい。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 23:51:17.57 ID:kmZB5I9E0.net
大学進学する必要のない学力の人間が多すぎるんだよ
経済学部なのに中学レベルの数学ができないとか話にならんのよ
経済学部なら入試に数学を必須にすべきだろう
数学がわからなくて経済学はわかるわけがない

工業高校や商業高校をトップクラスの成績で卒業して就職した人間の方が、底辺大学の文系卒より即戦力で使えるのは企業も良く分かっているので、そのようなルートは用意しない
大卒で給料は高く払わないといけない上に仕事では使えない人間を正社員として雇うほど企業はお人よしではないよ

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 01:22:37.24 ID:dFGKWhLE0.net
20前後のペーパーテストの出来(入試・公務員試験 etc.)が、
そいつの能力とただちに比例するわけじゃないのは、
ほんのちょっとでも実務に関わったやつなら、言うまでもないことだと思うんだが、
しんどいんだよね、ほかの評価基準導入するの。
ペーパーテストの成績って、一応公平だし数字で出るし。

ま、実務経験したあと、学校に行くのがハンディキャップにならないようにするだけで、
随分かわりそうな気はするけど。

底辺校の名ばかり学士も馬鹿げてるとは確かに思う。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 06:43:38.70 ID:1Fx9I/pk0.net
>>152-153

80年代くらいまでは大手証券会社とかでも高卒の役員は普通に居た。
今高卒でトップの人達は例えば公務員初級職で入って中小企業の大卒管理職より良い給料を貰っている。
大企業でも研究補助職などに地方の工業高の一番をとっている。自分は筑波大学を蹴って地元の市役所に
入った人も知っている。アタマが良いのに経済的理由で大学に行けなかった人たちはなんらかの方法で
リカバリしているよ。

一時期AO入試とか流行って「学力より人間性」とか持てはやされたが、企業ではAO入試の子は
実は評判が悪い。自分は慶応の理工で慶応高校からあがってきた人と仕事をしたことがあるが
基本的なことを知らないのでびっくりしたことがある。例えば化学なら入試を経験した人は
周期表が頭の中に入っているが、その人は「そんなもん見ればよいだろ」という態度だった。
クリエイティブなことをやるにしてもある程度の暗記のベースがないとスピートが違いすぎる。
慶応高校で一流の先生から化学を履修したとしても、入試を経験していないとすぐに取り出せる
知識になっていないんだ。文系のことは分からないけど大学入試が日本の科学技術を支えているのは事実。

文系は「地頭とリーダーシップ」しかいらないなら、世の中「サラリーマン金太郎」みたいな
人がもっと採用されているはずだ。そうはならないのは、それだけでは不十分だということだ。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 13:34:50.58 ID:W1AqWvKu0.net
受験戦争が加熱してる時は水を吹っかけて頭を冷やし、弛んでる時は尻を蹴っ飛ばして
勉強させないといけないのに真逆の教育政策を取ったのが文部科学省。


156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 05:13:07.57 ID:T4V8Yokz0.net

【社会】二宮金次郎像を"漫画に熱中して歩くオタ像"にデフォルメした少年が補導 (画像有り)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 10:00:22.44 ID:/C0Gfg7R0.net
>>86-87
尋常小6年→高等小2年→中学5年→
高校3年→帝大3年または予科2年→本科4年。
どちらも最終学年は24〜25歳。

…で、日本の学制なら早生れのベーブ・ルースが、
25〜27歳で54〜59本塁打したので、
学卒以降も野球を続けてレベルを上げようと作られたのが、
都市対抗そして職業野球。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 10:10:23.59 ID:LvSHlyvZ0.net
>>157
尋常小6年→【高等小2年】→中学5年→  これはほとんどない例。

家が貧しくて中学を受けられなくて高等小学校にいったが、
誰かの援助で中学にいけることとなったとか。それにしても
昔の同級生が2学年先輩だったらいたたまれないだろう。

優秀な人は 尋常小6年→中学4年終了→高校3年 

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 11:51:49.05 ID:Lrn9NXLz0.net
旧制の工専て、時局に合わせて出来たんだが難しかったんか?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 14:02:52.66 ID:bbo9k+rJ0.net
>>159 もともと明治時代から高等工業はあった。1939年時局に合わせて
官立7校が増設された。理系は兵役が延期できるからそれなりに難しかった。
入試より教育が軍隊式で厳しかったという。

今でも単独で残っているのは室蘭工大くらいだな。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 16:02:46.73 ID:Lrn9NXLz0.net
親父が多賀工業専門学校
今の茨城大工学部か、、
工専て、官立絶対の時代だから、私立よりは難関だったんだろ?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 18:06:06.98 ID:bbo9k+rJ0.net
>>161 当時の受験事情はわからないが、数少ない私立も明治時代からあるものも
ありそれなりに伝統があったと思われる。例えば東京物理学校「東京理科大」
とか東京電気学校「東京電機大学」とかだ。これらが工専と認められたのは戦前でも
かなり後のことだ。

正規の学校とは別に大企業の中に優秀な職工さんを勉強させて技手にする学校があった。

家が貧乏で中学に行けなくても、社会にでてからチャンスがあった。師範学校は官費だし
戦前の方が今より社会階層間の撹拌があったと思われる。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 02:23:57.05 ID:U+uS9cWq0.net
ここは学歴板と違って良スレですね。あっちは偏差値輪切り&就職・資格状況
のコピペしかネタがなく、稚拙極まります。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 09:49:23.13 ID:8P9YucuT0.net
>>163 旧制を鏡として現代の教育を論ずることは良いです。

自分は1957年生まれだけど10歳くらい下の人から旧制のことが
わからなくなっている。親も教師も新制出身だから当然か。
ここにくる若い人がやたらに詳しいのは相当マニアックなことだな。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 19:52:27.08 ID:8N3hBso00.net
>自分は1957年生まれだけど10歳くらい下の人

丙午のちょい後生まれだけど両親は共に昭和一桁世代ですが何か?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 07:30:51.11 ID:uLcX3NUS0.net
>>162

> 家が貧乏で中学に行けなくても、社会にでてからチャンスがあった。師範学校は官費だし
> 戦前の方が今より社会階層間の撹拌があったと思われる。

「戦前」をどの範囲に想定しているのかによるけれど、
賛成できない。
貧富の差は格段に縮小し、
学力があっても貧困のせいで進学不能なんてケースは、
皆無に近くなってるのじゃないだろうか。


>>164

本が何冊か出て、それほどマニアックな知識でもなくなってますよ。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 14:14:12.25 ID:IA4YLwjZ0.net
>>162
確かに社会階層間の攪拌はあったと思いますが、明治・大正期にその傾向が
より強かったと思います。昭和に入る頃には、中産階級が定着しつつある事
で現在に近い状況を呈していたと思います。旧制中学から旧制高校への進路
は、現代の私達の感覚以上に狭き門、エリートコースだったでしょう。但し
学歴以外でのセーフティネット機能(職業人としての自立機会)は、現在より
は選択の幅はあったであろうと思います。むしろ現在のほうが階層の固定化
は着実に進んでいると思います。中学、特に難関の国立や私立中高一貫校へ
進めるかどうかで、後の東大、京大等の旧帝大、或いは医学部や早慶などへ
の進路が概ね決まってしまうからです(勿論、若干の例外はあるにせよ)
かつてはそのレールに乗れなくても、別の方策で職業選択の道はありましたが、
現代は殆どそのような余裕はありません。閉塞感を感じるのも首肯できます。




168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 12:49:23.07 ID:Tf+mfbhy0.net
学制改革で教育コースが単線化され、義務教育期間が延びたおかげで
国民の間に最低限の学力・知識が普及し、戦後の復興・成長に役立ったことは確かだと思う。
一方現代では、学校形態が画一化されすぎて硬直的に思えることがある。
世間では中卒後、高校進学以外の進路をとろうとすると「外れもの」とみなされることが多いようだし、
教育学者の中にも、6・3・3の枠組みにこだわって特に一貫校を戦前の不平等教育への回帰と批判する人もいる。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 10:10:34.20 ID:keUABWZI0.net
>>168 公立一貫校が解禁になったことで中等教育の戦前回帰は止められないだろう。
6・3・3の枠組みにこだわったあまり、私立の台頭を許し社会階層が固定化してきている。

京都、広島など左翼が強い地域ほど名門公立高校が壊滅し、金がないと良い教育を
受けられなくなっている皮肉。つまり、「地獄への道は善意というレンガで敷き詰められている」だ。

公立一貫校は貧乏だが頭の良い子にとって希望の星だ!!!

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 19:02:09.00 ID:Sz38EjrQ0.net
>>168
学校教育法によって学校のランク(1条校とそれ以外)ががちがちにきめられてしまったことがおおきいとおもう。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 20:09:31.06 ID:4yBlj9Bd0.net
>>169
いくら勉強できても塾通いが前提となっちゃってる難関校の現状じゃ、貧乏な子は逆にチャンスないのにバカだね。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 23:14:22.95 ID:A/f6S7eS0.net
>>169

平等教育を声高に唱えていても、自分の子供だけは有名私立進学校等に
行かせている教師や有識者は多いと書籍だけでなくネットでも見かけた
ことがある。

大阪において地元集中運動を推進していた教師の話だけど、自身の教え子
には地元の高校に強制的に行かせるのに、実子を有名進学校に進学させ、
さらにそれを教え子達に俺の子供は賢いと自慢していたという書き込みを
見かけたことがある。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 09:20:06.88 ID:D69HCYj90.net
>>170 18歳未満は90数パーセント以上が1条校に行っているわけだからランク
とは言えないと思う。ただ戦前の方が学校設立はやりやすかった面はある。

あおぞら文庫 ああ玉杯に花うけて 佐藤 紅緑
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000575/card3585.html

軍国化する前の戦前の雰囲気が良くわかる。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 15:51:29.54 ID:ZdbQkyZs0.net
大正〜昭和にかけて公立・私立の旧制夜間中学や女学校が増加するが、
実業学校の夜間部が正規課程として昭和初めに認められた一方で、
中学校・高等女学校のそれは戦時中の中等学校令施行まで認められず、
長らく各種学校に位置づけられていた。
こうした学校が正規の機関になるまでの救済策としては、
「専検指定」制度や軍事教練の導入による徴兵猶予認可があった。
専検指定制度は、専門学校入学者検定が専門学校令によって規定される際に発足した。
本来は中学校や高等女学校並みの教育を行いながらも、
宗教教育など独自の方針を守るために各種学校に留まらざるを得ない学校の卒業生に対し、
上級学校への進学に便宜を与えるために定められた、無試験検定である。
それは、文部省が指定願いを申し出た学校のカリキュラムや教材、施設を審査し、
問題がなければ該当校の卒業生に高校や専門学校への入学資格を与えるというものだった。
この指定制度を拡大解釈することで、夜間中学や女学校の地位向上が図られた。
実際、専検指定と徴兵猶予さえ認めてもらえれば世間では中学校として扱われたようで、
夜間中学の中にも、昼間の難関中学校のように入試倍率が数倍を超えるところもあった。

>>173
しかし、物語の主人公が後半から通学する黙々塾は、文中から察するに学校としての
認可すら受けていない私塾のようである。
こうした場合に高専入学を目指すには、めいめいが専検や高検などを受けて入学資格を得てから
志望校の入試を受けなければならない、非常に厳しい道が待ち受けている。

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